4人でつくる異世界 たま (2)
こんなときは、たまの音楽を聴いて弛緩し切ってみるのもよい、立ち上がる気力もなくなるかもしれないが。4たまの崩壊からもう17年、3たまの解散からも9年経過しているが、あんな雰囲気を持ったバンドはその後出ていない。変に元気か変に説教臭いワンマンバンドばかりの近頃のJポップ界であります。
4たま時代は、それぞれ個性の強い曲を4人ともが作っていたが、その中でも知久寿焼さんと石川浩司さんの個性は特に強く、知久さんには「孤独な子供」のイメージ、石川さんには「フリークスに対する親近感」を感じる。
知久さんは、親が新興宗教の熱心な信者だったよう、宗教の信者は家に金を入れるより教主さんに金を差し出すことに熱心になり、また活動のために家を空けることも多くなるため、子供が取り残され孤独感に苛まれることが多い。知久さんもその典型だったようで、彼の歌には「取り残された子供」のイメージを感じさせる。例えば「鐘の歌」でも行方知れずの子供、「きみしかいない」も2人だけこの世に残った子供で、親の出てくることはない。彼の曲に見られる独特な暗さ、寂寥感はそこから来ているように思える。また、宗教に対するそこはかとない嫌悪感も、例えば「方向音痴」の「ほ~ほけきょ~(知久さんの親は日●宗の某有名教団だったらしい)」とか「あたまのふくれたこどもたち」の「かなしい新興宗教は/さびしげなる土手の風景です」という直接的な表現にも見えている。
一方の石川さんの家は、父親が高級官僚で相当ハイソ(いまでも使われる言葉か?)な家庭で育ったようだ、そんな中では彼は落ち零れ。落ち零れた者たち、社会から排斥された人たちに共感をおぼえるようになるのは当然のことかも知れない。特に「カニバル」は圧倒的な迫力を持って、排斥されるもの=フリークスに対する共感を表明しているように見える。他にも「リヤカーマン」や「東京パピー」にその傾向が明らかだ。石川さんの自己肯定の精神には共感することが多く、自分の選んだこと、好きなことをあれだけ素直に表明することにやっかみさえ感じてしまう、大きな成功でなくとも好きな音楽で食べて行けることに対しても全面的な肯定、そこに何の衒いもない、好きだなぁ。
ということで、4たまの後半戦。92年の『犬の約束』から95年末のライヴ『たま ライブ・イン・ニューヨーク』まで。
4th『犬の約束』、レーベルを変えて東芝EMIから。12曲収録で各人3曲ずつを担当、4人が曲を持ち寄っているのに見事にたまの世界が構築されている。1st から3rd まで、比較的ストレートな音の取り方であったのに対し、このアルバムでは凝った録音・音響効果を狙っているように思える、例えば「ねむけざましのうた」「温度計」「ガウディさん」など。
滝本さんのソング・ライターとしての才能は一層の伸長を見せる、「夏の前日」は若書の感は否めないが、「温度計」「あくびの途中で」の浮遊感というか不安定感というか独特な曲調と「化石」や「死体」という言葉に集約される無機的な、乾いた語感が合致している。また、「温度計」のウクレレや鉄琴を使ったアレンジや「あくびの途中で」のコーラスの使い方など新しい試みもなされている。
石川さんのマイペースは変わらずだが(「ガウディさん」の不気味さはこれまでにない感じ)、柳原さん、知久さんの曲にこれはという佳曲がないのが残念。柳原さんの「たかえさん」など知久さんのマンドリンのアレンジが決まってはいるのだが、珍しく歌詞の意味に拘ってしまい、どんなシチュエーションか想像が出来なくて、困る(何を言っているのか、自分でも?)。
5th『ろけっと』、93年作品。山口マオのイラストレーションでも判るとおり、音の取り方も前作に比べ余程ストレートで、帯の「空の果てまで飛んでゆく。たまのポップワールド」の言葉どおりのアルバム。
柳原さんに佳曲が多く「ふしぎな夜のうた」は特に偏愛する一曲、乾いた叙情、サンフランシスコと珍しく実在の都市名が出てくるが、この曲にはサンフランシスコという言葉がぴったり来る。また「あの娘は雨女」もノリのよい曲。最終の「寒い星」は2nd の最終曲で知久さんの名曲「鐘の歌」の見事な返歌となっている、「満月小唄」と並ぶ柳原さんの代表曲。
滝本さんの曲は2曲と少ないが、「日曜日に雨」「眠れない夜のまんなかで」両曲ともよい。知久さん、石川さんとも安定的。全体的にほんわかとした印象のある、好きなアルバム。
6th『そのろく』、95年作、4たまのスタジオ・アルバムとしては最終作。自身のレーベル 地球レコードからのリリース、前作から2年振りの作品。全く音響操作を加えていない、よい意味では原点に帰った、悪く言えばしょぼい録音ともいえる音作り。
柳原さんが3曲、知久さんが2曲、石川さんが4曲、滝本さんが1曲となっており、柳原さんの曲は小曲の感が否めず(「だるまだまるな」「猫をならべて」)、実質石川さんが主役となっている。石川さんは、「月の光」など、中原中也の詩に曲を付けるといった新しいことも行っている。
このアルバム、インディーからということもあってか、メジャー・レーベルではご法度な言葉を使った昔の曲を収録しており、「東京パピー」「あたまのふくれたこどもたち」「カニバル」などがそれに当る。「カニバル」は相当昔から演奏されてきた石川さんの代表曲で、たまのダーク・サイドの中心にある曲、最初に行ったコンサートで「どんぶらこ」「あたまのふくれたこどもたち」「カニバル」と続けて演奏されたときは、彼らのイメージが大きく変わったものだ。
95年の年末、ニューヨークの Knitting Factory (!) でのライヴをもって柳原さんが脱退、4たま時代は終焉を迎える。『たま ライブ・イン・ニューヨーク』は99年、たまの結成15周年記念盤としてリリースされた。70分を超える収録時間、ほとんどMCのない彼らのライヴの様子が捉えられている。
全15曲、知久さん6曲、柳原さん4曲、石川さん3曲、滝本さん2曲の構成。6枚のスタジオ・アルバムに未収録なのは石川さんの「お昼の2時に」のみ。
4たまのコンサート・ライヴは6~7回ほど見たと思うのだが、その印象はMCが少なく、ほとんど音楽のみで構成されている感じ。自分はMCなど不必要と思うので、彼らのライヴは非常に好きだった。前にも書いたが94年の『たまのお歳暮』と題されたライブは、演奏時間・内容とも力の入った素晴らしいライヴであった。このアルバムもそんな彼らのある意味生真面目な感じがよく出ているように思う。
3たまになって『たま』『パルテノン通り』の2枚のアルバムは聴いたが、やはり柳原さんの欠けた穴は大きく、加えてシンセサイザーなどの取り込みなど音楽にも若干の変化があったため、その後の彼らの音楽には魅力を感じなくなった。2003年の解散ライヴは、10年近くのブランクを経て見た訳だが、知久さんの頭の薄さもあって時間の流れの厳しさを感じたものだ。またそれから10年近い月日が流れた、衰えていくものばかりで・・・。