日常茶飯事とCDコレクション
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カテゴリ:free improvisation( 10 )

ベースの可能性・無伴奏の魅力 吉沢元治

 昨日もドラクエ7をやり捲くって、書くことが思い浮かばないので1日お休みになった。この頃は音楽も聴かず本も読まず、ひたすらサルのようにドラクエ7をやっている、今まで費やした時間なんと57時間超!

 おじさんもこの頃は良くゲームをやっているようで、ファミコンやらスーパーファミコンで遊んだ人たち、今40歳代前半の人だと頷いてくれると思う。自分の世代は、子供と一緒にやるか、パソコンがマイコンと呼ばれていた時からやっている人が中心、まぁいい大人はゴルフとかそういう大人の遊びをしなくちゃね、と思っている人たちはビデオ・ゲームとは縁がなかろう。そういえば、社会人になって2~3年後(大学時代には KT-80 という自作コンピュータのセットが発売され、高価ではあったが友人の一人は購入して遊んでいた)には、例えば富士通のFMシリーズとかNECのPC-88、98シリーズとか色々な機種が出て、ちょっとしたブームとなった。しかし、かなり高価だったことは確かで、購入するのに相当無理をしたのを憶えている。
 この当時、嵌り込んだのが『Wizardry』と『信長の野望』。特に『Wizardry』はやり込んだ、モンスターと出会うと読み込みに時間が掛かり、ドライブががちゃがちゃ音を立てる、戦闘が終わるとまた読み込みに時間が掛かって・・・・・・、と今から考えるとイライラするんじゃないかと思えるのだが、当時はそれで満足していた訳だ。『Wizardry』は、戦闘結果を自動読み込みする仕様となっていたので、全滅などすると真っ青、二度とそのキャラクターと会えなくなる。このゲームのなかなか厳しいところなのだが、読み込んでしまう前に強制終了してしまうと助かることがある、地下8階辺りでアーク・デーモンとご対面しようものなら、強制終了ボタンに手を置きつつ・・・ということになるのだ。
 ここら辺のところは、矢野徹氏の『ウィザードリイ日記』にも記述のあるところで、頷きながら読んだものである。矢野さんは日本SF界の長老で、『カムイの剣』が有名、自分も夢中で読んだ記憶がある(多分高校生の頃)。矢野さんも60歳を過ぎてコンピュータ・ゲームに嵌り込んだ口で、そのことが面白おかしく書いてある、こんな風に歳を取りたいと思っていたが、既に彼が『Wizardry』に嵌り込んだ歳に近くなっている。

 CD のほうは、近頃聴くことが少なくなっていて、ついに音楽ブログお終いか、と自分でも不安になってくる。そうしたら、読書とゲームのブログでいいや、と何ともいい加減なことを考えている。

a0248963_2139975.jpg 今回は、吉沢元治、言わずと知れた日本フリー・ジャズ界を代表するベーシスト。といっても、所持しているのは初期3枚のソロと阿部薫との『Nord』のみ。大学生活の後半、ちょうど Cecil Taylor の Great Paris Concert を聴いて、Alan Silva のベースにいたく感激、ベースをもっと聴きたくなった。そのときたしかトリオ・レコード(今は無きオーディオ・メーカーの子会社)から一連の日本のフリー・ジャズの廉価盤シリーズが出て、その中で聴いたのがここで紹介するうちの2枚。このシリーズは、沖至の『しらさぎ』だとか加古隆と高木元輝の『パリ日本館コンサート』とか豊住芳三郎の作品とか、本当に良く聴いたレコードが多かった。ジャケット・デザインも優れたものが多かったように思う。
a0248963_21395045.jpg 吉沢元治は、1931年生まれ、1998年に亡くなっている。他のフリー系ミュージシャンに比べてもかなりの年長者である。初期のベース・ソロ3部作が有名(後期ソロ3部作もあるのだが、聴いていない)。
 最初のソロ作品は、『Inland Fish』、1974年9月のライブ録音。LP B面の殆どを占める Correspondence は豊住芳三郎とのデュオ。2枚目が『割れた鏡または化石の鳥』、1975年7月軽井沢教会での録音。これは ALM というマイナー・レーベルから出て、当時は全く手に入らず、CD化されてから初めて聴いたもの。10曲のバラェティーに富んだ作品集。3枚目が『Outfit』、1975年9月のライブ録音。bass solo 2 1/2 とあるのは、最初の『Inland Fish』のB面が豊住氏とのデュオだったからであろう。
a0248963_21402197.jpg どの作品も、イマジネーション豊かで、真面目な人柄が滲み出る作品。特に2枚目の『割れた鏡または化石の鳥』は『よくこんな曲想が出るなぁ』という感じ。例えば Silva がヒステリックな感じ(バイオリン並みの超高音を出したり、といったところなど)なのに対して、ベースの低い音を中心に組み立てている、ベースのベースらしい音が好きなのだと思う。1年に2~3回しか聴かないが、それでも30年(途中10年以上のブランクはあるが)前から聴いていて、未だに聴くのは、やはり低音好きだからか。

 もう梅雨明けか。朝から気温はぐんぐん上昇、小暑どころじゃなくていきなり大暑、酷く暑い夏になりそうで。
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by ay0626 | 2013-07-07 21:31 | free improvisation

韓国トリオ、冷静な狂気 姜泰煥 (4)

 今週もライブに出かけようかと思っている。姜泰煥と土取利行のデュオ、楽しみ。

 という訳で予習の意味もあって、姜泰煥の韓国トリオ作品を聴くことにした。韓国の大統領が交代して、北朝鮮がそれに付け入って工業団地の締め出しなど揺さぶりをかけている。今の大統領のお父さんも大統領で、民族分断国家の常で独裁体制を敷き、しかし軍事にお金をかけても経済をあれだけ発展させたのだから、大した人であったことは間違いないだろう。お父さんもお母さんも暗殺されてしまったのだから、現大統領は悲劇のヒロインといったところ。思い出すのは、ミヤンマーのアウン・サウン・スーチーやフィリピンのコラソン・アキノ、悲劇は女性に似合うということか。本人の実力以上のもの(過去からの光)を民衆は彼女たちの上に見てしまうのだろう。男性はこの点、全くの不利、英国チャールズ皇太子を見よ。

 3DSのために頭と指先がサルになってしまったので、これ以上の作文は無理。

 ということで姜泰煥の韓国トリオの作品、2枚。姜泰煥は、活動初期の頃(1978年)、パーカッションの金大煥(Kim Dae Hwan)とトランペットの崔善培(Choi Sun Bae)とトリオを組んで、最初のリーダー・アルバムにもこのトリオの演奏が収められている(興味のある方はこのブログでも紹介しておりますのでご覧ください)が、その後はソロ中心に、トン・クラミの2枚のアルバムがある程度。その意味では興味深いアルバムなのだ。
 この2枚、何れも韓国盤、Improvised Memories は多分東京のディスク・ユニオンのお茶の水店で、Isaiah は通信販売で(あまり有名なところではなかったが)購入したもの。

a0248963_21441998.jpg Improvised Memories、2002年12月録音。美妍(Miyeon, p)、 朴在千(Park Je Chun, perc)とのトリオ。美妍さんと 朴在千さんは夫婦らしい。分散音が現代音楽風なピアノと殆どシンバルを鳴らさず、低い音の多いパーカッションに姜さんのロングトーンがマッチして、非常に緊密な音を生成している。例えば、富樫雅彦と佐藤允彦とのトリオ演奏とは全く異なる印象、富樫~佐藤との演奏はやはりジャズ的な要素が多く、それに比べ本作は、民族要素(Park のパーカッション)と現代音楽要素(Miyeon のピアノ)の折衷であるといっていいのではないか、熱くならない冷静さがちょっとアブナさを感じさせる音楽。ちょっと変な言い回しになってしまって(間章風を気取った訳ではない、ただ頭の中がサル化しているだけだ)、言いたいことが上手く言えない。

a0248963_21444660.jpg 2枚目は、Isaiah 、2005年3月録音。500枚限定でリリース、自分の持っているものは206という数字が書いてある。題名はキリスト教の預言者イザヤのこと、韓国では戦後クリスチャンが増え、姜さんもクリスチャンとのこと。
 変わった装丁のCDで、厚い表紙の2面デジパック、表紙裏には、イザヤ書の6章9節から『 You will go on hearing, but learning nothing. You will go on seeing, but without getting wiser.』とのみ書かれている。どういう意味で読んだらいいんでしょうか「聞き続けよ、しかし何も学ぶな。見続けよ、しかし悟ってはならない」。インプロを聴くときの心構えを説いたもの、といえば神様のバチが当るか、当っても本当にそれが神様のバチと判るかが問題。
 50分途切れることなく続く演奏、便宜的に6パートに分けてある。各人のソロを取り混ぜて、それでもパート3の姜さんのソロはゆったりとしたリズムを刻みながら時にロングトーンを交えるところが素晴らしい出来。

 今週はちょっと色々あって忙しくなりそう。クール・ビズに馴れ切ってしまうと偶にネクタイ締めて上着着て、が嫌で嫌で、しかしそれも給料のうち。せいぜい、気温が上がらぬことを祈りましょう。
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by ay0626 | 2013-06-23 20:40 | free improvisation

民族フュージョンないし民族テクノ サインホ・ナムチラク (2)

 久しぶりに本を読んだ。中上健次の『千年の愉楽』。若松孝二監督の遺作となる映画の原作ということで。

 学生時代にも一時中上健次をかなり読んだ時期があって、それは神代辰巳監督の「赫い髪の女」を見たことがきっかけ。にっかつのロマン・ポルノは当時良く見ていて、それなりの作品も多かったように思うが、特に印象深いのがこの作品。宮下順子が余りに良くて、2回も見てしまったことを憶えている。亜湖なんかも出演していて、桃尻娘シリーズで「レナちゃ~ん」など間延びした感じが鬱陶しくもあり、可愛げもあって・・・、なんぞ脇道に逸れた。この映画の原作が中上健次の「赫髪」という短編で、読み難い文章ながら、一定のリズムを掴めばスルスルと読める、多分短編ばかり、「岬」や「蛇淫」などを読んだものと思うが、30年以上も前のこと、ほとんど内容も覚えていない。
 『千年の愉楽』も読み難い作品で、本当に文章推敲しているのか知らん、など思ってみるのだが、確かに文章には妙なリズム感はある。被差別部落のある一族の男たちの物語なのだが、産婆としてその男たちを取り上げたオリュウノオバが狂言回しとなり、時間は飛び越すは、視点は変わるは、本当だか幻想だか判らなくなるは、で筋を追うのは至難、まぁ感じを掴み取りましょうということで。「中本」という一族の男たちは性的に女を惹き付ける生来の運命があり、その引き換えに一生が短い。一生が短いのが残念かというと、寿命なぞ生れ落ちたときから決まっている、何歳で死のうが死ぬときゃ一度、と思えばそんなもん、自分だって戦前に生まれていればもう3回は死んでいる、昭和の半ばに生まれたから、今でも生きていられるだけで、結局一生なんてそんなもの。そう思えば、女にもててやれるだけやって、首を括ろうが、刺されて死のうが、それが幸せか不幸せか、傍で見ている人でもその人生観によって変わってしまう。自分を振り返ってみれば、全体運とすりゃそう悪い人生でもないと思うが、確かに女運だけはハッキリと悪い、もてたこともなけりゃ、いい女に当ったこともない、だからといってそれに悪態を付くことはあっても、なんとも諦める以外ないのであって。
 このオリュウノオバなかなか良いことをいっていて、例えば「何をやってもよい、そこにおまえが在るだけでよいといつも思ったし、礼如さんと暮らし続けて仏に仕える道は何もかもそうだったと肯い得心する事だと思っていた」「自分一人どこまでも自由だと思っても御釈迦様の手に乗っているものなら何をやって暮らしてもよい」。確かにその通りで、性的逸脱や犯罪行為に対する全面的な自己肯定と僧侶の戒律の矛盾はあるにしろ、日本には確かに誰もが「南無阿弥陀仏」と唱えれば天国に行ける、という考え方がある。それならどんな戒律破りでも同じじゃないか、というところに通じる訳、この物語でも男と女はやり捲くってしまうが、それが自然なのだ、そういうもんさね、と言われればその通りです、オリュウノオバでも(20歳、30歳?年下の)達男とことに及び、それを夫の僧侶に知れても悪びれることがない、まぁそんなもんで、それで別れるなど有り得ない。
 最後の「カンナカムイの翼」は、アイヌや朝鮮人が出てきて、虐げられた者への共感が出るかと思って若干嫌だなぁ、と思ったが、そこまで正義にならず、それはそれでよかった。
 全編、性行為だらけのこの作品、どんな映像になるのやら。若松監督の変な左翼への共感が出たら面白くないなぁ、なぞと考えている(浅間山荘の作品など、モロ、だったので)。

 と今回は、Sainkho Namtchylak の2回目。オリュウノオバのことを考えていたら、Naked Spirit のジャケットを思いついた。

a0248963_23111172.jpg Time Out 、1997年作品。インプロヴァイザーやジャズ・オーケストラとの連名作は沢山リリースしているのだが、単独名義では1993年以来となる。トゥヴァの伝統曲を中心にした作品で、33分程度の短い作品、参加ミュージシャンに知った名前はない、録音場所がモスクワであるところと名前の感じからロシア人と思われる。
 民族フュージョンというか民族テクノというか、ギターとパーカッション(アフリカン・パーカッションとの表記あり)で生音感を出しながら、サンプリングやループなども多用されており、聴き辛いところは少なく、ちょっと変なヴォーカルが優しく歌い上げる、ブルーズのような感じの曲も(特に1曲目、2曲目。2曲目の題名は Tuvan Blues でした)。どの曲も3分から長くとも6分程度、メロディー・ラインも追い易い、インプロヴァイザーというイメージを変える作品。

a0248963_23112428.jpg Naked Spirit 、1998年作品。ジャケットから異様。
 非常に淡々とした感じのアルバムで、様々な民族楽器(多くはパーカッション)が抑えた演奏をする中で、Sainkho の声がこれも淡々と歌い上げる。前作とは異なり、声の出し方のヴァラエティーは豊か。
 1曲目はスキャットに低音(サンプリング?)とアルメニアの管楽器ドゥドゥクという組み合わせ。2曲目は息を短く吐く声を重ね、高い朗々とした歌唱に繋ぐ、音域の広さも聴きもの。3曲目は、問い掛けと応答のような感じ、様々な声の出し方が試みられる。4曲目もスキャット、高音の声が非常に素晴らしい、ピアノがうっすらと伴奏するのも美しい。5曲目は喉歌、不気味な唸りが続く。6曲目は鳥の鳴く声のよう、パーカッションのみの伴奏で、インプロヴァイザーの面目躍如。7曲目は、低い濁声での呪文、マウス・ハープも不気味。8曲目も喉歌系、パーカッションにうっすらとした管楽器の音、Moon Trance という題名だが、トランス系の感じは良く出ている。9曲目は喉歌の上に可愛げのあるスキャットが乗る。10曲目も喉歌、淡々とした感じが強い、これもトランス系。11曲目、民族系の擦弦楽器の上に朗々たる歌声。
 こうして見ると、前作よりヴァラエティーに富んだ歌唱が聴ける作品。インプロ作品に混じり、こうした民族フュージョン、民族テクノ的な作品もこの後生み出されていく。

 ということで、今回は苦手な情念、土着、生臭系の話題ばかり。しかし、Sainkho 久しぶりに聴いてみると、案外あっさりとしたところもある、聴き直さないと印象が固まってしまうのかも。
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by ay0626 | 2013-02-24 23:08 | free improvisation

ソロとデュオ 姜泰煥 (3)

 昨年は、近隣諸国ともめた年であった。竹島に韓国大統領は行ってしまうは、尖閣諸島周辺の海域に中国の船が入ってくるは、おまけに日本系のスーパーや工場を破壊するは、話題には事欠かなかった。ニュースはもちろん、一番酷いところ、過激なシーンしか映さないので(平穏無事な光景を映しても何の面白みもない、誰も見ない、番組なぞ見てもらって何ぼの世界)、韓国の人や中国の人が皆が皆あんな風とは思わないが、却って自民党の大勝に利したところはあったのではないかと思う。

 音楽の世界だと、好きか嫌いかはっきりしていて良い。好きなミュージシャンが良い人とは限らないが。

 年明けだと書くネタが全くない。まあ、冒頭お茶を濁して、それでも韓国のインプロヴァイザー、姜泰煥の3回目。昨日の Etron Fou に続いて姜泰煥、どうも正月に聴くような音楽でもないが、選んでしまったものは仕方がない。今回は、2000年と2002年に発表された3作。

a0248963_2074825.jpg 2000年の作品は Clearness 。CD-R 2枚組で300枚限定、自分の持っているものは068/300とナンバーが入っている。本作品は多分、名古屋の得三というライヴ・ハウスで初めて姜泰煥を生で見たときに購入したもの。DVD サイズのケースに2枚の CD-R が収まっている。
 1枚目は、一楽儀光とのデュオ、約54分の作品、1999年11月防府市の「印度洋」でのライヴ。一楽氏は、1959年の生まれ(ということは殆ど同じ年)、ドラムを演奏し、エレクトロニクスの音を加えている。全く激しい音楽ではない、むしろ淡々と進行している感じ、姜泰煥も中音域で豊かな音量を響かせている。一楽氏のドラムはあまりシンバルを叩かず、和太鼓のような雰囲気が漂う。声のようなエレクトロニクスの音が儀式的な雰囲気を醸し出す。
 2枚目は、内橋和久とのデュオ、約53分、1999年11月神戸「Big Apple」と広島「Otis」でのライヴ録音。内橋氏も1959年の生まれ、やっぱり有名なのはナスノミツルと芳垣安洋とのアルタード・ステーツ、即興でそこまでやれるのか(そういえば Cassiber の紹介でもこんなフレーズ書いたっけ)と感心してしまう演奏を繰り広げる(とはいっても見たのは1回だけだが)。あとは、ドイツのインプロヴァイザー、ギタリストの Hans Reichel とのコラボレーション。Reichel は2011年の暮れに死んでしまったけれど、彼の初期のギターの即興にはユーモアが溢れ、他の FMP のミュージシャン、例えば Peter Brötzmann や Peter Kwald などのシリアスな感じとは随分違っていた。初期の CD 化されていない Wichlinghauser Blues や Bonobo などは非常に好きだったし、ダクサフォンという楽器の発明には驚いたものだ(内橋氏は日本人唯一のダクサフォン奏者でもある)。と、姜泰煥とは全く違う話になってしまい申し訳ない。
 相手の出方を慎重に見定めて対応しているような感じで、内橋氏のギターがなかなか繊細、アルタード・ステーツとは随分違う。ギターがギターの音を出している、内橋氏、時折エフェクトかけ過ぎで何だか判らないようなこともあるので、本作でもそうなるところはあるのだが。
 本作、内橋氏のレーベル、最高レコード(英語表記だと Psycho Record 、笑えます)からのリリース。

a0248963_208746.jpg 2002年には、ソロ作品2枚がリリースされた。とはいっても、Seven Breath は1998年2月に録音されたもの、朴在千(姜泰煥の韓国トリオのパーカッショニスト)のプロデュースによる作品、57分ほど。作家の田中啓文さんがこのアルバム評の中で『それぐらい……自己完結した音楽だった』と書かれているが、その通り。姜泰煥は共演者が居ようと居まいと自分のスタイルを貫く、従って複数で演奏するよりも、ソロが一番はっきりとした主張を持った音になる訳、ちょっと変な言い方だがそんな感じがする(だからといって、グループでの演奏が詰まらないことはない、特に2000年代の韓国トリオなど良い)。最初のトラックこそ早いフレーズを吹き捲っているが、全体にはゆったりしたアルト・サックスの音色を大事にした演奏。90年代の代表作といってよい。

a0248963_20141537.jpg もう1枚は、2002年5月、静岡の青嶋ホールでライヴ・レコーディングされた I Think So 。30分を超える2曲を収録、67分ほど。
 姜泰煥の日本ツアーは副島輝人(1931年生まれ)という評論家が関わっている。副島という人、様々な分野で評論活動をしているが、自分にとっては前衛ジャズの紹介に力を入れていた人という印象が強い。特に Moers Jazz Fes には相当数の日本のグループを紹介していて、以前に書いたトン・クラミの最初のアルバムは、かの地でのライブ録音であった。この CD のライナーも副島氏だが、文章は若干の難解系(間章や悠雅彦ほどの自己陶酔文章ではないが)、やっぱり精神世界に入りたいようで・・・・姜泰煥も求道者?いえいえ、それはどうでも良いこと、音さえ凄ければノー・プロブレム、女狂いだろうが、借金魔だろうが関係ありません。だけど、音を聴く限りでは、真面目そうな感じではある。
 Evan Parker の紹介でも同じようなことを書いたが、ここまで技術的に完成されてしまうと、後はその時点での記録のようなもので、一つ一つの作品にコメントするのは難しい。1曲30分程度が2000年頃の定番だったようで、一つの典型的な記録ではあろう。

 正月らしくなく今年も始まった本ブログ。昨年の正月も Cecil Taylor から始まっているので、似たようなものといったところ。
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by ay0626 | 2013-01-05 18:58 | free improvisation

トゥヴァの人間を超越したヴォイス・パフォーマー サインホ・ナムチラク

 先週から今週、外で夕食を取ることが多かった。人の組み合わせはいろいろで、様々なものを食べた。食事をするというのは原始的ではあるけれども、一番リラックスして話の出来る機会ではないかと思う。先週の木曜日は会社の同僚でもう30年近いつきあいの友人たちと、何を話したのか定かには思い出せないけれど、久しぶりに会えば近況報告とか業況とか、3時間近くも途切れることなく話は続いた。金曜日は、クラシックのコンサートの後同期の友人と、長い付き合いで率直にモノが言えて相談も乗ってもらえる、この歳になれば衒うこともないのでたいへん素直に話が出来る。今週の月曜日は会社の後輩たち大勢と、20歳以上も歳下だとこちらが下らぬ話をしても真面目な顔をしてフンフンと聞いてくれるものだから、ついつい説教臭くなる、それを自覚してしまうものだから多少内心忸怩たる思いもあるが、それは外には出さずに。火曜日は会社の同じ職場の人たちと、歳もバラバラ話題もバラバラで、お酒も入れば賑やかなこと。水曜日は親しい人と久しぶりに、話を聞くのもほんとうに楽しく、心の底から笑った。ということで、出不精の割にはよく動き回った1週間でありました。
 それでも、夜外食をすると酒を飲むことになる、これが困ったことになることもあって。もともとそう飲める口ではない、ビールなら中ジョッキ2杯程度、ワインなら2杯程度が適量というか上限であって、それ以上飲めば苦しくなる、気分が悪くなることも。大体量がそのくらいになると体の方も受け付けず、水かソフト・ドリンクとなるわけだが、お開きの頃にはかなり醒めて(酒が抜けるのは早いようだ)、それから電車に揺られ、自宅に着くまで小一時間、家に帰ればやはり気持ちが悪いから風呂には必ず入る、そうなると完全に醒め切って、目はパッチリ、ランラン状態に突入。こうなるともういけない、寝付きがもともと悪いのにますます眠れなくなる、睡眠導入剤を医者に処方してもらってはいるのだが、1錠では到底効かず、2錠でも眠れないときがある。疲れが残るほど仕事もしていないが、寝不足だけは困ってしまう。直ぐに眠りに付ける人はそれだけで幸せだと認識して貰いたい(!)ものだ・・・など勝手なことを言っている。

 ということで、通勤時間はウォークマンで音楽を聴きながら、うつらうつらして、幸い乗り過ごすことはないが、気が付くと降りる駅直前だったことが何度もある。ぐっと寝付くまで若くないのが、却って幸いか。こんな音楽を聴いていると眠れない典型ということで、また食事も発声(おしゃべり)も原始的欲求ということで、今回選んだのは Sainkho Namtchylak 、中央アジア出身(ロシア連邦のトゥヴァ共和国)のシャーマン・ヴォーカリストである。
 ジャズやフリー・インプロの人たちに共通することだが、連名作が多く、何処まで紹介するのが適当か迷うが、一応本人単独名義の(所謂リーダー作というやつ)アルバムをご紹介ということで。

a0248963_20332197.jpg 最初の本人単独名義の作品は 1991年6月録音、ドイツの老舗フリー・インプロのレーベル FMP からリリースされた Lost Rivers 。Sainkho は 1957年の生まれだから自分とほぼ同じ歳、91年といえば30台の中盤、最も油の乗り切ったころでありまして、急激にヨーロッパの前衛音楽シーンで注目されるようになった、ジャケット写真も若々しい。どうも、FMP のベーシスト Peter Kowald の後押しがあったよう。
 やはり、30台といえばやることも過激で、この作品、全編ヴォイス・インプロヴィゼーション、最初の曲 Night Birds から鳥の声を模した叫びで始まり、喉歌(スロート・シンキング、モンゴルの伝統的な歌唱法、所謂ホーミーというやつ、2つの声が同時に出せる)や叫び、つぶやき、唸り、あらゆる声の出し方を実験しているかのよう、なかなか全編を通して聴くのは辛い、よほど根性のあるときに、こういった音楽に理解のある人たちの前でしか聴けない音楽の典型みたいなもの。けれど、決して嫌いではない、最初に聴いたときの衝撃は相当なものでありました。

a0248963_20334187.jpg 次の作品が 93年、ベルギーの Crammed Disc からリリースされた Out of Tuva 。Crammed Disc は、RIO にも加わったバンド Aksak Maboul のリーダー Marc Hollander が設立したレーベルで、ワールド・ミュージックのアルバムも多数リリースしている。
 このアルバムは、古くは 86年トゥヴァ録音から、86年から88年に掛けてのロシアでの録音(その中も、オーケストラ・バックの正統的民族歌唱から小さなグループの前衛的な録音まで、様々)、89年のロシア、アヴァンギャルド・トリオとの演奏(1曲のみ。フルートとファゴットとのトリオだが、民族音楽的で非常に良い。後にこの頃の録音が Leo レーベルからリリースされる)、Crammed 勢との新録音(92年から93年、これはHector Zazou (いわずと知れた ZNR の)プロデュースと演奏による アヴァン・ポップという感じ)で、録音期間が実に6年にも及ぶ、寄せ集めといっては何だが、そんな感じではある。
 もともとトゥヴァでは民謡を歌っており、その声域は6オクターヴとか7オクターヴとかいわれるのを証明するかのように伸びやかに溌剌と歌う、前作は肩に力が入りすぎたのか、打って変わった非常に明るい感じが印象的である。

a0248963_20341779.jpg  3作目が Letters 、イギリスの Leo レーベルから。Leo と Sainkho とは関係が良好のようで、様々な作品をリリースしている。本作は、92年にチューリッヒとストックホルムでのライブを集めたもの。基本的には、フリー・インプロ系のミュージシャンとの共演盤。
 のっけから Kieloor Entertet (Mathias Kielholz - el.g, Mathias Gloor - syn, Lucas Niggle - perc) との明るい感じのインプロで快調と思ったら、2曲目はヴォイス・ソロ、それも喉歌系のコテコテのアヴァンギャルド。続いて女性ベース・インプロヴァイザー Joelle Leandre の素晴らしいアルコに天国的な歌唱から喉歌で対応する Sainkho 、次はバリトン・サックスの Mats Gustafsson とのデュオ、Sten Sandell のピアノとのデュオとインプロヴィゼーションが続く。再び Kieloor Entertet との演奏の後、短いソロで幕を閉じる。なかなか充実した一枚、彼女のヴァラエティーに富んだ歌唱が素晴らしい。

 初期の3枚を聴くと今後の彼女の活動の方向性が見えて面白い。ソロ・ヴォイスは後の Aura や Cyberia などの先駈けだし、少人数のインプロはその後夥しい録音が出る。また、オーケストラとの共演盤も(多少は所持しているが、殆ど聴いていない)多い。この後、単独名義の作品の多くが、民族テクノ・ポップというべき傾向となるが、これも Out of Tuva が示している通りの方向だ。

 叫び、呻き、つぶやき、溜息を吐き、様々な感情が声を通して現される。声を通して情報が伝わり、感情が溢れ出し、気持ちが伝わる。自分は、器楽の方がずっと好きだが、近頃歌モノも良く聴くようになった、歳を取ってきて、声の表情みたいなものが許せるようになってきたのかも。
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by ay0626 | 2012-11-23 18:06 | free improvisation

その後のソロ活動 エヴァン・パーカー (2)

 敗戦記念日の頃になると何かしら中国・朝鮮半島が騒がしくなる。苛めた方は忘れても苛められた方はうじうじと忘れない、ましてや大昔は格下と思っていた者にやられるとなれば一層忘れる訳にはいかない、たぶんそんなところ。中国も阿片戦争のことはもうがたがた言わないが、15年戦争のことは絶対に忘れない、朝鮮半島など1000年以上中国の属国だったことは何も言わないが、日韓併合からの35年間のことは忘れない。
 確かに日本文化の多くは中国から朝鮮半島を経由して齎された、これは誰もが知っている、それを否定する日本人はいないだろう。大昔、本当に大昔の話、しかしそれがずっと彼らの中にある、日本を文明化したのは自分たちだと、日本は格下の国だと。
 帝国主義の時代、侵略行為は決して否定されていなかった、強国が弱小国を自国傘下に置くことは当然だったし、人種が違い国力に大きな差があれば搾取の対象としての植民地にするのは自明の理だった。
 大きな2つの戦争で科学が発展し技術が向上したことにより、効率的過ぎるほど簡単に人を大量に殺せるようになってしまった、それが一部の国だけでなく多くの国でも使用できる状態になった。加えて、情報量の増加、大昔はどれだけ残虐に人を殺そうが判らなければそれでよい、判ったとしても死体がリアルに見えるわけじゃない、しかし、現在では今日の残酷行為が今日のうちに動画サイトに載ることも多い。つまりは戦争・侵略行為が昔ほど経済的に見合わなくなり、また残虐行為の対象となったり行わなければならなくなる一般大衆(まさか高貴な方々が最前線に立つことなどありえない)の惧れが戦争を抑制しているだけのことだ。シリアのように外からの目を気にしなければ何でも出来るのだ、多くの国は外面を気にして(世界のリーダーだから?良き世界市民故?)それをしないだけのこと。今の(外面の)常識で当時の国家行動を批判しても始まらないだろう。それ以上に、太平洋戦争当時のことを持ち出せば、現在の経済が絡む領土問題に対して、何とでも言えてしまう、論理がすり替え易いということが透けて見える。
 あと何年、何十年、何百年言われ続けるのか、やっぱり戦争をやるならとことん勝たなければ、日本はアメリカの物量と自国の変な意識(神国?大和魂?本当の大和魂は源氏物語のよよと泣く、女の尻を追いかける男の心)に負けたのであって、別に連合国全体に負けた訳じゃない。戦争に負けて良かったのは、ヒエラルキーによる日常的な暴力がなくなったことくらい。

 と2日続けて全くCD紹介と関係ない話題から入ってしまった。ほんと、自分でも感心するほど、前ネタから音楽の話に繋げられない、しょうがないと開き直るしかないか。

 ということで、Evan Parker のソロの2回目。一番植民地を多く得た国、イギリスのインプロヴァイザー。

 殆ど3枚目の Six of One (80年)で技術的な面では行き着くところまで行ってしまったので、その後の作品はその時点時点での現況報告といったところか。80年代半ばから90年代半ばまではフリー・インプロヴィゼーションに嵌っていて、しかし2000年に入る頃には殆ど興味を失った。Parker や Rothenberg、Kang Tae Hwan あたりはそれでも聴き続けたが、当時ほどの興味を持って聴くようなことはない。
 例えば、聴き始めたころのアメリカの新しい波ともいうべき John Zorn のゲーム音楽や Eugene Chadbourne のフリー・カントリー・ウェスタンなどは相当興味を引いたが、ヨーロッパの本家の方は新たな方向性を示す動きはなく、つまりは同じ方法論の繰り返し、フリー・インプロヴィゼーションが本来的に持つ『自由の不自由さ』、つまりどんなに自由の演奏しようとしてもついつい自分の方法論が出てしまう、いつも違う音楽が出来る訳ではない、ということを如実に現す録音しか出ない、それが多くのCD から判ってしまう。Derek Baily などどんなアンサンブルにいても、Baily だと判る音しか出さない、それが彼のいう non-idiomatic inprovisation なのか、ちょっと違うんじゃないか。そう思い始めるとなかなか身を入れて聴けない、そうした経緯でフリー・インプロヴィゼーションから離れていった訳だ。

a0248963_220247.jpg Incus から離れて始めてのソロは、89年録音(93年発表)の Conic Sections 。仙台でフリー・ミュージックのディストリビューター・プロモーター・レーベル主催者として活躍した中村邦雄さんに捧げられている。もうここまで来ると、如何に早く滑らかに音が出し続けられるか、その一点のみが焦点となっているかのようだ。また、CD 発売を前提として、1曲当りの時間が長くなっている(第3パートは25分を超える)。
 このアルバムの発表に先立って FMP から Process snd Reality というソロ作品が出ているが、この作品のコンセプトはちょっと違うので、今回の紹介から外してある。2006年の Time Lasp と併せて別の機会に紹介したい。

a0248963_2204688.jpg 98年には、Günter Christmann (cello, tbn) とのデュオ Here Now が出ている。冒頭の Cone of the Future は32分超、続く Cone of the Past は7分超の Evan のソロ、ということでここで紹介する。CD として出されたソロの中では最も長尺なのが Cone of the Future 。



a0248963_2233585.jpg 21世紀に入って最初の作品が Lines Burnt in Light 、2001年作品。Evan が主宰する psi レーベルの第1回作品。その後、このレーベルから初期のソロ作品が復刻されていくことになる。
 収録は3曲、20分台の2曲と10分台の1曲で構成されている。この時、Evan 57歳、まだまだ元気はつらつである。


a0248963_2213173.jpg 2008年、Whistable Solo 。8曲収録、珍しく10分に満たない演奏が7曲と15分台の曲が1曲。CD の入った内袋の Evan の写真は前を睨み、まだまだ演奏活動するぞ!という感じ。
 ここまで来ると購入するのも惰性といったところか、コレクターだからこれも当然(?)。

 以上が、ソプラノ・サックス・ソロの作品集(他に鳥の囀りとの共演した For Steve Lacy というアルバムがあるが未聴)ということになる。95年のテナー・サックス・ソロ Chicago Solos やコンセプトの異なる Process and Reality 、Time Lasp 、Leo レーベルや Emanem レーベルの異色作は稿を改めて。
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by ay0626 | 2012-08-19 19:57 | free improvisation

アメリカの循環呼吸奏法男 ネッド・ローゼンバーグ

 今日は朝からお日様が顔を出し、気温はぐんぐん上昇、もう夏本番を感じさせる。もうじき夏休み、7月20日を過ぎれば長期休日、という生活は30年以上前に終わってしまったが。今年の夏の最大イヴェントはオリンピックだそうな、こちらは全く興味がない、ブログに書くこともないでしょう。縁なき衆生は度し難し、宗教とスポーツにはとんと縁が無いようで。

 自称知的デレッタントである自分は(多分周りからは痴的オタクと思われている)室内での趣味が中心で、音楽、読書、ときどきゲームといったところ、この頃は先日も書いたとおりポケモンに嵌り込み、音楽もまともに聴けていない、いわんや読書など出来よう訳もない。といったところで、無駄話の種も時事ネタのみ、考えが纏まらず中途半端に書き出すと昨日の記事のように悲惨な内容となる。ということで、今回は音楽話題を中心にど~んと据えたいと思う(もともとが音楽紹介ブログではなかったのか?)。

 アメリカのフリーについて考えるとき、70年代末というのは非常に重要な時期であったと思う。黒人のある意味政治的な主張を伴ったフリー・ジャズは、67年の Coltrane の死、70年の Ayler の死を経て沈黙するに至る。60年代末から Miles は電化に走り、それを追うように Wearher Report や Chick Corea の Return to Forever 、Herbie Hancock の Head Hunters などのFusion 全盛時代となって、もはや前衛は虫の息という状態。Fusion が終わりかける80年頃は先祖返りというか保守化というか、面白くもなんとも無い Wynton Marsalis が持て囃されるようになる。その裏で70年代末からアメリカでも「新しい前衛」が台頭してくる、ニューヨークでは Eugene Chadbourne と John Zorn が Parachute という自主レーベルを、西海岸サンフランシスコでは Larry Ochs と Henry Kaiser が Metalanguage という自主レーベルを立ち上げ、精力的に『黒くない』フリー・ジャズみたいな音楽をリリースし出したのである。殆ど同時期にはアラバマという南部の保守的な地域でも LaDonna Smith と Davie Williams が Trans Musiq というレーベルを立ち上げていた。これらの流れは、ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションの影響が大きい若い白人のミュージシャンによって作られたもので、その後、例えば Roscoe Mitchell や Wadada Leo Smith など旧世代のフリー・ジャズ・ミュージシャンも取り込んでいく(しかし、Cecil Taylor のヨーロッパ進出は『取り込まれた』というより、殴り込んだ印象の方が強い)。

 こうした流れの中で、登場したのが Ned Rothenberg (1956年生まれ、ボストンの出身)。もろ Evan Parker の影響を受けているといっていいだろう。Parker でも Rothenberg でも、やはりソロを中心として聴いている(同じく循環奏法男の姜泰煥はアルバム数が少ないので全部購入、ということにはなったが)。

a0248963_17422032.jpg 最初のアルバムが Trials of Argo 、1981年作品。会社に入って、少しは自由になるお金も増えたのか、よくこんな新人の LP に手を出したものだとは思うが、そのきっかけは何だったか今となっては思い出せない。しかし、聴いてびっくり、Evan Parker に勝るとも劣らぬ循環奏法、マルチフォニックのテクニック。その構築性は、インプロヴィゼーションというよりも作曲されているもののように聴こえる、何度も繰り返し聴きました、ほんと嫌になるほど。
LP A面がアルバム・タイトルと同じ Trials of Argo 、22分あまり。自作の楽器を含む木管のアンサンブルにアルト・サックスのソロが乗る、非常に滑らかな音でフリー特有のフリーキー・トーンとはならないところが Rothenberg らしさといったところ。B面は、Continuo After the Inuit 、19分足らずのアルト・サックスのソロ。ここでは若干のフリーキー・トーンも現れるが、あくまでも冷静で抑えた構築性の高い演奏に終始している。姜泰煥の項にも書いたが、姜泰煥に比べれば高めの音を多用し、ロング・トーンは少なく、繊細な印象を与える。

a0248963_17444542.jpg 2枚目が Portal 、83年の作品。Portal とはフランス・フリーの大御所 Michel Portal のこと。この作品、フリー系には似つかわしくない言葉だが『非常に整った』作品である。聴いてもらえれば判るが、音の組み立てが非常に緻密であり、その設計図に従って慎重に演奏されていく。
 Michel Portal は元々がクラリネット奏者であったことからか、LP A面を占める Portal はバス・クラリネットのソロ、16分超の作品。長いシングル・トーンに倍音が被さる出だしから、5分を過ぎるあたりで高音の急速なフレーズが奏でられていく。本当にソロで演奏できているのかを疑うような、一本の管からはっきり異なる2つ3つの音が聴こえる、緊張感に富む演奏。
 B面は、Polysemy という曲から始まる、14分足らずの曲。一定のリズムを持ったアルト・サックスにGerry Hemingway がドラム、スティール・ドラムで対応する。これだけ正確にスピードを制御するのは、ある意味驚異的。2曲目は、ソプラノ・ダブル・オカリナのソロ、Caenis 、7分ほどの曲。ダブル・オカリナというだけあって、2つの違ったメロディーを同時に紡ぎ出していく。フリー系とは思えない優しい音。

a0248963_1745584.jpg 3枚目は、Trespass 、86年の作品。比較的短い曲が多く7曲を収録。本作中最も長い曲が、John Zorn とのデュオ Kakeai 、掛け合いの意味か。Zorn にしろ Rothenberg にしろ日本はかなり好きだったようで、何度も来日している。
 最初のアルトのソロは最初はかなり普通に演奏していて、あれっ?と思ったものだ。中間部からいつもの感じにはなるのだが、音は非常に滑らか。全体的には、フリー・インプロとしては聴き易いが、やっぱり Zorn が入るとスイッチ・オンとなるようで、これは Zorn のやりたい放題のソロにつられ、Rothenberg もついついやってしまいました、という感じ。しかし、Zorn のフリーキーさに比べ Rothenberg の音のまともなこと。

a0248963_1825829.jpg この3枚はいずれも Lumina という Ned Rothenberg の自主レーベルから出されたもの。Lumina は、Robert Dick や James Emery (String Trio of New York のギタリスト)のソロなど、面白いアルバムを出していたものだ。このソロ3部作、長い間廃盤となっていたが、2006年にとうとう CD 化された。3枚のアルバムと91年と95年の録音(95年は David Weinstein がエレクトロニクスで加わる)を加えて、2枚組で Tzadik よりリリース、盟友 John Zorn のレーベルである。
 ずっと聴きたいとは思っていたのだが、アナログでは手段も無く、再リリース時は懐かしさもあり、よくターン・テーブルには載ったものだ。

 ということで、Rothenberg は、これ以降のソロに加え、テクニシャン揃いの New Winds や 特異な楽器構成の Sync なども紹介したいと思う。何時のことかは判らないが。
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by ay0626 | 2012-07-16 15:39 | free improvisation

日本のマイナー・レーベルでの 姜泰煥 (2)

 昨日、北朝鮮が衛星と称するミサイルの打ち上げに失敗して、日本政府は3年前の轍を踏まぬように気を付け過ぎたら、今回は発表が遅れすぎて、またまた恥をかいてしまった次第。何事も中庸が大切と言ったのは孔子さんだったか、中庸のない国に中庸の元祖が居たとは、またこれも恐れ入ったことだが、日本政府も中庸を心がけるべきかも知れない。もっとも、「首領様」の思想は、どう見たって共産主義や社会主義のものではない、親に孝行、主に奉公の儒教思想そのもののような気がして仕方がないのだが、そういう意味では、北朝鮮の中庸って何なんだろう。

 朝鮮王朝は、中国のいわば属国のような形で歴史を作ってきた、例えば名前も全て中国風に直してしまったし、儒教もそのままの形で受け入れてきた。井沢元彦さんの「逆説の日本史」を読むとここら辺の経緯がよく判って面白い。しかし、考えて見れば、隣に超大国があって、機嫌を損ねれば直ぐにでも捻り潰されてしまうような状況をいつも抱えていた訳だから、恭順の意を表明するためにはそこまでやる必要があったともいえるだろう。そう考えると、日本は海があって良かったなあ、と思うのである、陸続きの200Kmよりも海を隔てた50Kmの方がずっと国防的な意味では有利になる。日本が本当に怯えたのは元寇ときくらいなもので、例えば第二次世界大戦でもお気楽に「本土決戦」などという言葉がいえたのも、こうした背景のあったためだろう。元寇の神風は、後世に「神国思想」を植えつけてしまったのは残念だが、あの時元にやられていたらどうなったことか。豊田有恒の「モンゴルの残光」みたいになってしまっていたのだろうか。
 元寇の時もそうだが、朝鮮民族は先兵として戦場に駆出された。同じように朝鮮戦争の時もアメリカやソ連の先兵となって同じ民族同士で戦い、その後遺症としての民族分断は未だに続いている。
 朝鮮戦争前から韓国では、キリスト教はそれなりの勢力を保ってはいたようだが、戦後は北朝鮮からの信者の流入などと同時に朝鮮戦争のアメリカの影響が大きく、韓国民の約30%はキリスト教徒という、日本では殆ど根付かなかったキリスト教がこれだけ勢力を保っているのは何故なのだろう、李承晩や金大中、金泳三などもキリスト教徒なのだ、我が姜泰煥もキリスト教徒で洗礼名は(確か)ヨハネといった。韓国のキリスト教はシャーマニズムとの繋がりも指摘されているようで(勿論プロテスタントに限ってだが)、そう言えば、先回紹介した「鬼神(トケビ)」は、シャーマニズムそのもの(憑依と脱魂という意味で)といえる。
 韓国ではプロテスタントが多いようだが、アメリカの影響が強いことからこれは判る。アメリカが、モルモン教などの超個性的な(それでも信じる人はいる!)キリスト教を生み出したように、韓国も統一教会のような(それでも信じる人はいる!!!)なんだか判らないものを生み出したのであった。

 ということで、前回の続き、今回の対象は93年から95年。

a0248963_221921100.jpg 先ずは、Sainkho Namchylak とのデュオ作、1993年島根県松江市でのライヴ録音。Free Improvisation Network Record という日本のレーベルからのリリースだが、このレーベルこれ1枚しか出していないらしい。
 Sainkho Namchylak は、トゥヴァ共和国の出身、6オクターヴの音域を持つと言われるヴォーカリスト。まるでシャーマンそのもの、魔女と言っていい容貌で、アルバム・ジャケットも Naked Spirit などお婆さんの様であるし、Who Stole the Sky ではスキンヘッドで目を剥いている。ヴォーカル・スタイルも呻くは、叫ぶは、つぶやくは、何でもありの凄まじさ。トゥヴァは、もともと中央アジアのど真ん中、モンゴルのシャーマニズムの影響をたっぷり受けた国のため、こういう一風変わったインプロヴァイザーが出てくるのかも知れない。ちなみに彼女は、Evan Parker とは、Mars Song で、Ned Rothenberg とは Amuletで共演 (両作とも96年)、循環奏法・倍音奏法3人男とは、いずれもデュオ・アルバムを物している。
 とういことで、同じ東洋人同士、息もぴったりのインプロヴィゼーションを聴かせる。ソロもフューチャーされているが、姜の Hakutobo (白頭山のことか?白頭山は朝鮮の聖地で、檀君朝鮮が興った地でもあり、北朝鮮では金正日が生まれた地ということになっている)は、ゆったりした演奏の中にも音に味わい深い雑味があり、絶品。

a0248963_22202262.jpg 次が94年、8月と9月録音の Kang Tae Hwan (名前がタイトル)、防府市と岡山市でのライヴ。大友良英(ターンテーブル)と Ned Rothenberg が共演。ちゃっぷちゃっぷレコードというレーベルからのリリース、このレーベル他にも作品はあるようだ。この録音の直後、トン・クラミの2枚目(後述)を録音しているが、そのときも Ned Rothenberg が共演している。
 Ned もメインの楽器がアルト・サックスで循環奏法・倍音奏法の使い手ゆえ、比較されることも多いが、Ned の方がスピード早め、音は比較的澄んだ感じ、音の線は細め、それに比べ、姜の方はゆったりと、野太く、音にも雑味(濁り、みたいなものだが、それが旨味に繋がっていくような)が多いような気がする、聴いてみれば直ぐ判るが。
 大友良英との共演は面白い、この後、エレクトロニクス系の内橋和久や河端一などとも共演していくわけだが、その走りといったところか。あまり違和感がない。Evan Parker も90年代半ばからエレクトロニクス系のミュージシャンと活発に活動をしているが、何か関連性でもあるのか知らん。

a0248963_22194177.jpg トン・クラミの2枚目、パラムゴ(Paramggod)、94年9月録音。Ned Rothenberg がゲストとして加わる。
 1曲目は佐藤允彦の作品、なかなか親しみやすい感じの曲、2曲目は高田みどりの作品、現代音楽そのものと言った感じで、完全に作曲された作品。こうして聴くと、インプロヴァイザーとはまた違った面を見せて良いものがある。同じく6曲目も佐藤の現代音楽的な作曲作品でトン・クラミ3者の演奏。あとは、様々な組み合わせの即興で、3曲目は佐藤~高田~Rothenberg、4曲目は 姜~Rothenberg、5曲目は4者の、7曲目はトン・クラミ3名での演奏。相変わらず、高田みどりのパーカッションが冴えている。佐藤のピアノは前作ほどの違和感はないが、姜との相性がよいかと言えば違うように思う。ピアノで言えば、2000年代の韓国トリオの Miyeon の方が断然良い。

a0248963_22214622.jpg 95年10月録音の Asian Spirits 、佐藤允彦と富樫雅彦との共演盤、新宿 Pit Inn でのライヴ。AD.forte というレーベルからのリリース、多分韓国盤。1曲目が姜のソロ、2曲目が佐藤と姜のデュオ、3曲目が3者の演奏となっている。やはり、富樫が入るとジャズ的な雰囲気になる(高田みどりはあくまでパーカッショニストであってドラマーではない、富樫は足のことがあってパーカッショニストといわれるが、音はあくまでフリー・ジャズのドラマー)。切り込みの鋭い富樫のパーカッションが聴きどころになる。スネア中心の富樫のドラムが、高音をたゆたう姜を地上に留めるような演奏、ゆったりしたアルトに点描的な佐藤のピアノと富樫のメタル・パーカッションが控えめに音を添えるような演奏など局面により様々な表情が浮かぶ。

 ということで第2回目終了、まだまだ続きます。
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by ay0626 | 2012-04-14 19:43 | free improvisation

2回も見たぞ、韓国のアルト・サックス怪人、姜泰煥

 韓国と言えば、今を時めくK-ポップ・スターが目白押しだが、おじさんにとっての韓国唯一無二のスターといえば、姜泰煥(カン・テー・ファン)、この人以外にはいない。アルト・サックスの Evan Parker といったところが一般的な印象ではないかと思うが、本人曰く、Evan には影響を受けていない、もともと知らなかったとのこと。東西何処でもテクニックを極めてしまう人というのは居るものなのだ。

 強国の隣にある国というのは、昔から歴史に翻弄されるという運命にあるようで、韓国は正にそんな歴史を持っている。ヨーロッパで言えば、ロシアとスエーデンに挟まれたフィンランドしかり、ドイツとロシアに分割されたポーランドしかり、イギリスに収奪され国が滅びかけたアイルランドしかりである。韓国も中国と日本に挟まれ、大中国の先兵にされたり(元寇の時など)、日本に攻められたり(豊臣秀吉は今でも相当嫌われていたりする。伊藤博文も同様)、散々な目に遭った。戦後は、アメリカと中国・ソ連の面子を懸けた戦争の舞台となり、国の分裂・対立を今でも背負っている。そんな状況の中でも、あれだけの経済復興を遂げ、K-ポップまで国を挙げて売り出してしまう根性には敬意を表したい、しかし国内の都合が悪くなると、すぐ日本を槍玉に挙げて、国民の目を逸らせようとするのは如何かとは思うが。
 そんな前向きな国にフリー・インプロヴィゼーションなどというあまり建設的でもない音楽をやっていてもいいのか知らん・・・と思ってしまうが、それでも姜泰煥の音楽はあまりに異色だ。

 Evan Parker は随分若いうちから聴いていて、そのショックは相当なものであった。特にソプラノ・サックスという高音域の楽器からマシンガンのように、怒涛の急流のように繰り出される音は、忘れがたいものがある。それに比べ、姜泰煥はアルト・サックスと言う中音域の楽器でロング・トーン中心のインプロのため、たゆたうような大河の流れを思い浮かべる、例えば91年の『鬼神』の「空へ」の出だしなど、その通りの印象だ。記憶に残る強烈さでいえば、やはり Evan には一歩も二歩も譲ると言ったところか。聴く順序が違っていれば(姜泰煥を先に聴いていれば)、もう少し印象が違ったかも知れない。ということで、Evan Parker ほどは聴き込むことがなかった。
 2番手の「悲劇」というか、もうちょっとフリー・インプロヴィゼーションの流通が良くて、聴衆に理解のある国に生まれれば、もっと沢山の録音も出来たろうに、などと思ってしまう。ちなみに Evan Parker も姜泰煥も1944年の生まれであることを考えれば、同程度のテクニックを持ちながら、録音量に圧倒的な差(姜泰煥の録音は、1988年から10枚程度、Evan は1960年代から数え切れないほどの録音を残している)があるのは、環境の違いと言ってしまえばそれまでだが、ちょっとそれだけでは割り切れない気がする。

 姜泰煥の録音は、韓国盤だったり日本の超マイナー・レーベル盤だったりと非常に手に入り難いCDが多い。と言うことで、持っている盤は全部、数回に分けて(無駄話と一緒に)紹介していきたいと思う。

a0248963_14264313.jpg 最初のアルバムが、Korean Free Jazz (Live Improvisation) 、1988年。4つのフォーマットが収録されているが、いずれもライヴで、そのうち3つは東京での録音。Incus の最初のアルバム The Topography of the Lungs に遅れること18年、Evan の最初のソロ Saxophone Solos に遅れること13年、韓国初のフリー・インプロヴィゼーション・アルバムが完成したのである。
 最初のトラック Seoul Free Music Trio は、トランペットとドラムとのトリオ。金大煥のドラムは殆どシンバルを叩かず、低めのドコドコ・スネアが中心で、なかなか禍々しい感じをかもし出しており、良い。2つ目は、高田みどりとのデュオ、マリンバの音色がアルトにマッチしており、柔らかな感じ、後述のトン・クラミに繋がる演奏。3つ目は大御所 Evan Parker とのデュオ、臆せず堂々と張り合っている。そして4つ目がソロ、ロング・トーンを多用した、雄大な演奏。盤元は Ponnycanyon Korea 。もしかしてメジャー・レーベル?

a0248963_1427124.jpg 2枚目は、91年録音の 鬼神〈Tokebi〉。日本のビクターからの発売。もともと民族音楽シリーズの中の一枚として発表されたもの。ソロ「空へ」(28分)と民族楽器との合奏「永遠」(18分)の2曲が収録されている。ソロ「空へ」は悠久の大河の流れのように堂々とした音量豊かなトラックで、姜泰煥の名を世に知らしめた名演(一部の物好きな者たちの「世」かも知れないが)。「永遠」は胡笛というダブル・リード(チャルメラのような響き)とのデュオから始まり、杖鼓という打楽器とのデュオで終わる、民族音楽シリーズの一枚として出されたので、当然といえば当然なのだが、やはり東洋人の演奏のためか、いかにも自然な感じである。
 
a0248963_14273341.jpg 3枚目は、同じ91年録音で、高田みどり・佐藤允彦とのトリオ、トン・クラミのメールス・ジャズ・フェスティバルでのライヴ盤。これは、日本クラウンからの発売。佐藤允彦のピアノがモダン過ぎて、ちょっとどうかな・・・と思うところあり。このトリオではもう1枚、スタジオ録音を残している。メールス・フェスはフリー・ジャズ・ファンにはお馴染みで、様々なミュージシャンがかの地でのライヴを録音として残している。

 今回は、この3枚を紹介、もう少しお付き合いを。
 題名にもある通り、姜泰煥のライヴは2回見ている。一回目は、2001年か2年、一楽儀光と内橋和久(河端一だったかも)とのトリオで、二回目はその数年後、現代音楽の高橋悠治とのデュオで。何れの時も舞台に座布団を敷き、胡坐をかいて、おもむろにロング・トーンでの演奏が始まったと思ったら、突然の大音声に変化、何処から発せられるのか、驚いたものだ。
 もう70歳近いと言うのに、昨年2枚組のソロ作を出した姜泰煥、まだまだ目を離すことは出来ない。
 
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by ay0626 | 2012-02-25 11:04 | free improvisation

天空からの音のシャワー、エヴァン・パーカーのソロ

 ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションを聴き始めたのは、80年代の初期。アメリカン・フリー・ジャズに飽き始めていて、多分それは、無意味なブローイングによる熱さに辟易としていたからだろう。ヨーロッパ・フリーのひんやりとした感じは、はっきりとアメリカン・フリーと区別できる、特にテーマも何もないところから突然音が紡がれていく感じは、ある意味凄く新鮮であった。

 当時は、マイナー盤の流通は極端に悪く、居住地の名古屋では手に入れようにもなかなか手に入らなかったものである。FMP はまだしも、Incus や ICP といったレーベルは、見たらすぐ買うくらいにしないとコレクションが増えていかない。入社当時は、人事の採用の仕事をしていたので、年に数回は東京に行く機会があり、そのときに輸入盤専門店を店が開いているぎりぎりの時間まで足を棒にして探し歩いたものであった。そこまでしても、フリー・インプロは当り外れが激しく、いつも買った LP が投資した金額以上の満足感を与えてくれる訳ではないので、ある意味博打だったのである。当時は YouTube もなく、殆ど情報もない中での手探りのレコード漁りであった。

a0248963_2327556.gif そんな中で、あるとき(多分1981年か82年、季節は定かではない)、御茶ノ水のディスク・ユニオンで「天空から降ってくる音のシャワー」を体験したのであった。1本のソプラノ・サックスが複数の音を出し、それが一度の息継ぎもなく、次々に変化する、そんな凄まじい音の洪水が、天井付近に設置されたスピーカーから溢れ出している!あまりの凄さに立ち竦んでしまった。
 その時に対応してくれたのは、たしか中年の眼鏡を掛けたおねーさんで、こちらが勢い込んで「これ、誰?」と聞くと「Evan Parker です!多分、ヨーロッパ・フリーの最高のソプラノ吹き」と熱く答えてくれたものである(記憶は美化されるものなので、本当にそうだったか、は闇の向こう)。そのとき手に入れたのが Six of One 。確かに残響の効いた教会での演奏をクリアな音で捉えた本アルバムは、Parker のソロ作品の中でも極めて美しい。買った当時は、会社から帰ってくると隣の部屋の住人の迷惑を顧みずに、何度も繰り返し聴いたのであった。
 Evan のグループでの録音もいろいろ聴いたが、やはりこの時の印象が強烈過ぎて、Evan はソロだ・・・と思ってしまった次第。

a0248963_2325272.jpg それから暫くして、「Evan Parker が来日する」ということを聞いた。多分、当時通販で何回か購入した仙台の Jazz & Now の中村邦雄さんからの案内で知ったものと思う。名古屋の場末といえば場末の名演小劇場で観客は多分50名ほど。かなり体の大きな Evan を見て「さすが、サーキュラー・ブリージングを小一時間もやっちまうのには、こんなガタイが要るんだ」などと無闇に関心したのを覚えている。演奏自体も素晴らしく、本当にレコードと同じような演奏が可能なんだ、と思ったものであった。
 その日、日中は夜のコンサートのことを思ってやたら興奮し、あろうことかパチンコにコンサート代以外の殆どの金をつぎ込み、レコードの直接販売に使えるお足がなくなってしまっていた。その時、本当に欲しくて涙を呑んだのが Monoceros 。
 後に入手して、LP A面を占める Monoceros 1 の素晴らしさに心が震えるとともに、コンサートで Evan が披露したテクニックの多くは、この1曲に集約されている・・・と思った。

a0248963_23243860.jpg その後、最初のソロである Saxophone Solos を手に入れたが、Monoceros の圧倒的なテクニックや Six of One の煌きには及ぶべくもなく、ターンテーブルに乗る機会も少なかった。しかし、発表順( Saxophone Solos 1975、Monoceros 1978、Six of One 1980)に聴けば、そのテクニック、音色の進歩に目を見張ることになったろうに、と思う。ちょっと残念な気もする。

a0248963_2328467.jpg Incus での4枚目のソロ The Snake Decides は、LP時代に手に入れ損ね(LP末期の1986年にリリース)、それからCDにもならなかったので、聴いたのは2003年に Evan が自身のレーベル Psi で復活させたとき。これもたまたま東京で手に入れ、名古屋に帰ってそのまま飲みに行き、バーで「これ20何年か振りにCDになったんですよ」と言って見せると「聴こうぜ!」との声。「面白い音楽じゃありませんよ」と必死で聞かせまいとするのだが、どうしてもと言うので掛けると、やっぱり座は白けました、はい。

 他にも、この時期のソロには、At the Finger Palace 、Zanzou(日本盤/残像)というLPもあり、所有はしているのだが、この20年以上聴いたことがない。At the Finger Palace はかなりの傑作との印象はあるが。

 Incus を離脱して以降の録音(アルバム)と、ヨーロッパ・フリーを聴かなくなった心境の変化は、また別稿で。心境の変化ってのは、人生長く生きてくれば、何回も起こりますよ、ホント。
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by ay0626 | 2012-01-27 20:27 | free improvisation