64年のヨーロッパ楽旅 アルバート・アイラー (4)
このガタガタの中で考えたのは、ヒエラルキーについて。ヒエラルキー(ドイツ語ではHierarchie、英語では hierarchyで、どちらも発音がヒエラルキーではないのが面白い)とは、階層社会、階層性のこと。先日読んだ中上健次の『千年の愉楽』の舞台「路地」は、ヒエラルキー的にいうと最下層、底辺層ということになろうが、それはここでは関係ないので割愛。今回思ったのは、ヒエラルキーの上位層は、「ヒエラルキー」という概念を意識するか、ということだ。例えば人事の仕事で、ある部署(例えばAとする)から他の部署(B)にある人物を異動させる、そのとき異動をさせる者はAとBに仕事の価値の上下関係を意識したことがない、機能的には同等と見ている。それが、異動させられる当人にとっては「格落ち」と感じる、つまりAという部署とBという部署に価値的な上下関係を意識していることがあるということだ。そして厄介なことに、異動をさせる者は往々にしてAという仕事をした期間が長いことが多い。ヒエラルキーの上位にある者は、下位の者が感じる「嫌さ」を感じることが出来ない、従ってヒエラルキーが存在すること自体を意識できなくなる。これが、植民地統治など、全く文化・風習・言語の異なる人々に暴力的収奪を行うことが中心の活動となれば、上位者・下位者とも階層性を強く意識することになるだろうし、また卑近な例を採れば会社の中に常駐する業者など明らかに階層性を感じるだろう。しかし、同じ会社の中のそうした微妙なヒエラルキーについていえば、それは下位者のみが感じることになる、それが鬱積することもある。
具体的には書けないこともあって、判り難い言い回しになってしまったが、「未だに存在する関係性」に若干の自戒を込めてここに記す次第。
今回は、久しぶりに Albert Ayler 。アメリカ社会のヒエラルキーの底辺であった黒人の抵抗の手段でもあった(あまりそうした考え方には組したくないが)フリー・ジャズの旗頭であった Ayler は、傑作 Spiritual Unity 録音後、ヨーロッパへの演奏旅行に出掛ける。Spiritual Unity で組んだ Sonny Murray と Gary Peacock に加えて、Ornette Coleman の片腕であったトランペット奏者 Don Cherry 、このカルテットで3枚のアルバムを残す。といっても Ayler の生前に出たのはスタジオ録音の Ghost だけであったが。
録音順で紹介すると、先ずは The Copenhagen Tapes。1964年9月3日のコペンハーゲンのクラブ・モンマルトルでの演奏(トラック1~6)と9月10日の同じくコペンハーゲンでのデンマーク・ラジオ・スタジオでの演奏(トラック7~10)を収める、2002年に初出。クラブ・モンマルトルでの演奏は、一部が海賊盤もどきのLP でこの CD が出る前にも聴くことができた模様。
Don Cherry というトランペット奏者、決して嫌いではないが(学生時代に Cherry の Eternal Rhythm は愛聴していたし、Live in Ankara も不思議な演奏で好きだった)、どうも Ayler には似合わないような気がして仕方がない。Cherry の持つ上手さ、装飾性(テクニックといってもよいが)と噛み合わない、Ayler もテクニックは凄かったということのようだが、残された録音を聴く限り、感性が剥き出しになっているような演奏が多いように思う、それが Cherry のやり方にあっていないような気がする訳。
モンマルトルでのライヴ録音は、音は悪くはないのだが、一部リールが撚れているようなところがあって、若干気になるところも、しかし Cherry もまずまず熱く対応しており、Cherry 入りの演奏では上位に位置する感じか。ラジオ・スタジオの録音は、これもテープの撚れがあるが、スタジオ録音とライブ録音の中間といったところ、Peacock が根性の入ったソロを取るのが聴きもの。紹介のスピーチまで収録されていて若干鬱陶しい。
次がスタジオ録音の Ghost 、1964年9月14日録音。デンマーク Debut での作品。この作品、Cherry と Ayler の方向性の違いと録音が細い(何と書いてよいのか判らないのでこう書いておく)のが相俟って、メンバーが豪華な割には今一歩の印象。Debut には、他に My Name Is Albert Ayler と Spirits という2枚のアルバムがあるが、この2枚よりも劣るか。
録音曲は、Ghost 、Children 、Holy Spirit など毎度お馴染みの曲ばかり、とはいっても出だしの1分くらいのテーマ提示が済んでしまえば、直ぐにフリーな演奏に突入するのだから、曲といっても演奏のきっかけくらいといういう意味で。
3枚目が、The Hilversum Session 、1964年11月9日、オランダ・ヒルバーサムのラジオ・スタジオでの録音。音が素晴らしく良く、スタジオ録音として充分に聴ける作品。
曲の演奏スタイルとしては、前作と同様だが、音が生々しく採れている分、こちらに軍配が上がるか。Cherry のソロは端正な感じで、やっぱり上手いなと思う反面、感覚の違いもあるのが判る。ヨーロッパ楽旅もそろそろ終わろうかという頃、アンサンブルにも纏まりがあって、大分練れて来た感じ。この時期の Ayler の作品の中では特に好きな一枚。
お馴染み、後ろで密やかに聴こえる唸り声、これって本当に Murray の声なんだろうか。
ということで、何が書きたいのか益々訳の判らなくなってきた当ブログ、もうちょっと読書やライヴに行ければその感想が書けるのに、気力・行動力が落ちていく中で頭の中の抽象概念だけが肥大気味、何とも致し方のないところ。