日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:new age( 7 )

短く軽く、時代が変わる? ステファン・ミクス (4)

 読書用に作った眼鏡の調子が悪く、今直し中。ということで、ブログを綴るにも一苦労、焦点が合わないのだから、老眼もやっかいなもの。

 先週もクラッシクのコンサート、いつも行く会場ではなく、ちょっと古めのところ。会場が違うだけで、あんなに音の聴こえ方が違うとは思わなかった、新しければ新しいほど音響は良くなるということか。演目は、ドヴォルザーク、知った『新世界より』交響曲はなく、前半は『謝肉祭』という9分足らずの曲とヴァイオリン協奏曲、後半が交響曲7番と言う取り合わせ、若干ヴァイオリン協奏曲は眠くなりましたね、スミマセン。職場の若い人たちと行ったのだが、ある人から衝撃の告白もあり大分盛り上がって、帰りの電車が11時過ぎ、風呂に入って、それでも珍しく寝つきは良かったのだが、翌日の会議に眠気を催した、それでも寝ずに役目は果たしました、ハイ。

 ちょっと前になってしまうのだが、成りすましメール犯が逮捕された。写真を送付したところ、警察が威信を掛けて調べ捲くり、丸でオタクとしかいいようのない風貌のお兄さんを捕まえた訳。その後の報道や逮捕されたお兄さんの弁護士の話など見ると、自白に拘る旧態依然のやり方がまだ続けられているような気がして仕方がない。捕まえて吐かせてしまえばこっちのもの、それが誤認逮捕を2人も生み出した。この逮捕されたお兄さんが本当に犯人ではないとすれば、またまた警察の大失態ということに。しかし、お兄さんも取調べを録画しなければ応答しない、とはよくいった、その通りで間違って逮捕されて喋らされた2人も同意見だろう、国家権力を嵩に着るものは山ほどいる。自分は警察を信頼しないと言うつもりはない、多くの捜査官は真面目に職務を全うしていると思っている、しかし、自白とそれに頼る裁判所の凭れ合いは許されるものではないだろう。きちんと録画し、正々堂々法廷で争ってもらいたいものだ。

 久しぶりに Stephan Micus 。この何年間は2年に1作ずつ作品を発表していたので、昨年も出るのだろうと思っていたら出ない。期待を裏切られましたね、といって、彼の作品出たらそればかり何回も聴くというわけではないのだが。

a0248963_18463112.jpg To the Evening Child 、1992年。前作の Darkness and Light が3楽章の大作だったのに比べ、本作以降比較的短い曲を多く並べるという作風に変わってくる、本作は7章で構成されている。そして、本作の中心となるのがスティール・ドラム、言わずと知れたカリブ海の民族楽器、アフリカから連れてこられた人々は太鼓を叩くことも禁じられ、しょうがなしにドラム缶を加工し、音程の出る楽器を作り出したという訳。本来は華やかな音を出す楽器なのだが、ここでは大人しめに使われる、内省的なイメージを生み出す。そして、ヴォーカルが多用されているのも特徴の一つ。
 その他の楽器はお馴染みの、印度の擦弦楽器ディルルーバ、インドネシアの管楽器スリン、ドイツの管楽器コルトホルト、中東の管楽器ネイなど。最後の楽章は For Yuko 、ジャケット裏に Micus が赤ん坊を持ち上げている写真があるが、多分この子が Yuko なのだろう、奥さんが日本人で Nobuko だから。
 Micus の作品としては、突出してはいないが、比較的聴き易いものの一つ。

a0248963_18464244.jpg Athos 、1994年。ギリシャのアトス山への3日間の旅を音楽(8楽章)で表したもの。アトス山はギリシャ正教の聖地で、大幅な自治権が認められているとか、そして女人禁制で女性は入ることが出来ないらしい。良くあることだが、これは差別ではないのか、伝統だと許されるのか、どうでもいいが、ダブル・スタンダードだけはやめてもらいたいものだ。修道士のメンタリティなど理解できないし、理解しようとも思わないが。
 このアルバムで初登場はサタール、ウイグル族(トルコ系、中国に新疆ウイグル自治区があって独立運動で揉めているのは有名)の擦弦楽器で、1本の金属弦と10本の共鳴弦から成り立つ、1楽章と8楽章でメインを張る。また、2楽章、4楽章、6楽章は合唱だけの曲だが、グルジアン・ヴォイスのように東欧正教系神秘主義的な香りが(若干エコーの掛け方がフェイク感を添えているが)する、まあ、題名から見てもそれを狙ったものであるのも確か。尺八(3楽章)やネイ(7楽章)のソロ、スリン+植木鉢(4楽章)など、東欧神秘主義とは懸け離れた感があるが、全体のなかでは違和感はない。
 纏まりのよさで、90年代では比較的評価の高い作品。

a0248963_18465435.jpg The Garden of Mirrors 、1997年。前作とは打って変わってアフリカ的な印象の強い作品(9楽章)。アフリカのハープが取り入れられ、とはいっても西洋ハープとは異なり、ベース的な役割を果たす、ボロンバットとシンディングがこれ(特にシンディングはピッチカート、アルコとも演奏され、コントラバスといわれたらそうかとも思える)。合唱曲も1楽章、3楽章、8楽章で披露されるが、前作とは全く異なる、Micus の作曲家として雰囲気を作る巧みさが判る。
 多重録音も行き着くところまで言った感じで、合唱は20回も重ねているし、4楽章の Flowers in Chaos など、スリンのソロのように始まるが、最後の部分は22回も多重録音され、題名どおり『混沌』状態が現出する。6楽章の Gate of Fire などもオーケストラ(はちょっと大袈裟だが)的な印象もある。
 茶色のジャケット(水の上に浮かべた船で魚(?)を採っている風景)も印象的な作品。

 もう3月、1年の6分の1は終了、生き急ぐつもりはないが、時間の経つのが加速度的に早くなっている。命短し、焦れよオッサン。
 
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by ay0626 | 2013-03-02 18:15 | new age

精神世界・・・・・みたいなもの・音楽 トレンブリング・ストレイン

 雨が降って肌寒い、昨日は明るく気温も高かったのに。この頃の寒暖の差は激しく、すぐに冬の雰囲気になっていくのだろう。休みともなれば、短パン(というか膝下くらいの長さのゆったりしたパンツ)ばかりで過ごしてきたが、来週くらいからは長いのに変えないといけないかも、思えば4月頃から半年以上お世話になりました。

 そういえば、最近は余り CD を買っていない、一時は1か月に10枚~15枚購入することもあったが、昔の CD サルベージ作戦なんかを展開したものだから、そちらの方に時間を取られてしまうということもあったとは思う。まあ、興味の赴くまま、かといって購入したもの全部を気に入る訳もなく、好きな音楽は自然と決まってくるということか。この頃は通勤時間に音楽を聴くようにしていて、ウォークマンに入っているものの中心が、Weather Report 、Uz Jsme Doma 、Miles Davis 、Faun 、Besh o DroM 、Warsaw Village Band といったところ。これでもかなりばらついた選択ではある。この内でも Miles Davis の新五重奏団(1965年から68年にかけての頃)は今のところ最も良く聴いている、とはいえ行き帰りの1時間強の時間だが。

 尼崎の事件報道を見ていると、本当に人間の心とは恐ろしいものだ、との思いが強くなる。簡単に家族が崩壊してしまう恐ろしさ。病気とか、金に困るとか、人間関係に疲れるとかすると、どうしても誰かに縋りつきたくなることはある、普段であれば理性が働き、簡単に排除出来るようなことでも、ちょっとしたことで他人が決めてくれることの気楽さに負けてしまうと、すっとそこに入り込んでくる怪物たちは沢山いるのだ。戦争での残虐行為(BC 戦犯の悲劇などはこの典型、上官殿が決めてくれることに異を唱えてはいけない)とか宗教団体の暴走(オウムの集団暴走を見よ、麻●だけが狂ったのではなく、集団全体がそれを育てていった)がその典型だが、家族を中心とする小さな集団でも十分に狂気に支配されることがある、中心人物が冷静な訳でもなく、お互いに狂気の大きさを増幅させるように行動するようになるのではなかろうか。

 ということで、今回はトレンブリング・ストレイン、日本のバンドというかユニット。日本のマイナー・ミュージック・シーンにも面白いバンドは幾つもあると思うのだが、海外のアングラ・シーンより CD など手に入り難い、また CD の価格も高いし、ということで日本の音楽は自分のコレクションでは少数派。
 その中でも、このトレンブリング・ストレイン、現役活動時(ライヴやっていたなどという情報は全くなかったが。現役というのはアルバムが新譜として出た時に購入した、という程度の意味)から聴いた数少ない日本のユニット、好きですね、特に集団狂気・・・・みたいなところが。聴くきっかけがなんだったのか、もう15年以上も前でよく憶えてはいない。

 ユニットの中心は、Pneuma という人物。調べても、医者であること(それも精神科医?)くらいしか判らない。因みに Pneuma とは、ギリシャ古語で「呼吸」のこと、それから転じて「精神(spirit) 」の意味に使われるようになった、発音はギリシャ語で「プネウマ」、英語では「ニューマ」。リリース・レーベルは Belle Antique 、古館徹夫だの多加美だの似たような傾向だろうとは思ったのだがそれらは聴く機会のないままになっている。

a0248963_18454144.jpg 最初のアルバムが『巫歌(ふか)』、1994年録音の95年リリース。ジャケットの中に「Anthem to raise the dead」という英題が書かれている通り「死者を起き上がらせる賛歌」という意味。帯の惹句は「サード・イアー・バンドやポポル・ヴー・タイプの日本の実験的ロック・ユニット。中世的な暗さに日本的な陰影を加味したサウンド。先に発売されたプネウマの新ユニット」とある。ちょっとその2つのバンドとは違うんじゃないの・・・といいたいところもあるが。
 鳥の声や水の流れといったサウンド・エフェクトが多用されるが、演奏は殆ど生楽器が主体。このファーストのメンバーを書いておくと(漢字表記が判らないので、書いてある通りに記す)、pneuma (perc, vin, music-saw, santur)、Akira (vo, perc)、Yuko Suzuki (harp, vo)、Shin Yamazaki (g, oud, recorder, sharmai)、Yulihito (cello, vo)。ゲストとして Shinji Kuroki (琵琶)。
 非常に日本を感じさせるサウンド、2曲目のリコーダーなど、もろ竜笛か篠笛のような音、4曲目の琵琶はまるで November Steps だし、7曲目のYulihito のチェロとヴォーカルによるソロは能の謡を聴いているような感じ。8曲目は弦(ギター、ハープ、サントゥール(ハンマード・ダルシマー))の合奏、非常に美しいアンサンブル、9曲目は弦のハーモニクスによる儚い夢。Third Ear Band のような繰り返しによるトランス効果みたいなものは余りなく、一部を除き繰り返しを拒否するような感覚、それがある種の聴き手との距離感(取っ付き難さ)みたいなものに繋がる。
 音楽の構成とすれば似ているStephan Micus には温かみやメロディーがあるが、彼らにはない、それが聴くにはそれなりの根性を必要とすることに繋がり、決して昼寝用の音楽にはならない理由でもある。

a0248963_1846553.jpg 2枚目は、『四つの弔歌』、1994年から95年録音、95年リリース。今回のアルバムに Yulihito の名前がなく、基本は pneuma , Suzuki, Yamazaki, Akira のカルテット、これに Enomoto Ryuichi がエレキ・ギターで、Hiroko Tanada が歌(スキャット)でゲスト参加。
 本アルバムは、4つの埋葬歌(土葬、火葬、鳥葬、水葬)+嘆きの川辺(表記には Kokytus とあるが普通は Cokytus 、嘆きの川といわれる ~ ギリシャ神話に出てくる)の長尺曲5曲にそれを繋ぐ4小曲の構成。基本的には、葬儀の方法を象徴する効果音を取り入れ、雰囲気を盛り上げている。
 最初の埋葬歌では、モンゴルのホーミーのような声が聞こえるが、この声は多分 Akira のもの、どんな活動をしている人なのだろうか、興味津々、ヤマンタカ・アイみたいな人?火葬歌では、エレキ・ギターのインプロヴィゼーションが展開されるが、アルバム全体で見るとちょっと浮いた印象、他の曲が生楽器主体だとエレキ・ギターの音は異質過ぎるか。「嘆きの川辺」は、弦の合奏による美しい曲、鳥葬歌は風と鳥の声のS.E.が効果的、水葬歌はゲストのスキャットが良い。
 全体的には、前作を受け継ぐものだが、地水火風をモチーフになにやらジャケット裏にも難しいことが書かれていて、哲学的な感じが漂う、それを喜ぶか、悪趣味と感じるかは聴く人次第、どっちかというと自分は後者かな。この集団、かなりのインテリだとは思うものの。

 ということで、今回はマインド・コントロールから集団狂気へ・・・・精神世界にズルズルッと行きそうなトレンブリング・ストレインでした。しかし、このユニット、自分としてはかなり好きな部類、1か月に1度はターンテーブルに載ります、アブナイ傾向が自分の中にあるのかも(バーカ!お前みたいな現実主義者にそんなもんあるかよ!とお叱りを受けそう)。
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by ay0626 | 2012-10-28 17:08 | new age

気力充実、堂々とした大作中心の80年代後半 ステファン・ミクス (3)

 今日は寒露、秋も深まっていく。魚嫌いという訳ではないが食べるのが面倒で、食卓にもあまり上がらない。今年は2回も秋刀魚を食べたというのに驚き、通常はもっぱら鮭ばかり、それも輸入の。しかし、この季節になると生の鮭が並び、塩焼き以外の料理も食べられるようになる。
 茸にしても、昔は秋の食べ物だったがこの頃は通年店に並ぶので、有り難味も大分減少したが、ファミレスのCMを見ていると、まだまだ秋の味覚としての印象は強い。栗はそろそろ、炊き込みご飯なんかいいねぇとも思うが、昔子供たちに作ってやったら「口の中がもそもそする」なんぞと抜かして、あまり評判はよろしくなかった。
 果物でも、ブドウであれば最もポピュラーな品種デラウェアはとうに店頭から消え、今はマスカットの類。柿も出始め、甘いだけで水気も乏しく、昔はそんなに好きでもなかったが、歳を取るにつれ美味しく思えてくる。梨もそろそろ仕舞いの頃、寒さに向かって林檎が美味しくなっていく。
 天高く、馬肥ゆる秋・・・・中年オヤジにとってあまり太りたくはない秋である。

 Stephan Micus の80年代後半の音楽は、正に秋にぴったりの印象。ちょっと清冽な空気ともの哀しい音が良く似合う、セピアのモノトーンの音楽。セピアは原意のイカ墨のことではありません、そこまで食物に拘っている訳じゃないので、念の為。

 前回書いた85年作品 East of the Night くらいから長尺曲が増えていく Micus の作品、90年代に入るとまた短い曲を沢山並べる形式となっていくが。80年代中盤といえば、Micus 30歳代前半から中盤、作曲家/演奏家として最も油の乗りきった頃、今が旬の秋刀魚と同様美味しい時期だったようで。

a0248963_15422080.jpg 86年の Ocean 、新しく取り入れたのはハンマード・ダルシマー。そしてもう一つ焦点が当てられるのが笙。ハンマード・ダルシマーは、このアルバムで初めて聴いた。今では良く聴く Besh o DroM にしろ Warsaw Village Band にしろ専属のダルシマー奏者を抱え、民族音楽系の要素を取り入れたバンドでは非常にポピュラーな楽器ではあるが、当時はどんな楽器か全く判らず、アパラチアン・ダルシマーくらいしか思い浮かばなかったため、「どうすればこんな音が出せるのだ?」とおもったものである。後に民族音楽のアルバムで同類の楽器サントゥールを聴いて、初めて金属弦を小さなバチで叩いて音を出すのだということを知った。当時はインターネットなどという便利な道具がなかったため、こんなことを知ろうとしてもなかなか辿り着くのに時間が掛ったのである。
 本作の構成は、Part 1・7分58秒、Part 2・19分20秒、Part 3・15分46秒、Part 4・7分13秒と前作の大作路線を受け継ぎ、また多重録音も出来るぎりぎりのところまで重ねている。
 非常に細かな煌くような音なのにある種の寂しさ、郷愁を憶えるような音楽。秋の日、海に出かけて風が凪ぎ、柔らかい陽光の中、水面のさざ波がきらきらと煌く感じ、とでも言えばよいのか(Part 1)。使われる楽器が、尺八(Part 1 にはネイも使われるが、尺八と非常に良く似た響き)と笙、ダルシマーとツィターということで、全体の印象は統一感を持っている、特に Part 4 の笙のソロの慎ましやかな演奏は締めに相応しい。

a0248963_15425862.jpg 87年の Twilight Field 、全面的に植木鉢パーカッションを導入。植木鉢に適度に水を入れ、音階を出せるようにした50個を1セットにした楽器、マリンバのような雰囲気の楽器である、80年の Wing Over Water で初めて披露されたもの。構成は、Part 1・8分35秒、Part 2・8分、Part 3・4分27秒、Part 4・10分、Part 5・15分01秒とまだまだ大作路線といってよい堂々とした演奏。
 使われる管楽器は尺八とネイで前作同様、それでも前作が寂しげな印象が強かったのに対し、今作は明るい印象、ダルシマーの金属系の音に対し植木鉢パーカッションが土系の柔らかい音であるからだろうか、慎ましいながらも祝祭的な華やかな感じがする、唯一植木鉢パーカッションの入らない Part 5 は、宴の後の寂しさか冬への惧れか、若干の寂しさを感じさせてアルバムは終わる。

a0248963_15432026.jpg 89年、The Music of Stones 。Micus のアルバムは多重録音による完全ソロ作品ばかりだが、唯一の例外が本作品。3名の共演者がクレジットされている、このうち Nobuko Micus は妻か?East of the Night に For Nobuko という曲があったがその人だろうと思う。
 南ドイツ、ウルムの大聖堂(非常に背の高いゴシック建築として有名、Henry Cow の2nd の最初の曲 Bittern Storm over Ulm のウルムも多分ここのこと、第二次世界大戦で大きな被害に遭ったことでも有名故)にある共鳴石( Resonating Stone 、大きな石に切れ込みを入れたもの。叩くと長い間唸るような共鳴音を発する)をメイン楽器に置いている。
 一発採りの録音なのか、音数が少なく、リズム面で面白いことをやっているわけでもなく、Micus のアルバム中最も退屈と言って良い、殆ど聴くこともない、これを書くために聴き返してみたが印象は変わらない。コレクターがコレクションのために持っているようなアルバム、ちょっと書き過ぎ、いい過ぎか。

a0248963_15435466.jpg 90年、Darkness and Light 。大作路線の最終作、Part 1・29分、Part 2・10分15秒、Part 3・13分10秒。
 本作は、今までも使ってきたインドの金属弦擦弦楽器ディルルーバをメインに据え、キ・ウン・キという金管系の音を出す楽器(ジャケット写真にも使われているが、この楽器息を吐くときでなく吸うときに音が出るとのこと)とボーラスト・ストリング(金属の棒の先に金属球を着けて、叩くと長い間共鳴音を持続する)という2つの新しい楽器が登場する。
 Part 1は29分余りの大曲とはいってもその中は4つほどの部分に明確に分割出切る、そのため却って退屈から逃れているともいえる。馴れた楽器の演奏で長さを感じさせない、流石なもの。LP でいえば B面は、印象深い2曲が並ぶ。キ・ウン・キが不意に立ち上がるところは Part 2 の一番の聴きどころ、今までにない Micus 世界。Part 3 もボーラスト・ストリングの共鳴音が唸る中、スリンの軽々とした舞い上がるようなソロが入るところなぞ、Micus のアルバムの中でも特に好きな部分。Part 3 は、Micus の楽曲の中でも構成力を感じさせる屈指の名曲/名演と思う。

 ついこの間まで暑い暑いといっていたのに、急に秋らしくなって、今度は寒いの嫌だなあ、人間なんて本当に勝手なもんです。秋の夜長は読書でしょうか、それともじっくりと音楽でも聴きこみましょうか、これから2~3週間が1年のうち、多分最も良い季節。
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by ay0626 | 2012-10-08 14:45 | new age

中近東音楽を基礎にしたニュー・エイジ ステラマーラ

 シリアで銃撃されて亡くなった山本美香さんについては、好意的な報道がされている。何年か前に(確か2004年の春頃)イラクに入った日本人3人がテロ組織に誘拐された事件のときは、自己責任論が沸き起こった。また、2010年のタイ動乱時の日本人カメラマン射殺事件のときは、どちらかというと好意的だったように思う。
 どんな動機であれ、戦地や動乱が起きている地に入れば危険であることは重々承知していようし、行くのは本人の選択。しかし、日本人であれば、どんな危険地帯であれ日本国家としては同胞を保護する義務があるのは当然のこと。この前提に立てば、イラクに行ったお気楽3人組と崇高な使命を帯びた(?)ジャーナリストの行動に本質的な違いはなく、国家の対応も異なる方がおかしい。しかし、一方は徹底的に貶められ一方は報道の鑑として賞賛される、ここまで差があるものなのか。確かにシリアは悲惨であって、シリア政府は非難されるべきであるとは思う、そのことを報道したいと思うことは決して悪くはない、しかし、反体制派も統一が取れていないのは一目瞭然で、このまま政府が倒れれば、今以上の内戦状態になるのは確かだ。国連安保理も自分たちの主義主張が先に立って、手を拱いているのが今の状況。
 そうした中でジャーナリストと呼ばれる人々が取材し送ってくる映像にこれ以上何の意味があるのだろう、ああ街は瓦礫の山ですね、市民が沢山死んでいます、この国に生まれなくて良かった、平和な国の多くの人々はそうとしか思わない。思えばボスニア-ヘルツェゴヴィナ内戦のときはもっと悲惨であったろう。多分、ヴェトナム戦争の報道がこうした悲惨さを伝える戦争報道の先駆けとなった。
 ヴェトナム戦争は、アメリカ帝国主義の起こした戦争、アメリカが悪、ヴェトナム人民が正義、アメリカはヴェトナムから出てゆけ・・・かくして正義は勝ち、しかし正義の国から何十万人という人々がボート・ピープルとして逃げ出した。チトーが作り出した偽物の平和は、それでも何十年と死人を出すことがなく、近隣のイスラムに憎悪を撒き散らすことがなかった、齎された自由が憎悪をかき立てる。何が正義で何が悪か、立つところによって風景は全く違って見える、ジャーナリストが自分の見た風景だけがそこの風景だと主張するとしたら、そんなものに価値はない。また、見えるものが全てだとすれば、破壊された建物しか形として見えるものはない、そんな垂れ流しの映像と音声に、今どれ程の意義があるのか。
 死は全ての終わり、全身に銃弾を打ち込まれて死のうと、警官に追っかけられて自損事故を起こして死のうと、残った人がどう考えるかの違いはあっても、本人にとっては皆同じ。

 何が言いたいのか自分でも判然としないが、考えることが重要と言うことで。今回は Stellamara 、これでもアメリカのバンド。聴くきっかけとなったのは、このバンドの中心人物である Sonja Drakulich 嬢が Faun の2012年ツアーに加わったこと。Lisa Pawelke さんが抜けたあと、Sandra Elflein嬢、Rairdaさんと女声メイン・ヴォーカルが変わり、今回彼女が加わった訳。彼女がメイン・ヴォーカルを取るアルバムが出る前に、どんな音楽をする人なのか確認しておこうと思ったのだ。

a0248963_1722227.jpg このグループ、アルバムは3枚しか発表していないが、その活動期間は長い(中断期間があっても判らないから、その間存在したものと見做して)。最初のアルバムが Star of the Sea 、1997年作品。このアルバムのメンバーは、Sonja Drakulich (vo, perc)、Jeffery Scott (oud, guitar, perc, dulcimar)、Gary Haggerty (vin, vla)、Susu Pampanin (perc)、Marika Hughes (cello)、Micheal Emenau (sampling)、プロデュースは Sonja と Jeffery Scott 、作曲も2人で行っている。曲の半数以上は13世紀から15世紀の色々な言語の詩を使用、そういった意味ではFaun に良く似ているのだが、こちらの方が中近東色が強い。
 最初の曲など、こうした中世バンドの定番曲の一つであり、Faun も Estampie も演奏した曲、彼らに独自色があるかといえばそうでもない。Faun との比較であれば、Faun が比較的少ない音数で音楽を構築しているのに対し、パーカッションの厚みのある音の数が詰まった感じ 。また、ヴォーカルも合唱的なエフェクト、または多重録音によるコーラスが多く、例えば Lisa や Sandra の独唱または Fiona のはっきりした伴唱のみの Faun とは大きく異なる。また、Sonja の声は綺麗だがあまり個性的ではない、これは Faun も同様で、それ故メイン・ヴォーカルに迎えたのかも知れない。音像のはっきりした Faun の方が圧倒的に好みだが、聞き流すには良い。

a0248963_17222119.jpg 2枚目は、2004年の The Seven Valley 。Jeffery Scott に替わり Gari Hegedus (oud, saz, vln, vla) が音楽的なパートナーとなる。Sonja 嬢は、セルビアとハンガリーの血統らしく、バルカン系、中東系の音楽には馴染みがあるのかも(しかし、育ちはロスアンジェルスのようだ)。
 管の音がないためか、音が乾いている感じ。ここでも歌詞は伝統曲から何曲か取られている。ウードのインプロなど含めて前作よりは起伏に富む作りにはなっている。
 ザビエル・レコードの案内を見ると、Dead Can Dance の系統とあるが、それは違う。L’ham de Foc といわれれば、そうかなとも思うが、L'ham の方がヴォーカル、撥弦ともテクニックは上のように思う、こっちの方があっさりとはしていて、聴き易いとは思うが。

a0248963_17223835.jpg 3枚目が The Golden Thread 、2009年作品。前作と同様 Sonja と Gari が中心。本作は、トルコとハンガリーの詩とメロディーを使用している。トルコといわれれば、なるほどトルコという感じ、Niyaz とも相通ずるが、Niyaz の方がよりイラン的で、そしてエレクトロニクスの導入は大きい、しかし両者良く似ている。ハンガリーにしろルーマニアにしろ、バルカン半島はイスラムの支配下にあった時期が長いためか、ヨーロッパというよりアラブ的な感じが強い、Besh o DroM もそんな感じだったな。
 本作、擦弦を始めとして長いソロが多く、器楽の好きな自分にとっては非常に取っ付き易い。Ross Daly と Kerry Thoma という Lyra ( Lyra というとどうしてもハープの親戚の竪琴を思ってしまうが、ここでは擦弦の方の Lyra )奏者もフューチャーされている。また、クラリネット奏者もクレジットされており、バランスは良い(ソロは若干少ないが)。
 Faun との比較でいえば、やはりヨーロッパと中近東、アラブという差、L'ham de Foc はスペイン、イベリア半島のイスラム影響度でいえば、こちらの方が音の印象が近い。

 石油が出なければ、ずっと昔と変わらぬ暮らしが出来たのかもしれない、それが幸福なのか不幸なのかは誰も判らない。サウジアラビアのように米国と友好関係を築きながら国内では原理主義そのものの体制を敷く国もある、この現代になってもまだ宗教か、とも思うが、縋らなければ生きていけない人たちもまだまだ沢山いる。
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by ay0626 | 2012-08-26 15:12 | new age

クラブ・ミュージックと伝統音楽の融合 ニヤーズ

 梅雨も末期になって、九州では猛烈な雨が降っているようだ、水没した家々がテレビに映しだされる。自分の住んでいるのは中部地方の中くらいの都市だが、4年前には同様に豪雨の被害に遭った。「平成20年8月末豪雨」といわれるこの水害は、8月29日の夜中1時から2時に掛けて140ミリを超える記録を作った猛烈な雨によってもたらされた。海に面してもいない街で、それほどの大きさでもない川が溢れ、家の中で水死するというような悲惨な事故も起きた。また、川に流された人が海まで運ばれ、陸地から遥かに離れた島で発見されるというようなこともあったと記憶している。夜中の真っ暗ななか凄まじい雨音を聴いていると、不安感がふつふつと湧き上がってくるのは確かで、豪雨の中田んぼを見に行って死ぬ老人の話など、平常のときには『何故、馬鹿なことを』といってしまえるのだが、異常な雨音の中で何かしなくては、という焦りが出てくるのはないことではないとも思える。

 相変わらず、暇なときは携帯ゲームばかりで、気が付けば60時間以上遊んでいる。壮大ともいえる時間の無駄遣い、でも無駄でない時間の使い方なんてあるのだろうか。ヴォランティア?勉強?それも、一歩間違った時間の無駄遣いの、自己満足のための正当化、言い訳でしかないのかも知れない。何しろ楽しく時間が経過すればそれにこしたことはない訳で。
 そういえばポケモンは、イスラム世界ではハラーム(禁忌)とされているそうだ。ポケモンが成長して姿が変化することを表す「進化」という言葉が引っかかったよう。もともとイスラム教もキリスト教も同根で、世界は神様が作り、猿も鹿も人間も同時に生まれたとするのが考え方で、だからダーウィンのいう「進化」という考え方を否定する。もっともポケモンは、進化論の進化とは全く関係なく、芋虫が蛹になり蝶や蛾になる「変態」と同じだから、ゲームでも「××は、●●に変態した」と書けば問題なかったのかもしれないが、子供のするゲームにやっぱり「変態」はありえないだろう。「進化」のほうが何となく前向きな感じにもなるし。
 イスラムで直ぐ思い出すのが、最初にイスラム革命を起こしたイラン。1979年に起きたこの事件は、当初アメリカもソ連も排除した民衆運動として考えられた。しかし、やはり宗教が中心に据われば反動的になるのは必定で、イスラム以外の宗教への弾圧や女性差別は当然のように起こり、相当な数の亡命者が出たのである。過ぎたるは及ばざるが如し、といったところ、いくら不景気であろうと、宗教への悪口が平気でいえる・・・日本でよかった。

 ということで、今回は Niyaz 。亡命イラン人が中心となったユニットである。プログラマー/サウンドデザイナーの Carmen Rizzo 、ヴォーカル/サントゥールの Azam Ali 、撥弦楽器の Loga Ramin Torkian の3名、勿論パーカッションはいないのでゲスト・ミュージシャンを加えて CD は製作されている。Azam Ali は Vas ( パーカッションの Greg Ellis とのチーム)で、Loga Ramin Torkian は Axiom of Choice で活躍していたらしい。この2つのグループは殆ど聴いたことがない。もう一人の Carmen Rizzo は、クラブ・シーンではかなり有名なようで、ラディカル・トラッドの Varlavn の Re-coded というリミックス・アルバムでも1曲担当している。
 音楽はイランやトルコのものだが、音の感じというか手触りはアメリカのニューエイジの影響をもろ受け過ぎの感じで、ヨーロッパのバンドほどは聴きこんではいないのが正直なところ。

a0248963_1523876.jpg 最初のアルバムは、2005年のバンド名と同タイトル。歌詞はペルシャ語とウルドゥー語(パキスタンの国語)のようで、作曲は Ali と Torkian によるもの。メロディーと生楽器とヴォーカルは完全に中東の感じだが、音の組み立て方はアメリカそのもの。音が綺麗過ぎてしまうというか、作り過ぎの感じが否めず、BGM としてはいいにしても聴き込むほどにはならず、今一歩の感じがどうしても拭えない。エレクトロニクスの導入にしろ、もっと生楽器を生かす方向にはならないものなのか。


a0248963_1525749.jpg 2枚目が Nine Heavens 、2008年作品。2枚組で1枚が前作と同様の演奏に様々なエレクトロニクス加工をした作品、2枚目がよりアコーステックな生音を中心に据えた作品となっている。
 このバンド、殆ど管が入らないため(この作品では控えめにフルートが入るが)、乾いた感じが強くなるのに加え、ヴォーカルがどちらかといえばあっさり系統の上手いけれどアクがない、またパーカッションのリズムも一定であまり変化がない、ということでロックやジャズとの近隣性は全くなく、ハウス・ミュージック、トランス・ミュージックといった感じ。アコースティックと銘打たれた2枚目もあまりそんな感じはせず、どちらかといえば「アコースティック」程度。

a0248963_1532563.jpg 3枚目は出来立て、2012年作品の Sumud 。ますますエレクトロニクスの導入が進み、ペルシアン・エレクトロニカという感じ。ここまで徹底すればジャンルはもう関係ないのかもしれない。打ち込みのドラムにストリングス、その厚い音の塊に生音のパーカッションやサズ、ウードといった撥弦の音が聴こえてくる。ヴォーカルは、あっさり感の中にも歳から来る貫禄か、なかなか聴かせどころを心得たもの。
 今のポップスと同様、全体的に音を詰め込み過ぎ、音数を絞り込んで聞かせどころを強調すべきではないか。

 読み返せば、ちょっと辛目の意見となっているが、聴いているうちはそれなりに聴いてしまいます。やはりそれは Ali の声のお陰か。捨てた国の、それでもその国の音楽を演奏するということになれば、現代の技術を駆使することが、反動とは真反対の方向に進みたいという意思の現れ、と見るべきか、それとも「やっぱり音楽で喰っていくためには、それなりの売れ筋のものは取り込まないとね」ということなのか、それは判らないのだが。
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by ay0626 | 2012-07-14 13:05 | new age

ギターに照準、80年代前半の ステファン・ミクス (2)

 Stephan Micus を聴き始めて、30年を越える月日が経った。Micus の音楽は、本質は変わらないとは言え、例えば使用する楽器とか、1曲の長さであるとかは変化してきている。80年代前半の3枚のアルバムをこれから見ていこうと思うのだが、70年代が習作の時代(楽器の使い方や曲の並べ方など、これだけの楽器を弾けて、多重録音も出来て・・・アピールすることが重要だった)とすると、いよいよ80年代は実力発揮の時代となる訳だ。
 80年代の前半は、ギターの可能性を探っていたように思う。この3枚のアルバムはどれもギターがアンサンブルの中心になっている。しかし、本当に Micus がギターが上手いのか、といえば疑問がある。曲の中での使い方については、それなりに曲に合わせた良い感じではあるが、テクニック面では、ギター専門家に劣るように思う。
 特に民族音楽系のギター乃至撥弦楽器奏者には驚くべきテクニックを持った者がわんさかいる。例えば、L'ham de Foc の Efrén López 、Flairck の Erik Visser 、Besh o Drom の Sidoo Attila など、スピード、リズム、どれを取っても Micus 以上だ。しかし、この弛緩したまったり感を表現できるかは、己のテクニックを知り、その範囲で如何に曲を聴かせるかに懸かっている、それを非常に上手くやってのけるのが Micus なのだと言ってよい。
 どのアルバムについてもそうなのだが、Micus は鬼面人を驚かすような音楽は作らない。まったりした弛緩した時間を聴き手に渡してくれるような音楽を作る人なのだ。これは、楽器の生まれた地に行き、そこで生活をしながら楽器を自分のものとしていく、そんなことを繰り返して、自分の守備範囲を広げたことによるのだと思う。

a0248963_177884.jpg 80年代最初のアルバムが Wings Over Water、1982年(録音81年)。このアルバムが出た頃は、この手の音楽の新譜情報が少なく、原始的だが何件かの輸入盤屋を定期的に回るというのが最も効率が良かった。そのため、2週間に1度くらいは3~4時間の散歩が習慣となり、健康面でも良かったのではないかと思う(多分、1回で10km以上は歩いた)。もともと、学生時代は自転車にも乗らず歩き回っていたので、そう苦にもならなかった。今は、家でコンピュータを前に注文するのが当たり前になって、CD 購入は健康の役には全く立たなくなった。閑話休題。
 本作は、曲が長尺で、録音回数も相当に多くなっている、力の篭った作品といえるだろう。6章に分かれた組曲のうち、Part 1(演奏時間7分21秒)、Part 3(12分49秒)、Part 6(14分11秒)でギターがフューチャーされており、特に Part 1 のスティール弦の響きが印象的だ。Part 3 、Part 6 でもまったりとしたスピードのスパニシュ・ギターのソロが聴ける。また、後のアルバム Twilight Field でも再度取り上げられる Flower Pot (植木鉢)が、初めてお披露目されている。なかなか柔らかな響きで、昼寝にはもってこいの音楽に仕上がっている(前にも書いた通り、Micus Music は昼寝向きの音楽なのだ)。

a0248963_1773565.jpg 次が83年の Listen to the Rain 。80年に録音された For Abai and Togshan という20分ほどの長尺曲と83年7月に録音された6分~8分のギターと他楽器のデュオ曲3曲で構成されている。前々作の Behind Eleven Deserts の録音が78年10月なので、80年くらいには新しいアルバムの録音が開始されてもおかしくはない、多分何らかの理由でお蔵入りになっていた曲を引っ張り出してきたのではないか、この頃の未発表曲は数曲あったりして、ECM さんお願い!未発表曲のボックス・セット出して!
 比較的短い3曲は、それぞれスリン(インドネシア、ガムランの笛)、タンブーラ(インドのシタールに似たリズム・キープのための弦楽器)、尺八とのデュオ作。やや緊張感が少ない、退屈といえば退屈。長尺曲の For Abai and Togshan は、ギターとディルルーバ(インドの擦弦楽器)による演奏、5~6回の多重録音のため、音の厚みはそれなりにある。全体的には希薄な感じの出来で、Micus 作品のうちでは The Music of Stones に次いでターンテーブルに乗る回数の少ない作品である、ジャケットは凄く雰囲気があって好きなのだが。

a0248963_1775937.jpg East of the Night 、85年作品。LP時代は、A面B面とも1曲の構成。本アルバムは正にギターに焦点を当てた作品で、それも Micus 自身が考案した10弦と14弦のギターによる。
 表題曲は、尺八との曲であるが、出だしはギターのソロ、通常のギターでは出せない低音で始まる。最後は4本の尺八の合奏で終わるが、渋い印象の曲ではある。もう1曲は、For Nobuko 。はっきりした情報がある訳ではないが、Micus の奥さんが日本人で、彼女に捧げた曲ということだろう(ちなみに後のアルバム The Music of Stones では演奏者としてクレジットされている、また2001年作品の Desert Poems には For Yuko という曲があり、Micus 自身が女の子を抱いている写真もあることから、娘なのかなとも思う、これも日本人の名前だしね)。14弦ギターのソロ、22分10秒の演奏。演奏もゆったりとしている。
 音数だけで言えばかなり少ないが、決して退屈させることなく、50分近い演奏を聴かせてしまうのは流石。

 ということで、80年代前半のアルバム紹介は終了、80年代後半はもっといい演奏がてんこ盛りですよ、乞うご期待。しかし、無駄話のネタもなくなってきたなあ。
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by ay0626 | 2012-04-01 16:54 | new age

孤立の人、ステファン・ミクス。70年代。

 変わるのがよいのか、変わらざるがよいのか。歌謡曲の世界では、「私は変わってくのよ~、でもあなたは変わらないで~」といった歌詞が多いが、どう見ても「私は大人になるから、変わって当然なのよね~、あなたは思い出なんだから変わっちゃだめよ、当然よね~」という上から目線(嫌な言葉だ)が感じられて仕方がない。20歳の頃の紅顔の美青年でも、30年経てば、腹は出る、禿げる、老眼鏡を掛ける、それが当然なのである。

 音楽の世界でも、「変わっていく派」と「変わらない派」がある。どちらが良いとは言えない、音楽家の考え方、聴く方の期待感が決めるものなのだと思う。変わっていく派の代表ですぐ思い出すのが、 King Crimson、Miles Davis。変わらない派の代表が、Stephan Micus 。デビューが1976年、35年間、電気楽器を一切使わず民族楽器のみで多重録音を行い、独自の音楽を紡いでいる。
 Stephan Micus は、1953年ドイツ生まれ。殆ど共演した音楽家がいないので、誰に影響を受けたとかは分からない。つまり、Micus は Micus という事実があるのみで、その残された音楽を聴くしかないということだ。影響を与えた音楽家は、というとこれもよく分からないが、デンマークの Valravn のホーム・ページを見ていたら、好きな音楽家に Micus の名前があがっていた。

 Micus との付き合いは長く、初めてレコードを手に入れたのは大学生の頃だから、今から30年以上前の話になる。Micus の音楽はジャズではなくロックでもないものだから、掛けているジャズ喫茶もロック喫茶もない。ジャケットの裏を見ながら、「すげーインストルメンテーションだなー、どんな音楽なんだろうなー、買っていいのかなー・・・」とさんざん迷った挙句、「2,000円どーしよーかなー」といいながら、抱えてレジまで行った覚えがある。このとき買ったのは、Koan 。
 のめり込んで聴くような音楽でもなし、本を読みながらでも邪魔されないので、ターンテーブルに乗ることが多かった。それから新譜が出るたびに購入するようになり、80年代以降はディスコグラフィー通りに聴いている。

 a0248963_21515895.jpg最初のアルバムは1976年の Archaic Concerts 。Virgin の廉価盤レーベル Caroline から出たのだが、これだけCD化されていない。ECM が Micus 40周年記念ボックス・セットを出すようなことがあれば、是非是非CD化をお願いしたい。
 次が、ECM 第1作となる Implosion 、1977年3月録音。若々しく髪の黒々とした Micus が笙を吹いているジャケット。このアルバムでの使用楽器は、弦楽器でシタール、ギター、ツィター、ラバブ、管楽器で尺八、笙(分類学的には違うかも知れないが、便宜上ここに入れる)、タイ・フルート。なかなか若々しい演奏ではあるが、とっ散らかった印象のあるアルバムである。

a0248963_21523243.jpg 録音順で言えば、次が Koan 。中期に見られる Part 1~といった章立てになっているが、全体的に纏まった印象はない。今回は、グンデル、ボーラン、アンクルン、キージー、ビルマ・ベルなどの打楽器にも焦点が当てられ、前作より躍動感がある。
 Koan とは、禅でいう「公案」。下らないといえば下らないもので、例えば瓢鯰図は瓢箪で鯰をどうやって獲るか、を考えるというもの。暇もここに極まれり、と思ってしまうのだが、宗教批判はまた別の機会に。 Micus は、この「公案」がよほど気に入ったようで、30年後にも同じ題材で Life というアルバムを作ることになる、なかなか珍奇な音楽で噴出しそうになるところもあるが、それは後に話そう。

a0248963_21525726.jpg 1978年には2枚のアルバムを完成させる。1枚目が Till the End of Time 、6月の録音。17分強と18分の長尺曲2曲の構成。音数が少なく、静謐で、昼寝には最適の音楽。エンドレスにして掛けていれば、非常に気持ちの良い睡眠が約束されます。このアルバムで初めて使われたのが、テーブル・ハープ、コルトホルトの2つ。コルトホルトの柔らかなダブル・リードの音が良い。

a0248963_21533624.jpg 2枚目は、Behind Eleven Deserts 、10月録音。このアルバムは、Implosion と同様、短めの曲が7曲並ぶ。この後、いろいろなアルバムに使われるスリン(インドネシアのフルート)、ティン・ウィッスル(アイルランドの小さな笛)が初めて登場する。ECM ではなく、Intuition というレーベルから出ている。

 長い付き合いの Micus。今年は新譜の出る年なので、それなりに(すごく!!!というわけでなく)楽しみにしたいと思います。早く案内が ECM のホーム・ページに出ないかな。 
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by ay0626 | 2012-01-12 20:15 | new age