RIOの大御所、オルガナイザー、ヘンリー・カウ
音楽と音楽以外の影響に大きなギャップがあるバンドは、例えばアフリカやカリブ海諸国にはままいることはいるが、ヨーロッパのマイナー・ロック界の大立者と言えば、Henry Cow に止めを刺す。彼らが、バンドとしての活動を78年に終了した後は、例えば マイナー・レコードの発表・発売の場としての ReR Megacorp の立ち上げ、世界各地に似たようなマイナー・レーベル(アメリカの Cuneiform やイタリアの L'Orchestra 、フランスの Ghazel 、日本の Locus Solus など)の支援など、積極的に活動を広げてきた。そのお陰もあって RIO 関連の秀作については、廃盤になることもなく、例えば This Heat などは、その後に発掘された未発表ライヴも加えて、全作リマスターされた立派な Box Set となったし、Henry Cow 自身も10枚組の全編未発表のライヴ・アーカイヴを発表している。
これは、全て Henry Cow のドラマー Chris Cutler の活動によるものだ。もともと、Cow の創設者は、Fred Frith(ギター・ヴァイオリン) と Tim Hodgkinson(キーボード・サクソフォン) で両者ともケンブリッジ大学の出身、同じくベースの John Greaves も同校出身で、謂わばエリート集団、それを鎌と槌の集団に組織していったのが、Cutler なのだ。Frith も Hodgkinson もCutler がいなければ、あれだけの録音を残すことが出来たか。
音楽面で見れば、その後の活動がなければここまで過大に評価されるバンドであったのか。確かに Nirvana for Mice や Ruins 、Living in the Heat of the Beast 、Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners などの佳曲も多く、最終作の Western Culture の出来などはかなりのものだが、音楽的な出来であれば、アメリカンRIO(Thinking Plague 、5UU'S、Motor totemist Guild)の方が、実験的な面、演奏能力は上を行く。そういう意味においては、ロックにおけるインプロヴィゼーションの導入を別とすれば、思想を明確に打ち出した態度が創成期のアヴァン・ロックへの大きな影響、組織化の機会を与えたことを考えれば、音楽面以外で彼らが途轍もない巨人であったことには違いない。
割りにきついことを書いているが、本当は何ヶ月に1回くらいの割合でターンテーブルには乗っている。ここまで何十年と聴いていると耳も慣れて、聴きたくなる機会もそれなりに多くなる。昭和歌謡も年月を過ぎて聴いてみれば、心に残るメロディーが多いじゃないか、なんて思うのと同じなのかも。
ということで、1973年ファースト・アルバム Legend 発表。日本で発売されたときは「伝説」と題されていたが、靴下のジャケットということもあって「足の終わり(靴下)」との掛詞でもあるので、いまではそのまま「レジェンド」としてあるようだ。
何度も書いて恐縮だが、他に書きようがないので・・・最初の曲 Nirvana for Mice、本当に昭和歌謡の乗りのサクソフォンから始まり、途中ピアノが入るところ何ぞは、何回聴いても気持ちが良い。殆ど切れ目無く続くような演奏は、例えば Hatfield And The North などの流れるような演奏と違い、ごつごつした印象を与える。これが変拍子のせいか、Cutler の手数の多いドラムのせいかは、続けて聴いたことがないのを言い訳にして、自分の耳では自信を持って聴き分けられない。
最後の Nine Funerals of the Citizen King の下手なコーラスまで含めて、多分、難しいことをやっているのだろうなと思いつつ、かなりの確率でヘタウマ・バンドのひとつではなかったかと思う。
2枚目が、Unrest 1974年。Geoff Leigh が抜けて、Lindsay Cooper が加入する。ポピュラー音楽にバスーン(ファゴット)が加わることは少ないが、こうした前衛的なバンドには、知性を与えるような気がする(ただのスノッブだったりして)。Lindsay は、確りした音楽教育を受けていて、安定的な演奏をしている。かなりの美人で、思想的にも女性解放の闘士だったりする、キツメのお姐さんという感じ。しかし、wiki で調べると、難病を患い今では意思疎通にも困る状態だとのこと。1950年生まれだから60歳を越えたところ、寂しいですね。
このアルバムは、半分だけ作曲されたマテリアルで、あと半分はスタジオに入ってから即興で録音したもののようだ。買った当時、LPのA面は良く聴いたが、B面は殆ど針を落とさなかった、多分ジャズを聴きなれた耳にはロックのインプロヴィゼーションが稚拙に感じられたのかもしれない、今でもインプロはジャズの方が余程良いと思っている。
LPで言えば、3曲目の Ruins までがA面、Bittern Storm over Ulm、Half Asleep ; Half Awake、Ruins と続く、佳曲揃いだが特に、まどろむような題名通りの Half Asleep ; Half Awakeは、作曲者の John Greaves のセンスを感じさせる、Henry Cow 脱退後に開花する渋いポップ・センスを告げているよう。
3枚目が、In Praise of Learning 1975年。Slapp Happy との合体後、Cow 主体で作成されたアルバム(Slapp Happy 主体で作成されたのは Desperate Straights)。Slapp Happy の男2人がそれなりに活躍するのはA面の2曲のみで、どうも疎外されているような感じ、このアルバム作成後、直ぐに脱退している(お払い箱にされている?)。最初の曲 War は、Slapp Happy 組の Moore/Blegvad の作品で今までとは違うポップ感覚に富む作品だが、2曲目が Living in the Heat of the Beast 。完全な共産主義万歳曲で、曲自体の複雑さは十分楽しめるものの、ここまでの宣言をしてよいものか、世はパンク世代に移行し、それもあって Henry Cow は Virgin Record に契約をぶった切られて、RIO活動に邁進していくことになる。
ついでにB面、2つのインプロヴィゼーションに挟まれた Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners は美しい、しかし、主義の旗の下での行進曲。Chris Cutler の強烈な個性がバンドをここまでに鍛えたのだろう。多分、John はそんな感じに耐えられず(その後の活動を見ても上品な、ちょっと捻くれて渋いポップ感覚に溢れた感じの人と思う)、Blegvad と供に逃げて行ってしまったのだと思う。
Virgin 時代の3枚のアルバム(靴下3部作)、なんのかんのと文句をつけたが、長い付き合い、鼻歌くらいなら歌えそうなくらいには聴き込んでいる。時間は怖いね・・・何が?ということで、後半戦と10枚組のライヴ集成は別の機会に。