日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:radical-trad( 9 )

フィンランドのデジェリドー・トラッド ヤーラルホーン

 先ほどまでやってました、ドラゴンクエスト7、何度も書いて恐縮だが、飛び抜けて面白いゲームとは思わない。それでもこれだけの時間やらせてしまうのは、やはりシナリオの良さか。面白いゲームは良く売れる、そうすれば収入が多く次回作に掛けられる費用が増える、経済的に余裕があれば開発陣ももっと面白いゲームを作ろうと張り切るから、そういう良い回転の中で名の知れたゲーム・シリーズは長く続いているのだろう。
 ポケモンも同じようなものだが、このドラゴンクエスト・シリーズも長い期間に亘って人気を保ってきた。ニンテンドー・DSでも4、5、6はやった、詳しいことは憶えていないが。ドラゴンクエスト・シリーズを初めてやったのは、多分スーパー・ファミコンの頃、今から20年近くも前のこと。子供たちが丁度小学校に上がる位の年頃、ご多分に漏れずアクション・ゲームに夢中になっていた。自分はその前から、パソコン版のウィザードリーをやってRPGにはかなり嵌り込んでいたので、アクション・ゲームばかりやっている子供たちにRPGの面白さを教えようと、中古の『ドラゴンクエスト1・2』を買ってきた訳。最初は「めんどくせー」など言っていた子供(特に次男)たちが、謎を解くごとにのめり込んでいった、やはりやり方の判るまでRPGには取っ付き難さがあるのだろう。それから何年か経って、ポケモンが登場し、子供たちはアクションとRPGの2本立てで楽しんでいる(オヤジは手が動かないので、アクションはダメだが)。

 6月も今日で最終日、月日の経つスピードは早い。今週の火曜日は半夏生、半夏という草が生える頃ということらしいが、蛸を食べる日としても有名。蛸は足が8本あって、それを稲の根に見立てて根が確りと張るように、ということらしい。また、天から毒が降ってくる日でもあって、井戸に覆いなどしたらしい、またこの日採った野菜は食ってはいけないとも、多分湿度が高くものが腐り易い時期、その戒めの意味もあったのだろう。しかし、梅雨の真っ只中の時期なのに、今年はカラッとした日が多い、今日もそれほど不快感はなかった。

 頭の悪さは、作文能力に覿面に出る、読み返すと酷い文章だ。どこかのオッサンが『ゲーム脳の恐怖』(?)というトンデモ本を書いて売れたという記憶があるが、ゲームをやりだすと他が手に付かない、ということだけはいえそうだ。

 さて、フィンランドのラディカル・トラッド・バンド、Gjallarhorn 。ラディカル・トラッドに興味を持ち出した2005年頃、Hedningarna と同時に聴き出した。Hedningarna ほどおどろおどろしくなく、演奏もアコースティク中心で、自分にとっては聴き易かった。

a0248963_2222265.jpg Ranarop、1997年。2002年には1曲追加の上、リマスターされた版が出ている(自分が持っているのはこれ)。Jenny Wilhelms(vo, vin, hardangerfiddle) が中心となるバンドで、メンバーの入れ替わりが多い。この時は、ディジェリドーが Jakob Frankenhaeuser から Tommy Mansikka-Aho に替わる時期で2人のクレジットがある、パーカッションが David Lillkvist、ビオラとマンドーラが Christopher Öhman という構成。デジェリドーとは、シロアリに中心部を喰われて空洞になったユーカリの木に空気を吹き込み低音を出すオーストラリアの原住民、アボリジニの楽器。この楽器は、循環呼吸で演奏され、音が途切れることがない(Evan Parker や Kang Tae Hwan などと同じ)。北欧のラディカル・トラッド・バンドには何故かしらよく使われる楽器であるが、専任のメンバーを抱えるのはこのバンドとオランダの Omnia くらいしか思い浮かばない。このデジェリドー、なかなか雰囲気を盛り上げるのには持ってこいの楽器で、一種の不気味さ、情念みたいなものを表しているような気がする。可愛らしい Jenny Wilhelms の声と対照となっている。
 Ranarop とは、副題にあるように Sea Witch らしいが、詳しくは判らない。

a0248963_2224121.jpg Sjofn、2000年。メンバーは前作と同様だが、ベーシストとして Sara Puljula が参加、太いいい音を聴かせている。カリンバやジューズ・ハープが聴こえ、パーカッションもアフリカ系統かと思える音を出しているのに、殆どの詞とメロディーはスエーデンやノルウェー、フィンランドの伝承曲から採られていて、フィドルの感じも丸で北欧というのもなかなか変でよい。
 4曲目などで聴かれるキンキンとした高音で歌われる羊追い歌などは独特なもの。前作よりもまとまりの点で今作の方が上。かなり重ね取りをしており、若干音を作り過ぎているような感じがないでもない。
 You Tube で彼らのプロモ・ビデオを見ると金粉で顔を彩色した Jenny さんと原始人みたいな格好をしたメンバーが出てきて、ようやるなぁ、という感じで一見の価値はある。このアルバム、一時は良く聴いた。

 ボーナスも出るまでは、まだかまだか、と思うのに出てしまうと何に使うわけでもなく、一瞬で気持ちが変わってしまうのは何故なんだろうか。
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by ay0626 | 2013-06-30 21:53 | radical-trad

フェロー諸島って知ってる? ヴァルラヴン

 今週もライブと夜の会食があった日を除けば、3DSを弄ってばかり、ゲームってやりだすとついついやってしまうんだよなあ、と自己弁護。

 ライブは、この前書いた通り、姜泰煥と土取利行のデュオ。堪能しましたね、実に。土取さんのドラム素晴らしいの一言。土取さんの実際の演奏を見たのは、実に30年振りのこと、正確に30年かといわれると記憶も曖昧だが、そのときはソロだったと思う。
a0248963_22133932.jpg 土取さんを初めて(レコードで)聴いたのは、Billy Bang の Changing Seasons というアルバム。Bang は、String Trio of New York を聴いて以来、何枚かコレクションしていて、この Changing Seasons と全くの無伴奏ソロ Distinction Without A Difference は凄く気に入った。Changing Seasons のドラムが全く独創的で何度も繰り返し聴いたのを憶えている。ちょうど社会人になりたての頃で、会社の寮に戻って夕飯を食べ終わると直ぐにこの手の音楽を掛けていた、非常にはた迷惑な話であるが、その頃は罪悪感を感じることはなかったように思う。
a0248963_22141338.jpga0248963_22144178.jpg このアルバムで Toshi Tsuchitori という名前を覚えて、たまたま何処かの輸入盤屋で見つけたのが、Ajagara というドラム・ソロのアルバム、これにはやられました、土曜日曜になればエンドレスに掛け捲って、それも相当なボリュームで。ドラムのソロでここまで出来るのだ、と心底感動したものである。そんなとき、小さな会場でのソロ・パフォーマンスを見に行った。ドラムだけでなく各種のパーカッションに声のインプロを絡めた演奏だったように記憶している、何しろ長い年月を跨いでいるので、思い出せるのはその程度。(そういえば、パーカッション・ソロでもう一枚良く聴いたのが Jerome Cooper の The Unpredictability Of Predictability 、特にLP B面のバス・ドラムとハイハットの単純なリズムにバラフォンのインプロが乗る20分程の曲 Bert The Cat は凄かった)。この3枚、どれも CD化されてないのは残念。
 今回の演奏は、バス・ドラムとシンバル、銅鑼の使い方が印象的。バス・ドラムは遠雷のように腹に響く、シンバルは割れるのではないかしらと思うほどバシッと短く決まり、その踊るが如くのドラミングはただ口を開けて見ている他はない、特にシンバルと銅鑼をマレットで叩き続ける中、姜さんのロングトーンが突き抜けていくところなど鳥肌モノだった。
 姜さんも見るのは久しぶり、2007年以来(高橋悠治とのデュオ)。頭も白く薄くなって、ちょっと見ると漫才のオール巨人みたいな感じで、風采の上がらないことこの上ない、しかし舞台で吹き出すと70歳近い年齢とは思えない朗々とした音のボリュームと艶。この2人、相性は抜群、今まで姜さんは3度見たけれど、一番の出来ではなかったかと思う。お客も吃驚するほど沢山入っていて、若い人(といっても20歳台は少ないかなぁ)が多かったのもまた吃驚。
 最後に土取さんが「今度は唖蝉坊をやりますよ、演歌です」といっていた、唖蝉坊とは添田唖蝉坊のことで明治から大正に活躍した演歌師のことで、そんなことまでやっているんだ、と思った。

 さて、今回は Faun のアルバムにも登場したデンマークのラディカル・トラッド・バンド Valravn の紹介。Valravn とはワタリガラスのこと。北欧神話の主神オーディンの使いとしてフギン(思考)、ムニン(記憶)の2羽がいるのは、貴志祐介氏の『悪の経典』で有名になった。2枚目のアルバム、Koder På Snor が話題となって、Faun のアルバムにも参加していたので(それが、なかなか味のある歌いっぷりの女性ボーカルだったので)手を出すことにした。女性ボーカルの出身がフェロー諸島、グリーンランドと同じくデンマークの自治領、独自通貨まで持っているようだが、詳細は次回にでも。

a0248963_22154873.jpg 最初のCDは、20分ほどの録音時間の Krunk (デンマーク語で「良い」といった感じか)、2005年。メンバーは、Anna Katrin Egilstrøð (vo)、Juan Pino (perc)、 Martin Seeberg (vla, fl)、Søren Hammerlund (Mandola, Hurdy Gurdy)という典型的なラディカル・トラッドのバンド編成。この Anna Katrin Egilstrøð というお姐さん、もともと女優を目指していたということで、正式なファースト(このEP と次作はデモ的な扱いになっているのだろう)では、中ジャケットの写真ではなかなか色っぽい写真を披露している。コブシの効いた歌い方で好き嫌いは分かれるだろうが、インパクトはある。同じラディカル・トラッドの Garmarna の Emma Härdelin とは対照的な感じ。

a0248963_2216756.jpg 次が Krunk Krunk 、2007年。前作を丸ごと取り込んで、5曲を追加したもの(Krunk の最初の曲 Kom Alle Væsener (全ての存在が来る)は2分割され、最初と最後に配置)。グループ名と同じタイトルの(正式)ファーストはドイツ・アマゾンで買ったような記憶があるが(これもなかなか手に入り難かった)、このファーストの前に2枚のデモがあると知ったのは、Discog でディスコグラフィーを調べたときのこと。そして、バンドのホーム・ページを見ると「これらの作品を購入するしたい人はEメールで知らせよ」というようなことが書いてある。「Pay Pal で支払いが出来るなら、購入するので、ここに送ってくれ」とメールすると、なんと10日ほどで2枚のCD が届いたのである。向こうから来た送金先を記したメールを迷惑メールに紛れて消してしまったようで、再度メールを頼んだことを憶えている、確かメールの送信者はパーカッション担当の Juan Pino だった。CD代金と送料込みで20ユーロと、なかなか安かった(購入当時はユーロが100円程度だった)。
 音楽は、正統な(?)ラディカル・トラッドというもので、音の取り方も正規アルバムの捏ね回したようなところがなく、平板といえば平板だが、楽器ひとつひとつの音も良く聴こえ、比較的好印象。メンバーのオリジナルとスエーデン、アイスランド、デンマークのトラッドで構成され、インスト曲も数曲含まれている、メロディーも覚え易い。

 今日は朝から良く晴れて、温度は上がったが比較的湿度は低く、夜になれば風が冷たいくらい。旧暦でいえば5月21日、これが本当の「五月晴れ」といったところ。
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by ay0626 | 2013-06-29 20:19 | radical-trad

極北の寒風 ワルシャワ・ヴィレッジ・バンド (2)

 肌寒い日が続く。運気低迷ぶり返し、あんまり良いことがない。

 本の話題、先週東川篤哉さんの『私の嫌いな探偵』を買ってきた、烏賊川市シリーズの最新作。この方、近頃は『謎解きはディナーのあとで』で大ブレークしているが、そっちは全く読んでいない。かなり前、光文社文庫から出ていた鮎川哲也と二階堂黎人編集の「本格推理」シリーズに採用された頃から一応は目を通していて、カッパ・ワンで『密室の鍵貸します』を読んですっきりした出来に感心し、2作目の『密室に向かって撃て』も印象が良く、新刊が出れば読むようになった。軽い割には謎解きが確りしており、何よりもいい加減な探偵鵜飼杜夫の性格が好きで(どうも読んでいると大泉洋の顔が頭の中に出てきて仕方がない)、キャラクター小説という訳ではないが二宮嬢、十乗寺嬢、戸村くん、砂川警部など変人たちの書き分けも上手い。3作目の『完全犯罪に猫は何匹必要か?』、4作目の『交換殺人には向かない夜』までは快調なペースで、それも後に行くほど出来が良いと感心していたのだが、次がなかなか出ない。『館島』や『もう誘拐なんてしない』はそれほどの出来でもなく、鯉ヶ窪学園探偵部シリーズもあまり好きではなかったので、彼の作品を読むのは最早これまで、と思っていたら4年ぶりに『ここに死体を捨てないでください!』が出て(ちょっとこれまでのシリーズとは違った方向の作品だが)、その後短編集2冊が纏まり、細々と縁が続く次第。今のところ、積読状態。

 大坪砂男の方は正に蝸牛の歩み状態、今週読んだのは1巻の「黒子」「立春大吉」の2編のみ。「黒子」の狙いは面白いと思うのだが余りに晦渋、じっくり読んでも良く判らない、2度3度読み返してやっと意図が判る、それにしても読み難い文章に加え捻りに捻った構成では現代の判り易い小説に馴れた者は途中で止めてしまうかも、という感じ。「立春大吉」は浮気性の若い嫁への執着と気持ちの悪い子供への距離を置いた感情が、皮肉めいた文章に上手く乗り、意外な凶器を使った殺人に結びつくところなどかなりの出来、感心致しました。

 世の中、先週も書いた通り株と為替は一段進み、さてこれが吉と出るか凶と出るか、もうちょっと経たぬと判らない、病気の根が深ければ劇薬に近いクスリしか効かないのかも。
 海外では、北の第一書記さまがブラフの連続切り、こちらもどんな幕切れになるのか。
 いろいろ、気になることが多い今日この頃ではあります。

 ということで Warsaw Village Band の2回目。このバンド、聴いていると不安感を煽るような音楽なので、通勤時間でも余程気力充実の時にしか聴かない。特に新しい作品ほどそんな感じ。

a0248963_1917037.jpg  Uprooting 、2004年。Maja Kleszcz (cello, vo)、Maciej Szajkowski (frame ds)、Magdalena Sobczak (dulcimer, vo)、Wojtek Krzak (vln, hurdy gurdy)、Sylwia Świątkowska (vln, vo)、Piotr Gliński (baraban ds, xylophone) という6人組。これに加えて、コーラス隊ほか DJ 、Dub 担当などがゲスト参加。伝統音楽とクラブ・ミュージックを融合しようとしているのは、ジャケット・ブック中央のメンバーの勢揃いした異常な色彩のファッションを見ても判る、Youtube のライヴ映像でも尖がったファッションを披露し、ある意味パンク的な印象も。
 本作品は題名からも判る通り、「過去に遡っていく」。何曲かの冒頭に LP (SP?) から盤起こししたような(プチプチしたスクラッチ音)古い演奏が置かれている。その割には、1曲目など DJ のターンテーブル音がてんこ盛りといった状態、他にも数曲そんな曲がある。正にラディカル・トラッドという感じ。Maja Kleszcz というお姐さん、ちょっとアンニュイな雰囲気を持った、それでも地声系のヴォーカルで聴かせる。
 このアルバム、2008年に Upmixing という題名でリミックス盤が出ているが、それは未聴。
 まだこのアルバム辺りまでは、明るいところも感じるのだが、次作以降その「寒風」度は増してゆく。

a0248963_191725100.jpg Infinity 、2008年。メンバーは前作と同じ。
 聴いていると不安になってくる1曲目から、なかなか全曲55分余りを聴き通すには根性のいるアルバム。本当にずっしりとした聴き応えのある作品。
 特筆すべきは2曲目、Maya 姐さんのヴォーカルはいつも通りだが途中のチェロ・ソロの素晴らしさに加え、Tomaz Kukurba というゲストの声、これが何というか「凄まじい」の一言、幽霊妖怪の類(ヨイクとの関係があるのか?)、多分男なのだろうが中性的な感じでもっともっと歌って欲しいと思う。4曲目は、またまた DJ を加えた音響処理の効いた作品、5曲目は女声コーラスと打楽器のみの作品。6曲目は女声ゲストが加わる、バックのコーラスは全てゲストの声のよう、ヴァイオリンはピチカートのみの演奏(トリオ演奏)。7曲目はトラッドの王道といった堂々とした演奏、本作中屈指のトラック。9曲目はインストルメンタル、狂ったようなヴァイオリンが印象的。11曲目もゲストを加えた演奏(チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラの器楽に男女ヴォーカル)、ブルーズが題名に入っているがその通りの曲調、男声はそんなに特徴的といったものではない。12曲目は Magdalena のダルシマーが全面的にフィーチャーされた美しい曲。

a0248963_19174872.jpg Nord 、2012年。Maja Kleszcz と Wojtek Krzak が抜け、Paweł Mazurczak (b) と Ewa Wałecka (vln, vo) が加わる。女性3人がメロディー担当、男性3人がリズム担当という分かり易い構成になった。Maja 姐さんが中心かと思ったらそうではないらしい。
 やはり聴きものは、1曲目と2曲目、Hedningarna 全員参加(自身のアルバム & の出る前に録音されている、Valter Kinbom というパーカッショニストはメンバーなのか?)!!!1曲目、不穏な不協和音に始まる導入部から Hedningarna の雰囲気満載、まるで Trä や Kaksi! の世界が帰って来たかのよう。切り裂くような Miłosz Gawryłkiewicz のトランペットも格好よく決まり、凄まじい演奏が繰り広げられる。2曲目、 Hållbus Totte Mattsson のハーディー・ガーディーと Anders Norudde のバグ・パイプの素晴らしさ、世界がぐっと広がる感じ、何とも言えません。最初の2曲の印象からか、「峻厳」「極北」のイメージが前作以上に強調されている。ここまで密度の高い演奏をやってしまうと、次作はかなり作り難かろうとは思う。

 二十四節季で言えば清明を過ぎて穀雨に向かう頃、空気も湿り気を帯びてゴールデン・ウィークへ。さて、何をしましょう、去年みたいな目だけは会いたくありませんな。
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by ay0626 | 2013-04-13 17:25 | radical-trad

ジャズとロックとトラッドと奇妙な女性ヴォーカル ベシュ・オ・ドロム (2)

 ほんの数日前、最も笑ったのが北朝鮮の金●恩将軍さま(彼はまだ将軍さまではなかったか?まぁ、些細なことだ)の記事。アメリカのニュース・サイト『オニオン』が、金●恩大将軍について「あっけにとられるほど美しい顔立ち、丸い顔、ボーイッシュな魅力と逞しい体。この平壌育ちの憧れの的は、全ての女性の夢の化身・・・・」と書いた、これを真に受けたのが中国の『人民日報』、言わずと知れた共産党の機関紙の電子版がこの記事を大々的に取り上げた。外国メディアに「悪ふざけに引っかかった」と報じられ、直ぐに削除されたという。中国は、いうことを聞かない北朝鮮に対しての当て付け、嫌味で取り上げたのではないか、とも思ってみるのだが、それじゃ余りに直截的過ぎる、やっぱり一旦は真面目に考えたのか知れない。
 昔から、美醜の問題は本質的でない、といわれながら、物事に大きく関わってくることは間違いないようで、北朝鮮で言えば、あちこちに掲げられている金●成、金●日親子の写真、相当修整されている、特にちんちくりんの印象の強い金●日の写真など、上手いこと修整するもんだ(本人と判らなければ意味がないので、本人とは判るが、それでも何倍もいい男に写っている)と思う。北朝鮮の人は修正の事実は知っているよね、ニュース全部を修正するほどの予算はないだろうから。思い出したのは、昔オウム真●教が作ったマンガ映画、そこに出てくる麻●グルの慈しみ深く優しそうな印象、現物の胡散臭さなど全くなく、しかしこれも全く本人に似ていない訳ではない、やっぱりその人物は麻●グルと判る。しかし、信者さんにとっては、マンガのグルも本物のグルも同じに見えたりして、信心がありゃ脳が勝手に視覚を修正してくれるのかも。そういえば、そう見たいと思うとそう見えるということは、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』が教えてくれていた訳だ。
 人は、見た目の印象が9割、と誰かがのたまわっていたが、なるほどその通り、すれ違う程度、1度か2度会う程度であれば、見た目以外の印象が割り込む余地は少ない。しかし、袖触れ合うも他生の縁程度の関わりだけじゃないので、何度も付き合ううちに碌でもない関係に陥ることもある。例えば、2年ほど前にあった30台半ばの小太りな女が結婚詐欺で何人もの男に貢がせ、挙句に一酸化炭素中毒で殺してしまった(真実かどうかは判らないが、死刑の判決は出た)事件、これなどは見た目だけじゃここまではいけないはず、お付き合いした後の手練手管のほうが重要で。やはり、美醜は二義的問題か、でもお付き合いするなら美人がよい、自分が惨めにならない程度の、それでもその上限くらいの。

 ということで、Besh O DroM の2回目。ハンガリーのバンドは、最近 Makám を聴き出して、歌手の Szalóki Ági など、両方のバンドで歌っているが、同じようなリズムやメロディーを使っても(Gyi! の表示は全部ハンガリー語なので判らない部分も多いのだが、1曲目はマケドニアのトラッド、2曲目はルーマニアのトラッド云々などという記述があり、Ha megfogom には殆どがトラッドをベースにしたという記述が(英語で)書かれている)、これだけ違う音楽が出来るということを教えてくれる、両バンドとも近頃愛聴しております。

a0248963_1737443.jpg 3枚目のアルバムが、Gyí! (Hiyo! 馬への掛け声ですね)、2005年作品。基本的には、前作の路線を踏襲している。ブラス・アンサンブルが主体で、そこに女性ヴォーカルが絡んでくる。ブラス・アンサンブル主体の曲は、打楽器がドラムを中心にエレキ・ベースも加わって、どちらかというと民族音楽的な感じは薄くなっている。女性ヴォーカルは、10曲中5曲に参加、前作に続き、Szalóki Ági が3曲、Juhász Miczura Mónikaが2曲、Szalóki Ági の声も特徴的で忘れがたいが、Juhász Miczura Mónika はもっと変、こんな歌い方で喉は大丈夫かと要らぬ心配をしそう(前回と同じことを書いているな、と反省)、それにしても奇妙な声である。しかし、ジャケット内側の写真を見ても、Yahoo や Google で画像検索してみても、両女性とも全くノー・プロブレムの美人、この顔であんな歌を歌うのね、ふーん。
 ブラス・アンサンブル主体の合奏曲と編成を小さくして各楽器のソロをフィーチャーした曲とが混在している。5曲目はアコースティク・ギターとゲストのコントラバスを、7曲目は、民族フルートのカヴァルとエレキ・ギターの掛け合いに民族パーカッション(多分両面太鼓のタパン)を絡めて、10曲目にエレキ・ギターとトランペットに導かれた男性ヴォーカル曲とアクセントを付けた構成になっているが、ツィンバロム(ハンマード・ダルシマー)の活躍が若干少ないのが残念(10曲目の曲調が変わるところで、アルト・サックスの後ろで若干活躍する程度)。

a0248963_1737179.jpg 4枚目、Ha megfogom az ördögöt… (Once I Catch The Devil...、悪魔を捕まえたら)、2006年。前作に引き続き女性ヴォーカルは Szalóki Ági (6曲)、Juhász Miczura Mónika (2曲)。最初の2曲は、カヴァルとフルートが活躍している。4曲目は、スクラッチ音が入っているので DJ が一部加わっているか。5曲目は、ベースとエレキ・ギターに導かれ、ここでもカヴァルが全面フィーチャー、Ági ちゃんの声がバッチリ決まった名唱。8曲目にやっとツィンバロムが若干聴こえますね、全体にもうちょっと出て来て貰っても良いのではないでしょうか、12曲目は殆どツィンバロムのソロで埋められる、やはり出番が少ないと思われたのでしょうねぇ。9曲目は、またもや DJ 的な効果を狙ったか、ちょっと奇妙な感じ。
 合奏とソロの交え方はジャズ的で、ソロはテクニックを見せ付けるようにちょっと派手目、そこのところが Makám とは反対の行き方。ブラス・アンサンブルでも、サキソフォンがクラリネットに持ち帰ると雰囲気がかなり変わる、また羊飼いのフルートと表示のある、ティン・ホイッスルに近い音の使い方も印象的。

a0248963_17373185.jpg 5枚目は、5年の時を経て 2011年作、Kertünk alatt (Down the Garden、庭の外れに)。1曲目の出だしは今までのアルバムと同じような感じだが、男性コーラスが聴こえたかと思ったら、ちょっとチープな感じのシンセのソロ、明らかにシンセと判る音は他に何曲も入っていて、大いに気になるところではある。若干、(音の取り方のせいかも知れないが)アンサンブルの厚みも薄くなったような・・・、よく見れば、メンバーに管楽器奏者は1名しか載っていない。曲数も11曲あるのに、収録時間は39分程度ということで、やや物足りない感じがする。特に11曲目は、DJ の Remix、おまけを含んで39分は短すぎるでしょう。
 女性ヴォーカルは、前2作とは異なり Kaszai Lili 、灰汁の強かった前作までに比べややあっさりした印象(写真はちょっと眉の細い妖艶なお姐さん風に写っております。美人です)。また出番も少なく、男性ヴォーカルのほうが前に出てきているような感じ(今までは、1曲か2曲だけ。決して悪いということではないので、念の為)。また、新メンバーで、アコーディオン/ハーモニカ担当の記載があるが、余り聴こえない感じではある。
 5年アルバムを出さなかったことが、マイナスとなったか。次作は一段のパワー・アップをお願いしたい。

 かなり寒くなってきて、寝床で本を読む気力もなくなってきた(腕を出していると若干寒い)。この頃は、そういうことで寝る前には音楽、ハンガリーの3つのグループはこの頃のお気に入りであります。ウォークマン、復帰してから大活躍。
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by ay0626 | 2012-12-01 15:45 | radical-trad

ハンガリーのパワー・ラディカル・トラッド ベシュ・オ・ドロム

 オリンピックの余波も落ち着き始め、そろそろメダリストの皆さんも日常復帰と言ったところか。
 スポーツ選手というと爽やかだとか純粋だとか言われるが、実際のところどうなのか。例えば、アフリカの何とかいう国の選手は、大会が終わっても選手村に帰らず行方知れずになってしまったという。自国に帰るよりロンドンで潜み続け何時か亡命でも果たし、二~三流でもよいからプロスポーツ団体からお呼びが掛れば余程よい生活が出来ると踏んだのであろう。そういう意味じゃ、スポーツも亡命の手段以外の何ものでもない。別に自国に忠誠を誓わなければならぬ理由もない、その期間だけナショナリズムの発動する日本みたいな裕福な国ばかりではないのだ。
 スポーツ選手が純粋ならば、絶対に起こらないことが起こったのがバドミントン、無気力試合をやり捲くって、日本人が棚ボタの銀メダルを取ってしまった、別に銀メダルを取った人を貶めるつもりはない、ただやはり参加することに意義などなく、メダルを取ることのみに意義があることを教えてくれる。特に国威発揚のために選手を養成している国はそうだ。日本だって、メダルを取ればその人の努力の跡まで詳細に教えてくれる、大体が感動話を交えてだ。メダルを取らなければ、話題にも何もならない、何百人単位で凄い金を掛けてロンドンくんだりまで出かけて、話題にも上らない競技の如何に多いことか。
 ヤフーのニュースだったか、スポーツ選手に、5年以内に死んでしまうようなドーピングをしてもオリンピックのメダルが取りたいか、というアンケートを採ったところ、実に過半数の者がイエスと答えたという。別に驚くことではあるまい、選手は狭い世界に住んでおり、交友の場も話題の範囲もその中だけ、当然と言えば当然のことだが、その中で思考の全ては如何に一番になるか、それしかない。採れる手段は何でも採る、判らなければそれでよい、その世界の住民の多くの者がそう思っている。自分たちサラリーマンでも、そう何社も会社を渡り歩くならいざ知らず、自分の勤める会社がスタンダードと思い、社内常識がつい社会常識と思ってしまう、それがかなりずれていようとそういうものなのだ、スポーツと言う特殊世界であれば、その傾向が一層強くなるのは当然だろう。
 もう一つ、ハンマー投げの某選手が、IOC委員か何かの選挙の違反をしたとかいう話、ちょっと興味深かった。どうしてもスポーツ選手は若いうちにピークを打ってしまう、会社員とは違い歳を取ることは一方的に衰えていくことに他ならない、その中でちゃんと未来を見据えて自分の生活を考えている人もいるのだ、皮肉ではなく。たとえハンマー投げというマイナー・スポーツでかなり歳を取るまで競技が出来、親父もその道の人という条件が揃ったせいであっても。少なくとも矢吹丈のように自分の階級を変えぬために試合直前に下剤をたんまり飲む、といった『純粋さ』に賞賛の声を上げる人たち、スポーツをただ美しいものと考えて、感動を貰ってありがとう、と素直に言ってしまえる人たちは思いたくはないだろうが、すくなくともメダルを取るような選手はその競技が『職業』なのだ、ということは事実なのだ。違反すれすれ、というよりも一歩間違ってしまったハンマー投げ某選手は、スポーツ村の住民からは賞賛を受けるのだろう、余程出ることに意義を見つける話題にもならない貧乏人選手は別として。
 ロンドン・オリンピックは、まあ、ショウとしてはよかった、北京みたいな国家が出てこなくて。最後に出てきたポール・マカートニーは見苦しかったが。

 上の話題とは全く関係のない、ハンガリー Besh o DroM(DroM の M は大文字が正しいらしい) の紹介。ハンガリーと言えば、The Moon and the Nightspirit のことを以前に書いたが、同じ国でも全く異なる方向、それが面白い。

 Besh o DroM は、1999年に Barcza Gergő (sax, ney, flute)、Pettik Ádám (derbuka, vo)、Sidoo Attila (g) により結成された。ブラス・ワールド・ミュージックというか、なんとも異国情緒に溢れた(バルカン半島各地の音楽を寄せ集めた)判り易いメロディーに、時には DJ にミックスさせたりするところも、何でもあり、という感じ。エレキ・ベースは入っているのだが、パーカッションがドラムではなく民族楽器が主体なので、やっぱりロックやジャズではなく、ワールド・ミュージック、ラディカル・トラッド。まあ、ついこの間書いた Warsaw Village Band でさえ DJ Mix があったのだから、このバンドにそれがあっても当然と言ったところか。

a0248963_22395379.jpg 最初のアルバムが、2000年の Macsó hímzés (Macho Embroidery ~ マチョーの刺繍)、ハンガリーではプラチナ・アルバムになったということのようだが、かの地でプラチナはどのくらいの枚数を売ればそうなるのか、まさか人口が1,000万人に満たない国で100万枚はないよね?
 確かに明るい乗りで、器楽演奏はカラフル、メロディーも判りやすく印象的、ということになれば売れるのは判るのだが、例えばダルシマーやネイ、カヴァル(民族フルート)が入っているということは、日本でいえばポップスに尺八や三味線、竜笛や笙が入るようなもの、やっぱり変だよね。
 元々民族音楽系の音楽家は演奏の達者な人が多く、このバンドも例外ではない。ブラスを主体とした曲を中心に置いている中に、例えばダルシマーやネイの長いソロを含んだ民族音楽っぽい曲が紛れると強烈な印象を残すことになる。
 Szalóki Ági (アルバムには Ágnes と表示) の声も柔らかで、4曲を歌う。他にも Csurkulya József のダルシマー、Farkas Róbert のヴァイオリンやアコーディオンも非常によい。

a0248963_22403711.jpg 2枚目が、Nekemtenemmutogatol (Can't Make Me!)、2002年。このアルバム、世評には高くないようだが、自分としては非常に気に入っている。
 ダルブッカに導かれブラスが入り、素晴らしいアコーステック・ギターとアルト・サックス、トランペットのソロが聞け、またリズム、曲調の目まぐるしい変化が楽しめる1曲目からこのバンドの魅力満載。一転2曲目は、尺八の音かと思うほどのネイの哀愁、落ち着いたギターとパーカッションのジャズ的な伴奏。3曲目は、エレキ・ギターとアコースティク・ギターの多重録音、といったように非常にバラエティーに富んでいる。自分がこのアルバムを好む理由は、多分各楽器の音がソロの形でよく判ることではないか、と思う、ジャズを聴くときのような聴き方をしている訳だ。
 そしてなんといってもびっくりなのが、2曲を歌う Juhász Miczura Mónika の声。何というかヘリウム・ガスでも吸ったような感じで、もの凄く変。たった2曲じゃなくて、もっと歌って欲しかった。次作 Gyi ! では、前作の Szalóki Ági との2枚看板で2曲を歌っている。

 ということで、後の3枚は別の機会に。Warsaw Village Band でもそうだったけど、この頃は何か根性がなくて、紹介できるアルバム数は2枚程度、ニンテンドーDS のやり過ぎで頭の中がウニ(勿論黄色くて美味しいアレ)状態のせいかも、まともに音楽も聴いていないからなあ。
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by ay0626 | 2012-08-18 20:43 | radical-trad

ポーランドの新たなラディカル・トラッド ワルシャワ・ヴィレッジ・バンド

 先ずは思い出話から。
 ポーランドは2回訪問したことがある。海外など会社の出張で行くのみだから、ポーランドも出張、最初の出張は2003年人事部員として、2度目は2006年企画担当として。人事部は海外各所に2年に1度程度お小言を訊きにいく、海外駐在員たちの苦労は先ずは訊くことから始めるしかない訳で、本社の人事に文句を垂れればそれだけで胸の痞えも降りようというもの。大概は、「それは申し訳ない、でも頑張って」という定形文句で済ましてしまうのだが、やはりポーランドとなると、住む日本人も圧倒的に少なく、日本食など殆ど手に入らない状況、こちらも何とかする手立てもなく「申し訳ない」の言葉も心からのものとなる。
 工場はポーランドの最も南の地区にあり、近くに世界遺産となった場所が3つある。そのうち、中世の町並みの非常に美しいクラクフの街と負の世界遺産に登録された強制収容所アウシェヴィッツを訪問した。

 5月の中旬だったかよい陽気が続く頃で、出向者との一連の面談をほぼ終了し、若干時間が余ったため、何とか言う役所に行くついでにアウシェヴィッツ見学をしたのである。太陽が雲に隠れるとひやっとするような、そんな気温の日。駐車場に車を停めると何台ものバスが目に入る、小学生の社会見学に組み込まれているようで、ぞろぞろと子供たちも入場する、このときは「有名な場所だから小学生も行くのだろう」程度の感想。有名な、Area のファースト・アルバムの題名にもなった「Arbeit Macht Frei 」の看板を潜るとなにか不穏な雰囲気となる。非常に広大な土地に何棟ものレンガ積みの建物、そのうち幾つかの棟に入って見ると夥しい写真と物品、ある棟には鬘が、別の棟には義足や義手が山のように積まれている、そしてガス室の構造の模式図や拷問部屋の解説など、見ているだけで背筋に寒気が上ってくる。そう、ナチスはゲルマン民族の優位性を確保すべく、ユダヤ人、ロマ人、ポーランド人や体の不自由な人を殺戮した。狂気の暴走、ここで何万人もの人が絶望の最期を迎えたかとおもうと、死後の世界や祟りなど全く信じない自分でさえ、一瞬宗旨替えをすべきじゃないかなどという気分になる。いいおっさんでもそれだけのショックを受けるのだから、さっきいた小学生諸君など一生のトラウマになるのではないか、もっと大人になってから見せても・・・なぞ、余計なお世話を焼きそうになる。陽が翳り、ちょっと霧のような雨が降ったりして、さながら恐怖映画の中のよう。
 実際、何十万人(何百万人?)という人がかの地で殺された訳で、外に出て有名な「死の門」でボケッとしているときも何か落ち着かない気分ではあった。

 翌日は、クラクフから飛行機に乗る予定だったので、その前に簡単にクラクフ見学をした。前日のアウシェヴィッツとは打って変わって明るい歴史の重みを感じる町並みで、ヴァヴェル城、聖マリア教会、織物会館など急ぎ足ではあったが印象深い。食事は中華料理、何処にでも中国人は進出しているのか、それでもそこでラーメンを食したのであるが、まあまあの味であった。一緒に行った駐在者があれこれ味を指導したという、経営者は英語の出来る人だったのか知らん。
 こんな近くに天国と地獄、人間のすることなのにここまで違うものか、無い頭で考えたけれど何も出て来はしなかった。

 ということで今回はポーランドのバンド、Warsaw Village Band 。最初のアルバムには Kapela ze wsi Warszawa とポーランド語のバンド名も書かれている。2枚目のアルバムのジャケット・ブックに宣言文みたいなものが書いてあって、最初から独自路線(それを「 bio-techno 」という言い方で表している)で音楽をやろうとしていたのがわかる。アコーステッィクだが現代的な表現でといったところか。

a0248963_1628446.jpg 最初のアルバムは Hop Sa Sa 、1998年の作品。この時のメンバーは、Kataryna Szurman (vo, vln)、Malgorzata Smiech (first vln)、Anna Jakubowska (suka - 16世紀のポーランド起源のフィドル、手爪で演奏する、と書いてある)、Ksenia Malec (b-cello, vo)、Wiktoria Dlugosz (accordion)、Marcin Kozak (baraban dr - どんなドラムか判らん)、Maciej Szajkowski (frame dr)。6人組とあるが7名の記載、写真も6人しか写っていない。
 彼らのいう bio-techno らしく、全編アコースティックではあるが、音の取り方を操作しているので、全くのアコースティックという感じではない。重く、暗くはないが明るい音楽ではない、切迫感のある弦合奏に2種類の打楽器も低音を響かせ強迫的だ。打楽器には、こうしたフォーク系には珍しく金属系の音がしている。また、ヴォーカルはフォークにはお馴染みの地声系の張り上げる感じではあるが、感情を排していて、これがジャケット・ブックに記載の"ホワイト・ヴォイス"っていう歌い方なのか、ちょっと不思議な感じの歌いっぷり。例えば Hedningarna のスオミ合唱隊のような呪術的なイメージは全くないし、Gjallarhorn でももうちょっと感情的だと思う。やはり、スラヴ的な重苦しさを感じるのは自分だけか、しかしこの重苦しい感じ、決して嫌いではない。ジャケットから受ける印象とはかなり違う。

a0248963_1629664.jpg 2枚目が、2002年の People's Spring 。Kataryna Szurman と Maciej Szajkowski 以外はメンバーが新しくなっている。Maya Mayall Kleszcz (b)、Sylwia Mazura Swiatkowska (vln, trad-fiddle)、Wojciech Szpak MC Krzak (vln, jew's harp)、Piotr Prof. Glina Glinski (baraban dr)。これにダルシマー、コントラバス、トランペット、ハーディー・ガーディーがゲストで加わる。最初の曲のダルシマーから始まりトランペットが加わるところなど、急かされるというか不安感を高めるというか、非常によい。ヴォーカルも複数の違った声が聞こえるのだが、歌い方が同じのため、あまり違っては聴こえない。 
 全体的な緊張感、緊迫感は前作を相当に上回る出来。特にダルシマーとトランペットという音的にも異質な楽器を取り込んで、ベース・ドラムの低音と対比させた音作りは面白い。
 このアルバムも全編トラッドということでポーランド各地から採取された曲のようだ。ポーランドでもトラッドがこういったアレンジに直ぐ乗るというところが、やはりヨーロッパといった感じ。
 14曲目、15曲目のリミックスは、自分たちは「現代のバンドだ」という宣言か、それともちょっとしたユーモアか、よく判らないけど蛇足のように思える。

 世の中、面白いバンドはいっぱいある、でもあまり手を広げすぎると聴く回数が減って、印象に残らないということにもなってくる。そこら辺が難しいところで。
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by ay0626 | 2012-08-05 14:14 | radical-trad

出ました! 13年ぶりの新作 ヘドニンガルナ (2)

a0248963_1101735.jpg 遂に出ました、13年ぶりの完全新作。Hedningarna の『&』、変な題名だがジャケットも全く変。変なおじさんが裸で吼えている、野蛮人とのグループ名がぴったりの感じ。
 Hedningarna の新作としては、フル・アルバムでは1999年の Karelia Visa 以来、2003年のベスト盤に2曲新録があったから、それからでも9年ぶりということになる。2000年にオリジナル・メンバーでパーカッション担当の Björn Tollin が抜け、その後 Magnus Stinnerbom (vl) と Christian Svensson (perc) が加入し、2009年の Totte Mattson のインタヴューでもこのメンバーで活動していく、みたいなことが書いてあったので、てっきりカルテットでの新作だと思っていた、ジャケット写真を見て3人しか写ってないなあ、と思いながら。聴いてみれば、やっぱりトリオでの演奏で、Mattson と Anders Norudde のオリジナル・メンバーに加え、Samuel Andersson (octave vl, etc)、メンバー・チェンジがあった模様。歌詞カードの3人の写真も ワイルドだぜぃ! という感じで良い。

 このアルバム、MP3 のデータとしては早くから発売されていたのだが、なかなか CD を売っているところがない。いろいろなCD販売サイトを見て、AMAZON の UK だけが販売していることが判った、勇躍注文したのは良かったのだが、数枚頼んだうちこのアルバムだけが何故かドイツからの発送になって、発送にも数日掛るし、到着までにもイギリスからの発送のものに比べ数日遅れる始末、最も聴きたいアルバムが最後に到着すると言う残念なことになった。現時点では、AMAZON のヨーロッパ・ストアはドイツ以外在庫はあるようだ。日本とアメリカにはまだ入って来ていない。

 内容は、何といってよいのか、聴き易くはなっている。民族パーカッションにかわりドラム(打ち込み)が導入されている曲が多く、そういう意味では最初の曲などロックだねえ、と素直に言えてしまいそうだが、やはりそこは Hedningarna 、アルバムが進むに従って土着的で濁りの多い擦弦楽器やフルート、バグ・パイプといつもの感じになってくる。
 今までと大幅に違う印象を与えるのは、ヴォーカル曲の多いこととそのふざけた変な(何度もこのフレーズ使っているな)男声の印象。スオミ合唱隊のような呪文的でドスの効いた神秘性みたいなものは全くなく、ある意味下品な感じが満開状態。これはこれで味わい深い(?)。
 曲は、Norudde と Andersson が5曲づつ、そして PHILEMON ARTHUR & THE DRUG のカヴァーが5曲。この PHILEMON ARTHUR & THE DRUG を Wiki で調べて見るとスエーデンの mysterious music group とある、ディスコグラフィーを見ても1971年に最初のアルバム、87年に2nd 、92年3rd、02年4th となっていて、正にそのペースは mysterious。PHILEMON ARTHUR & THE DRUG は1曲にゲスト参加、他に4曲パーカッションがゲスト参加している。

 ということで、久しぶりの Hedningarna、堪能しました。どうせならまたスオミ合唱隊入れてアルバム作ってくれないかな。
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by ay0626 | 2012-06-30 10:11 | radical-trad

北欧の地獄の番犬、ガルマルナ

 ゴールデン・ウィーク中の情けない状態が少しずつ良くなってきたこの頃、それでも先週の初め頃まで胃がヒクヒク言って気持ちの悪い日もあって、会社へ行ってもボケッと気分の乗らぬこともあった。まあ、でも普通の生活に戻れて良かったね、という感じ。

 外へフラフラ出歩く気分にもならず、勢い音楽を聴くか、読書をするか、そんなところに落ち着いて、本は先週から今週に掛けて2冊、音楽は聴き易いものということで、Weather Report など引張り出してきて聴いたりしている。さんざこのブログでも馬鹿にしてきた(というわけでもないが) Weather Report だが、聴き返してみると新しい発見などもあって、意外に楽しかった。そのうち、取り上げようとも思っている。
 読書は、先週も書いたが、1冊目が三津田信三さんの「幽女の如き怨むもの」。贔屓にしている作家の一人で、その中でも甚く気に入っている刀城言耶もの。もともとこの作家、文章のリズムが自分に合っているのか、文章そのものを読む快感に加え、これでもかと怒涛の勢いで繰り広げられる論理仮説の千変万化、堪えられません。今回作は、その『感心』に加え謎解きの終わった後の押し付けでない『感動』まで加わり、十分堪能致しました。しかし、これでもかの多重解決が無かったのは若干残念。
 2冊目は、これも大好きな作家の西澤保彦さんの「幻想即興曲」。この人の文章も好きで、スルスル読める。加えて捻くれ妄想論理とも言うべき仮説の上に仮説を重ねまくりエスカレートする推論が、地平の向こうまで届くんじゃないかとも思える驚天動地の真相(?)を暴きたてる最後まで飽きることが無い。それでも、ちょっと執着し過ぎの登場人物が多い、自分がどちらかといえば淡白な人間で、どうも「ここまで拘れるものなのか?」という感じも否めない。今回作は、若干辟易気味のレズビアンネタと多数の拘りすぎ人間の登場は別として、論理はすっきりとしており、前回作の「彼女はもういない」は積読状態になってはいるが、その前の「幻視時代」もすっきりとした良作であったし、豪く好調だな、と思う。好調ついでに、デビュー頃の「殺意の集う夜」や「複製症候群」などの怪作というべき奇想の塊のような作品や「チョーモンイン」シリーズの決着編も書いて欲しいと思う。
 ということで、本ブログは読書ブログではないのでした。本来の方向に戻して。

 春も先日までかなり寒かったのが、一転夏日も混じるようになり、一番気持ちの良い頃に2週間唸って寝ていたのが悔やまれる。それでも暑いとはいえ、まだまだ空気は乾燥しており、家の中で寝転んで音楽を聴いていると、寒いと感じることもある。
 乾いた肌寒さを感じると、むしょうに聴きたくなってくるのが、北欧の音楽、それもラディカル・トラッドといわれる類。先回は Hedningarna について書いたので、今回はもう一方の雄である Garmarna について。
 Garmarna といえば、どうしても Emma Härdelin のヴォーカルをイメージしがちだが、最初のEPでは、ほんの数曲しか参加していないし、1st でもインストルメンタルがかなりの部分を占めている。彼女の歌唱がメインとなるのは2nd の Guds spelemän からだ。

a0248963_1775334.jpg Hedningarna の1stと同様、最初のEP Garmarna(s/t) (1993年録音)は、ちょっと過激な、それでも十分トラッドといえる作品であった。後の2003年には、92年のデモ・テープを追加収録し、38分を超える、フル・アルバムに近い形で再発された。
 そのジャケット裏にメンバーの Rickard Westman が興味深い文章を書いているので、ちょっと下手糞な訳文で恐縮だが、以下に掲げる。
 「4枚のアルバムと数多くのツアーの10年間であった。勿論、思い出すのが辛い。あれは何だったのか、どのように感じたのか、何を考えたのか、思い出すのは辛いことなのだ。しかし、実際にスタジオに入って一枚のアルバム-それがEPであっても-を作成することは、大きな一歩であった。
 私たちは90年からトリオとして演奏を開始した。2年後、Massproduktion の Mats からアルバムを作ってみないか、との申し出を受けた。勿論、イエスだと応えた。その時までに私たちは4人になっていた、92年の Huitsfred フェスの前にドラムの Jens が加わったからだ。
 このEPのひとつの良いところは、Emma をごく自然な形でバンドに取り込めたことだ。私たちは、彼女にゲスト・ヴォーカルを依頼し、それ以降彼女なしにはやっていけなくなったのだ。
 曲目を眺めて見ると、少なくとも4曲、多分5曲くらいしか当時歌入りでライヴ演奏出来なかったわけだ。それは多分悪い兆候か?あなたが決めてくれ。
 聴くには奇妙なことと感じるか、当時から隔絶された今、あの10年を無視することは難しい。しかし、それはそうだったかも知れないが、このEPはスタート時点だったのだ。私たちはもう振り返らない、決して。
 加えて、この胎児のようなEPに、今回の再発に際して、Jens の加わる前の6曲のデモ・トラックを収録した。これらの曲の全ては後にアルバムに再収録されることになる、1曲だけ Moon's Polska を除いて。Stefan の作ったこの美しい小曲がなぜか-今の今まで!-ずっと忘れ去られていたのである。
 これは、私たちが、私たちの出発点となった形態でかき鳴らした音楽だ。このアルバムは、私たちの現在とは全く異なっている。しかし、Garmarna そのものであり続けている。」
 Enma に対する皮肉とも受け取れる文章である。

a0248963_1781948.jpg フル・アルバムとしては1stとなるのが、Vittrad 1993年から94年の録音。のっけから、Enma の硬質のヴォーカルに先導されて ヴィオラを中心とした演奏が繰り広げられる。この時、Enma は未だ18歳から19歳、恐るべき才能である。
 Hedningarna との違いは、パーカッションが民族楽器系統ではなくドラムであること、これによってぐっとロック色が強くなる。また弦楽器中心で、Hedningarna で荒々しい呪術性を付加していたウィロウ・フルートなどの管楽器による雑味の部分が無く、時にジューズ・ハープやハーディーガーディなどで荒々しさを感じさせることがあっても、全体にはすっきりした演奏が多いこと。ヴォーカルが、Hedningarna の場合、2人による合唱で、それも不協和音まで取り入れた濃い歌唱であり、加えてフィンランド語の日本語に近い発音の奇妙さがあった。これに対し、Enma の歌唱は非常に硬質の声質に加えゲルマン語系の特徴的な巻き舌であるため、かなりの違いを感じる。どちらが良いかは好みの問題だが、自分は Hedningarna 派かな。
 まだこのアルバムは、大半はアコーステック色が強く、ヴィオラ中心のインストルメンタル部分もかなり多い。3曲目などは、Enma の民族フルートの演奏なども聴ける。最後の数曲エレクトロニクスを導入したサウンドとなり、次作以降の展開を明示している。

a0248963_1784029.jpg 2ndが、傑作の呼び声も高い Guds spelemän 1996年作品。大胆にエレクトロニクスを導入し、Enma の歌唱を全面に押し出した、聴く者を圧倒する作品。それでも、アコースティック楽器の音もはっきりと聞こえ、ブレンド具合がちょうど良い。トラッドとオリジナルが違和感無く共存している。伝統音楽が現代音楽と直結しているのは、やはり西洋音楽が世界を席捲したせいか。
 Enma の硬い声(それでも前作に比べれば落ち着いた感じにはなっているが)で歌われる歌詞の凄いこと。たとえば、4曲目の Min Man (My Husband) などはこんな感じ。
 「わたしと踊っていた人、知ってる?/黄色の皮のズボンの人/けど夫は緑のズボンを穿いている/わたしの家まで付いて来た人、知ってる?/黒い皮のブーツを履いていた/けど夫のは茶色/わたしの膝の子供を知ってる?/山のマヤという名前なの/けど夫の子供はスティーナというの/わたしに喜びを持ってきてくれる人知ってる?/いまや彼は老いた、灰色になった/それでも夫は生き続ける」
 5曲目の Varulven (werewolf) はこんな感じ。
 「少女は、小屋から行こうとする/シナノキが森の中で揺れて音を立てる/そして小径を辿り青い森へ/愛の果実を運んで/青い森に着いたとき/灰色の狼に出会った/狼さん、わたしを食べないで/あなたにわたしの銀のガウンをあげるから/銀のガウンなんぞ結局は俺に似合わない/おまえの若い命と血でしかダメなのだ/~~~/少女はオークの木の高みに登った/狼は地面を這いまわり、遠吠えをした/狼はオークを根から掘り起こし/少女は心を引き裂くような叫びを発した/若い召使が灰色の馬に跨り/鳥が飛ぶより早く駆けた/そして森のその場所に着いたとき/血まみれの片腕以外何も見つけなかった」
 怖いですね、恐ろしいですね。北欧らしい暗さですね。

 
a0248963_1785673.jpg 3枚目が Vedergällningen 1999年作品。ジャズに近い雰囲気曲もありヴァラエティーも豊かになったが、民族色は若干薄まり、またエレクトロニクスの導入ももっと大胆になった。全体には、やや印象が絞り込めず、散漫な感じもする。ドラムなどもろ打ち込みに聞こえるものもある。この頃になると Enma のヴォーカルも堂に入ったもので、初期の硬質ななんか外れているんじゃない?なんて感じもなくなっており、Garmarna = Enma みたいな感じになってきている。
 歌詞は相変わらず、残酷。表題は英語では Vengeance 、復讐、報復、仕返しといった意味。長くなるので訳出はしないが、非常に残酷な仕返しを継母に行う物語。Enma は殆ど直立不動で、表情を変えずに歌うということだが(Youtube の画像にもそんなのがあった)、これは怖いよ、恐怖路線はそのまま、ということで。

a0248963_1791381.jpg 4枚目にして最終作(正式には解散はしてないようだが) Hildegard von Bingen 2001年作。Hildegard von Bingen は12世紀の修道院院長にして、最古の女性作曲家。この人の曲をアレンジしたもの。殆どエレクトロニクスの音がアコースティック楽器を追いやり、今までのアルバムと異なる印象で、さながら Enma の趣味がもろ出たという感じ。このアルバムを聴くと Rickard Westman がEP+で書いていたことを思い出す訳で、これ以降活動が細っていく理由もわかろうというもの。そういえば、Estampie も Hildegard von Bingen の曲で Materia Mystica (98年)というアルバムを作成しているが、これも大胆にエレクトロニクスを取り入れた Estampie らしくない作品で、ドイツ・アマゾンのアルバム・レヴューでも芳しい評価を受けていなかった。両者とも同じ過ちを犯したか。

 奇しくも Hedningarna と Garmarna 、同時期に活動を行い、ほぼ10年の活動を経てまた同時期に活動を停止したバンド、やはり90年代の時代を映していたのか、それはよく判らないが・・・。
 今回はちょっと長めで。もう少しコンパクトにしたいとは思うのだが。
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by ay0626 | 2012-05-19 14:09 | radical-trad

北欧の巨大野蛮人、ヘドニンガルナ

 Hedningarna を初めて聴いたときは心が震えた、自分の嗜好にあまりに直球過ぎて。彼らの登場は1980年代末、世の中が大きく変化する、世界も日本も、そんな時代に呪文を掛けるような、古くもあり新しくもある音楽を作り出したわけだ。

 ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月、翌年には東西ドイツが統一された。それに先立ちポーランドでは自由選挙により共産党政権が崩壊、1985年にゴルバチョフが書記長に就任した共産圏の盟主たるソヴィエト連邦も91年12月に敢え無く崩壊した。自由主義/資本主義によって世界は良い方向に向かうはず、冷戦も終了し軍備縮小や核兵器廃絶も(時間は掛かるにしろ)進むはず、と誰しも思った・・・これも「はず」であった。

 一方、日本国内はどうか。1989年の大納会で39,000円近くまで上がった株価は、その後坂を転げるように下落し、90年の10月には20,000円割れと半額の水準まで落ち込んだ。バブル期には、会社訪問に訪れる学生に対し、高級料理を振る舞い、拘束のためにホテルに泊めた会社も掌を返し、就職氷河期を迎えた。不良資産の処理が遅れ、北海道拓殖銀行や山一證券が1997年には破綻・消滅し、銀行はその後、合併で生き残りを賭けていくことになる。山一證券の社長の会見など、当時はそんなものかと見ていたが、先日何気なくテレビを見ていたらたまたま当時の映像が流れていて、50歳を超えた今、何か身につまされる思いがした、多分あの時の社長の言葉は心の底から出ていたに違いない。
 また、大学時代の友人が何人も銀行に勤め、大親友が勤めた銀行の破綻報道を知ったときは、本当に心が痛んだ。その頃の自分たちは30歳代半ばを越えた頃、会社の金を接待費として自由に使えた訳もなく、忙しく馬車馬のように働かせられ、気が付いたら「バブル崩壊」で、これから沢山貰うはずのボーナスは落ち込み・・・今冷静に振り返ってみれば碌な時代じゃなかった。

 しかし、自分の会社の業績は、良いと言えるほどではなかったが、別段悪い訳ではなかったし、90年7月には自分も新しい仕事に移って、尊敬できる上司(尊敬できる上司に当たれば当たるほど人生は良くなる、これだけはそう思う。なかなか尊敬できるまでの上司はいないが)の下で働くことになったものだから、そんなに深刻に受け止めることもなかった。これから貰うボーナスが多いか少ないか、貰ってみなけりゃ判らない訳で、減った額が通常となれば、昔を知らないわけだから不満の持ちようもない。

 ということで、閑話休題。Hedningarna にしても Garmarna にしても、この頃登場したバンドは、何かしら不安定な要素があったように思う。ラディカル・トラッド(和製英語との指摘もある)という二律背反のような言葉がぴったり来るのも、ここら辺に理由があるのかも。

a0248963_1537757.jpg 1989年に最初のアルバム、Hedningarna (s/t) をリリース。実を言うと、このアルバム、聴いた順番は最後。電化された2枚目以降を先に聴いてしまうと、純粋アコーステックで3人だけの演奏ではインパクトは少ない。しかしながら、楽器一つ一つの音を楽しむには非常に良い。特に、Anders Norudde (Anders Stake) のフルート演奏の荒々しく、それでいて繊細な感じは好きだ。全部で13曲、そのうち5曲が伝承曲で残りが Anders Norudde のオリジナル。wiki などを見るとリュートの Hållbus Totte Mattson がリーダーのようにも思えるが、音楽的な主導性は Anders Norudde が取っているのかも。Polska との表示がある曲も多いが、Chieftains のところでも書いたとおり、もともと伝承曲はダンスのための伴奏曲が多く、Hedningarna もクラブ用の Mix を出している。

a0248963_15373458.jpga0248963_15375849.jpg 2枚目 Kaksi! (1992)、続く Trä (1994) は、凄い傑作。伝統音楽に思い切りエレクトロニクス要素をぶち込んで、スオミねえさんの呪術的二重唱を配した、強迫的とも言える音圧に圧倒される。これらの殆どが伝承曲のアレンジというのだから驚くと供に西洋音楽の強み(伝統音楽を違和感なく現代的なアレンジに乗せてしまえるという)を感じる。
 Kaksi! の呪文的な1曲目から、ロックに最も近い7曲目、一転アコーステックな8曲目と楽曲的なヴァラエティーにも配慮が行き届いている。こんなある意味疲れる音楽であるため、収録時間も43分程度と短めのほうが集中して聞けるというもの。
 Trä は、1曲目の地面から湧き出るような、呪文そのもののヴォーカルから、オートバイに乗せられてロックそのものの2曲目に移り・・・と水の流れに乗る最終曲まで、十分に堪能できる。

a0248963_15382783.jpg 4枚目の Hippjokk は、ちょっと時間が空いて1997年のリリース。スオミ合唱隊がおらず、ヨイク(北欧サーミ人の歌唱、酔っ払いの咆哮のような、声を震わせた歌い方が特徴)・シンガーが数曲に参加している。スオミ合唱隊がいないと色彩感に欠け、殆どターンテーブルに乗る機会も少ない。ジャケットは、どういう意図か、洒落・・・それとも?


a0248963_15385365.jpg 5枚目 Karelia Viza は1999年の作品。スオミ合唱隊はメンバーを変えて復帰。カレリアとは、フィンランドのロシア隣接地域、wikiによれば「フィンランド人の心の故郷」的な地位らしい。そのせいか、ジャケット・ブックの写真も何かノスタルジックな感じで、音楽にも2枚目、3枚目に聴かれるような呪術性、禍々しさみたいな要素は少なく、丸くなったなあ、という感じ。そろそろ世の中も落ち着いてきたのかな・・・みたいな、そうでもないんだが。

 2003年にベスト盤(数曲の新録を含む)を出して、その後長いお休みに入ってしまったような Hedningarna。同じように Garmarna も休眠状態で、ひとつ区切りの90年代であったということか。世の中、考えていたようには良くならず、21世紀は世界貿易センターの崩落で始まり、日本は失われた10年の間に労働環境が一変し、政治も酷く不安定になった。Hedningarna の見せた伝承と現代との融合は幻だったか・・・それでもまだ、ラディカル・トラッドの後継は出続けている。
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by ay0626 | 2012-02-19 13:24 | radical-trad