境界線上の人 エリック・ドルフィー
そんなのほほんとした、気の抜けた時代背景の中、音楽もロックならパンクの時代、ジャズならフュージョンの時代、歌詞もメロディーも判り易くノリの良いものが受けた頃であった。しかし、ポップスにそんなに興味のなかった自分は、こ難しいことを好むという生来の傾向から、ジャズを聴くようになる。最初は我慢して聴いているのだが、そのうち慣れればこんなに気持ちの良い音楽はない、京都はジャズ喫茶も多く、夏暑くなるころは涼みがてら、文庫本でも持って2時間ほど時間を潰すにはもってこいの場所であった。煙草の煙で周りが霞むような環境のジャズ喫茶は会話禁止のところも多く、大抵は一人で出かけることになる、本は必携なのだ。そこでは、いろいろなジャンルのジャズが掛っていて、Weather Report などその最たるものであった訳だが、メイン・ストリームは勿論、フリーも若干ながら流れることがあった。
ジャズ喫茶で聴いた最初のフリーは何だったか覚えはないが、フリー・ジャズ自体があまり良い印象でなかったことは確かで、フリーを好きになるのは(友人と呼びたくない)知人の家で聴いて以降のことになる。そんな中、Eric Dolphy はフリーとメイン・ストリームの中間みたいな感じで、割と聴き始めから好印象であった。
つい先日、ニュースか何かで祇園祭の中継をやっていて、学生時代を思い出した次第。祇園祭は、何回生のときかは忘れたが、一度だけ四条通まで見に行った。うだるような暑い日で、道には人が溢れ返り、歩く人も一方通行という大変な混雑、一度見りゃそれで十分、二度と行きたくない、テレビで見るほうが余程楽だと身に沁みた次第。もう30年以上前の出来事。
ということで Eric Dolphy 。1928年ロサンジェルスの生まれ、アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートを操るマルチ・ウッドウィンド奏者である。最初に買ったのは Five Spot Vol.1 、ジャズっていうのはこういうものか、とかなり聴き込んだように思う。次が Out To Lunch 、かなり現代音楽的な印象が強く、のめりこんでいく。アコーステック・ジャズでは、Ayler や Taylor より先に聴いていたのである。
Dolphy は録音面では不遇で、例えば Chico Hamilton や Charles Mingus 、John Coltrane のサイド・マンとしてのレコードの方が多いのではないか。本国アメリカよりもヨーロッパでの録音の方が多いくらい、自己のコンボでも持っていれば、もうちょっとアピール出来たのではないかとも思う。いつも違ったメンバーでの録音ばかり、孤独な人だなあ、という印象を持つ。しかし、サイド・マンとしては、主役を立てることに心を配っていたようで、悪くいう人はいなかったという。
最初のアルバムは、Outward Bound 、1960年4月録音。音の高低の振れ幅の大きいことが Dolphy の特徴で、馬の嘶きと評されるほど、一聴 Dolpy と判る、この初リーダー・アルバムでもその特徴は遺憾なく発揮されている。
録音メンバーは Freddie Hubbard (tp)、Jackie Byard (p)、George Tucker (b)、Roy Haynes (d) という強者ばかり。バス・クラは Dolphy 以降、ジャズの中でもポピュラーな楽器になっていくが、メインの楽器として駆使したのは彼が初めて。
どの曲もジャズの典型としての4ビート、ソロの受け渡しがはっきりしており、演奏面の革新性に比べ、形式面ではオーソドックスな感じである。本セッションの残りテイク(全てではないだろうが)は、Five Spot Live や Live in Europe の残りテイクと併せ、後に Here and There としてリリースされる(自分の持っている 87年版の CD では GW (take 1) とApril Fool の2曲を収録)。
次が Out There 、60年8月録音。カルテットでの録音で、フロントが Dolphy と Ron Carter のチェロ。リズム陣は、George Duvivier (b) 、Roy Haynes (d)。
非常に不思議な雰囲気のアルバムで、特に3曲目 The Baron 、4曲目 Eclips などは短いながらも印象深い。Ron Carter のチェロは上手いのか、下手なのか、日本ではクラシックとの共演もあって上手い人のように言われることも多いが、果たして本当にそうなのか、このアルバムに限ってはそのチープな音色も演奏の不思議さに貢献している。Eclips は、唯一クラリネットの演奏、これはこれで良い。ジャケットも色彩感に乏しいダリのよう、音楽に合っている。
60年スタジオ最終作は、12月録音の Far Cry 。開けて61年の Five Spot Live の盟友 Booker Little との初共演盤。このときに意気投合、Booker Little がもう少し長く生きればレギュラー・コンボになって、何枚かアルバムを作ったかも知れない。
Little は、全8曲( Serene はプレスティッジ25周年記念盤に収録されていたもので、本来は7曲)中5曲に参加。リズム陣は、Jackie Byard (p)、Ron Carter (b)、Roy Haynes (d) で、Carter はここではベースでアルコ・ソロを披露している。リラックスした演奏が聴けるアルバム、1年に何度もセッションを行っているとそうなるのであろう。
開けて61年7月、歴史的な Five Spot でのセッション、Booker Little (tp) 、Mal Waldron (p) 、Richard Davis (b) 、Ed Blackwell (d) という顔ぶれ、特にVol.1 は力の入った名演を収録しており、メロディーの素晴らしさもあって歴史的な名盤といってよい。セッションは、Vol.1 ~ Vol.2 ~ Memorial Album ~ Here and There の4枚に分散されて収録された(現在は、全ての演奏を2枚組にコンパクトに編集した盤が出ている)。LP 時代は、収録時間の関係があって Memorial Album なぞ B面は15分弱、買うときにやや勿体無い印象であった(ケチというか、いじましいというか、でも当時 LP 1枚買うにも相当の決心が要ったことは確か)。
Ed Blackwell や Richard Davis などは、フリー関係でも常連で、Ornette Coleman の Atrantic 盤 Free Jazz には Blackwell が Dolphy 側のカルテットの一員として演奏している(61年作)。こうした関係から Dolphy もフリー側の人のように思われがちだが、一部を除けばジャズの伝統に則った演奏を行っていたと思う。特にこのセッションは、縦横無尽に音が飛び交う熱いジャズ魂が感じられる熱演である。このセッションの3か月後、Little は尿毒症で23歳で夭折する、彼が生きていたら Dolpy のその後はどうなっていたか、しかし Dolphy も64年には36歳であの世にいくことになる。
Dolphy は、この後ヨーロッパ楽旅に出かけ、その土地のミュージシャンとセッションを重ねる。プレスティッジから生前に出たアルバムは、デンマーク、コペンハーゲンでの9月6日と8日の演奏を収めた3枚だけだが(この3枚に Here and There 収録曲と未発表曲を加えた2枚組が現在流通している)、死後スエーデンやドイツでの演奏(主としてラジオ放送用の音源)がリリースされた。自分が所有しているのは、11月のスエーデン、ストックホルムでのセッション。
この頃から見られるのが、ベースとのデュオ、または完全なソロ演奏。Vol.1 に収められた Hi Fly がベースとのデュオ、God Bless the Child がバス・クラのソロとなっている。
62年には公式録音は一つもなく、63年の Douglas セッションも死後の発表という、ある意味哀しい演奏家 Dolphy 。しかし、主要なアルバムは廃盤にもならず、死後50年近く経っても新発見録音が出る、まあ、もって瞑すべし、といったところか。印象に残るミュージシャンであることは間違いない。次回は、寄せ集め盤というべき Candid Dolphy や Other Aspects などについて書こうかなあ、何時かは・・・。