日常茶飯事とCDコレクション
by ay0626
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
無駄話
jazz
rock
folk
new age
radical-trad
trad
free improvisation
latin
現代音楽
音楽-その他
dark-wave
以前の記事
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
最新の記事
大坪砂男の粋 + ハット・フ..
at 2013-08-11 15:46
ブログの内容 ちょっと変更 ..
at 2013-08-04 15:59
大人のロック、洗練された音、..
at 2013-07-27 14:49
変容するフリー アルバート・..
at 2013-07-20 14:20
ベースの可能性・無伴奏の魅力..
at 2013-07-07 21:31
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
音楽
オヤジ
画像一覧

<   2012年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

1976年+1973年「ソロ」 セシル・テイラー (3)

a0248963_1633558.jpg Cecil Taylor の1973年の「ソロ」については、前にも書いたが、Amazon のマーケット・プレイスなどでバカバカしい値段が付いているので、手を出さなかった。今、Amazon を調べて見ると、同じ規格ではないが、2005年のキング盤は最低で3,980円、8,500円の値付をしているところもある、2002年の P-JAZZ盤では7,800円が最低ラインだ。アメリカの Amazon でも2002年盤が$138.57なんていう値段である。
 今回、手に入れたのは、1994年の Venus 盤でリマスター前ではあるが、十分に聴ける音質は保っている(もともと音が良いのはLP時代から言われていた)。同時期の Indent や Silent Tangue は、ずっと命脈を保って、1,000円内外の値段で買えるのに、この Solo だけは、何回もリマスターで出たり、紙ジャケットで出たりもしたが、あまりに短期間で廃盤になるので、中古市場でも変に高値を保ってしまうことになる。
 たまたま、Yahoo のオークションを見ていたら、94年盤にしろ、500円という格安値での出物があって、ちょっと目を疑った。オークション出品者は適正値を付ける人が少なくて、バカ高い値段を付けてしまう人もいれば(新品で Amazon あたりで買うほうが安い、廃盤でもないのに)、めちゃくちゃ安い値段を付ける人もいる、その安値を狙うなら、定期的なチェックも必要となる。昔ほど情熱はなくなったが、バカ高い値を付ける業者の鴨にはなりたくないので、この作品だけはそれなりに色々な中古屋やオークションを見回ってはいた。それでも500円は信じがたい値段であった。
 自分が入札したときには、最初の入札者が最高値を設定していたのか、あっという間に620円まで上がり、一旦そこで最高入札値を付けた。入札期間は1週間であったので、毎日のチェックは欠かさず行った、何事も努力が肝心である(偉そうなことを言うな、このケチ!と声が飛んできそう)。
 2~3日が経過したころ、中古品扱いの最大手Net-Off のサイトを見ていたら、同じものがなんと1,580円で入荷があったではないか(これでも市場値より格安)、これには困ったね、安い値段でオークションが落とすことができれば、それでよし(その時点では自分が620円で最高入札者だったし)、でも600円そこそこで落ちることはないよなー、という気持ちが入り乱れ、もう4日待てば決着が付くからと考え、そのままにしておいた。翌日、Net-Off のサイトを見に行ったら、なんともうなくなっている!どうしようもないけど、ちょっと後悔しましたね、はい。
 オークション最終日、何度も画面を更新しながら、最後の最後に攫われないように・・・と思いつつ、あっさりと620円で落ちたときは気が抜けた、落ちるときは落ちるもんだ、その3日後には送料を含んで820円で「Cecil Taylor Solo at 02:30a.m. May 29th, 1973 in Tokyo」が手に入ったのであった。
 このアルバム、Taylor には珍しくスタジオ録音であること、音が良いこと、といった理由で世評の高い1枚ではあるのだが、自分としては同時期の Indent や Silent Tongue に比べて静か過ぎる感じで、31分という収録時間以上に物足りない感じがする。法外な値段を払うほどではない、1,000円で Indent を聴くほうが遥かに良い気分に浸れる(真剣に落としておいて、何たる言い草)。

 あとは、1976年のヨーロッパ楽旅で採られた2枚のアルバムについて。クインテット作品の Dark to Themselves (6月18日録音)、とソロ作品 Air above Mountains (8月20日録音)でどちらも盤元はドイツの Enja 。ドイツ録音は、どれも音が良い。
 この頃の Taylor は、構築性よりもフリー度の深化(ちょっと変な言い回しだが)を目指した感じで、パワーは感じるが、1966年や1978年(Shanon Jackson がドラマーだった頃)の非常に統制の利いた時期とは異なった無秩序な感じを受ける。

a0248963_1644980.jpg 特に Dark to Themselves の David S Ware の長い、フリーキーさを強調したようないわば放し飼いにした犬の吼え声のようなソロには若干の胃もたれ感がある、Jimmy Lions のソロになるとちょっと落ち着く、貫禄ですかね。Marc Edwards のドラムの煽り方が関係しているのかも知れない(Andrew Cyrill よりも直線的なスピード感がある)。それが終わったあとの Taylor のソロも荒々しいタッチだ。

a0248963_1651845.jpg Air above Mountains も 2部にわかれて各々44分強、32分弱の長尺のソロが収録されている。相変わらずの音の洪水状態には圧倒されるが、ここでも構築性よりパワー重視の姿勢が見て取れる。それにしても、この時 Taylor 御歳47歳、これだけのパワーをピアノに1時間以上ぶつけられる体力と精神力に脱帽。

 Dark to Themselves が最初にリリースされたのは、1976年。勿論 LPレコードであったため、収録時間の制限で、A面23分、B面26分12秒と現行のCD(1990年リリース)とは10分以上の編集差が存在する。同様に Air above Mountains の最初のリリース年も76年。収録時間は LP でも頑張ってA面25分40秒、B面25分37秒収録はしているが、現行CD(2002年)に比べれば25分以上短い。

 Thinking Plague や Motor Totemist Guild のところで書いた不満がこちらでは不満解消に役立っているとは奇妙だが、結局、現行のCD規格(80分が最長といわれる)が微妙だと言うことだろう、LP2枚分には若干不足しているという点で。まあ、70分も根性込めて音楽が聴けるか、と言われれば微妙で・・・結局、LP片面の20分程度が緊張感を持って音楽を聴ける限界かも知れない。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-31 14:47 | jazz

90年代前半、奇妙な和みの時間  たま

 90年代前半という、4たま時代(知久寿焼、柳原幼一郎、滝本晃司、石川浩司、1995年末に柳原が抜けて3たま時代となり、2003年まで存続)は、世の中が大きく動き出した時期で、バブルの崩壊、社会主義体制国の瓦解(91年にソヴィエト連邦解体)、自民党政治の終焉・政治の混乱が明確化、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦・「文明の衝突」の開始、そして95年の阪神淡路大震災、オウム真理教事件の2大事件。
 こうして書いてみれば大きな流れが現在に繋がっていることがよく判るが、生活していると毎日に大きな変化があるわけではないので、テレビを見ながら「ほー」とか「へー」とか気の抜けたような嘆息しか出ないわけだ、当時は自分も30歳代前半、世間的には一番仕事に邁進しなければならない時期という認識かもしれないが、個人的には非常に優秀な部下が付いて楽なものであった。子供が保育園に行くなど経済的には厳しい面があったが、どうしようもなく貧乏という感じでもなく生活にもそれなりの張りがあり、個人的には楽しい時期であったような気がする。しかし、小遣い面は厳しく今のように気楽にCDを買えるということはなかった、90年代の音楽にリアルタイムで聴いた感じがしないのはたぶんそのせいだと思う。

 そんなざわついた世の中で、バブルの最後期の頃人気があったのが「いかすバンド天国」略して「イカ天」、様々なバンドが出ていたが、どちらかというとヴィジュアル系が多かった印象、それなりに技術を磨き、難しいことをやらずとも自分たちの身の丈にあった音楽をやっていたのには好感が持てた。そんななか、個性的といえば最も個性的であったのが「たま」。エレキ系のバンドが多い中、純粋アコースティック系で、暗いんだか明るいんだか、何を言いたいのか判らないけど懐かしい感じの歌詞とか曲調に合わせた楽器の持ち替えなど、見た目のお気楽さと違ったところもあって注目の的となった訳だ。
 バンドは、リーダーの意思によって方向性が決まる。同じミュージシャンを使っても全く違う音楽を作ることも可能で、アメリカ西海岸RIOや日本のアンダーグラウンド・シーンなど少ないミュージシャンが離散集合する場合に顕著だ。
 しかし、たまを見ると明確な音楽的リーダーがいないし、4thなどは、4人のメンバーがきっちり3曲づつ曲を書いている。これである意味堅固な「たま的世界」を築き上げているのは驚きで、よく見れば、それぞれ4人が少しずつ違ってはいるけれど、全体は纏まったたまの世界である訳だ。Beatles は好きではないけれど、似たところが多く、知久がレノン、柳原がマッカートニー、滝本がハリソン、石川がリンゴ(リンゴよりも才能はずっと上だと思うが)に当るといえば、ぴったりな感じだ。作り上げた世界観は全くといっていいほど違うが。

a0248963_1719063.jpg メジャー・デビューは、90年、「さんだる」。イカ天出場曲を中心に構成されているが、実はこのアルバム、自分としてはあまり好きではない。日本のフォークに有り勝ちな貧乏臭さみたいなのがあるのと、滝本の「日本でよかった」「ワルツおぼえて」が詰まらない(すみません、滝本ファンの皆さん)こと、石川の「学校にまにあわない」が長すぎること、などでちょっとがっかりしたものだ。「方向音痴」やイカ天で披露した曲など佳曲も多いし、「らんちう」など偏愛する1曲なのであるが。
 売り出しには相当な気合いが入っていて、プラ・ケースではなく紙製の箱型のCDケース、1枚づつに分かれた歌詞カードなど、なかなかのものだが、それよりももうちょっと楽曲の選定にも力を入れたら、という感じ。

a0248963_17194524.jpg 2枚目が「ひるね」、91年。前作からわずか半年で出た本作、編曲面、楽曲のヴァラェティー、曲自体の出来、曲の順序など、前作を遥かに上回っており、初期の代表作といってよい。特に滝本の「海にうつる月」はインストルメンテーションも特異で(石川がオルガンを担当、柳原のピアノとの対比が素晴らしい)、シングル・カットされたのもよく判る傑作。
 編曲面では、先の「海にうつる月」をはじめ、「金魚鉢」「むし」など、細かなアイディアが盛り込まれており、それをライヴでも披露してしまうという凄いことを行っている。
 各人の個性も明確化され、明るい柳原、ほの暗い知久、抑揚の少ない不安定に安定している滝本、ダダ的アナーキスト石川と、これらが渾然一体となって「たま的世界」を構成するようになるわけだ。

a0248963_1720857.jpg 3枚目が「きゃべつ」、91年録音。イギリス、マナー・スタジオでの録音ということだが、音はやや籠り気味であまり良いとはいえない。
 本作で滝本のソングライターとしての才能が開花したようだ。11曲中3曲が彼の曲で、抑揚の少ない暗いんだか明るいんだか判らないような曲調が、籠り気味の録音に妙にマッチしている。ただし「こわれた」はメッセージ性が強すぎる感じ。
 柳原は代表曲「満月小唄」の素晴らしさは言うまでもないが、他の2曲が軽すぎる。知久も有名な「おやすみいのしし」にライヴの躍動感がなくこじんまり纏まっていて、やや物足りない。他の2曲も同様。石川は我が道を行っているが、曲自体の魅力に欠ける。
 ということで、さんざん文句を言っている感じだが、嫌いなのかというとそういうことはない、ほの暗い雰囲気が全体的にあり(柳原のおふざけ曲にも、知久のいのししにも)、そこがそこはかとなく好き、に繋がっているのだろう。

 よくコンサートには行って、子供を連れて行ったこともあったが、あまりに気持ちが良いのか、寝てしまったこともあった。特に94年だったか、「たまのお歳暮」と銘打ったコンサートは、3時間以上に及び、過剰なMCもなく、彼らの世界を堪能出来た素晴らしいパフォーマンスであった。

a0248963_1720428.jpg 最後に「たま ナゴム・コレクション」。メジャー・デビュー前の録音集成。88年から89年の録音。音は悪いが、彼らの代表曲の多くがこの時期までに確立されていたことを示すアルバム。これだけの曲のストックがあれば、もう少しファースト・アルバムの選曲にも方法があったのではないか、と思ってしまうのだが。メジャー・アルバムに入ってない曲では、柳原の「満月ブギ」が不思議な雰囲気を持った曲。好き放題やっている感じがマイナー盤の良さ。

 後半戦は、彼らのフリークス好きについて見て行きたいと思うのだが、何時のことになることやら、他にも書きたいミュージシャンはいっぱい居るのだから。
 
[PR]
by ay0626 | 2012-03-25 13:19 | folk

ジョン・ゾーンの多面性を象徴する ネイキッド・シティ

 1990年代の初めというと、日本が経済的には最低線をさ迷い、アメリカは復調基調で徐々に競争力を盛り返してゆく過程にあったといえる。この頃がアメリカ・アンダーグラウンド音楽シーンの最も活気付いた時期と言えるのではないか。

 もともと、黒人を中心とした旧世代のフリー・ジャズが活気を失い、70年代末にはヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションに影響を受けた世代が各地で活発化していった。西海岸で言えば、Rova Saxophone Quartet、Henry Kaiser を中心とした Metalanguage レーベルに集合した一派、Eugene Chadbourne 、John Zorn 、Polly Bradfield などが主要メンバーとなった Parachute レーベルを活動の拠点としたニューヨーク一派、アラバマという保守的な土地で活動した LaDonna Smith 、Davey Williams を中心とした Trans Musique レーベル一派など、殆ど目が離せない状態が数年間続いた。もうひとつの流れとして、No Wave といわれる前衛ロックの系譜があり、Arto Lindsay の DNA などがそれに当る。また、RIO の大立者 Fred Frith が70年代末にニューヨークに進出し、様々なバンドとの交流を深めていく。こうした流れの中で、様々なミュージシャンが離合集散し、変な音楽が大量生産されていく。まあ、楽しくも何をどう聴いたらよいのか、不明状態になる訳であった。

 しかしながら、やっぱり変な音楽はあくまで変な音楽であって、大きな市場(マーケット)が獲得出来る訳もない。どのバンドを見ても、中心人物が誰になるかで、サイドマンは知った顔ばかりという事態に陥るわけ、今回の Naked City も同じで、それもかなりの有名どころが参加しており、演奏技術は一流で、どんな音楽をリーダーである John Zorn が演出して見せるかが、最大の関心事になる。

 John Zorn は1953年の生まれ、アンダーグラウンド界の最高のオルガナイザーと言っていい。自身のレーベル Tzadik からは夥しいアヴァンギャルドCDをリリースし、自分自身も Naked City を始め、Pain Killer 、Masada など数々のグループを率いる他、作曲数も相当数に上る。大の親日家で高円寺に住み、日活のロマン・ポルノを愛し、ディスク・ユニオンと Avant レーベルを立ち上げるなどの活動をしている(Avant の成功(?)を見て Tzadik を立ち上げてたらしい)。
 他のメンバーも紹介しておくと、ギターの Bill Frisell 、ECM から Nonesuch レーベルに多くの録音を残す、John Zorn との関係は音楽面から見るとちょっと違和感ありだが、Nonesuch 繋がりで John の初期作品の The Big Gundown や Spillane にも参加していた。
 ベースの Fred Frith は言わずと知れた Henry Cow の創設者、この人も録音数は夥しいものがある。
 ドラムは、Joey Baron 、JMT レーベルでの Tim Burne 、Hank Roberts との Miniature の活動で聴いたのが最初だが、Bill Frisell との録音も多い。John とはこの後も Masada などで共演を重ねていくことになる。
 キーボードは Wayne Horvitz 。Pigpen などの活動で有名だが、一時は Curlew にも籍を置いていた(3枚目の Live in Berlin)こともある。
 最後にヴォーカルの山塚アイ、いわずと知れたボアダムスの親分にして変態、ギャ~~と叫ぶのが8割というスタイル。といった面々で、正にアングラ界のスーパー・バンドといった感じ。

a0248963_1683284.jpg Naked City には、スタジオ録音盤が6枚あるが、各盤ともかなり違った局面を見せる。
 最初のアルバムは、1990年の Naked City (s/t) 。007のテーマやバットマンのテーマ、エンニオ・モリコーニのカヴァーなど、有名曲のカバーを金切りサックスで直線的な音を吹きまくる Zorn がカッコいい、Frisell も切れまくりでシャープなジャズ寄りのロック、Zorn がアメリカ人というのがよく判る、全体的に明るく突き抜けた印象。
 10曲目から17曲目、20曲目は Torture Garden というアルバム(1989年)に収録されていた作品。Torture Garden は、スラッシュ・コア、ハード・コアのアルバムで1分に満たない曲を42曲も集めた作品集、9曲が Naked City に他33曲が2nd の Grand Guignol に収録されている。
 道路の上の射殺死体がモノクロームで。裏面は、丸尾末広の包帯にグルグル巻きにされた人の口に蟹が入っている絵。どういう趣味か、Naked City は、こんなジャケットばかり。

a0248963_169448.jpg 2枚目は、Grand Guignol 。1992年録音。 Grand Guignol という長尺曲(18分強)と現代音楽のカヴァー8曲、そして Torture Garden からの33曲で成り立つ。Grand Guignol は、wiki のNaked City 紹介にある fast-change という言葉どおりの曲、Zorn の作曲スタイルは、70年代末から80年代初めのゲーム・ミュージック(ファミコンなどのゲームとは関係ない)の Pool や Hockeyにまで遡るまでもなく、様々の要素が前後に影響されずに表出するものが多いが、これは正に典型。
 現代音楽のカヴァーは、メロディーとしては何となく判る程度、幻想的な感じで、落ち着いて聴ける。各人の演奏力の高さも判ろうというもの、Naked City 全アルバムの中で、ここの部分が最も好きだ。
 Torture Garden 収録曲に移るときの落差にびっくりしてはいけません、Zorn のアルバムなんてこんな感じはざらですから。
 ジャケットはえげつないの一言。女子には買えません。

a0248963_1692351.jpg 3枚目が Heretic 。1992年(91年録音?)。ジャケットは、Zorn のSM趣味満開。自分も買うときに一瞬女子店員さんから目を逸らせました、はい。
 完全な即興演奏集で、2人から3人の少人数での演奏、全員が揃っての演奏は21曲目のみ。架空映画のサウンド・トラックという建前だが、こんな騒々しい演奏では、セリフも聞き取れないだろう。流石にこのメンバーだと即興も手練で、飽きさせることはない。Torture Garden の曲は作曲の賜物なので、即興であるこの作品とは聴いた感じはかなり異なる。

a0248963_169472.jpg 4枚目が 凌遅 LENG TCH’E、これも92年、全1曲31分。どうもこのバンド、91年から92年までで全てのアルバムを作成したようだ。
 レンチェ、というのは中国の最悪の死刑で、体を少しずつ切り刻んで、苦痛を最大限に与えるような処刑方法のこと。しかしながら、これは公開で行われ、沢山の見物人が詰め掛けたということで、例えば山田風太郎の「妖異金瓶梅」でもこれを見に行く潘金蓮の様子が描かれているが、別に気分が悪くなるようなこともなく、「今日の罪人は、根性なく早く逝ってしまったね」くらいの感じであった。昔の人は、血生臭いことに慣れていたのだろうか、そんな処刑方法が今でもあったら、どうってことなく現代人でも見学できるんだろうか。それとも、人間にはもともとそういった残虐への嗜好があるのだろうか、そんな気がしなくもないが。
 通奏低音のような重い、変化の少ない演奏がかなり長く続き、その上に突然、ヤマンタカ・アイの絶叫と Zorn の金切りサックスが被さる。聴き通すにも、やや根性の要るアルバム。

a0248963_16101695.jpg 5枚目は Radio 93年(92年録音)。これもジャケットがエグイ。特に裏面は 尻 だ!何を一体考えているのだろうか。
 内容的には、Zorn 的ヒット・パレードという感じで、アメリカン・ポップ的な側面も感じられる。ヤマンタカ・アイご登場の11曲目からは、明るいんだかなんだか判らなくなって行くが、全体的には出来が良い。烏鵲の娯楽室さんの意見に賛成、烏鵲さんの Zorn 追っかけの素晴らしさに脱帽です。

a0248963_16104267.jpg 6枚目が Absinthe 。93年(92年録音)。アブサンとはニガヨモギのリキュール、アルコール度が高く、安い酒だったため、ベルレーヌやゴッホ、ロートレックなどの有名人が中毒で命を縮めたといわれているらしい。ニガヨモギに向精神作用があるということで禁止される国もあったとのこと。
 音楽もヤマンタカ・アイが加わっていないこともあり、今までの作品とは大きく印象が異なる。澱んだ感じのアンビエント系であり、最後の曲は、虫がもぞもぞしているような不気味な音がずっと続くなぞ、イカレている。Zorn でいえば、Kristal Nachat や Elegy 系統の音ということか。

 ということで、全6枚、Zorn の多面性がよくわかるこのグループ、そんなに何回も聴くわけじゃないけど、コレクションに加えて、1年に数回でもターンテーブルに乗れば、そこそこの価値のある音楽といえるのではないだろうか。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-24 13:29 | jazz

コレクター、自身の覚書としてのブログ

 今まで色々な音楽について書き散らしてきたが、どれも一時は熱心に聴いた音楽ばかりだ。ここらで自分のコレクターとしての考え方、これから書いていこうと思うミュージシャン達について纏めてみようと思う。といって大したことを記す訳ではないが。

 もともとものを集めることが好きで、鉱物から始まって、本やフィギュアなど一通りは集めた。それでも何年かすると飽きが来て、自然に終息して行く、オタクにはなれない性分らしい。しかし、CDについては(音楽については、というべきかもしれないが)、ここ20年くらいは、多少の中断期間があってもそこそこ繋がってきた。今まで書いてきたミュージシャンを見ても判るとおりの雑食性だが、あまりポピュラーなものは聴いていない、やはり臍が少しばかり曲がっているか、それでもそのジャンルではそこそこ有名な人たちばかりで、自分としてはよりマイナーな音楽を探して、スノッブ的な優越感を得ようなどという気持ちは今は全くない。自然体で、自分が良いと思える音楽を聴いているだけだ。

 ここで自分のコレクター方針というか、そんな大袈裟なものではないけれど、一応記しておこうと思う。
① 公式盤は、CD化されているものは一応全部集める。ライヴ盤は、バンドの解散後に出されたものでも、ちゃんとしたメーカーからの音の良いもの、出自(たとえばBBCだとか)が判っているものについては揃える。
② それでも、どうしても一部分しか興味が持てないミュージシャンがいる。それは、それで仕方がないので、その部分のみのコレクションとする。今まで書いてきた中では、RCサクセションがそうだし、Cecil Taylor だって88年以降のヨーロッパ・フリーとの合体以降については興味がない、興味のあるところのみ記す場合がある。
③ 価格は、中古盤であれば2,000円までが目安、新品であれば、それなりの価格でしか買わない。法外な値段のものは無視する、といっても最後の効き目みたいな盤についてはそれなりの対応をする(たとえば、Piazzolla の Messidor 原盤の超傑作「ウィーン・ライヴ」「AAの悲しみ」、ここらは会社の倒産と権利の関係で復刻が難しい状態となっているらしく、あるうちに買っとかなけりゃ、ということで各々4,200円、7,400円の大枚を叩いた、それなりの価値はあったと思っている)。


 今までに書いてきたものを含め、自分の好きなミュージシャンについて纏めておく。そのうち、お会いできるでしょう・・・会いたくないって?CD 枚数は適当に勘定していますので、違うかも知れないが、それはいいっこなしということに。

【ジャズ】
  ・マイルズ・デイヴィス  言わずと知れたジャズの大巨人、CD枚数30枚以上
  ・エリック・ドルフィー  馬のいななき、一聴忘れ得ぬ印象、CD枚数15枚程度
  ・セシル・テイラー    アメリカン・フリーの巨人、CD30枚弱
  ・アルバート・アイラー  ゴースト、イノヴェイター、CD15枚程度

【ロック~ヨーロピアンRIO】
  ・ヘンリー・カウ     大御所、CD5枚+ボックス・セット10枚
  ・ユニヴェル・ゼロ    暗黒派チェンバーの始祖、CD現時点で12枚+ドゥニ・ソロ2枚
  ・エトロン・フー・ルルーブラン  フランスのイカレ・バンド、CD7枚
  ・プレザン        ゼロからの分派、ギター・チェンバー、CD10枚弱
  ・マグマ         フランスの強迫的リズム&コーラス、CD15枚程度
  ・キャンバー・ウェル・ナウ   ヘイワードの中で偏愛するCD1枚(LP1+EP2)
  ・スラップ・ハッピー   頓狂な声のアヴァン・ポップ、4枚

【ロック~アメリカンRIO】
  ・5UU'S        デーヴ・カーマン率いる、CD6枚
  ・モーター・トーテミスト・ギルド ジェームズ・グリグスビー率いる、CD6枚+U Totem2枚
  ・シンキング・プレイグ  マイク・ジョンソン率いる、CD7枚

【ロック~アメリカン・アヴァン・ジャズロック】
  ・カーリュー       明るい変態サウンド、CD10枚
  ・ネイキッド・シティ   ジャケットどうにかなりませんか、CD5枚

【ロック~ブリティシュ70’S】
  ・ロキシー・ミュージック 伊達者・ヘタウマそしてAOR、10枚
  ・カーヴド・エアー    クリスティーナ嬢が艶かしい、CD9枚
  ・ジェントル・ジャイアント  技巧集団、よーやるなバンド、CD12枚
  ・ロバート・ワイアット  世界で一番悲しい声の持ち主、CD11枚
  ・グリフォン       トラッドからプログレへ、CD6枚

【トラッド】
  ・ファウン        ドイツの美男・美女軍団、CD7枚
  ・エスタンピー      ドイツの正統派古楽、CD8枚
  ・ラム・ドゥ・フォック  スペインのテクニック最高バンド、CD4枚
  ・スーデン・アイカ    フィンランドの女性合唱、CD4枚
  ・チーフタンズ      ケルトの最古参バンド、老人ばっかり、CD20枚以上
  ・アル・アンダルス・プロジェクト エスタンピーとラム・ドゥ・フォックの合体、CD3枚

【ラディカル・トラッド】
  ・ヘドニンガルナ     スウェーデン・ラディカル・トラッドの雄、CD5枚
  ・ガルマルナ       スウェーデンのもう一方の雄、CD5枚
  ・ヴァルラウン      フェロー諸島からの新バンド、CD5枚
  ・ヤーラルホーン     フィンランドのラディカル・トラッド、CD4枚

【ヨーロッパ・フォーク/その他】
  ・テンヒ         フィンランドのお経フォーク、CD5枚
  ・ザ・ムーン・アンド・ザ・ナイトスピリット  ハンガリーの男女デュオ、CD4枚
  ・フレアーク       オランダの大道芸風テクニカルバンド、CD20枚程度
  ・アラマーイルマン・ヴァサラット フィンランドのよーわからんバンド、CD5枚
  ・べシュ・オ・ドロム    ハンガリーの高速ミクスチュア・バンド、CD5枚
  ・ニュークリアス・トーン スイスのメタル・プログレ・フォーク、CD5枚

【現代音楽】
  ・武満徹         ノーヴェンバー・ステップスの大家、CD12枚
  ・クロノス・カルテット  スノッブな弦楽四重奏、CD30枚以上

【ゴス、エスリール、ダーク・ウェーヴ】
  ・コクトー・ツインズ   4ADの看板その1、フレーザー嬢素敵、CD11枚
  ・デッド・キャン・ダンス  4ADの看板その2、リサ嬢素敵、CD8枚
  ・ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール バンド名長すぎ、CD10枚
  ・アンバー・アサイラム  女性ゴス・ユニット、ちょっと怖そう、CD7枚
  ・アントゥー・アッシーズ 中世ゴスの割りにちょっと根性ないか、CD6枚

【アメリカン・ラテン】
  ・キップ・ハンラハン   ニューヨーク・アンダーグラウンドの雄、CD16枚

【タンゴ】
  ・アストール・ピアソラ  天才、凄い、タンゴなの本当に?CD20枚程度。

【ロック~アメリカン・アンダーグラウンド他】
  ・スリーピータイム・ゴリラ・ミュージアム  白塗り、ヘヴィ変態プログレ、CD4枚
  ・フォーン・フェイブルズ ニュー・ウィアード・アメリカ、変だ、CD6枚
  ・ティン・ハット     哀愁、郷愁、そしてちょっとアヴァン・ギャルド、CD6枚
  ・エスパーズ       ニュー・ウィアード・アメリカ、くねくね、うねうね、CD4枚

【フリー・インプロヴィゼーション】
  ・エヴァン・パーカー   人間業とは思えないテクニック、CD15枚程度
  ・カン・テーファン    人間業とは思えないテクニック・パート2、CD10枚程度
  ・ネッド・ローゼンバーグ 初期のソロ3枚のみ偏愛、CD3枚
  ・吉沢元治        初期のソロ3枚のみ偏愛・パート2、CD3枚

【日本/その他】
  ・RCサクセション    青春とない交ぜ、CD3枚
  ・はっぴいえんど     青春とない交ぜ・パート2、CD7枚以上
  ・たま          変な時代の変に律儀だったバンド、CD8枚
  ・トレンブリング・ストレイン  何の情報もないアヴァン・ギャルド・ユニット、CD6枚

 ということで、全部書けるかな、乞うご期待・・・だれが期待するかって?変な人も偶にはいるから、その人のために頑張って。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-20 11:22 | 無駄話

西海岸RIOトライアングルの一角、モーター・トーテミスト・ギルド

 Thinking Plague のことを以前書いたが、その続きというか、Thinking Plague 、5UU'S と並んで RIO のアメリカ勢力の中では、相当な影響力を持つのが Mortor Totemist Guild 。また、この3つのバンドは、合体したり、メンバーの相互入れ替えが頻繁で、よく見ていないと誰が何処の出身か判らなくなることがある、それが問題かといえば、大した問題でもないのだが。

 変わり者は何時の時代にも一定数はいるもので、偶に孤立的に出てくるのは判るにしろ、しかし1980年代前半この手の有力バンドが、アメリカ西海岸に3つも出てきたのはどういうことなのか(Thinking Plague はコロラド州出身なので西海岸とはちと離れてはいるが)。
 ヨーロッパの本家RIOは、Henry Cow は既に解散、Art Bears や The Work の活動になっているし、Zamla Mammas Manna 、Stormy Six も活動最終期、Univers Zero や Etron Fou も86年には活動停止となる。本家は既に一定の役割を終えたと言うことなのだろう。それが、アメリカに飛び火して、80年代から90年代、00年代初頭まで活発な活動を見せることになる。

 Motor Totemist Guild は、80年に作曲の James Grigsby と詩人で歌手の Christine Clements によって作られた。初期は、アルバム紹介でも述べるが、相当な前衛性でごった煮的印象が強いが、Christine Clements が抜けて以降は、アコーステックなチェンバー・ロックに落ち着いていく。
 サンフランシスコやロサンジェルスといった大都会には、やはり変わり者もいっぱい居て、変わり者で活動的な人は直ぐに仲間を求めるので(オタクとはやっぱり違う、オタクはどちらかと言えば孤立的だ)、グループを作り易い、ロス地区のこんなグループが the California Outside Music Association (COMA) や Independent Composers Association (ICA) で、この仲間たちと音楽を作り上げていったようだ。
 同じ西海岸で活動していた5UU'Sとは意気投合したと見えて、86年には5UU'S 主導で Elements というアルバムを出しているし(Rotary Totem Records という James Grigsby のプライベート・レーベルから)、90年代になるとバンドが合体し、U Totem となる。そこら辺のところは後に譲るとして、今回は80年代のアルバムを見ていく。

a0248963_16164240.jpg 最初のアルバムは、84年の Infra Dig。非常に前衛的でごった煮的な印象の強いアルバム。詩人のスポークン・ワードや不気味なアレンジのスタンダード、電子音のみの曲、バイブラフォン・ソロ(若干のチェロあり)があったりと統一感はないが、若気の至り的な面白さは認める。何回も聞きたくなるような音楽ではないが。
 メンバー的にも殆ど一定せず、Grigsby の家に遊びに来た様々な音楽仲間とのセッションから生まれたアルバムなのだろう、録音時期も81年から83年と長期に亘っている。

a0248963_1617360.jpg 2枚目が Contact with Veils 。86年の録音で同年の発売。この年には前述の通り、5UU'Sとの Elements も出している。このアルバムは、Clements が抜けた後で(85年に離脱)、チェロの Becky Heninger と木管の Lynn Johnston を前面に、チェンバー・ロックの本流を行く。もっともアメリカのバンドだけあって、Univers Zero のような暗さ、重さとは無縁で、聴き易いといえば聴き易い(前衛を聴き慣れている耳には・・・という前提付だが)。

a0248963_16172729.jpg 最初の2枚のアルバムを併せて2in1の形で出されたのが、Archive One 。1996年、ドイツのNo Man's Land レーベルから。1990年の半ば頃は、RIO 系の音楽に嵌っていて「おお!やっと出るのか」と思ったものだ、なにしろ全く彼らの情報は無かったから。1996年といえば、5UU'Sの初期音源を纏めた Point of Views がアメリカ Cunieform レーベルから出されたので、これから続いて復刻が進めばよいと思ったものだ。

a0248963_1618151.jpg 3枚目は Shapuno Zoo 、87年録音、88年発売。本作は今までと違い、ドイツ No Man's Land から出ている。この関係もあり、Archive シリーズが No Man's Land から出たのか。
 このアルバムから重要メンバーであるフルート・ヴォーカルの Emily Hay が加わる。なかなかの美声系でありながらロリータ系でもある、アメリカン RIO のヴォーカリストとしては出色。写真を見ても美形・・・90年頃だから、今はだいぶ歳にはなっているだろうけど。ここでは、歌うというよりスポークン・ワード的な声の使い方、写真での感じはイカレたオヤジ風のパーカッショニスト Eric Strauss が男声で対応する。Dave Kerman も正式メンバーとしてクレジットされており、セクステット編成。演奏はシリアスさを増し、前衛性も前作より高め、初期の代表作といったところか。

a0248963_1619210.jpg 4枚目が A Luigi Futi 、1988年・84年録音、89年発売。イタリアのAuf dem Nil というところからのリリース、何でこんなところから出たのかよく判らない。A面に Omaggio A Futi という長尺曲とB面には6曲が収められていて、Barbie Variations はその内の4曲。持っている Archive Two には、B面の2曲は収められていない。もともと Barbie Variations は、1985年にカセットのみで発売された Klang というライヴを中心とした録音に収録されていたもの(この4曲のみがライヴではない)で、これをリミックスしてアルバムに収録したようだ。
 Omaggio A Futi はカンボジアやラオスのミュージシャンに加え、チェンバー・アンサンブルやコーラス隊まで加えたごった煮的な曲で、短いパートを繋げて作成した感じ。Barbie Variations は、初期の作品ということもあって、チェンバー的な要素は少なく、シアトリカルなイメージの曲。あまり統一感はなく、出来も今一歩といったところか。(ジャケットは、良い画像がないので仕方なく)

a0248963_16202558.jpg Archive Two は、上記の3枚目と4枚目を併せて収録。1998年、No Man's Land から。
 A Luigi Futi の残り2曲くらい無理して入れてしまえばいいのに、と思ったりするのだが、5UU'S の Point of Views でも Thinking Plague の Early Plague Years でも収録漏れや短縮編集がなされている、どうにかならないのかと思う。2枚組にして値段を上げたくない、お徳感演出のためかも知れないが、こんな音楽を聴く輩は、どうせどこかイカレているだろうから、全部集めたいの方が先に立って、値段は関係ないとも思う、自分を振り返ってみて。

 U Totem やビッグ・バンド化したあとの Motor Totemist Guild については後ほど。ここら辺は、聴けば聴くほど新しい発見がある。Thinking Plague の驚きの新譜が今年出たが、Grigsby のインタヴューによれば、クインテットの Motor Totemist Guild の録音を開始しているとのこと、10年以上のご無沙汰期間を経て、今年当り新譜が出るかも。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-18 13:43 | rock

ハンガリーのペイガン・フォーク、ザ・ムーン・アンド・ザ・ナイトスピリット

 Pagan とは多神教のこと、ヨーロッパや中近東は、キリスト教だったりイスラム教のような一神教が殆どなので、多神教という厳密な意味よりも、どちらかと言うと「異教」といった感じで使われていると思う。Faun が自分たちの音楽を Pagan Folk と定義して、アルバム・ジャケットにも表示されている。ちなみに wiki で引っ掛けてみると、Pagan Folk Musician には、Faun と Omniaという先駆けとなったバンドに並んで、ハンガリーの The Moon and the Nightspirit の名前が見える。

 もともと宗教には懐疑的で、特に一神教には納得できるところが無かった。例えば、聖書をちょっと開くと、様々な物語が並んでいるが、神様が納得できる行動をしていない。
 ヨシュア記は、ヨシュアが約束の地であるカナーンを征服する話であるが、異民族とはいえ子供を含め絶滅させよ、となぜ神はいうのか。神は、自分に似せて人を作ったのではなかったか、異民族は頭から手が生えていたか、目が3つも4つもあったか、同じ人間の姿ではなかったか。聖絶を行わなければならないような世界を「全知全能の創造神」はどうして作ったのか、最初から争いの無い世を作っておけばよかったのに。
 ヨブ記は、もっとたちが悪い。神は、ヨブが清廉潔白で自分に対する信仰が確固たることを知っているのに(何しろ全知全能であるわけだから)、サタンに対して凄絶ないじめをすることを許可する。何も悪いことをしていないのに、ただ運の悪いいじめの対象となるわけだ(ヨブ本人は、どうも因果応報と考えていたらしいが、あまりに馬鹿のように人が良すぎる)。いじめられてもヨブは神の正当性を信じるが、これは聖書だから仕方のないことか。
 そんな神が「慈悲深い」とわかるのはどういう理由なのだろう。「慈悲深い」から「慈悲深い」のだ、ということな訳だが、宗教のもうひとつの嫌な理由がそれなのである。「信仰」とは「信じること」、信じるとは論理で考えることを止めて、言われたことを全て「正しい」として飲み込むことである。オウム真理教でも麻原教祖のいうことを論理で誰も考えなかった、だからあんなことが起こる訳だ、麻原も2000年も前に生まれていれば、正統な宗教者になれたかも知れないのに(ヨシュアのように大量殺戮を行っても、賞賛こそされ、貶められることは無かったろう)。

 と長々と宗教観について書いてしまったが、これからの世で、今言う3大宗教みたいなものは現れないだろう、なぜなら今「神が自分を預言者とした、世の人は私の言うことを聞かなければならない」といったら、確実に「神経科か心療内科に行きましょうね」と言われるからだ。
 といことで Pagan という言葉には、アンチ一神教みたいな響きがあって、それはそれで親近感が持てる、もっとも多神教でも仏教(仏教は正確には宗教ではないと思っている)でも突っ込みどころは満載であるが、それはまた別の機会で。

 本題の The Moon and the Nightspirit 。Faun の周辺を調べていくうちに見つけたバンド(duo だからバンドというのもどうかとは思うが)。男女2人組で、作詞(男性の Mihály Szabó が担当)、作曲、録音、アート・ワーク(ジャケットの絵は女性の Ágnes Tóth が全て描いている)、全部自分たちでやっている。ジャケットは、木の精というか、奇怪に捻じ曲がった木に顔が付いていて、みたいなモチーフで(正に Pagan という感じ!)既発4枚のアルバムが統一されている。

a0248963_16293025.jpg 最初のアルバム、Of Dreams Forgotten and Fables Untold は2005年の録音。音楽スタイルは、最初から確立されていて、あまり変化がない。ギターとヴァイオリンが中心となり、多重録音で2人組とはいえ、音の厚みは相当なもの。ヴォーカルも多重録音で、例えば声質からも Cocteau Twins なんかの影響が感じられる。大太鼓の音がかなり単調なことと音が詰まり過ぎなことが若干の難点だが、纏まりは良い。暗い音楽と言われるが、そんなに暗くはない、夜焚き火を囲んで踊っているような、そんな雰囲気の音楽。37分の収録時間は、今のアルバムにしては短すぎるような気がする。

a0248963_1630714.jpg 2nd は2006年録音の Regõ Rejtem 。A5変形ジャケットで収納に厄介なこと、この上ない。そういえば、世界音楽ぶらり旅さんもこのアルバムを取り上げていた。
 なかなか彼らのアルバムは手に入り難くて、アマゾン・ジャパンではマーケット・プレイスで法外な値段が付いているし(このアルバムは今現在、新品で3,437円から、中古ではなんと15,188円なんて驚くべき値段が付いている)、他に売っているサイトもないようだし・・・と思っていたら、アマゾン・ドイツで全作在庫ありの表示が付いているではないか。他も何作か頼んで(アマゾン・ドイツは送料が一定だから多く頼めばそれだけ送料単価が落ちる訳)ようやく手に入れた次第。
 内容的には全面的に全作を踏襲しているが、管楽器のソロなど、聴き所も増えている。中の歌詞ブックレットの最終ページの顔に模様を付けたメンバーの写真は、なんとも Pagan Folk に相応しい雰囲気を醸し出している。

a0248963_16303136.jpg 3rd 、2008年録音の Ősforrás 。これには、通常盤とブックレット仕様の特別盤があって、たまたまアマゾン・ドイツで通常盤が在庫がなかったので、特別盤を購入した。特別盤は1曲多く入っているが、これもA5変形ジャケットで収納にはよくない。そういえば、Faun なども特別盤作るのが好きなようで、Pagan Folk 系のミュージシャンの傾向でもあるのか、あんまり自分としてはそういうのは歓迎しないのだが。ブックレットは14ページもあり、冥い雰囲気の絵は全て Ágnes Tóth が描いたもの。一芸に秀でた人は、他の才能も大したものを持っているようで(Tenhi の Tyko Saarikko しかり、ちょっと変ではあるが Thinking Plague の Susanne Lewis しかり)羨ましい、なにしろ自分は無芸大食なもので。

a0248963_16305298.jpg 4th 、2010-11年録音の Mohalepte 。若干、打楽器の使い方(片面太鼓の使用)や曲の緩急の付け方に変化が出てきた、基本線は今までと変わらないが。
 Ágnes の使用楽器としてクレジットされている morin khuur とは、モンゴルの代表的な民族楽器である馬頭琴のことで、琴と言ってもチェロのように弓で弾く擦弦楽器。ハンガリーは、マジャール人の国家で元を質せばアジア系、その縁でもないだろうが。また、クレジット上に記載はないが、管楽器の音も前作に比べれば控えめだが、ちゃんと聴こえている(特にフルート系の音)。
 これから、もうちょっと捻った録音が出てくることを期待。

 ということで、ハンガリーの幽玄系というか幻想系というか、The Moon and the Nightspirit の紹介は終わり。他にもいろいろなバンドがあるようだが、次回のハンガリーは今へヴィー・ローテーションの Besh o Drom ということで。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-17 14:19 | folk

辺境の漆黒の女性ユニット、アンバー・アサイラム

 最初にどんなきっかけでそのバンドを知るのか、昔は雑誌か、ジャズ喫茶かそんなところでしか知ることはなかった。当然、狭い範囲でしか情報は入らないので、そのバンド・ミュージシャンの近隣・同傾向の音楽ばかり聴くようになる。知識が増え、一丁前なことが言えるようになると、ますますそのジャンルに拘るようになる、当然ながら他のジャンルの音楽に興味を示さなくなる。多分、昔はそんなもんだったのだろう。
 インターネットが急速に進展し、嘘か真か判らない情報が巷に溢れかえっている現在では、ディスコグラフィーは勿論、同傾向のミュージシャンの動向まで丁寧に教えてくれるようになった。例えば、Wiki でざっと調べた後、Discog で共演者の情報を得て、Amazon でアルバム入手状況を確認するなんてことはほんの1時間もあれば出来る世の中なのだ。そして、ちょっと試して見るなら、You-Tube なんかで音が確認できるのは当然、ライヴ映像まで見ることが出来る。
 こんなことまでして、聴く音楽ジャンルの拡大をしてどうなる?といわれれば言葉も無いが、ここ数年はこんなことをして楽しんでいる。Faun の Pagan Folk という言葉から、ハンガリーの The Moon and the Nightspirit を知ったように、ハンガリー繋がりでは Besh o Drom を聴くようになったり、世界にはまだ知らない音楽がたくさんある。

 Amber Asylum は、昨日書いた Black Tape for a Blue Girl 繋がりで知った。My Space の「こんな××が好きな人は、〇〇も好き」に騙されて(好きでやっているのだが)、wiki → Discog → Amazon コースを辿った。なかなか、ヴィジュアル的にもインパクトが強く、どう見ても中年の年季の入った Goth 雰囲気を纏ったお姐さん4人(現在のメンバー)は尋常な感じではない、日本人も入っているようで、足の太さは正に大和撫子そのもの。
 次に You-Tube で見てみると、ネオ・クラシカルと言うか、暗いテンポの遅い音楽をやっている、こいつは趣味に合うかも!とCD集めに走った次第。二重丸かというとそこまでは行かず、しかし失敗した、とは思わないくらいのところでした。

a0248963_15402130.jpg このバンド、というかプロジェクト、歴史は長く、最初のアルバム Frozen in Amber が発売されたのは1996年、ざっと15年以上のキャリアを持つ。もっとも、さっきも書いた通り、バンドと言うよりプロジェクトに近いこのユニット、最初は Kris Force のソロ・プロジェクト的なところがあり、Frozen in Amber でも、最初の3曲ではチェロとキーボードが入り、アコーステックな感じを残すバンド・サウンドと言ってよいが、その後の曲は完全に Dark-Wave 、Ambient 系の音の組み立て方になっている。特に最初の曲、Volcano Suite などは、もろ Black tape for a Blue Girl のRemnants of a Deeper Purity のそっくり。ゆったりとした感じは、打楽器系統が入っていないので当然として、断然最初の3曲の方が出来は良いと言わざるを得ない、エレクトロニクス系のアンビエント・ファンの方申し訳ありません。蛇足ながら、最後の3曲は再発時のボーナス・トラック。

a0248963_15405223.jpg 2枚目は、翌1997年発表の The Natural Philosophy of Love 。なかなか判りにくいジャケットだが、蛾がデザインされている。このアルバムは、チェロの Martha Burns とヴァイオリンのAnnabel Lee が全曲に活躍、Kris Force はギター・メインとしてトライアングルを形成し、パーカッションもかなりの曲に導入されているので、バンド・サウンドとして非常に聴き易くなっている。曲も Cupid や Forinda and Foringal など耳に残る印象的なメロディーの佳曲が多く、初期の傑作と言っていいだろう。
 Kris Force の歌声も全面的にフューチャーされ、ご面相に似合わぬヘヴンリー・ヴォイスが十分に堪能できる、Goth 、Ethereal 系統のヴォーカルは、スキャットを含めこんなんじゃないといけない。

a0248963_15413579.jpg 3枚目が、1999年の Songs of Sex and Death。ジャケットは美人の土左衛門?題名、ジャケットからして、Goth 、Dark-Wave という感じですね、はい。
 前作で活躍した弦2人が抜け、これから長く在籍する Jackie Grants が加入する。彼女は、エレキ・チェロを担いで Grayceon や Giant Squid などのメタル、ポスト・メタル系のバンドにも在籍し(CD持ってないので詳細不明、You-Tube ではちらっと見た程度)、サンフランシスコあたりではかなり有名人のようだ。画像検索してみると腕に刺青の入った、ごっついガタイのお姐さん、ちょっとした迫力です。
 サウンドとしては、全作のバンドとして纏まった感じが薄れ、プロジェクト的な側面が強くなっている。しかし、Jackie のチェロの迫力は特筆物で、これが全ての Goth 要素を代弁している感じ。最終曲の Devotin Reprise は、もろエレクトロニクス系の Ambient で十数分もあるため、若干聴くのが辛い。

a0248963_1542242.jpg 4枚目は、2000年の The Supernatural Parlour Collection 。Goth に似合わぬ風景ジャケット、裏面の木は不気味だが。
 ドラムやベース、オーボエなどの新メンバーが加わり、バンド・サウンドが戻ってきた。特にドラムの加入がその感を強くしている。最初の Black Lodge などは、ミニマルといっていいほど、同じようなメロディーが同じテンポで繰り返される、チェロやギターが絡んでくる辺りからなかなか強迫的な感じになってよい。また最終曲は、イギリスの Black Sabbath の同名曲で、Goth の祖先返りといったところか。全体的には纏まりがあって、好きなアルバムだ。

 ということで、前半の紹介終了。この後、4年程度の充電期間を経て、05年にミニ・アルバムを発表することになるのだが、それは別の機会に。
 ゲテモノ・バンドではあるかも知れないけど、聴けば聴くほど好きになっていくバンドであることは確か。勇気を出して、新しい音楽に挑戦しよう(と力んでどうする、自分の趣味は自分だけで)。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-11 14:08 | dark-wave

冥い波、ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール

 1980年代というのは、奇妙に落ち着いた10年だった。例えば60年代末から70年年代は、ヒッピー・ドラッグ・サイケから難し系のプログレ、世の中の不景気に対応するパンクを経て、聴き易いフュージョン・ポップの流れと音楽の傾向を見るだけでも忙しい時代であった。それが一転、80年代になると(最末期のバブルの頃になるとちょっとは違ってくるが)、聴きやすさ満載のアイドル全盛の時代になってしまう。
 政治の世界を見ても、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根など、80年代を殆どこの3人が新自由主義の名のもと、安定的に政権を維持し、ソヴィエト連邦を「悪の帝国」などと非難していた。まだ、中産階級という言葉が残り、「一億総中流」とか言われていたのもこのころだ。一方、ソ連は、アンドロポフ・チェルネンコといった老いぼれ書記長が何の手も打てずに病気になり、あるいは死に、崩壊の前兆は今見れば明らかとしか言いようも無い。
 多分、新自由主義に工学の確率論的な知識が金融に適用された金融派生商品(いわゆるデリヴァティヴというやつ)が引っ付くと、儲けた者勝ちの世界が生まれるのだろう。オプションだのスワップだの、80年代半ばから盛んに言われだした。この後、90年代に入ると日本はバブルの後遺症で「失われた10年」が始まり、ヨーロッパやアメリカでも、富裕層と貧困層の分化が激しくなる。もともと、この頃は儲けた奴が経済を引っ張り、景気がよくなれば雇用も増え、社会全体が良くなると思われていた、そのため富裕層の減税がなされた。ところがどうだ、雇用など増えるわけも無く(一般庶民に金融工学の知識などある訳が無い)、一部の富裕層はやたらと金を持つ一方、そうでない人たちは、将来不安のために財布の紐を硬く締める、景気が良くなるわけも無い。ということで、80年代があって、現在に至る訳。

 しかし、妙に明るくふわふわとした80年代は、自分が社会人になった年代と言うこともあって、そんなに悪い印象はない、どころか良い印象なのだ。前にも書いたが、その頃の会社など、皆夜遅くまで働いてはいたが、そうしなければ仕事が片付かなかった訳ではなく、何となく居ちゃった訳、OLなども完全腰掛状態だったので、決められたことを決められたようにやっていれば、それで良かった。従ってメンタル障害などになりようもなく、職場は奇妙な明るさに包まれていた。そんな10年が社会人スタートの10年だったのは喜ぶべきか、悲しむべきか、少なくとも就職にこんなに大学生があくせくしなければならない今より、ずっと良かったと思うべきだろう。

 この80年代中葉、イギリスでは4ADの Cocteau Twins だとか Dead Can Dance など、Goth や Ethereal 系の始祖みたいなバンドが登場し、それに呼応するかのように86年には、ここで取り上げる Black Tape for a Blue Girl が Sam Rosenthal によって組織される。時代の変な安定感を象徴するかのような、ふわふわとした浮遊感や(Dead Can Dance に特に強く感じられる)フェイク感満載の音楽といっては失礼に当たるか(感想を述べる者は、どんな感想を述べたっていいとは思っているが)。

a0248963_1516659.jpg 1986年の第1作が The Rope。25周年記念なのか、昨年目出度くトリビュート盤1枚を付けた2枚組として再発売された。Black tape for a Blue Girl (あんまりに長い名称なので以下、Black Tape と略す)は、Sam Rosenthal のプロジェクトとして組織されたもので、曲毎にメンバーが入れ替わる。変わらないのは、Rosenthal のエレクトロニクス操作で、波のように強弱を付けた電子音がずっと曲の背景に流れ、その上にヴォーカルやアコーステック楽器の音が乗る。ヴォーカルに何らかのエフェクトが掛けられることはないが、楽器にはそれなりに操作が加わっている模様。
 お前は、電子音嫌いだったんじゃないか、と言われれば、その通り、と答えるしかないが、ここでの電子音の使用は、通奏低音のように雰囲気を作り出すためだけに使われるケースが多く、潔いと言えば潔い使い方であると言える。
 wiki を見ると、Black Tape の活動を主たるヴォーカリストに合わせ3期に分けている。1作目から7作目が Oscar Herrera era に当たる。この期間、86年から99年に掛けて、ちょっと何でも長すぎるやろ・・・とは思うのだが。
 このアルバムには、パーカッションがかなり入っており、2作目以降より躍動感には富むが、Dark-Wave として見ると、抑揚は抑えて、という感じか。しかし、Oscar Herrera の声が美声系の朗々とした歌唱なので、全体雰囲気からすると、これ自体違和感あり、とも言える。聴いているときは、そんなもんかな、と言った感じで聞き流している。

a0248963_15195984.jpg 2作目が1987年の Mesmerized by Sirens。Sam は文学にも造詣が深いようで、ジャケット・ブックなどにいろいろな文章が引用されて、それがもしかすると音楽の深さに影響するように出来ているのかもしれないが、こっちは英語を苦労して読む耐性もないので、そこの部分は捨象して。
 本アルバム以降、数作に亘ってギターとヴォーカルの Sue Kenny-Smith が正規メンバーとしてクレジットされる。このお姐さんのヴォーカルも、Oscar 同様、はっきりくっきりの声質で、後ろのアンビエントなエレクトロニクス音とは若干の違和感がある。もっとも、Sam 氏はそれを狙って布陣を組んだのかも。

a0248963_15181740.jpga0248963_1518399.jpg 3作目、1989年 Ashes in the Brittle Air。4作目、1991年 A Chaos of Desire。ここら辺まで来ると、もう落ち着き具合やサウンド構築の面では、ほぼ確立されてしまい、何を聞いても同じという状態。それでも、何とか聴かせてしまうのは、効果的に使われる生楽器の音色。特にクラリネットは効果的で、非常に気持ち良く聴ける。エレクトロニクスと生楽器の組み合わせは、作品毎に進化している。
 これもヴォーカルの感じを別とすれば、昼寝にはもってこいの音楽。世の中では、耽美的とか暗いとか言われるが、自分にとってはアメリカ的な明るさを感じる部分もあり、そんなに畏まって聴くような音楽じゃない、むしろ喫茶店でBGMとして掛かっていてもおかしくはないと思う。まあ、アルバム名は、「海の精に魅了されて」、「壊れやすい空気の中の灰」、「欲望の混沌」だから耽美と言えば耽美なのだが。

 この音楽プロジェクトを聴くようになって、4ADの Dead Can Dance 、Cocteau Twins などに手を伸ばすと同時に、Unto Ashes や Amber Asylum といった辺境にまで足を踏み出すことになった次第。そういう意味じゃ、50過ぎて Cocteau Twins なんで聴き始めるバカなんてそうそう居ないかも、いいじゃない、新しい音楽に興味を持つことに年齢は関係ないだろう。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-10 10:18 | dark-wave

RIOの大御所、オルガナイザー、ヘンリー・カウ

 Henry Cow は、大学に入って直ぐに聴き始めた。その頃、良く聴いていた Robert Wyatt が一番好きなバンドだと言っていたから、興味を持ったと記憶している(そうすると、ファースト・アルバムの発売が73年だから高校時代には聴いていた可能性がある・・・曖昧)。変拍子に多楽器主義、そして左翼に対する連帯感、マイナーでアヴァン・ギャルドなヨーロッパのバンドを糾合しての Rock in Opposition のオルガナイズなど、多感な青少年にとって、少なくとも外観は立派に見えた。ただし、音楽としてはどうであったか。ファーストの最初の曲、Nirvana for Mice の昭和歌謡にも似たサクソフォンの出だしから見ても格好の良い音楽ではなかった。ここから、彼らの音楽に対する愛憎半ばする長い付き合いが始まったのである・・・ちょっと大袈裟か。

 音楽と音楽以外の影響に大きなギャップがあるバンドは、例えばアフリカやカリブ海諸国にはままいることはいるが、ヨーロッパのマイナー・ロック界の大立者と言えば、Henry Cow に止めを刺す。彼らが、バンドとしての活動を78年に終了した後は、例えば マイナー・レコードの発表・発売の場としての ReR Megacorp の立ち上げ、世界各地に似たようなマイナー・レーベル(アメリカの Cuneiform やイタリアの L'Orchestra 、フランスの Ghazel 、日本の Locus Solus など)の支援など、積極的に活動を広げてきた。そのお陰もあって RIO 関連の秀作については、廃盤になることもなく、例えば This Heat などは、その後に発掘された未発表ライヴも加えて、全作リマスターされた立派な Box Set となったし、Henry Cow 自身も10枚組の全編未発表のライヴ・アーカイヴを発表している。
 これは、全て Henry Cow のドラマー Chris Cutler の活動によるものだ。もともと、Cow の創設者は、Fred Frith(ギター・ヴァイオリン) と Tim Hodgkinson(キーボード・サクソフォン) で両者ともケンブリッジ大学の出身、同じくベースの John Greaves も同校出身で、謂わばエリート集団、それを鎌と槌の集団に組織していったのが、Cutler なのだ。Frith も Hodgkinson もCutler がいなければ、あれだけの録音を残すことが出来たか。

 音楽面で見れば、その後の活動がなければここまで過大に評価されるバンドであったのか。確かに Nirvana for Mice や Ruins 、Living in the Heat of the Beast 、Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners などの佳曲も多く、最終作の Western Culture の出来などはかなりのものだが、音楽的な出来であれば、アメリカンRIO(Thinking Plague 、5UU'S、Motor totemist Guild)の方が、実験的な面、演奏能力は上を行く。そういう意味においては、ロックにおけるインプロヴィゼーションの導入を別とすれば、思想を明確に打ち出した態度が創成期のアヴァン・ロックへの大きな影響、組織化の機会を与えたことを考えれば、音楽面以外で彼らが途轍もない巨人であったことには違いない。

 割りにきついことを書いているが、本当は何ヶ月に1回くらいの割合でターンテーブルには乗っている。ここまで何十年と聴いていると耳も慣れて、聴きたくなる機会もそれなりに多くなる。昭和歌謡も年月を過ぎて聴いてみれば、心に残るメロディーが多いじゃないか、なんて思うのと同じなのかも。

a0248963_14475439.jpg ということで、1973年ファースト・アルバム Legend 発表。日本で発売されたときは「伝説」と題されていたが、靴下のジャケットということもあって「足の終わり(靴下)」との掛詞でもあるので、いまではそのまま「レジェンド」としてあるようだ。
 何度も書いて恐縮だが、他に書きようがないので・・・最初の曲 Nirvana for Mice、本当に昭和歌謡の乗りのサクソフォンから始まり、途中ピアノが入るところ何ぞは、何回聴いても気持ちが良い。殆ど切れ目無く続くような演奏は、例えば Hatfield And The North などの流れるような演奏と違い、ごつごつした印象を与える。これが変拍子のせいか、Cutler の手数の多いドラムのせいかは、続けて聴いたことがないのを言い訳にして、自分の耳では自信を持って聴き分けられない。
 最後の Nine Funerals of the Citizen King の下手なコーラスまで含めて、多分、難しいことをやっているのだろうなと思いつつ、かなりの確率でヘタウマ・バンドのひとつではなかったかと思う。

a0248963_1448235.jpg 2枚目が、Unrest 1974年。Geoff Leigh が抜けて、Lindsay Cooper が加入する。ポピュラー音楽にバスーン(ファゴット)が加わることは少ないが、こうした前衛的なバンドには、知性を与えるような気がする(ただのスノッブだったりして)。Lindsay は、確りした音楽教育を受けていて、安定的な演奏をしている。かなりの美人で、思想的にも女性解放の闘士だったりする、キツメのお姐さんという感じ。しかし、wiki で調べると、難病を患い今では意思疎通にも困る状態だとのこと。1950年生まれだから60歳を越えたところ、寂しいですね。
 このアルバムは、半分だけ作曲されたマテリアルで、あと半分はスタジオに入ってから即興で録音したもののようだ。買った当時、LPのA面は良く聴いたが、B面は殆ど針を落とさなかった、多分ジャズを聴きなれた耳にはロックのインプロヴィゼーションが稚拙に感じられたのかもしれない、今でもインプロはジャズの方が余程良いと思っている。
 LPで言えば、3曲目の Ruins までがA面、Bittern Storm over Ulm、Half Asleep ; Half Awake、Ruins と続く、佳曲揃いだが特に、まどろむような題名通りの Half Asleep ; Half Awakeは、作曲者の John Greaves のセンスを感じさせる、Henry Cow 脱退後に開花する渋いポップ・センスを告げているよう。

a0248963_14485321.jpg 3枚目が、In Praise of Learning 1975年。Slapp Happy との合体後、Cow 主体で作成されたアルバム(Slapp Happy 主体で作成されたのは Desperate Straights)。Slapp Happy の男2人がそれなりに活躍するのはA面の2曲のみで、どうも疎外されているような感じ、このアルバム作成後、直ぐに脱退している(お払い箱にされている?)。最初の曲 War は、Slapp Happy 組の Moore/Blegvad の作品で今までとは違うポップ感覚に富む作品だが、2曲目が Living in the Heat of the Beast 。完全な共産主義万歳曲で、曲自体の複雑さは十分楽しめるものの、ここまでの宣言をしてよいものか、世はパンク世代に移行し、それもあって Henry Cow は Virgin Record に契約をぶった切られて、RIO活動に邁進していくことになる。
 ついでにB面、2つのインプロヴィゼーションに挟まれた Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners は美しい、しかし、主義の旗の下での行進曲。Chris Cutler の強烈な個性がバンドをここまでに鍛えたのだろう。多分、John はそんな感じに耐えられず(その後の活動を見ても上品な、ちょっと捻くれて渋いポップ感覚に溢れた感じの人と思う)、Blegvad と供に逃げて行ってしまったのだと思う。

 Virgin 時代の3枚のアルバム(靴下3部作)、なんのかんのと文句をつけたが、長い付き合い、鼻歌くらいなら歌えそうなくらいには聴き込んでいる。時間は怖いね・・・何が?ということで、後半戦と10枚組のライヴ集成は別の機会に。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-04 12:36 | rock

アヴァン・ギャルドなのにアメリカ的郷愁、ティン・ハット

 人事の仕事をしていて、2月、3月は、人事異動の調整だとか、人事考課の確定だとか、やたら面倒な仕事が多くて、しかしこれも給料のうちと日々それなりの努力をしている。もともと、前にも書いたように「理に適う」人事がしたいと思ってはいるのだが、人事については十人十色、情に流される人も圧倒的に多いは、自分の部署しか考えず「全社のことを考えて」といっても「それを抜かれちゃ仕事が出来ん」など、好きなことをのたまう人もいるはで、温厚なおじさんも偶にはドスを効かせて「それでは、あなたの部署には協力できませんよ」などと強面の表情を作ることだってあるのだ。4月になれば、新入社員が入ってきて、入社式、教育などでばたばたするし、来年度の採用面接が連日のごとく入ってきて、春は忙しい。
 こんな時期は、激しいフリー・ミュージック系やラディカル・トラッド系は敬遠して、表面的には優しいブルーズやブルーグラスを取り入れた少人数の室内楽が心の安らぎに繋がるかと思って、Tin Hat を取り上げることにした。それは、郷愁に満ちたメロディーを奏でることもあるが、良く聴いてみるとアヴァン・ギャルドな面もままあり、直接的に「心の平安」をもたらすような音楽ではないことが判った(前聞いてから相当時間が経っていたので・・・と言い訳)。

 このバンド、Sleepytime Gollira Museum 関連で聴き始めた。Tin Hat の創立メンバー、Mark Orton、Rob burger、Carla Kihlstedt のうち、Carla が Sleepytime のメンバーだったためで、これも Rotter's Paper さんのホーム・ページで知った。Rotter's さんのページではいろいろ教えて頂いて、当方の守備範囲も相当広がった、ただ感謝。
 Mark Orton のギター・バンジョー・マンドリン、Rob Burger のアコーディオン・オルガン・ピアノ、Carla Kihlstedt のヴァイオリン・ヴィオラが基本で、3枚目以降には、何曲かゲストが加わるという感じ。Mark Orton は、本人のページを見ると映像音楽からオーケストラまで幅広い仕事をこなす人のようで、アヴァン・ギャルドな音楽シーンで他に名前を見かけることは殆どない。Rob Burger は、John Zorn の Film Work の常連さんで馴染み深いし、Carla は、Sleepytime 以外でも、2 Foot Yard や The Book of Knots (これも Sleepytime の Matthias Bossi のバンド)などでも名前が入っているが、その他の録音を見ても相当忙しくお仕事をしているらしい。とういことでアヴァン・ギャルドの血は相当濃く流れているバンドには違いない。

a0248963_13592972.jpg 1997年の活動開始のようで、初アルバムは1999年の Memory Is An Elephant 。どうもこの題名意味が取り難い、記憶は象のように巨大だ、ということだろうか、それが何を意味するのだろう?全11曲のうち、8曲が Orton 作品、とういことで実質的なリーダーは Orton と考えても良いと思う。Orton の演奏は、どちらかと言うと後ろに回った、カッティング中心の演奏でそれゆえ聴き易いのだろう。楽器編成を見ても判るとおり、ノスタルジックな雰囲気が出せる組み合わせであるが、その中にすっとアヴァン・ギャルドな雰囲気を滑り込ませて来るのが彼らのやり方。例えば9曲目の冒頭、10曲目の中盤、11曲目のトイ・ピアノの独創で終わったかと思うと、その後に変な男声と妙なストリングスの組み合わせに嵐のエフェクト。その緊張感があるからこそ、シンプルな編成でも聴かせてしまえるのかも。
 もっとも、このアルバムと次作は、殆ど3人のみの演奏が主体となっているので、やや地味な印象は拭えない。音の取り方は、ストレートで変なエフェクトは一切掛けておらず、楽器の音が一つ一つはっきりと聴こえてくるのは好感が持てる。

a0248963_140293.jpg 2000年の Herium 。同じ Angel Lebel からのリリース、エンジェルはもともとクラッシクのレーベルのようで、こんなレコードを作るのは珍しいのかも知れない。
 前作よりも華やかに聴こえるのはどうした訳か。冒頭1曲目のバンジョーの音が入り、Burger の Marxophon (ツィターの一種)が華やかさを添え、2曲目も明るい感じで取っ付き易く、その後も割りにメロディーがかっちりした曲が多いか。そうして見ると、曲の並べ方も重要な要素ということなのかと思う。15曲目は、Tom Waits のヴォーカルをメインに据えた大所帯のトラック。これ以降のアルバムでも1曲2曲はヴォーカル曲を入れるようになる。アクセントになり、それはそれで良い。

a0248963_1402652.jpg 3枚目が、The Rodeo Eroded 、2002年作。レーベルは Rope a Dope に異動、もっともプロデューサーは、Hans Wendl で Angel 時代とは変わっていないが。
 ノスタルジックな印象が一段と強調されているような気がする。冒頭1曲目からその印象が強い、また5曲目は Willie Nelson がヴォーカルを取るトラックだが、これも一層その感を強くする。表題の意味が「ロデオ(荒馬乗り、馬に縄を掛けるのを見せること)が侵食される」みたいで、古いものが新しいものに侵され無くなっていくような感じなのだろう。
 そして、ゲストの導入、特に Bryan Smith のチューバが良い味を出していてよい、2曲目と4曲目に参加。その他にも、3曲目に Billy Martin のパーカッション、4曲目と13曲目に Jonathan Fishman のドラムと、アクセントとしての打楽器も効果的。1枚目2枚目よりもかなり聴き易くなった、聴かせる工夫をしているという感じがする。

 ということで、Tin Hat の前半終了。その後、メンバー・チェンジもあり、音楽性も多少は変化していくが、その分類不可能な音楽性は変化しないまま。良く聴くのが3枚目から5枚目当りということで、(いつになるか判りませんが)紹介の後編には乞うご期待。
[PR]
by ay0626 | 2012-03-03 09:36 | 音楽-その他