日常茶飯事とCDコレクション
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3つの期間に異なる3つの面貌を持つ 5UU'S

 先週の木・金曜日に珍しく泊りがけの出張があり、電車に揺られた。その時車内で久しぶりに本を読んだ、小島正樹さんの『綺譚の島』。今までの作品と同様、なかなか演出が派手というか、解決編を読むと本当にそのように見えるのか疑問だよなぁと頭の中に?マークがいくつも付く。師匠と仰ぐ島田荘司氏と同様に、自然現象を取り込んで怪奇現象のスケールが大きいといえば聞こえはよいが、偶然を取り込みすぎのような感じがしなくもない、読んでいるうちはワクワクするのだが、やがて哀しき解決編、といった感じ。島田御大の手が入った(共著ということになっているが)処女作は読んではいないが、例えば Taipei Chronoscope さんのブログを読むと御大と同様の辟易するような日本人嫌いが前面に出ているよう。その後、単独名義作品ではあまりそういう傾向はなくて、その点は安心して読める。
 しかしこの作品、核心となる事実が昭和60年時点で成立出来たか、という点では首を傾げざるを得ない。【ネタバレあり】同じような事実から事件が発生する三津田信三さんの『首無の如き祟るもの』のように年代の設定が戦前から戦後に掛けて、というならいざ知らず【ネタバレおわり】登場人物もまともな地方公務員を配しているのだし、う~ん。ネットでの評判も良さ気だったので期待はしたのだが、これだったらネット評判が今一歩だった前作『龍の寺の晒し首』のほうがよかったかも。文句は言っておりますが、読んでいる間はかなりのめり込みました、また海老原シリーズの新刊が出たら買ってしまうでしょう、ハイ。

 また、音楽ブログとは関係ない方向に行きそうなので、修正。Thinking Plague 、Motor Totemist Guild と来たので(ちょっと間が空いてしまったが)、今回は 5uu's 、これでアメリカ西海岸 RIO の3つのバンドを全部(といっても、どれも Part 1 ばかりだが)紹介することになる。

 自分が RIO の音楽を一番聴いたのが90年代の半ば頃、丁度第2期 5uu's がバリバリの現役で CD リリースを行っていた時期に当る。変拍子と変な音響処理の施された、しかしロックとしか言いようのないドライヴ感を持った演奏の上に、まるで Yes のようなハイトーン・ヴォーカルを乗せた音楽は、当時聴いた多様な音楽の中でも一際印象に残ったのである。

a0248963_18485831.jpg 5uu's のデビュー作は1984年録音、86年リリースの Bel Marduk & Tiamat 。ドラマーの Dave Kerman 率いるこのバンド、最初は King Crimson のカヴァーなどしていたようで、現代音楽風に複雑な音楽を作っていた Thinking Plague やごった煮的アヴァンギャルドからチェンバー方向に走った Motor Totemist Guild に比べて、至極まともなプログレッシヴ・ロック的アプローチとなっている。
 本作のメンバーは、Kerman (dr)、Jon Beck (b)、Greg Conway (g)、Curt Wilson (vo) 。典型的なロック・カルテット、他の2つのバンドは女性ヴォーカルに拘ったが、このバンドは美声系の男性ヴォーカル、これだけでもロックっぽい感じになる。後のインタヴューなど見ると、殆ど Kerman のワンマン・バンドのようであった。
 この Kerman という人、ドラマーとしては言うに及ばず、作曲家としても相当な才能を持っており、その上 RER USA 代表という CD ディストリビューターであり、Ad Hoc Record の主催者であり、と現時点では Chris Cutler に次ぐ RIO 活動の推進者といってよい。

a0248963_18493280.jpg 85年録音の Bar Code というシングルを挟んで 86年には Motor Totemist Guild のメンバーを全員ゲストとして迎えた Elements を作成、88年に本家 RER Megacorp からリリースする。このアルバムからキーボードの Sanjay Kumar が加わり、その後長い期間 Kerman との共同作業を行うことになる。
 一方、ゲストとして参加した Motor Totemist Guild のメンバーは、James Grigsby (b,etc)、Emily Hay (fl)、Becky Heninger (cello)、Lynn Johnston (sax) 。チェンバー部隊がごっそり入り込んではいるが、作曲が Kerman なので前作から大きく印象が異なることはない。
 ロック色が明らかで、かつ明快なメロディーを持っているため RIO の音楽としては相当聴き易い音楽に仕上がっている。(良い画像がないのはご容赦のほど)

 上記2枚のアルバムは 96年にアメリカ Cuneiform Record から 2in1の形で復刻された。Motor Totemist Guild 、Thinking Plague も追うように初期作品が 2in1の形で復刻される、その皮切りとなるリリース。(ジャケットは Bel Marduk & Tiamat を使用している)

a0248963_18512266.jpg その後、5uu's は、Motor Totemist Guild と合体し U Totem となり、単独活動を停止する。U Totem が休止する 94年に新生第2期 5uu's が出来上がる。このときのメンバーは、Kerman 、Sanjay Kumar に加え、Thinking Plague のベーシスト Bob Drake 。驚いたことに Bob Drake 、Yes の Jon Anderson の如きハイトーンで歌い捲くるのだ、なかなかの迫力、何故 Thinking Plague で歌わなかったのか。
 第2期5uu's の最初のアルバムが 94年の Hunger Teeth 。非常にロック的なアプローチの強いアルバムで、第1期の音楽とは大分面貌を異にする。ドラムとベース、特にベースのウネウネとした、それでいて推進力のあるリズム陣に多彩なキーボード、時としてヴァイオリンやギターが被さり、43分程をあっという間に聴き終えてしまう。この時期の RIO 諸作の中でも傑作の呼び声の高い一作。

a0248963_18514017.jpg 97年リリースの Crisis in Clay は94~96年録音。Bob Drake の趣味的音響処理が全開といったところで、一部には混沌とした印象も。本人たちも言っていた通り、前作が Yes 的ならば本作は Led Zeppelin 的なアプローチなのか。
 この頃、グループの本拠はフランスにあったらしく、Kerman の Present の一員としての活動や Drake のエンジニアとしての仕事の多くがフランスで行われたのも頷けるところ。
 この2枚でパワー・トリオとしての活動を終えた 5uu's は、今度は Kerman のソロ・プロジェクトとして00年代に復活することになる。

 聴き始めた当時は、こうしたロックばりばりの音楽も苦もなく聴けたものだが、この歳になると若干気合いを入れないと全曲聴き通せないことも。現代音楽やもっと生音が多いものはそんなことはないのだが、特に読書の BGM としては向かなくなってきた感は強いなぁ。Kerman はほぼ自分と同じ歳、これからも過激な音楽を作っていくのだろうか。
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by ay0626 | 2012-07-29 16:59 | rock

その後の はっぴいえんど 外国語のような日本語 大瀧 詠一

 酷く暑い日が続く。部屋にいれば空調が効き気持ちも良いのだが、ちょっと外に出れば眩し過ぎる太陽がじりじり皮膚を焼く、昔もこんなに暑かったか。これだけ空調がどこの家にも入ったのは、多分自分が会社に入った頃、大学の友人の下宿先にエアコンが入っているところなど一軒もなかった。
 学生時代を過ごした京都は、本当に嫌らしい暑さが続く土地で、涼みたければ喫茶店か映画館に行くしかなく、夏は特に見る映画の本数も増えたものだ。一乗寺という町に京一会館という映画館があって、新作ではない日本映画を1週間入れ替えで2~3本立で見せていた。下宿から歩けば30分弱、自転車なら10分ほど、11時開館で開館時一番で入れば350円、それ以降だと400円だった覚えがあるのだが、なかなかその時間に間に合うように朝目が醒めない。つまり、茹だるような暑さの中でも惰眠を十分貪れるほど若かったということか、今になってはそう思う。当時でも350円で半日以上時間が潰せる娯楽などそれほどない、ということもあって4年間で200~300本は見た、この十数年ご無沙汰してる今とは大違い。邦画ばかり見ていた、洋画は七条か何処かに京都会館(うろ覚え)とかいう専門館があったが、多分字幕を読むのが面倒だ、ちょっと料金が高いくらいのことで、殆ど見に行くことはなかった。
 その映画館は、たまに休日の前日にはポルノの7本立てオールナイトなどやっていて、そのときは新聞紙を沢山持った学生さんで満員になったものだ、新聞紙は敷いて横になるための必需品ということ。勿論映画館の中では煙草など吸ってはいけないのだが、当時は大学に入れば殆どの者が喫煙していた頃、どこそこで紫煙が立ち昇っていたものだ。
 そんな環境の中、見た映画はちょっと前衛がかった作品が多かった。印象に残り今でも題名くらい思い出せるのは、黒木和雄の『祭の準備』『暗室』、曽根中生の『不連続殺人事件』、増村保造の『曽根崎心中』『兵隊やくざ』、東陽一の『サード』など。こうして見ると若かったんだね、今みたいにひねた感じがない。特に『曽根崎心中』の梶芽衣子など鬼気迫る凄い名演だったいう思いは今でもある、何処がどうとまでは覚えはないが、最後に喉を突きあって果てるところなど特に凄みがあったような気がする。
 京一会館も今はもうない、風の噂で聞いた。

 日本映画の話から日本のフォーク・ロックの話。中学時代の話は前に書いたが、はっぴいえんどの解散後はソロ活動も追いかけた。はっぴいえんどの大瀧、細野、鈴木のうち、最初にソロを発表したのは大瀧詠一。

a0248963_18255614.jpg 最初のソロは、はっぴいえんど活動中の1972年作品。スノッブというか趣味性の高い人で、日本人でこれほどヴァージョン違いやリ・レコーディングに拘った人も珍しい。多分、アレンジからレコーディング、マスタリングまで殆ど自分でこなしてしまう才能から来るものだろう、その分表面づらは非常に軽く見えてしまうところはあるが。
 このアルバム、初出は12曲入りではあるが収録時間は30分に満たない、多分高校に入って直ぐに買ったと思うが、当時もうちょっと長くてもいいんじゃない?と思ったものだ、1分当りの値段を直ぐ計算してしまう癖(ケチといわれても仕方がないが、何度も書いて恐縮だが、LP は当時非常に高価だったのだ)。現在は、増補決定盤がたったの1500円ほど、良い時代になったね。
 演奏にもミックスにも若干のチープさがあって、名盤かといわれれば首を捻らざるを得ないが、それでも当時はよく聴いた、前衛ジャズと現代音楽中心の大学時代もそれなりには聴いていたのである。このアルバムは、まだ松本隆の詞をかなり使っており、松本の詞からくる叙情性と大瀧の無国籍風のある意味能天気な感じが上手くブレンドされている、「五月雨」「それはぼくぢゃないよ」「乱れ髪」など佳曲が多い。オリジナルLP には収録されていない「空飛ぶくじら」や「恋の汽車ポッポ」もまたよい、特に「くじら」のクラリネット・アレンジなどは絶品。
 そういえば、初期はっぴいえんどにも関係した柳田ヒロが「乱れ髪」の詞に自分の曲を付けたこともあった。

a0248963_18172511.jpg 次が75年の ナイアガラ・ムーン。75年といえば高校1年生、大瀧のニューアルバムが出るというので、凄く楽しみにして首を長くしていた。しかし、買って早速聴けば???という感じ。このオヤジふざけているのか、収録時間の短いのはいつものこととして、日本語を全く日本語に聴こえないように歌って、歌詞の中身もナンセンス、何処をどう聴けばよいのだ、金返せー!!!
 それでも勿体無いから何度も何度も聴いた。そうすると、歌詞のナンセンスなこと、日本語に聴こえないことの意味が判るような気がしてきた。言葉を意味で捕らえると、音楽を聴かなくなる、ただメロディーしか聴かなくなる、多分それが嫌だったのではないか。大瀧は、ヴァージョン違いに大いに拘った人である、多くの人に音の隅々まで聴けとは言わないだろうが、少数の人には拘ったところを聴いて欲しい、例えば日曜日の新聞に載る「この2枚の絵で違いを8か所探して」と同じように、「ああ、こんなところが違うんだ」というような驚きを演出したかったのではないか。そのことは、『ナイアガラ・カレンダー』の紹介でもう一度考えてみたい。よく聴けば、リズム面でもコーラス・アレンジにしても、一見チープな中に拘りを感じさせる部分がある、例えば「三文ソング」「福生ストラット」「いつも夢中」など。
 大学時代の下宿の2階に住んでいた人が、よくこのアルバムを掛けていたことを思い出す。天井が薄かったせいか、ベースの音だけがやけにはっきり聴こえたものだ。

 ということで、ナイアガラ3部作の2作目、3作目とロング・バケーション、イーチ・タイムの紹介は後ほど、別稿で。え?ロング・バケーションの紹介など要らない、お前の無駄話など聞きたくないって・・・・そんなこと言わず、一応所持しているアルバムは全て紹介することにしておりますので、平にご容赦を。
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by ay0626 | 2012-07-28 16:53 | folk

境界線上の人 エリック・ドルフィー

 学生時代は京都で過ごした、入学当初は物珍しさもあって神社仏閣有名どころを廻ったものだが、半年もすると飽きて映画館かジャズ喫茶で殆どの時間を潰すことになる。大学の授業など入学して1か月もしないところで見切りを付け、どの先生なら授業に出なくても単位をくれる、そんな噂を信じて、毎日昼頃起きて町を彷徨い友人と語り合うという、今から思えば理想的な生活をしていた。乱読の上多読で、雑学だけは知らず知らずのうちに膨れ上がり、表面的なことであればスポーツと車(自動車)関係を除けば大抵の話題には付いていくことができた。当時は、授業で出席を採ることも少なく、大学の管理もいい加減なもので、同じ時間帯の異なる講義に同時に履修を届出できたものだ。事実、単位は3回生までで揃ってしまい、ゼミも卒業論文も必修でなかったため、4年経過時点では必ず卒業出来てしまう。なんとしても就職せざるを得ない状況になる訳で、今の学生さんなら「もし何処も内定くれない場合如何するの?」と不安がよぎるのではないかと思うが、卒業時は円高不況もとうに終わり、各企業とも採用には積極的で、選り好みをしなければ一部上場企業の何処かにはもぐり込める、そんな状況なのであった。
 そんなのほほんとした、気の抜けた時代背景の中、音楽もロックならパンクの時代、ジャズならフュージョンの時代、歌詞もメロディーも判り易くノリの良いものが受けた頃であった。しかし、ポップスにそんなに興味のなかった自分は、こ難しいことを好むという生来の傾向から、ジャズを聴くようになる。最初は我慢して聴いているのだが、そのうち慣れればこんなに気持ちの良い音楽はない、京都はジャズ喫茶も多く、夏暑くなるころは涼みがてら、文庫本でも持って2時間ほど時間を潰すにはもってこいの場所であった。煙草の煙で周りが霞むような環境のジャズ喫茶は会話禁止のところも多く、大抵は一人で出かけることになる、本は必携なのだ。そこでは、いろいろなジャンルのジャズが掛っていて、Weather Report などその最たるものであった訳だが、メイン・ストリームは勿論、フリーも若干ながら流れることがあった。
 ジャズ喫茶で聴いた最初のフリーは何だったか覚えはないが、フリー・ジャズ自体があまり良い印象でなかったことは確かで、フリーを好きになるのは(友人と呼びたくない)知人の家で聴いて以降のことになる。そんな中、Eric Dolphy はフリーとメイン・ストリームの中間みたいな感じで、割と聴き始めから好印象であった。

 つい先日、ニュースか何かで祇園祭の中継をやっていて、学生時代を思い出した次第。祇園祭は、何回生のときかは忘れたが、一度だけ四条通まで見に行った。うだるような暑い日で、道には人が溢れ返り、歩く人も一方通行という大変な混雑、一度見りゃそれで十分、二度と行きたくない、テレビで見るほうが余程楽だと身に沁みた次第。もう30年以上前の出来事。

 ということで Eric Dolphy 。1928年ロサンジェルスの生まれ、アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートを操るマルチ・ウッドウィンド奏者である。最初に買ったのは Five Spot Vol.1 、ジャズっていうのはこういうものか、とかなり聴き込んだように思う。次が Out To Lunch 、かなり現代音楽的な印象が強く、のめりこんでいく。アコーステック・ジャズでは、Ayler や Taylor より先に聴いていたのである。

 Dolphy は録音面では不遇で、例えば Chico Hamilton や Charles Mingus 、John Coltrane のサイド・マンとしてのレコードの方が多いのではないか。本国アメリカよりもヨーロッパでの録音の方が多いくらい、自己のコンボでも持っていれば、もうちょっとアピール出来たのではないかとも思う。いつも違ったメンバーでの録音ばかり、孤独な人だなあ、という印象を持つ。しかし、サイド・マンとしては、主役を立てることに心を配っていたようで、悪くいう人はいなかったという。

a0248963_17264649.jpga0248963_17271067.jpg 最初のアルバムは、Outward Bound 、1960年4月録音。音の高低の振れ幅の大きいことが Dolphy の特徴で、馬の嘶きと評されるほど、一聴 Dolpy と判る、この初リーダー・アルバムでもその特徴は遺憾なく発揮されている。
 録音メンバーは Freddie Hubbard (tp)、Jackie Byard (p)、George Tucker (b)、Roy Haynes (d) という強者ばかり。バス・クラは Dolphy 以降、ジャズの中でもポピュラーな楽器になっていくが、メインの楽器として駆使したのは彼が初めて。
 どの曲もジャズの典型としての4ビート、ソロの受け渡しがはっきりしており、演奏面の革新性に比べ、形式面ではオーソドックスな感じである。本セッションの残りテイク(全てではないだろうが)は、Five Spot Live や Live in Europe の残りテイクと併せ、後に Here and There としてリリースされる(自分の持っている 87年版の CD では GW (take 1) とApril Fool の2曲を収録)。

a0248963_17273377.jpg 次が Out There 、60年8月録音。カルテットでの録音で、フロントが Dolphy と Ron Carter のチェロ。リズム陣は、George Duvivier (b) 、Roy Haynes (d)。
 非常に不思議な雰囲気のアルバムで、特に3曲目 The Baron 、4曲目 Eclips などは短いながらも印象深い。Ron Carter のチェロは上手いのか、下手なのか、日本ではクラシックとの共演もあって上手い人のように言われることも多いが、果たして本当にそうなのか、このアルバムに限ってはそのチープな音色も演奏の不思議さに貢献している。Eclips は、唯一クラリネットの演奏、これはこれで良い。ジャケットも色彩感に乏しいダリのよう、音楽に合っている。

a0248963_1728070.jpg 60年スタジオ最終作は、12月録音の Far Cry 。開けて61年の Five Spot Live の盟友 Booker Little との初共演盤。このときに意気投合、Booker Little がもう少し長く生きればレギュラー・コンボになって、何枚かアルバムを作ったかも知れない。
 Little は、全8曲( Serene はプレスティッジ25周年記念盤に収録されていたもので、本来は7曲)中5曲に参加。リズム陣は、Jackie Byard (p)、Ron Carter (b)、Roy Haynes (d) で、Carter はここではベースでアルコ・ソロを披露している。リラックスした演奏が聴けるアルバム、1年に何度もセッションを行っているとそうなるのであろう。

a0248963_17282159.jpga0248963_17284642.jpga0248963_1729284.jpg 開けて61年7月、歴史的な Five Spot でのセッション、Booker Little (tp) 、Mal Waldron (p) 、Richard Davis (b) 、Ed Blackwell (d) という顔ぶれ、特にVol.1 は力の入った名演を収録しており、メロディーの素晴らしさもあって歴史的な名盤といってよい。セッションは、Vol.1 ~ Vol.2 ~ Memorial Album ~ Here and There の4枚に分散されて収録された(現在は、全ての演奏を2枚組にコンパクトに編集した盤が出ている)。LP 時代は、収録時間の関係があって Memorial Album なぞ B面は15分弱、買うときにやや勿体無い印象であった(ケチというか、いじましいというか、でも当時 LP 1枚買うにも相当の決心が要ったことは確か)。
 Ed Blackwell や Richard Davis などは、フリー関係でも常連で、Ornette Coleman の Atrantic 盤 Free Jazz には Blackwell が Dolphy 側のカルテットの一員として演奏している(61年作)。こうした関係から Dolphy もフリー側の人のように思われがちだが、一部を除けばジャズの伝統に則った演奏を行っていたと思う。特にこのセッションは、縦横無尽に音が飛び交う熱いジャズ魂が感じられる熱演である。このセッションの3か月後、Little は尿毒症で23歳で夭折する、彼が生きていたら Dolpy のその後はどうなっていたか、しかし Dolphy も64年には36歳であの世にいくことになる。

a0248963_17292950.jpga0248963_1730336.jpga0248963_17303578.jpg Dolphy は、この後ヨーロッパ楽旅に出かけ、その土地のミュージシャンとセッションを重ねる。プレスティッジから生前に出たアルバムは、a0248963_1731476.jpgデンマーク、コペンハーゲンでの9月6日と8日の演奏を収めた3枚だけだが(この3枚に Here and There 収録曲と未発表曲を加えた2枚組が現在流通している)、死後スエーデンやドイツでの演奏(主としてラジオ放送用の音源)がリリースされた。自分が所有しているのは、11月のスエーデン、ストックホルムでのセッション。
 この頃から見られるのが、ベースとのデュオ、または完全なソロ演奏。Vol.1 に収められた Hi Fly がベースとのデュオ、God Bless the Child がバス・クラのソロとなっている。

 62年には公式録音は一つもなく、63年の Douglas セッションも死後の発表という、ある意味哀しい演奏家 Dolphy 。しかし、主要なアルバムは廃盤にもならず、死後50年近く経っても新発見録音が出る、まあ、もって瞑すべし、といったところか。印象に残るミュージシャンであることは間違いない。次回は、寄せ集め盤というべき Candid Dolphy や Other Aspects などについて書こうかなあ、何時かは・・・。
 
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by ay0626 | 2012-07-22 14:25 | jazz

その後のヘンリー・カウ 奇妙なポップ・サウンド ジョン・グリーヴス

 梅雨が明けたら即暑さ満開状態で35℃を超える猛暑日が3日ほど続いたと思ったら、昨日から気温がぐんと下がり、肌寒い感じもする。明日は二十四節季の大暑、一年で最も暑い時期に突入していく訳だ。50歳を過ぎると、これほどの寒暖の差は体の不調の原因となる、暑いよりも良いのかも知れないが、ちょっと冷房が掛った部屋にいると鼻の奥がもぞもぞし出し、くしゃみを連発することも。昔は、冷房が効いていないと腹を立てたものだが、この頃は効き過ぎた冷房に腹が立つ、いい加減なものだ。

 この前、Samla を聴く宣言をしたのに、一向にその話題にならないじゃないか、とお叱りを受けそうだが、猛暑日には流石に CD サルベージもキツイ、とういことで Samla のアルバムは、Kaka と Dear Mamma の2枚しか聴き返していない。ということで Samla についてはもうちょっと後で。やはり、何回かは聴いておかないとレヴューするにも失礼でしょう。

 ということで、先日サルベージを完了していた Henry Cow 関係から。John Greaves は、90年代までのソロを見ていくことにする。今回は Kew Rhone と80年代のソロ2枚。

 John Greaves という人を見るときいつも思うのは、バンドにいることとバンドの思想とはあまり関係のないこともあるものだということ。判りにくい言い方になってしまったが、Henry Cow というある意味、思想に裏打ちされたバンドに在籍したのに、彼には思想的な背景が全く感じられない(Art Bears のファースト時の Cow 内部のゴタゴタには関係していない、というより思想的な先鋭さが明らかになって来る頃、Cow に見切りを付けたということかも知れない)。非常に趣味的な人なのに、例えば Chris Cutler とも付き合いが長い、思想云々というよりも付き合って楽しいが優先されたのか、思想に凝り固まった人は付き合い難い筈なのに、なにか飄々と付き合ってしまっているという感じか。音楽的にも、Cutler や Frith 、Hodgkinson とは異なり、ポップ・ミュージックへの親近感が露だ。Tim Hodgkinson が Work でやったような明らかなわざとらしさは彼にはないように思う。

a0248963_1723348.jpg John Greaves は1950年の生まれ、ケンブリッジ大学出身の秀才。Cow の設立者である Frith 、Hodgkinson ともケンブリッジだから、その関係でバンドに加入したのかも。69年には既に Cow の一員であったようで、75年3月に脱退するまでバンドの屋台骨を支え続けた訳だ。脱退した後、バンド仲間であった Peter Blegvad と意気投合、ニューヨークで Kew Rhone を録音する。この1977年のアルバムは、Greaves が作曲、Blegvad が作詞を担当、ヴォーカルの Lisa Herman との3名連名のアルバムとなっている。
 非常にポップ・センスのある名曲揃いのアルバムで、Blegvad の歌詞が凝っている(Slapp Happy 時代もそういった評価が多かった)とのことだが、日本人の悲しさ、音楽の凝りようは判るが歌詞の凝りようは判らない。ジャズ的なアレンジの中に印象的なメロディーを持った曲が息付く、特にアルバム表題曲は(後に Songs というアルバムで再度録音されるのだが、そのヴォーカルは Robert Wyatt!)、変わったメロディーを持つ名曲。
全面的に Mike Mantler ~ Carla Bley ご夫妻が協力、ジャズっぽい感じは彼らのアレンジによるところ大、ドラムは Andrew Cyrill 、70年代前半の Cecil Taylor Unit のメンバー! ちょっとびっくり。Mike Mantler ~ Carla Bley は、Watt というレーベルで自身のビッグ・バンドのアルバムを出しており、Robert Wyatt が何枚かゲストで参加、その関係でこのコラボレーションが成立したのかもしれない。Mantler ~ Bley の Watt レーベル作品では、87年 Live 、97年 The School of Understanding に参加している。

a0248963_17233031.jpg Kew Rhone の後、National Health に参加していた関係で、最初のソロ作品は80年代に入ってから。Europa というレーベルから、82年に Accident というタイトル作品を発表。ここでも歌詞は2曲を除き Blegvad のペンによるもの。
 内容的にはポップ・ミュージックの範疇だが、ところどころにアヴァンギャルドな雰囲気を漂わせて、やっぱり Henry Cow に在籍した人だと思う。80年代初期という時代背景のせいか、シンセサイザーを使い過ぎのような感はあるが、落ち着いた渋い曲が多い。女性ヴォーカルの使い方も効果的だ。

a0248963_17235148.jpg 次のソロは、84年の Parrot Fashons 、同じく Europa レーベルから。ロック色・バンド色が強くなっている、前衛色をすっと忍び込ませてくるところなど前作と同様。ベースだけではなく、ピアノにも重点を置いた演奏になっている。この頃には活動の拠点をパリに移していたようで、Gong の Mirelle Bauer や Julverne の Denis Van Hecke (cello)などが参加、後に The Lodge で再び共演する Kristoffer Blegvad (Peter Blegvad の弟) も加わっている。
 この前、ライヴで聴いた名曲 How Beautiful You Are はこのアルバムの2曲目、ピアノの弾き語りとは大分雰囲気は異なるが。Henry Cow の Live でも演奏された Bad Alchemy も5曲目にクレジットされている。

 集団として十把一絡げにされがちだが、一人一人を見ればその人なりの個性はある。Henry Cow の各人の音楽活動を見るとき、人の個性の重要さを考えてしまう、深刻な話ではないのだが。 
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by ay0626 | 2012-07-21 16:00 | rock

アメリカの循環呼吸奏法男 ネッド・ローゼンバーグ

 今日は朝からお日様が顔を出し、気温はぐんぐん上昇、もう夏本番を感じさせる。もうじき夏休み、7月20日を過ぎれば長期休日、という生活は30年以上前に終わってしまったが。今年の夏の最大イヴェントはオリンピックだそうな、こちらは全く興味がない、ブログに書くこともないでしょう。縁なき衆生は度し難し、宗教とスポーツにはとんと縁が無いようで。

 自称知的デレッタントである自分は(多分周りからは痴的オタクと思われている)室内での趣味が中心で、音楽、読書、ときどきゲームといったところ、この頃は先日も書いたとおりポケモンに嵌り込み、音楽もまともに聴けていない、いわんや読書など出来よう訳もない。といったところで、無駄話の種も時事ネタのみ、考えが纏まらず中途半端に書き出すと昨日の記事のように悲惨な内容となる。ということで、今回は音楽話題を中心にど~んと据えたいと思う(もともとが音楽紹介ブログではなかったのか?)。

 アメリカのフリーについて考えるとき、70年代末というのは非常に重要な時期であったと思う。黒人のある意味政治的な主張を伴ったフリー・ジャズは、67年の Coltrane の死、70年の Ayler の死を経て沈黙するに至る。60年代末から Miles は電化に走り、それを追うように Wearher Report や Chick Corea の Return to Forever 、Herbie Hancock の Head Hunters などのFusion 全盛時代となって、もはや前衛は虫の息という状態。Fusion が終わりかける80年頃は先祖返りというか保守化というか、面白くもなんとも無い Wynton Marsalis が持て囃されるようになる。その裏で70年代末からアメリカでも「新しい前衛」が台頭してくる、ニューヨークでは Eugene Chadbourne と John Zorn が Parachute という自主レーベルを、西海岸サンフランシスコでは Larry Ochs と Henry Kaiser が Metalanguage という自主レーベルを立ち上げ、精力的に『黒くない』フリー・ジャズみたいな音楽をリリースし出したのである。殆ど同時期にはアラバマという南部の保守的な地域でも LaDonna Smith と Davie Williams が Trans Musiq というレーベルを立ち上げていた。これらの流れは、ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションの影響が大きい若い白人のミュージシャンによって作られたもので、その後、例えば Roscoe Mitchell や Wadada Leo Smith など旧世代のフリー・ジャズ・ミュージシャンも取り込んでいく(しかし、Cecil Taylor のヨーロッパ進出は『取り込まれた』というより、殴り込んだ印象の方が強い)。

 こうした流れの中で、登場したのが Ned Rothenberg (1956年生まれ、ボストンの出身)。もろ Evan Parker の影響を受けているといっていいだろう。Parker でも Rothenberg でも、やはりソロを中心として聴いている(同じく循環奏法男の姜泰煥はアルバム数が少ないので全部購入、ということにはなったが)。

a0248963_17422032.jpg 最初のアルバムが Trials of Argo 、1981年作品。会社に入って、少しは自由になるお金も増えたのか、よくこんな新人の LP に手を出したものだとは思うが、そのきっかけは何だったか今となっては思い出せない。しかし、聴いてびっくり、Evan Parker に勝るとも劣らぬ循環奏法、マルチフォニックのテクニック。その構築性は、インプロヴィゼーションというよりも作曲されているもののように聴こえる、何度も繰り返し聴きました、ほんと嫌になるほど。
LP A面がアルバム・タイトルと同じ Trials of Argo 、22分あまり。自作の楽器を含む木管のアンサンブルにアルト・サックスのソロが乗る、非常に滑らかな音でフリー特有のフリーキー・トーンとはならないところが Rothenberg らしさといったところ。B面は、Continuo After the Inuit 、19分足らずのアルト・サックスのソロ。ここでは若干のフリーキー・トーンも現れるが、あくまでも冷静で抑えた構築性の高い演奏に終始している。姜泰煥の項にも書いたが、姜泰煥に比べれば高めの音を多用し、ロング・トーンは少なく、繊細な印象を与える。

a0248963_17444542.jpg 2枚目が Portal 、83年の作品。Portal とはフランス・フリーの大御所 Michel Portal のこと。この作品、フリー系には似つかわしくない言葉だが『非常に整った』作品である。聴いてもらえれば判るが、音の組み立てが非常に緻密であり、その設計図に従って慎重に演奏されていく。
 Michel Portal は元々がクラリネット奏者であったことからか、LP A面を占める Portal はバス・クラリネットのソロ、16分超の作品。長いシングル・トーンに倍音が被さる出だしから、5分を過ぎるあたりで高音の急速なフレーズが奏でられていく。本当にソロで演奏できているのかを疑うような、一本の管からはっきり異なる2つ3つの音が聴こえる、緊張感に富む演奏。
 B面は、Polysemy という曲から始まる、14分足らずの曲。一定のリズムを持ったアルト・サックスにGerry Hemingway がドラム、スティール・ドラムで対応する。これだけ正確にスピードを制御するのは、ある意味驚異的。2曲目は、ソプラノ・ダブル・オカリナのソロ、Caenis 、7分ほどの曲。ダブル・オカリナというだけあって、2つの違ったメロディーを同時に紡ぎ出していく。フリー系とは思えない優しい音。

a0248963_1745584.jpg 3枚目は、Trespass 、86年の作品。比較的短い曲が多く7曲を収録。本作中最も長い曲が、John Zorn とのデュオ Kakeai 、掛け合いの意味か。Zorn にしろ Rothenberg にしろ日本はかなり好きだったようで、何度も来日している。
 最初のアルトのソロは最初はかなり普通に演奏していて、あれっ?と思ったものだ。中間部からいつもの感じにはなるのだが、音は非常に滑らか。全体的には、フリー・インプロとしては聴き易いが、やっぱり Zorn が入るとスイッチ・オンとなるようで、これは Zorn のやりたい放題のソロにつられ、Rothenberg もついついやってしまいました、という感じ。しかし、Zorn のフリーキーさに比べ Rothenberg の音のまともなこと。

a0248963_1825829.jpg この3枚はいずれも Lumina という Ned Rothenberg の自主レーベルから出されたもの。Lumina は、Robert Dick や James Emery (String Trio of New York のギタリスト)のソロなど、面白いアルバムを出していたものだ。このソロ3部作、長い間廃盤となっていたが、2006年にとうとう CD 化された。3枚のアルバムと91年と95年の録音(95年は David Weinstein がエレクトロニクスで加わる)を加えて、2枚組で Tzadik よりリリース、盟友 John Zorn のレーベルである。
 ずっと聴きたいとは思っていたのだが、アナログでは手段も無く、再リリース時は懐かしさもあり、よくターン・テーブルには載ったものだ。

 ということで、Rothenberg は、これ以降のソロに加え、テクニシャン揃いの New Winds や 特異な楽器構成の Sync なども紹介したいと思う。何時のことかは判らないが。
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by ay0626 | 2012-07-16 15:39 | free improvisation

カリフォルニアの荒涼とした心象風景 フォーン・フェイブルズ

 大津市の中学生自殺事件が、発生から10か月経った今大騒ぎになっている。報道を見れば酷い話で、よくもその当時に騒ぎにならなかったものだと思う。子供は残酷なもので、やはり苛めは楽しいのだ。そうでなければ、死に至るまで苛め続けるなんて出来ようもない。事実、加害者は死を知って笑っていたというではないか。どのように加害者が思っていたか知ることは出来ないが、苛めていたときには脳内麻薬が出捲くっていたものと思う、その快感を知ってしまった者は、たぶん表面では反省したように見えても、心の奥底には黒い塊を育てていくことになるだろう、まともな人間になれはしない。
 日本の軍隊でもそうだったが、苛めの体質というのは日本人には根底に持っているのかも知れない。しかし、弱い抵抗できない者に対し徹底的に暴力をふるい収奪し続けることは、世界史を見れば例えば南米征服史でも北米の奴隷史の中でも、また現代においてもインドのカーストの中では日常茶飯にみられることなのである。一旦、そうした関係性が出来てしまうとなかなか被害者加害者とも自分の力では抜け出すことは難しくなる、そしてエスカレートしていく。
 先生や教育委員会も非難されることは多いが、彼らだけに責任を押し付けてはいないか。彼らも職業として教師をやっているに過ぎず、この問題の多い世の中に正義の御旗だけで立ち向かっていけないのは重々知っている、自らの保身を考えるのは至極当然であって、夜の夜中まで生徒に向き合うことは無理なのだ。その上体罰も禁じられ、後ろ手に縛られて泳げ!といわれるようなもの。何か起これば、親たちは自分の責任を棚上げして教師を非難する、自分の子供が被害者じゃない者が先頭を切って・・・だ。それは、まともでない教師もいることはいる、しかし大多数の教師はそうしたジレンマの中で悩んでいると思う。
 警察の対応にも疑問はあるが、公的な(敢えて言うが)暴力装置である警察が、逮捕や補導という加害者の自由を奪う手段に出なければ問題は解決しない、学校に混乱を齎すことと人死にが出ることとどちらが問題か、自ずと答えは明らかであろう。
 らしくないことを書いてしまったが、こういう事件をみてしまうと人間の残酷性について考えてしまう。加害者の人権を考えるのは重要かもしれないが、人を死に追い込んでおいて受ける罰が少なければ、世の中を舐めてしまう。そこだけは外して欲しくないものだ。

 今回は暗い気分になれる Faun Fables 。カリフォルニア、オークランドのシンガーソングライター Dawn McCarthy とギター・フルートの Nils Frykdahl のデュオ、とういか彼らを中心としたユニットというべきか。Nils Frykdahl はいわずと知れた Sleepytime Gorilla Museum のギター/ヴォーカル。彼の名前を見て Faun Fables を聴き始めたのである。

a0248963_14321864.jpg 最初のアルバムが Early Songs 、1999年作品だが初出は CD ROM でのリリース、2004年になって Drag City (シカゴの独立レーベル、所属ミュージシャンで有名なのは Jim O'Rourke)から再発された。
 非常に太い硬い声で、奇妙なメロディーを歌う。実験的といえば実験的で、Drag City のレーベル・カラーには合っている。先日紹介した Espers と同様 New Weird America ともいわれるサイケ・フォークとして認識されているようだ。「新しい奇妙なアメリカ」とは言い得て妙である。
 本作、殆どが Hans Wendl のプロデュース、Mark Orton の録音によるもの。この2人、Tin Hat のプロデューサーとギタリストである。1曲のみ Dan Rathbun のプロデュース/録音、この人も Sleepytime Gorilla Museum のメンバー。こうして見ると、カリフォルニア・サンフランシスコ周辺のアヴァン・ロック界も狭いもの。
 このアルバムは、殆どが Dawn のギターと歌で構成され、数曲 Nils Frykdahl、Samantha Black (cello)、Rob Burger (organ、彼も Tin Hat の元メンバー)、Mark Orton (g)、David Cooper (vib) がゲストとして参加している。
 ジャケットも Dawn によるものだが、その暗さ、奇妙さは印象深い。アルバムの雰囲気をよく表している。

a0248963_14323667.jpg 2枚目が Mother Twilight 、2001年自主盤でリリース、2004年 Drag City から再発。このアルバムから、Nyls が全面参加(4曲は彼の作曲、7曲目ではヴォーカルも)。Dawn と Nyls が並んで演奏しているのを見たら、その奇妙さ、気持ち悪さは印象に残るだろうなぁ、と思える出来。SE も多用され、奇妙な感覚を盛り上げる。また12曲目など、カセットで録音したチープな音で、ある意味やりたい放題。
 特に裏ジャケットの Dawn の写真の不気味さ、どういう感じの人なんだろう、ちょっとだけならお話したくもあり、したくもなし。

a0248963_14325432.jpg 3枚目、Family Album 、2004年作品。印象に残るメロディーも多い本アルバム、Drag City での初録音である。1曲目の Eyes of a Bird 、子供の声の SE から始まり、狂気のコーラスで終わる7分半からお腹いっぱいに。アレンジ面でもアヴァンギャルド度合いが高まり、Sleepytime Gorilla Museum とは異なるが、流石サンフランシスコ・オークランドで長年音楽活動を続けて来ることが出来ただけの魅力を見せてくれる。傑作といっていい。ゲストも多数参加しているが、2曲目のグロッケンシュピール、3曲目のヴァイブラフォン、5曲目のチェロなどが印象的。
 裏ジャケットは、若干可愛らしい写真が飾られている。

 暗いのは、音楽だけにして。
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by ay0626 | 2012-07-15 13:23 | folk

クラブ・ミュージックと伝統音楽の融合 ニヤーズ

 梅雨も末期になって、九州では猛烈な雨が降っているようだ、水没した家々がテレビに映しだされる。自分の住んでいるのは中部地方の中くらいの都市だが、4年前には同様に豪雨の被害に遭った。「平成20年8月末豪雨」といわれるこの水害は、8月29日の夜中1時から2時に掛けて140ミリを超える記録を作った猛烈な雨によってもたらされた。海に面してもいない街で、それほどの大きさでもない川が溢れ、家の中で水死するというような悲惨な事故も起きた。また、川に流された人が海まで運ばれ、陸地から遥かに離れた島で発見されるというようなこともあったと記憶している。夜中の真っ暗ななか凄まじい雨音を聴いていると、不安感がふつふつと湧き上がってくるのは確かで、豪雨の中田んぼを見に行って死ぬ老人の話など、平常のときには『何故、馬鹿なことを』といってしまえるのだが、異常な雨音の中で何かしなくては、という焦りが出てくるのはないことではないとも思える。

 相変わらず、暇なときは携帯ゲームばかりで、気が付けば60時間以上遊んでいる。壮大ともいえる時間の無駄遣い、でも無駄でない時間の使い方なんてあるのだろうか。ヴォランティア?勉強?それも、一歩間違った時間の無駄遣いの、自己満足のための正当化、言い訳でしかないのかも知れない。何しろ楽しく時間が経過すればそれにこしたことはない訳で。
 そういえばポケモンは、イスラム世界ではハラーム(禁忌)とされているそうだ。ポケモンが成長して姿が変化することを表す「進化」という言葉が引っかかったよう。もともとイスラム教もキリスト教も同根で、世界は神様が作り、猿も鹿も人間も同時に生まれたとするのが考え方で、だからダーウィンのいう「進化」という考え方を否定する。もっともポケモンは、進化論の進化とは全く関係なく、芋虫が蛹になり蝶や蛾になる「変態」と同じだから、ゲームでも「××は、●●に変態した」と書けば問題なかったのかもしれないが、子供のするゲームにやっぱり「変態」はありえないだろう。「進化」のほうが何となく前向きな感じにもなるし。
 イスラムで直ぐ思い出すのが、最初にイスラム革命を起こしたイラン。1979年に起きたこの事件は、当初アメリカもソ連も排除した民衆運動として考えられた。しかし、やはり宗教が中心に据われば反動的になるのは必定で、イスラム以外の宗教への弾圧や女性差別は当然のように起こり、相当な数の亡命者が出たのである。過ぎたるは及ばざるが如し、といったところ、いくら不景気であろうと、宗教への悪口が平気でいえる・・・日本でよかった。

 ということで、今回は Niyaz 。亡命イラン人が中心となったユニットである。プログラマー/サウンドデザイナーの Carmen Rizzo 、ヴォーカル/サントゥールの Azam Ali 、撥弦楽器の Loga Ramin Torkian の3名、勿論パーカッションはいないのでゲスト・ミュージシャンを加えて CD は製作されている。Azam Ali は Vas ( パーカッションの Greg Ellis とのチーム)で、Loga Ramin Torkian は Axiom of Choice で活躍していたらしい。この2つのグループは殆ど聴いたことがない。もう一人の Carmen Rizzo は、クラブ・シーンではかなり有名なようで、ラディカル・トラッドの Varlavn の Re-coded というリミックス・アルバムでも1曲担当している。
 音楽はイランやトルコのものだが、音の感じというか手触りはアメリカのニューエイジの影響をもろ受け過ぎの感じで、ヨーロッパのバンドほどは聴きこんではいないのが正直なところ。

a0248963_1523876.jpg 最初のアルバムは、2005年のバンド名と同タイトル。歌詞はペルシャ語とウルドゥー語(パキスタンの国語)のようで、作曲は Ali と Torkian によるもの。メロディーと生楽器とヴォーカルは完全に中東の感じだが、音の組み立て方はアメリカそのもの。音が綺麗過ぎてしまうというか、作り過ぎの感じが否めず、BGM としてはいいにしても聴き込むほどにはならず、今一歩の感じがどうしても拭えない。エレクトロニクスの導入にしろ、もっと生楽器を生かす方向にはならないものなのか。


a0248963_1525749.jpg 2枚目が Nine Heavens 、2008年作品。2枚組で1枚が前作と同様の演奏に様々なエレクトロニクス加工をした作品、2枚目がよりアコーステックな生音を中心に据えた作品となっている。
 このバンド、殆ど管が入らないため(この作品では控えめにフルートが入るが)、乾いた感じが強くなるのに加え、ヴォーカルがどちらかといえばあっさり系統の上手いけれどアクがない、またパーカッションのリズムも一定であまり変化がない、ということでロックやジャズとの近隣性は全くなく、ハウス・ミュージック、トランス・ミュージックといった感じ。アコースティックと銘打たれた2枚目もあまりそんな感じはせず、どちらかといえば「アコースティック」程度。

a0248963_1532563.jpg 3枚目は出来立て、2012年作品の Sumud 。ますますエレクトロニクスの導入が進み、ペルシアン・エレクトロニカという感じ。ここまで徹底すればジャンルはもう関係ないのかもしれない。打ち込みのドラムにストリングス、その厚い音の塊に生音のパーカッションやサズ、ウードといった撥弦の音が聴こえてくる。ヴォーカルは、あっさり感の中にも歳から来る貫禄か、なかなか聴かせどころを心得たもの。
 今のポップスと同様、全体的に音を詰め込み過ぎ、音数を絞り込んで聞かせどころを強調すべきではないか。

 読み返せば、ちょっと辛目の意見となっているが、聴いているうちはそれなりに聴いてしまいます。やはりそれは Ali の声のお陰か。捨てた国の、それでもその国の音楽を演奏するということになれば、現代の技術を駆使することが、反動とは真反対の方向に進みたいという意思の現れ、と見るべきか、それとも「やっぱり音楽で喰っていくためには、それなりの売れ筋のものは取り込まないとね」ということなのか、それは判らないのだが。
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by ay0626 | 2012-07-14 13:05 | new age

アルフォンソ・ジョンソンの頃の ウェザー・リポート (2)

 6月最終の週に「ポケモン・ブラック/ホワイト 2」が出て、暇があるとやりまくってしまって音楽もあまり聴いていない。50歳を超えたオヤジがポケモンとは、と鼻で笑われそうだが、1996年の初代から一所懸命やっているので、続編が出れば必ず購入して遊んでいる。もう20歳を超えた息子もまだやっているようだ。初代のソフトが出た頃、子供たちは丁度小学校の低学年、猫も杓子もポケモン一色、親父は、どれどれ見せてみろ、どうやってやるんだい、ふんふん、面白え~じゃあねえか!という感じで嵌る、映画も良く見に行ったものだ。
 元々がコレクター、集めることは好きで、このゲームの大きな目標の一つが図鑑のコンプリート。コレクター精神を擽る仕掛けが多く、飽きることがない。このソフト、ポケモン集め派と対戦重視派に二分されるようだが、自分は完全に集め派、CD と同じ。子供が小さい頃は、子供をダシにして配布の珍しいポケモンを貰ったりしていたが、この歳になると嘘を吐くにも、孫のため・・・というには自分のプライドが許さないし、ひとりで映画館に行くというのも恥ずかしい、はて如何したものか。
 近頃のポケモンには哲学っぽい話が出てくる、対戦に理由なんかいるのか、勝ち負けに賭け金だってあるのに、どうも友情だの絆だの安っぽい話になって、これは頂けない。初代の頃のポケモンは、ある意味非常に潔いと言うか、いろんなところを駆けずり回って昆虫採集をするようなもの、例えばカブトムシやクワガタムシを戦わせて遊ぶのと同じことをゲームの中でやっているような感覚ではなかったか。
 このソフトによって携帯ゲームの市場が広がり、目を見張るような美しい映像や複雑なストーリーが構築できるようになったのは凄いことだとは思うが、通信機能をここまで増やす必要はあったのだろうか。自分だけの世界を構築できるところに携帯ゲームの楽しみがあったはず。
 と、まあ色々書いてはおりますが、ぶつくさ言いながら、それでも確実に時間は潰れております。

 今回は、Weather Report の2回目、ベーシストが Alphonso Johnson 時期。Weather Report というとどうしてもベースは Jaco Pastrious みたいなイメージがあるが、どうして Al Johnson も大したもの、このファンク感覚、躍動感は非常に好き。

a0248963_1429268.jpg Live in Japan を除く4作目が 74年録音の Mysterious Traveller 。非常に好きなアルバムで購入当時は、毎日聴いていた。殆ど隅から隅まで覚えたといっていいくらいの聞き込みようだった。高校の頃はロックばかり聴いていたせいか、大学に入って聴き始めたジャズは取っ付きが悪かった。その点Weather Report は、ロックとジャズの中間との印象で、覚え易いメロディーと相まって直ぐに夢中になった。多分、最初に買った Weather のアルバムがこれ、次に買ったのが 1st だったような気がする。
 曲は非常にバラエティーに富んでおり、擬似ライヴ仕立ての Nubian Sundance 、非常にメロディーの美しい American Tango 、Al Johnson の躍動感溢れるベースが凄い Cucumber Slumber 、ピアノの出だしが宇宙的な(?)広がりを感じさせる Shorter の傑作 Mysterious Traveller 、ピアノとサックスのデュオ Blackthorn Rose 、ライヴでも良く演奏された神秘的な Scarlet Woman 、殆ど Zawinul の趣味といってよい楽園サウンド Jungle Book の7曲。どの曲にも色彩感に溢れる、例えば1st や3rd がモノクロの雰囲気とすれば、2nd のA面に近い感じといえばよいのか。
 このアルバム、ゲスト・ミュージシャンの表記が不親切で(契約の関係か?)、自分の備忘のためにも以下に記しておく。
 1曲目の コーラス隊は Edna Wright 、Marti McCall 、Jessica Smith 、James Gilstrad 、Billie Barnum、パーカッショニストとして Sweetnighter にも参加していた Muruga 。
 3曲目には、パーカッショニストとして Ray Barretto 。6曲目のティンパニ、Steve Little。7曲目にオカリナと管で Don Ashworth ( Isacoff は記載あり)。

a0248963_1430136.jpg 5作目 75年の Tale Spinnin' 。Mysterious Traveller と Black Market に挟まれ、印象の薄い感じ。Badia などは民族音楽を取り入れた異色作ではあるが。
 良く聴けば、Shorter の活躍度が高い、聴き出せば一気に聴いてしまうだけの緊張感はある。多分 Alphonso Johnson 、Leon "Ndugu" Chancler (ds)、Alyrio Lima (perc) のリズム隊の躍動感によるものだろう。



a0248963_1430325.jpg 6作目 76年の Black Market 。いよいよこのアルバムから Jaco Pastrious が参加、といっても2曲のみだが。前作くらいから顕著になってきた Zawinul のシンフォニックなキーボード、オーケストラを一人でやってしまおう、みたいな意欲が丸出し、特に冒頭の Black Market 。サウンドは益々カラフルになり、SE まで含めたトータルな音作り、南国志向もはっきり。2曲目の冒頭、ベースの導入部はやはり Jaco ですねぇ!ハーモニクスなどさり気なくテクニックを見せ付けるなど、やはり只者ではない。LP A面は全て Zawinul の曲。
 LP B面、その1曲目は、自分にとっての超名曲 Elegant People、Shorter の楽曲ではMiles 時代の Nefertiti に匹敵すると思っている。もう1曲 Shorter 、そして Jaco と Johnson が1曲づつ提供。

 大学時代にポケモンがあればよかった、相当暇を潰すことができたろうに。今のように自分に自由になる時間が少なくなって、ゲームをやっていたり音楽を聴いていたりするとき、ふとこんなことに時間を使っていていいのか知らん、と思うこともあるのだが、他に何か有意義なことでもあるか?多分、それはないのだ、無意味な時間浪費が一番有意義だったりして。
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by ay0626 | 2012-07-08 12:53 | jazz

決して暗くない暗黒サウンド ユニヴェル・ゼロ (2)

 先週は、やはり政治のことが面白かった。57人という微妙な人数が反対票を投ずるものだから、例えばこれが50人程度なら、もっと居丈高に「除名!除名!」とドジョウ宰相も叫びたかったと思うが、この数だとそういう訳にもいかず、貧相な幹事長とのご相談ということになった。死神のような顔をした幹事長は政権与党の座を明け渡したくない一心で、犬と猿が、白と黒がごちゃ混ぜになった「一枚岩」に必死に縋りつく。ドジョウ宰相のほうが余程肝が据わっている。
 割って出た元代表さんも「鉄の結束」が、どうした訳か離党届提出の最終確認が取れていなかったようで、一人減り二人減り。最後は、政策も義理も糞といっしょ、国民の生活が一番どころか自分の選挙が一番になり果てた。右往左往するのが最も印象悪い、そんなことも判断できなくなってしまうのか、前回の選挙が如何に熱狂の茶番であったか、良く判ろうというもの。
 最もカッコ悪かったのが友愛坊ちゃんで、出て行きもせずまだ友愛!友愛!とのたまわっていらっしゃる、信念のずれ方も超坊ちゃん級であります、その友愛坊ちゃんを死神幹事長は党員資格停止中でも公認するとか、なんでもありの政界でもそりゃあんまりだろう、恣意的なんてもんじゃない。
 早く選挙をしないかなぁ、投票率が20%を切って、創●学会や共●党が第一党になって連立政権を打ち立てたりして、笑い話にしても冗談がきつい。

 相変わらず、電車の中では読書に励み、6月末の週は小林泰三さんの『惨劇アルバム』と田中啓文さんの『ミミズからの伝言』。小林さんは、前の『セピア色の凄惨』と同じく間違った方向に爆走する論理の果ての狂気。田中さんはやっぱり駄洒落、この脱力感堪りません、特に『赤ちゃんはまだ?』には仰け反った、『銀河帝国の弘法も筆の誤り』収録の『銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて』と同じくらいの衝撃度。グロでいえば『牡蠣喰う客』のおぞましさ、最高!朝からこんな本読んでいていてバチ当るんじゃないか、と思う。

 音楽では、サルベージで浚ってきた Samla Mammas Manna の Kaka を聴いてみたらこれが良い!ということで本日以降は Samla 聴き直し期間にしようと思っている。しかし、やっぱり RIO なら一番好きな Univers Zero をもう一回くらいは書いておかなければ、ということで Univers Zero の2回目。

 Univers Zero が現役で活動したのが77年から86年まで(アルバム・リリース期間)、その中でも木管楽器がバスーン(ファゴット)からサックス・バスクラに替わる4枚目以降はエレクトロニクスの導入も進み、初期3枚とは微妙に印象が違う。暗黒サウンドと言われるけれど、4枚目以降は自分はそれほど暗いとは思えず、むしろ変拍子に明るさ・楽しさみたいなものを感じてしまうのだが、やっぱり変なのであろうか。

a0248963_16455547.jpg 4枚目というのか、世間では番外 EP として扱われる Crawling Wind 。元々は日本でしか発売されなかった作品で、やっとCD化されたのは2001年になってから。リリース元はイースタン・ワークス、ジャケット・デザインは Fool's Mate の北村昌士、裏ジャッケットの 宇宙零 の書は鈴木響泉。初期の Fool's Mate には RIO を始めアヴァンギャルド関係の記事が多く、へ~そんな音楽もあるんだ、聴いてみて~と思ったもんであったが、手に入り難い盤ばかりでなかなか聴けない、今は凄いもんです、どんな音楽でも金を出せばほぼ入手出来るようになった。
 初出は3曲で構成され、メンバーが Daniel Denis (dr)、Dirk Descheemacker (cl)、 Andy Kirk (kd)、Guy Segers (b)、Alan Ward (vln)、19分ほどの作品。再発時に同時期同メンバーによるスタジオ録音1曲、84年と79年のライヴを加え、ほぼフル・レングスの収録時間になった。

a0248963_16461641.jpg 次が傑作との声も多い Uzed 、84年の作品。メンバーは Denis、Descheemaker、Christian Genet (b)、Andre Mergen (cello, as)、Jean-Luc Plouvier (kd) 。バスーンがクラリネットに替わり、もやっとしたところが少なくなり、それに従ってチェンバー感も薄くなったが、その分疾走感が強まりロック的な面が強調された感じ、初期のまったり感とどちらが良いかは好き好き。
 前衛ロックも世界が狭く、Andre Mergen は Berlin ~ Nosferatu 期の Art Zoyd のメンバー、Jean-Luc Plouvier は X-Legged Sally の初期メンバー、Genet は Segers と入れ替わりで出たり入ったり、ゲスト参加の Michel Deloy は後に正式メンバーとなる。曲も複雑な割には印象に残るメロディーもあり、曲名は(フランス語で)読めないので、聴けば、あ~あの曲、という感じになる。

a0248963_16463411.jpg 86年 Heat Wave 、このアルバムの後、解散。メンバーは Denis、Descheemaker、Genet、Plouvier、Michael Delory (g)、初期メンバーの復帰 Patrick Hanappier (vln,vla)、 Andy Kirk (kd)。ツイン・キーボードにギターまで入った大所帯。Kirk が大曲1曲を含む2曲を作曲、残り2曲が Denis の作品、初期の Trigaux 作品を除けば Denis 以外の作曲作品がこれほどフューチャーされるのも珍しい。
 音としては、エレクトロニクスをかなり導入、どちらかと言えば生音よりも電子音のほうが耳に残る、凶暴性というか何というか、とげとげしさみたいなものを感じる。

a0248963_16465640.jpg 2008年に発表された84年から86年に掛けての未発表ライヴ集が Relaps 。録音状態もよく、臨場感溢れる作品。アンサンブルが時として荒っぽくなるのもライヴの生々しさ。しかし、殆どが原曲そのもののアレンジとなっており、インプロの部分はかなり少ないと思われる。84年は Uzed のメンバー構成、85~86年は Heat Wave のメンバー構成。
 暗い赤を基調としたジャケットは、何が描いてあるのか(写っているのか?)判らないが、収録された音楽とよくマッチしている。

 ということで、最初の解散までの作品を紹介した。Zero を聴きだしてもう20年以上、Denis のソロや再結成後に一時失望した時期もあったが、これからもお付き合いさせて頂きたく。
 ちょっと詰まらない Denis Solo や再結成後の作品も勿論(力が入るか否かは別にして)紹介致しますのでよろしく。
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by ay0626 | 2012-07-07 13:49 | rock

その後のヘンリー・カウ 美貌の社会運動家 リンゼイ・クーパー

 先々週読んだ本は橋爪 大三郎・大澤 真幸の『ふしぎなキリスト教』、先週は島田裕巳の『日本の10大新宗教』『葬式はいらない』、小林泰三の『セピア色の凄惨』。通勤の電車内で読んだものばかり。
 宗教にはそれなりに興味があって、本はよく読む、人間の生き方を教えてくれる有難い経典ではなく、その成り立ちの社会的思想的背景が何であったかというようなことが判るような本が好きなのだ。『ふしぎなキリスト教』でも『日本の10大新宗教』でも言っていたように、宗教は世の中が終わってしまうというご託宣を梃子にして信者を増やすというところがある。何故世の中が滅びるのか、それは人間誰にも嫌なことがあって「世の中なんか滅んじまえ」と思っているからだ、そう思っている人に限って「他の人は滅んでいいけど、自分だけは消滅したくない」と思うのであって、そうならば自分で自分が滅びないようにすればいいのだけれど、そこまでの努力はしたくない、それじゃ神様にでも頼んでみようか、ということになるのではないか。考えもせずに何かに縋る人たち、宗教家じゃなくて宗教屋にとってそれ以上美味しい獲物はいない。

 小林泰三はデビュー当初から読んでいて、その生理的な「嫌さ」を楽しんできたのだが、この『セピア色の凄惨』は論理の暴走が嫌さ感を募らせていく。4編の短編で構成されていて、全体が連作となっているのだが、後半に行くに従ってその暴走具合は加速し、最終編の「英雄」の落ちがああなるとは、ただただ唖然とするばかり。読んでいる内は、その論理が「間違った方向に正しく進む」感じにイライラするのだが、読み終わると妙に納得してしまう。

 音楽のほうは、相変わらず昔買って今は聴かなくなった CD のサルベージ大作戦が進行中で、今回の Lindsay Cooper の作品もそのうちのひとつ。Henry Cow 関連で、例えば Cassiber や Work、John Greaves のソロあたりと同時に浚ってきた。
 Lindsay Cooper は、1951年生まれで王立音楽院で学んだ、本来はクラシック畑の才媛。もともと社会に対する思いも強かったのであろう、Henry Cow のような左翼思想に染まったバンドを経て、Feminist Improvising Group を結成するに至る(1977年、Cow の崩壊寸前)。Maggie Nicolsとの共同で立ち上げたこのプロジェクト、他には Georgie Born、Irène Schweizer、Sally Potter、Annemarie Roelofs など知った名前も多い。最初の演奏が「社会主義のための音楽祭」で行われたのを見ても、これがどういう類の人たちの集まりか、容易に想像できよう。こちらは主義主張にはあまり関係がなく音楽を聴いているので、その人が作る音楽が如何であるか、だけが興味の焦点、そういう意味では外国語の歌詞は内容が判らない点がグッド、Ayler でも Cow でも歌詞がその言葉の意味を伴って頭に入ってきたら、嫌になって聴くのを止めていたかも知れない。

a0248963_15484167.jpg その Lindsay Cooper のソロ1作目が Rags 、1981年。映画音楽のようで、1840年代のロンドンでこき使われた植民地から連れてきた針子さんたちを描いた作品らしい、ロンドン版「ああ野麦峠」みたいなもんか、映画自体に興味がないのでよくは判らない。19世紀に限らず近代など収奪の歴史に間違いない訳で、それを声高に叫んでも歴史が変わることはない。
 音楽作品としては、Lindsay の作曲家としての能力が発揮されており、この人の力はインプロよりも作曲作品により強く出ると思う。また、メインの楽器がバスーン、柔らかで優しい音であることから、主義を持った作品でもほんわかと聴かせてしまうのかも知れない。
 メンバーとしては、Sally Potter (vo)、Georgie Born (b, cello)、Phil Minton (vo, tp)、Fred Frith (g)、Chris Cutler (ds) 、お馴染みのといえば全くお馴染みの人たち。Sally Potter の声は、Dagmar Krause に比べれば存在感が薄いかもしれないが、非常に可愛らしい感じで Phil Minton の男性的な声との対比が面白い。

a0248963_15491521.jpg 次が1983年の Golddiggers 。これも Sally Potter が監督した映画のサントラ、詞も全曲 Sally Potter による。これも歌詞なんか見るとかなりの主義作品のようだが、音楽的には前作にも増して室内楽的な雰囲気が強い。2曲目などピアノがミニマルな印象を与えるなど、ピアノやギター演奏も管楽器演奏に負けない印象。
 メンバーは、Georgie Born (b, cello)、Marilyn Mazur (ds)、Eleanor Sloan (vl)、Kate Westbrook (tenor horn)、Sally Potter (vo)、Collette Laffont (vo)、Phil Minton (vo)、Lol Coxhill (sax)、Dave Holland (p)。この内、ヴォーカリスト達は1曲から2曲のみの担当。Marilyn Mazur は1980年代の Miles Davis のパーカッショニストとして有名。こうして見ると男性は全てゲスト、主たるメンバーは女性、主義主張が表れていますな。女性解放と社会主義・共産主義との相性は良いようで。

a0248963_15494319.jpg この2作、RER から1991年、2 in 1で再発された。






a0248963_1550874.jpg 1983年には News from Babel の活動が始まる。これは、Art Bears の後継バンドといったところで、Chris Cutler が全曲作詞、Lindsay Cooper が全曲作曲。
 1984年に1st 、Sirens & Silences / Work Resumed On The Tower 発表。LP A面が Sirens & Silences、LP B面が Work Resumed On The Tower となっている。メンバーは、Lindsay 、Cutler 、Dagmar Krouse (vo)、Zeena Parkins (harp, accordion)。Georgie Born と Phil Minton がゲスト参加。変な話だが、Lindsay も Zeena も美人、Dagmar も見ようによっては(失礼!)美人、本人たちにこんなことをいえば糾弾されてしまうかも、女性の敵とかいわれて、美人であることは素晴らしいことだと思うのだが。
 ギターもベースもない、ドラムが辛うじてロックの雰囲気を残す、といった感じか。Zeena Parkins の本格的なレコーディングは本作が初めてか、この後、Skelton Crew などにも参加し、Henry Cow - Fred Frith 一派としての活動機会が多い。本作では彼女のハープの音が前面に出ていて興味深い(その後のソロなどを聴くとハープだかなんだか判らないような音が多いので)。Dagmar の声の存在感は相当なもので、バックが Frith でも Cooper でも彼女の世界になってしまう感じ、ちょっと存在感あり過ぎでだれるところも。

a0248963_15503118.jpg 1986年 Letters Home 。45回転の LP で出された模様。このアルバムでは、ヴォーカリストが大勢参加している、Robert Wyatt がメインで、Sally Potter も2曲、Phil Minton が1曲。Dagmar は2曲くらいしか歌っていない。他に Work の Bill Gilonis がベースとギターで全面協力、そのせいか前作にみられた盛り上がりに欠けるようなところがなく、色彩感や緊張感は前作以上の出来、ヴォーカリストの声の違いによる目先の変えようもプラスとなった。Zeena のアコーディオンも非常にいい感じ(3曲目の Banknote )。
 Robert Wyatt はこの頃は共産党員だったので多分参加したのであろう、しかし1曲目の Who Will Acuse ? など、バックの演奏と Wyatt の声の雰囲気がぴったり合っており非常に良い出来。
 1986年といえば、多くの RIO バンドが活動を停止した時期。News from Babel も同じように活動を停止することになる。

 1995年には目出度く2 in 1の形で RER から再発(ジャケットは1st を流用)、2009年にはリマスターの上、3枚組(1枚は7インチ・シングルで発売された Contraries 、3分の曲1曲のみ)として再再発、流石にこれは購入していない。

 Lindsay Cooper のこれ以降の作品については別の機会に。
 こうしてみると Henry Cow のそれぞれのメンバーは才能ある人ばかりだったと思う。そのうちに他のメンバーの作品も紹介したいな。
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by ay0626 | 2012-07-01 13:08 | rock