死んで40年、新譜が出るアルバート・アイラー
大学生の頃、一番聴いたのが Cecil Taylor でその次が Ayler だったような気がする。もっともその頃は、1日10時間以上も音楽を流していたので、Taylor や Ayler ばかり聴いていたわけじゃない。その当時、聴き始めて夢中になったから、いつも聴いていたような思い出に繋がっているのだろう。フリー・ジャズは真面目に聴いたので(本を読みながら・・・などということはせず)、一層その思いが強いのかも知れない。今じゃ、Evan Parker さえ BGM にして、本を読んだり、インターネットしたり、昼寝をしたり、慣れりゃそんなもんかもしれないがちょっと感性が麻痺してきたんじゃないかと思ったりすることもある。
Ayler は、知り合い(前にも書いたとおり)の家で聴いたのが始まり、その時その知り合いは「うちはあんまりフリー好きと違うから、あんたら勝手に聴いとって」とかなんとかいって、別の部屋へ行ってしまった。次に聞かせろと頼んだ Coltrane の Ascension の時もそうで、知り合いにとってはどうもフリーはお勉強の内で、持っていることに意義があったらしい。
18歳だか19歳だかの自分にとって、「こんな音楽があるのか」という衝撃は強く、Ascension の大人数の演奏には、あまり感心しなかったが、トリオで楽器の音が一音一音はっきり聴こえる Spiritual Unity には大いに感銘を受けた。ここから、フリー・ジャズ(その後のフリー・インプロヴィゼイションを含めて)狂いが始まったのである。
Ayler の活動期間は短く、録音の数も多くないので、コレクターとしては是非とも全作品を揃えたくなってしまうところ。コンプリートの最難関であった Last Album も最善の形式ではないにしろ入手は簡単だし(Impulse の2in1で・・・でも何でカップリングが Love Cry なんだ、と誰もが思う)、10枚組の Holy Ghost を手に入れれば、公式レコーディングの隙間もちゃんと埋まる。
Impulse の未発表曲に対する姿勢が今ひとつ明確でなかったり、Spritual Unity のヴァージョン違いが今後どう扱われるのか、など細かい部分に拘れば言いたいこともあるが、それはそれとして別稿に譲ろう。
今回の話は、Impulse に移籍した直後の頃、アルバムでいえば Albert Ayler in Greenwich の1966年から67年に掛けての頃。
聴き始めた当時は、Impulse 盤は殆ど出回っておらず、特に最後期の Music Is The Healing Force Of The Universe と The Last Album のLPは見たこともない。必然的に学生の頃の Ayler は、ESP の Ayler であり Impulse の Ayler ではない、ということになる。作家の田中啓文さん(「水霊」「ベルゼブブ」「異形家の食卓」・・・殆ど読まさせて頂いとります。グロ最高!!!)のディスク・レヴューには「正直、アイラーの音楽というのは、『ファースト・レコーディングス』以来ほとんどゆるぎなく変化もないわけで」というような記述もあるが、自分のような聴くだけ一辺倒な音楽好きには(表面的には)かなり変わっているように聴こえる。
アンサンブルに弦、特にチェロやヴァイオリンを入れたり、ベースを2本にしてアルコに徹しさせたりする試み。特に For John Coltrane なんかでは、葬送曲として凄い効果を上げているように思う。そして、テーマ合奏部分が長くアンサンブルも練られ、フリー・インプロヴィゼーション部分との区分が明確になっていることなど、変化を感じる部分は多い。
Impulse の Ayler との出会いは、The Village Concerts という2枚組。大学3年の頃(記憶が曖昧)、場末の輸入盤屋で見つけたもの。当時は情報が少なく、Albert Ayler in Greenwich Village の残りテイク集ということも判らずに、「へー、こんなんあるの?何これ」とか言いながら、大手輸入盤屋では見たことがなかったため購入した(発売年でいうと1978年なので、そんなに珍しいアルバムでもなかったはず、記憶がおかしいのか?)。「大人しい」という印象が強く、それはテーマ提示のアンサンブルの美しさとフリー部分の制限によるものと思うが、当時は面白みがよく判らず、あまりターンテーブルに載ることもなかった。
正規盤たる Albert Ayler in Greenwich を聴き、Lörrach / Paris 1966 なんかも出たときに買い、この頃の Ayler って良いんだ、と思い始めたのは会社に入った80年代前半、ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションに嵌りながらも、Ayler だけは何とか聴いていた( Cecil Taylor は殆ど聴かなくなっていったのに対照的、Taylor がよりヨーロッパ勢に近い感じがしたせいかも)時期、心境の変化があったのかも。
この時期の Ayler は、Albert Ayler in Greenwich と The Village Concerts に未発表録音が加わった Live In Greenwich Village - The Complete Impulse Recordings 、ESP からの Live At Slug's Saloon 、Hat Hut から出たヨーロッパ楽旅のライヴ Lörrach / Paris 1966 、Stockholm, Berlin 1966 で聴ける。昨年リリースされた Stockholm, Berlin 1966 は本当にびっくりした。Ayler 死して40年以上が経過しているのに、いまだに新譜が出るなんて・・・、稀有なミュージシャンである。
アルバムでいえば、Live In Greenwich Village と Stockholm, Berlin 1966 が音がよく、演奏にも力が入る。Live At Slug's Saloon は、編集も悪く取り散らかした印象、Lörrach / Paris 1966 は Lörrach のライヴの音が細い(モノ録音のせいではないとは思うが)感じか。
Ayler は、今後も聞き続けるだろうな、多分 ESP 盤ではなく、初期の Debut 盤や中期以降の Impulse 盤を。ターンテーブルに乗る機会はそれほど多くはないだろうが。