日常茶飯事とCDコレクション
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聴きやすく、それでも充実 ファウン (3)

 この前の日曜日が父の日で、次男がプレゼントに呉れたのが『3DS』、やはり3Dで見えるソフトが欲しいと買ってきたのが『ドラゴンクエスト7』。これがいけない、やり出したら止まらない、そう面白いソフトとも思えないのだがなにしろ時間があるとやってしまう。それまでやっていた『逆転検事2』も第1話が終わって、切りが付いたのでちょっとだけこっちを、と思ったのが運の尽き、ただいま18時間ほどやり捲くって、お陰で読書も全く進まず。情けないとは思うが、時間潰しには最適。潰すべき時間は山のようにある。

 株や為替が荒っぽく動く、アメリカの金融緩和が何時まで続くのかが焦点のようで、材料を探しては市場を大量の金が行き来する。なんと欲深いことか、金で買えないものなどないのだから、当然といえば当然。この頃、気に入っているコマーシャルがロト6の柳葉某と妻夫木某の出てくるアレ、「君の夢は金で買えるのか」、柳葉某のロト籤を買うときの表情が何ともいえず。買わなきゃ当らないのが宝くじだが、天文学的に低い確率に数百円を投じる趣味はなく、大金持ちになることはとうに放棄しているが、例えば3億円でも手に入れば確実に会社を辞めることになるとは思う。

 5月の20何日かに梅雨入り宣言はなされたが、その後全く雨は降らず。気温だけはぐんぐん上がって、6月半ばで既に猛暑日が発生、今年の夏は地獄の釜が空くかと思われたが、この木曜日から金曜日に纏まった雨が降り、地表も冷やされたせいか温度も随分下がった。この2~3日は気持ち良く惰眠を貪ることになる。

 下らぬ話ばかりになるのは、ゲームのせい、猿以下の知能に成り下がる。

 ということで、久しぶりに Faun。昨年の12月に新アルバムが出て、しかしこのアルバムの出来というか、方向性に大いに疑問があった。今回はそのアルバムのことについては書かないが、次のアルバムもこの方向だったら残念至極といった感じ。
 その前の充実した2枚を紹介。

a0248963_22285459.jpg Buch der Balladen (バラードの本)、2009年。表題にある通り、ジャケットは本のような形になっており、非常に凝ったものとなっている。彼らのジャケット・ワークに対する拘り振りが判ろうというもの。
 表題に Acoustic Faun とある通り、Niel Mitra はコンピュータを一切使わず、従って演奏にも関与は少ない。オリジナル・メンバーの Elisabeth Pawelke が抜け、バイオリンとハーディー・ガーディー、ボーカルを担当する Sandra Elflein が参加。この Sandra ちゃん、写真で見ると非常に可愛らしい、声も容貌通りで Pawelke 姐さんの硬い感じとは随分異なる。You Tube などの映像で見ると Sandra ちゃんはかなりぽっちゃりで小さく、これがまた可愛いのである(完全に AKB ファンの乗りですな)。彼女は本作のみの参加となってしまうのだが、残念至極である。
 前作の Totem がスタジオ・ワークとシンセで幻想的で暗めの演出を過剰に行ったのに比べ、本作は随分明るい感じがする、それは Sandra ちゃんの声の質とシンセ一切なしの作り方によるものだろう。楽器のソロもくっきり聴こえ、ボーカル部分が多いのに演奏が歌伴になってない。特にハーディー・ガーディーの音が綺麗に採れており、なかなか良い。ゲストも少なく、チェロ(Ganbe との記載あり)とニッケル・ハルパが1曲づつ、Faun の演奏能力の高さが判るアルバムでもある。
 途中、1曲のみ( Brynhildur Táttur フェロー諸島の言葉か、Google 翻訳の言語検出だとアイスランド語と出てくる) Valravn というデンマークのバンドの合唱曲(船で歌う感じが良く出ている)、Valravn はまた別に紹介したいと思う。
 本作は限定盤があり、11曲目に Brynhilds Lied という曲が入っている。この曲は単独で Amazon で電子データを買うことが出来るが、詩の朗読にあっさりとした演奏が加わるだけのもので、別にどうしても限定盤が欲しくなるようなものではない。しかしながら、録音時間が42分あまりというのは、ちょっと短すぎやしないか、演奏が充実しているだけに、もう2~3曲あってもよかったのでは。

a0248963_22291329.jpg Eden 、2011年。Sandra Elflein に替わり Rairda が参加、基本的にはボーカルのみ(1曲のみハープを演奏している)。Rairda の声は Sandra ちゃんよりも可愛くない、容姿も同じ(頭の毛がカーリー系)。
 ジャケット・アート・ワークは凄く凝っていて、歌詞冊子が別立てになっていて、見るだけの価値は十分あり(読め!といわれても残念ながら無理)。
 今回は録音時間70分を越える大作、演奏も Niel Mitra のビートやエフェクトが戻ったのに加え、 Rüdiger Maul のパーカッションもドラム風になって(シンバルはないので、ロックやポップスという感じはないが)、ビートは良く効いている、そのせいか随分と聴き易くなった。それに加えて英語詞の導入、今まで彼らは一切英語を使っていなかったが、英米進出も考えたのか。その可能性は充分あって、Rairda が抜けた後、Stella Mara の Sonja Drakulich が加入してアメリカ・ツアーまでやっている。
 聴き易くなったとはいえ、まだ比重はボーカルよりインストの方が高い、次作ではこの比重が逆転してしまう訳だが。曲も5分から7分と比較的長めの曲が多く、聴き応えは充分。Hymn To Pan など、マリンバが入り、今までとは一味違うところも見せている。ゲストもかなり入っていて、ソロも取っている。前作に比べると暗い感じがするのは、色々な地域の神話(キリスト教とは無縁な神話、何故なら彼らは自らの音楽を Pagan Folk と呼んでいるから)をモチーフとしているからなのだろう。

 今日は朝方雲が多く、また天気予報と違うのかと思ったが、段々と晴れてきた。気温も上がったに違いないのだが、湿度が低いせいか風が吹くとひやりとした感じになる。1日に何時間も3DSを弄っていれば目もチカチカしようかというもの、それでも止められないのがサルのサルたる所以。
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by ay0626 | 2013-06-22 20:37 | trad

お休みに入る前の エスタンピー (3)

 小満も過ぎ、日差しと日照時間は長くなり気温は高くなったが、空気はまだ乾いており、Tシャツ1枚で窓を開けて寝転ぶと風はまだまだひんやりとしている。薫風とはこういう風のことをいうのであろう。通勤電車の窓からは茶色に染まりつつある麦畑が見える。

 花輪莞爾さんの『悪夢百一夜』を少しずつ読み進める。何しろ短編小説が101編も詰まった1,300ページを超える大部の作品。同時に購入した深木章子さんの作品に辿り着くまでには相当に時間が掛かるだろう、もうじき大坪砂男全集の3巻も出るというのに。昔は、長編小説が好きで読み出すと結末が気になって仕方がない、つい無理をして夜更かしし翌日に悔やむということが良くあったが、この頃はあっさりしたもので、しかも短編集となれば1編を読むのにそう時間が掛かることもない、眠くなれば区切りのついたところで目を瞑る。自然体になったということか、歳を取ったということか、どちらでも似たようなもの。
 『悪夢百一夜』、まだ22夜までしか読んでいないが、非常にバラエティーに富んでいて、全部が全部出来が良いという訳にはいかないが、相当に面白い。悪夢という題名から見ても黒い企みに満ちた作品が多く、第1夜の「ちりぢごく」や第2夜の「景徳鎮」などはこの典型。なんだかよく判らないけど淋しいようなユーモアを持つ第3夜「金歯」や第5夜「死者の鼾き」など、読み終わった後小さな溜息が出る。東北の津波を描いた第13夜「海が呑む(Ⅰ)」など、東日本大震災の映像の経験が一層物語に身を入れさせることになる、本山という朝鮮の人が忘れがたい印象を残す。第10夜の「味見指」の淫靡さ、第17夜の「うすばかげろう」の悪意など読みどころてんこ盛り、あと2、3週間は本書に掛かりきりとなりそう。

 世の中を見ると、アベノミクスも転機点になったか、23日には株式市場が1,000円以上も値下がり、債券市場は値下がり長期金利は1%台に乗せる。日銀の黒●総裁は、余裕をかまして「そういったこともあるわいな」と頬に指をあて、いかにも尊大そうに鷹揚に答えていた、一時的な相場になるか大相場前のちょっとした調整か今の段階では判らないが、よい方向にいって欲しいものだ。

 爽やかな季節に Estampie 、ちょっとそんな感じがして。

a0248963_17322155.jpg Fin Amor (フランス語?スペイン語?多分「愛の終わり」の意)、2002年。Warner の系列レーベルから、彼らの作品の多くは Galileo という民族音楽~古楽系のレーベルからのものが多いのだが、この作品のみ異なる。全ての歌詞は、中世(13世紀頃)の作品に Micheal Popp が曲を付けるという、前作からの路線そのものの「中世ポップ」というべき作品で、メロディーもハッキリしており、時にはヒットしそうな曲さえあって聴き易い(殆どの曲が3~5分という長さ)。加えてパーカッションが全面で活躍しており、リズム感にも富む。
 メンバーは、ボーカルに Syrah (Sigrid Hausen)、Cornelia Meliàn、Gerlinde Sämann の3名(といっても殆どが Syrah 姐さんの声しか聴こえないような気がする)、器楽が Popp、Scwindl、Syrah、Sascha Gotowtschikow (perc)、Uschi Laar (harp)、Cas Gevers (tb) というハープ担当以外はお馴染みのメンバー、2曲のみフルート奏者の Jørgen W. Lang が加わる、コーラス隊に7名(Popp や Scwindl を含む)。芸達者な人たちだが、特に Schwindl さんのハーディー・ガーディーは聴きもの、 Gotowtschikow さんのパーカッションも神憑っている(DVD見れば唖然呆然)。

a0248963_17324782.jpg Signum (サインのこと?何語なんだろう)、2004年。本作は Galileo レーベルからの作品。
 Ondus、Fin Amor と本作は雰囲気が似通っており、Popp 氏による古楽の香りのする、歌詞だけは中世から借りてきたポップ・ミュージック3部作という感じ。You Tube などで見るとライブも盛んに行っていたようで、モヒカン・鋲打ち皮ベストの厳つい御哥さんがウロウロしていた映像が印象的。ボーカルは Syrah (Sigrid Hausen) と Gerlinde Sämann の2名、器楽が Popp、Scwindl、Syrah、Gotowtschikow、Gevers にハープは Ute Rek に交替、バグパイプ担当の Thomas Zöller がクレジットされている。コーラス隊は4名。全体的に前作よりも柔らかというか靄の掛かった印象がある、新入のハープやバグパイプにも活躍の場が充分に与えられており、器楽の部分は前作よりも聴き応えがある。特に13曲目のインスト曲などは荘厳で素晴らしい音を響かせる、14曲目は Faun でもお馴染み Andro と同じ曲。

a0248963_17331182.jpg このあと、Marco Polo - Estampie Und Die Klänge Seidenstrasse (エスタンピーと音のシルクロード)という DVD を2005年に出す。Estampie からは Syrah、Popp、Schwindl、Gotowtschikow の4名、イラン人のドタール(リュート)とパーカッション、モンゴルからヨーチン(ハンマード・ダルシマー)、モリンフォール(馬頭琴)&ホーミーという、東から西への音楽シルクロードの道、民族音楽の人たちの器楽演奏のテクニックには目を見張るものがある、演奏が絵になっている。
 その後、2006年にベスト・アルバムをリリースするが、Al Andaluz Project にメンバーが移動してしまい、Estampie 名義のアルバムは2012年の Secrets Of The North までリリースされなかった。

 このくらいの気温・湿度が続いてくれればなぁ、と思うのが直ぐ暑くなってくる。今の季節を楽しもう、といってドライブ先はいつもパチンコ屋じゃ季節感もへったくれもないわけで。
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by ay0626 | 2013-05-25 16:11 | trad

訳も判らず聴いている レ・ゾグル・ド・バルバック (3)

 運気が低迷していることは、パチンコをすれば直ぐに判る。パチンコなど座って手首をちょいと捻るだけ、運があればどんなにボーッとしていても出るもの、正に運があるかどうかの問題。この頃は、出る玉数は少ないが大当たりの出る確率の高い機種もあって、その設定は1/99のものが多いが、今日座った台は270回以上回しても大当たりが出ない。確率的には勿論何百回回しても大当たりがこないこともあるのは判っているのだが、普通期待値が1を超える頃になればこちらの期待も膨れ上がる訳で、これが期待値2を超えてくるとイライラも最高潮、何で来ないんだと悪態付き捲り。今日の機種は「海物語」という有名なシリーズで、絵柄が2つ揃った時に後ろに赤い魚の群れが出ると大当たりの期待が相当膨らむ、「今日の魚群は絶好調、期待大!!」などと台が教えてくれる機能まで付いている。240回超えたところで、魚群・・・出ました!これでやっと・・・と思った途端、ひとつずれて止まりおる、こちらの怒りも頭の天辺まで来ましたね、本日の損失5,000円也。
 昨年辺りから暇潰しに再開したパチンコ、昔のように数万円が一度に消えてしまうことがなくなり、健全とはいえないまでもそれなりのレゾン・レートルはある。しかし、昔のようにのめり込めないのは勝っても大した儲けにならないためか、昔はちょっと出れば儲けも数万円だった、それに比べりゃギャンブルと呼ぶのもおこがましいかもしれない。まあ、自分の今の運気の確認には丁度良いくらいの金の使い方ではある。

 そういえば野球が開幕してはや2週間、ゴルフも休みの昼のテレビ、どの局でもやっている。暖かくなって、スポーツ・シーズンになってきたということか、こちらは全く興味がないので良くは判らない。確かに野球は人気が少しづつ落ちてきているのだろう、夜の中継が少なくなったし、その中継も昔は延長してまで放送していたのだがこの頃は時間が来ればそこで終わり。スポーツも多様化してきたということか、もっと言えば世間全体で興味を持てるようなものがなくなってきたのかも知れない。音楽を見てもそうだ、大体 CD など全く売れず、何十万枚のヒットといっても、それを知っているのは特定の年齢層のみ、なんていうことが多い。それは、社会が成熟した証拠、ということで。

 Les Ogres de Barback の3回目。通勤によく聴く音楽ではあるのだが、情報が少なくてただ聴いているだけ状態、音楽など理屈を付けて聴くものではないことなど重々承知ではあるが、レヴューを書こうとすればそれなりの情報を交えて・・・と思うのは人情でしょう。

a0248963_1739726.jpg Terrain vague (更地、荒地の意)、2004年。赤を基調としたジャッケット・デザイン、かなりのセンス。3面のデジパック仕様で、2冊に分かれた歌詞カードも洒落ている、この Aurélia Grandin のデザインは Ogres の一部となっている感じ。
 音楽は、このアルバムから一層多彩になってきた感じで、エレキ・ギターの導入やオーケストラ(L'orchestre du JOSEM) や金管バンド (La Fanfare du Belgistan) との共演など、今までにない試みがなされている。7曲目の 3-0 という曲にゲストがかなり参加していて、フランス各地での公演で参加したミュージシャンのようだが、詳しくは判らない(自分の興味の方向とはちょっと違う類の音楽故)。確かに、DVD なんか見るとかなりのゲストが彼らのコンサートには出入りしているようだ。
 次の作品の冒頭を飾る2曲目 Angelique 、同じく次作で再演される Rue Mazzarine 、彼らの演奏能力を見せ付けるインストルメンタル曲 Une de plus など個々の曲も素晴らしい。この作品から彼らの音楽の多彩さが一層広がることになる。

a0248963_17392561.jpg Les Ogres de Barback et la Fanfare du Belgistan (肉屋の鬼とベルギーの風)、2005年のライヴ・アルバム、72分を超える録音時間。
 la Fanfare du Belgistan は調べても良く判らないのだが、多分このアルバムには7人が参加、パーカッションを含むベルギー出身の金管バンドではないかと思う。Ogres とは3年間も一緒にツアーをしたらしく、Ogres のレーベル (Irfan) から2枚のアルバムをリリースしている。バリトン・サックスやアルト・サックスのソロなどが聴こえる、なかなか賑やかな印象のある演奏、ギンギンのエレキ・ギターも後半で活躍。
 Ogres 好きなんですがねぇ・・・何を書いてよいのやら。音楽は音楽で楽しむべきなのでありましょう、変な薀蓄捏ねずとも。しかし、フランス人は英語というものを使いませんね、記載は全てフランス語のみ、ここらはドイツやスウェーデンとは一線を画すところ、ただイギリス・アメリカというマーケットに売ろうとしてないだけのことかもしれないが。

 今年の高島暦を見るとそれなりに運勢は良いはずなのだが、まぁ、6月から運気が上昇するというご託宣を信じて見ることにしようか。占いの類は、自分に都合の良い部分のみ信じる方針なので。
 
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by ay0626 | 2013-04-14 16:29 | trad

中世俗謡音楽 エスタンピー (2)

 眼鏡が出来たのでちょっとは世の中まともに見えるかと思ったら、左が弱すぎ右が若干強すぎで、どうもすっきりした感じがしない。そのうちに馴れるのだろうが、ちょっと時間が掛かりそう。そういえば、先週末には懸案事項も一応の決着を見て、運気低迷も底を打ったような感じではある。

 先週は、隕石が落ちてきて話題になった。ロシアの田舎でさえあれだけの被害が出るのだから、東京やニューヨークなんかに落ちたら悲惨なものだ。我々の生活なぞ、運のみで成り立っているのが良く判る、あんなものが落ちれば、善行を積もうが悪事の限りを尽くそうが、一瞬のうちに終わり。

 先週は、3人に対して死刑が執行された、まぁ当然といえば当然のこと、本来は判決が確定してから6か月以内に執行することになっているから、彼らは大分長く生きることが出来た。奈良の誘拐殺人や茨城の駅での無差別殺人は知っていたが、名古屋の事件は知らなかった。殺人での刑を終えて出所した後、また強盗殺人を犯す、死刑になって当然。茨城の被告は全く反省の気持ちを表すことがなかったとのこと、その死刑囚に「もっと生かしておけば、反省の弁が聞けたかもしれない」と新聞は書く、中立的であるように見せて、実は死刑反対がモロに文面に出ている。無関係な人々をあれだけ死傷させた者が多少反省したところで、死者は生き返る訳もなく、傷がなくなる訳でもない、死んで頂く以外に死刑囚に出来ることなどあるだろうか。同じような境遇に生まれ生きたとしても、犯罪を犯す者と犯さない(どころか篤志家になる者だっている)者がいる以上、余程精神に障害がある者以外、自分の取った行動には責任を持たなければならない、人の命を奪えば自分の命で贖うのは当然で、奈良や茨城の死刑囚はある意味良く判った人であるとも言える(死刑にして貰いたいが故に犯罪を犯す!)。ああいう人は、事件を未然に防ぐために教育などで矯正など出来ようもなく、被害者は運が悪かったとしかいいようがない。被害者やその家族には、そうした犯罪者を野放しにすることしか出来なかった国家に、出来るだけの精神的・経済的援助をさせるべきと思う。
 それでも死刑廃止は世界的潮流だとか、それはキリスト教的倫理観の産物、欧米が世界であった時代はもう随分前に終わったはずなのに。

 ということで、Estampie の2回目。主要メンバーが Al Andaluz Project に行って、ベスト盤を別とすれば2004年の Signum 以来音沙汰がなかったので、もうアルバムは出さないのか、解散状態なのか、と思っていたら Secrets of the North と題する作品が昨年リリースされた模様。現在、オーダーしている状態。

a0248963_1844482.jpg Materia Mystica 、1998年作品。前作の Crusaders までは録音に音響処理が掛けられる程度の操作があったが、この作品はシンセ音や音響処理が中核となっていて、かなり異色。風(Air)、地(Earth)、水(Water)、火(Fire)の4部で成り立っているが、どのパートもコーラスが全面に使われていて、最後の火(Fire)のパートなど打楽器とコーラスのみで成り立っている。
 録音メンバーは、中核の Popp、Schwindl、Syrah(Sigrid Hausen、voのみ)の3人に加え、Hannes Schanderl (santur, lute, ud, vo)、Cas Gebers (tb, perc, vo)、Tobias Schlierl (vln,perc, vo)、Bülent Kullukcu (electronics)、コーラスに3名がクレジットされている。11世紀から12世紀に生きた初の女性作曲家(神秘家でもある) Hildegard von Binben の曲を Estampie が膨らませたもの。他に Popp が1曲、Gebers が1曲(トロンボーンが全面的に活躍)、Schanderl が3曲(サントゥールのソロ曲あり)。
 全く何というべきか、中世風現代音楽というのも語義矛盾があるが、そんな感じ。捉えどころのない中途半端な印象で、ドイツ・アマゾンを見てもこの作品の評価は低い。Garmarna も Bingen 作品をエレクトロニクス処理した作品を作ってコケたが、同じようなものか。A Chantar から Crusaders までの4作は、純粋な古楽に近い印象であった、本作で大きくエレクトロニクスを取り入れ方向を変えようとしたが、どうも失敗した感じ、次作ではまたちょっと趣向を変えることになる。

a0248963_1845556.jpg Ondas 、2000年作品。全曲 Popp の作曲となった本作以降、Estampie は中世ポップというべき作風になっていく。曲自体は、現代風の落ち着いたポピュラー風で、その伴奏が古楽風な演奏で行われる感じ。歌詞は、何れも12世紀から14世紀のもの。録音メンバーは、Popp、Schwindl、Gebers の3名が器楽の中心、ヴォーカルに Syrah と Corneria Melian 、パーカッションに Sacha Gotowtschikow を含む3名がクレジット。
 もともと演奏や歌は抜群に上手い人達なので、前作のように変な前衛方向に走らずに、こうしたまともな方向に行けば聴き易く、ウケのよい音楽が出来上がる、特にパーカッションがこれだけ入ればポップ・ミュージックに近い感じにはなる。流石にこうした音楽だと、コンサートではオール・スタンディングという訳には行かぬようで、鋲を沢山打った袖なしの皮ジャンにモヒカン刈りの御兄ちゃん(どうもこうしたメディーヴァル・ポップはマーシャル・メタルとの関係もあって、そうしたムキムキ兄ちゃんのファンも多いようだ)も大人しく立って(座ってではなく)聴いているようだ。

 知らぬうちに、新しいアルバムが出ているようで。この頃は、前ほど熱心にチェックしないものだから、偶に見ると見知らぬ作品が見つかったり。聴くのが電車の中と寝る前の1時間程度だと、多くは聴けません、消化不良になるか、特定のものしか聴かなくなるかのどちらか。
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by ay0626 | 2013-02-23 18:38 | trad

女性ヴォーカルてんこ盛り マカーム (4)

 自民党政権に替わったら株も上がり円も安くなり、景気などやはり「気」のもの、ちょっとしたことをきっかけに変化していくもののようだ。株が上がっても持たざる者には関係ない、円安も輸出企業のみの恩恵、それでも輸出企業の多くは既に海外に生産拠点を移しているため、本当のところ何処まで万人が好影響を受けるのか。ガソリンは久々150円まで値上がりした、エネルギーの多くは海外に依存するため、円安になれば貿易収支は悪化する、必然的に円安になるが、それを利用して海外に売るべき商品が既に海外生産され国内にはなくなっている、そうなれば景気は悪いままに輸入インフレということにもなりかねない。世の中、そう単純ではなくなっているので、一概に円安が良い訳ではなくなっている、特に原子力が火力に代替している電気業界は深刻だ。景気が若干とも回復しても、給料に跳ね返ってくるのはもっと後の話、先ずは会社が内部留保して、となるだろう、特に電機の会社などはあれだけの巨額な赤字を垂れ流したのだから、従業員に回す前に会社が確実に利益を留保するに違いない。と考えれば、景気が多少良くなってもそれほど我々の生活が良くなるとも考えられん。

 自分を考えてみれば、CD の購入金額が増えることに。近頃は、海外の通販サイトで直接購入することばかりで、ユーロもドルも最安値から見れば、もう2割以上高くなった。今のところ、どうしても欲しいモノはないのでよいが、欲しいものが出てくれば、財布の中身が以前より減ることになる。円安は決して良いことではない。

 そういえば、今までもブツブツ書いて来た Makám の Approaches というアルバム、なかなか発送されないので出品した業者にメールしたら、2月上旬に(メーカーが)再プレスするのでそれまで待てといい加減なメールが返ってきた。どうも最初から胡散臭げではあったが、他に購入するところもない(唯一、日本アマゾンに中古の出品あり、6,970円という非道な値付け)ので、そのままにしておいた、腹が立つがなんとも仕方がない。
 もう一つ、年末に米アマゾンに注文した Wayne Shorter の Odyssey of Iska が未だ到着しない。同時期にチェコに頼んだ CD は1月9日には着いたのに、いい加減なものだ、腹が経つ。どうしょうもないことに腹を立ててばかり。

 ということで、最初のアルバムと最新作だけ蒐集できていない Makám の4回目。通勤時間のお供にチェコ勢と共によく聴いております。

a0248963_20224984.jpg Skanzen (野外博物館の意)、1999年。女性ヴォーカルが入るようになった最初のアルバム。メンバーを記しておくと、*Krulik Zoltán (g)、Lovász Irén (vo)、Bognár Szilvia (vo)、*Grencsó István (sax, harp)、*Thurnay Balázs (kaval, fl, udu,vo)、*Bencze László (b, p)、Krulik Eszter (vin)、Mizsei Zoltán (sansa ~ 親指ピアノ, chime, vo)、Gyulai Csaba (udu,derbouka,vla)、ll. Lengyelfi Miklós (e-b)、Szőke Szabolcs (gadulka)。11名クレジットされているが、音数は少なめ、ヴォーカリスト2名は5曲ずつ歌っている。前作 Café Babel と器楽メンバーの中心メンバーは同じ(*を付けた人が前作に参加)。ヴォーカルの感じは良く似ているが、Irén さんのほうが柔らかな印象、Szilvia さんは若々しく伸びやかな声。ヴァイオリンは、弓奏よりもピチカートのほうが印象に残る。
 スロー・テンポの曲が多く、若干器楽演奏が大人しめで弾む感じも円舞する感じもないため、平板に聴こえる。前々作の A Part に声を乗せたよう。次の 9 Colinda と比べても演奏が押さえ気味にされているのが判る。9曲目にはモンゴルの喉歌が聞こえる、10曲目のカヴァル中心のアンサンブルはその後の作品に繋がるが、歌中心への過渡期の作品といってよいのではないか。
 ライナーを見てみると、1984年の設立で、ハンガリーのフォーク・ソングとジャズ、クラッシクの要素を含んだ室内楽をやりたい、リズムやメロディーは東ヨーロッパ、バルカン半島、アフリカ、中近東の影響を受けているとある。84年の設立と書いているのに、ディスコグラフィーには82年(Makám és Kolinda)、83年(Úton ~ On the Way)、84年(Szélcsend után ~ After the Calm) の作品が掲げられているのはどういう訳だ?3作とも Kolinda との共作だからか(誰が参加しているかは、Orient - Occident というコンピ・アルバムの紹介で見ていきたい)。

a0248963_20231275.jpg Ákom Bákom (意味不明)、2007年作品。メンバーは、Krulik Zoltán (g)、Lázár Erika (vo)、Horváth Olga (vln)、Eredics Dávid (cl, kaval, flute)、Boros Attila (b)、Keönch László (perc) という顔ぶれ、2004年の前作 (Malmanach) とは一新されている。ドラムとエレキ・ベース(フレットレス・ベース)というリズム陣で、それまでのアコースティク色がここで一気にフュージョン風の作品になった。それでも、リズムやメロディーは民族風のままだし、クラリネットやカヴァルがそのサウンドに似合っている。殆どの曲でヴァイオリンと管楽器が同じメロディーを演奏している。
 このアルバムは、2002年の Szindbád に続き、「子供のための音楽」らしく、50分ほどの収録時間なのに1分から3分ほどの曲が20曲ぎっしり詰め込まれている。子供向けというだけあって、くっきりとしたメロディーを持つ曲が多く、歌い方も元気があって美声系の多い Makám の歌手たちの中でも溌剌とした感じは一番。しかし、ヴォーカリストは1人だけのクレジットなのに9曲目、11曲目、13曲目、17曲目、18曲目は明らかに声が違う、11曲目と17曲目は声質の違う2人が交互に歌っている、これはどういうことか。いろいろ調べても判らない。Boros Attila はこの後のアルバムに全て参加するが、非常に個性的なベースを弾く、また Eredics Dávid も同様で、マルチ・ウッドウィンドとして力強いソロを取る、この2人はこの後の Makám のアンサンブルの中心になる。

 ということで、なかなか揃わない Makám 、本当に2月に Approaches が再プレスされれば、コンプリートできるが(Robinzon Kruzo はアマゾンUKで注文済、多分今月末には到着するんじゃないか、と思う)、どうなりましょうか、コレクターも楽じゃない、楽しんではいるけれど。
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by ay0626 | 2013-01-19 16:32 | trad

インストルメンタルな  マカーム (3)

 笑ったことなど、簡単に。

 先ずは、未来の党、悪相コンビ(もちろん小●一郎と河●たかし)では政党の顔としては不味過ぎるのか、滋賀県知事の嘉●由紀子さんを担ぎ出した。なかなか存在感のある女性で、京大探検部の出身とか、文化人類学や環境社会学(といわれても直ぐにどんな学問か想像できないが)の研究者といえば、反原発の象徴とはなり得る。しかしなぁ、言い出したことといえば反消費税、またもや子ども手当、その財源は「無駄を省けば、いくらでも出る」、3年前の悪夢の始まりの「宣言書(Manifesto)」の文言そのまま、小●を制御するといっていたのに、「●沢に引かれてまたもや善光寺詣で」とはこれ如何、笑わせていただきました。

 表題にもある Makám 、以前にも書いたが、一括して全ての CD を販売しているサイトは何処にもない、色々なサイトから安いものを選んで購入しているのだが、海外アマゾンのマーケット・プレースを使うことも多い。新品と書いてあっても、どう見ても新品に見えないものを送ってくることもある。先日も酷い品を送ってきた業者がいて、文句をいったら新品を送ってきた、最初からちゃんとしたものを送ってくれば良いのに。この歳になると、なかなか英作文をするのは面倒だが、文句を言えば、リファンド(返金)か再送付に応じる業者が多いので(やっぱりレピュテーショナル・リスクは、ネット販売では最も注意すべきリスクなのかも)、文句は言うべきなのだ。近頃の翻訳ソフトは、丁寧に日本語を書けばかなり正確に訳してくれるので、重宝している。海外のサイトを使うのも翻訳ソフトがあってこそ。そういえば、エストニアのサイトに Makám の Approaches というアルバムを頼んだのだが(注文して Pay Pal で送金してからエストニアのサイトだと知った。最初からエストニアのサイトと知っていたら注文しなかったかも?)、1か月以上もウンともスンともいって来ない、大丈夫か知らん?

 三津田信三さんの新刊が出た、『のぞきめ』。やはり、好きな作家だと読むスピードも早くなる、今週火曜日に入手して、昨日時点で残すは50ページほど。明日には感想が書けるかも。

 寒さが増してきたので、コートに裏地を付けた。来週からは、いよいよ忘年会時期。一年の終わりも近いようで、早いもんですねぇ、今年もあと3週間ほど。

 ということで、Makám の3回目。初期の作品は、インストルメンタル、単独名義の初回作 Közelítések - Approaches (1988、99年のCD化に際して3曲が増補されている?未入手、上記したようにエストニアのネット・ショップに注文してあるが本当に来るのだろうか?)から4作目の A Part までがそれに当る。今回は、2作目と3作目の紹介。

a0248963_17403423.jpg 2作目、Divert time into... 、1994年。前作から6年を経ての作品。ジャズっぽい感じはあるが、民族音楽風のフュージョンというのが妥当か、後述する Café Bábel ほどジャズそのものではないし、先日紹介した A Part ほど現代音楽風でもない。民族音楽風ではあるが、田舎臭さみたいなものはなく非常に洗練された音、多分そういった感じを受ける最大の理由は、エレキ・ベースと控えめなドラムスによるものだろうか。
 器楽構成でも、マリンバやカリンバ(親指ピアノ)、カヴァル(民族フルート)、オーボエ、ガダルカ(ブルガリアの弓奏楽器、多くの共鳴弦を持つ)などが異国的な響きを出すが、サキソフォンはジャズの素養がある人のようで音は滑らか、聴き易さはこのサキソフォンに負うところが大きいように思う。
 メンバーを記すと、Juhász Endre (oboe)、Bencze László (double b)、Borlai Gergő (ds, perc)、Szőke Szabolcs (gadulka, kalimba)、Thurnay Balázs (kaval)、Grencsó István (as, ss)、Czakó Péter (b)、Krulik Zoltán (g, syn)。
 本作、アマゾン・ドイツのマーケット・プレースで買った。本体価格は17ユーロ。これだけ見てポチってしまったら、送料が14ユーロ、ちょっと高い買い物をしてしまいました、新品だから(ちゃんとシールもあったし)まぁいいか。ヨーロッパの各国アマゾン、送料の設定の仕方が違う、混乱するときも。

a0248963_17405153.jpg 3作目、Café Bábel、1997年。彼らのホーム・ページにある通り、インプロヴィゼーションを中心としたアルバム、ジャズっぽさでいえば一番ジャズに近い。ハンガリーでは、共産主義の頃からジャズが演奏され、フリー・ジャズのコンボまであったと記憶しているが、その伝統もあってこうした音楽が生まれるのか。1曲目はいつも通りの民族風フュージョンだが、2曲目以降 Krulik おじさんはピアノのみの演奏となる、それもぐっとジャズ・テイストの。2曲目、4曲目、6曲目とサキソフォンとのデュオ、3曲目などはワン・ホーン・カルテットのフリー・ジャズ。5曲目はオーボエ、7曲目はミュート・トランペットが入る。8曲目はフルートとカヴァルの多重録音にアルコ・ベース、まるで現代音楽のよう。印象に残るのは、ちょっとフリーキーな音を聴かせるサキソフォンと暴れまわるベース(特にアルコ)。先回も引用させていただいた rim-mei さんの感想は「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが」。ジャズをよく聴く自分にとっては、こんな感じの演奏も守備範囲。
 例によってメンバーを記しておくと、正式メンバー(複数曲参加しているのは、くらいの感じか?)として表記されているのは、Krulik Zoltán (g, p)、Grencsó István (as, ss)、Thurnay Balázs (kaval, udu, Kalimba)、Bencze László (double b)、Juhász Endre (oboe, english-h)。ゲスト扱いで、トランペット、ガダルカ、フルート、ダブル・ベース、ドラムスがクレジットされている。
 これは、アマゾンUK のマーケット・プレースで。フランスのレコード・レーベル&ディストリビューターのムゼアから購入したもの。ちょっと、新品か疑うところもあるものだったが、デジ・パックでもないので(デジ・パックだと中古で買う気にはならない)、クレームを付けるには至らず。2,000円程度の買い物、日本アマゾンのマーケット・プレース値付けの半額程度。

 取り留めのない文章、感想。もうちょっとなんとかならないのか、と思われるのは当然のこと、自分でも気の抜けた文章を書いているなぁ、とは思っています。そういえば、 Makám のホーム・ページに Robinzon Kruzo の CD が出ている、またガーデン・シェッドの新着案内にも出ていた、また買わなくちゃ。
 
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by ay0626 | 2012-12-08 15:26 | trad

どっちかというとイージー・リスニング マカーム (2)

 一昨日、よく眠れなくて(昔から寝付きが悪かったが、近頃運動量が減っているせいか、この傾向が強い)、その上昨日は昼の数時間立ちっぱなしということもあって、本を読む気力もなく、それでも1時間くらいは寝床で転々反側、比較的早く眠りに入ることが出来た。12日の月曜日に本を読み出し、火曜日水曜日と順調に進み、あとは解決編のみとなったところで足踏みしている。この文章を書いたら、午後は読書の時間に当てようと考えている、何もなければだが。

 選挙対策の「第三極」作りは、各人の節操のなさと人の好き嫌いに左右されて、昨日「くっ付く」といったら「今日はダメ」など、くるくる状況が変わる。日本維新の会は、政策の一致が最も大切だ、などといっていたのにジジイ集団の太陽の党(命名時には凄く笑わせて貰った、岡本太郎さんも目をグリグリさせて「政治は爆発だぁ~」と草葉の陰で叫んだとか叫ばないとか)との合流を決め、もっと笑えることに石●前都知事を党首に据えてしまった。原発にしろ消費税にしろTPPにしろ、どれも様々な意見と考え方を纏めていかなければならない、非常に大きな問題な訳だが、これを「小異」と切り捨てるなぞ、民主や自民の各党から「野合」批判を招くのは当然の話、彼らにとっての「大同」とは何か、選挙に当選することの一点か、それじゃ原っぱの真ん中で恥ずかしい行為に及ぶ言葉どおりの行いじゃないか。橋●市長も自ら出馬することなく、後ろからコントロールしようとするのはずるくないか、例えば承久の変で後鳥羽上皇が先頭に立って「朕に歯向かうものには天罰が落ちる」と叫びながら鎌倉勢に立ち向かっていたらどうなったか、侍の世の中になるのにもう少し、時間が掛ったろうに、先頭に親玉が立つことの重要性の認識が低くはないか。また、自身の出自に関して週刊●日と戦ったときの啖呵は格好良かったが、偏見と差別感覚をてんこ盛りで持つ石●氏とくっ付くとはどういうことか、感覚的には随分ずれたことをしているような気がしてならない。自分は石●氏に期待するところなぞ寸毫もないから、同時に橋●氏に対する興味も急激に失った。
 袖にされた名古屋の河●市長、どうも胡散臭さが消えない人で、汚い名古屋弁をこれ見よがしにワザとしゃべってみせるところなぞ辟易してしまうが、行き着く先は「生活が第一」の小●氏との合同か、悪相同士の結合では訴える政策を聞く前に、有権者諸氏は顔の前で手を振るだろう、NO の意思表示として。
 となると何処へ入れましょう、長考の末・・・、ではあるが必ず選挙には行こう、今の世の中眺めているだけじゃ詰まらない。あと1か月となりました、正月に失業する多くの政治屋さんたち、頑張ってね。

 さて、蒐集すると宣言した Makám の2回目。このバンド、どこかのネット・ショップで一括して揃うというなら楽なのだが、なかなかそうは行かぬ。アマゾンなら直売しているものはほんの少し、後はマーケット・プレースでの購入となるが、マーケット・プレースでは送料負けするところもあり、よく考えて慎重に購入を進めている(殆ど趣味の範囲、高々数百円から千円程度の値段差しかないのだが、ちょっとでも安く買うことがが楽しいのかも、いじましい)。
 ということで、今回は国内の通販店、レコンキスタ(再征服の意ですね、イスラムからイベリア半島を ’取り返した’ ということで)さんとプログレ専門店のカケハシ・レコードさんから購入しました最近作2点。あんまり聴き込んではいないので、ちょっと不安もあるが(それでも両者、4~5回は聴取しております)、行ってみましょう。

a0248963_143935.jpg 最新作(どうも Robinzon Kruzo という作品がそのうち出るらしいが)、Csillagváró 、2010年作品。グーグル翻訳で訳して見ると「スターが求められている」「スターを待っている」ような意味らしい。2002年の Szindbád 、2006年の Ákom Bákom に続く、子供のための音楽の第3弾というような案内がされているが、前2作は未聴のためよくは判らない。メンバーを記しておくと、Hornai Zóra (vo)、Korzenszky Klára (vo)、Boros Attila (acc-bassguitar ~ 16曲目には Jaco Pastrious を思わせるようなベース・ソロあり)、Eredics Dávid (cl,sax,kaval,flute)、Horváth Olga (vln, cho)、Keönch László Farkas (perc)、Krulik Zoltán (acc-g, vo)。
 1分から3分程度の長さの曲が17曲も並んでおり(曲数が多いが総収録時間は41分程度)、非常に聴き易い、刺激的な音は入っていないので昼寝音楽にも最適、いうなればバルカン風味のアコースティック合奏の上に美声を乗せたイージー・リスニングといってもよい。全部が歌曲で Krulik 御大もなかなかの喉を聴かせる(ジャケット内側の写真を見ても良い人そうな感じではある)。女性ヴォーカルは2人いるが、重唱するような場面は少なく、曲ごとの独唱が基本、声の質が違うので単調さは免れている。演奏も各楽器のテクニックを前面に打ち出すところはなく、クラリネットが多少そんなところを見せることもあるが、基本的にはアンサンブル重視のゆったりした演奏である。

a0248963_1433388.jpg その前のアルバムが、2009年の Yanna Yova (固有名詞か?)。4分から5分の曲が10曲並ぶ。Csillagváró に比べれば、「大人向け」の音楽という感じ。メンバーは Csillagváró と同じ、所持している初期のアルバムから見るとメンバーは大きく変わっている。
 最初の曲からドラムが入り、エレキ・ベースがかなり重いリズムを作る上に、カヴァル(フルート?)とヴァイオリンが絡み、ヴァイオリンも派手めなソロを取る、クラリネットが入ってきて・・・というようにかなり賑やか。ギターも控えめながらエレキを使用している曲も多い。1曲当りの時間が長いこともあり、器楽のソロがそれなりに場を与えられている。特にベースは伸びやかに良い演奏を聴かせる(ちょっと前に出過ぎの感がなきにしもあらず、だが)。女性ヴォーカルも艶やかさを感じさせる、加えて重唱の曲も多い。異国情緒のある大人向けの音楽、バルカン・アダルト・フュージョンといった感じか。
 ハンガリーの楽団といえば、The Moon and the Night Spirit や Besh o DroM などを紹介してきたが、全く違う。落ち着いた気持ちの良い音楽、夢中になる、嵌るということはなさそうだが、長くお付き合いできそうな音楽だと思う。

 ということで、これからちょっと昼寝、もちろん BGM は Makám で。起きたら読書でも、読んだところまでの記憶が曖昧にならぬうちに。
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by ay0626 | 2012-11-18 10:35 | trad

現在蒐集中 ハンガリーの中堅トラッド・バンド マカーム

 昨日は何やかやありまして、文章を綴る時間がなかった。
 今朝も草臥れ仕事があって午前中は潰れ、昼飯を食べに行ったら何処もかしこも満員、家を出てから飯にありつくまで小一時間掛り若干イラッとしてしまった、まだ人生修行が足りぬようで。

 10月の半ばだったか本を買うと宣言して、10月の20日頃に4冊手に入れた、これがなかなか読めない、西澤保彦さんの新作は読めたが、あと3冊は積読状態。空気が乾燥するようになったためか、目がチカチカして本を読む気にならない、これも歳のせいかなあ・・・と、まぁゆっくり読めばよい、積んどいたって本は腐る訳でもあるまいし。
 ということで、西澤さんの新作『モラトリアム・シアター』、文庫書下ろし作、文庫書下ろしといえば、怪作『なつこ、孤島に囚われ。』(2000年)以来かと思う。お得意の記憶改竄ネタではあるが、主人公が自分の記憶が何らかの理由で封印されていることを自覚しているのが、今までの作品と異なるところ。記憶改竄ネタは、読者を非常に不安定な気持ちにさせる『夏の夜会』、感覚まで騙す実験作で傑作『神のロジック、人のマジック』、大量殺人から女殺し屋の誕生まで信じられぬ展開を見せる『収穫祭』など、西澤さんの主要テーマといっていい、しかし余りやりすぎるとまたこのネタかぁ、といわれそう。今回は何故記憶が封印されたのか、本人には記憶を回復しようとする意思が余りないのに、記憶の封印理由を解明しないと話が成り立たない、ということで、出ました!『必然という名の偶然』(短編集)の『エスケープ・ブライダル』に登場した超大富豪名探偵、彼女が登場してきて金を使い捲くって物語が奇跡的に成り立って仕舞うという荒業をやってのける。大体、終末近くでTVで驚愕の犯人名が告げられる場面、そこで気が付かなければいけないのであります・・・と読んでいない人は何が言いたいのか全く判らないであろうが、それなりに良い出来の作品ではありました、近頃の西澤さん、かなり快調ではなかろうかと思う、最後の最後に「produced by 腕貫探偵」の意味が判るところなんかも憎い。ただし、人間関係を性的な関係であちこち引っ付け過ぎなところは、どうも頂けない、安易ではないかとも思う。でも、『殺意の集う夜』『収穫祭』『からくりがたり』などでも見せたねっとりとしたアレ系の物語りも西澤節の重要な系統と考えれば、それはそれでよいのかも。

 音楽の方は、ちょっと新しい方向を探ってみようということで、手を出したのがハンガリーの Makám とチェコの Traband 。Traband はまだCDが手に入っていないので、取り合えず到着した Makám の2枚を紹介、今回は手に入った順での紹介のため、音の移り変わりがどうなのかなどは書けないのでご容赦を。

 Makám は、ハンガリーのバンド、1980年代半ばに同じくハンガリーの Kolinda というバンドとの連名作を2枚リリースした後、88年に単独名義の Közelítések / Approaches を出す。90年代半ばからは、コンスタントに作品を発表、初期作はインストルメンタル作品だが90年代終わりからは女性ヴォーカルを加えた編成の作品になる。今回入手したのは、Amazon 日本のマーケット・プレースで一番安かった2枚。ハンガリーといえば、今までに The Moon and the Night Spirit と Besh o DroM を紹介したが、どちらとも異なる系統で大変よろしい感じで聴きました、はい。

a0248963_19545799.jpg 入手した2枚のうち発表時期の早いのが A Part 、1998年作。リーダーはギター奏者の Krulik Zoltán (ハンガリーでは、姓と名の順が日本と同じ、Krulik が姓となる、マジャール人はフンのアッチラの後裔、アジア系)を中心として、Juhász Endre (oboe, flute, kaval ~ 民族フルート)、Bencze László (double b)、Szalai Péter (tabla)、Szőke Szabolcs (gadulka ~ ブルガリアの弓奏楽器, sarangi ~ インドの弓奏楽器)、Thurnay Balázs (kaval, marimba, gatham ~ インドの打楽器、壷を叩いて音を出す) の6名がクレジットされている。
 一聴、びっくりするのが全く土の匂いのしない、現代音楽的というかニュー・エイジというか、それ系のアンサンブル、例えば現代音楽でいえばミニマル系の Reich など、ニュー・エイジでは Stephan Micus とかトレンブリング・ストレインに近い印象。Besh o DroM がジャズ的なアプローチでポップな感じであったが、こちらは大人の抽象音楽といった感じで、初期はこんな風な音楽なのだろうか、ザビエル・レコードの Közelítések / Approaches の紹介でも「現代音楽風」といった惹句が見えたし、よく見せていただく rim-mei さんのホーム・ページでも同時期の Cafe Babel のレヴューに「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが。」というような文章が見える。
 クールとしか表現できないが、自分にとってはかなり好印象の作品、特にマリンバ、チェレステの音がミニマル感を盛り上げ、フルートなども短い音を積み上げていく。ずっと掛けていたいような音群、インド~東洋的な感じが凄く良い。

a0248963_19553134.jpg もう1枚は 9Colinda、2001年作品。Lovász Irén の歌を中心として、作曲は全て Krulik Zoltán 。メンバーは、Grencsó István (sax)、Thurnay Balázs (kaval, udu ~ 壷型ドラム、アフリカ系のようだが gatham に近い感じか)、Krulik Eszter (vln)、Mizsei Zoltán (syn)、Horváth Balázs (double b)、Gyulai Csaba (perc) 。どの人の名前も読めませんね。
 この Lovász Irén の声、柔らかで優しくて非常に良い、Makám の作品にはあと2作加わっている模様、聴きたいですねぇ。演奏もそれに合わせて、柔らかで聴き易い。シンセサイザー奏者も加わっているが、シンセ候の音はなく、オルガンなどのサンプリングが主体なのかも。
 この Kolinda (アルバム名は Colinda だが)とは、クリスマス・キャロル(祝歌)のような羊飼いの歌の一般的名称で、バルカン半島のルーマニア人やスラヴ人の新年の歌だ、というようなことがジャケット内側に書いてある。確かに2曲目などバルカン音楽(アラブ系の曲調)という感じで、カヴァルの音やヴァイオリンのピチカート、民族パーカッションなどがそれらしい感じを盛り上げるが、やはり土臭さはなく、洗練された感じが強い。
 A Part リリースから3年後の作品であるが、抽象的な感じは殆ど無くなっている、つまりはヴォーカル主体のメロディーのはっきりした音楽。サキソフォンの音など、イージーリスニングといってもいい感じの聴き易さ、トラッドに分類はしたけれども、ちょっと違うかも。

 ということで、今後も新ジャンル開拓は怠らぬようにするつもり、その割には聴く時間がないけれど。楽しみはこれから。
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by ay0626 | 2012-11-04 18:28 | trad

絵になるねえ! ファウン (2)

 昔は、動いているミュージシャンを見るためにはコンサートに行くぐらいしか手段がなかった。近頃は、どんなバンドでも 'プロモーション・ヴィデオ' みたいなものを作るし、コンサートも長尺の DVD になってたっぷり見ることができる。手軽なところで、音の質を気にしなければ You Tube など動画専門サイトでどんな感じで演奏しているのか、くらいは確認できる。
 見て、「へ~、そんな風に演奏していたの」などと感心することも。例えば「たま」の『金魚鉢』という曲、鈴とリコーダーが同時に演奏される部分があって、実際に演奏風景を見てみると、石川さんが両足に鈴を付け足踏みをすることで鈴を鳴らしながら、リコーダーを演奏している。一箇所だけ金鉢を叩くところも、足の鈴を素早く取り去り、鉢まで走っていって一発かましている、ライヴの音だけでは到底想像できはしない。また、Present の Barbaro (ma non troppo) は、音楽CD とライヴ DVD を組み合わせたアルバムだが、CD で音だけの Vertiges 、最後のメタル・パーカッションが鳴り響くところ、どんな楽器を使ってやっているのだろうと思ったが、ライヴ映像を見てぶっ飛んだ。ライヴでは、巨人といっていいほどの大男、それも顔に化粧をした、何かホラー映画にでも出てきそうな珍妙な格好をしている人物が手に2本の金属棒を持って、それをおもむろに力いっぱい太い棒にやや細い棒をぶち当てて音を出すのである。非常に原始的な方法で音は出ていたのであった(前にも書いたが、この後ろで足の悪い Rodger Trigaux 親父が元気いっぱい、ギターを振り回してキーボードを破壊し捲くっていたのである)。

 ここまで映像が出てしまうようになると、あまりかっこよくないバンドはちょっといたたまれないだろうなぁ。ヴィジュアル系だとかシアトリカル系はいいのだろうけど。シアトリカル系といえば、昨年始め解散宣言をして、スタジオ・アルバムとライヴ DVD を出すといっていた Sleepytime Gorilla Museum は、ちゃんと仕事をしているのだろうか、You Tube で確認できる彼らの白塗りシアトリカル・パフォーマンスや創作楽器による演奏風景は纏まった記録として是非とも手元に持っていたいものだ(何せコレクターですから)、約束を反故にしないよう望んでおく。

 演奏も大したものだが、見ても最高なのが Faun 。今回はライヴ・アルバムと2枚の DVD のご紹介。DVD はヨーロッパなので PAL 形式だが、コンピュータがあれば視聴できる、便利な世の中である(これで思い出した、会社の知人でアダルト DVD を見るためだけにその昔 PAL 方式の DVD プレーヤーを買った猛者がいる。その道に懸ける思いの深さが判る、感動的(?))。

a0248963_16423466.jpg Faun 唯一のライヴ・アルバムは、2007年の Pagan Folk Festival を収めたもの。Faun だけでなく、Sieben と In Gowan Ring というバンド(?)の演奏も収録(Faun のメンバーが演奏に協力している)。この共演の Sieben は Matt Howden というヴォーカル・ヴァイオリン奏者のワンマン・プロジェクト、In Gowan Ring も B'eirth というヴォーカル、ギター・リュート奏者のこれもワンマン・プロジェクトのようである。調べてもあまり詳しくは判らない、特に日本語の情報は皆無に近く、かといってここで聴かれる音楽には調べてまで聴こうと思うような魅力は感じず、そのままになっている。
 収録曲は Totem 、Renaissance に収録されたものに2曲未発表曲を加えている。演奏自体は安定しており、ライヴらしい荒々しいところやソロが熱くなるところも。しかし、このアルバム、音はあまり良くなく、Faun がライヴを出すなら DVD に限ると思った次第。

a0248963_16425469.jpga0248963_16431436.jpg DVD は今までに2枚。最初の DVD は、Lichtbilder (写真のこと)。2003年・2004年のライヴ、プロモーション・ヴィデオ、インタヴューなどを収めている。
 歌姫 Lisa 姐さん、マルチ・ウッドウィンド Fiona 姐さんのフロント2人の美しいこと。Lisa 姐さんの妖艶な感じは正に歌姫 Diva 。
 プロモーション映像はちょっと作り過ぎの感じだが、アンプラッグド(つまりは電気的処理を行っていないということ)の映像は面白い。昔風の家の中、Neil 君を除く4人(曲によっては、2人だったり3人だったりする)が敷物の上に直に座って、全くのアコーステックな演奏を行う、Lisa 姐さんは目張り程度の化粧はしているが、Fiona 姐さんなど全くのスッピン、小学生の音楽の時間さながら、楽しそうに歌っている、ステージでのライヴとは全く違う印象。
 2枚目のDVDは、Ornament (装飾のこと)。2006年・2007年のライヴ、プロモーション・ヴィデオなどを収める。 ここでもアンプラッグドの映像が納められているが、こちらは森の中。Lisa 、Fiona 両姐さんとも殆どスッピン。珍しく、Fiona のハーモニウム演奏が聴ける、また Oliver 君のギター一本の 2 Folken も収録。

 Lisa が脱退してから、Sandra 、Rairda とメイン・ヴォーカリストが変わったが、DVD は Ornament 以降出ていない。You Tube では Sandra も Rairda も見ることは出来るのだが、ちゃんとした映像で持って置きたいのはファンの心理(この当り AKB ファンのノリと変わることはありません、ちゃんと自覚しております)。

 ホーム・ページを見ると12年ツアーの消化も順調に進んでいるようで。Sonja や男のハーディー・ガーディー奏者(面倒なので名前を調べない、本当にちゃっかりしたものです)の入った新作に期待。Sandra ちゃんをメインに据えた DVD の発売を切に願っております。
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by ay0626 | 2012-09-22 15:20 | trad

Claddagh Records の後半戦 チーフタンズ (2)

 大学を出た頃、浅田彰という経済学者・哲学者が「構造と力」という本を書いてちょっとしたベストセラーになったことがあった。この本を読んだかどうか、記憶が曖昧で、読んだことがあるにしろ、内容を全く覚えていないなら読まないと同じこと。次の「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」は読んでいて、自分はスキゾ人間なのか、パラノ人間なのか考えたものであった。

 Schizophrenia とは、統合失調症のこと。最近まで精神分裂病とも呼ばれていたが、人格を否定するようなイメージがあるとして90年代の前半にこのような名称となった訳。言葉は難しく、どれが人を傷付けるか判らないのが困ったもので、傷付いたと言われれば、はい、そうですか、済みません、と言うしかないのであって、その言葉は闇の彼方に葬られてしまう、本当にそれでいいのか、考える時間もなしに・・・だ。筒井康隆氏が、そうした傾向に抗議して、断筆宣言をしたことがあったな。言葉を操る小説家であれば、決然と対峙することは当然であるといえば当然だが。
 横道に話が逸れた。「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」での、スキゾ人間は、興味・関心が短期間で移り変わる者みたいな意味で書かれていたような気がする(あくまで、気がする、程度)。対する言葉が Paranoia 。偏執病のことで、ひとつのことに執着する精神病なので、あながち理解に間違いはないのではないか。

 人事という仕事をしているので、採用の際の性格テストの中で「持続性」みたいな言葉を見ると、このスキゾとパラノという言葉を思い出してしまう。今の若者は、どちらかとういとパラノ傾向の人が多いように思う(「持続性」と「慎重性」が概して高い、世間一般の傾向か、自分の勤める会社の傾向かは判らないけれど)。
 振り返って、自分はどうであったか、大学は自由を満喫するところ、自由を縛るクラブ活動には全く興味がなく、多少のアルバイトはしたが、あくまで金のため、一生懸命やろうと考えたこともなく、時間が早く過ぎりゃあいい、などとほざいていた。読書は乱読、音楽も過激なフリー・ジャズに走る、麻雀をやり狂うなぞ、自分の興味の趣くまま、褒められた生活ではないにしろ、そうした生活を4年間も出来たことには感謝している。退屈も自由の代償であって、退屈から逃れるために仕事やヴォランティアをしようと思ったことは一切ない。
 今の学生さんたちは、何事も一生懸命やらないと就職試験に通らないので、アルバイトでも意義を見出さなければならないし、クラブ活動でも自分の立ち位置を明確にしておかなければならない訳だ、本当にご苦労様なことである(そんな指導を受けているだろうことは、エントリー・シートを数枚見れば瞭然)。

 もともと、この国は職人気質、へそ曲がり頑固を尊ぶ傾向が強いので、どうも自分のようにふらふらとしたスキゾ人間には生き難いような感じがする。まあ、折り合いはそれなりに付けてはいるので、路頭に迷うようなことだけはなかったが。

 さて、パラノ人間そのものの Chieftains 。この人たちも変わらぬ音楽を何十年と続けた、技術は向上し、音楽職人としては相当なものだ。しかし、老境に入る頃に異種格闘戦を始め出すなど、世界に目が向くと変わって来るのかも知れない。今回は、アイルランドの Claddagh Records に残した録音のうち、『Live!』『7』から『Chieftains in China』までの6枚について。

a0248963_13255547.jpg 76年、カナダでのライヴを収めた The Chieftains Live! 。初めてのライヴ録音だが、Paddy Molony の MC のテンションが高過ぎうるさいのが気になる。後の DVD などで見ても変わっていない、しゃべればうるさいタイプの人のようだ。音楽は、アンサンブルもあるが、少人数の演奏やソロなどを取り混ぜ、聴衆を飽きさせない工夫をしている。

a0248963_13261744.jpga0248963_13264037.jpg 77年、The Chieftains 7。このアルバムから79年の The Chieftains 9 までは、コロンビアの Sound of Ireland シリーズで、リマスターの上、再発された。確かにリマスターにより、音質については5枚目や6枚目よりかなり良くなっている 。Claddagh Records のみで出ている他の作品よりも手に入り易く、値段も相当安い。演奏も安定し、(特にクラシック・トラッド時代の)Chieftains を聴き始めるなら、この3枚からという感じ。Claddagh Records の愛想のないジャケット・ブックとは異なり、曲目の内容や誰が作編曲を担当したか、と言ったデータも載っており、決して、このバンドが Paddy Molony の独裁バンドでないのが判る。
 78年、The Chieftains 8。Michael Tubridy (フルート、コンサルティーナ)、Sean Potts (ホイッスル) 在籍の最後のアルバムとなる。 Tubridy は1935年生まれ、Potts は1930年生まれだから、Molony よりも年上。この後、よくは判らないが、Molony の影響力が強まって行くのだろうと想像できる。

a0248963_1327048.jpg 79年、The Chieftains 9: Boil the Breakfast Early。このアルバムからフルートの Matt Molloy が加わる。Molloy は47年生まれだから、バンドの平均年齢は相当若返ることになる。Molloy のフルートの腕は相当なもので、殆ど息継ぎも無く長いフレーズを苦も無く奏でる(特に5曲目)。また、Kevin Conneff のアカペラ(4曲目)も披露され、今までとは違った感じを演出している。

a0248963_13271341.jpg 80年、The Chieftains 10。このアルバムも演奏内容については、今までのアルバムと異なるところは少ないのだが、何故か知っているメロディーが多く、懐かしさに浸ってしまうのである。特に2曲目の Salut a la Compagnie 。何回聴いても「竹薮の上は~ 夕焼け雲だ~ 燃え上がる 野も山も 明日も天気になあれ~」なのだ。また9曲目、Sir Arthur Shaen and Madam Cole もどこかで絶対に聴いている、思い出せないのは悔しいが。この2曲のせいで、Chieftains の数あるアルバムの中でもターンテーブルに乗る機会が多くなっている。

a0248963_13274688.jpg 85年、The Chieftains in China。アイルランドと中国の国交が回復したのが81年、その時から音楽特使として Chieftains の招聘計画があったらしい。85年にそれが結実したことになる。のっけから中国音楽アンサンブルで始まり、何か拍子抜けの感あり、全体的な印象も中国に迎合した印象で、そんなには聴かないアルバム。『10』から『Live in China』までの間には、81年に『The Year of the French 』、82年に『The Grey Fox』というアルバムがあるが、何れもサントラなどの企画盤のため、紹介からは外した。

 やっと次回から RCA 時代に。Claddagh Records 時代は、アルバムは内容がどれも似たようなもので書くことが少なくて困ったが、今後はちょっと音楽に関する文章が長く書けるかも。
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by ay0626 | 2012-06-02 09:51 | trad