日常茶飯事とCDコレクション
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出ました! 13年ぶりの新作 ヘドニンガルナ (2)

a0248963_1101735.jpg 遂に出ました、13年ぶりの完全新作。Hedningarna の『&』、変な題名だがジャケットも全く変。変なおじさんが裸で吼えている、野蛮人とのグループ名がぴったりの感じ。
 Hedningarna の新作としては、フル・アルバムでは1999年の Karelia Visa 以来、2003年のベスト盤に2曲新録があったから、それからでも9年ぶりということになる。2000年にオリジナル・メンバーでパーカッション担当の Björn Tollin が抜け、その後 Magnus Stinnerbom (vl) と Christian Svensson (perc) が加入し、2009年の Totte Mattson のインタヴューでもこのメンバーで活動していく、みたいなことが書いてあったので、てっきりカルテットでの新作だと思っていた、ジャケット写真を見て3人しか写ってないなあ、と思いながら。聴いてみれば、やっぱりトリオでの演奏で、Mattson と Anders Norudde のオリジナル・メンバーに加え、Samuel Andersson (octave vl, etc)、メンバー・チェンジがあった模様。歌詞カードの3人の写真も ワイルドだぜぃ! という感じで良い。

 このアルバム、MP3 のデータとしては早くから発売されていたのだが、なかなか CD を売っているところがない。いろいろなCD販売サイトを見て、AMAZON の UK だけが販売していることが判った、勇躍注文したのは良かったのだが、数枚頼んだうちこのアルバムだけが何故かドイツからの発送になって、発送にも数日掛るし、到着までにもイギリスからの発送のものに比べ数日遅れる始末、最も聴きたいアルバムが最後に到着すると言う残念なことになった。現時点では、AMAZON のヨーロッパ・ストアはドイツ以外在庫はあるようだ。日本とアメリカにはまだ入って来ていない。

 内容は、何といってよいのか、聴き易くはなっている。民族パーカッションにかわりドラム(打ち込み)が導入されている曲が多く、そういう意味では最初の曲などロックだねえ、と素直に言えてしまいそうだが、やはりそこは Hedningarna 、アルバムが進むに従って土着的で濁りの多い擦弦楽器やフルート、バグ・パイプといつもの感じになってくる。
 今までと大幅に違う印象を与えるのは、ヴォーカル曲の多いこととそのふざけた変な(何度もこのフレーズ使っているな)男声の印象。スオミ合唱隊のような呪文的でドスの効いた神秘性みたいなものは全くなく、ある意味下品な感じが満開状態。これはこれで味わい深い(?)。
 曲は、Norudde と Andersson が5曲づつ、そして PHILEMON ARTHUR & THE DRUG のカヴァーが5曲。この PHILEMON ARTHUR & THE DRUG を Wiki で調べて見るとスエーデンの mysterious music group とある、ディスコグラフィーを見ても1971年に最初のアルバム、87年に2nd 、92年3rd、02年4th となっていて、正にそのペースは mysterious。PHILEMON ARTHUR & THE DRUG は1曲にゲスト参加、他に4曲パーカッションがゲスト参加している。

 ということで、久しぶりの Hedningarna、堪能しました。どうせならまたスオミ合唱隊入れてアルバム作ってくれないかな。
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by ay0626 | 2012-06-30 10:11 | radical-trad

90年代のベルギー・ミクスチャー X-レッグド・サリー

 今一番面白いのが政治のニュース。政権与党が割れるのか割れないのか、興味津々。2年前の宣言書など古文書と一緒、増税一直線にひた走るドジョウ首相の潔さ、厚顔無恥さには感動するしかなかったりして、何がこの人をここまで走らせるのか。日本の将来のため?高邁な精神だが税金上げる以外の話の曖昧模糊さは如何なものか。ヨーロッパは既にどの国もVATが20%まで上がっている現実を見ればそれはそうかととも思うが、あまりに税金ばかりが見えすぎる。
 反対派筆頭の元代表も、数の論理、金の論理が強すぎて、表向きの倫理観さえ感じられない。近頃じゃ奥さんに愛想尽かされて、達筆で達者な文章の手紙が雑誌に掲載される始末、あまりに昔の、田中角栄そのものみたいな行動原理が今の世の中でどう見られるか、なんてことは頭にない。政治家を世襲し、昔から取り巻きに囲まれた生活を送ってくれば、感覚がおかしくなるのは当然なのか。
 攻める方の元政権党も、ほんの十数年前は、攻撃の的としている元代表を幹事長に仕立て上げ、首相候補を呼びつけて愛想笑いをさせていた。合従連衡、離合集散が政界の常とはいえ、あまりにみっともない様相を呈しているではないか。
 この3年弱、何かが変わると期待していたのだが、友愛ボケの超ボンボン能天気さんや反対することは上手だが誰も付いてこなかった市民活動家上がりさんの最愚首相を続けて見させられれば、誰もが政治自体に不信感を抱いても仕方がない。所詮政界なぞ世襲と大衆迎合の『自分が、自分が』さんばかりの集まりと判ってしまえば、それまでのこと。
 政党の名前こそ新しくなっても、そこにいるプレイヤーさん達は昔の仲間、また野合的に直ぐ仲良くなる機会が来る、昨日の敵は今日の友。

 アンダーグラウンドな音楽シーンでも同じようなもので、世界が狭すぎるのか、新しいグループかと見ればメンバーは昔どこぞで見た人ばっかり、なんていうことも良くあることで。RIO の流れは特にその傾向が強く、中心の何人かが旧知のメンバーを募って新たなバンドを組む、昔音楽性の違いで分かれたはずだったのに。ベルギーの RIO バンドでは Univers Zero と Present は別格だが、この2つのバンドの活動が衰えた90年代半ばに登場したのが X-Legged Sally 。ベルギーというヨーロッパの小国、それもマイナー・ミュージックの世界の話、音楽性こそ違えどこかで見たような名前がごろごろ出てくる、それ故か Prog.archive というプログレ・ロックの有名サイトでも RIO/Avan-Rock に分類されている。RIO 系の音とは随分違うようにも思うのだが。

 X-Legged Sally は1988年に結成された7名ほどの、言ってみればパンク・プログレ・ジャズとでも呼ぶべき音楽性を持ったバンド、RIO 系によくある頭でっかち感がない、変ではあるがノリの良い明るさ、ユーモアを感じさせる音楽、最初の2枚のアルバムのプロデュースが Bill Laswell であることで判る。

a0248963_22503944.jpg 最初のアルバムが Slow Up 、1991年の発表。ギターの Pierre Vervloesem 、クラリネット/サックスの Peter Vermeersch が中心となり(作曲は殆どが Vermeersch によるもの)、Jean-Luc Plouvier (kbd)、Michel Mast (sax)、Danny Van Hoeck (dr)、Eric Sleichim (sax)、Bruno Deneuter (b) にダンスの Sally C.S. の構成。このうち Jean-Luc Plouvier は、Uzed 、Heat Wave 期の Univers Zero のメンバー。
 このバンド、ダンスの伴奏音楽を手掛けており、その舞踏家 Wim Vandekeybus に同行してニューヨークに渡り、あの Knitteing Factory に出演、それが縁で Bill Laswell がプロデュースすることになったようだ。当時、ファンク的な要素の入ったバンドが人気を博しつつあったころで(例えば、Curlew や Doctor Nerve 、日本でも ティポグラフィカやイル・ベルリオーネなど)、その流れの中で最も話題となったグループと言えるだろう。曲のバラエティー、音色の豊かさ、アンサンブルの決まり具合とも良い。特にギターの変幻自在ぶりはなかなかのもの。67分の長尺作品を一気に聴かせるだけのメリハリと演奏力は大したもの。

a0248963_225129.jpg 2nd が Killed by Charity 、1993年の発表。いきなり『コケコッコ~』と始まる1曲目からパワー全開状態。なかなか腹に来る太いベースとギターに先導される曲が多いが、サックスやクラリネットのソロも聴かれ、そのソロにフリー・ジャズのようなフリーキーな音はない。全体に短い曲が多く、15曲も詰め込まれている割には47分と1st に比べ短くなっている。
 メンバーは、ベースが Paul Belgrado 、サックスの Eric Sleichim が抜けトランペットの Bart Maris が加わっている。トランペットの突き抜け具合と時折入るピアノが良い味を出している。
 やはり、Peter Vermeersch の作曲家としての実力があるからであろう(舞踏伴奏、演劇音楽、映画音楽、純粋音楽など様々なジャンルに作品がある)、曲の良さは(特に11曲目から13曲目に掛けての展開)このグループの特筆すべき点だと思う。

a0248963_22512289.jpg 3rd 、Eggs and Ashes、1994年。このアルバムはWim Vandekeybus の舞踏伴奏音楽を集めたもの。メンバーは、Jean-Luc Plouvier が Peter Vandenberghe に交替している。また5曲目には、Univers Zero の Heat Wave でギターを担当した Michel Deloy がゲストとして加わっている。
 全体的には、声のコラージュを含めて現代音楽風の部分が多い。1曲目からして、まともなヴォーカル曲が徐々に崩れてフリー風な感じになるとか、2曲目も殆ど打ち込みのノイズからスポークン・ワード風のヴォーカル、と1st 2nd とはちょっと違う。4曲目の出だしもノイズ風、展開もフリー。5曲目は1stにも収録された変拍子の民族音楽風の曲。最終曲は17分にも及ぶ長尺曲で現代音楽的な感じが強い。58分、やや胃に凭れる(?)か、十分満足。

 案外90年代って案外面白い音楽が多かったんだね、と改めて思った次第。これも、CD棚からサルベージして来て、再度聴き出したグループのひとつ。初めて聴いたときよりもずっと面白く感じるのはどういうことなんだろうか、寛容になったせい?許容範囲の広がったせい?まあ、どっちでも構わない、聴いて楽しい音楽が多ければ、それでOK。
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by ay0626 | 2012-06-23 20:10 | rock

今度は本当! 爆走リズム+強迫コーラス マグマ (2)

 何気なく Amazon の Magma のページを見ていたら、見たこともない題名のCDが6月に発売・予約受付中と書いてあった、その題名は『Félicité Thösz』。いつも通り e や o の上に点々多数の何と読むのか判らない文字が躍っている。前作の『Ëmëhntëhtt-Ré』が2009年のリリースだったので順当な新譜発表のインターヴァルかとも思うが、何しろ Christian Vander も64歳、次があるのかといえばうーんと唸ってしまう。戦後世代は、日本でもそうだが世の発展と共に暴れ捲くって経済成長の実感を一番享受した世代、羨ましいのと同時にそのヴァイタリティーにはいたく感服してしまうのである。

 Magma を聴き始めたのは90年代半ば、96年頃からエレクトリック・バンド・スタイルでの活動を再開した、その頃。入手が難しかった数々の作品が再び流通し出したこともあって、聴いてみようかということになった。最初に聴いたのはたしか M.D.K、あまり相性は良くなかった、というのも Magma はメロディーが殆ど無いリフ中心の演奏に加え、声が主体。当時は、ヴォーカルの入り音楽は殆ど手が出ない状態だったので、なんじゃ こりゃ という感じ。絶対好きになる音楽ではない、ということでお蔵入り、中古品で安い出物があれば買ってはいたが、どれも盤面検査の意味で1~2回聴けばコレクション・ボックスに入って永い眠りに付くのであった。
 それが、2002年の来日公演を見て変わったのである。非常に複雑でスピードのある曲を一糸乱れぬアンサンブルで演奏する、こいつらどれだけ練習しているのか知らん、などといたく感激し、じっくり腰を落ち着けて何枚か聴いていると、そのうちに深みに嵌っていく。ある音楽を好きになる、というのには何かきっかけが必要で、そうしたきっかけがなかった音楽というのはもともと縁がなかったのだとも思う。

 Magma は、Coltrane の精神性だとか、Kobaïa語やそれによって語られる物語だとか、そうした神秘性みたいなものが付いて回るが、自分には音楽の構成や演奏が全てであって、『呪われし地球人たちへ』みたいなメッセージはコケ脅かし以外の何者にも見えない。音楽は音楽にだけ語らせよ、これが全て。Magma だって Merci では Kobaïa を捨てたではないか。

 ということで、ついに爆走リズム+強迫コーラスの Magma の出番。Magma のように大袈裟な音楽は「聴くぞ!」と気合いを入れないとなかなか聴けない。

a0248963_14443324.gif 先ずは、1973年 Mekanïk Destruktïw Kommandöh 。いくつかの楽章には分かれているが、実質1曲。Theusz Hamtaahk 3部作の第3楽章ということだが、聴く分にはあまり関係がない(この3部作、第1楽章が最後に出来て、3楽章全部を通して演奏されるのは2001年リリースのライヴまで待たなければならない)。
 このときの録音メンバーは Christian Vander (ds,vo,organ,perc)、Jannick Top (b)、Klaus Blasquiz (vo,perc)、Jean-Luc Manderlier (p,organ)、René Garber (b-cl,vo)、Claude Olmos (g)、Stella Vander (vo)、Muriel Streisfield (vo)、Evelyne Razymovski (vo)、Michele Saulnier (vo)、Doris Reinhardt (vo)、Teddy Lasry (brass,fl)。かなりの大所帯だが、ギターだのバスクラだのは全く印象に残らない、残るのはコーラスとドラムとベース。特に腹にずっしりと来る Janik Top のベースは凄いの一言。Magma の特徴はリズムの重さにある、Vander のドラムは硬い音を出すためか、膜を強く張ってあるような気がする、その分ベースが地に足を付かせるために太い重い音を出さなければならない訳だ。Top にしろ、後任の Bernard Paganotti にしろ、その役目を十分に果たしている。
 38分弱、聴き通すとちょっと疲れる。

a0248963_14451641.gif 次が74年の Ẁurdah Ïtah 。「トリスタンとイゾルデ」という映画のサウンド・トラックということで、最初は Christian Vander の名義でリリースされたが、89年に再発されたときに Magma ロゴを全面に打ち出し、晴れて(?) Magma のアルバムに仲間入りしたのである。録音メンバーは Christian 、Top 、Blasquiz、Stella の4名のみ。これは、海賊盤が出そうだということで、満足とはいかないものの早く正規盤を出そうとの意図があったとか。全体的に演奏がしょぼく、M.D.K に比べると音圧、コーラスとも迫力不足の感は否めない。
 Theusz Hamtaahk 3部作の第2楽章に相当する。

a0248963_14453873.gif そして同じ74年、Köhntarkösz 。前2作とは異なる物語系統になるという本作は、2004年作の K.A. (Kohntarkosz Anteria) や 2009年の Ëmëhntëhtt-Ré と関係があるそうな、出来損ないのファンタジーにはあんまり興味はないけれど。
 ドラムとオルガン、Blasquiz のヴォーカルで幕を開けリフの繰り返しによって盛り上がっていく重量感たっぷりの、Stella のスキャットも良い、ギターも珍しく暴れ捲くる(後半9分過ぎ)、30分にも及ぶ Köhntarkösz 、Top 作曲の地を這うようなチェロ、コーラスが不気味さ満開の Ork Alarm 、ひたすらピアノが美しい Coltrane Sündïa とヴァラエティーもあり、聴き応えのある作品になっている。録音メンバーは Christian 、Top、Blasquiz、Gerard Bikialo (p,organ)、Michel Graillier (p, clavinet)、Stella、Brian Godding (g)。中心の4人以外のメンバーは流動的だったようだ。

 上記が正規のアルバムで、後にカタログに加えられたのが以下の2作。

a0248963_1446032.gif Magma 名義ではないが、Mekanïk Destruktïw Kommandöh 録音時にマナー・スタジオでテープを回しっぱなしにして採られた録音が Document 1973 。録音メンバーは、Christian、Top、Blasquiz、Rene Garber の4名。音楽をやっている感じではなく、よくこの録音を世に出したなあ、と思う。余程の Magma 信者でない限りは聴く価値はありません、え?何でお前、こんなもの持ってるんだ、と言われれば、コレクターですから(加えて中古で格安だったから)と答えるよりありません。

a0248963_14461985.gif そして89年初出の73年録音 Mekanïk Kommandöh 。M.D.K の初期ヴァージョン。全体的にアコースティクな感じが強く出ている。メンバーは Christian、Jean Pierre Lambert (b)、Blasquiz、Jean Luc Manderlier (p)、Rene Garber (b-cl,vo)、Stella 、Choirs De La Stochhaus (cho)。やっぱりベースの感じはかなり違う、Top の個性は凄いということか。

 この後は、ライヴ・アルバムが充実した時期になる(というより海賊盤対策か)。Magma 聴くのはかなり疲れるので、次は何時書けるか、トゥールーズやオペラ・ドゥ・ランスのライヴなど聴けばぐったりだからなあ。
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by ay0626 | 2012-06-17 12:55 | rock

70年代後半、ヴァージンをクビになった後の ヘンリー・カウ (2)

 木曜日に久々、ライヴを見に行ってきた。The Artaud Beats という、Geoff Leigh(computer,fl,vo)、Yumi Hara Cawkwell(key.vo)、Chris Cutler(ds)、John Greaves(b,key,vo) から成るカルテット。Chris Cutler も John Greaves も聴き始めてから30年以上経つのにご尊顔を拝んだことがなかったので、1年何ヶ月振りにライヴ・ハウスに足を運んだのであった。会場に入ると、やっぱり観客の年齢層は相当高め、Crimson や Yes だのの名前が会話の端々に聴こえる、その世代のおじさんが集まった感じ。客の入りは30名から40名程度といったところか。
 演奏者も舞台のそばで、まったりとビールなんか飲んで、不良老人の雰囲気を濃厚に醸し出している。Geoff は1945年生まれの67歳、Chris は47年生まれの65歳、John は50年生まれの62歳だから、老人というにはちょっと可哀想か、老年に片足を突っ込んだというべきか。このなかで、Chris が最も端正かつまともそうに見えた、Henry Cow 40周年記念Box Set のDVDに映っている面貌と大きく変わらず(変わったのは、髪が後退し一層額が広くなったことと頭の後ろが相当薄くなったことくらい)、体つきもスリムだ。
 開演時間を15分か20分過ぎた頃、 Yumi Hara CawkwellさんのMCで「スタートは John Greaves のソロ、ピアノの弾き語りから」、John がおもむろにピアノの椅子に座り、ライヴが始まった。John は赤ら顔の大きな体つきで、ピアノ演奏が窮屈そうな感じ。朗々とした渋い声での弾き語りは、期待していたものとは違っていたが(やはりアヴァンギャルドなインプロを期待しますよね?)それなりには楽しめた。途中、フランス語での1曲もあり、ソロのラストは Geoff のフルート入りの How Beautiful You Are 。この曲は、John のソロ名義の Parrot Fashons に入っていたバラードで何故かよく覚えていた、さびの部分などつい口ずさんでしまったくらい。全部で30~40分程度の演奏。
 2部は、カルテットでの演奏。Geoff はコンピュータを中心にフルートや縦笛を吹くのだが、サックスは全く演奏せず(持ってきてもいない)。特筆すべきは、やはり Chris のドラム、数種類のスティックやブラッシュを使い分け、色の付いた(全体の半分が赤、先端が光沢のある青の)スティックを操る姿は、求道者的面貌と相まって千手観音のように見えた(ちょっと言い過ぎか)。それでも、手数の多さは凄いとしか言いようもない。John は、危ないオヤジそのものでベースをかき鳴らす。やや、ピアノのお姐さんが単調な感じもしたが、十分に楽しめる演奏であった。1時間15分程度の演奏時間だったと思うが、あっという間だった感じ。

 若い頃は、ポップかシリアスか、作曲か即興か、共産主義化か享楽主義か、など数々のたいしたことのない違いで分かれたりくっついたりしたミュージシャンたちも、60歳を超えてくれば恩讐の彼方、昔の仲間との地を丸出しにした音楽を演奏することになる、ということか。

 ということで、Henry Cow の2回目。
 
a0248963_1258188.jpg 1976年の Concerts 。Disk1の殆どが作曲作品(Track 9、10を除く)で、特に Track1~5のBBCライヴ(75年8月)が音質、演奏とも良い。Dagmar Krause の声はあくまでも伸びやかかつ艶やかで、演奏も決まっている。
 Track6、7は、Robert Wyatt が加わった75年5月の演奏、この頃 Wyatt は Cow のことを最も好きなバンドだと言っていたようだが、自分の思想と共鳴する部分があったからか、それとも音楽の方向性が同じであったためか。録音があまり良くないのが残念だが Little Red Riding Hood Hits the Road が聴けるのは嬉しい。
 Track8『Ruins』は、言わずと知れた2ndからの曲、Disk2のTrack12と同日の75年10月イタリアでの録音。Track9、10は74年9月のオランダでの録音、インプロヴィゼーション。ロックのインプロヴィゼーションは映像が付いているならそれなりに楽しめるが、音だけだとちょっときつい。ジャズだと気分よく聴けるのに、どうしてだろう。Disk2は全部がインプロなので、Disk1に比べると格段に聴く回数が少ない。特に、Track9~11の73年のライヴ(この部分はCD化に際して加えられたもの、Greasy Truckers Live at Dingwalls Dance Hall という1974年のアルバムから、それまでは入手が困難なことで有名であった)は、なかなか聴くに根性がいる。
 このアルバムを最後に John Greaves はバンドを離れ、捻くれポップ路線を Peter Blegvad と共に邁進し、Kew Rhone という傑作を初めとする数々のアルバムを残す。

a0248963_12583857.jpg そして最終作が 1979年(78年7~8月録音)の Western Culture 。赤い鎌と槌の付いたジャケット、裏は 'Culture' と書かれた紙幣が舞う、という主義丸出しのもの、当時は音楽を聴くにも額に縦皺を入れなきゃならなかった、今となっては笑うしかないよね。
 この頃の Cow は音楽路線に(主義主張にも)違いが出てきて、分裂致し方なしという状態。78年1月に録音された Hopes and Fears は、Cow の名義で発表する予定だったらしいが、小品が全て歌物という構成に Tim Hodgkinson からクレームが付き、Frith と Cutler が権利を買い取り、Art Bears 名義としたもの。一方の器楽派が中心となったのが本作で、LP でいえば A面が Hodgkinson の作品、B面が Cooper の作品となっている。この2作、雰囲気がまるで違う、同じバンドの作品とは到底思えないほど。
 そうしたバンド内の雰囲気もあったためか、本作は非常に緊張感を持ったタイトかつ硬派な演奏が繰り広げられ、世評もそうだが Cow の最高傑作ではないかと思う。しかし、Hodgkinson は本作をそんなに評価しておらず「根性のない演奏」とか言っているそうだ。Annemarie Roelofs がヴァイオリンとトロンボーンで全面参加(Track7以降を除く)、1曲のみジャズピアニスト Irène Schweizer が参加。フリー・ジャズ人脈にも繋がりがあったことが判る。

a0248963_1259170.jpga0248963_12592025.jpg 最後に The 40th Anniversary Henry Cow Box Set 。10枚にも及ぶ膨大なアーカイヴ。Chris Cutler の自己言及癖ここに極まれリ的な至れり尽くせりの作品集で、音の面でも Bob Drake の偏執的なマスタリングで相当聴けるものにはなっているが、いかんせん量が多すぎる。またインプロ部分も多く長時間聴くことも辛い、ということで購入以来、数回しか聴いていないのが現実。
 このボックス・セットが発売されるということでReR に予約を入れた、送料込みで100ポンドという安さで、先行して発売された Stockholm & Göteborg も直ぐに送付されるという親切さ。予約者のみの特典CDには自分の名前と『512/750』とのナンバリングが書かれている。丁度、本作が送付されクレジット・カードからの引き落としがある頃がポンドの最安値だったので、お徳感があったことを覚えている。
 10枚目は DVD で、76年スイスでの収録。Dagmar はそれほどでもないが(失礼!)、Lindsay Cooper 、Georgie Born はなかなか美しい。特にLindsay は凛とした主義主張を確り持っている感じで、お付き合いしたいとは思わないが、良い。しかしながら、映っている場面が少ない、あまりに少なすぎる!Frith や Hodgkinson など映っている時間を半分にしてよいから、Lindsay を・・・と思うのは自分だけだろうか。

 近頃、聴かなくなってしまってあるCDを引っ張り出してきてまた聴く、ということをやっている(以前書いた通り)。Henry Cow 一派を聴く機会も随分多くなった。各人のソロ作や後継グループの作品も紹介できたら、と思う。
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by ay0626 | 2012-06-16 08:52 | rock

70年代中盤、絶頂期 ジェントル・ジャイアント (2)

 昨日は、20度をやっと超えるような気温でかなり肌寒い感じであったが、今日は太陽が燦燦と輝き、それに連れて気温も鰻上り、真夏日になったんじゃないか。しかしまだ、空気はそれほどの湿気を含んでおらず、T シャツ一枚で寝転んでいると、ちょっと涼し過ぎるときもある。
 二十四節季でいえば芒種が5日だから、次は夏至。もう夏に向かって一直線と言ったところで、今日ちょっと外出した時、道に植えられているポプラの葉をみれば、緑が目に痛いくらいだった。そういえば、会社には電車に乗って通っているのだが、途中に麦畑があって、先週・先々週あたりは穂が茶色く実り、麦秋と言う言葉を思い出した。麦秋というのは夏の季語だと習った覚えがある。何日か前には梅雨に入ったし、これからじめじめした季節が来る訳だ。
 ヨーロッパでは、6月というのは1年で一番良い季節のようで、日本より高緯度のため、昼が極端に長くなる。何年か前に出張で6月にドイツに行ったことがあり、そのとき夜の9時近くまで明るかったことを覚えている。ジューン・ブライドというのはこんな気持ちのいい季節に結婚できて幸せだね、ということではなく、ジューンの語源となったローマ神話の女神 Juno によるものらしい。Juno は、主神 Jupiter (ユピテルとも、木星の名前もこれですね)の嫁で、結婚生活の守護神とされていて、その加護のため6月の花嫁は幸せになれるのだそうな。日本で6月に結婚式をするのは、余程西洋かぶれした(そのくせ本来の意味は判らない)バカ・カップルくらいのものでしょうな。
 6月は、水無月とも呼ばれるが、梅雨の時期に水無月とはこれいかん。水無月は旧暦の6月で、今年でいえば旧の6月は7月19日から始まるので、梅雨も明けて晴天が続く頃となる訳だ。

 ヨーロッパの6月は非常に良い季節、正に1年のうちの絶頂期と言う訳で、Gentle Giant の2回目、73年の In a Glass House から76年の Interview までの4枚。絶頂期というだけあって、どれも出来が良い、どのアルバムもマリンバやヴァイブラフォンが効果的に使われており、ひょっとしたら Gentle Giant を特徴付けるのは、歯切れの良いこれらの音だったりして。

a0248963_17371440.jpg 73年の In a Glass House 。モノクロのネガを使ったジャケットの美しいこと。CD だとごちゃごちゃして判りにくいが、LP サイズだとやはり大きいので、透明フィルムを使って中袋と連動させたアイデアが素晴らしいのがはっきりする。通常のロック楽器を持った写真と、アコーステック楽器を手にした写真を重ね合わせることで、彼らの演奏の特徴を表している。
 演奏は、Phil の抜けた穴を埋めるべく、Minnear 君がかなり頑張っている。楽曲のバラエティーも申し分なく、最初の The Runaway など7分程度の曲にこれでもか、と言うほどのアイデアが詰め込まれている。リコーダーの効果的な使い方、終盤のマリンバのソロなどはいうまでもなく、Derek と Kerry のヴォーカル部分の使い分け、そのときのバックの演奏とのマッチングなど、さらっと聴いてしまっては勿体無いくらいだ。捕らえどころのないコーラスで組み立てられた An Inmates Lullaby、パワー溢れる Way of Life、Kerry のヴォーカルとパーカッションが印象的で繊細な曲調から一転 Derek の強烈なヴォーカルが入る Experience、弦とアコーステック・ギターに柔らかな Kerry のヴォーカルが印象的な A Reunion 、 最終曲のやはり弦とアコーステック・ギターに先導され珍しくサックスの音まで入った In a Glass House まで、一気に聴かせてしまう。
 これが最初に日本で発売された Gentle Giant の作品で、ジャケットの感じなど日本人の好みかと思うが、残念ながら Gentle Giant には幻想性や暗さや哀愁に満ちたメロディーがないのであまり受けなかったのである。アメリカでも本作は発売されなかったと言うことだ。

a0248963_17373482.jpg 74年の Power and the Glory 。厳しいおっさん、いや王様のジャケットはちょっとどうかと思うが、内容もジャケットに劣らずパワーに溢れる出来、Gentle Giant のアルバムのうち最も力で押すタイプの作品。カラオケじゃ絶対に歌えそうもない Proclamation から始まり、サックスと弦に先導され神妙に始まったかと思えばまたまた Derek の乱入がある So Sincere 、エレキ・ピアノの伴奏で Kerry のヴォーカルが映える Aspiration 、パーカッションが奇妙なリズムを刻みベースのずっしりとした音が快い Playing the Game 、変拍子全開の Cogs in Cogs 、複雑なコーラスの入った No Gods a Man 、ヴァイオリンとエレキ・ギターが忙しく動き回る The Face 、へヴィーなロック・ナンバー Valedictory まで。最後にボーナス・トラックとしてシングルで発売された The Power & the Glory が入る(アルバム・タイトル曲がアルバムに入らないのは不思議ではあるが)。

a0248963_17375425.jpg 75年の Free Hand 。楽曲の出来、曲のヴァラエティー、ノリの良さ、どの点をとってもこの時期の作品のうちでは最高といっていいのではないか。例えば Just the Same や Free Hand 、Time to Kill を聴けばロックとしてのパワーも十分だし、On the Reflection の複雑なコーラス・ワークは行き着くところまでいってしまった感じだし。中でも白眉なのが His Last Voyage 、ヴァイブラフォンとエレキ・ギター、ベースのトリオからアコーステック・ギターと共に Kerry のヴォーカルが立ち上がり、そこにまたコーラスが被る複雑さの極みとの美しさの共存。小品ながらリコーダーとハープシコードの印象的な Talybont 。そして、ヴァイオリンとアコーステック・ギターに先導されながら、Derek のヴォーカルでパワフルな感じが全面に出る Mobile まで、凄いなあと嘆息してしまう。一聴、さらっとした感じだが、よく聴いてみると、アイデアぎっしり、超絶技巧ありまくり。能ある鷹は爪隠す、じゃないけれど、複雑さをさらりと表現して見せるのも才能のうちか。

a0248963_17381275.jpg 76年の Interview 。非常にギクシャクとしたリズムを持つ Interview から始まり、本作中最も印象に残るレゲエのリズムを取り入れたちょっと変わった感じ(一本弦の変な楽器を Derek が弾いているのをDVDで見た)の Get It Back 、打楽器が加わった(途中打楽器の合奏もある)コーラス主体の Design 、パワー変拍子とでも言うべき Another Show 、アコースティックとヘヴィー系の交錯する Empty City 、へヴィー系で途中ヴァイオリンのソロもある Timing 、題名からみても危ないクスリのことを歌っているのだろうなと思われる最終曲、アコースティック・ギターとリコーダーで奏でられる奇妙なメロディーからノリの良い Derek のヴォーカルに繋がっていく I Lost My Head まで7曲。

 全体では、パワー変拍子系、複雑コーラス系、静と動の対比系くらいのパターンに分けられそうな感じなのだが、それがアルバムの中に上手い具合に収まっているため、全体を一気に聞かせてしまうのであろう、続けて聴けばパターンも判るが。
 この次は、やっぱりポップ化の波に飲まれていく、ちょっと可哀相な末路まで。ライヴやDVDについても書きたいことがありますんで、もう少しお付き合いを。
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by ay0626 | 2012-06-10 15:39 | rock

申し訳ない、で済めば警察はいらん ウェザー・リポート

 Weather Report について、今まで、さんざん悪口めいたことを書いておきながら、ここで「申し訳ない、やっぱり素晴らしい」なんぞと書けば、当然「申し訳ない、で済めば警察はいらん」といわれそうだ。
 だけど、このブログを綴り出して、そういえば、あの人のCDもあったはずだ、とCDを仕舞った箱を引っ張りだしてきて、ここだったかあそこだったか苦戦しながら、時には埃を被って背文字が読めなくなっていて、それをティッシュで拭きながら探し出し、もう一度新たな気分で聴き直すと買った当時の印象とまるで違うことがあり、それはそれでもうひとつの楽しみとなっている。そんなことを何週間に一度は行っている。CDを新たに買うわけじゃないので、財布にも優しいしね。しかし、そうしたコレクションは聴かなくなった段階でストップしており、その後の新譜群を買わなければならないような事態にも陥るわけだ。

 Weather Report は、大学に入ったころは凄い人気で、何度も書いたがジャズ喫茶に行くと(硬派の店以外は)1日に数回は掛っていたのではないだろうか。ロック少年であった高校時代、それが大学生になって音楽的にちょっと背伸びをしてみたい、となればジャズに辿り着くことは明白だが、ジャズのアドリブを本当に楽しめるようになるには、ちょっとの我慢の期間が必要だ。その点、ジャズと言ってもメロディーが確りしており、印象的なフレーズの多い Weather Report などは格好の入門編だった訳だ。Weather Report から自然にメイン・ストリームに行けば良かったものの、自分の場合、平行して Cecil Taylor だの Albert Ayler だのを聴くというなんとも変なことをしていたので、心が捩れちまったのかも知れない。
 Weather Report は、確か1978年、黄金のカルテット時代に来日した。このときに大阪まで仲間と見に行った。当時は京都に住んでいたので、大阪なぞほんの目と鼻の先、コンサートの後、友人に連れられ安い寿司屋で寿司を鱈腹食った覚えがある。肝心のステージがどうであったか、と言うと記憶が曖昧、ステージの上に豪く沢山の機械類が置いてあるなあ、との印象があるくらい。曲目で言えば、Birdland と A Remark You Made くらいはやったことは覚えているが・・・その程度のもの。Evan Parker や Kang Tae Hwan などのフリー系統のコンサートはかなりはっきり覚えているのになあ。

 今回、聴きなおして見てびっくりしたのは、1st Weather Report や Mysterious Traveller、Black Market 、Heavy Weather など細部に亘るまではっきりと覚えていたこと。リズムが単調すぎると思った Sweetnighter も、駄作だなあ、との印象であまり聴かなかった感じの Mr. Gone も、次がどんな展開なのか、口すさむことができたのである。当時はそう貧乏していた訳ではないが、かといって(今のように)興味がわいた物を直ぐ買ってしまうほどの余裕はなく、必然的にアルバム1枚の聴取回数も今よりも格段に多かったのだろう。
 現在のように、面白い音楽が山のようにあり、それがちょっとの努力で簡単に手に入るようになると、余程面白い作品でも月に数回聴けばよいほうになってしまう。ちょっとこれはどうも、という印象の作品だと一度聴いてコレクション・ボックスに入りっぱなし、ということもあるわけだ。作品を作った人に失礼だし、もう少し時間を作ってゆっくりと聴こうとも思うのだが、なかなかままにならない。ウォークマンで聴くのを再開しようか、とも思うのだが、やっぱりイヤフォンの感じが嫌で・・・難しいところ。

 ということで、Weather Report 。有名すぎるので自分の書くことなど少ないと思うが、それでも無駄話を交えてなんとか。

a0248963_14481766.jpg 1st Weather Report 、1971年作品。友人が Heavy Weather と Black Market を買って、その部屋に入り浸ってこの2枚はよく聴いた、その友人だったか自分だったか忘れたが、その次に買って聴いたのがこの1st。この頃は、まだ完全にジャズで、キーボードもエレピのみ。特に Eurydice などは典型的な4ビート。明るいのか暗いのか良く判らないアルバムで、Morning Lake など鳥の鳴き声入りの爽やかな作品だが、Umbrella や Seventh Arrow などは攻撃的なイメージだし、Tears や Eurydice は幻想的というか、不可思議な印象である。全体的にはパーカッションが効いていて、若干の色彩付けと躍動感を与えている。
 この頃のMiles Davis の作品はどれも長尺で、ライヴは垂れ流しの印象も強かったと聞く(実際、所持している Cellar Door のライヴセッションでもそれは感じる)。それに比べれば、コンパクトに上手く纏まっているように思う。40分、あっという間だ。
 なお、クレジットには、パーカッショニストとして Airto Moreira しか名前が挙がっていないが、実際には Barbara Burton 、Don Alias も演奏には加わっていたらしい。

a0248963_14483417.jpg 2nd I Sing the Body Electric 、1972年作品。このアルバムは当時はあまり聴かなかった。というのも友人が誰も買わなかったためだ。限りあるお金を有効に使おうとすれば、必然的に世評の高い盤を買おうということになる、やっぱり「名盤」に目が行くのだ。ということでなかなか当時は聴く機会が少なかったこのアルバム、しかしLP で言えばA面は超傑作と言ってよい(少なくとも自分にとっては)、特に最初の Unknown Soldier 、カラフルなフリー・ミュージックとでもいえば良いのか、イングリッシュ・ホルン、フルート、トランペットと管を増強し、コーラス隊3名を加えて、それでもすっきりした演奏に纏め上げられている。ふわふわとしたあるのかないのか判然としないメロディー・ラインは、しかし天上まで連れて行ってくれるかのようだ、永遠に聴いていたい。
 2曲目の Moors もミステリアスな Ralph Towner のギターに導かれてフリーっぽい展開となるし、他の2曲も一癖、二癖ある感じだ。LP B面に東京でのライヴの編集なぞ入れずに、A面と同じような感じで纏めて欲しかったという感じ。

a0248963_14502213.jpg 同年、日本でのみ発売されたのが Live in Tokyo 。日本人は加工してないものを喜ぶというか(刺身など自分にとっては旨いとは思えないのだが、世の中には刺身好きの人のほうが余程多いようで)、このアルバムも無編集ということが売りになっている。そういえば Miles Davis の日本でのライヴ Agharta 、Pangaea の2枚も無編集の「超名盤」ということになっているが、自分で聴いて見るとどの盤にもやはり垂れ流しの部分があるように思われ、最小限の編集くらいはあっても良かったのではないかと思う。貴重なドキュメントではあるが。

a0248963_14491028.jpg 3rd Sweetnighter 、1973年作品。この頃からリズムが強調されていく。ちょうど Miles Davis も On the Corner の頃、やっぱり師匠と同じ方向を見ていたのだろうか。
 非常に単調なドラムに先導され、細かいカラフルなパーカッション群が乱舞する中、同じようなメロディーが繰り返し繰り返し現れ、だんだん高揚していく。LP A面1曲目の Boogie Woogie Waltz も B面1曲目の 125th Street Congress も同様な構成だ。
 Miroslav Vitous はやりたくもないファンク・リズムをやらされて、最後の曲 Non-Stop Home では、ついにベースの位置をゲストの Andrew White Ⅲに取られてしまう。次作での Al Johnson との交代が予告されているかのようだ。それでも、Vitous の作品 Will のエレベでのメロディー演奏は心に残る。
 このアルバムは好きなほうで、特に Murga ~ Don Un Romao の煌くパーカッション、単調にそれでも正確なリズムを刻むドラムが良い。

 聴き直した感じがあまりに良かったので、ついでに「Live & Unreleased」、「Live in Berlin 1975」、「Live in Offenbach 1978」、「Live in Cologne 1983」まで買ってしまった。なんて浅はかというか乗り易いというのいうのか、自分でもどうもねえ。

 そういえば、Hedningarna 13年振りの新作(!)が出るとか、Alamaailman Vasarat や Niyaz の新作が出るとか、楽しい話題が一杯あってどきどきしています。コレクター魂が疼きます。 
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by ay0626 | 2012-06-09 12:34 | jazz

デビューから Spiritual Unity までの アルバート・アイラー (2)

 先週・先々週で3冊読了。2冊は牧野修さんの「死んだ女は歩かない 2」「同 3」、そして島田裕巳氏の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」。【ネタバレあり】牧野さんの作品は、今回はツボに嵌りまくり、いつもなら魅力的キャラクターを惜しげもなく殺しまくるのに今回は●谷以外は全員生き残りのハッピーエンド、強い女の魅力爆発と言ったところ。●ン元所長も中年男の哀愁と正義感を振りまいてカッコいい。【ネタバレ終わり】島田氏に教えて貰ったのは、浄土宗と浄土真宗の違い、今までよく理解できていなかったのだが、納得のいく形で腹に落ちた。そして72ページの「草木国土悉皆成仏」という文句から日本人の無宗教について、「戒律も必要なく、さらには仏教の教えそのものさえ意味をなさない」とし「宗教そのものの存在意義を否定することにも結びついていく」との考え方には大いに共鳴した。

 昔、昔も大昔、初めて芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだとき、幼心に思ったことは「お釈迦様はなんて酷い人(?)なんだろう」。昔から捻くれていたのかもしれないが、そう思ったのである。それは、釈迦が、ずっと苦しんできた人に対し寛容の心を持てということが出来ないのを判らなかったこと(判っているけれど原理主義的な対応を取ったこと、かもしれない)、再び地獄に落ちていくカンダタに対し『悲しそうな御顔』程度の対応しかしかなかったこと、この2点。当時、ここまで整理できていたとは思わないが、今でもこういう思いに囚われたことは記憶に残っている。
 死ぬほど辛い責めにいたぶられた人が、一縷の希望を蜘蛛の糸に見出した、大勢の人が登ってくれば切れてしまうのは火を見るより明らかだ。そのときに「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」といったのは当然の理であって(唯一引っかかるとすれば『罪人ども』という言葉だけ、自分も罪人)、なにもおかしなことはない。カルネアディスの舟板みたいなものじゃないか、何がいけないんだ。カンダタは今まで以上の絶望感に打ちひしがれるはずだ、それも「慈悲の心がない言葉を吐いたから地獄に逆戻りした」などとは認識できず、やはり「馬鹿が大勢登ってきたからだ」と周りを怨む心だけ増大する。何のための釈迦の行為か、阿弥陀だったら助けたかもしれないか。
 そして『悲しそうな御顔』は完全「上から目線」。自分が悟ったからと言って、悟らずにいるものを劣った者として見るのは止めてくれ。生まれたときからスラムに住み、暴力と汚辱の中で育った者に慈悲を説いても、慈悲に接したことがなければそもそも慈悲の概念自体を認識できないと考えるのが普通ではないか。

 昔の船舶振興財団(うろ覚え、今の日本財団)のテレビ・コマーシャルで「人類は皆兄弟、お父さんお母さんを大切にしよう」と●川●一さんが優しい笑顔で言っていた。それに対するギャグ「人類が皆兄弟なら、大切にするお父さんお母さんはいません」。
 一見まともそうに見える既成概念を疑え、いろいろな見方をしろ、正義など何処にもない、すべては関係性の中にあると竜樹は説いたのではなかったか。そして草木も仏になれるのであれば、人間などなれて当然、なれないとすれば、考える者ほど仏性から遠くなる、草木の方が動物の方がより神や仏に近いことにならないか、逆説といえば逆説。

 Albert Ayler が神をどう認識していたかは判らない。少なくとも Spiritual Unity だとか、Music Is the Healing Force of the Universe とか、Holy Holy 、Saints などの楽曲の題名を見れば、神様を深く信じていたか、それとも馬鹿にし捲くってたか、のどちらかだ。自分の不気味な楽曲にそんな題名を付けたとなれば、後者の可能性も少なくはないだろう。Evan Parker はどう見たって無神論者、でなければ宗教に対して何の尊敬もない、という感じがするのだが、あの Kang Tae Hwan だってクリスチャンだからなあ。もし、Ayler が熱心なクリスチャンだったとすれば、なぜイースト・リヴァーに浮かばなくちゃならなかったんだろうか。

a0248963_16194120.jpga0248963_16201766.jpg Ayler の初めてのレコーディングは、1962年10月、あの Spiritual Unity の録音が64年の7月だから、ほんの2年弱前のことだ。スウェーデンの Bird Note というマイナー・レーベルにLP 2枚分の記録が残された。ストックホルムのアカデミー・オヴ・モダーン・アーツのホールで収録とあるが、酷い録音でベース・ドラムのレベルが低く過ぎ、サキソフォンばかりが聞こえ、そのサックスも音が突然大きくなったり、小さくなったりする。またLP からの盤起こしのためか、矢鱈とプチプチいう音が耳障りだ。
 肝心のアイラーは、というとそれほど悪くはない、案外まともな音を出しているが、2年後のブレイクを十分に感じさせる。やはり、作家の田中啓文さんのいう通り「Ayler はずっと変わらなかった」のであろうか。
 ターンテーブルに乗るかというと、やはり回数は他の作品に比べ極端に少ない、やはりこのアルバムは、記録の重要性ということで聴くよりも持っていることの意義の方が余程大きい・・・コレクター根性丸出しと言うべきか。

a0248963_16203925.jpg それから3か月弱経過した63年1月にコペンハーゲンで録音されたのが My Name Is Albert Ayler 。デンマークの Debut からのリリース。可愛らしい声での自己紹介から始まる本作は、録音はもとより共演者にも恵まれ、初期の代表作といってよい。スタンダードが中心で、その中でも Summertime は本作中の白眉。うねくり、細かなヴィブラートを掛けられたメロディーには心を揺さぶられる、残念ながら「感動」してしまうのだ。一転、最終曲の C.T. (もしかして Cecil Taylor のこと?)は、フリーらしいフリーで、やはり Spiritual Unity を生み出す人なのだ、ということが判る。
 共演者の中で驚くべきは、ベースの Niels-Henning Orsted Pedersen 。本録音時はほんの15歳。こんなへんてこな音楽に15歳の時から付き合って、人格捩れないのかなあ、などと心配するが、大物にはなっていった。

 その1年後。Ayler 、N.Y. に現れる。64年2月、Spiritual Unity の5か月前。同日に全く傾向の異なる2枚のアルバムを吹き込んでいる。どちらが先の録音かは定かではないが、一応 Albert Ayler org のディスコグラフィーに従っておこう。
a0248963_1621380.jpg と言うことで、Spirits 。大学時代に初めて Freedom 盤で聴いたときは Witches And Devils と題されていた。メンバーは、Norman Howard (trumpet)、Henry Grimes (bass [tracks 1,2,4])、Earle Henderson (bass [tracks 1,3])、Sunny Murray (drums)。Murray の不気味な唸り声がばっちり入っています。
 完全なフリーで、1曲目の Spirits こそ荒々しいフリーらしい感じではあるが、2曲目以降は、 Ayler のテナーに細かなヴィブラート入り捲くり、泣いているような、うじうじと這い回るような不気味で独特な音群が紡がれる。3曲目の Holy Holy には Ghost のメロディーがはっきりと聴こえる。いずれにせよ、Spiritual Unity の前夜の雰囲気は濃厚に漂う。

a0248963_16212337.jpg もう1枚が Going Home 。メンバーは、Tp に替わり P が入り Call Cobbs Jr. (piano)、Henry Grimes (bass [not tracks 1 & 7])、Sunny Murray (drums [not tracks 1 & 7]) というカルテット編成。Ayler の死後、1971年にリリース、94年に3曲を追加しCD化された。
 ゴスペル曲集といったところで、テーマを吹くのみ、アドリブなしの4分から5分程度の短い演奏が10曲入っている。堂々とした吹きっぷりで、聴き易いのもあって一時はよく聴いたものだ。ここでは、フリー界の巨人である Grimes にしろ Murray にしろ、奔放になれる時間を与えられないため、神妙で端正な(?)演奏を聴かせている。

 なかなか、Spiritual Unity には行かない、次に紹介するのは Love Cry 以降の作品だったりして。やっぱりへそ曲がりだよなあ、自分でもそうは思っているんですよ、いつも。
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by ay0626 | 2012-06-03 13:46 | jazz

Claddagh Records の後半戦 チーフタンズ (2)

 大学を出た頃、浅田彰という経済学者・哲学者が「構造と力」という本を書いてちょっとしたベストセラーになったことがあった。この本を読んだかどうか、記憶が曖昧で、読んだことがあるにしろ、内容を全く覚えていないなら読まないと同じこと。次の「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」は読んでいて、自分はスキゾ人間なのか、パラノ人間なのか考えたものであった。

 Schizophrenia とは、統合失調症のこと。最近まで精神分裂病とも呼ばれていたが、人格を否定するようなイメージがあるとして90年代の前半にこのような名称となった訳。言葉は難しく、どれが人を傷付けるか判らないのが困ったもので、傷付いたと言われれば、はい、そうですか、済みません、と言うしかないのであって、その言葉は闇の彼方に葬られてしまう、本当にそれでいいのか、考える時間もなしに・・・だ。筒井康隆氏が、そうした傾向に抗議して、断筆宣言をしたことがあったな。言葉を操る小説家であれば、決然と対峙することは当然であるといえば当然だが。
 横道に話が逸れた。「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」での、スキゾ人間は、興味・関心が短期間で移り変わる者みたいな意味で書かれていたような気がする(あくまで、気がする、程度)。対する言葉が Paranoia 。偏執病のことで、ひとつのことに執着する精神病なので、あながち理解に間違いはないのではないか。

 人事という仕事をしているので、採用の際の性格テストの中で「持続性」みたいな言葉を見ると、このスキゾとパラノという言葉を思い出してしまう。今の若者は、どちらかとういとパラノ傾向の人が多いように思う(「持続性」と「慎重性」が概して高い、世間一般の傾向か、自分の勤める会社の傾向かは判らないけれど)。
 振り返って、自分はどうであったか、大学は自由を満喫するところ、自由を縛るクラブ活動には全く興味がなく、多少のアルバイトはしたが、あくまで金のため、一生懸命やろうと考えたこともなく、時間が早く過ぎりゃあいい、などとほざいていた。読書は乱読、音楽も過激なフリー・ジャズに走る、麻雀をやり狂うなぞ、自分の興味の趣くまま、褒められた生活ではないにしろ、そうした生活を4年間も出来たことには感謝している。退屈も自由の代償であって、退屈から逃れるために仕事やヴォランティアをしようと思ったことは一切ない。
 今の学生さんたちは、何事も一生懸命やらないと就職試験に通らないので、アルバイトでも意義を見出さなければならないし、クラブ活動でも自分の立ち位置を明確にしておかなければならない訳だ、本当にご苦労様なことである(そんな指導を受けているだろうことは、エントリー・シートを数枚見れば瞭然)。

 もともと、この国は職人気質、へそ曲がり頑固を尊ぶ傾向が強いので、どうも自分のようにふらふらとしたスキゾ人間には生き難いような感じがする。まあ、折り合いはそれなりに付けてはいるので、路頭に迷うようなことだけはなかったが。

 さて、パラノ人間そのものの Chieftains 。この人たちも変わらぬ音楽を何十年と続けた、技術は向上し、音楽職人としては相当なものだ。しかし、老境に入る頃に異種格闘戦を始め出すなど、世界に目が向くと変わって来るのかも知れない。今回は、アイルランドの Claddagh Records に残した録音のうち、『Live!』『7』から『Chieftains in China』までの6枚について。

a0248963_13255547.jpg 76年、カナダでのライヴを収めた The Chieftains Live! 。初めてのライヴ録音だが、Paddy Molony の MC のテンションが高過ぎうるさいのが気になる。後の DVD などで見ても変わっていない、しゃべればうるさいタイプの人のようだ。音楽は、アンサンブルもあるが、少人数の演奏やソロなどを取り混ぜ、聴衆を飽きさせない工夫をしている。

a0248963_13261744.jpga0248963_13264037.jpg 77年、The Chieftains 7。このアルバムから79年の The Chieftains 9 までは、コロンビアの Sound of Ireland シリーズで、リマスターの上、再発された。確かにリマスターにより、音質については5枚目や6枚目よりかなり良くなっている 。Claddagh Records のみで出ている他の作品よりも手に入り易く、値段も相当安い。演奏も安定し、(特にクラシック・トラッド時代の)Chieftains を聴き始めるなら、この3枚からという感じ。Claddagh Records の愛想のないジャケット・ブックとは異なり、曲目の内容や誰が作編曲を担当したか、と言ったデータも載っており、決して、このバンドが Paddy Molony の独裁バンドでないのが判る。
 78年、The Chieftains 8。Michael Tubridy (フルート、コンサルティーナ)、Sean Potts (ホイッスル) 在籍の最後のアルバムとなる。 Tubridy は1935年生まれ、Potts は1930年生まれだから、Molony よりも年上。この後、よくは判らないが、Molony の影響力が強まって行くのだろうと想像できる。

a0248963_1327048.jpg 79年、The Chieftains 9: Boil the Breakfast Early。このアルバムからフルートの Matt Molloy が加わる。Molloy は47年生まれだから、バンドの平均年齢は相当若返ることになる。Molloy のフルートの腕は相当なもので、殆ど息継ぎも無く長いフレーズを苦も無く奏でる(特に5曲目)。また、Kevin Conneff のアカペラ(4曲目)も披露され、今までとは違った感じを演出している。

a0248963_13271341.jpg 80年、The Chieftains 10。このアルバムも演奏内容については、今までのアルバムと異なるところは少ないのだが、何故か知っているメロディーが多く、懐かしさに浸ってしまうのである。特に2曲目の Salut a la Compagnie 。何回聴いても「竹薮の上は~ 夕焼け雲だ~ 燃え上がる 野も山も 明日も天気になあれ~」なのだ。また9曲目、Sir Arthur Shaen and Madam Cole もどこかで絶対に聴いている、思い出せないのは悔しいが。この2曲のせいで、Chieftains の数あるアルバムの中でもターンテーブルに乗る機会が多くなっている。

a0248963_13274688.jpg 85年、The Chieftains in China。アイルランドと中国の国交が回復したのが81年、その時から音楽特使として Chieftains の招聘計画があったらしい。85年にそれが結実したことになる。のっけから中国音楽アンサンブルで始まり、何か拍子抜けの感あり、全体的な印象も中国に迎合した印象で、そんなには聴かないアルバム。『10』から『Live in China』までの間には、81年に『The Year of the French 』、82年に『The Grey Fox』というアルバムがあるが、何れもサントラなどの企画盤のため、紹介からは外した。

 やっと次回から RCA 時代に。Claddagh Records 時代は、アルバムは内容がどれも似たようなもので書くことが少なくて困ったが、今後はちょっと音楽に関する文章が長く書けるかも。
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by ay0626 | 2012-06-02 09:51 | trad