ヒッピーの日常は非日常なのか エトロン・フー・ルルーブラン (2)
柳田國男先生のおっしゃる「ハレとケ」、学生時代にはそれなりに本を読んだり、文化人類学の講義で聴いて理解したつもりであったが、この歳になると、子供たちが家に帰ってくることで実感するようになる。
ケすなわち日常時間においては、我が家は老人と中年男で構成されており、食欲はそれほどなく(昔は見向きもしなかったカボチャやナス、おでんなどが好きになってくる、肉も牛肉のこってりしたものより鳥のほうが良くなってきたとか、金が使えるようになってくるとそんなに高いものが喰いたくなくなってくるという不思議さ)、夜もあっという間に寝てしまう、枯れたといえばその通り、淡々としたものだ。他の老人/中年家庭と違うところといえば変な音楽が、まあまあ大きな音で掛ることがあるくらい。それに対して、ハレの時間の年末から年始に掛けては大いに異なる、20歳代の子供3人が帰ってきて、夜遅くまで遊びに行くは、朝はだらだら寝ているは、ですっかり日常が破壊される。居場所がなくなってあっちこち、うろうろとしてしまう。特に年が明ければ、我が家のご馳走タイム、毎年寿司としゃぶしゃぶとカニの食い放題(普通、ハレの食い物といえば餅や赤飯、尾頭付きの魚だが、時代が進めば変わるもの)、自分はこの何年かで相当食が細くなっており、食べるは飲むはを見ていると、喰わなくとももう満腹状態。この狂乱状態も3日にはほぼ終息した、まあ、1年に何度もあることではない、数日の我慢だ。
ということで今年の最初の CD 紹介は、Etron Fou Leloublan 、あんまり正月から聴きたくはない音楽じゃないかもしれないが、ハレとケのことを考えていたら思いついた。Etron のメンバー、もともと原始共産制のコミューン的な共同生活から生まれたとのこと(だから RIO の活動に共感する訳だ)、ヒッピーたちの日常は一般の世間から見れば非日常に見えるのだろうか、農業やっていれば案外普通の生活だったりして。こんな音楽を作り出すから、異常=非日常と思われてしまう、やっぱり変な音楽。
4作目、1982年の Les Poumons Gonflés (膨らんだ肺)。プロデュースは Fred Frith 、前年にリリースされた Frith の Speechless (Frith の記事で紹介した Ralph 3部作の2作目)で共演したことが縁となったようだ(2曲にギターとヴァイオリンで参加)。本作は、前作に引き続き Ferdinand Richard (b, vo)、Guigou Chenevier (ds, perc, vo)、Bernard Mathieu (sax) に加えて、女性メンバーJo Thirion (org, p, tp) が新たに参加、カルテットになっている。
前作までのゴツゴツしたつんのめるような性急さは薄らいで、アヴァン・ポップ風というかかなり聴き易くなっている、これも80年代という時代のせいか、それとも女性の加入で柔軟性が出てきたためか(確かに作曲面においては10曲中4曲が彼女のペンによるもの)。Jo Thirion の薄っぺらな感じ(他に言葉が思い浮かばない、聴いたらナルホドといって貰えると思うのだが)のオルガンは印象深い、ヴォーカルが単独で聴ける曲はまだない。他にもトランペットなど彩は増しているのだが、もともと持っている「骨格だけの音楽」との感じはそれほど変わらず。方向が若干変わった感じ、これはこれで良い出来の作品。
5作目、1984年 Les Sillons de la Terre (地表の溝)。サキソフォン奏者が Bruno Meillier に交替している。前作に増して聴き易くなっており、これは当時流行ったニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンに影響を受けたためか(この頃ニューヨーク・ツアーも敢行している)、そんなに似ているとは思わないのだが。もう一つがジャズの影響、もともと Bruno Meillier はジャズ畑の人、ニューヨーク一派の影響は強いと思われる(彼が平行して加入していたバンドがそんな演奏を行っていたらしい)。
Jo Thirion の存在は益々大きくなっており、オルガンの音が本作を特徴付けているといって過言ではない。また、リード・ヴォーカルも取るようになっており、1曲目や6曲目(この歌の迫力というかドスの効いた感じは彼女の鋭そうな面貌の写真に良く似合っている)。Jo Thirion は後に Ferdinand Richard の奥さんになったらしい、何処かにそんなことが書いてあったような気がするが、うろ覚え。
赤と黒と白のみで構成されている、なかなかセンスのあるジャケット。先頭の白い狼は Etron Fou なのだろうか。
6作目で最終作、Face Aux Éléments Déchaînés (荒れ狂う気象に直面して)、1985年。 Bruno Meillier が抜けてトリオに。本作も Fred Frith のプロデュースによる。
Guigou Chenevier がサキソフォンを演奏しているが、全体に音数は少なめで、ヴォーカルも芝居のセリフのよう(殆どスポークン・ワード風になっている曲もある)。肩の力が抜けているのか、シンプルな印象が強く、ミニマル・ミュージックのような感じも(特に3曲目のインスト・ナンバーなど)。全編、オルガンがリードする、Jo 姐さんが主役といって良い。初期の性急な演奏と1曲の中で曲がめちゃくちゃに変化していくような構成は完全に消滅している。題名に比べ、随分と激しさや余分な要素を削ぎ落としてしまった、その分溌剌さみたいなものに欠けてしまったか、聴きようによるが、ある意味完成型か。
2010年、突然リリースされたのが À Prague という1984年11月のチェコ・プラハでのライヴ。73分を超える長尺盤、音は非常に良いとまでは行かぬものの充分に聴ける。
84年には既にトリオ編成になっていたよう(因みに Face Aux Éléments Déchaînés は85年4月の録音)。13曲が収録されていて、その作者についても記載があるが、ほぼ3人が3等分で作曲を担当しており、80年に加入した Jo 姐さんの役割の大きさが判る。
以前も書いたが、Etron Fou のアルバム単体での発売は、フランス・ムゼア・レーベル傘下のガゼール・レコードから行われたのだが、5作目と6作目に長い期間が空き、オマケに5作目は既に品切れ状態。本当にやる気あるのかないのか疑わしい感じであった。何よりもやっぱり売れなかったのかとも思ったのだが、6作目がリイシューされた直後に本作がリリースされた、これはどういう理由か、よう判らん。
ということで、今年も変な世界の音楽について書き散らしたいと思います。何処まで行けるやら。