日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:jazz( 29 )

変容するフリー アルバート・アイラー (5)

 先週は、人が来て何かバタバタしていて書く気にならなかった。それをいいことにドラクエをやり捲くり、遂にラスボスを倒す、激闘87時間!いい歳こいたオヤジのすることではありませんな。

 明日は参議院選挙の投票日、なかなか入れる政党・候補を選ぶのが難しいが、折角この時代を生きているんだから、行って一票を投じてこよう、朝早く、爺さん、婆さんに混じって。

 宮崎駿氏の新作が公開されるとかで、NHKの9時のニュースまでインタビューを流していた。宮崎作品は、娘と行った『千と千尋の神隠し』くらいで、猫バスの出てくる何とかとか、カウンター・テナーが主題歌を歌う『もののけ姫』などはテレビで半睡状態で眺めたくらい。そういえば、もう1作映画館で見た覚えがあるが、題名も内容も思い出せない。思うに、宮崎作品は雰囲気だけで成り立っていて、そういう作品は何とでも解釈できる。頭の良い人が変に深読みして、作者も思っていないような「深遠なる思想」をそこから読み取ってしまうのだろう。一時はやった「世界系」といわれる漫画などもその類、エバンゲリオンは典型。たしかに『千と千尋』の画面は綺麗だし、その場面場面の構図は息を呑むほどのところも多々あったが、あのシナリオは何が言いたかったのか、冷静に見てみれば、案外場当たり的に決めていった感じがする。
 エンターテインメントにあまり理屈を捏ねても仕方がない。しかし、恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』を普通のミステリと思って読み始めて、なんじゃこりゃ!と思ったことがあった。合わぬ世界はあるもんだ、好き嫌いの世界だから仕方がないが、その最右翼が、宮崎駿と恩田陸ということなのだろう。
 宮崎氏には新作の宣伝のためか、戦争や従軍慰安婦に関する発言も話題となっていて、これも本人の雰囲気には合っている、あんな作品を作って好戦的な発言をしたら場違いだろう。まあ、彼が何を言ってくれても構わないのだが、考えの無い人たち(だからこそ宮崎作品を賞賛する)が彼の発言をマトモに受け止めて、あたかも自分の意見のように言い出す危険性はある。世の中、風潮に乗ることだけで生きている人たちの何と多いことか、それで困らないのだから仕方ないか。

 ということで、Albert Ayler の5回目。67~68年の Impulse に残されたアルバム2枚。相当に変わっていく音楽の姿、世評は高くないが Impulse の諸作はどれも好き。

a0248963_1521187.jpg In Greenwich Village が Impulse 移籍第1弾となるが、続いての作品がスタジオ録音の Love Cry、1967年8月と1968年の2月録音。初出時の8曲に後に3曲が追加された。
 録音メンバーは、Albert Ayler (ts, as(1, 10), vo(1, 9, 11))、Donald Ayler (tp(1-3, 5, 7, 9, 11))、Alan Silva (b)、Milford Graves (ds)、Call Cobbs (harpsichord(3, 4, 6, 8, 10))。歌い出す Ayler、神様だーい好き、と真面目だかふざけてだか判らぬが、ヘロヘロ歌い出している。神様登場のためのハープシコード、Cobbs じいさんもヘロヘロ弾く。ジャケット写真はアルトを吹く Ayler の写真、変容していく姿を象徴するような写真だ。67年7月に John Coltrane が亡くなり、その葬儀に Ayler は演奏を捧げている(Holy Ghost: Rare & Unissued Recordings にその演奏が収録されている)、その雰囲気は本作にも受け継がれているが、キリスト教とは無縁の自分にとっては、どう聴いても「神様を信じて」あんな演奏が出来るとは思えない訳。Anton Webern が「自分は無調音楽をナチスに判らせることが出来る」といったり「子供がコンパスと定規を使って作曲する日が来るのも、決して遠いことではない」といったりしたのと同じ意味で「フリーでも賛美歌になり得る」と Ayler が思っていたとしても、それはないことではない、と思えてしまうのである。
 旧LPのA面には、2分から3分の短い曲が6曲も並び、テーマを吹くと直ぐ終了してしまうような曲が多く、肩透かしの感は否めないが、ある意味ポップ志向になっていったのだろう、多分ファンクの影響も隠し得ないところだ。

a0248963_15214155.jpg 次が、問題作というか超ポップになってボーカルが全面に入った New Grass、1968年9月録音。メンバーは、Albert Ayler (ts, vo, whistling)、Garnett Brown (tb)、Call Cobbs (el-harpsichord, harp, organ, p)、Burt Collins (tp)、Bill Folwell (b, el-b)、Buddy Lucas (b, bs)、Rose Marie McCoy (vo)、Joe Newman (tp)、Seldon Powell (fl, ts)、Bernard "Pretty" Purdie (ds)、Soul Singers (vo)。最初に聴いたときは「へっ!これが Ayler ?」と驚いたものだ。どう聴いてもフリー・ジャズじゃない、ソウルとファンクにニュー・ロックの要素をゴタ混ぜにしたようなノリの良い音楽、Ayler のソロだけが辛うじて Ayler のアルバムであることを認識させる。間章がこのアルバムを難しい言葉で評価していたような気がするが、やっぱりここまで来ると「ちょっと間違っちゃったかなぁ」と思う。それでも、1年か2年に1回は聴いている、全く嫌いではないということか、Music Is the Healing Force of the Univers や Last Album の方がずっと好きだが。ここでも Ayler はメッセージを発している、英語で幸い、意味の判る言語で話されたら、きっと聴くのが嫌になったかも。

 全く音楽を聴かなくなった。音楽を聴くときはかなり熱心に聴いて、本やゲームを殆どしない。本を読み始めると、今度は音楽もゲームもしなくなったり、ゲームを始めればゲームばかりで・・・・。そのうち、音楽の紹介を中断、ということもありそうで。ご勘弁を。
 10月になれば悪魔のゲーム『ポケモン』の新作が出て、サル以下の存在になりそうな気が。それまではせいぜいサボらずにブログでも書きましょう。
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by ay0626 | 2013-07-20 14:20 | jazz

ブルー・ノート 1966-1967年 ウェイン・ショーター (5)

 今週は暑かった、週半ばには36℃を超える猛暑日に。流石6月も中旬でこの暑さは体に堪える、雨でも降れば蒸す不快感は別として、地表が冷やされて気温だけでも下がろうというものの、殆ど雨は降らず、台風崩れの低気圧から湿った空気が送り込まれて湿度だけが高くなる、全く不快。会社でもすっきりしたところがなく、運が6月から反転攻勢かと思っていただけにちょっと挫折気味。
 今日は、午前中は厚い雲に覆われて、陽が当らないせいか気温がぐんぐん上がるということもなく、午後には久しぶりにそれなりの雨が降った。湿度が相当高いのか、エアコンをドライにするだけで部屋の中がひんやりする。しかし、この程度の雨では水不足は解消しないだろう。

 朝、大きい方の用を足していつもの通り尻を洗い、スイッチ・オフにしたら水が止まらなくなった。そうこうしているうちに水を貯めるところからも漏れ出し、トイレが水浸しに。10年以上故障もせずに動いていたのに突然こんな風になると手の打ちようもなく、便座の蓋の裏側に書いてあった故障対応専用フリー・ダイアルに電話、かなり待たされたが、オペレーターの対応も良く、その指示に従い螺旋回し一本で応急対応は出来た。そして案外早く担当者も家まで来てくれて、シャワー・トイレの部分のみ停止するようにしてくれた。
 この家も建ててもう直ぐ25年、シャワー・トイレは10数年前に初代のものが壊れ、今のが2代目、毎日何回かは使っていて、それでも13年ほどの命脈を保ったのは、日本の技術がどれだけ凄いものか証明している。シャワー・トイレというのは今では当たり前になったが、出た当時は本当に画期的というか、凄いとしか言いようのないものだった。発売された頃のコマーシャルに戸川純が出てきて「何を隠そう、お尻も綺麗」とかなんとか奇妙な表情でのたまわっていたのを思い出す。確かに粘度の高いものをひり出したとき、何度拭いても未だ付いているような不快感があったり、下痢のときに拭き過ぎてひりひりしたり、そうした嫌な感じがこの発明で一掃されたのは正に「画期的」だったのである。そのかわり、お尻の穴の周りの皮膚が弱くなったのだろう、海外出張に1週間も行けばお尻に違和感を感じることになる。日本に住んだことのある外国人は皆シャワー・トイレのファンになるようだが、外国での普及率はまだまだなのだ。
 来週の火曜日には新しいものが来るという、衛生陶器部分もちょっと汚くなっていて、ついでに替えることにしたので少しはトイレも綺麗になるか、何でも新しくなるのは楽しみなことである。

 ということで、Wayne Shorter の5回目。1966年、67年の Blue Note 吹き込みの2作。1965年作品が非常に先進的というか、新たな試み満載の作品ばかりだったので、今回紹介の2作は、目新しさでは一歩譲る印象。

a0248963_2239837.jpg Adam's Apple 、1966年。メンバーは、Wayne Shorter (ts)、Herbie Hancock (p)、Reggie Workman (b)、Joe Chambers (ds) というワン・ホーン・カルテット。超有名曲 Footprints が初披露された作品。本作の録音は2月だが、10月には Miles Davis の Miles Smiles でも再演されることになる。新しい感じはしないが、非常に充実したテナーが楽しめる作品、この頃の Miles Quintet の音楽的な中心は Shoter であって、殆ど67年までは Miles Combo = Shorter Group みたいなものだから、Shorter も自分名義の作品を作る必要がなかったのだろう、65年にはあれだけ沢山の作品を生み出したのに(確かに Miles が薬物の治療で休んでいて時間があったということか)、66年は2月録音の本作のみ、67年も1作のみの録音だ。
 Reggie Workman のベースがなかなか攻撃的で凄く良い。特に Footprints や The Collector (CD化の時に追加収録)のソロなど、聴き惚れてしまう。全体的には明るい感じで、初期のミステリアスな雰囲気は随分薄れている。
 ちなみに Adam's Apple とは読んで字の如く『アダムの林檎』のことだが、「喉仏」のことも指す。アダムちゃんが神の戒めに背いて食らった林檎が喉につっかえて喉仏になったということ。女の方は、勿論イブちゃんですな、根性こめて飲み込んだが今度は胸でつっかえて、これがオッパイになりました。

a0248963_22393182.jpg Schizophrenia 、1967年。メンバーは、Wayne Shorter (ts)、Curtis Fuller (tb)、James Spaulding (fl, as)、Herbie Hancock (p)、Ron Carter (b)、Joe Chambers (ds) という3管編成の大所帯。65年の3管編成作品 All Seeing Eye に比べればずっと判り易い、というか捻ったところがないというか、ちょっとムード音楽的といえぬこともない。Curtis Fuller が加わっているためか。
 最初の Tom Thumb から快調な、ちょっと軽めの出発。3曲目が表題作の Schizophrenia 、統合失調症のことだが、曲からはそんな雰囲気は感じられない。4曲目は James Spaulding の作品でKryptonite、フルートのソロが美しい、この James Spaulding という人、有名なリーダー作はないようだが Shorter の作品のソロはどれもかなりのテンションを持った好演、Shorter のアルバムでこの人の名前は残るだろう。Kryptonite とは、スーパーマン(アメ・コミの代表!)の故郷の星、クリプトンのエネルギーの素の物質。2曲目 Go と5曲目 Miyako はバラード、丁度サンドイッチの中身みたいなもので、ここが聴き所なのかも。最後の Play Ground は若干の新しい感じがする。

 今日も本屋へ行き、1冊購入、積読本は3冊に。明日には読書報告でも。
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by ay0626 | 2013-06-15 22:09 | jazz

衰退期?いえ、絶頂期 ウェザー・リポート (5)

 久しぶりにライブに足を運んだ。マタハリ!オールスターズ、メンバーは梅津和時(sax.cl)、壷井彰久(vln)、佐藤芳明(acc)、鬼怒無月(g)、佐藤研二(b.vo)、佐藤正治(ds.vo)、正にオールスターズという感じ。実に楽しめた・・・かというと、そうでもない。先ず、佐藤正治さんのドラムがどうも趣味に合わない、特にシンバル・ワークが気になる(ヒカシューを見たときはそんなこと全く思わなかったのに)。また、フロントが4人もいるとどうしても各人のソロを繋げる格好となってしまい、構成が平板でだれた感じになる。そのためか、3曲目に余りソロが入らないバラード(アコーディオン奏者の曲ということだが、なかなかの佳曲)やバイオリン/アコーディオン、ホイッスル/ヴォーカルのデュオを組み合わせた曲、Cream の Politician (「政治家」か「政治屋」かで鬼怒さんとベースの佐藤さんが掛け合いをしていた、この曲のボーカルはベースの佐藤さんで、ごつい体の割には綺麗な声でしたね)を入れたり、特に第2部の冒頭、「東北」という歌詞を聴くとちょっと気恥ずかしくなるような曲を梅津さんが朗々と歌い上げる。これも一本調子にならぬための工夫なのだろうが、ちょっと全体的な印象としてはバラエティーに富むというよりちぐはぐな感じのほうが強い。何をどう聴けばいいのか(それほどのことじゃないかも知れないが)迷うような感じであった。最後も Foster の曲を持ってくるとはなぁ、若干あざといよね。
 鬼怒さんや梅津さんのソロはよく聴く機会があるので、いつも通りの印象。ちょっと驚いたのが壷井さんのバイオリン、様々なエフェクトを掛け、ギターのような音を出すかと思えば、佐藤正治さんの龍飛(青森の竜飛岬と「りゅう」の字が違うけど他の意味があるのか知らん)という曲ではいかにも「宇宙的」な音を紡ぐ感じで、変幻自在、目の前でバイオリンと確認して、ああバイオリンの音なのだと認識する、CD で音だけ聴いていたら「キーボード?」と間違えそう。壷井さんも久しぶりに見た、ポチャカイテ・マルコで見て以来だから多分7、8年振り。アコーディオン奏者佐藤さんは初めて見る、ハモンド・オルガン風になってみたり、壷井さんとのデュオは特に良かった。
 ライブ会場は久しぶりに見る大入りで、このメンバーならこのくらいは入るわなぁ、と思った次第。行きがけに本屋に寄って大坪砂男全集の第3巻を購入、文庫で600頁弱、これで1,575円也、どれだけの部数が出ているのだろう。

 読書は『悪夢百一夜』に掛かり切り。家に帰ると飯を食って、『逆転検事』を小一時間、風呂に入って寝しなに読書、これが先週1週間の毎日。『悪夢百一夜』は面白い!としかいいようがなくて、第34夜まで進む。第24夜の「俗物行進曲」、こういう人っているんだよなぁ、第27夜の「窮鼠」は身につまされる、ちょっと哀れな物語、第32夜は「紅葉狩」、艶っぽく美しい、「狩り」が文字通りの意味だと知る、そして第33夜「健康への暴走」の皮肉さ、思わずニヤリ。
 この調子だと、読了にあと3週間は掛かりそう、深木さんの『衣更月家の一族』や昨日購入した大坪砂男全集3巻など何時になったら読めるのだろうか。

 電車の中ではライブ盤ばかり良く聴く Weather Report の5回目。Weather Report を聴き直すようになってから最も見直したアルバムが Procession 。本当にいいアルバムですよねぇ。

a0248963_20391939.jpg Procession 、1983年。このアルバムで Shorter 、Zawinul 以外のメンバーを一新する。リズム隊のメンバーは、Victor Bailey (b)、Omar Hakim (ds, g, vo)、Jose Rossy (perc)。Hakim のドラムは溌剌としたパワーがあり特に好き、Live and Unreleased や Live in Cologne を聴けば Erskine なんか目じゃないのが良く判る。
 楽曲も変化に富んでいて、表題曲の徐々に盛り上がって、また遠くに消えていく感じ(Procession とは、行進とか行列の意)。次の Plaza Real はタンゴ、コンサルティーナ(小型アコーディオン)やアコーディオンが懐かしさを醸し出す Shorter 屈指の名曲、Elegant People の次に好きかも。Two Lines はパワー系の演奏、リズム隊の素晴らしさが現れた曲。Where the Moon Goes はゲストに Manhattan Transfer が加わる、ライブでは Zawinul が歌ったりしているが、やっぱりこっち方が雰囲気は随分出ている。The Well を挟んで、最後は Hakim のオリジナルで、ボーカル・ギターまで演奏してしまうという Molasses Run で締め括り。コンサルティーナ他の生楽器やコーラスを加えた色彩感の豊かさや曲自体の出来も申し分なく、何でこのアルバムがもっと評価されないのかと思う。

a0248963_20393879.jpg Domino Theory 、1984年。前作とメンバーは同じだが、若干硬派というかストレートな感じの強いアルバム。冒頭の Can It Be Done はボーカル・ナンバー(ボーカルは Carl Anderson 、演奏の殆どは Zawinul によるもの)だが、2曲目以降、あまりオーバー・ダビングを行わずに録音された曲が多いように思う。D♭ Walz は Hakim のドラムがなかなかのもの、Shorter のテナーはコーラス系(音が2重に聴こえる)のエフェクトが掛けられ若干気持ちが悪い。The Peasant はうねうねとした感じの曲、次の Shorter 作曲の Predator はスティール・ドラムのような音が聴こえる、非常にシンプルな(5人でやりました、一切他の音は入っておりません、といったような)曲。もう1曲 Shoter の曲は Swanp Cabbage 、不思議な曲、こんな曲を書くのが彼らしい。最後の表題曲は、ドラム・マシーンが基本的なリズムを刻み、Hakim はその上に様々なフレーズを乗せている。Baily のベースも独特なもので、このリズム隊の真価が発揮されている。

 先週は株式乱高下、どんなもんでしょう。通勤で見るサラリーマン諸氏はノー・ネクタイ、いわゆるクール・ビズというのが定着してきたのか。一旦ネクタイを外してしまうと、もう暑苦しくて二度と嵌めたくないと思う。しかし、ワイシャツの上に直接上着だとちょっとその筋の人みたいで、鏡に姿を映すと余り格好のいいものではない。
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by ay0626 | 2013-06-01 18:26 | jazz

ブルー・ノート 1965年 ウェイン・ショーター (4)

 ゴールデン・ウィークの後半は海外出張が入って、明けの一週間ずっと海外、12日の日曜夜に帰って翌日から会社と、怠惰を旨とする自分は出張帰りの翌日くらい休みにするところなのだが、会議を入れられては出ない訳にもいかない。朝若干遅く出て定時には直ぐに会社を出るということで妥協(?)した。

 飛行機の中では、映画を見るか寝るくらいしかすることもない。映画のプログラムを見ていたらちょっと前に評判になった『レ・ミゼラブル』があって、まぁミュージカルだから飽きることもなかろう、と見出したらこれが非常に詰まらない、何故あんなに評判になるのだろう。もともとユゴーの原作を読んだこともなく、あらすじくらいは有名だから知ってはいるのだが、あらすじ以上の話ではない(後半の革命の話は特に酷くて、金持ちの坊ちゃんが革命運動に加わる、そして銃で撃たれてご存知主人公のジャン・バルジャンが助けるのだが、傷が癒えるとこの坊ちゃん、田舎の地主にちゃんと納まる。革命を是とするのか非とするのか、そこの部分はごっそり抜け落ち、しかしジャン・バルジャンが天国へ行くと革命で死んだ皆が革命歌で迎えてくれる、というほんと、製作者の意図をどう捉えたらよいのか皆目見当が付かぬ)。この映画の出来こそ、嗚呼、無情・・・余りにお粗末な前世紀的神様お願い物語、これで何を感動すればよいのだろう。悪態を吐きながらも、半分以上見てしまうとやっぱり最後まで見ないと自分の時間が勿体無いような気がして見てしまった、もっと勿体無かったりして。続けて、ディズニーの『オズ はじまりの戦い』を見たのだが、これがもっと酷い出来、こちらは思い切りよく1時間程度で見るのを止めた。飛行機では寝るに限るか。

 深木章子さんの『鬼畜の家』、読了。題名の通りの酷い家族、設定がきつ過ぎて、最後の謎解きで明かされる真相のトリッキーさとかなり断絶がある。本格ミステリは、心動かす系のお話(本作も、例えば貴志祐介さんの『黒い家』を思い出させる爬虫類のような女性がぞっとさせる、『黒い家』はぞっとさせるのが目的だからよいのだが。また感動の物語もダメで、例えば乾くるみさんの『イニシエーション・ラブ』が感動の恋愛を描いていないので本格ミステリに出来たわけ)とは相性が悪いようで。とはいっても、文章は達者で構成も見事、次回作を読もうと思わせる出来、流石亀の甲より年の功といったところか。早速、『衣更月家の一族』も購入してしまった。

 近頃、本を読むようになったせいか、音楽を聴くのはもっぱら通勤電車の中だけ、いっそ音楽ブログの看板を外し読書ブログにでも衣替えしようか知らん、などと思ってしまう。そうなる日も近付いていたりして。

 さて、電車の中でよく聴くのが Wayne Shorter 。マッタリした感じが気持ちよい、半睡半醒の意識があるのかないのか判らないような頭の中にスーと入ってくるテナー・サックスの音。

a0248963_16171380.jpg Et Cetera 、1965年6月録音。この作品もお蔵入りしていたもので、初発売は80年になってから、Shorter にはこうした作品が多い。
 ワン・ホーンのカルテット編成でリズム隊は、Herbie Hancock (p)、Cecil McBee (b)、Joe Chambers (ds)。Cecil McBee のベースは深い響きがあって好き、70年代後半の Chico Freeman との共演作など印象に残っている。Joe Chambers のドラムも Elvin Jones や Tony Williams ほど煩くなく、Shorter の音楽には程好い。
 表題作の Et Cetera は、クールというか、ある意味醒めた荒涼な感じがする曲。Hancock のピアノも硬質な(現代音楽風な)感じが曲にマッチしていて、他のアルバムだと McCoy Tyner の方が好きなのだが、このアルバムに限っていえば Hancock で正解、ということのように思える。2曲目以降も押さえ気味の、言い方を変えれば平板な感じなのだが、この盛り上がりに欠ける感じが半睡半醒の通勤電車の時間をもっと気持ちよくさせてくれる訳。
 4曲目の Barracudas のピアノソロ、非常に好き。最後の Indian Song は名曲、名演奏、特にベースの刻み方(唯一ベースのソロが聴ける、このソロ、泣けるほどよい)、ピアノの分散音。
 唯一残念なのがジャケット、初出時のものも自分が持っている再発時のものも、かなりもの足りない。The Soothsayer も同様なのだが、他のアルバムのような感じには出来なかったのだろうか、残念至極。

a0248963_16173282.jpg The All Seeing Eye 、1965年10月録音。4管編成という異色作、録音メンバーは Freddie Hubbard  (tp, flugelhorn)、Grachan Moncur III (tb)、James Spaulding (as)、Herbie Hancock (p)、Ron Carter (b)、Joe Chambers (ds)、Alan Shorter (flugelhorn [track 5 only])。何といっても Shorter の編曲の才能が発揮されたアルバムで、素晴らしいの一言に尽きる。何といえばいいのか、現代音楽的というのか、フリーではないきっちりと計算された音の積み重ね。異色作であるが故、Shorter の Blue Note 作品(1967年までの)の中で最もよい作品とはいわないまでも、相当好きとはいっておこう(何がいいたいんだ?といわれそうだが)。前作とは方向性が全く異なる。
The All Seeing Eye とは、Eye of Providence のこと、つまりは神様の「全てお見通しの目」のことで、アメリカのお札の裏にあるピラミッドの中に目が描いてあるアレのこと。このデザイン、フリーメイソンとの関係があるようで、下らぬ陰謀論にはよく出てくる(アメリカを牛耳っているのはフリーメイソンだとか、直ぐそういうことをいいたがる輩の多いこと)。そういう意味でこのアルバムの曲タイトルを見てみると Genesis(創世記)、Chaos(混沌)、Face of the Deep(深みの顔)、Mephistopheles(ファウストに出てくる悪魔)などそれらしい言葉が並ぶ、初期の黒魔術的なほの冥さみたいなものとは異なる感じの異世界。
 1曲目の表題曲、特にエンディングのかっこよさには目を見張る。2曲目は珍しく Ron Carter のベース・ソロがフィーチャーされており、それに導かれる Shorter のソロもなかなかのもの。Hubbard のソロも突き抜けている。3曲目の動き回るアルト・ソロも Spaulding 独特な感じ。4曲目はスロー・テンポで、ソロはテナーのみ。5曲目は、Shorter の弟 Alan の作品でミステリアスな雰囲気、Alan はフリーの分野で活躍した人のようで、この曲にもそんな感じが出ている。

 上着を着ていると暑いが、風も乾いて気持ちのよい季節。心まで晴れやかになるようなことがあればよいのだが、生憎と心当たりはない。
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by ay0626 | 2013-05-18 14:29 | jazz

デビューの頃 1956-1959年 セシル・テイラー (6)

 台風一過、とはいかず、北風のちょっと冷たい風が吹く、雲が重く垂れる。花が散ったのに花冷えとはこれ如何。

 木曜日だったか、日銀が思い切った金融政策を発表してそれに市場が反応、円安と株高が一段と進んだ。市場が金でじゃじゅじゃぶになって、金は何処へいくのか。資金が必要な中小企業に金がいくかといえばそうは思えない、彼らには信用がない、貸し手は充分な金利が取れないのに信用リスク(元本のリスク)など取れるはずがない、従って真に必要なところにはいかない(超低金利状態で貸し出しが伸びなかったのは事実)。しかし、じゃぶじゃぶの金はどうかしなくてはならない、遊ばしておく訳にはいかないので。それは投機的な市場にいかざるを得ない、株式や不動産、コモデティなどなど、どう見てもバブルの再来を狙っているのじゃないか、その傾向は今も見えている。
 そして、もう一つ、円安が進めば輸入インフレが進む、原子力が禁じ手にされているため、どうしたって高いエネルギーを輸入しなければならない、輸出は増えるかもしれないが本当に収支は改善されるか、改善されなければ酷い円安になり、2%どころではないハイパー輸入インフレがやって来る。
 まぁ、そう悲観的に考えることはない、景気なんて「気」のもの、何をやっても上手く行くときは上手く行く、世の中そんなもん。持っている投資信託もかなり値段が上がった、ありがたや、ありがたや。

 年度初めとしては上々のロケット・スタートの世の中、自分を振り返ると(またもや運気低迷か)疑問符の付き捲る仕事振り、生活振りだが、そのうちいいこともある、そうでも思わなければやっていけない。ということで、改めて原点から(何の脈略か?原点だの初心だのはこういうときに使う言葉)。Cecil Taylor のデビューの頃、久しぶりに聴いて見ました、初期4作品+1。

a0248963_1704511.jpg デビュー作 Jazz Advance 、1956年9月録音。驚くなかれ、自分が生まれるより前に録音された作品。所有しているのは2010年の EMI ミュージック・ジャパンの版だが、音は時代がかってはいるが充分に聴ける、60年近く前の録音でもそれなりなんだ、と感心する。
 録音メンバーは、Buell Neidlinger (b)、Denis Charles (ds)、Steve Lacy (ss, track2,4)。オリジナル盤は6曲収録だけれども、後に1曲増補された(自分の持っているのは6曲収録のもの)。
 一聴、変な感じはするけれども、どう聴いてもジャズそのもの。自分のCDコレクションには他に50年代録音のジャズ・アルバムはないので何ともいえないが、当時としてはかなり前衛的な作品だったのだろう。Taylor の初アルバムという歴史的意義だけではなく、Cecil Taylor はデビュー当時から Cecil Taylor であったことを教えてくれる作品、この時、Cecil 27歳。3曲目のエリントンの Azure は後の演奏の萌芽を充分に感じさせる、また5曲目の You'd Be So Nice To Come Home To はコール・ポーターの曲をアブストラクトな現代音楽風にしたピアノ・ソロ、後の Silent Tongue や Indent などを想起させる、最終曲の Rickkickshow は、素晴らしく躍動感に富んで、聴き応えのある作品。
 Steve Lacy もこの時23、4の若造で、音楽理論を Taylor から学んでいたらしい。若々しい演奏だが2曲しか参加していないのが残念。Buell Neidlinger と Denis Charles は、初期の Taylor のリズム隊、Neidlinger はその後、クラッシクの世界にいったという。やや Denis Charles の叩き方に時代を感じる。

a0248963_176587.jpg 次が、At Newport 、1957年6月のライヴ作品。LP の A面が Taylor カルテットの作品(B面は Gigi Gryce & Donald Byrd クインテットの演奏)。録音メンバーは Jazz Advance と同じ。
 司会者の紹介に続いて、多分 Taylor が曲名をアナウンスして演奏が始まる。Lacy のソプラノが全面に活躍し、57年録音とは思えない良い音で躍動感溢れる演奏が繰り広げられる。まだまだ、充分ジャズの範囲での演奏。2曲目、3曲目が Cecil のオリジナルだが、特に2曲目などは印象に残る。
 このアルバム、LP の半分ということもあって、なかなか復刻されなかったが、単独では2002年に、そのほか Jazz Advance にボーナスとして収録された。自分の持っているのは 60-61年の Nat Hentoff Sessions のボーナスとしてのもの。

a0248963_1712636.jpga0248963_172583.jpg Looking Ahead!、1958年6月録音。Buell Neidlinger (b)、Denis Charles (ds)、Earl Griffith (vib) という録音メンバー。バイブラフォンが加わるのは珍しい。全て Cecil のオリジナルによる録音(1曲のみ Griffith との共作)。ジャズそのもので、Jazz Advance より前衛色は薄いかもしれない。
 この Cecil ~ Neidlinger ~ Charles のトリオを中心に作られたのが Love for Sale、1959年4月録音。LP でいえば A面がピアノ・トリオ(コール・ポーターの作品を演奏)によるもの、B面が Bill Barron (ts)、Ted Curson (tp) が加わったクインテットによるもの。再発時に1曲追加されたが、自分の持っているのは5曲収録の旧版。最初の曲の出だしなど、Cecil Taylor の雰囲気があって(低音を力を込めて弾くところなんぞ)好き、Neidlinger のベースも変わっていて良いが、スタンダードを基にしている分、充分にジャズ。B面の管が入る2曲は、Cecil のオリジナルで雰囲気が違うのがはっきりと判るが、まだまだ調性もある普通のジャズの範疇。

a0248963_171458.jpga0248963_1715677.jpg この流れとは別に録音されたのが、大御所 John Coltrane との共演盤 Hard Driving Jazz (Coltrane Time 、1963年に再発されたときの題名、そりゃ Coltrane の方が名前の通りが良いので仕方ないが)。1958年10月録音、メンバーは Kenny Dorham (tp)、John Coltrane (ts)、Chuck Israels (b)、Louis Hayes (ds)。他のアルバムより音が悪く、籠り気味。Cotrane もブイブイ吹き捲るというわけではないので、何気なく聴いてしまうと、普通のジャズという感じ。Cecil の側から見ても Coltrane の側から見ても特に重要な作品とは思われない、2大巨頭合間見えての作品には違いないのだが。

 ここら辺りまでが、ジャズらしいジャズをやっていた Cecil くん。60年辺りからもっと尖がってきて、62年頃には完全無調男となってしまう訳、人生に大きな転機のやって来る前夜といったところ。

 この頃、CD を買わなくなった。この1か月ほど1枚も購入していない。新しいものに手を出さなくなったせい、ここまで手を広げるとそんなものかも知れない。じっくりとあるものを聴き直してみるとしようか、また違った発見があるかも。
 
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by ay0626 | 2013-04-07 16:28 | jazz

ブルー・ノート 1964-1965年 ウェイン・ショーター (3)

 女心と春の空。台風並みの低気圧がゆっくりと東へ進む、昨日は気温が上がり眩い春の陽光が燦燦と降っていたのに、今日は大粒の雨が横殴り。どう見たって、秋の空より「春の空」のほうが、女心には近いようで。

 少しずつ読書をするようになってきて、先日は小林泰三さんの『完全・犯罪』を読んでいると書いたが、これは『大きな森の小さな密室』同様あんまり趣味ではなくて、ちょっとどうかと思う出来。作品全部を読んでいるという作家は、三津田信三さんや西澤保彦さんなどがいるが、それでも全ての作品が好きという訳ではない、沢山作品があれば出来がよいのもあれば悪いのもある、そんなもの。
 大坪砂男の文庫版全集が発刊され始め、先週第1巻を購入したが、昨日第2巻も手に入れた。日下三蔵さんの編集も凝っているが、テキストの多少の差異をあれだけ熱心に(偏執的に)調べるとは大したもの。昨日は日下さんの解題と「天狗」のみ読了、「天狗」は何度読んだであろう、何度読んでも笑ってしまう、自己愛と自己弁護の塊が倒錯した論理から奇想天外の犯罪を生み出す物語、今ならさしずめ新型うつ病の典型のような人物の理屈に付き合う小説。喬子さんも「まあ!」までにして「失礼な!」とさえいわなければ、空を飛び白い美脚を晒すこともなかったろうに。昭和20年代始めの雰囲気も露に「洋褌を着了した刹那に咫尺した」だの「笑止なり!個の担板漢!」などの文章を見るに付け、にやりとしてしまう。
 第1巻では「赤痣の女」「三月十三日午前二時」「大師誕生」の3編を読む。今から60年以上も前に書かれた小説で、文章も凝っているのか読み難い上、構成もごちゃごちゃとやたら複雑、なかなか理解しながら読もうとすると時間が掛かる。特に「赤痣の女」など、登場人物の行動があまりに自分勝手過ぎて、見えることと心理状況がまるで違う、真相までがどれが本当のところか。探偵役の緒方三郎の言葉が最後で混乱を招く、天城一や山沢晴雄のリレー小説『むかで横丁』を思い出した。
 昭和47年刊行の旧版全集が本棚に収まっているので、中学生の頃、一度は読んでいるはず、よく理解できたものだと自分で自分に感心したりして。その頃は、乱歩や正史を読み漁っていたから、今よりもそうした時代の小説を読むことには慣れていたのかも。
 ゆるゆると1日1編か2編読んでいきましょう、どうせ暇潰し。

 今回は、Wayne Shorter の3回目。本を読みながら音楽を掛ける、ということをしなくなって、というよりも本を読んでいると(こうして文章を綴っているときも同様)、音楽が全く耳に入ってこない。それならばいっそ掛けないほうが良いと、そんな訳でこの頃は音楽を聴く時間がかなり減ってきている、音楽ブログを標榜している割には情けない現状。通勤時間の1時間が、一番まともに音楽を聴いていることになる。

a0248963_1750457.jpg Speak No Evil 、1964年12月録音。ブルーのジャケットに能面のような女性の写真、題名の上にはルージュで唇の形がクッキリ、正に『不吉なことはいうな!』というジャケットです。この女性、調べてみると日本人らしく「ナカガミ・テルカ」という名前、Shorter の最初の奥さんで二人には Miyako という娘がいるとのこと、そういえば Shorter 作品のコピーライト表示で Miyako Music というのがあったように思うが、この人のことなのかも。
 録音メンバーは、Freddie Hubbard (tp)、Herbie Hancock (p)、Ron Carter (b)、Elvin Jones (ds) 。Elvin が Tony Williams に変われば、VSOP Quintet ですね。同じようなメンバーでの録音の多いこと、気の合った仲間だと良いものが出来易い、それもあるかも知れない。Elvin は、Coltrane との演奏では全面的に叩き捲くりだが、Shorter との共演においてはかなり抑制的な演奏で好感が持てる。5曲目の Infant Eye のみがカルテットでの演奏、なかなか濃密な感じの作品、他のミュージシャンに取り上げられることも多い。
 Shorter のリーダー作でのピアノは、McCoy Tyner か Hancock のどちらかだが、Tyner の方が叙情的な感じがしてずっと好き。前2作が Tyner なので、今作は若干乾いた感じになっている。
 曲目を見ると Witch Hunt だの Dance Cadaverous など「黒魔術的」だといわれそうだが、前2作よりも聴き易くなっているような感じがする。

a0248963_1751261.jpg The Soothsayer 、1965年3月録音。録音メンバーは、Freddie Hubbard (tp)、James Spaulding (as)、McCoy Tyner (p)、Ron Carter (b)、Tony Williams (ds)。この作品、録音時にはお蔵入りの状態で、最初に発売されたのは1979年になってから、演奏には瑕疵があるとは思えず、非常に良い出来。特にアルトの Spaulding 、立派なソロを聴かせてくれる、後の All Seeing Eye や Schizophrenia にも登場しているミュージシャン。
 65年の冒頭に Miles バンドで E.S.P を録音しているためか(tp + ts のクインテットは Miles バンドで充分と思った?)、65年以降の作品にはトランペットを加えたクインテット編成のアルバムはない、ワン・ホーンか3管以上の大型編成の作品ばかり。大型編成になると、Shorter の編曲の才能を発揮することになる。
 冒頭の Lost 、Weather Report の Live in Tokyo でも演奏されている(1枚目のメドレーの中の1曲として、ちょっと判り難いが)ワルツ・タイムの曲。表題曲の Soothsayer とは預言者のこと、不思議な曲想は Shorter 独自のもの。5曲目の Lady Day とは、Billy Holiday のこと、彼女に捧げたバラード。最後の曲(CD では Angola の別ヴァージョンが付いているが)は、何とフィンランドの作曲家ヤン・シベリウスの曲、テナーのソロから始まって後からアンサンブルが付いてくるという曲構成、Ron Carter もソロを取っている、いい感じの音色のソロ。
 アレンジの素晴らしさでは後の All Seeing Eye には負けるか、それでもお蔵入りにするほどの出来ではない。次の Et Cetra もお蔵入りするが、何か理由・意図があったのだろうか。

 久しぶりにのんべんだらりんと。外に行かないのは春の嵐のせいにして、余りに何もしなさ過ぎると夜の睡眠に影響が出そうだが、明日も休みということでまぁいいとしましょう。
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by ay0626 | 2013-04-06 16:44 | jazz

変容していく演奏、アメリカらしさは変わらず カーリュー (3)

 昨日は十数年ぶりに映画を見た、『千年の愉楽』。若松孝二監督作品で、50台半ばの世代にとってはピンク映画の監督というイメージなのだが、近頃は社会派の典型みたいな(というより反権力の象徴的な)感じになっていて、どうも持ち上げられ過ぎのようにも思う。交通事故で亡くなり、これが遺作。先日、原作の感想も書いたが、映画は難解という訳ではない。話を進める要のオリュウノオバと礼如さんの会話が説明的で、余りに曲がなさ過ぎるところはどうにも気になった。しかし、綺麗な男優を揃え女優はそれほどでもないので、原作の「血の宿命」みたいなものは一見して判る(男優の顔を見れば一目瞭然、いい男ばかりですな)。しかし、もともと近代化というのは、そうした「血の縛り」からの解放(ソ連の「ルイセンコ学説」への拘りを見よ)を目指したものであったはず、そこが若松監督らしくなくて、というより若松監督が「逃れられないもの」として描き出してはいけないような気もする(歳を取ると「土着的」なものに回帰するということか、それならば・・・)。中上健次は自分がそうだから、自己弁護・自己肯定の意味もあって、ああいう形で小説にしたのは判るとしても。
 オバ・礼如の説明的会話を別にして、最後のエピソード(達男の部分)は変に蛇足っぽい感じ、また佐野史郎の礼如さんもインテリっぽくてこの人物を通して何が言いたいのか判らない(原作でも影の薄い登場人物であったが)、などなど細かい点については文句もあるが、2時間そう飽きることもなく見れた。

 その後、歩いて桜見物、有名なところだけあって人の数はてんこ盛り。ライトアップされた桜はそれなりの感興はあるもの、東京に比べ開花の遅いこの地区ではやっと一昨日辺りに満開、待ち兼ねた人たちが一度にどっと繰り出してきたのだろう。桜は一度に開花し1週間ほどで散ってしまう、その潔さみたいなものが日本人に合って「同期の桜」などに繋がる訳だが、葉もない枝に花だけが大量にくっ付くのはある意味不気味で、坂口安吾の『桜の森の満開の下』を思い出すまでもない。

 と日本ネタの後で、アメリカン・アヴァンギャルド・ジャズロックの Curlew の紹介の3回目、全く脈絡がありませんな。
 今回の紹介は、Chris Cochrane の加入した2枚、90年代半ばの作品。

a0248963_1783439.jpg Paradise 、1996年。録音メンバーは、George Cartwright (as, ts)、Chris Cochrane (g)、Davey Williams (g)、Samm Bennett (ds)、Ann Rupel (b)、ゲストとして Jim Spike (bs, ss)がクレジットされている。チェロの Tom Cora が抜け、ツイン・ギターの構成になった。Chris Cochrane は、No Safty のメンバーだから、Ann Rupel とはもと同僚の関係。Samm Bennett も Third Person で Tom Cora と協力関係にあったので、狭い範囲でのお付き合いというのがよく判る。ここら辺りのニューヨーク・アンダー・グラウンドは、似たようなメンバーで夥しい録音を残している。
 演奏は、かなりロック色を強くした感じ。最初の Gimmie という Ann Rupel 姐さんの作品から重いベースがブンブンと唸り、ツイン・ギターが変な音を撒き散らすが、作曲も練られており、Cartwright おじさんのアルトもいつもの通り伸びやかで軽い音なので、アメリカ的な明るさは今までの作品と大きな違いはない。

a0248963_1785488.jpg Fabulous Drop 、1998年。ドラムが Bennett から Kenny Wolleson に交替している以外は前作と同様(ゲストはなし)。
 基本的には前作と同様の作風だが、やや Cartwright おじさんのサックス・ソロにフリーキーな音が多いような気がする。Cochrane と Williams のギターもしっかりソロを取るが、それ程の違いが聞き分けられる訳ではない。珍しく Ann 姐さんが Neither, Baby という曲でピアノを弾いているのが目を惹く程度。


 昨日、本屋にも久しぶりに寄ってみたら、創元推理文庫で『大坪砂男全集』の1巻、2巻が出ているのを見つけ、1巻のみ購入。編者は日下三蔵氏、何年も前から出る出る、といわれていて、それでもなかなか出なくて、これも企画倒れかと思っていた。72年に出版された薔薇十字社版の全集は所持してはいるのだが、もって廻った文章や複雑過ぎる構成などで、読むのに相当苦労した覚えがある。数年前にも一度全部読み返そうとして挫折していたのだが(本が重すぎる、寝床ではなかなか力が要るといった物理的な理由もあって)、今回は文庫ということもあり(値段は決して安くはないのだが)再度の挑戦と相成った次第、積読にならぬとよいのだが。
 
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by ay0626 | 2013-03-31 16:52 | jazz

ブルー・ノート 1964年 ウェイン・ショーター (2)

 父親が死んだので、葬式やら手続きやらで先週はブログを綴ることが出来なかった。病院・葬儀場・葬式(坊主)に対して書きたいことは沢山あるのだが、いくら実名を晒さぬブログとはいえ差し障りが多過ぎる、もしこのブログがあと2年でももてば、少しずつ書けることもあるだろう。

 25日の週に入り、手続きも先に済ますべきものはほぼ終了し、やっと会社にも行けるようになった。しかし、仕事では何から手を付けるべきか頭の切り替えが上手く行かない。調子も今一歩といったところで、夜の寝つきも悪くなる。
 それでも、随分前から楽しみにしていた『是巨人』のライブだけは、よろよろと見に行った。『是巨人』は、吉田達也(ds)、鬼怒無月(g)、ナスノミツル(b)のパワー・トリオ。吉田さんなら『高円寺百景』、鬼怒さんなら『ボンデージ・フルーツ』、ナスノさんなら『アルタード・ステーツ』というのが自分の中での位置付けなのだが、このトリオも充分にいける。曲は全て吉田さんが書いて、凄まじい変拍子のなか、1曲の中で曲調が目まぐるしく変化する。ギター・トリオということもあってか、『高円寺百景』のようにもろ Magma という訳ではなく、たとえば Samla Mammas Manna をハードに(最後期の Famly Crack をもっとゴリゴリ)したような感じ。いつもの通り、水割りにミックス・ナッツのお伴だったが、体の調子が充分でなく、またスピーカの前に陣取ってしまって、轟音の演奏(ナスノさんのMCで「音楽にはそれに相応しい音量がある、是巨人の音楽にはこの音量が最適なのでご勘弁を」というようなフレーズがあった)が始まるとバス・ドラムとベースが腹に来る、テーブルに肘を着くと振動が体に伝染する、アルコールが頭の中で沸騰する、などファースト・セットで疲労困憊の体たらく、それでも20分の休憩のうちに心を落ち着かせ、2部はかなり楽しめたが、アルコールの分解がことのほか悪く、頭の中の沸騰は家に帰るまで(家に帰った後も)続いたのであった。
 お客は30人強といったところ、あれだけのテクニックを持ったアンサンブルを見せてチャージが3,200円、飲み代・食い代を含めて5,000円以内、嵐だのスマップだののコンサートに行けば遠く遠くから見ても1万円近い入場料を取られるだろうに、オマケに歌伴は全て打ち込みだったりして。不条理といえば不条理だが、『是巨人』の音楽は絶対に万人受けはしないはず、演奏者本人もそれは充分承知の上。
 彼らの音楽のメロディーを憶えようなどと無謀な試みはしないのだが、それでも「ジャクソン」という曲は前も聴いたことがあるような気がした。あれだけの複雑なアンサンブル、涼しい顔で演奏し、鬼怒さんナスノさんは殆ど汗をかかず、吉田さんもタオルで顔を拭いたのが1度だけ、それが仕事のベテランとはいえ大したものです。

 と今回は、(上に書いた話と)全く関係のない Wayne Shorter の初期~中期 Blue Note の作品。先回書いたが、Blue Note 最後期3部作を聴いて、あまりにも良かったため、それじゃあもう一回試しに・・・と思って聞き直し始めた。25年前の耳には余り魅力的には聴こえなかったが、今の耳には極上の音、それでもって1枚当たり600円~700円程度の価格、ウォークマンに突っ込んで、通勤のお伴になっております。

a0248963_13185341.jpg Shoter は、1959年に初リーダーアルバムを吹き込んだ後、62年までに Vee Jay レーベルで3枚のレコードを残す。そして、1964年から Blue Note での録音を開始、67年まで通常のジャズ(という言い方はおかしいかも知れないが)形式で8枚の作品を残す。65年からは、Miles のクインテットに参加するから(ESPは1965年1月の録音)、その活動と平行して自身のリーダーアルバムを作成していったわけだ。67年まではテナー・サックスのみを演奏している。
 Blue Note での最初のリーダー作が、1964年4月録音の Night Dreamer。録音メンバーは、Lee Morgan (tp)、McCoy Tyner (p)、Reggie Workman (b)、Elvin Jones (ds)。当時絶頂期の Coltrane カルテットのピアノとドラムが参加、流石に味のある演奏を聴かせる。Shorter について良く使われる言葉は「黒魔術的」、しかし、自分にとって若干ミステリアスな感じは受けるものの、「黒魔術」という言葉ほど邪悪な感じはなく、ある意味明るいともいっていいようなところがある。奔放にならず、抑制的で理知的、クネクネとしたソロは今の自分の耳にピッタリ(フリーを聴くにはちょっと歳を取り過ぎた?、いえいえまだ頑張れますが)。McCoy Tyner のピアノが非常にリリカルで、最高。
 最初の曲が Night Dreamer 、最後にサックスのソロを持ってくるという変わった構成、それがフェイド・アウトするのだが、もっともっと聴いていたいと思わせる。2曲目も変わった曲想、3曲目はトランペットが加わらないカルテットでの演奏、非常に詩的な演奏(Virgo とはおとめ座のこと、何を隠そう、自分もおとめ座の生まれ!)。4曲目もカルテットでの演奏で、忘れがたい変てこなメロディーを持つ。最終曲は Armegeddon 、神と悪魔が最終戦争を行うというヤツ、なかなか雰囲気を出しております。この後、CD 版は Virgo の別ヴァージョンが付け加わっている。Shorter の作曲家としての才能が強く出たアルバム、昔は何が気に入らなかったのだろう。

a0248963_13191447.jpg 次の作品が JuJu 、1964年8月の録音。前作から Mogan の抜けたカルテット。メンバー的にいえば、Coltrane カルテットと同等ともいえるのだが、受ける印象は全く違う。Coltrane が真面目で「努力してます!」感を全面に押し出して、密度の濃い演奏をこれでもか!と悲壮な感じがするのに対し、Shorter は浮遊感を持ったある意味捕らえどころのない演奏、この違いがバック(リズム・セクション)にも影響するのだろうか。
 とは言え、本作品、他のリーダー作にはないくらいよく「吼えた」演奏をしている、冒頭のJuJuなどその典型、なかなか根性の入ったソロを展開する、Elvin のドラム・ソロも曲の流れの中でアクセントになっており、拍手。その他の作品も印象に残るメロディーを持っていて、特に3曲目の House of Jade はよい。
 昔は、トランペットなど、金管の音が好きではなくて、それ故、Miles よりも61年以降の Coltrane が好きだったのだが、Shorter の Blue Note 初期~中期作品などを聴くと、むしろワン・ホーンだと物足りない。この作品や Et Cetra 、Adam's Apple なんかより金管の入っている作品のほうが気持ちがよい、また別項で書くが All Seeing Eye のテーマ提示部の見事なアレンジを聴くといいなあ、と思ってしまうのである。やっぱり人間は変化するものだ(なんぞ、偉そうに頷いたりして)。

 もう直ぐ新年度、早いものですね、1年も4分の1終わり。桜の花も満開、春爛漫といったところ。気分を新たに行きたいものです、おじさんも。
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by ay0626 | 2013-03-30 11:33 | jazz

64年のヨーロッパ楽旅 アルバート・アイラー (4)

 近頃、いろいろなガタガタがあって、ちょっと気分の悪くなることもあったが、それは年の功、なのか感性が摩滅したせいなのか判らぬが、熱くなることもなく対応した。
 このガタガタの中で考えたのは、ヒエラルキーについて。ヒエラルキー(ドイツ語ではHierarchie、英語では hierarchyで、どちらも発音がヒエラルキーではないのが面白い)とは、階層社会、階層性のこと。先日読んだ中上健次の『千年の愉楽』の舞台「路地」は、ヒエラルキー的にいうと最下層、底辺層ということになろうが、それはここでは関係ないので割愛。今回思ったのは、ヒエラルキーの上位層は、「ヒエラルキー」という概念を意識するか、ということだ。例えば人事の仕事で、ある部署(例えばAとする)から他の部署(B)にある人物を異動させる、そのとき異動をさせる者はAとBに仕事の価値の上下関係を意識したことがない、機能的には同等と見ている。それが、異動させられる当人にとっては「格落ち」と感じる、つまりAという部署とBという部署に価値的な上下関係を意識していることがあるということだ。そして厄介なことに、異動をさせる者は往々にしてAという仕事をした期間が長いことが多い。ヒエラルキーの上位にある者は、下位の者が感じる「嫌さ」を感じることが出来ない、従ってヒエラルキーが存在すること自体を意識できなくなる。これが、植民地統治など、全く文化・風習・言語の異なる人々に暴力的収奪を行うことが中心の活動となれば、上位者・下位者とも階層性を強く意識することになるだろうし、また卑近な例を採れば会社の中に常駐する業者など明らかに階層性を感じるだろう。しかし、同じ会社の中のそうした微妙なヒエラルキーについていえば、それは下位者のみが感じることになる、それが鬱積することもある。
 具体的には書けないこともあって、判り難い言い回しになってしまったが、「未だに存在する関係性」に若干の自戒を込めてここに記す次第。

 今回は、久しぶりに Albert Ayler 。アメリカ社会のヒエラルキーの底辺であった黒人の抵抗の手段でもあった(あまりそうした考え方には組したくないが)フリー・ジャズの旗頭であった Ayler は、傑作 Spiritual Unity 録音後、ヨーロッパへの演奏旅行に出掛ける。Spiritual Unity で組んだ Sonny Murray と Gary Peacock に加えて、Ornette Coleman の片腕であったトランペット奏者 Don Cherry 、このカルテットで3枚のアルバムを残す。といっても Ayler の生前に出たのはスタジオ録音の Ghost だけであったが。

a0248963_1826121.jpg 録音順で紹介すると、先ずは The Copenhagen Tapes。1964年9月3日のコペンハーゲンのクラブ・モンマルトルでの演奏(トラック1~6)と9月10日の同じくコペンハーゲンでのデンマーク・ラジオ・スタジオでの演奏(トラック7~10)を収める、2002年に初出。クラブ・モンマルトルでの演奏は、一部が海賊盤もどきのLP でこの CD が出る前にも聴くことができた模様。
 Don Cherry というトランペット奏者、決して嫌いではないが(学生時代に Cherry の Eternal Rhythm は愛聴していたし、Live in Ankara も不思議な演奏で好きだった)、どうも Ayler には似合わないような気がして仕方がない。Cherry の持つ上手さ、装飾性(テクニックといってもよいが)と噛み合わない、Ayler もテクニックは凄かったということのようだが、残された録音を聴く限り、感性が剥き出しになっているような演奏が多いように思う、それが Cherry のやり方にあっていないような気がする訳。
 モンマルトルでのライヴ録音は、音は悪くはないのだが、一部リールが撚れているようなところがあって、若干気になるところも、しかし Cherry もまずまず熱く対応しており、Cherry 入りの演奏では上位に位置する感じか。ラジオ・スタジオの録音は、これもテープの撚れがあるが、スタジオ録音とライブ録音の中間といったところ、Peacock が根性の入ったソロを取るのが聴きもの。紹介のスピーチまで収録されていて若干鬱陶しい。

a0248963_18262272.jpg 次がスタジオ録音の Ghost 、1964年9月14日録音。デンマーク Debut での作品。この作品、Cherry と Ayler の方向性の違いと録音が細い(何と書いてよいのか判らないのでこう書いておく)のが相俟って、メンバーが豪華な割には今一歩の印象。Debut には、他に My Name Is Albert Ayler と Spirits という2枚のアルバムがあるが、この2枚よりも劣るか。
 録音曲は、Ghost 、Children 、Holy Spirit など毎度お馴染みの曲ばかり、とはいっても出だしの1分くらいのテーマ提示が済んでしまえば、直ぐにフリーな演奏に突入するのだから、曲といっても演奏のきっかけくらいといういう意味で。

a0248963_18263644.jpg 3枚目が、The Hilversum Session 、1964年11月9日、オランダ・ヒルバーサムのラジオ・スタジオでの録音。音が素晴らしく良く、スタジオ録音として充分に聴ける作品。
 曲の演奏スタイルとしては、前作と同様だが、音が生々しく採れている分、こちらに軍配が上がるか。Cherry のソロは端正な感じで、やっぱり上手いなと思う反面、感覚の違いもあるのが判る。ヨーロッパ楽旅もそろそろ終わろうかという頃、アンサンブルにも纏まりがあって、大分練れて来た感じ。この時期の Ayler の作品の中では特に好きな一枚。
 お馴染み、後ろで密やかに聴こえる唸り声、これって本当に Murray の声なんだろうか。

 ということで、何が書きたいのか益々訳の判らなくなってきた当ブログ、もうちょっと読書やライヴに行ければその感想が書けるのに、気力・行動力が落ちていく中で頭の中の抽象概念だけが肥大気味、何とも致し方のないところ。
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by ay0626 | 2013-03-09 16:45 | jazz

アンサンブルとソロ・デュエット エリック・ドルフィー (3)

 眼鏡が割れた。普段掛けている眼鏡は度が弱めで遠くは見えないが、近くを見るにはいちいち外す必要がなく、書類や本を読むには丁度良いくらい。今掛けているのは、夜車を運転するためのもので、遠くまで見えるのだが、本を読んだりパソコンで文章を綴ったりするには焦点が合い難い。困ったものだ、昨日なら眼鏡屋に行って、それなりの度のものを頼むことも出来たのに、今からでは面倒で出掛ける気にもならない。

 ということで、本日は簡単に。Eric Dolphy の3回目。

 Dolphy は、1960年61年と精力的にリーダー作を録音するが、62年は正規録音がなく、63年は所謂ダグラス・セッションといわれる2枚のアルバムを残すのみ。64年は、2枚のリーダー作を残すも、6月29日にはあの世に旅立つ、36歳。

 ダグラス・セッションは、アラン・ダグラスというプロデューサーによる Conversations と Iron Man の2枚のアルバムをいい、1963年7月1日と3日に録音された。この2枚の版権は相当複雑のようで、Conversations は、VJ というレーベルの Memorial Album という題名で学生時代に買って聴いていたのだが(だから30数年前から流通はそれなりにしていた)、Iron Man は相当探したものの全く見たことがなく、CD化されて初めて聴いた。この2枚、1枚ずつ版権が異なっており、ダグラスのレーベルからは Iron Man だけがリリースされたようだ。
 自分が持っているのは、Metrotone というレーベルからリリースされたもの、初出のジャケットとは異なるようだが、なかなか味があって好きだ。

a0248963_19124489.jpg Conversations は、4曲が収録され、1曲目の Jitterbug Waltzは Eric Dolphy(fl)、Woody Shaw(tp)、Bobby Hutcherson(vib)、Eddie Khan(b)、J.C. Moses(ds) というクインテットによるもの。Dolphy のフルート・ソロも良いが、この時弱冠19歳の Shaw の堂々としたソロも聴きもの。Hutcherson の柔らかなヴァイブの音も良い。全体的にゆったりした演奏。2曲目は、Music Matador、Dolphy はバス・クラに持ち替え、メンバーは Clifford Jordan(ss)、Sonny Simmons(as)、Prince Lasha(fl)、Richard Davis(b)、Charles Moffett(ds)となっている。この作品、Lasha と Simmons の作品、この2人双頭バンドを組んでいてクセの強いフリー掛かった音楽をやっていたようで、聴けば判るような気がする。それにしてもこの2曲は Dolphy としてはかなり明るい感じである。
 3曲目は、Love Me 、アルトのソロ。ソロは退屈との評もない訳じゃないが、自分は嫌いではない。ソロは、こうしたアンサンブルとの抱き合わせなら良いと思う(例えば、Roscoe Mitchell や Anthony Braxton のソロだけの作品は余り聴く気にはならないが、Evan Parker は聴ける、Rothenberg や Kang Tae Hwan はそれなりに・・・というのはどういう訳だ?)。4曲目、Alone Together、Richard Davis とのデュオ、バス・クラを吹く。60年には Ron Carter とのデュオの録音があったことも考えると、Dolphy はこうしたソロやソロに近い演奏に相当興味があったものと思う。
 この作品集、ヴァラエティーに富んでいて、学生時代から途切れ途切れに思い出したように聴く。Dolpy のアルバムでも特に好きなアルバム。

a0248963_19125739.jpg もう1枚が、Iron Man 、5曲が収録されている、Conversations と異なり、こちらは殆どが Dolphy のオリジナル。1曲目 Iron Man、Woody Shaw、Bobby Hutcherson、Eddie Kahn、J.C. Moses のクインテット。Dolphy はアルト。曲調はアグレッシヴで根性の入った各人のソロが聴ける。2曲目は Mandrake、ベースが Kahn から Richard Davis に交替する。ここでもアルトの演奏。前作に比べ、辛口の作品に仕上がっている。3曲目、Come Sunday は、Davis とのデュオ、バス・クラの演奏。Davis のアルコが良い。4曲目、Burning Spear、また大所帯の演奏で Woody Shaw、Sonny Simmons、Prince Lasha、Clifford Jordan (ts)、Garvin Bushell (bassoon)、Bobby Hutcherson、Eddie Kahn、Richard Davis、J.C. Moses という10人編成。Dolphy は音楽理論にも強かったようで、例えば Coltrane の Africa Brass では編曲を担当したほど。この曲にもその才能が発揮されている感じ、ちょっと大袈裟な感じがないではないが、ベースの絡みが面白く、特にアルコの使い方などは新鮮。Dolphy はバス・クラを吹く。最後の曲が Ode to C. P.、フルートとベースのデュオ。高低の差のあるフルートが印象的。

 Richard Davis とのデュオ3曲が7月1日の録音、その他は7月3日。Conversations が若干甘口、Iron Man が辛口といった感じで、自分は昔から聴いていることもあり、Conversations の方が好きかな。

 寒い日が続く、陽が長くなればそのうちに暖かくなるだろう。暖かくなると何かいいことありそうで・・・具体的には思い付かないのが残念ではある。
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by ay0626 | 2013-02-11 19:15 | jazz