日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:rock( 55 )

大坪砂男の粋 + ハット・フィールド & ザ・ノース

 体が熔けるんじゃないかと思うような気温が続く。今年の天気は極端で、「経験したことのないような大雨」が中国地方や東北地方で降るかとおもうと、一方で6年ぶりに40℃を超えるような気温が山梨でも高知でも観測される。自分が住んでいるところは、雨は少なく太陽はじりじりと肌を焼く、外に出るなといわれているようなもんだ。ということで、冷房の掛かった部屋で昼寝ばかりしている。

a0248963_15594669.jpg 読書はのろのろと、それでも少しずつ積読状態が解消されていく。大坪砂男も読み進めていて、3巻収録の『私刑』は久しぶりに読み返して、へぇ、こんな話だったのか、と改めて感心した。大坪といえば『天狗』や『零人』のように観念的な論理の積み重ねみたいなのばかりだと思っていたのが、こんな日活の無国籍アクションのような作品を書いていた訳。昔、全集版を読んだ若い頃は、この面白さが判らなかったのだろう、余り良くない印象ばかりが残っていた。
 戦後のやくざ世界を描いた本作は、一人称の主人公ももう一方の主人公の清吉もなかなかカッコ良い、特に一人称主人公の肝が据わっているのに女にはある意味弱い、潔癖なところなんぞ、なかなか良い造形。清吉もその世界を厳しく生き抜いてきたことを座布団の挿話で見事に描き出している。お桑という小娘の気風の良さ、お侠さもなかなかで、それが運命に絡め取られ、最後に全ての人間関係が一挙に明らかになると同時に、さっと幕を下ろす終末も、若干書き急ぎの感じは無きにしも非ずだが、例えば『天狗』の最後の一行と同じような余韻がこの作品の最終行にもある。多分、初読時は『天狗』の印象が強く、高踏な作家と思っていたのだろう、それがこんな世俗的な(やくざ映画の如き)作品を書きゃがって・・・と反発するところがあったのだろう。
 探偵小説的なトリック(黄金仏の隠し場所)の面白さとべらんめぇ調の文体のリズムもあって、スルスル読める割には、最後が判り難いといえばその通りで、その人間関係が若干因果話めいてしまったのは、根が真面目だったからか、それでも「探偵作家クラブ賞」を受賞するだけの価値のある作品ではある。
 4巻の『零人』もぽつぽつと読んでいる。『零人』、再読してみると、ちょっと観念的な会話が却って幼稚に見えてしまって、ちょっとガッカリ。決して出来が悪いと言うわけではないが・・・・。昔読んだときは何かもっと凄い印象があったような気がするのだが(中学生のガキを驚倒させる程度の高尚さ、といったところか)、まぁ、初読時から40年も経てばそんなもん、なのかも。

 ゲームは、『逆転検事2』なかなか進まず。やっと最終話に辿り着く。感想は後日。

a0248963_160544.jpg さて、音楽は Hatfield and the North の一枚目、1973年作品。Virgin レーベルの初期作品のひとつで、非常に印象的なジャケットを持つ。CDサイズだとどのジャケットも迫力に欠けるが、LPだと30cm × 30cmと画面が大きいので、ジャケットの持つインパクトは今とは比べ物にならない。Virgin の初期作品だと最も有名なのが Mike Oldfield の Tubular Bells が映画『エクソシスト』に使われて一躍有名になり、その影響で Henry Cow や Hatfield の一枚目が目出度く日本盤としても発売されることになった。もともとそう売れるような音楽ではなく、そういう意味では Tubular Bells 様々といったところか。
 Hatfield は所謂カンタベリー派の有名どころの集まったバンドで、メンバーは Phil Miller (g、Wyatt の結成した Matching Mole に参加していた)、 Pip Pyle (ds、Gongの元メンバー)、Richard Sinclair (b, vo、Caravanの元メンバー)、Dave Stewart (kbd、 Matching Mole と Caravanの元メンバー)。もともとは、Steve Miller がキーボードとして参加していたのだが( Phil Miller の兄弟とのこと)、レコーディング時にはこのメンバーになっていた。
 ジャズ的というか、インスト中心の演奏で、流れるような感じ、特にエレキ・ピアノが印象的。印象的な歌曲があるわけではないし、曲も独立していなくて組み曲風に演奏される。 Sinclair の声も(悪くはないが)特徴的なところがないため、大衆に受ける要素は皆無といってよい。かくいう自分も、出だしから聴けば Hatfield と判るが、一部を切り離して聞かされると『どっかで聴いたような音楽だなぁ』と思う程度、一度テレビのニュースの音楽で彼らの音楽が流れたときがそうだった。
 4曲目の Calyx は Wyatt の声が充分に聴ける佳曲、素晴らしい出来。Wyatt のアルバムにも収録されている。The Northettes という女性コーラス隊も活躍しており、そのうちの Barbara Gaskin はその後 Dave Stewart と長い活動を行うことになる。
 とういことで、何度も聴いているとスルメのように芳醇な(?)風味が口いっぱいに広がります、などと適当なことを書いているが、事実その通りで、美声や覚え易いメロディーがある訳ではないので聴きこまないと良さが判らないところがある、その割には、読書のBGM としても良く使ってはいるのだが。

 来週は、お盆。もともと旧暦の7月15日を盂蘭盆とよんで、祖先供養したもの。一般的な8月13日から15日というのに根拠はないらしい。まぁ、8月には祝日がなく、くそ暑い中働いても生産性が上がる訳もなかろう、ということでお盆が定着したのではないかと思うのだが。うちも初盆ということで、対象となれば面倒なことではある。
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by ay0626 | 2013-08-11 15:46 | rock

ブログの内容 ちょっと変更 +シンキング・プレイグ (2)

 この頃はとんと音楽を聴かなくなって、本を読んだりゲームをしたり。こんな気分の波は時々あって、一昨年から去年にかけては、本を殆ど読まなかった、そんな訳で音楽は熱心に聴いていたのだろうと思う。まあ、そのうち気分も変わろうというもの、今興味のあることを綴っていけばよい。ということで、音楽の話題はこれから少なめに、1回に1枚程度、これも気分次第ということで。

a0248963_16161363.jpg 幡大介さんの『猫間地獄のわらべ歌』を読む。本格ミステリ・ベスト10の十何位かということで、本屋で見かけて衝動的に購入したもの。ドラクエ7のお陰で、ずっと積読状態であったものが解消された。幡さんはもともと時代小説畑の人で、近頃よくある文庫書き下ろしシリーズを何本も抱えた量産作家のようだ。文章も読み易いが若干垂れ流し的ではある。本書は、連作的な構成になっており、猫間藩の江戸屋敷と本国の話が平行した構成となっている。本格ミステリのパロディーなのは、メタ的な会話が随所に鏤められていることでも明らか。
 【ネタバレあり】2章と3章で語られる「わらべ歌」の顛末、最初の女殺しとその亭主の狼藉が偶発事件であることが明白なため、3人目(江戸屋敷の事件を除く)以降の被害者が「首がない」ことだけで、事件の構造が見え見え。しかし、その割には地の文に「犯人」と思しき人物の心情が、犯人であったらそうは書かないよね、というような文章であるため、「自分が思った推理、ちょっと違うのかも」と思ってしまった。この視点の問題は、ミステリ・プロパーの作家さんだともう少し丁寧に書いたかも。
 4章の館モノのトリックは直ぐに判ったが、5章の性別誤認トリックには吃驚した。196頁の描写が伏線になっていたりして(ホモネタが随所にあるので「これもそのひとつか」と思わせるのがミソ)、先ず先ず満足のいく作品ではあった。特に259頁からのメタ部分、忠臣蔵の四十七士の見方については感心するところしきりで、自分も「老人一人殺すために47人で押し入り斬り殺すなど卑怯千万」と思っていたので、こういう考えもあるのだと変に納得したのである。もともと農耕民族的なところは自分には合わないので(啄木や「絆」のことでも書いたとおり)。
 ちょっと気に喰わないのは、最初の江戸屋敷での死人発生時点で、側室の罪状が明らかにならない積極的な理由がないこと、本国の事件と江戸屋敷での事件が独立して発生していること(江戸、本国で連絡を取り合った形跡がない)の2点。もうちょっと詰めれば凄い傑作になったのかも知れない、残念。【ネタバレおわり】
 こういう作品も偶にはいいですねえ。
 大坪砂男全集4『零人』も出たし、まだまだ積読本は山ほど。

 ゲームは、『逆転検事』を終え、現在は『逆転検事2』へ。やっぱり、携帯ゲーム機には、こうした推理ものよりもRPGの方が似合いのよう。なかなか前に進まない、現実と異なり過ぎるためか、その割には「時効」のように現実的なことが問題になるときがあるし・・・、やり出したのでやってしまおう、とは思っています。9月になれば『エルミナージュ ゴシック』が出るし(PSP版は評判が非常に悪い、その点改善してくれると信じて)、10月には『ポケモンX・Y』が出る。また猿に成り下がるのは目に見えている。

a0248963_16163492.jpg さて、音楽のほうは、Thinking Plague の In Extremis、1998年の作品。前作の In This Life が1989年の作品だったので、ほぼ10年振り、その後も忘れた頃に作品を発表していく。
 メンバーは、Mike Johnson (g, syn)、David Kerman (ds, perc)、Mark Harris (sax, cl, fl)、Deborah Perry (vo)、Dave Willey (b, accordion)、Shane Hotle (p, syn)、Bob Drake (b, vln, vo)、前作と殆ど変わっていないので、音楽の中身も驚くほど変わっていない。ややロック的なところが強調され、音も厚みを増したか。相も変らぬ変拍子の複雑なリズムとアンサンブルの連続で、初めて聴いたときは、「古き良きRIO」などと思ったものだ、そういう意味では今こんな音楽をやっている人たちは極端に少ないに違いない。5UU’s の Dave Kerman が参加、Bob Drake はミュージシャンとしての参加は本作が最後。ベースの Dave Willey は、Hamster Theatre のリーダーでもあり、Drake に替わって本作から Thinking Plague の重要な一角を担う、作曲面でも力のある人。
 ボーカルの Deborah Perry は、Susanne Lewis のようなロリ声、気だるいような奇妙な雰囲気を持った人で、Dave Kerman の一人バンドになった5UU's にも参加。西海岸レコメンの人脈は相当に入り乱れている。
 佳作の並ぶ本作の中でも、3曲目は King Crimson の Lark's Tongues in Aspic Part Ⅱのフレーズが聴こえる、Drake がリード・ボーカルを取る印象深い作品。

 暑い日には、パチンコ屋で避暑ですか、昼寝ばかりですか、そうですか。おっと8月末には Weather Report の未発表ライブが出るとのこと、Jaco・Peter 期というのが若干残念ではあるが(仕方ない、Peter Erskine が編集したということなので)、それでも楽しみ。
 多分、『エルミナージュ』が出たら、矢野徹さんを見習って、このブログも『エルミナージュ日記』にしようか知らん。多分、そこまでマメではないので続かないだろうなぁ。
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by ay0626 | 2013-08-04 15:59 | rock

大人のロック、洗練された音、歌 ロキシー・ミュージック (2)

 参議院選挙も大方の予想通りの結果に終わった。唯一の原発再稼動政党である自民党が大勝したのに、まだ新聞は原発再稼動を認めないらしい、民意民意と煩いのに、民意が明らかになるとそれは「本当の民意とは認め難い」という論調が大半だ。そもそも、原発の立地している場所では「早く再稼動してくれ」という意見が圧倒的に多いのは事実、再稼動がなければ生活が立ち行かなくなるからだ。周辺はどうかといえば、これが大反対、勿論原発の経済的恩恵に浴せないだけでなく、事故があれば迷惑は直ぐに及ぶ、福島の例を見ずとも明らかなこと。火力発電のためのエネルギー輸入で、貿易赤字も垂れ流して、輸入インフレでデフレを脱却しても、貧乏人がますます貧乏になる結果しか生まないことは、ちょっと考えれば誰にでも判るであろう。
 そういえば、東京で俳優候補が60万票以上獲得して当選してしまうということがあった。原発ネタ一本で、科学的根拠に欠ける話をアジリにアジって、新左翼(何十年も前に出来たのに未だに「新」とはこれ如何)の支援を受けていることまで明らかなのに、60万人以上の投票者がいるなど驚きである。衆愚政治と貶めるのは簡単だが、民意なんてそんなものかも知れない。
 菅ちゃん鳩ちゃんも切れない民主党は完全に退場だし、全く今の世の中に不必要な「生活の党」だの「緑の風」だの「社民党」だのは消滅ないし消滅目前、当然といったところだろう。小沢某、今度は共産党とでも組めばどうか。

 ドラクエ7が終わったので、ちょっとは読書を。西澤保彦さんの『ぬいぐるみ警部の帰還』。ユーモア推理とあるが、ユーモアは少なめ、いつもの西澤流変人オンパレード。「サイクル・キッズ・リターン」、「類似の伝言」、「レイディ・イン・ブラック」の被害者はどれも西澤さんの作品によく出てくる「思い込み激しい型粘着質」の典型で、暗い『彼女はもういない』の犯人のお仲間さん。そうした人たちが、その性格通りの行動を取ることで、犯罪が発生する、殺されるまでのことは誰もしてないが。それにしても、女性陣の現実性(「誘拐の裏手」のお二人を除く)と見事対をなしている。西澤さんの作品では特によいという訳ではないが、サクッと読めました。

 ということで、久しぶりに Roxy Music 。1975年に一旦解散するが、78年に再結成。初期のとっちらかった溌剌さは全くなくなって、洗練された大人の音楽に・・・といえば聴こえはいいが、どちらかといえばよく出来た歌謡曲っぽくなってしまいました、とも感じる。しかし、車の中で Avalon はよく聴いたなぁ。

a0248963_1654122.jpg 1979年、Manifesto 。この言葉も良く聴くようになりましたね、民主党さんはこれで大コケしました。マネキンと本物の人間が大勢写る洒落たジャケット。音楽も相当洗練され、スタジオ・ミュージシャンを集めてやるのと変わらない。メンバーは、Bryan Ferry、Andy Mackay、Phil Manzanera が中心。ドラムは、Paul Thompson であったが、腕の故障で後に交替する。
 全英チャートで7位までいったようだが、自分にとっては非常に印象の薄いアルバム。初期の輝く感じが消えて落ち着いたポップに変化していく過程、音楽には弾けたところがないとなぁ、なんて思う。もっとも、このアルバムを購入したのはほんの4~5年前、一所懸命聴く訳もない。

a0248963_1662582.jpg 1980年、Flesh and Blood 。全英チャート1位に輝く。何といってもジャケットが良い、Roxy の派手目、エッチ目な名ジャケット群にあっても、このセンスは凄いとしかいいようがない。表ジャケットはお姐さん2人しか写ってないが、裏を返せばもう一人、勿論槍が3本写っているから3人いるのかなあ、というのは判る仕組みになっている。これらのジャケット写真は多分 Ferry さんの趣味、そういえば Siren のモデルさんは当時 Ferry さんの彼女だったが、後に Rolling Stones の Mick Jagger のお嫁さんになってしまうのである、よくある系統の話。このアルバムもそう熱心に聴いた訳でもなく、楽曲でも Same Old Scene (映画 Times Square で使用されたとか)が若干印象に残るくらい。全英1位になったのだから、聴き込めばそれなりによいのだろうが、今更ねぇ。

a0248963_1665064.jpg 1982年、Avalon 、大傑作アルバム。このアルバムは出て直ぐに聴いて(どういう経緯でかは忘れたが)、テープに取って(だから多分、貸しレコード屋で借りてきたのだろう)、車の中で流していた。今ほどアーサー王伝説が有名でなく、Avalon って鮑のことか、それにしてはスペルが違うよな、などと呟いていたのを思い出す。勿論、Avalon とは島の名前で林檎で名高い楽園、アーサー王の終焉の地。
 最初の More Than This から絶好調で Avalon など何度聴いても良い。スタジオ・ミュージシャン中心の上手いけれど、歌伴奏そのものの演奏で、別に個々のミュージシャンの名前が気になるということはない。歌が聴ければそれでよいなら、またのめり込んで聴くわけでもなければ、気持ちのよい音。「大人の音楽」は真剣に聴いちゃあいけない、BGMとして、品良く流れて他事を邪魔しないものが一番良いのかも。

a0248963_1671126.jpg 1990年、1982年のツアーの模様を収めた Heart Still Beating がリリースされる。このアルバムには、1981年に John Lennon 追悼のためにシングルで発売された Jealous Guy が収められている。Lennon は1980年12月に殺されたのだが、当時も今も Beatles には全く興味がなくて「あ、そう」という感じだったが、世間ではかなりの騒ぎになっていた。この Jealous Guy は多分最初のソロ・アルバムに収録されていた作品、中学の頃、友人に洋楽好きの奴がいて(多分そいつの兄が好きだったのだろう)、良く鼻歌でこの曲を歌っていた。Jealous Guy が「嫉妬深い男」ということも知らずに。メロディーは確かに良いとは思うが、やはり Mother のほうが好きかな。

 学生諸君は夏休みか。会社でも予算の見直しが始まって、忙しい部署はこのクソ暑い中ごくろうさんなことだが、自分の部署はそうでもない。取れるうちに休暇を取ろうか、とってもやることないしなぁ。
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by ay0626 | 2013-07-27 14:49 | rock

忍び寄るファンクの影 マグマ (4)

 今日は朝から曇り空、気温は高くないものの湿度が高いせいか若干蒸し暑い。前から気になっていた和室の障子、昨年台風の時にどういうわけかサッシの内側まで雨が入り込んで、濡れたところが染みになって一部は剥がれ掛けていた。気になりつつも面倒なのでずっとそのままにしていたのだが、思い立って張り替えることにした。紙を破って(破壊することは楽しいことらしい、この歳になっても障子紙に手を突っ込んで穴を開けるのは若干気持ちがよい、子供がしてみたくなるのも当然か)、桟を洗い乾かしたあとで糊を付け、皺にならぬように紙を張ってゆく、ほんの1時間少々の時間なのだが中腰で作業していると汗が出てくる、こんな作業で汗を出すとは歳を取ったものだ。芒種も過ぎ、麦も収穫時期の黄金色、本格的な雨の季節に入っていく。

 前にも書いたが、この頃は音楽を聴くより本を読む時間の方が多くなった。音楽を聴きながらでも本は読めるが(日本語の歌が入っていると気になって読書の邪魔になるが)、音楽が流れていたという印象は残っても、どんな音楽だったのか、までは記憶に残らない。そんなことならいっそ読書のみにして、音楽を掛けないようになった。

 今回の読書報告は西澤保彦さんの『いつか、ふたりは二匹』、2004年に発表された作品がやっと文庫化されたので読もうと思った。本作品は、講談社の「ミステリーランド」という叢書の中の1冊として刊行されたもの、この叢書、豪く立派な装丁で値段も2,000円ほど、しかし中身はジュブナイル(子供向け作品)という、ちょっと捻くれている。「新本格」で当りを取った有名編集者が、自分が世に送り出した作家を集め書かせてそれなりの評判を取った。自分は「わざわざジュブナイルなんか読みたくない」ということで(何かあざとい感じがしていたのも確か)、唯一西澤さんの作品で読んでいなかった。
 感想を一言でいえば、「いつもの西澤作品」、ジュブナイルだからどうということはなく、しかし初出時に2,000円も出して購入していたら、ちょっとがっくりしたとは思う。【ネタバレ】異常な性格の少女襲撃犯も、友達が死んでも自分の世界の方が大事な忍坂という女の子も、子供のくせに老人の雰囲気を纏う主人公も、似たような人物は西澤作品のあちこちに登場している。「ピーター」の正体にしても、ジュブナイルとはいえ、余りに早い段階で見当が付く、最後の場面では、この二人どんな関係をこれから育んでいくのだろう、とは思わせるが。最後に「ジェニー」が死ぬのも西澤さんの作品であれば、多分そうだろうとは予想の範疇。【ネタバレ終わり】面白くなかった訳ではないが、文庫化まで待って正解か。

 引き続き、『悪夢百一夜』を読んでいる。短編集なので、途中他の作家の作品も読むことにした。現在は深木章子さんの『衣更月家の一族』を読んでいる、なかなか面白い、プロローグとそれに続く独立したように見える3つのエピソードはどんな風に繋がっていくのだろう。感想は後日。

 音楽は、Heldon からの繋がりで、Magma の4回目、1976年の作品。徐々にファンクの影響が現れ始めた頃。しかし、何ですな、Magma を聴くと若干草臥れる感じがする、長い上に強迫的だからか。Christian Vander は60歳半ばにしてまだこんな音楽やっている、頭が下がる思いです(好きこそものの上手なれ、ちょっと違うか)。

a0248963_1738534.jpg 1976年のスタジオ録音作品が Üdü Ẁüdü。メンバーは曲ごとに異なっているが、Christian Vander、Klaus Blasquiz、Jannick "Janik" Top の3名が中心、Stella Vander は1曲目と7曲目(この曲はCD化の際にボーナスとして加えられたもの、後年 Ëmëhntëhtt-Rê の一部となる)のみ参加。2曲目のベースは Bernard Paganotti、この曲には Heldon でもキーボードを担当する Patrick Gauthier が加わっている。
 明るいパーカッションに先導されてファンク色を濃厚にした表題曲から5曲目までは、何れも3~4分程度の Magma としては短い曲が並び、変化を感じさせる。4曲目(Soleil d'Ork 、Janik の曲)を除き、曲調も今までになく明るい感じで、この頃ジャズの多くのミュージシャンがファンクの影響下にあった(Miles、Herbie Hancock、Ornette Coleman などなど)ことを考えれば、似たようなものかも知れない。
 しかし、6曲目の De Futura (LPでは B 面全部を占める)は、今までの Magma そのもので Christian Vander、Klaus Blasquiz、Jannick "Janik" Top の3人で繰り広げる強迫リズム爆走曲、最初のうちはシンセの音が飛び交うようなところがないわけではないが、後半は Top のベースが炸裂し捲くり、何とも腹にもたれそうな重厚な音楽(褒め言葉です!お間違えなきよう)。彼らの曲では最も有名な曲のひとつ、これを聴くためにこのアルバムを購入する訳。

a0248963_1739649.jpg 1976年3月のライブが Concert 1976 - Opéra De Reims、なんと3枚組、160分になんなんとする録音時間の大作。海賊盤対策でリリースされた AKT シリーズの中の1作。録音状態はまあまあ良いが、時々バランスが悪くなる(特に1枚目 De Futura のボーカルとギターが入るところなど、突然音が大きくなって驚く、他にも何箇所かそんなところがある)ほか、3枚目 Mekanïk Destruktïw Kommandöh、Didier Lockwood のソロが素晴らしく、これから行くところまで行っちゃうよ!!!と力の入ったところで、突然テープ切れになってしまうところなど、正規盤としてはどうかというところはあるが、まぁ許せる範囲か。
 この時のメンバーはかなり大所帯、Bernard Paganotti (b)、Christian Vander (ds, vo)、Gabriel Federow (g)、Benoît Widemann (kbd)、 Patrick Gauthier (kbd)、Didier Lockwood (vln)、Stella Vander (vo)、Klaus Blasquiz (vo, perc) の8人体制、Vander 尊師の下、緊密なアンサンブルを聴かせる。ギターとバイオリンが頑張っている、どの曲も纏まっていて、この頃の彼らの活動の充実振りが判る録音。

 来週は、社会保険関係の団体の会議や歓迎会、送別会など外で食事をする日が多い、必然的に帰りが遅くなる訳で、読書も一休みか。生活するのに労働は当然で、頑張って働きます、来週も。
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by ay0626 | 2013-06-09 16:04 | rock

頭でっかちのイカレ・フレンチ・ギター エルドン

 雨が降らないと思っていたら、昨日夕方おどろおどろしく雷鳴が轟き強烈な雨、しかしそれも長くは続かず今日は晴れやかな天気、関東では早くもダムの貯水量が平年の7割程に減っているという。梅雨入り宣言が早過ぎたと気象庁は悔やんでいるかも。

 先週に続き今週もライブへ足を運ぶ。Richard Pinhas が来日、彼のグループ(というか初期はセッション・ミュージシャンを加えたソロ作品に近いが)Heldon は20年以上前から聴いているので、今どんな音を出しているのだろうかと興味があった。ライブでは、吉田達也(ds)、小埜涼子(as) が共演。
 先ずは、サックス・ルインズのオープニング・アクト、何度聴いても吉田さんのドラムには唸る他はない。サックスとのデュオなのだが、ドラムがメロディーを奏でるような感じで、インプロかと思うくらい(サックスとの合わせ方を見ていると作曲されているらしい)自由自在。よくもまあ、あれだけ複雑なリズムを叩き出すものだと感心しきり、ただやはりあの手の音楽は、メロディー楽器そのもののサックスよりも、ゴリゴリとした音のエレキ・ベースのほうが合っている、やはり本家のルインズの方が正解のようだ。20分5~6曲でサックス・ルインズの演奏は終了、10分ほどの休憩を挟み、いよいよ Pinhas 御大が登場。
 Richard Pinhas は1951年生まれ、今年62歳になる。髪はフサフサ、がっちりした体格だがそれほど大きくはない、あまり老けた感じもない、昔の写真とそう違いはない。哲学を学んだという経歴を知っているせいか、何か頭の良さそうな(事実頭のデカイ人ではあった)雰囲気を持っている。活動は70年代半ばから、ということで、自分もそうだが聴きに来ている客の多くが40後半~50歳台、多分高校や中学(ませたガキだ!)の頃、プログレに取り憑かれて未だそれを引き摺っているオジサン(一部オバサン)が集合しましたという感じ、前の週に行ったマタハリ!オールスターズに比べれば客の入りは悪く、30人程といったところか。
 先ずはソロで演奏が開始される。シーケンサーで背景音を作り、それに次々に新しいフレーズを加えていく、段々混沌とした雰囲気になって行く。Pinhas を聴きに行くということで、予習をしようと思い Heldon の初期3枚のアルバムを通勤時間に聴いたが、今回の演奏40年前の音とそんなに違いがないように思えた、音に対する拘りが強いのか、それとも進歩がないのか。15分ほどソロでの演奏が続き、吉田さんのドラムが加わる。このドラム、サックス・ルインズの演奏と全く異なり、強い推進力を持ったロック・ドラムそのものの演奏、吉田さんの演奏家としての凄さが判る。ドラムが加わった後、10分ほどで演奏は終了。
 続く第3部は、小埜さんも加わったトリオでの演奏、小埜さんはフルートに持ち替え、Pinhas の幻想的な音にはフルートが良く似合う、吉田さんのドラムや Pinhas のギターに張り合う堂々とした演奏。途中、アルトサックスに持ち替えるが、サックスのフリーキーな演奏はありきたりな感じで、10分ほどで再度フルートに持ち替えたのは正解、あとはずっとフルートでの演奏、トリオでは約50分ほど。アンコールは、Pinhas のソロ、10分程か、ギターを演奏する時間と同じくらい機材をいじっているように思えるほどエフェクトに気を遣っている、昔から初期 Heldon は「頭でっかち」の演奏だと思っていたが、今でも「頭でっかち」のまま、それでも充分に満足できるライブであった。

 ライブの予習のため、引っ張り出してきた初期 Heldon 作品。5作目以降のずっしりと来る傑作群に比べれば、実験的な(といっても当時はよくあった「実験」なのだが)エフェクトを掛けたギター(かどうかも判らないような音)のロング・トーンが響く、そんな音楽。

a0248963_17335516.jpg デビュー・アルバムは、1974年の Electronique Guérilla 。1968年には、有名な「パリ5月革命」が発生、フランス人はこうした革命に熱狂するらしく、この時も1,000万人がゼネストを行うなど、フランス全土を巻き込んだ大騒ぎ、若き日の Pinhas 君もさぞや若き血を滾らせたであろう。それで Guérilla などという言葉をデビュー・アルバムの題名に入れたのに違いない。
 King Crimson の Robert Fripp に影響を受けているのは有名で、Fripp のロング・トーンに似せたフレーズがあちこちに見え隠れする。Fripp は 1973年に Eno との共作で No Pussyfooting というアルバムを作成しており、Pinhas はこれに相当の影響を受けている。特に3曲目の Northernland Lady という曲の引き摺るようなウネウネとしたギターは、もろに Fripp の音。Fripp & Eno にはお金があって録音機材もよいものが使えたが、Heldon には金がなかった。従って、録音は良くないし、全体的に安っぽい感じになって、とても佳作とは呼べない。
 殆どが Pinhas のソロ演奏(オーバー・ダブは行われているが)、1曲のみドラムやベースの入ったバンド演奏となっている。Magma にも在籍したキーボード奏者 Patrick Gauthier はこの時からの付き合い。

a0248963_17341533.jpg 2作目 Allez Teia 、Georges Grunblatt (Syn, mellotron, tape) との共作、1975年。1曲目の題名が笑いを誘う、In the Wake of King Fripp、Crimson の1作目2作目の題名を混ぜたものに Fripp 閣下の名前をぶち込んだもの、ここまでオマージュ捧げるのも天晴れといったところか。3曲目の Omar Diop Blondin は、Fripp & Eno に献呈されている。不安定なメロトロンの音が当時の流行で、74年といえば Crimson 作品では Red の頃、Starless という名曲には見事にメロトロンが使われていて、このアルバムでもそれがやりたかったのかも知れない。このアルバム、よく売れたという話もあるが、本家の Fripp & Eno の傑作 Evening Star に比べれば冗長な感じ、特に12分を超える5曲目( Fluence )などは音の垂れ流し。
 ジャケット写真はどんな意味があるのだろう、走り逃げる若い男を警棒を持った警官(?)が追いかけている、多分5月革命ではよく見られた場面だったのかも。哲学を学ぶものにとって、5月革命はどう見えたのだろう。

a0248963_17343652.jpg 3作目1975年、It's always Rock'n Roll、LP2枚組の大作。ドラマーとキーボード・プレイヤーが数曲に加わるが、殆ど Pinhas のソロといってよい。題名は唯の皮肉といったところか。
 Eno が創始したアンビエント・ミュージックの典型、フワフワと雰囲気のみの音楽。特にLPの片面を占める Aurore などその典型で、ある意味お昼寝には持ってこいの音楽といえるかも知れない(時にはドラムとベースが入った Mechammment Rock といったロック的な曲もあるけれど)。1曲目の ICS Machinique からピコピコ音が前面に、コンピュータ・ミュージック候。頭でっかちの Fripp 狂いが到達した最初の高みといってよいかも知れない、やはり70年代中盤の典型的な音楽、前2作に比べればそれなりに聴けます、そんなに好きじゃないけど。Heldon のアルバムは、全てアメリカの Cuneiforn Record から復刻された。 Allez Teia は1992年、本作とデビュー作は2枚組として1993年にやっと CDとなったのである。

 暑くなってきた。まだ夜は気温が下がる分、寝苦しいということはないのだが、もう直ぐのエアコンのお世話になりそう。読書の報告は明日にでも。
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by ay0626 | 2013-06-08 15:45 | rock

復活後はホラー・テイストのBGM ユニヴェル・ゼロ (3)

 もう6月に突入、月日の流れるのが早い。5月の終わり頃には梅雨入り宣言が出て、今年は早いなぁと思っていたら、2~3日ぐずついたがその後は本格的な雨は降らず、走り梅雨だったのかと思う。旧暦でいえば未だ4月も末の4日(つまりは24日)で、そのことを知れば「五月晴れ」が今の5月の爽やかな晴れの日をいうのではなく、本来は梅雨の間に時折ある晴れた日のことを指すのが判る。湿度はそれなりにあるが、お天道さまが顔を覗かせなければ気温が耐え切れないほど上がるわけでもなく、夜も薄手の布団を被らないとちょっと寒い感じがする。直ぐ暑くなってくるのだろう、近年はクール・ビズが定着して首辺りは涼しくなったが、部屋全体は温度高め。昔ほど暑がりではなくなってきたので(エアコンの人工的な冷却が体に堪えるようになってきたのかも)これはこれで良いのだろう。

 この何日か、『逆転検事』で時間を潰し、昨日目出度くクリアした。『逆転裁判』の1~3はそれこそゲーム史上に残る傑作で自分もいい年こいて熱心にやったものだが、4はちょっとどうかの出来だった。この作品は過去作の人物を全面に出して、逃げかけたファンを連れ戻そうという意図が見え見え。ストーリーもコメディー調で一本道のため難易度も低め、特に最終話は犯人が確定した後で引っ張り捲くるものだからくどい印象のみが残った。本作は期待外れの感が否めないが、『逆転検事2』は評判がよいみたいだから、やってみようかという気にはなっている。CD のコレクションでもそうだが、シリーズものには滅法弱く、シリーズ(同一ミュージシャンと言い換えても同じ)の作品だとどんな駄作でも手を出してしまうところがある。今度発売が予定されている『逆転裁判5』も購入するとなると 3DS も手に入れなければ、やや出費が嵩む、ポケモンXYも出るしなぁ、50過ぎのオッサンのブログにしちゃあ余りに程度が低い。

 久しぶりに本屋に行った。西澤保彦さんの『いつか、ふたりは二匹』が文庫化されたのを西澤さんのホーム・ページ(といってもファンの方が運営しているのだが)の掲示板で知ったため。ついでに井沢元彦さんの『逆転の日本史』18巻と19巻も購入、積読本が大量に発生しそうな予感、『悪夢百一夜』と平行して読み進めることとしよう。

 さて、死んでいた Univers Zero が復活したのが1999年のこと。ここからのアルバムはリアル・タイムで(つまりは新譜として)聴くことになる。残念ながら、セッション・アルバム風で85年までの Zero のイメージとは若干異なっていたが。

a0248963_19223937.jpg The Hard Quest 、1999年。アメリカの Cuneiform レーベルから、85年までの全作品を CD化していたのがこのレーベル、その繋がりから新作も出せたのだろう。録音メンバーは、Michel Berckman (bassoon, oboe, English horn, melodica, p[8,9])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, melodica, vo[5])、Dirk Descheemaeker (cl, b-cl)、Igor Semenoff (vln)、Reginald Trigaux (b, vo[10], a-g[10])、他に1曲のみハーモニウム奏者が加わる。
 Berckman と Descheemaeker の2人が加わったメンバー構成は初めて。Denis がドラムよりもキーボードに力を入れているのも今までの Univers Zero とは異なる。特に Uzed 以降の Zero はロック的な推進力や力強さが前面に出ていたので、このアルバムを聴いたときは「?」が頭の中に浮かび、「ホラー・テイストのBGMみたいだ」と思った次第。音も綺麗で、クラッシク風という感じ、ロックとは最早呼べないものになっている。曲は短いものが多いが(それ故軽い感じがするところもある)、10曲目の Xenantaya は緊張感のある10分を超える素晴らしい作品、本作中の白眉。自分の持っているのは日本盤(ディスク・ユニオン)で最後の曲はボーナス。
 時代が変わったのはベースが、初代ギタリストの息子になっていること(Reginald Trigaux、Present の紹介のときに書きましたね、変態親子)。Zero のデビューからもう20年以上の時間が経過している。

a0248963_1923127.jpg Rhythmix 、2002年。録音メンバーは、Michel Berckmans (bassoon, oboe, English horn, vo)、Aurelia Boven (cello[1,5,9])、Ariane De Bievre (fl, piccolo[2])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, harmonium)、Dirk Descheemaeker (bcl[7])、Bart Maris (tp[6,10,12])、Eric Plantain (b)、Christophe Pons (a-g[1,3,5])、Bart Quartier (marimba, glockenspiel)、Louison Renault (accordion[1])。全てのセッションに加わるメンバーは少数で、殆ど Denis が曲ごとに必要な楽器を集めたという感じ。前作を受け継いでおり、ロックというよりも現代音楽、バルトークやストラビンスキーを思い浮かべる。10曲目の Emotions Galactiques(Galactical Emotions)、12曲目の The Fly-Toxmen's Land などアンサンブルにトランペットが加わり、非常に面白い出来。
 ロック色が薄くなって、特に Uzed 以降の荒々しい感じがなくなり、彼らの魅力が減じたように思う。これ以降の作品もセッション的な雰囲気の作品が多い。

 陽が随分と長くなった、暑くなるのももう直ぐ。夜は短くなるがせいぜい読書に励みましょう、積読の冊数を減らすために。
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by ay0626 | 2013-06-02 16:54 | rock

変拍子フォークからオルタナティブ・ロックへ ストーミー・シックス (2)

 ちょっと前になるが、東京都の猪●知事がイスラムを批判し、それが五輪立候補地のイスタンブールを批判したことになるという騒ぎがあった。つい最近は大阪の橋●市長が慰安婦や風俗(売春)を肯定するような発言があって物議を醸し出した。
 冷静に考えてみれば、イスラム教は例えばイラクではシーア派とスンニー派が血で血を洗うようなテロ合戦をしているし、シリアの内戦だって少数のアラウィー派が権力にしがみ付くためにやっているようなもの、猪●知事野いう通り「共通なのはアラーの神様」のみというのは的を射た発言ということになる。軍隊は年寄りには所詮無理な職業で殆どが血気盛んな若者で成り立っている、また戦場で殺し殺されるような極限状況にいれば変に性欲が刺激されることもあろう。そんな人たちに禁欲を貫けという方がどだい無理な話。市街戦になって敵国女性を強姦などされると困るから(昔は勝てば官軍、負ければ泣き寝入りだが、今の世の中情報手段が発達したせいで隠し通せるものではない、隠せないと非難轟々)、そうした性的エネルギーを管理するためには慰安婦という名の売春組織が必要なのは当然、橋●市長の発言は真っ当なものだということが判ろうというもの。しかし、それを文脈の中で理解しようとせず、片言隻句を捉え「宗教批判」だの「慰安婦肯定・売春肯定」みたいにいわれてしまっては何もいうなということと同じ、報道の暴力というか偏向ここに極まったか。
 猪●知事のツイッターでの「誰が敵で誰が味方か判った」という発言や橋●市長の「もう正式記者会見以外は受けない」という発言もその通りと思う。何も「慰安婦」を貶めている訳ではなく、イスラムを批判している訳ではないだろうに。まぁ、オリンピックの東京開催には反対なので、これで東京開催がなくなればそれはそれで良かったかも。そういえば、84年に冬季オリンピックが開催されたボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボは、イスラム(ムスリム)の人が多く住む町であった。その後90年代にはセルビアが攻め込み、市街戦が展開され多くの人々が命を落とし、オリンピック開会式が行われた会場は墓で埋め尽くされていると聞く。平和の祭典がかの地で行われたことを考えれば、チトーの偽りのコスモポリタニズムの方がずっと正しかったということか。

 『逆転検事』は初めの2話はやり終えたが、今ひとつ面白みに欠ける。出張を挟んだということもあって、ちょっと放ってある状態、そのうち片付けようとは思っている。本は、深木章子さんの作品と共に花輪莞爾さんの『悪夢百一夜』という厚い短編集(なんと1,300頁を超える!)を買ってぼちぼち読み進めている。大坪砂男全集の2巻はあと数編を残すのみ。読書はそれなりにこなしております。

 ということで、今回は Stormy Six の2回目。RIOの諸バンドとの交流も深まり、変拍子度が高まっていく70年代後半から80年代初頭にかけての3枚。イタリア盤も英語表記一切なしでちょっと困る。

a0248963_1858159.jpg L'apprendista (見習い、日本盤では「修行時代」という題名が付いていた)、1977年。録音メンバーは、Giorgio Albani (sound technician)、Carlo de Martini (vln, vla, mandolin, a-g, vo)、Franco Fabbri (vo, a&e-g, vib, xylophone)、Umberto Fiori (vo, a-g)、Salvatore Garau (ds)、Tommaso Leddi (mandolin, vln, a&e-g, p)、Luca Piscicelli (b, vo)、その他サックスやファゴット、弦楽器などのゲストが参加。サウンド担当がクレジットされ、ベースが Pino Martini から交替している。
 アコースティク主体のサウンドでフォークの風情を充分に残すが、リズムは変拍子がかなり取り入れられ、アバンギャルドな雰囲気が強く出るようになってきている。歌が中心ということで、メロディーラインがはっきりしていることと、アレンジがきっちりとなされているところが聴き易さに繋がっているか。アンサンブルの纏まりも彼らの作品の中一番と思う。Carlo de Martini は本作を最後にグループを抜けるが、彼のバイオリンやマンドリン演奏が相当の核になっているように思う。スピード感はそれほどなく、まったりした感じ(Fiori 氏の歌声を含めて)が彼らの持ち味で、ちょっと頑張っちゃった感の強い Macchina Maccheronica やそれまでの演奏とは趣の異なる Al Volo よりもずっと Stormy Six らしい作品といえるのではないか。

a0248963_18581813.jpg Macchina Maccheronica (マッケロニカ(意味不明)の神)、1980年。RIOの思想的中心になった頃の作品、管や弦を多用しエレキ・ギターもかなり取り入れ変拍子満載の、正しく RIO という感じのアルバムだが、やはり Fiori 氏のボーカルのせいか、Henry Cow のような研ぎ澄まされたようなシリアスさはなく、どこかユーモアも感じさせる、管楽器で活躍するのがクラリネットやトロンボーンという柔らかな音のためか。前作に比べ、即興的な部分がかなり感じられる。
 録音メンバーは、Tommaso Leddi (mandolin, vln, g, as, organ)、George Born (cello)、Leonard Schiavone (cl, ts)、Franco Fabbri (g, tb, vib)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b)。Henry Cow の Georgie Born とサキソフォン/クラリネット奏者が加わり、他メンバーもサキソフォンやトロンボーンなどを持ち替えており、非常にサウンドは色彩感豊かな作品に仕上がっている。ただし、ちょっと肩に力が入っている感じがあって、好き嫌いでいえば前作の方が好き。

a0248963_18583682.jpg Al Volo (エスペラント語で「意志を持って」の意味か?)、1982年。彼らの現役活動期の最終作品。フォーク的な部分を完全に切り捨て、オルタナティブ・ロックそのもの。管楽器やバイオリンなどの擦弦楽器は一切使わず、ロック・カルテット(ギター・ベース・キーボード・ドラム)+ボーカルという構成、リズム・マシーンやベースへのエフェクトなど今までにされていない試みも。Fiori 氏のボーカルも前作よりシリアス度を増している。前作までとはかなり趣が異なるが、これはこれでカッコよい作品、出来はかなりのもの。
 録音メンバーは、中核が残ったということで Tommaso Leddi (kbd)、Franco Fabbri (g)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b) のクインテット編成。

 いつの間にか立夏を過ぎ、明後日は小満。季節は確実に嫌な夏に近付いている。しかし、今日は曇り空で太陽が照っていなければまだまだ肌寒さを感じることもある。空気も乾燥していて気持ちがよい。
 敗れ放題の網戸も、昨日1枚だけ張り替えた、やってみれば出来るもの。来週も2枚くらい張り替えるとするか、夏になって外で作業するのが嫌にならぬうちに。
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by ay0626 | 2013-05-19 17:59 | rock

おふざけとインプロと技巧 サムラ・ママス・マンナ (2)

 ゴールデン・ウィークも前半終了、明日から3日間また会社、といっても予定が詰まっている訳ではないのでのんびりしたもの。昨日今日とすることがなかったので(ついでに昨日はブログ書くのもサボってしまって)パチンコなんぞやり捲くって運が低迷していることを嫌になるほど認識した、トホホ。

 あんまり、パチンコばかりなのもどうかと思って、久しぶりに土曜日にアマゾンで本とDSゲームを注文、今日パチンコから帰ると荷物は既に到着していた。ゲームは『逆転検事』、本は深木章子さんの『鬼畜の家』。
 『逆転検事』は『逆転裁判』シリーズのスピン・オフ、というか『逆転裁判4』が不評だったため、『逆転裁判』だったか『逆転裁判2』だったかで人気を博した検事「御剣怜侍」を主人公に仕立てた作品。『逆転裁判』は2001年の作品。確か『3』が出て非常に評判が良くて遊んでみようという気になったと記憶しているので多分2004年頃のことではないかと思う。今の3DSの2世代前のハード GBA は、その前の世代の GB に比べ格段に性能が良くなっており、例えばポケモンの『ルビー・サファイア』の後の『エメラルド』という作品なんぞ、よく遊び300時間くらいはやっていたと思う、いいオッサンが馬鹿なことを、と鼻で笑われそうだが、あの作品は遣り込み要素が詰まっていて子供だけにやらせておくには勿体無い、などと思っていたものだ。『逆転裁判』に話を戻すと、これが評判に違わず面白い、ミステリ好きには特に堪らない、トリックなど子供騙しかとも思うが、それでもゲームとして様々な要素が詰め込まれ小説を読むよりは余程考えるためか(小説だと適当に読み飛ばしてしまうこともあるが、ゲームだと一応クリアして行かないと次に進めないのだ)、「クリアした!」という充実感は小説以上のところもあったりした。シナリオの質が落ちた『4』をやって、ちょっと落胆しそこから次の作品には手が出なくなった、そういう意味では小説よりも厳しい世界かも、やはりゲームは価格が高いのでちょっと質が落ちると打撃は大きいようだ。『4』も裁判員制度を見越した要素もあり、見るべきところはあったようにも思うのだが。
 今回『逆転検事』をやってみようという気になったのは、7月に『逆転裁判5』が出るということを知ったため。『4』が2007年の作品だったので、実に6年振りということになる。前作の評判が今ひとつで多分開発陣も気合いが入るであろうことは目に見える、多分よい作品になるだろう。ポケモンの新作をやる前に3DSで何かゲームをしておこうか、ということで『5』を購入することにして、それならと『逆転検事』もやっておきましょうということになった、価格も安く1,700円程度で買える、それじゃあゴールデン・ウィークの暇潰しにということにしたのである。プロローグに当る第1話は先ほど終了したが、それほどの出来ではなかった、クリア報告はまた後ほど。
 本もまた読了後ご報告ということで。

 久しぶりに Zamla Mammas Manna。読み方まで違うのかどうかは判らないけど、グループ名の冒頭の文字が S から Z に変わっている。心境の変化?だとしたらふざけた心境の変化だったりして。

a0248963_18593787.jpga0248963_18595317.jpg Schlagerns mystik / För äldre nybegynnare (ポピュラー音楽の謎 / 歳を取った初心者のために )、1978年。ギターが前作までの Coste Apetrea から Eino Haapala に交替、多分技術的には Apetrea の方が上手いような気がする。
 2枚組アルバムだが、全く傾向の異なる音楽の組み合わせ、何を考えているのだろうコイツら、と思ってしまうような作品、決して貶めている訳ではありません、念のため。旧 LP でいうと A面が子供の声に似せた(変態的)ヴォーカルにアコーディオンやオルガンなどアコースティク楽器で伴奏した小品が並ぶ(8曲!)、B面は17分に及ぶテクニックをこれでもかというまでに見せ付けるジャズ・ロック大曲(これだけの転調とリズム変化、凄まじいというしかありません)、C・D面はインプロ大会、やりたい放題にやってます状態、やや聴くのには疲れる。彼らのやりたい音楽を端的に示して見ました、ともいえる総決算アルバム、特にA面などは例えば Hedningarna や Garmarna などを聴いた後で改めてじっくり聴くと北欧の民族音楽の影響がモロに出ているのが判る。

a0248963_190885.jpg Familjesprickor (家庭のひび割れ)、1980年。ドラムの Hans Bruniusson が抜け(1曲のみ参加)、Vilgot Hansson が後任として加わる。
 内容は、非常に硬派なジャズロック、複雑なリズムや転調を易々とやってのける、彼らの技巧が端的に見えるアルバム、しかし軽さというかユーモアも忘れていないところが Zamla の Zamla たる所以か(特に最初の Five Single Combat など端的、メロディーの軽さとコーラスに目を奪われるが、技巧面の素晴らしさも同時に判ろうというものだ)。80年代になると様々な RIO 関連のバンドが活動を止めたり、作品を発表しなくなっていったりしたが、彼らもこのアルバムを最後に (Von Zamla 名義の作品は数枚残すが)長い休眠期に入る。
 ジャケットの中にこんな言葉が書いてある、「この Zamla のレコードは、変遷期に作られたものだ。勿論こうした(いつものことだが楽観的でも幸せでもない)環境が音楽に影響している。しかし、受け継ぐということの意味は何時だってそんなものだ、貧しかろうが富もうが、両方から影響を受けているのだ。『年老いたばか者は、若いばか者よりもっと馬鹿だ。』ロシュフコーの箴言集」。当時の状況が判るような文章。

 明日からちょっと社会復帰。来月早々には海外出張が控え、やや憂鬱。出張も間近になると憂鬱になってきますね、1か月前はちょっと楽しみだったのだが。
 
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by ay0626 | 2013-04-29 18:27 | rock

変なのは格好と言葉 チャンキショウ

 世の中、ゴールデン・ウィークに突入、海外脱出する者は60万人とか、国内の移動も渋滞、渋滞これ渋滞。休むのが一斉だから混むのも一斉、皆が皆動くことはないだろうに、なぞと思っているのは自分くらいか、特に行きたいところもなければ、やりたいこともない、ボーと過ごすのが一番とパチンコなど2時間ほど弾いて、損をせずとも儲かるまでには至らず、金も掛けず時間を潰せれればこんな良いことはない。仕事は勿論嫌いだが、定年になると時間を持て余すことになるのだろうか、そんなに沢山の趣味がある訳でもなし、そのときになって考えればよいことなのだろう。

 読書も順調に進んでいて、大坪砂男全集の2巻も半分ほど読み進めた。そんなに面白い作品があるわけではないが、読み難いのに慣れたのか、嘖々と読み進められる。感想を書くほどではない。

 過ぎた週は、死んだ父の預金だとか不動産の名義書換に大分時間を取られた。遺産というほどでもないが、その処分はかなり面倒だということを聞いていたのでちょっとは覚悟をしていたのだが、意外にあっさりと出来た。死んだ者の戸籍が某市役所一箇所で揃ったのが大きい、昔の戸籍は戸主が変わると新たに戸籍を作り直していたようで、父親の記載のある戸籍は現代戸籍に至るまで5通に及ぶ。勿論、遺産相続者の確定のために必要ということは判るが、80歳半ばで死んだ者に親や祖父母がいる訳もなく、それを確認するために態々戸籍を全部取る必要なんてあるのか知らん。閉鎖戸籍の取得には1通750円も掛かる、現代戸籍の手数料は450円、従って戸籍一揃えで何と3,450円也。それに加えて住民票だの子供の戸籍だの印鑑証明だので2万円近い額を市役所に納めました、ハイ。銀行さんもそのところは良く判っているようで、確認した後コピーを取って返してくれるのだが、各々の銀行独自の書類なんかもあって、出向いてもその銀行の預金を相続する者本人を連れて来い、など面倒なことを言われる。近頃はマネー・ロンダリングや詐欺などへの対応のせいで本人確認を確実に行わなければならないらしく、これは至って手間が掛かる、年金事務所で「本人がヨイヨイで字も書けなければどうするんだ」と嫌味で聴いてみたら、真顔で「介護証明を持ってきて下さい」と言われた、この世知辛い世の中、トラブルを回避するためには面倒でも何でもマニュアル通りが求められるようで。

 ということでチェコのフェイク・エスニック・バンド、Čankišou 。C や S の上に付いている V みたいな記号はハーチェクというらしく、č は チェとかチャという音を、š はシェとかシャという音を表す、従って「チャンキショウ」とカタカナで綴っては見たが、本当にこの発音で良いかはチェコ人に聞いた訳じゃないから判らない。John Mandeville という人が14世紀に書いたという『東方旅行記』に出て来るエチオピアに住む一本足の民族がチャンキ人、その足は極太で、曲げれば体全体を覆うことができるといった記述があるらしい、アルバム・ジャケットに描かれている人たちがそれ。

a0248963_2023559.jpg Hudba lidu Čanki (チェンキ人の音楽)、2000年。このバンド、1999年にチェコのブルノという街で結成されたよう、グループ名が示すとおり、様々な国や地域の民族音楽を取り込んだロックをやっている。メンバー構成は、Karel Heřman (vo)、Zdeněk Kluka (perc, ds, balafon, accordion)、David Synák (didjeridoo, fl,altosax, sopranosax, baritonesax, perc)、Martin Krajíček (mandolin, g, tenorukulele)、Jan Kluka (djembe , perc, ds)、René Senko (tenorsax, sopranoukulele, perc)、Roman Mrázek (b) という7人編成。中心は Karel Heřman のようで、禿頭に東洋風のゆったりした衣装を纏う、朗々とした歌唱。
 例えば、Besh O Drom や他の民族系のバンドに見られるようなテクニックに走ったところは余りなくて、リズムも変拍子を使うこともなく、アンサンブル重視のサウンド。パーカッションの活躍が目立ち、デジェリドゥやアコーディオン、マンドリンなどの使い方で民族色を出しているが、サックスなどにはジャズの影響も見て取れる。聴き易いといえば聴き易いが、各人のソロなどもう少し前に出しても良いのではと思う。

a0248963_20232193.jpg 2枚目が、Densé Ju (意味不明)、2002年。メンバーは前作と変わらず、チェロやトランペット、ギターなどのゲストが参加しており、前作よりも多彩な感じ。特にトランペットやスティール・ドラムの使用はアクセントが付いてなかなか面白い。4曲目の表題作はモンゴルの民謡のようだ。
 このバンドの歌詞は「チェンキ語」のようで、そういえば慣れ親しんだ(といっても意味は全く不明なのだが)チェコ語の語感とはかなり違う。Magma のような強面の創作言語ではなく、むしろリズムに乗りやすい英語的な感じがするのは自分だけか、彼らの演奏する音楽に似合っている。
 Zdeněk Kluka というミュージシャンだけが単独で Wiki に載っていたので見てみたら、この人1947年生まれでかなりの演奏歴を持つ老人(御歳66歳)。1960年半ばから活動を行い、ロック・バンドでの活動を経て、テレビや劇場の音楽を担当した後、バンドに加わった模様。チェコではそれなりに有名な人のよう。

a0248963_20234344.jpg 3枚目が Gamagaj (意味不明)、2004年。赤を基調としたジャケットがなかなか良い出来、最初のアルバムが緑、2作目が青を基調としていたので今作は赤ということか。ジャケット・ブックに遺跡と人物の彫像の絵と共に何か文章が書いてあるのだが、チェコ語のみで手も足も出ない。音楽的にはコーラスを多用し前作よりもパワーで押す感じの強いアルバム、若干楽曲が似通っており一本調子に聴こえてしまう。パーカッションの Zdeněk 爺さんのヴォーカルが味わい深くて(?)洒落ています。
 前作に次いでチェロで Tara Fuki の Dorota Barová が参加しているが、余り目立った活躍はしていない。他にもゲストは若干加わってはいるが、目立った感じはない。

 近頃は、CD を買っていない。音楽聴くよりも本を読んでいる時間のほうが長いかも。ゴールデン・ウィークのうちに何か長編小説でも読もうか、それともニンテンドーDSで久しぶりにゲームでもやってみようか。
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by ay0626 | 2013-04-27 17:09 | rock

政治的前衛と民族的音楽 アレア (2)

 このところ寝付きが悪くて、そのために布団に入って読書をすることが多くなった。春眠暁を覚えず、というがこれは寝付いてしまった後の話。例えば、寒い頃なら布団に入って温まってヌクヌクする頃眠りは訪れるし、暑ければ空調が程好く効いて、体が乾きひんやりすれば眠気はやって来る。それに比べて今どきは暑くも寒くもなく中途半端でいつ眠くなるのか見当が付かぬ、そのうちに眠りに入るきっかけを失ってダラダラと夜を過ごすことになる、それならいっそ読書でも、という感じ。

 先日から読み進めている大坪砂男の文庫版全集、1巻を読了、2巻に掛かったところ。この作家、敗戦後直ぐの時期にデビューしたこともあって、その頃の世相が色濃く出ている。1巻の中でアンソロジーに採られることの多い「黒子」「立春大吉」(この2作は先日の記事にも書いた)「涅槃雪」、「宝石(推理小説専門誌)」49年1月から3月号に連続して掲載された3作品は特にこの傾向が強く、「黒子」の旧軍の資金、「立春大吉」の没落華族、「涅槃雪」の復員兵の悲劇などその頃の読者は身につまされたのだろうと思う。この3作、文体の点でも主題と不離の関係にあって、「立春大吉」と「涅槃雪」を見れば一読瞭然、作者も拘る人だったのだろうと思う。2巻はまだ3編しか読んでいないが、「盲妹」の実直な官吏の悲劇はその背景の湖の描写とも相俟って、なかなかにロマンティックな感興を残す一編。
 戦前から戦後(昭和30年代まで)の探偵小説コレクターはそれなりの数はいるようで、光文社文庫を中心に傑作集が出ているがどれ程売れるものだろう、この大坪のような作家の(文庫の割りには値の張る)個人全集は本当のところ商業出版ベースに乗るのだろうか、直ぐに品切れになるのではないかと思って自分も購入している、3巻4巻も無事に出て欲しいものである。

 平行して読んでいたのが東川篤哉の『私の嫌いな探偵』、烏賊川市シリーズの最新刊。『謎解きはディナーのあとで』がバカ売れ、そちらを書くのが忙しいのだろう、烏賊川市シリーズの長編はとんと出る気配がない。
 この作品集、1編の長さが適当で大坪の短編1~2編と本作品集の1編を読むと1日が暮れるような気がした。最初の作品「死に至る全力疾走の謎」は、発端のトンでもなさと中間の捻りからすっきりしたオチ(真相)の見せ方までなかなかのもの、倉知淳の『日曜の夜は出たくない』を思い出した。2編目の「探偵の撮ってしまった画」も、作品中の描写から鉄拳という芸人を(再び)有名にしたあのことを思い付き、オチまで見事見通せて、それはそれで満足。しかし、3編以降、なかなかこれは・・・という出来のものがないのが残念。それなりに読める作品集ではありました。

 読書の時間が相対的に長くなるのと反比例で音楽を聴く時間が減少しているので、どの音盤を紹介しようかと悩む次第、レヴューを書くなら1度2度くらいは聴き返さなければ失礼でしょう。考えても仕方がないので、一番手近にあった Area 、聴き始めると聴いてしまうものです。

a0248963_19375315.jpg Demetrio 在籍時唯一の公式ライヴ、1975年。流石、公式ライヴだけあって音は非常に良い、各人のテクニック( Demetrio のヴォーカルだけではない。特に4曲目、Are(A)zione の Ares Tavolazzi のベース・ソロの素晴らしさ、凄さ!)を鮮明に捕らえている。次作でメンバーの異動があり、また音楽的にも方向性が変わるため、パワフル変拍子バカテク・ジャズロックとしては最後の作品となる。
 曲目は、Luglio, agosto, settembre (nero) 、La mela di Odessa (1920) 、Cometa rossa という有名曲を LP A面に並べ(オデッサは林檎を齧る音が収録されている)、B面は各人のソロを前面に押し出したインプロヴィゼーション主体の Are(A)zione から共産党万歳の L'Internazionale (インターナショナル、おお!万国の労働者、立ち上がれよ)まで、当時のソ連型でないユーロ・コミュニズムの高揚感が如実に現れた演奏、単純に正義を信じられた良い時代でした。ジャケットのジーンズにアフロ長髪の若い男女の写真が時代を映している。

a0248963_1938693.jpg 問題作といわれることの多い Maledetti (maudits) 、1976年。「呪われた」という意味のイタリア語、カッコ内はフランス語。それに合った、顔面の筋肉と血管の標本図のジャケット。
 内容的にも最初のトラック(LP で言えば A面の最初の曲) Evaporazione (蒸発)はミュージック・コンクレートあるいは演劇の一部、5曲目(LP で言えば B面の最初の曲)は、バッハのブランデンブルク協奏曲を加工して崩壊させた作品。こうした変な趣向が盛り込まれて、最後の曲は完全なフリー・インプロヴィゼーション。また、Gerontocrazia (老人支配) には、txalaparta という木製の民族打楽器が加わる。
 メンバーは、ドラムの Giulio Capiozzo とベースの Ares Tavolazzi が加わるのは2曲のみで、他の曲では Hugh Bullen (ds) と Walter Calloni (b) がリズムを受け持つ。フリー・インプロの大御所(当時は若手乃至中堅といったところか)、Steve Lacy (ss) が2曲、Paul Lytton (perc) が1曲加わっている。前半はまだジャズロックの雰囲気のある曲が多いが、後半はフリー・インプロに半分以上嵌り込んでしまったというか確信的に入り込もうとしている。確かに最後の Caos(この曲のみ Lytton が参加、Lacy ももちろん加わっている) は、後に発表される Ivent 76 と組になる録音で、彼らのフリー・インプロ(当時はフリー・ジャズのヨーロッパ版と思われていた)に対する親近感が如実に現れている。

a0248963_19382037.jpg 1978 Gli Dei Se Ne Vanno, Gli Arrabbiati Restano! (「1978年、神様は休暇、残る怒り」と訳すのか?)、1978年。今までアルバムを出してきた Cramps を離れ Ascolto からの作品、ギターの Paolo Tofani が抜けたカルテット編成(Demetrio がオルガンを担当しているので、キーボード2人体制)。
 前作が混乱の頂点とすれば、バンドのガタガタが収まったせいか、非常にすっきりとした出来となっている。最初の Il Bandito del Deserto (荒野の放浪者)から地中海音楽風の変拍子満開の素晴らしい出来。今まで作曲者としてクレジットされなかった Demetrio が多くの曲で作詞作曲を担当している(実際のところ、それまでも関わりが大きかったものと思われるが)。低音好きとしては、Ares Tavolazzi の素晴らしいプレイが随所に聴こえるのが良い、トロンボーンやギターなど多彩な才能を発揮している。アルバムの纏まりも良く、これからの発展が期待できた好作品だったが、惜しくも翌年、白血病で Demetrio を失う。Demetrio を欠くバンドは Tic Tac (未所持) を発表(1980年)するが、その後長い間沈黙する。

 割りに温度の低い日が続く。この頃短パンを穿く機会が増えたが、ちょっと寒いときも。死んだ親父の貯金などの名義書換をやっていて、面倒ながらも、「こうして確認する訳だ」などとちょっと納得しながら、それなりに楽しく手続きをしている、実務的なことは案外好きなのかも。
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by ay0626 | 2013-04-21 14:38 | rock