日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:音楽-その他( 6 )

ものうい・・・逢魔が時の音楽 タラ・フキ (2)

 昨日とは打って変わってよい天気、気温もぐんぐん上昇、夏本番の雰囲気。昼間は暑くて敵わなかったが、日も落ちる頃になると風が爽やかで気持ちが良い。

 先週は外で夕食を取る機会が多く、必然的に帰りも遅くなるので、読書の時間も少なくなる。その少ない時間で読んだのが、深木章子さんの『衣更月家の一族』。プロローグの数ページに「衣更月家」のことは書いてあるのだが、続くのは「廣田家の殺人」「楠原家の殺人」「鷹尾家の殺人」と「衣更月家」とは関係が定かでない、独立した殺人事件が扱われる。特に「廣田家の殺人」はそれ単独でも充分に成り立つほどよく練りこまれた作品で、こんな独立した中篇が長編の一部になりうるのだろうか、と考えてしまう。「楠原家の殺人」の後半、前作の『鬼畜の家』に登場した榊原聡が登場する段で初めて何かの繋がりが見えてくるのだが、一転「鷹尾家の殺人」でまたまた混沌とした状態になる。それが最終章「衣更月家の一族」であれよあれよと繋がりが解明されて行くのだが、この章の畳みかけるような論理展開は、正に本格推理の王道を行くもので、こちらも読むことが止められなくなる、圧巻とはこういうことをいうのだろう。2013年の本格ミステリ大賞の候補作に挙げられたのも首肯できようというもの。前作を遥かに上回った出来で熟女パワー侮るべからず、といったところか、十二分に楽しめた。
 しかしながら、若干文句がない訳ではない。前作の感想でも述べたが、人間の汚いところ(ストーカー、せこい宝くじ当選金独り占め、子供のことを一切考えない親)を容赦なく描くのは良いとして、どうしてもその部分とトリッキーな構成が上手く交わっているとはいえないのではないか。読む人の感性を泡立たせておいて、社会悪を暴くかと思えばさにあらず、自分は本格ミステリ大賞候補作と知って読んでいるから、ああした結末に満足するが、社会派(もうそんなものはないか)を期待した人たちは呆然としてしまうだろう。もうちょっとマトモな人たちが出てくるミステリにしても良いのではなかろうか。【ネタバレあり】「鷹尾家の殺人」で中心人物の母親が画廊を経営していることが出てくるが、これで衣更月辰夫との関係を疑えというのもちょっと無理がありそう、母親の苗字を伏せているのも不自然といえばいえて、それが技巧といえばそれまでだが、若干釈然としない。全体に人間関係を隠しすぎのような感じも。例えば「楠原」の戸籍謄本でも取れば一発で判るようなことを視点を変えることで無理やり謎にしているような気がする。【ネタバレ終わり】

 昨日は、何となく幡 大介さんの『猫間地獄のわらべ歌』を購入してしまったし、井沢さんの『逆説の日本史』も読んでないし、『悪夢百一夜』も50夜まで進んでいない。ぼちぼちと片付けていきましょう。

 今日は Tara Fuki の2回目。アンニュイというんでしょうか(フランス語ですね、ennui と書きます)、ちょっとものうい感じで、大人の雰囲気音楽。しかし、スラブの人たちの音楽にアンニュイというのも似合わないかなあ、という感じではあります(しかし、時にはフランス語の歌詞も歌っているようで)。

a0248963_2151622.jpg Auris 、2007年。Auris とはどういう意味だろう、トヨタの車の名前なんかじゃないよなぁ。
 前作から4年振りの作品、デュオのどちらかの妊娠出産によって間があいたと、何処かに書いてあったように記憶しているが、本当かどうかは知らない。
 いつも通りしゃれたアート・ワークで、ジャケットは布に描いてあるような感じになっている、赤い線で描かれた半分だけのチェロ。3面デジパックを開けると赤一色に統一され、CD も赤一色。歌詞の冊子も赤で、歌詞の印刷されたページも赤(白で歌詞は印刷されている)、一転彼女たちの写真のページはモノクロで、その対比は見事。
 前作が、DJ を加えてアバンギャルドな感じだったのに対して、本作はジャズ・グループのメンバーやその他のゲストを加えた、落ち着いたアコーステックな音が中心、ジャズ・マンが加入しているだけにジャズっぽいところも随所に。曲によっては管楽器(バス・クラリネット(10、11曲目)、トランペット(6、11曲目))、今までの弦と打だけとは異なる質感を持つ。7曲目、8曲目は2人のみの演奏だが、若干アバンギャルド。
 聴き易さでは随一のアルバムのように思う。

a0248963_21511985.jpg Sens 、2010年。また二人のみで録音されたアルバム、重ね採りされた部分が少なく非常にシンプルで、逢魔が時の光はあるのに薄暗いような、疲れたわけではないのに何もしたくないような、そんな雰囲気(何だ!変な言い回しばかり)。例えば、1st や 2nd に見られた攻撃性、先鋭性が薄れて(やはりデビューから10年、人間誰でも歳を取る、多くの人は歳を重ねることで少しく穏健になっていく)、フォーク・ミュージックを聴いているよう。7曲目の Pragnienia (ポーランド語で「欲望」)は、インプロビゼーションとの表示があるが、静かなのにその中に若干の狂気を感じさせるスキャットが緊張感を孕む、本作中の白眉。
 今回のアート・ワークはこれも非常にシンプル、見開き2面の内側は黒と白の四角をアレンジしたデザイン、歌詞の冊子も白と黒(写真もモノクロ)、最終ページの曲名の印刷だけが黄色。CD も白一色。
 Andrea Konstankiewicz の担当する楽器に「hang」とあるが、これは金属製の打楽器で大きな鍋に半球形の蓋を被せたような形をしていて、それを手で叩いてスティール・ドラムのような音を出す、スイス人が発明したようだ。YouTube にも映像があるので興味のある方はどうぞ。Stephan Micus もアルバム On the Wing で1曲のみだが使用していた。

 今日は父の日、次男がプレゼントをくれたので、ちょっと嬉しくて晩御飯を奢ってやった。これこそ、情けは人のためならず、ということか(ちょっと違うか)、それとも蝦で鯛を釣るということか(まあまあ高価なものだったので、これもちょっと違うか)。
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by ay0626 | 2013-06-16 20:13 | 音楽-その他

不思議な雰囲気のチェロ・デュオ タラ・フキ

 月曜日から色々な会議があって、気分ばかり急いた。

 昨日一昨日から急に寒くなって、陽は長くなってきたのだがまだ2月、東京では雪が降るとかの報道があって戦々兢々だったようだが、そんなに酷いことにはならなかった。立春といえば、春とは名ばかり1年で一番寒い頃、立春の前日が節分で、節分は読んで字のごとく「季節を分ける」ということ、従って立夏・立秋・立冬の前日も節分というが、どういうことなのか、立春の前日だけが有名になってしまった。豆(大豆)を煎ったものを「鬼は外、福は内」と掛け声を掛けて撒くわけだが、最後にやったのは何時だったかもう思い出せなくなっている、これだけ歳を取ると年齢分だけ豆を喰うなぞ胸が焼けそうだ。また、鰯の頭を柊の枝に刺して、門口に飾り邪気を払うのも節分の行事だったように思うが、近頃はそんな風景見たことがない。
 毎年、節分は2月3日のような気がするのだが、たまたまのこと。子供の頃は閏年は2月4日だったような覚えがある。もともと二十四節季は太陽と赤道の傾きが15度ずつずれるごとに進むわけで、立春が1日ずれれば節分もずれる、1年が365日より若干長いことが原因。

 まあ、そんなことはどうでもいいが、あまり寒いと会社へ行きたくなくなって困る。毎回、同じことを書いている。

 ハンガリーやチェコの音楽は相変わらず通勤のお供、今回はそのうち Tara Fuki という、お姐さん2人、楽器もチェロだけという不思議なバンドの紹介。Tara Fuki は、Dorota Bárová と Andrea Konstankiewicz-Nazir のデュオ・チームで殆どポーランド語で歌っている。ポーランドに出張で行った折、誰に聞いたか「ポーランド人とスロヴァキア人がお互いに自国語を使って話しても大体の意味が通じる、チェコ人とスロヴァキア人が話しても判るが、チェコ人とポーランド人が話すとあまりよく判らない」とのことだった。同じ西スラヴ系統の言語、そんなこともあるのかも。

a0248963_21451899.jpg 2001年、ファースト Piosenki do snu (ポーランド語で多分「眠りへの歌詞」)。淡いグリーン一色の中に肌色で「Tara Fuki」とグループ名のみ浮き出させたセンスのあるジャケットが目を引く。中の歌詞冊子は反対に、肌色一色に緑の文字で「Tara Fuki」、なかなかの演出であります。歌詞冊子を開くと、スラヴ系の美女が二人。
 憂いを帯びたヴォーカルと2台のチェロが織り上げていく不可思議な音空間。ロックでもジャズでもなく(3作目はかなりジャズに近づくが)、現代音楽かというとそこまで無機的ではなく、民族音楽臭さは全くない。あくまでヴォーカルは普通の歌い方で(ベルカントでも地声張上げでもなく)妖艶に、伴奏はチェロのみという潔さ。ザビエル・レコードさんの惹句に「今までにチェコのCDを1000枚以上聴いてきた自分の中でもベスト3に入る超お気に入りバンド」とあるのは伊達ではない。睡眠前にお勧めの逸品。
 ポーランド語で歌っているのに、2001年のチェコの有名な音楽賞を獲得したとか、チェコの人って変わっているのかねぇ、自国民が他の国の言語で歌っているのに(ポーランド語とチェコ語は親戚筋とは言え)。まぁ、日本人でもよく英語で歌っている、若干違うように思うが。

a0248963_21453762.jpg 2003年、セカンド Kapka (雨粒、水滴)。今度は朱色をベースに水色のバンド名と何か良く判らない写真のジャケット、ファーストと呼応する、非常にすっきりとしたセンスを感じさせるアート・ワーク。中の歌詞冊子はまたベースの色を逆転させたもの。お姐さん達の写真はタンクトップで草原の中、出張でチェコに行ったとき、「原っぱばっか」と思った、そんなことを思い出した
 前作のアコースティク色から、一部 Mario Buzzi というサンプラー・アレンジャーが加わり(10曲中6曲に参加)、ぐっとアヴァンギャルド色が強くなっている、1曲目など最後の部分引っ張り過ぎ感がなきにしもあらず。時には雷のエフェクトも入ったりして、ビックリします。

 チェコの音楽は色々ありまして、1ユーロが100円なら、買って聴いて見たいバンドもあるのだが、ここまで円安になってしまうと、ちょっとね。そういえば、Faun の新しいアルバムが出たようだ、1枚だけ買うなら 日本Amazon のマーケット・プレースが一番安かったりして。
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by ay0626 | 2013-02-09 20:29 | 音楽-その他

80年代の傑作ライヴ群 アストール・ピアソラ (2)

 10月半ばに久しぶりに本を購入したことは以前にも書いたが、4冊のうち2冊目をようやく読了した。老眼なのか目が悪くなって、左右同じくらいに悪くなればまだ対処の仕様もあるが、左だけひどく見難くなっている。そのため、右目が酷使されるのだろうか、右目だけ痛いというか何か疲れた感じがする。それに空気が乾いているせいか、目も乾いて、目薬が手放せない、情けないことである。
 読み終わったのは小島正樹さんの『祟り火の一族』、名探偵(?)海老原シリーズ。春に『龍の寺の晒し首』、夏に『綺譚の島』と順調に(積読時間を3か月程度置いて)読み進め、秋には目出度く(積読状態1か月で!)『祟り火の一族』まで終了しました。小島さんのお師匠さんの島田荘司氏の作品はとうに読む気が失せているので、近頃の作品と対比することは出来ないが、非常に稀にしか起きないような自然現象を取り込んで不思議を構築していく手法は、『奇想、天を動かす』や『暗闇坂の人喰いの木』あたりにかなり似た感じ、強引なところも良く似ているが、島田氏の鼻に付く日本人嫌いのところが小島さんにはなく(ゲスな野郎は沢山出てくるけど)、それが読み続けていける理由のひとつ。
 最初に読んだ海老原モノ『十三回忌』の記憶は定かではなくなっていて、感想もないのだが、次の『扼殺のロンド』はそれなりに感心した。しかし、『龍の寺の晒し首』や『綺譚の島』は面白く読みはしたが、良作程度で留まった感じ。今回作も前作、前々作に比べればすっきりした出来であると思うが、手放しで感服するまでではない。【ネタバレあり】叙述トリックと怪談話の組み合わせというのは悪くはない。しかし、叙述トリックについては、かなりあからさまな書き方をしていたので途中で殆ど判ってしまい、何故そんなことをするのか、その理由に興味は移るのだが、納得させるだけのモノがないように思えるのだ。また、一方の主人公である極悪人の思考についていけないところがあって、そこまでするか(特に殺人と自分のマスク作成、未読の人には判らない)、と思ってしまう、相当のゲスだとは書かれていても、合理的な経済人としてはここまではしないでしょう、だって後が面倒になるだけだから。また、真相が探偵の口から確定的に物語のように説明されるところなど、論理(思考過程)が完全に端折られて、「はぁはぁ、お説ご尤も」みたいで物足りない。などなどの理由で。【ネタバレあり、終わり】
 探偵さんの哀しみが、上手く表現されるようになってきた。「事件に巻き込まれて・・・」ということは今回作で明らかになったわけで、これが今後どんな形で展開されていくのか楽しみである。また、因縁話をいちいち全部律儀に解釈していこうなどというところは、例えば三津田信三さんとは正反対の方向性(三津田さんは理屈では割り切れないことがある、というのが前提)で、これはこれで貴重。なんのかんのと文句は垂れておりますが、海老原シリーズは出たら読みます、今のところは。それに、これだけの分量の作品を年2冊も刊行できる筆力、大したもの。『綺譚の島』で大いに笑わせて貰った「海から現れる槌」といったの大技(というか何というか)を連打していただきたいものである。あまりシリーズを増やさずに、海老原御大で行けるところ(?)は、彼に探偵役を張って欲しいと思う。

 ということで、今回は Astor Piazzolla の2回目。80年代キンティートの東京以外でのライヴ、所持しているのは4枚。秋の夜長、落ち着いた大人の音楽、とくれば美しい女性と聴きたいものだが、今のところそれは願望でしかない、残念なことに。

a0248963_20125359.jpg Piazzolla の録音の中でも特に有名なのが Live in Wien 。1983年10月、ウィーンのコンツェルトハウスでの録音。非常にクリアな録音で、各楽器の分離の良さやバランスは特筆モノ、曲も Verano Porteño (ブエノスアイレスの夏)、Libertango (リベルタンゴ)、Invierno Porteño (ブエノスアイレスの冬)、Adios Nonino (アディオス・ノニーノ) など傑作を揃えている。8曲が収められており、最も長い演奏で9分程度、じっくり聴いても良いし、BGM 的に掛け流しても良い。86年ライヴに比べると軽めな感じに仕上がっている。
 Piazzolla 研究家の斉藤充正氏によれば、Piazzolla の80年代の活動のピークは、82 - 83年に掛けてと86年にあったそうだ。その一方にこの Live in Wien が位置し、もう一方に後で述べるこれもウィーンでのライヴ Tristeza de un Doble A (ダブルAの哀しみ)が位置することになる。
 前にも書いたが、この2枚の超傑作アルバム、ドイツの Messidor というレーベルから出ていたもの。自分が Piazzolla を聴きだした頃(2008年だったか09年)には、このレーベルは消滅しており、権利が複雑なためか、その後復刻されることもなく、泣く泣くアマゾンのマーケット・プレースで高い金を払って購入した。しかし、内容は素晴らしく、まぁ仕方ないか、と思えるのであった。Piazzolla にちょっとでも関心があれば、アメリカン・クラーヴェの2枚(もちろん Tango Zero Hour と La Camorra)と2枚のウィーン・ライヴ(本作と Tristeza de un Doble A)は多少の無理はあっても聴きましょう、必聴です!(力んでしまった・・・) 

a0248963_20131847.jpg この83年の欧州ツアーでの録音が、スイスのルガーノでのライヴ Adios Nonino (最初にリリースされたのは92年で、その時はこの題名ではなかった。持っているのは、フランス Milan レーベルでのものをビクターが日本盤として 発売したもの)。13曲、70分を超える録音。しかしながら、録音のせいなのか(若干くぐもった印象)バンドのその時の状態のせいなのか、Live in Wein に比べると今一歩という感じは否めない。選曲では、天使4作中、3曲(Milonga del ángel、Muerte del ángel、Resurrección del ángel)が収録されており、自分としては好印象。
 この時期のメンバーを記すと Astor Piazzolla (bn, arr, dir)、Fernando Suárez Paz (vln)、Pablo Ziegler (p)、Oscar López Ruiz (g)、Héctor Console (b)。Paz のヴァイオリンは素晴らしいが、後ろで地味に支える Ruiz の流れるようなエレキ・ギターが特に気に入っている、録音によっては殆ど聴こえないようなものもあるが、本作ではきちんと捉えられている。

a0248963_20134095.jpg 次が再度のウィーンでのライヴである Tristeza de un Doble A 、86年11月録音。83年のライヴと同様、コンツェルトハウスでウィーン放送が録音を担当しており、これまた素晴らしい作品。ギターが Horacio Malviccino に交替している以外は、前作と同じメンバーによる。
 なんと言っても凄いのが、最初の Tristeza de un Doble A (ダブルAの哀しみ、ダブルAとはドイツのバンドネオン・メーカー、アルフレッド・アーノルド社の商標のこと。バンドネオンが実はドイツ起源ということは以前書いた)。22分にも及ぶこの作品、バンドネオンのソロから始まり、珍しく無調寸前までのインプロヴィゼーションが繰り広げられる。細部まで聴き取れる素晴らしい録音が緊張感を高め、終わるとホッと溜息の出るほど、これ1曲聴くために高い金を払う価値があろうというもの。あと4曲は、4分から7分程度の曲が並ぶが、Tango Zero Hour でも演奏された Tanguedia や最後の Tangata (69年作曲)などよい演奏である。
 ジャケットもカッコ良く、Piazzolla 作品の中でも最後期の Luna と並ぶ出来。

a0248963_2014484.jpg 87年9月録音の Central Park Concert 。もちろん、ニューヨークのセントラル・パークのこと。本作もラジオ放送用の音源のようだが、70分ぎっしりと音が入っており、出色の一枚。録音状態も良い。
 曲目も代表作が網羅されている感じで、La Camorra を録音して解散するキンティート最終期の状態を記録している。

 ということで久しぶりに Piazzolla を聴きました。聴き始めるとどんどん聴いてしまう。特に Doble A は何度聴いても鳥肌モノ、少しはいろいろ聴いて見ないといけないと思ったが、いかんせん時間のないのと、やはり CD ばかり聴いている訳にもいかないもので。
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by ay0626 | 2012-11-25 16:01 | 音楽-その他

どこにもない国の民俗音楽 アラマーイルマン・ヴァサラット

 先週金曜日(7日)、久しぶりにクラッシクのコンサートを聴きに行った。実に1年数ヶ月振り、それまでは会社の親しい同僚が誘ってくれて、2~3か月に一度くらいの頻度では出掛けていた。しかし、昨年の病気以来とんとご無沙汰になって、また同僚もこの4月に異動があって馴れない部署で忙しかったこともあり、これだけ長い空白期間ができた訳。
 この日のプログラムは、グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』より「精霊の踊り」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、ブラームス:交響曲第1番という構成。そう熱心なクラッシク・ファンというわけでもないので、最初のグルックとかモーツァルトなどは聴いたこともなくなく、ブラームスの1番は「ベートーベンの9番に似たメロディーの良く聴こえる曲」くらいのイメージしかない。前の日から当日に掛けて出張で、眠れなかったせいもあり、コンサート中うつらうつら位するだろう、鼾をかかなきゃいいなぁ、と思っていたのだが、案外眠くもならず楽しく聴けた。モーツァルトなど、あまり好みではなく編成も小さいので、大体寝てしまうパターンなのだが、ピアノの音が入っているのが良かったのか。ピアノの女性、変な格好でお世辞にもセンスが良いとは言えなかったのだが、演奏には嘘っぽい大仰さがなく、見ているぶんには気持ちが良かった。
 もともと、音楽教育受けた訳でもないので、本当にその演奏が良いか悪いかの判断など付くはずもない。息子がやっていた学生オーケストラと大枚何千円もの入場料の取られる有名オーケストラの違いも判然とはしないが、あれだけの有名音楽大学出身者が狭き門を潜り抜けて作ったオーケストラなのだから、多分上手いのだろう、そう思うことにしている。
 聴いているうちはまあまあ気持ちよいが、クラッシクは終わった後が嫌なのだ、あの長ったらしい拍手。大体、指揮者・ソリストとも何回も舞台に出て来過ぎる、それに出てきても何もする訳じゃなく、もったいぶって頭を下げる程度。また、指揮者が何人かの演奏家を立たせて、観客に拍手を強要するのも見苦しい、仲間内の褒め合いは舞台を降りてからやれ!といいたい。演奏家も嬉しそうな顔をするんじゃない!君たちはプロなのだから、上手く出来て当然なの。この当りポピュラー音楽であれば、2回目に舞台に出てくれば必ずアンコールと決まっていて、アンコールをそれ以上やらなければ、さっさと会場内の照明を明るくする、客も拍手もそこそこに帰り支度を急ぐ、なんともあっさりとしたものだ。
 ここまで書けばもう一つ、演奏が終わると「ブラヴォー!」と叫ぶ親父が何人かいる、あのノリはみているとAKBに熱中するオタクっぽい御兄ちゃんたちと変わらない、本人たちは高尚と思っているかもしれないが、回りから見れば違うところなど何処にもない。

 ということで、また変に力んでしまいました。クラッシクの話の後は、チンドン屋風ワールド・ミュージック、Alamaailman Vasarat のご紹介。全く脈絡ないなあ、と思いつつ。

 Alamaailman Vasarat (“The Hammers of the Underworld”という意味らしい、彼らのホーム・ページから)は1997年にソプラノ・サックスの Jarno “Stakula” Sarkula とドラムの Teemu Hänninen が中心となって結成された。この2人、91年に結成された Höyry-kone という変態プログレ・バンドの同僚、その頃は Stakula はベース担当、サックスなんか吹いてなかった。自分もこのバンドの2枚のアルバム(日本語題名が『昆虫偏愛』『偽理髪師』)を所持しているが、特に2枚目はメタル期のキング・クリムゾン的なかなりへヴィーなロックにオペラティックなヴォーカルが乗るという感じの音楽であった。かなり Alamaailman Vasarat とは異なる音楽性だった。

a0248963_14364112.jpg 最初のアルバムは2000年の Vasaraasia 。この題名、架空の国の名前のようで、そこには独裁者が居て国民を搾取して・・・・、なんぞという話のようだが、アルバムにはその手のことは何も書かれていないし、録音データの記載もなし、というある意味潔い作り。これに続くアルバム群もデータ関係の記載のないジャケット・ブックが付けられている。
 メンバーは Jarno Sarkula (soprano sax)、Erno Haukkala (tb, didgeridoo)、Miikka Huttunen (pump org, p, melodica)、Marko Manninen (cello)、Teemu Hänninen (ds, perc) の5人編成。
 短いメロディー・ラインのはっきりした曲が並ぶ。作曲面でも中心の Jarno “Stakula” Sarkula がテレビやゲーム関係の音楽の仕事をしているらしく( Stakula というのがそちらの仕事をするときの名前らしい)、それがメロディーのくっきりした楽曲に繋がっているようだ。そのため、変な編成の割には聴き難い前衛性みたいなものが皆無。
 チェロには相当なエフェクトが掛けられており、ディストーションの掛ったギターのように聴こえることも多い、特にバックに廻ったとき。キーボードは足踏みオルガンを多様している、クラリネット的なソプラノ・サックスと合わせてちょっとノスタルジックな感じになることも多い。

a0248963_1437613.jpg 2枚目が Käärmelautakunta 、2003年。このアルバムからチェロの Tuukka Helminen が加わり6人編成に。これからこの6人編成が続くことになる。
 1曲目からへヴィーなギターを思わせるチェロが響き、厚みのあるアンサンブルで聴く者を圧倒する。2曲目3曲目は一転メロディックでミステリアスな曲調と、前作よりもメリハリの付いた曲の並びとなっている。キーボードもピアノの使用などでアクセントを付けている。
 かなりのテクニシャン揃いなのは、後に出たDVD を見るまでもなく判るのだが、それを深刻さのまるでない、ヴィジュアル的にも軽味のある中でやってしまう凄さがある。

a0248963_14373279.jpg 3枚目は Tuomari Nurmio というシンガー・ソングライターとの共演盤、Kinaporin kalifaatti 、2005年作。全ての作詞・作曲は Tuomari Nurmio によるものだが、バックの演奏は一聴 Alamaailman Vasarat と判る。全体的には、民族調のメロディーが多い。チェロのピチカートの多用など今までのアルバムとちょっと違うところもあるが、ちょっとしゃがれたヴォーカルと演奏が似合っている、とは言ってもインストルメンタルのほうが圧倒的に好きだが。

 久々にフィンランドのバンドを取り上げた。かの地の音楽はなかなか変わったのが多く、もう少し探せばもっと面白いバンドが聴けるんじゃないか、とも思うのだが、今でも CD の数が多すぎ思うように音楽を聴ける時間が少ない、これ以上になると兵站線が延びすぎて収拾が付かなくなる惧れも。困ったものです(何を如何困っているのだ?と聞かれそうだが)。
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by ay0626 | 2012-09-09 12:59 | 音楽-その他

アメリカン・クラヴェの傑作群1986-1988 アストール・ピアソラ

 2008年か2009年のことだとは思うが、記憶が定かではない。NHK の9時のニュースだったか、NHK 特集だったかも覚えがないのだが、バンドネオンについての放送があった、ほんの10分にも満たない埋め草のような扱いではあったが、この番組のせいで(お陰で?)今の音楽狂いが再発したのだから、何処に縁が転がっているか判らないものだ。
 番組の内容は、バンドネオンという楽器の現状を特集したもので、バンドネオンはタンゴに欠かせない楽器だが、もともとはドイツの会社が作ったこと(発明者もドイツ人の Heinrich Band で1847年の完成)、楽器の構造が複雑でなかなか新品ではいい音が出ず、演奏家の間では昔の楽器に手を入れて使っていること、日本人もそれに協力していること、などが紹介されていた。アルゼンチンの音楽であるタンゴに使われるのだから当然出自もアルゼンチンと思っていたのでこれは驚いた、と同時に数回聴いただけの Astor Piazzolla のCDがあったのを思い出した訳だ。
 聴き返してみるとこれが素晴らしく良い、1日に何度も聴いて嵌り込んだ。何で購入した当時(多分1990年代半ば頃)にこの素晴らしさが判らなかったのだろうか、思い出してみれば RIO の音楽にどっぷり漬かっていた頃、少しでも判り易い(判り難い、ではない、念の為)音楽は、聴くべきものの対象外にしていたのだ。RIO 狂いから10年以上が経ち、こっちも歳を取って、こういう音楽もいいなあ、と思えるときにドンピシャな(言い方が古いか)「大人のインストルメンタル」をジャズほどの即興も激しさもないタンゴで聴かせてくれた Piazzolla に嵌らない訳がないのであった。
 この後、ますます無節操な音楽探求、CDコレクションの道を再度歩き始めることになる、それもまた楽しからずや、と言ったところ。

 聴き返したアルバムと言うのが、傑作との誉れ高い American Clave の3部作、嵌るのも当然の演奏であるし、その後も LIVE IN WIEN、TRISTEZAS DE UN DOBLE A などの傑作ライヴ盤を聴きズブズブと底なしの Piazzolla 沼に落ち込んでいくのであった。American Clave は、先日も書いた通りKip Hanrahan のレーベルで、Kip のプロデューサーとしての才能と円熟したヌエヴォ・キンティート(ニュー・クインテット~5重奏団のこと、スペイン語ではこういうらしい)の演奏が相まって素晴らしいアルバムが出来た。Kip のプロデューサーとしての腕は、自身のアルバムでもはっきりと出ていたが(例えば、Jack Bruce や Don Pullen、Alfredo Triff の使い方を見よ)、Piazzolla の3部作が最も世評に高いのは当然とも言える。

a0248963_20545287.jpg 3部作の最初のアルバムが TANGO: ZERO HOUR、1986年。Astor Piazzolla (bn)、Fernando Suárez Paz (vn)、Pablo Ziegler (p)、Horacio Malvicino (g)、Héctor Console (b) という鉄壁のキンティートで精緻に組み上げられた音楽は適度な緊張感とバンドネオン、ヴァイオリンの情感を高める調べで、極めて気持ちの良い音楽に仕上がっている。人のざわめきから鋭く切り込むようなバンドネオンで始まる Tanguedia III から、Milonga del ángel 、Concierto para quinteto などの名曲を経て Mumuki で終わる至福の46分。特に Concierto para quinteto の後半のギターは、背中がぞくぞくするようなフレーズ連発で、Piazzolla のキンティートでは、裏方に回るほうが多いギターにも焦点が当てられている、最後の Mumuki でもギターのソロから始まる。
 Piazzolla 自身も相当本作には自信があったようで「生涯最高 の録音」、「我々はこのレコードに魂を捧げた」と言ったとか・・・3部作最終作の LA CAMORRA でも同じようなことを言っていた感じはするが、甲乙付けがたい傑作だから仕方がないか。

a0248963_20551133.jpg 第2部が THE ROUGH DANCER AND THE CYCLICAL NIGHT 、1987年。このアルバムは、通常のキンティートとは異なり、Piazzolla 、Paz 、Ziegler の3人に加え Paquito D'Rivera (as, cl)、Andy Gonzalez (b)、Rodolfo Alchourrón (g) が加わる、この3人のうち Gonzalez は Hanrahan のアルバムでもお馴染みで、もともとラテンの人だからアルコは不得意、このアルバムでも殆どピチカートばかりの演奏で、ちょっと違和感があるか。
 第1作、3作と異なり、短い曲が14曲も並ぶのは、副題に TANGO APASIONADO と付いている通り、オフ・ブロードウェイ・ミュージカルの舞台音楽作品であった訳だ。また、よくは判らないが、題名は、ホルへ・ルイス・ボルヘスの詩から取られているようだ。ボルヘスはアルゼンチンの詩人・作家でちょうど大学生の頃、集英社から出ていた「新しい世界文学全集」といった叢書に南米作家が多数収録されていて、ボルヘスの「ブロディーの報告書」「汚辱の世界史」など訳もわからずに、読んだと言う事実のみを目的として(つまりはスノッブ的欲求のために)、読んだ。他にも、これは面白かったがガルシア-マルケスの「百年の孤独」とかフリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」なども普通に読んでいたものだ、時間の経過のなんと早いことよ。
 音楽的には、短い曲が多く、緊張感という点では落ちるものの、管楽器が入ることで、ちょっと雰囲気が変わることもあり、41分弱、飽きずに聴くことが出来る。
 また、赤と黒のみで作られたジャケットも魅力的、ちょっと厭らしさも感じさせる。

a0248963_20554223.jpg 最終作が LA CAMORRA 、1988年。通常の5重奏団での演奏。ヴァイオリンの印象が強く、泣きという言葉がぴったり。最初の Soledat 、5曲目の Fugata はバレーのために書かれたもの、6曲目、7曲目の Sur は、映画音楽のようで87年に Roberto Goyeneche などと共同でLPが出ている。
 なんといっても、聴き所は2曲目から4曲目の表題3部作で、メロディクなところとリズミックなところが交錯するスリルは尋常ではない。この5重奏団最後のアルバムとして、 TANGO: ZERO HOUR に勝るとも劣らぬ傑作を物したのは、Piazzolla にとっても幸せであったと思う。

 この後、5重奏団を解散、バンドネオン奏者をもう一人入れ、ヴァイオリンの代わりにチェロを加えた6重奏団を作ることになる。この6重奏団の暗さも好きなのだが。それも短期間で解散し、1992年死去、71歳。

 Piazzolla について書きたいことは沢山あるが、アルバムが多過ぎて何をどう書けばよいのか。気長に纏めて行きましょう。
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by ay0626 | 2012-04-08 14:14 | 音楽-その他

アヴァン・ギャルドなのにアメリカ的郷愁、ティン・ハット

 人事の仕事をしていて、2月、3月は、人事異動の調整だとか、人事考課の確定だとか、やたら面倒な仕事が多くて、しかしこれも給料のうちと日々それなりの努力をしている。もともと、前にも書いたように「理に適う」人事がしたいと思ってはいるのだが、人事については十人十色、情に流される人も圧倒的に多いは、自分の部署しか考えず「全社のことを考えて」といっても「それを抜かれちゃ仕事が出来ん」など、好きなことをのたまう人もいるはで、温厚なおじさんも偶にはドスを効かせて「それでは、あなたの部署には協力できませんよ」などと強面の表情を作ることだってあるのだ。4月になれば、新入社員が入ってきて、入社式、教育などでばたばたするし、来年度の採用面接が連日のごとく入ってきて、春は忙しい。
 こんな時期は、激しいフリー・ミュージック系やラディカル・トラッド系は敬遠して、表面的には優しいブルーズやブルーグラスを取り入れた少人数の室内楽が心の安らぎに繋がるかと思って、Tin Hat を取り上げることにした。それは、郷愁に満ちたメロディーを奏でることもあるが、良く聴いてみるとアヴァン・ギャルドな面もままあり、直接的に「心の平安」をもたらすような音楽ではないことが判った(前聞いてから相当時間が経っていたので・・・と言い訳)。

 このバンド、Sleepytime Gollira Museum 関連で聴き始めた。Tin Hat の創立メンバー、Mark Orton、Rob burger、Carla Kihlstedt のうち、Carla が Sleepytime のメンバーだったためで、これも Rotter's Paper さんのホーム・ページで知った。Rotter's さんのページではいろいろ教えて頂いて、当方の守備範囲も相当広がった、ただ感謝。
 Mark Orton のギター・バンジョー・マンドリン、Rob Burger のアコーディオン・オルガン・ピアノ、Carla Kihlstedt のヴァイオリン・ヴィオラが基本で、3枚目以降には、何曲かゲストが加わるという感じ。Mark Orton は、本人のページを見ると映像音楽からオーケストラまで幅広い仕事をこなす人のようで、アヴァン・ギャルドな音楽シーンで他に名前を見かけることは殆どない。Rob Burger は、John Zorn の Film Work の常連さんで馴染み深いし、Carla は、Sleepytime 以外でも、2 Foot Yard や The Book of Knots (これも Sleepytime の Matthias Bossi のバンド)などでも名前が入っているが、その他の録音を見ても相当忙しくお仕事をしているらしい。とういことでアヴァン・ギャルドの血は相当濃く流れているバンドには違いない。

a0248963_13592972.jpg 1997年の活動開始のようで、初アルバムは1999年の Memory Is An Elephant 。どうもこの題名意味が取り難い、記憶は象のように巨大だ、ということだろうか、それが何を意味するのだろう?全11曲のうち、8曲が Orton 作品、とういことで実質的なリーダーは Orton と考えても良いと思う。Orton の演奏は、どちらかと言うと後ろに回った、カッティング中心の演奏でそれゆえ聴き易いのだろう。楽器編成を見ても判るとおり、ノスタルジックな雰囲気が出せる組み合わせであるが、その中にすっとアヴァン・ギャルドな雰囲気を滑り込ませて来るのが彼らのやり方。例えば9曲目の冒頭、10曲目の中盤、11曲目のトイ・ピアノの独創で終わったかと思うと、その後に変な男声と妙なストリングスの組み合わせに嵐のエフェクト。その緊張感があるからこそ、シンプルな編成でも聴かせてしまえるのかも。
 もっとも、このアルバムと次作は、殆ど3人のみの演奏が主体となっているので、やや地味な印象は拭えない。音の取り方は、ストレートで変なエフェクトは一切掛けておらず、楽器の音が一つ一つはっきりと聴こえてくるのは好感が持てる。

a0248963_140293.jpg 2000年の Herium 。同じ Angel Lebel からのリリース、エンジェルはもともとクラッシクのレーベルのようで、こんなレコードを作るのは珍しいのかも知れない。
 前作よりも華やかに聴こえるのはどうした訳か。冒頭1曲目のバンジョーの音が入り、Burger の Marxophon (ツィターの一種)が華やかさを添え、2曲目も明るい感じで取っ付き易く、その後も割りにメロディーがかっちりした曲が多いか。そうして見ると、曲の並べ方も重要な要素ということなのかと思う。15曲目は、Tom Waits のヴォーカルをメインに据えた大所帯のトラック。これ以降のアルバムでも1曲2曲はヴォーカル曲を入れるようになる。アクセントになり、それはそれで良い。

a0248963_1402652.jpg 3枚目が、The Rodeo Eroded 、2002年作。レーベルは Rope a Dope に異動、もっともプロデューサーは、Hans Wendl で Angel 時代とは変わっていないが。
 ノスタルジックな印象が一段と強調されているような気がする。冒頭1曲目からその印象が強い、また5曲目は Willie Nelson がヴォーカルを取るトラックだが、これも一層その感を強くする。表題の意味が「ロデオ(荒馬乗り、馬に縄を掛けるのを見せること)が侵食される」みたいで、古いものが新しいものに侵され無くなっていくような感じなのだろう。
 そして、ゲストの導入、特に Bryan Smith のチューバが良い味を出していてよい、2曲目と4曲目に参加。その他にも、3曲目に Billy Martin のパーカッション、4曲目と13曲目に Jonathan Fishman のドラムと、アクセントとしての打楽器も効果的。1枚目2枚目よりもかなり聴き易くなった、聴かせる工夫をしているという感じがする。

 ということで、Tin Hat の前半終了。その後、メンバー・チェンジもあり、音楽性も多少は変化していくが、その分類不可能な音楽性は変化しないまま。良く聴くのが3枚目から5枚目当りということで、(いつになるか判りませんが)紹介の後編には乞うご期待。
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by ay0626 | 2012-03-03 09:36 | 音楽-その他