頭でっかちのイカレ・フレンチ・ギター エルドン
先週に続き今週もライブへ足を運ぶ。Richard Pinhas が来日、彼のグループ(というか初期はセッション・ミュージシャンを加えたソロ作品に近いが)Heldon は20年以上前から聴いているので、今どんな音を出しているのだろうかと興味があった。ライブでは、吉田達也(ds)、小埜涼子(as) が共演。
先ずは、サックス・ルインズのオープニング・アクト、何度聴いても吉田さんのドラムには唸る他はない。サックスとのデュオなのだが、ドラムがメロディーを奏でるような感じで、インプロかと思うくらい(サックスとの合わせ方を見ていると作曲されているらしい)自由自在。よくもまあ、あれだけ複雑なリズムを叩き出すものだと感心しきり、ただやはりあの手の音楽は、メロディー楽器そのもののサックスよりも、ゴリゴリとした音のエレキ・ベースのほうが合っている、やはり本家のルインズの方が正解のようだ。20分5~6曲でサックス・ルインズの演奏は終了、10分ほどの休憩を挟み、いよいよ Pinhas 御大が登場。
Richard Pinhas は1951年生まれ、今年62歳になる。髪はフサフサ、がっちりした体格だがそれほど大きくはない、あまり老けた感じもない、昔の写真とそう違いはない。哲学を学んだという経歴を知っているせいか、何か頭の良さそうな(事実頭のデカイ人ではあった)雰囲気を持っている。活動は70年代半ばから、ということで、自分もそうだが聴きに来ている客の多くが40後半~50歳台、多分高校や中学(ませたガキだ!)の頃、プログレに取り憑かれて未だそれを引き摺っているオジサン(一部オバサン)が集合しましたという感じ、前の週に行ったマタハリ!オールスターズに比べれば客の入りは悪く、30人程といったところか。
先ずはソロで演奏が開始される。シーケンサーで背景音を作り、それに次々に新しいフレーズを加えていく、段々混沌とした雰囲気になって行く。Pinhas を聴きに行くということで、予習をしようと思い Heldon の初期3枚のアルバムを通勤時間に聴いたが、今回の演奏40年前の音とそんなに違いがないように思えた、音に対する拘りが強いのか、それとも進歩がないのか。15分ほどソロでの演奏が続き、吉田さんのドラムが加わる。このドラム、サックス・ルインズの演奏と全く異なり、強い推進力を持ったロック・ドラムそのものの演奏、吉田さんの演奏家としての凄さが判る。ドラムが加わった後、10分ほどで演奏は終了。
続く第3部は、小埜さんも加わったトリオでの演奏、小埜さんはフルートに持ち替え、Pinhas の幻想的な音にはフルートが良く似合う、吉田さんのドラムや Pinhas のギターに張り合う堂々とした演奏。途中、アルトサックスに持ち替えるが、サックスのフリーキーな演奏はありきたりな感じで、10分ほどで再度フルートに持ち替えたのは正解、あとはずっとフルートでの演奏、トリオでは約50分ほど。アンコールは、Pinhas のソロ、10分程か、ギターを演奏する時間と同じくらい機材をいじっているように思えるほどエフェクトに気を遣っている、昔から初期 Heldon は「頭でっかち」の演奏だと思っていたが、今でも「頭でっかち」のまま、それでも充分に満足できるライブであった。
ライブの予習のため、引っ張り出してきた初期 Heldon 作品。5作目以降のずっしりと来る傑作群に比べれば、実験的な(といっても当時はよくあった「実験」なのだが)エフェクトを掛けたギター(かどうかも判らないような音)のロング・トーンが響く、そんな音楽。
デビュー・アルバムは、1974年の Electronique Guérilla 。1968年には、有名な「パリ5月革命」が発生、フランス人はこうした革命に熱狂するらしく、この時も1,000万人がゼネストを行うなど、フランス全土を巻き込んだ大騒ぎ、若き日の Pinhas 君もさぞや若き血を滾らせたであろう。それで Guérilla などという言葉をデビュー・アルバムの題名に入れたのに違いない。
King Crimson の Robert Fripp に影響を受けているのは有名で、Fripp のロング・トーンに似せたフレーズがあちこちに見え隠れする。Fripp は 1973年に Eno との共作で No Pussyfooting というアルバムを作成しており、Pinhas はこれに相当の影響を受けている。特に3曲目の Northernland Lady という曲の引き摺るようなウネウネとしたギターは、もろに Fripp の音。Fripp & Eno にはお金があって録音機材もよいものが使えたが、Heldon には金がなかった。従って、録音は良くないし、全体的に安っぽい感じになって、とても佳作とは呼べない。
殆どが Pinhas のソロ演奏(オーバー・ダブは行われているが)、1曲のみドラムやベースの入ったバンド演奏となっている。Magma にも在籍したキーボード奏者 Patrick Gauthier はこの時からの付き合い。
2作目 Allez Teia 、Georges Grunblatt (Syn, mellotron, tape) との共作、1975年。1曲目の題名が笑いを誘う、In the Wake of King Fripp、Crimson の1作目2作目の題名を混ぜたものに Fripp 閣下の名前をぶち込んだもの、ここまでオマージュ捧げるのも天晴れといったところか。3曲目の Omar Diop Blondin は、Fripp & Eno に献呈されている。不安定なメロトロンの音が当時の流行で、74年といえば Crimson 作品では Red の頃、Starless という名曲には見事にメロトロンが使われていて、このアルバムでもそれがやりたかったのかも知れない。このアルバム、よく売れたという話もあるが、本家の Fripp & Eno の傑作 Evening Star に比べれば冗長な感じ、特に12分を超える5曲目( Fluence )などは音の垂れ流し。
ジャケット写真はどんな意味があるのだろう、走り逃げる若い男を警棒を持った警官(?)が追いかけている、多分5月革命ではよく見られた場面だったのかも。哲学を学ぶものにとって、5月革命はどう見えたのだろう。
3作目1975年、It's always Rock'n Roll、LP2枚組の大作。ドラマーとキーボード・プレイヤーが数曲に加わるが、殆ど Pinhas のソロといってよい。題名は唯の皮肉といったところか。
Eno が創始したアンビエント・ミュージックの典型、フワフワと雰囲気のみの音楽。特にLPの片面を占める Aurore などその典型で、ある意味お昼寝には持ってこいの音楽といえるかも知れない(時にはドラムとベースが入った Mechammment Rock といったロック的な曲もあるけれど)。1曲目の ICS Machinique からピコピコ音が前面に、コンピュータ・ミュージック候。頭でっかちの Fripp 狂いが到達した最初の高みといってよいかも知れない、やはり70年代中盤の典型的な音楽、前2作に比べればそれなりに聴けます、そんなに好きじゃないけど。Heldon のアルバムは、全てアメリカの Cuneiforn Record から復刻された。 Allez Teia は1992年、本作とデビュー作は2枚組として1993年にやっと CDとなったのである。
暑くなってきた。まだ夜は気温が下がる分、寝苦しいということはないのだが、もう直ぐのエアコンのお世話になりそう。読書の報告は明日にでも。