日常茶飯事とCDコレクション
by ay0626
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
無駄話
jazz
rock
folk
new age
radical-trad
trad
free improvisation
latin
現代音楽
音楽-その他
dark-wave
以前の記事
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
最新の記事
大坪砂男の粋 + ハット・フ..
at 2013-08-11 15:46
ブログの内容 ちょっと変更 ..
at 2013-08-04 15:59
大人のロック、洗練された音、..
at 2013-07-27 14:49
変容するフリー アルバート・..
at 2013-07-20 14:20
ベースの可能性・無伴奏の魅力..
at 2013-07-07 21:31
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
音楽
オヤジ
画像一覧

<   2012年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

その後のヘンリー・カウ 境界線を超えて フレッド・フリス

 いよいよ台風がやって来る。朝方まで風は強いものの陽も照っていたのだが、昼が近づくにつれ雲が厚くなり、ざっと雨が降り出した。これからますます荒れ模様となるようで、家の中で大人しく音楽でも聴きながら、ブログでも綴りましょう、って何時もの休日の過ごし方と変わらない。

 先日は、Dead Can Dance の新譜を購入、相変わらずのサウンドだが、その前のアルバム Spiritchaser が1996年、16年振りの作品となる。また、まだ購入はしていないが Tin Hat もニュー・アルバムをリリースしている、Carla Kihlstedt が全面的にヴォーカルを披露しているとのこと、非常に楽しみである。また、この頃一番聴き込んでいる Les Ogres de Barback ももうすぐ新譜が出るとか、ライヴ・アルバムで DVD 付きらしい、こちらも楽しみ、コレクターは止まらない、止められない!といったところ。聴く時間を確保しようと、イア・フォーンが嫌で一時聴くのを止めていたウォーク・マンを引っ張り出してきて、中身をかなり入れ替えた。通勤の行き帰りでだいたい CD 1枚が聴ける、本を読むならいざ知らず、ボ~っとうたた寝じゃ勿体無いといったところ、しかし、ボ~っとするのは時間の無駄遣いか?ある意味、最も気持ちの良い時間だったりして。

 そんなことを考えているうち、どんな時間の過ごし方が良いのか考えてみた。やはり、好きなことをしているときが最も時間の経つのが速い。それでは好きなこととは何か、例えば好きじゃなくても教育のせいで好き(といっていいのか何というべきか)になってしまうのが宗教、合理性もへったくれもないのに小さい頃から洗脳されると何も疑問を抱かず、お祈りでも寄付でもしてしまう、宗教を守るためなら戦争も・・・やっぱり好きなんでしょう、神様。もう一つ、生活の手段としての仕事、生活のためとはいえ、一日の活動時間の大半を使う、そして丁寧にしようとすればするほど仕事に使われる時間は増大する、するとどうなるか、「仕事が嫌だ」と苦痛になるので「自分はそれ(仕事)が好きなのだ」と思うことで、苦痛を減らそうとする、反対に楽しいと思えるようになる。案外ワーカホリックの精神構造はこんなだったりして。音楽が好きで、ミステリが好きで良かった、周りから見れば下らぬ趣味でもそれがあってよかった。そのため、時間を作ろうと努力(?)する、家に早く帰ろうとする、そうした自己防御による認識すり替えが起こらずに済んだのだから(難しく書こうとしている訳じゃない、短く書いたらこんな風になっただけ、言い訳がましくて申し訳ない)。

 自分が聴いている音楽家のうち、多分一番自分の遣りたいことを遣りたいように遣っているのが Fred Frith 、盟友の Tim Hodgkinson が多少肩に力が入っているんじゃないの、と思えるのに対し、こちらは自由人そのもの、アルバムの題名じゃないが、遥かに境界線を跨いでいる(1990年 'Step Across the Border' )。
 交友関係が広く、気軽にレコーディングも行うものだから CD の数も膨大、それが全て面白いという訳でもないので、紹介しようと思うのは80年代の作品、Ralph 3部作、最初の自身名義の作品 Guitar Solos 、Skelton Crew 、Step Across the Border 程度、作曲作品集や他グループ作品は割愛。今回の紹介は、Art Bears 以降の最初のプロジェクト、Ralph 3部作のご紹介。

a0248963_16434728.jpg 80年代初頭、Frith はArt Bears の演奏と平行して RIO を通して関連の出来たバンドと共演を行った。その最初の成果が80年リリースの Gravity。所謂 Ralph 3部作の第1作、Ralph とはレコード・レーベル名で、Residents のレコード会社、アヴァンギャルド系の音を多くリリースしており、日本人でも立花ハジメ(テクノ・バンド、プラスティックスのギター)がここから LP を出している。
 LP でいえば A 面が Zamla Mammas Manna との、B 面がアメリカのRIO バンド Muffins とのコラボレーション、またこれもベルギーの RIO バンドの Aqsak Maboul のリーダー/アルト・サックス奏者の Marc Hollander が全面的に参加、RIO 祭みたいなもんである。お祭らしく、民族的なメロディーや躍動感のあるリズムなど、批評家はこのアルバムを 'an avant-garde "dance" record ’ などと言っている。確かに Zamla の Lars Hollmer のアコーディオンなどダンスの感じをよく醸し出しているし、Frith のヴァイオリンも異国風な感じではある。
 Muffins はアメリカの RIO バンド、70年代中盤から80年代初頭に掛けて活動、長い中断期間を挟み90年代末に復活、それ以降コンスタントに活動している。初期にはメンバーも変わったが、ギター・レスのカルテットの固定メンバーとなっている。
 Frith の作る音楽には何となく軽味があって、そのためアヴァンギャルドであってもあれだけの数の CD をリリースし、そこそこの人気があるのだろう、風貌通りの人なのではないか。自分が彼の音楽に突っ込まない(突っ込めない)のは、その軽さ、ボーダーレスな感じに付いていけない部分があるからかも知れない。
 CD リリース時(自分が持っているのは1990年 ESD 盤)、6曲が追加で収録された。Henry Cow のWestern Culture のアウトトラックや Art Bears の Hopes and Fears 収録曲、Aqsak Maboul の Un Peu de l'Âme des Bandits の収録曲、Skelton Crew の Learn to Talk 収録曲など。

a0248963_1644966.jpg 次が81年リリースの Speechless 。LP では、A 面が Etron Fou Leloublan との、B 面は Frith 自身もメンバーである Massacre の演奏(B 面はソロでの作品も多く収録)。CD 化に際し、6曲が追加され、その部分は正に混沌状態。Frith も 盟友John Zorn 同様の親日家で、日本の様々なコンピレーション・アルバムに音を提供しているが、追加曲のうち2曲がそれ。17曲目の No More War なんていう曲は「おかあちゃ~ん」という叫び声が何度も聴こえます、変な曲。
 A 面の Etron fou 、Frith の作品を演奏しているせいか案外まともで、彼らの弾けた感じがない、4曲目に若干その片鱗が見えるか、といったところ。Etron fou は4枚目 Les Poumons Gonflés 、6枚目 Face Aux Éléments Déchaînés が Frith のプロデュースによるもの、またベースの Ferdinand Richard は共同名義のアルバムを出しており、関係は強固なものがあった。
 B 面の Massacre の面子による曲は、ニューヨークの CBGB でのライヴから、前に紹介した Curlew のファーストのライヴもここで同時期に行われたもの、ゲストで Curlew のリーダー George Cartwright が参加している。

a0248963_16443534.jpg 3部作最後のアルバムが Cheap at Half the Price 。殆どの楽器を一人でこなしたその名の通りの 'ソロ・アルバム'(とはいっても Bill Laswell と Tina Curran が1曲ずつ参加しているが)、自宅での録音。前作でも何曲か全部自分で演奏というのがあったが、本作はそれを全面的に展開した。
 このアルバムの一番の特徴は、聴き易さ、のっけからあまり上手くもないヴォーカルが入り、何曲かはヴォーカル入りというのも今までにない試み。あまりに薄っぺらい感じで、題名通り『安いよ!半額だ!』、発表当時評論家諸氏もその"apparent simplicity"に当惑したという。
 Gravity のところに書いたが、Frith には非常にポップな面があり、様々な境界線を軽々と超えるうち、ポップ領域に踏み込んだのがこの作品ではなかったか。ちょっと異色ではあるが、決して嫌いではない、よく聴くかと問われれば、そんなでも・・・とは言ってしまうが。
 CD では追加で2曲収録、1曲は Curlew のセカンド North America 収録曲、もう1曲はコンピレーション提供曲、あまり追加の意味はなさそうな気がする。

 Henry Cow 関係、あと残すは Chris Cutler 御大のみとなりました(とは言っても、各人の紹介のパート2、場合によってはパート3までは必ずやりますが)。昔の音楽ばっかりじゃん、って・・・当然です、なんたって自分はオヤジなんですから(と開き直り)。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-30 13:50 | rock

ゴシックからドリーム・ポップへ コクトー・トゥインズ

 台風が来るとかで、気温はそう高くもないのだが蒸した感じがして気持ちの悪い天気だ。こんな天気なのでポップな音楽を聴こうとして掛けたのが Cocteau Twins 、それでは最初のアルバムから、と思って Galands を聴き出したら、これはゴシック調、心は晴れませんでした、はい。

 先週は、自民党の総裁選があって安倍元総理が目出度く選出されたが、どんなに面倒な仕事でも局面でもトップに立ちたい人はいるもので、そうでなければ組織なんぞは成り立たない、それは重々承知はしておりますが、自分から見ればそのメンタリティーは全く理解出来ないのである。
 それはどの世界にも言えることで、例えば日経団連のお爺さんたち、70歳になってまでネクタイ締めて、天下国家を憂い、資本主義の大義なぞのたまわって、誰も期待なんかしていないのに、自分がやらなきゃと張り切る。好きだから仕方がない、やりたいからやっている、それが明々白々なのに「皆さんの声に押されて」などと、あたかも自分だけがその任に当れるから当然だろう、みたいな言い回し。
 まあ、組織のトップなぞ、それなりの実力が要るのも当然であるが100人の人がいれば25人くらいは出来る、ある意味それなりの力を持っていれば出来るもの(力がなくても部下にそれなりの力があれば組織は成り立つ、徳川幕藩体制やオスマン・トルコの例を引くまでもない)。あとは最高の運と「なりたい!!!」という強烈な意志、多分それだけ。そしてトップに上り詰めれば、三越の某会長のように女にトチ狂い異常な恐怖政治でもやれば突然解任されてしまうこともあるだろうが、余程の酷いことをやっても組織のヒエラルキーは強い、部下の多くの受忍範囲は広めに出来ているので(政治家はここら辺ちょっと違うかも)、「馬鹿だ!アホだ!」と罵倒されても、大抵は我慢してくれるもの。思うのだが、トップに上り詰めるだけの運でなく、その組織全体に対する運を運んでくる人(判り難い言い方になったが、簡単にいえば、会社業績が良くなる運、念の為にいうと「良くする運」じゃありません、政党でいえば政権党になれる運)がトップであって欲しい、そうすれば部下の受忍範囲はぐっと広まります、ハイ。
 早く定年にならないかなぁ、とは50歳を過ぎてからの口癖、ごろごろするのが本当に好きなんです。

 と話はあっちこっちに行くわけですが、話題は冒頭に戻って Cocteau Twins 。80年代前半から90年代中盤に掛けて活動したイギリス・スコットランドのバンド。ゴシック系からヘヴンリィ・ヴォイス、ドリーム・ポップと呼ばれるような音楽へと変容するサウンド。
 やはり、デビュー直前にブームとなったパンクの影響はあるようで、EP としてのリリースが多いのが特徴か。単調といえば単調な音楽なので、いいとこ緊張感が続くのも15分から20分程度ということですか、違いますか、ああそうですか(ファンの皆さん、すみません)。
 盤元の4AD は、Dead Can Dance をもう一方の看板に据えたレーベルである、ジャケットは両バンドともなかなかのもの、23 Envelope というアート・チームが作成している、よく見ると意味がありそうで、あまりないんじゃないか、見る人次第というところか。

a0248963_14425985.jpg 最初のアルバムは、82年の Galands 。この時のメンバーは Elizabeth Fraser (vo)、Robin Guthrie (g, b, drum machine)、Will Heggie (b)。靄の掛ったような音像、ジャランジャランとかき鳴らされるギター、動き回る変なラインを紡ぎ出すベース(このベースはかなり良い)、直ぐに声が裏返しになるヒステリックともいえるヴォーカル。このアルバムは、ゴシック系といわれるようにかなり暗くて重い音を出しているが、あくまでポップの範囲、例えば Univers Zero のような暗さや重さとは質が違う、そうでなければ売れる筈がない。
 確かに Fraser 嬢の声はなかなかのもの、何を歌っているか判らないのは発音上の問題であって、レーベル友達の Dead Can Dance の Lisa 嬢のように異言( 学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象 ~ wiki から。まあ、イタコみたいなもん)ではありません、英語を知らぬ人が聴けば大きな違いはないが。このアルバムでは声が裏返り捲くり、そのときについでに白目まで剥いていれば、多分彼女の面貌と相まってイタコのように見えたかも。
 ドラマーがいないためパーカッション部分はドラム・マシーンだが、あまりに音がショボい、スネアがポンポンいうのを聴いていると哀しい気分になる。バンドが貧乏で良い機材が買えなかったか。

a0248963_14433632.jpg 次のリリースは、82年の EP Lullabies、3曲入り16分ほどの作品。前作と同じメンバーで、路線も同じ。3曲目の It's All But an Ark Lark 、8分を超える大作で聴き応えあり。
 ジャケットの色、デザインとも出色。4AD の多くのアルバムを特徴付けるこのジャケット・デザイン、グラフィック・デザイナーの Vaughan Oliver と写真家の Nigel Grierson のチーム、23 Envelope によるもの。



a0248963_14435720.jpg 続いてのリリースも EP Peppermint Pig 、93年のリリース。12インチ盤では3曲収録、9分半ほどの作品。若干の変化は感じられるが、ほぼ前作と同様の路線。何故、ペッパーミントの豚が温泉に浸かる女性なのか、誰にも判りません。







a0248963_14442380.jpg 93年、2枚目のアルバム、Head over Heels 。このアルバムからベースが抜け、Fraser 嬢と Guthrie 君の2人体制に。ベース・ラインは相当大人しめ、というか面白みはなくなった。
 音の採り方は前作と大きく異なるところはないが、Fraser 嬢が伸びやかに歌う曲が増え、その後の天国的美声路線への傾向がはっきり見える。この次のリリースとなる EP の劈頭を飾る Sugar Hiccup が代表だが、8曲目 Multifoiled や9曲目 My Love Paramour などもこの路線。また、7曲目の The Tinderbox のパーカッションや9曲目、10曲目 Musette and Drums のギターの使い方など曲構成にも新たな試みがなされている。ドラム・マシーンも前作の一聴それと判るようなチープさはなくなった。

a0248963_14444965.jpg 同年発表された EP が Sunburst and Snowblind 。前作の3曲目Suger Hiccup から始まる4曲14分半の作品。ゴシックからドリーム・ポップへ、正に途上といっていい。









a0248963_14451454.jpg シングルだとか12インチEP などはアルバムと違い、直ぐに廃盤になってしまうし、日本では相当有名なバンド以外全部がリリースされることがない。そういう意味で EP を多産するバンドはファン泣かせ、コレクター泣かせといっていい。Cocteau Twins もご多聞に漏れずコレクター泣かせのバンドであったが、2005年に Lullabies to Violaine として全ての EP 、シングルが4枚組のセットとして纏められ、その後2枚組2セットに分割、未だ現役盤となっているのはご同慶の限り。出来れば、EP・シングルのジャケット写真を全て収録して欲しかった。

 コレクションでは、異色のバンド。しかし、あまりに色々の音楽を聴いているので、このバンドに違和感を感じることはない。さて、次に聴くのは武満徹の『地平線のドーリア』でも。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-29 12:52 | rock

スタイリシュな弦楽四重奏 クロノス・カルテット

 昨日が秋分の日で、今日は雨。ぐっと気温が下がって「暑さ寒さも彼岸まで」がその通りの感じ。彼岸とは、読んで字のごとく「向こう岸」のこと、まあ仏教でいえば解脱して煩悩 ~ 様々な悩み事 がなくなって悟りを開いた状態になること、また阿弥陀如来の領地、極楽浄土のことである。そう、日本の浄土宗や浄土真宗の考え方で、念仏を唱えれば(阿弥陀という仏さんの名前を連呼すれば)極楽浄土に死んだ後連れて行ってくれるという考え方ですね。彼岸に対して煩悩いっぱいの今生きている世界のことを此岸(しがん)という。
 もともとお釈迦さんが始めた仏教には、死後の世界という概念はなかった。そりゃ、当然といえば当然で、輪廻転生を肯定することでカーストを構成してきたバラモン教を否定する思想が仏教なのだから。輪廻転生を前提とする死後の世界を肯定したら何の意味もなくなってしまう。お釈迦さんは、死後の世界を「判らないんだから語ってはいけない」みたいに言っている。それでは、この世の苦しみから逃れる(言い方は悪いが)方法は、といえば出家して修行して、何もかも一切気にならないようになること(仏教では人を愛すれば、その愛した人に執着する、つまりは煩悩が生ずると考えられた。お釈迦さん、余程の女嫌い、子供嫌いだったのかも)、つまり解脱(苦しみのサイクルから外れること)して悟りを開くこと(全く何も気にならなくなること)が重要だ、とのたまわった次第。
 しかし、貧乏人は頭も悪く、出家するほどの財力もなく、修行するほどの気力もない。それじゃあ悟りなんぞ開けるわけもない、日々の暮らしのため、やっぱり現世利益のバラモン教の方がいいや、ということでインドでは仏教が滅んだ。タイなどでは昔ながらの上座部仏教が多少生き残ったが、中国では現世利益の道教と結びついたりした。日本では、キリスト教的な「おすがり宗教」としての浄土宗や浄土真宗が幅を利かした。自分じゃなんとも悟れないので、阿弥陀さんにおすがりして、領地の極楽浄土へ連れて行ってもらおうというもの、もともと農民の宗教らしく「現世利益」的な側面がごっそり抜け落ちていて、お祭的側面は神道 ~ 神社 の担当になったようだ。
 別に死んだ後がなけりゃなくていい、とはあまり人間は思わないようで、どの宗教にも死後の世界について語る。3大宗教のうちで、全く死後世界に言及していないのは仏教だけだが、その仏教もいろいろあって、原初の形のままの仏教など、もうとうの昔に死滅してしまっている。なかなか、煩悩は消えないということか、消えなくても困らないといえば困らないが。

 と、涼しくなって頭も確りするかと思えば、ぼ~・・・・としたまんま、暑さに破壊しつくされたようで。ということで、クール・ダウンのための音楽、現代音楽の弦楽四重奏団 Kronos Quartet の CD のご紹介。

 Kronos Quartet は、1973年に David Harrington によって創設された弦楽四重奏団、現代音楽を中心にありふれたクラッシク四重奏曲以外の、例えば古楽とか民族音楽とかにも触手を伸ばし、夥しい録音を残す。ファッション的にもなかなか尖がっていて、ライヴなどはポップのノリ(ちょっとは違うか)だったとも聴く。
 クラッシク ~ 現代音楽は、作曲家の作った作品を演奏家が演奏するという形を採るので、作曲家の作品集ということで CD を作ると、一部だけお目当ての演奏家ということもある。コレクター的にいえば、ちょっと揃え方が難しい、ということで Kronos については主要レーベルの Nonsuch 盤のみのコレクションとし、一部だけ彼らの演奏のものは購入しないこととした(変に律儀ではある)、まぁそんなに頻繁に聞かない割りに CD 枚数は相当数あるという理由もあるが。

a0248963_15332625.jpg ということで Nonsuch 最初のアルバムは1986年の Kronos Quartet (s/t) 。メンバーは、David Harrington (violin)、John Sherba (violin)、Hank Dutt (viola)、Joan Jeanrenaud (cello) 。最初期のメンバーとは異なるようだが、Joan Jeanrenaud が99年に去るまで長くこのメンバーが続いた。
 彼らの演奏が上手いのかどうか、それは自分の耳では確かめられない。しかし、現代音楽の様々な局面をヴァラエティー豊かに見せてくれる、特に初期の盤は見本市みたいな感じで、他のクラッシクに見られるような退屈さはなかった。彼らの演奏する楽曲の作曲家もロックやポップスを全く聴かずに作曲活動をした訳ではないだろう、リズムや強弱の付け方、和音の使い方などにそれなりの影響は出ているはず、ましてやロックやジャズの曲をアレンジして取り込んでいるこの四重奏団に委嘱された曲であればなおさら。
 本 CD には、5人の作曲家の作品が収められている。1曲目は Peter Sculthorpe (1929~)、オーストラリア人、アボリジニなど原住民の音楽にも興味があるようだ(ラディカル・トラッドなどでよく使われるデジェリドゥはアボリジニの楽器)。17曲もの弦楽四重奏曲を書いているが、ここに収録されたのは第8番。
 次の曲は Aulis Sallinen の弦楽四重奏曲第3番。Aulis Sallinen は1935年生まれのフィンランドの作曲家、調性のある音楽で実験的な側面の少ない作曲家のようだ。8曲もの交響曲を生み出している。
 3曲目はミニマル・ミュージックで有名な Philip Glass (1937~)、ここに収録されたのは Company と題された2番。現代音楽の中でも聞きやすく、多くの曲が CD になっている。Kronos もこの後、Glass の四重奏曲を集めた作品集をリリースする。
 4曲目は Conlon Nancarrow (1912~1997)の四重奏曲。アメリカ人だが、長くメキシコに住み1955年にはメキシコの市民権を取った。自動演奏ピアノのための作品を書いたことで有名、人間には到底弾けない音楽を作った。
 5曲目が、Kronos の名前を世に広めた Jimi Hendrix の Purple Haze ~ 紫のけむり、ほんの3分程度の演奏だが、強烈な印象を残す。

a0248963_15334196.jpg 次の作品集が、White Man Sleeps 、1987年作品。この作品集もごった煮的な印象で、聴くにはヴァラエティーに富んでいて、飽きずに聴き通せる。これがベートーベンだと途中で寝るか、だるくなって楽章の切れ目で聴くのを止め、他のCD をテーブルの上に乗せるか、のどちらかになる。
 Kevin Volans (1949~、南アフリカ)、Charles Ives (1874~1954、アメリカ)など7人の作曲家の作品を収めるが、前作の Purple Haze に対応するのが、Ornette Coleman の Lonely Woman 。これも3分程度ではあるが、印象的なメロディーが強調された良い出来。

a0248963_15335843.jpg 3作目は、Winter was Hard 、1988年作品。この作品になると Webern や Schnittke といった有名作曲家に混じり、これからも親交を続ける Terry Riley やジャズ・前衛畑の John Zorn 、John Lurie 、タンゴの超大御所 Astor Piazzolla の作品など、その守備範囲の広さには目を見張る。多分、リリース時は通常のクラッシク・ファンには良い感じでは見られなかっただろう、アヴァンギャルド・ジャズやロック好きの方に注目されただろうと思う。
 John Zorn の Forbidden Fruit は、石原裕次郎の『狂った果実』という映画に触発された作品とのことで、あの『木綿のハンカチーフ』の太田裕美がポエトリー・リーディングを行っているのだが、これが気持ち悪く決まっていて、一聴の価値あり!と力んでおきましょう、Zorn と太田裕美、どこでどういう接点があったのだろうか。

 といことで、久しぶりに現代音楽、浸ってみるのも良いです。リズム、ビートは気持ちいいけど草臥れることも多い、偶にはまったりと・・・・とはいきませんか、ああ、そうですか。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-23 14:13 | 現代音楽

絵になるねえ! ファウン (2)

 昔は、動いているミュージシャンを見るためにはコンサートに行くぐらいしか手段がなかった。近頃は、どんなバンドでも 'プロモーション・ヴィデオ' みたいなものを作るし、コンサートも長尺の DVD になってたっぷり見ることができる。手軽なところで、音の質を気にしなければ You Tube など動画専門サイトでどんな感じで演奏しているのか、くらいは確認できる。
 見て、「へ~、そんな風に演奏していたの」などと感心することも。例えば「たま」の『金魚鉢』という曲、鈴とリコーダーが同時に演奏される部分があって、実際に演奏風景を見てみると、石川さんが両足に鈴を付け足踏みをすることで鈴を鳴らしながら、リコーダーを演奏している。一箇所だけ金鉢を叩くところも、足の鈴を素早く取り去り、鉢まで走っていって一発かましている、ライヴの音だけでは到底想像できはしない。また、Present の Barbaro (ma non troppo) は、音楽CD とライヴ DVD を組み合わせたアルバムだが、CD で音だけの Vertiges 、最後のメタル・パーカッションが鳴り響くところ、どんな楽器を使ってやっているのだろうと思ったが、ライヴ映像を見てぶっ飛んだ。ライヴでは、巨人といっていいほどの大男、それも顔に化粧をした、何かホラー映画にでも出てきそうな珍妙な格好をしている人物が手に2本の金属棒を持って、それをおもむろに力いっぱい太い棒にやや細い棒をぶち当てて音を出すのである。非常に原始的な方法で音は出ていたのであった(前にも書いたが、この後ろで足の悪い Rodger Trigaux 親父が元気いっぱい、ギターを振り回してキーボードを破壊し捲くっていたのである)。

 ここまで映像が出てしまうようになると、あまりかっこよくないバンドはちょっといたたまれないだろうなぁ。ヴィジュアル系だとかシアトリカル系はいいのだろうけど。シアトリカル系といえば、昨年始め解散宣言をして、スタジオ・アルバムとライヴ DVD を出すといっていた Sleepytime Gorilla Museum は、ちゃんと仕事をしているのだろうか、You Tube で確認できる彼らの白塗りシアトリカル・パフォーマンスや創作楽器による演奏風景は纏まった記録として是非とも手元に持っていたいものだ(何せコレクターですから)、約束を反故にしないよう望んでおく。

 演奏も大したものだが、見ても最高なのが Faun 。今回はライヴ・アルバムと2枚の DVD のご紹介。DVD はヨーロッパなので PAL 形式だが、コンピュータがあれば視聴できる、便利な世の中である(これで思い出した、会社の知人でアダルト DVD を見るためだけにその昔 PAL 方式の DVD プレーヤーを買った猛者がいる。その道に懸ける思いの深さが判る、感動的(?))。

a0248963_16423466.jpg Faun 唯一のライヴ・アルバムは、2007年の Pagan Folk Festival を収めたもの。Faun だけでなく、Sieben と In Gowan Ring というバンド(?)の演奏も収録(Faun のメンバーが演奏に協力している)。この共演の Sieben は Matt Howden というヴォーカル・ヴァイオリン奏者のワンマン・プロジェクト、In Gowan Ring も B'eirth というヴォーカル、ギター・リュート奏者のこれもワンマン・プロジェクトのようである。調べてもあまり詳しくは判らない、特に日本語の情報は皆無に近く、かといってここで聴かれる音楽には調べてまで聴こうと思うような魅力は感じず、そのままになっている。
 収録曲は Totem 、Renaissance に収録されたものに2曲未発表曲を加えている。演奏自体は安定しており、ライヴらしい荒々しいところやソロが熱くなるところも。しかし、このアルバム、音はあまり良くなく、Faun がライヴを出すなら DVD に限ると思った次第。

a0248963_16425469.jpga0248963_16431436.jpg DVD は今までに2枚。最初の DVD は、Lichtbilder (写真のこと)。2003年・2004年のライヴ、プロモーション・ヴィデオ、インタヴューなどを収めている。
 歌姫 Lisa 姐さん、マルチ・ウッドウィンド Fiona 姐さんのフロント2人の美しいこと。Lisa 姐さんの妖艶な感じは正に歌姫 Diva 。
 プロモーション映像はちょっと作り過ぎの感じだが、アンプラッグド(つまりは電気的処理を行っていないということ)の映像は面白い。昔風の家の中、Neil 君を除く4人(曲によっては、2人だったり3人だったりする)が敷物の上に直に座って、全くのアコーステックな演奏を行う、Lisa 姐さんは目張り程度の化粧はしているが、Fiona 姐さんなど全くのスッピン、小学生の音楽の時間さながら、楽しそうに歌っている、ステージでのライヴとは全く違う印象。
 2枚目のDVDは、Ornament (装飾のこと)。2006年・2007年のライヴ、プロモーション・ヴィデオなどを収める。 ここでもアンプラッグドの映像が納められているが、こちらは森の中。Lisa 、Fiona 両姐さんとも殆どスッピン。珍しく、Fiona のハーモニウム演奏が聴ける、また Oliver 君のギター一本の 2 Folken も収録。

 Lisa が脱退してから、Sandra 、Rairda とメイン・ヴォーカリストが変わったが、DVD は Ornament 以降出ていない。You Tube では Sandra も Rairda も見ることは出来るのだが、ちゃんとした映像で持って置きたいのはファンの心理(この当り AKB ファンのノリと変わることはありません、ちゃんと自覚しております)。

 ホーム・ページを見ると12年ツアーの消化も順調に進んでいるようで。Sonja や男のハーディー・ガーディー奏者(面倒なので名前を調べない、本当にちゃっかりしたものです)の入った新作に期待。Sandra ちゃんをメインに据えた DVD の発売を切に願っております。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-22 15:20 | trad

その後のヘンリー・カウ 形式だけはパンク ザ・ワーク

 テレビでは、中国のデモばかり。自分の勤めている会社でも相当数の駐在員を置いているので、心配な状況だ。
 それにしてもよくあれだけのことをするものだ、日本人は一部の(それを商売としている)方々を除きデモを行うこともない、これが1960年代であれば少しはフィーヴァーしちゃったのかも知れないが。社会が成熟してきていること、まだ外国人が少なく外資系企業も目立つほどではないこと、などが主な要因とは思う。曲がりなりにも民主主義が定着し、前回で経験したように投票で政権が変えられることも大きいだろう。民主主義がどの政治制度にもまして良い制度だとは考えにくい、しかしながらそれ以上の有効な制度が見つからない以上、騙し騙しその制度の向上を図るしかない訳だ。国民がそれなりに考え判断できるような民度の国は、やはり民主主義的な方向しか進むしかないのだろう。
 例えば宗教を基礎においた国家に民主主義が根付くかと言えば多分難しいだろう。民主主義でない国家に民度を上げることも出来ない。宗教は、自分で考えず神様を盲目的に疑うことなく信仰することから始まるし、民主主義でない(つまりは暴力以外に政権から追われることのない)国家の首脳が考えるのは自分たちの特権の維持と被支配層からの富の搾取だけだ。民衆は踊らせるもの、躍らせて言うこと聞かなくなれば、天安門事件のように戦車で潰してしまえばよい。心優しい趙紫陽さんは、そういう国家には相応しくない。
 中国のデモを見て驚いたのは、未だ毛沢東の写真が出てくること。外国人なら知っている(勿論自分も知っている)、彼が大躍進運動展開によって餓死者を大量に発生させた、文化大革命発令による社会の遅滞を引き起こした張本人であることを。教えないということは怖いことではある。まぁ、豊臣秀吉の出世物語は喧伝されても、自分の子(秀頼)が生まれた後、弟の秀次に言いがかりを付け、彼の一族、女子供を含む39人を皆処刑した事実も教えない(文献に書かれたことまで隠すことはないが)、それと同じですか、ああそうですか。

 70年代後半、パンク・ロックが一時隆盛を極めた、何に怒っていたんだろう、頭を逆立てがなりたて、スリー・コードの単純な音楽、反体制のための反体制、すぐに終わってしまった、しかしヴァージン・レコードには莫大な利益を齎したムーヴメント。Henry Cow のアルト・サックス、キーボード奏者、インテリ・エリート Tim Hodgkinson がその形だけを真似して見せたのが The Work 、1980年の結成である。

a0248963_16505542.jpg 81年に最初の The Work 名義の作品 EP ’I Hate America / Fingers and Toe / Duty’ を発表(Megaphone でCD化された際に Houdini と併せ追加収録された)。バンドはこの後、オランダ、ベルギー、スイス、スエーデンなどをツアーし、ドイツのボンで RIO フェスティヴァルに出演。そのときに共演した Catherine Jauniaux をゲストに、最初のアルバム Slow Crime を1982年の発表する。
 この The Work 、Tim Hodgkinson の言に依れば、「極力テクニックを排除した、若手中心のバンド」という。確かに Tim は本業のアルト・サックスは殆ど演奏せず、主にフラット・ギター(ハワイアン・ギターという奴ですな)と甲高いリード・ヴォーカル(このアルバムでは殆ど「叫び」といって良いほど、ライヴ盤でもこんな歌い方、よく喉が持ったな、という感じ)を担当、今までの経歴を捨て、新たな挑戦という雰囲気ではある。
 メンバーは、Bill Gilonis (g, euphonium, sampling, vo)、Mick Hobbs (g, b, drums, ukulele, recorder, midi-horn, vo)、Rick Wilson (ds, bass, vo) で当時名を知られた者はいない、この内唯一 Wiki で記事のある Gilonis の生年は58年とあり、結成当時22歳くらい、Tim とは10歳近い年齢差がある。Tim のバンド紹介の言葉に偽りはないように見えるが、このバンド良く聴くと複雑な変拍子など軽々と演奏しており、聴こえる通りの唯のパンクという感じではない。Tim のインテリ・エリート(何度も書くがケンブリッジ出の秀才なのだ)としての音楽に対する考えがついつい滲み出てしまったのではなかろうか。
 本作のゲスト・ヴォーカリスト Catherine Jauniaux はTom Cora の嫁さん、3曲参加している。Cora が亡くなったとき、前衛音楽仲間が Catherine と彼らの子供を助けるためチャリティー・コンサートなどを行ったのは有名な話、アヴァンギャルド・ミュージシャンも頭の芯までオカしくはないのである。

a0248963_16511931.jpg 次に日本へのツアーが決まっていたところで、Wilson がインドへ行ってしまう、Hobbs はバンドの方向性で意見対立、脱退と空中分解。困って、Chris Cutler と Amos (b) に頼んで一緒にツアーを廻って貰った。このアルバム Live in Japan は、82年6月29日大阪厚生年金会館中ホールでの記録。
 ホールの中ほどでカセット・テープで録音されたものという、その割には音は良い、デジタル・マスターリングの Udi Koomran (Present や Dave Kerman / 5uu's の音響処理を担当したイスラエル在住の人、ユダヤ人?) の腕のお陰か。
 殆どファースト・アルバムの曲で占められた本作、やはり Chris Cutler の手数の多いドラミングは聴きもの。最後にソノシート版 'I Hate America (live version)' がおまけで付いている。ずっとCD化されず、2006年にやっと日の目を見た。

a0248963_16514088.jpg この後、長い沈黙期間に入るのだが、The Work 復活の直前89年に The Momes (古語で「ばか、うすのろ」の意)名義で Spiralling というアルバムが出ている。メンバーは Hodgkinson 、Mick Hobbs 、Andy Wake (ds) 。録音場所は、お馴染み Cold Strage 、エンジニアに Charles Bullen という This Heat 体制。
 演奏は The Work に良く似ており、Hodgkinson のこの手の音楽に対する興味が一時的でなかったのが判る。音は良くない、音楽の弾け具合もそれほどでもないため、あまり聴くことのないアルバムである。

 怒りなのか、ちょっと他人の尻馬に乗ってしまったら楽しくなったか。集団心理みたいなものは必ずあり、自制ができないのは困ったもの、国家が絡むと振り上げた手を下ろすこともままならないようで。パンクの波も短かった、冷静になるには民度が必要、それはいつのことか。
 The Work 復活後の3枚のアルバムはそのうちに。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-17 13:17 | rock

キワモノっぽいプログレあるいは「お水」ロック カーヴド・エア

 先週久しぶりに本を読んだ。一時、通勤の電車の中で何冊か読んだことを書いたが、今年の夏が暑かったせいかどうか、8月も後半となると出張時を別とすれば、20数分間の電車は格好の「うつらうつら」の時間に成り果てた。暑いとどうもだるくなる、これも歳のせいか、歳をとるのも悪いことばかりではないが、体の衰えは如何ともしがたい。特に目が悪くなってくると読書もしたくなくなる、これが一番残念。
 読んだのは、三津田信三さんの『ついてくるもの』、久々のホラー短編集だが、一編だけ刀城言耶シリーズの「椅人の如き座るもの」が入っている。当面刀城言耶シリーズの短編集が出ないため、ノンシリーズの本作に入れておきましょう、ということか。また、刀城ものが纏まる際には再収録をお願いしたい。
 ノンシリーズの6編は、全て著者が聞いた話を纏めたという体裁を採っている。それぞれなかなか怖いのだが、例えば「夢の家」「ついてくるもの」「祝儀絵」などは、「あんなことをするからだ」とか「あれを見てしまったから」と怪異の根源となるものが判っている。それに比べると「ルームシェアの怪」や「裏の家の子供」などは、普通の生活にすっと滑り込む「得体の知れない何か」、不条理感を伴う怖さがある。「ルームシェア」は本集中特に好きな短編で、何時から怪異が始まったのか、もし主人公が怪異を怪異と思わなかったらどうなっていたのか、考えれば考えるほど怖さが増す。
 「八幡籔知らず」は、『蛇棺葬』『百蛇堂』に出てきたお馴染みの化け物の物語、『蛇棺葬』の忌み山に感じが似ている。日本人の言葉に対する感覚と畏怖が上手く描かれていて、特に「無女森」「樅山」の謎解きなど、例えば昔読んで興奮した織田正吉氏の『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』を思い出させる、日本語ならではの言葉遊び(遊びというには怖いが)。
 「椅人の如き座るもの」は、阿武隈川と偲のやり取りは笑えるのだが、肝心の謎は薄味でちょっと引き伸ばした感じ。纏まった短編集の中であれば箸休めにもなろうが、こうした短編集の中では浮いた存在にしか見えない、ちょっと残念。

 併せて『泡坂妻夫引退公演』を購入、驚くなかれ4,830円!久しぶりに高価な本を購入しました、あまり躊躇せずに。解説というか編者の新保博久氏が「値段以外は喜んでもらえるだろう」と書いていたが、あまりにもその通りです。泡坂さんはデビュー作の「DL2号機事件」の雑誌掲載時からずっと読んでいて、唯一購入しなかった著作は『春のとなり』だけ、というコアなファン、買わぬ訳にはいかないでしょう、未だ読んではいないが。

 と読書報告が長くなりました。今回は、70年代B級プログレ、Curved Air 。ヴァイオリン入りのクラシカルなスタイルに美貌のヴォーカリスト、といえば聞こえは良いが、音を聴けばやはりB級プログレの位置は動かずというところか。いえ、Sonja Kristina さんは美しいです、「お水」っぽいですが、それだけは間違いありません!

a0248963_15494186.jpg 最初のアルバムは、Air Conditioning 、1970年発表。この時のメンバーは、Sonja Kristina Linwood (vo)、Francis Monkman (kbd, g)、Darryl Way (vln, kbd, backing vo)、Rob Martin (b)、Florian Pilkington-Miksa (ds)。このうち Monkman が王立音楽院、Way が王立音楽大学とクラッシク畑の有名校出身が2人もいた、まあ Gentle Giant の Minnear 君もGryphon の Harvey 君も王立音楽院の出身だったから、特に言うことはないかもしれないが。近頃は、昔ほどロックが売れることもないので、またこ難しい音楽は売れないので、クラッシク畑からのポピュラー進出は少なくなったのかも知れない、閑話休題。
 Monkman は、このアルバムではギターを弾き捲くってはいるのだが、あまり魅力はない。Way もクラッシク出身が丸判りの奏法で、ちょっとロックらしくない。加えて Sonja 嬢の声も細く、元々はフォーク・シンガーというのも頷ける。また楽曲もポップよりで、そんなに魅力的でもない。とないない尽くしみたいだが、B級的に纏まっているといえば纏まったサウンドと、当時は珍しかったプログレの女性ヴォーカル、それもかなりの美貌となればそこそこ売れてもおかしくはない。
 しかし、Sonja を前面に売り出した割には、長いインストルメンタル(5曲目の Vivaldi )を入れたりして、不思議な作りではある。

a0248963_1550096.jpg 2枚目は、その名もずばり Second Album 、1971年。ベースが Ian Eyre に交替している。
 最初のアルバムでは、Sonja 嬢は殆ど楽曲作成には関わっていなかったが、今作から大きく関わり出す。 LP では A面が Way の作品で、B面が Monkman の作品となっていて、Monkman の弾けた感性というか、アヴァンギャルドさが表に出てくるようになった(特に8曲目など)。
 1曲目は、前半にヴァイオリンの、後半にシンセサイザーのソロ、シンセはちょっとは古い感じもするがそれなりに聴かせる。2曲目は、全英4位のヒット曲ということらしい、佳曲ではある。
 演奏面でも落ち着きが出てきて、歌ものを中心とした、ジャケットのパステル調のデザインに似合った出来となっている。

a0248963_15502171.jpg 3枚目が最高傑作との声も多い Phantasmagoria、1972年。ベースがまたまた替わって Mike Wedgwood へ。
 最初の曲 Marie Antoinette は多分彼らの曲のうち最も有名。Monkman はキーボードを叩いているうちは良いのだが、ギターとなると魅力半減、ちょっと煩い感じになる。2曲目の Merinda (More or Less) も売りの一つ、Monkman のハープシコード、Way のヴァイオリン・ソロ、ゲストのフルートも良く、英国フォークの美しさ満開といった感じ。4曲目はヴァイオリン前面に打ち出したインスト、5曲目はヴィヴァルディをシンセで引き倒した1st の Vivaldi への返歌。表題曲 Phantasmagoria はオルガンをフューチャーした曲、次はシンセ処理された声などで構成されたアヴァンギャルドな曲、Monkman の趣味丸出し。本集中もっとも長い Over and Above はヴァイブラフォンやホーンも入ったジャズ・ロック風。ヴァラエティーに富んでいるといえば良いのか、弾けすぎというべきか、まあ聴いていて飽きることはない、複雑なインスト部分と愛らしいヴォーカル部分の対比が微妙、傑作といわれれば傑作に違いない。
 学生時代、銀閣の近くに下宿していた友人が好きだったアルバム。その友人、頭は良いし人柄も良いのだが、あまりに外見に拘らなさ過ぎた。雀の巣のような髪の毛に剃り残した髭、襟の擦り切れたシャツ、当時は珍しかった短パンにビーサン姿、このアルバムを聴くと彼のことを思い出す。

 70年から80年に掛けての音楽は思い出が一緒についてくる、純粋に音楽だけの楽しみにならないのは良いのか悪いのか。悪くはない、多分。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-16 14:09 | rock

4人兄妹のヌーヴェル・シャンソン レ・ゾグル・ド・バルバック

 フランスといえば直ぐ思い出すのがボジョレー・ヌーヴォー、11月15日解禁とか。バブル期はフランスに出回る以上に日本に輸入され、バカ高い値段でも飛ぶように売れ、旨いんだか不味いんだか判らなくても、判ったような顔をして飲んでいた。近頃は世相を反映してか、大騒ぎをすることもなく、値段を考えてペット・ボトル入りなんてものも出回っているようだ。ワイン好きならそれを楽しみにするのは当然、昔のような狂騒感がなくなっただけ落ち着いて飲めるのは良いこと。自分は酒は飲めない口で解禁日などどうでもよいが、それでも付き合いで飲むときはワインが良い、日本酒は匂いが嫌で飲む気がしないせいで。
 フランスはお洒落な国とのイメージがある。そういえば20年以上昔に一度だけ出張でパリに行ったことがある、別段お洒落という感じはなく、普通の都会程度の印象しか残っていないが。その時、ルイ・ヴィトンの本店に行き、日本語で話しかけられたのにはびっくりした。バブルの頃だったから・・・今思えば。
 そういえば、フランス料理は好きだ、イタリア料理より余程好き。フランス料理の濃厚さが好き、イタリア料理のトマトとオリーブ油が嫌、というだけの話。
 音楽で言っても日本人はイタリア系統を好むのか、イギリス(アメリカ)の次に好きな人の多いのがイタリアのポピュラー音楽(自分はそうでもないが)、高校生の頃だったかプログレ全盛期の頃、周りでは PFM を聴いている人が多かったような気がする、自分が馴染んだのは Stormy Six 、Area 、Picchio Dal Pozzo だからかなり偏っている。フランスも同じようなもので、RIO 関連で Etron fou 、Heldon を知り、あとは Magma くらい、こっちも同様に偏っている。
 イタリアなどそれでもまだ音楽情報が入ってくるが、フランスはダメ、イギリスに対抗するフランス人の気質か、英語の情報というものがなく、言語による検索がなかなか難しい。ドイツであれば、同じゲルマン語系統ということもあってか比較的情報は多く、音楽関係のウィキペディアもドイツ語のみという例は少ない。しかし、フランスのバンドだとそうはいかない、多くがフランス語のみという有様。今回紹介する Les Ogres de Barback もウィキペディアはフランス語のみ、11枚もアルバムを発表しているのにも関わらず、だ。

 今は翻訳ソフトという便利なものがあって、それでも日本語に直接訳すと珍妙で訳の判らないものになる、フランス語なら(というよりもヨーロッパの言語なら、というべきか)英語に訳したものを読む方が理解しやすいことの方が多い。Les Ogres de Barback のページもこの方法で読んだ、大体理解できた、という程度ではあるが。

 Les Ogres de Barback は兄妹4人のバンド、アルメニア系フランス人だそうな、それも大虐殺の生き残りの子孫(トルコによるアルメニア人大虐殺は有名、詳細は別の機会に)。Burguière 4兄弟は、長兄の Sam (vin, tp, Epinette des Vosges ~ ツィター属のフランス・ヴォーズ山地の民族楽器, etc)、次兄の Fred (vo, accordion, g, tb, cornet, etc)、双子の姉妹 Alice (cello, acc-b, musical saw, tb, tuba, erhu ~ 二胡, etc)、Mathilde (p, fl, cl, tuba, etc)。何れも達者なマルチ・インストルメンタリスト、カラフルな演奏に乗る早口のヌーヴェル・シャンソン。このバンドの音楽、シャンソンという言葉が非常に似合う。

a0248963_16102782.jpg ジャケットも凝った作りの1st は、1997年リリースの Rue du Temps、訳せば「’時間’通り 」ということか。14曲45分程度。この時、次兄の Fred 26歳、ということはメンバーは殆ど20歳台、その若さでこれだけのものを構成する力量には脱帽。
 歌詞カードもクレジットもフランス語ばかりで手も足も出ない、従って以下は自分の印象の話ばかり、恐縮。
 楽器類は、殆どアコースティクで変なエフェクトは掛けていない、ヴォーカリスト以外は楽器を次々に持ち替えるようで、バックの演奏は千変万化、カラフルな印象。パーカッション系の音は殆どなく、太くくっきりとしたウッド・ベースがリズムの要となる、Alice という女性が演奏しているがなかなか根性の入った素晴らしい音を聞かせてくれる。
 ヴォーカルはシャンソン!!!という感じ、これは伴奏の多くにコード・アコーディオンを使っているせいかも、やはりシャンソンは垢抜けたアコーディオンがなけりゃね。シャンソンという言葉はフランス語で「歌」の意味だから、Etron fou でもシャンソンなのだろうが、その語感は Ogre には似合うが Etron fou には似合わない。豪く早口で、誰が聞いても「フランス語」という感じ、聴き始めは鬱陶しい感じがないでもなかったが、慣れてくれば何時間でもOK。You Tube などで彼らのライヴ映像を見ると、Fred などはかなりアブナそうな感じの人ではある。

a0248963_16105373.jpg 2枚目が、1999年の Irfan ( Le Heros )。ジャケットを描いている人は異なるようだが、どのジャケットもイメージは似ていて、統一感がある。
 前回のアルバム・ジャケットでは、家の外にいるのがアコーディオンを持った Fred 、家の中にヴァイオリンの Sam、ベースの Alice、フルートの Mathilde が描かれていたが、今回は馬に引かれる車の上に4兄妹、Sam は今回トランペットを吹いている。柔らかな薄い茶色を基調とした素晴らしいジャケットである。
 音楽的には長足の進歩を遂げている。録音もくっきりとしたものになっていて、前作のややくぐもった感じがない。最初の曲 Contes, vents et marées (お話、風そして波)は、代表曲と言われるだけあって、印象深い佳曲。他にも伴奏なしの合唱曲や金管の合奏、弦の合奏など、新たな試みもなされている。16曲収録、50分強の作品。

a0248963_16111373.jpga0248963_16113053.jpg 3枚目は、EP 2枚組の Fausses notes & Repris de Justesse (訳せば「間違った音(音符?)」と「撮影の精度」(?)、良く判らん)。
 Fausses Notes が28分程度のライヴ、5曲を収録しているが最後の15分程の作品を除き、1枚目2枚目から。ライブを年100回以上行うといわれるだけあって、なかなか躍動感のある演奏を聴かせる。
 Repris de Justesse は、6曲17分程度のカヴァー集。カヴァーしている曲はそれなりに知られた曲であろうが、フランス・ミュージック・シーンに無知なため、原曲のミュージシャンを一人も知らず、従って原曲との違いを云々することは出来ない。歌と演奏はいつも通り。
 ジャケットは両面表紙扱いか、どちらがどちらの EP を現しているのかは判らないが。イラストレーターは1st アルバムと同じ人。

 全く新しいジャンルのものを聴き始めると、情報がなくて・・・まぁ、聴いて楽しければよいのだが。今回は、フランスということもあって、全く書くことに困りました、このバンドのことを次に書く機会があっても、また感想程度になりそうで。しょうがないが、偶にはそういうこともあり、ということで。
 
[PR]
by ay0626 | 2012-09-15 13:57 | folk

どこにもない国の民俗音楽 アラマーイルマン・ヴァサラット

 先週金曜日(7日)、久しぶりにクラッシクのコンサートを聴きに行った。実に1年数ヶ月振り、それまでは会社の親しい同僚が誘ってくれて、2~3か月に一度くらいの頻度では出掛けていた。しかし、昨年の病気以来とんとご無沙汰になって、また同僚もこの4月に異動があって馴れない部署で忙しかったこともあり、これだけ長い空白期間ができた訳。
 この日のプログラムは、グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』より「精霊の踊り」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、ブラームス:交響曲第1番という構成。そう熱心なクラッシク・ファンというわけでもないので、最初のグルックとかモーツァルトなどは聴いたこともなくなく、ブラームスの1番は「ベートーベンの9番に似たメロディーの良く聴こえる曲」くらいのイメージしかない。前の日から当日に掛けて出張で、眠れなかったせいもあり、コンサート中うつらうつら位するだろう、鼾をかかなきゃいいなぁ、と思っていたのだが、案外眠くもならず楽しく聴けた。モーツァルトなど、あまり好みではなく編成も小さいので、大体寝てしまうパターンなのだが、ピアノの音が入っているのが良かったのか。ピアノの女性、変な格好でお世辞にもセンスが良いとは言えなかったのだが、演奏には嘘っぽい大仰さがなく、見ているぶんには気持ちが良かった。
 もともと、音楽教育受けた訳でもないので、本当にその演奏が良いか悪いかの判断など付くはずもない。息子がやっていた学生オーケストラと大枚何千円もの入場料の取られる有名オーケストラの違いも判然とはしないが、あれだけの有名音楽大学出身者が狭き門を潜り抜けて作ったオーケストラなのだから、多分上手いのだろう、そう思うことにしている。
 聴いているうちはまあまあ気持ちよいが、クラッシクは終わった後が嫌なのだ、あの長ったらしい拍手。大体、指揮者・ソリストとも何回も舞台に出て来過ぎる、それに出てきても何もする訳じゃなく、もったいぶって頭を下げる程度。また、指揮者が何人かの演奏家を立たせて、観客に拍手を強要するのも見苦しい、仲間内の褒め合いは舞台を降りてからやれ!といいたい。演奏家も嬉しそうな顔をするんじゃない!君たちはプロなのだから、上手く出来て当然なの。この当りポピュラー音楽であれば、2回目に舞台に出てくれば必ずアンコールと決まっていて、アンコールをそれ以上やらなければ、さっさと会場内の照明を明るくする、客も拍手もそこそこに帰り支度を急ぐ、なんともあっさりとしたものだ。
 ここまで書けばもう一つ、演奏が終わると「ブラヴォー!」と叫ぶ親父が何人かいる、あのノリはみているとAKBに熱中するオタクっぽい御兄ちゃんたちと変わらない、本人たちは高尚と思っているかもしれないが、回りから見れば違うところなど何処にもない。

 ということで、また変に力んでしまいました。クラッシクの話の後は、チンドン屋風ワールド・ミュージック、Alamaailman Vasarat のご紹介。全く脈絡ないなあ、と思いつつ。

 Alamaailman Vasarat (“The Hammers of the Underworld”という意味らしい、彼らのホーム・ページから)は1997年にソプラノ・サックスの Jarno “Stakula” Sarkula とドラムの Teemu Hänninen が中心となって結成された。この2人、91年に結成された Höyry-kone という変態プログレ・バンドの同僚、その頃は Stakula はベース担当、サックスなんか吹いてなかった。自分もこのバンドの2枚のアルバム(日本語題名が『昆虫偏愛』『偽理髪師』)を所持しているが、特に2枚目はメタル期のキング・クリムゾン的なかなりへヴィーなロックにオペラティックなヴォーカルが乗るという感じの音楽であった。かなり Alamaailman Vasarat とは異なる音楽性だった。

a0248963_14364112.jpg 最初のアルバムは2000年の Vasaraasia 。この題名、架空の国の名前のようで、そこには独裁者が居て国民を搾取して・・・・、なんぞという話のようだが、アルバムにはその手のことは何も書かれていないし、録音データの記載もなし、というある意味潔い作り。これに続くアルバム群もデータ関係の記載のないジャケット・ブックが付けられている。
 メンバーは Jarno Sarkula (soprano sax)、Erno Haukkala (tb, didgeridoo)、Miikka Huttunen (pump org, p, melodica)、Marko Manninen (cello)、Teemu Hänninen (ds, perc) の5人編成。
 短いメロディー・ラインのはっきりした曲が並ぶ。作曲面でも中心の Jarno “Stakula” Sarkula がテレビやゲーム関係の音楽の仕事をしているらしく( Stakula というのがそちらの仕事をするときの名前らしい)、それがメロディーのくっきりした楽曲に繋がっているようだ。そのため、変な編成の割には聴き難い前衛性みたいなものが皆無。
 チェロには相当なエフェクトが掛けられており、ディストーションの掛ったギターのように聴こえることも多い、特にバックに廻ったとき。キーボードは足踏みオルガンを多様している、クラリネット的なソプラノ・サックスと合わせてちょっとノスタルジックな感じになることも多い。

a0248963_1437613.jpg 2枚目が Käärmelautakunta 、2003年。このアルバムからチェロの Tuukka Helminen が加わり6人編成に。これからこの6人編成が続くことになる。
 1曲目からへヴィーなギターを思わせるチェロが響き、厚みのあるアンサンブルで聴く者を圧倒する。2曲目3曲目は一転メロディックでミステリアスな曲調と、前作よりもメリハリの付いた曲の並びとなっている。キーボードもピアノの使用などでアクセントを付けている。
 かなりのテクニシャン揃いなのは、後に出たDVD を見るまでもなく判るのだが、それを深刻さのまるでない、ヴィジュアル的にも軽味のある中でやってしまう凄さがある。

a0248963_14373279.jpg 3枚目は Tuomari Nurmio というシンガー・ソングライターとの共演盤、Kinaporin kalifaatti 、2005年作。全ての作詞・作曲は Tuomari Nurmio によるものだが、バックの演奏は一聴 Alamaailman Vasarat と判る。全体的には、民族調のメロディーが多い。チェロのピチカートの多用など今までのアルバムとちょっと違うところもあるが、ちょっとしゃがれたヴォーカルと演奏が似合っている、とは言ってもインストルメンタルのほうが圧倒的に好きだが。

 久々にフィンランドのバンドを取り上げた。かの地の音楽はなかなか変わったのが多く、もう少し探せばもっと面白いバンドが聴けるんじゃないか、とも思うのだが、今でも CD の数が多すぎ思うように音楽を聴ける時間が少ない、これ以上になると兵站線が延びすぎて収拾が付かなくなる惧れも。困ったものです(何を如何困っているのだ?と聞かれそうだが)。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-09 12:59 | 音楽-その他

オランダの大道芸人集団 フレアーク

 8月の終わりから9月の頭に掛けて北海道を旅行した。北海道は何度も訪問した、これは大学時代の最も親しい友人の出身地だったこと、子供が札幌と帯広の大学に進学したため。道は良い、見るところは沢山あり、ということで何回も出かけることになった。特に子供が大学に進学した後は、2006年、2009年、2010年と立て続けにかなり長い旅行を楽しんだ、そうだ、2008年には娘の受験に付いて行って、冬の帯広に行ったのだった。夏か秋の掛りくらいしか行ったことがなかったが、真っ白な極寒の北海道もいいものだ、と思った(住むには?)。
 今回は、色々あって長い休みが取れず、加えて有名どころはほぼ廻っていたこともあって、前回行って特に良かった登別温泉での2連泊をメインにし、翌日は久しぶりに会う友人の家に泊めてもらおうとの計画を立て出発した。先ずは初日、帯広から日高樹海ロードを通って登別へ。日勝峠の絶景を見ながらのドライブ、気持ちが良かった。しかし昼食を取るところがなく、2時前に目に付いた平取温泉(びらとりおんせんと読む)でスパゲッティを娘と半分ずつ、夜の食事に差し支えてはならじと少量に抑えた訳。平取という町は、トマトと和牛で有名とか、スパゲッティもその材料が使ってあって、田舎にしては(失礼!)かなり美味しく、ちょっとびっくり。登別の宿の食事は奮発した分、量も味もよく堪能しました、特に特別に付けて貰った毛蟹、なかなかのもの。
 翌日は午前中、温泉周辺の散策、そこかしこから硫黄の匂いのする煙が噴出し、そのせいで植物の生えない荒涼たる風景が出来る、鈍い金属光沢のある水面に泡がぶくぶくと立っている〇×地獄と名づけられた池があちらこちらにある。北海道も今夏は記録的な暑さ、特に8月末の残暑は厳しかったようで、散歩していると汗まみれになった。昼前に次は何処へ行こうという話になって、娘が「友達が伊達時代村が面白いといっていた、行きたい」ということで、内心キワモノっぽいなぁと思いつつ出かけた。森の中に突然瓦屋根の建物群、平日(北海道の学校は夏休みが短いと言うことで、夏休みも既に終わっていた)ということもあり、中は閑散としており何か寂しい感じ。
 時代村とは、江戸時代風に作られた建物が並ぶ中、従業員も江戸時代風の衣装で接客する、メインは忍者アクションと時代ものの寸劇。3つのかなり大きな芝居小屋と野外ステージがあり、1つの寸劇は20分程度か、それが待たされることもなく次々と開催されていく。最初に見た野外ステージの忍者ショウは、観客の少ない中、役者が真面目に飛んだり跳ねたり。小さな子供の見に行く仮面ライダーショウと殆ど変わらないが、それでも目の前でバク転などされると、それなりの迫力、案外楽しんで見てしまう。その忍者のアクションが始まる前に、南京玉簾を見せる場面があり、そういえば子供の頃見た覚えがある、もう40年以上前、まだやっている人がいるんだ、という感じ(演じていたのは多分20歳代の役者さん)。他には、吉本新喜劇風の出し物や大尽遊びの出し物など、それなりに工夫がなされ楽しく過ごさせてもらった。途中からは、中国・韓国の団体客も入り、見物人も多くなり、そうなってくると役者も力が入るのだろう、なかなか迫力のある演技で2,400円の入場料もそう高いものではないと思えたのであった。
 夏も終わったので、これからは真面目に働きたいと思います(何時だって会社に行けば真面目に働いてはいますが)。

 ということで、南京玉簾が大道芸、大道芸繋がりでヨーロッパの大道芸風バンドと言えばオランダの Flairck 。今回は初期3枚のご紹介。

 Flairck といえば、数年前まで、大道芸風超絶テクニック・バンドとして知っている人はめちゃくちゃレスペクトするが、なかなかCDが手に入らないことで有名だった。レーベルが一定せず、かつ活動期間も長いということで、なかなか全貌が掴みきれないところがあった。
 2007年にバンドの中心人物 Erik Visser が全ての音源の権利を買い取り、22枚組のボックス・セットが発売されて、全貌が明らかになると共に彼らの音が気軽に聴けるようになった訳。

a0248963_1854234.jpg 最初のアルバムは1978年にリリースされた Variaties op een dame (Variations on a Lady)。なかなか艶かしいジャケットで、86年の Encore までこんな感じのジャケットが続く。
 音楽は、全くのアコーステック、メンバーは Erik Visser (g, その他撥弦楽器)、Judy Schomper (vin)、Peter Weekers (各種fl)、Hans Visser (b-g)。Hans Visser は多分 Erik の弟。アコースティクで打楽器が欠けているからといっても、音楽自体の迫力は大したもの、どのメンバーもテクニックは凄いが、特にフルートの Peter Weekers は凄い、パン・フルートのパッセージの早さなど鳥肌もの。各人の楽器の持ち替えも超人的で、Erik のシタールなども非常にいい味を出している。 長く演奏され続けることになる Aiofe や Sofia などの名曲も収録されている。
 70年代後半にこの手の音楽はどのように受け入れられたのだろう、そこがちょっと興味のあるところではある。

a0248963_186458.jpg 2枚目が80年リリースの Gevecht met de engel (The Lady’s Back ~ 原題を訳せば '天使との戦い' となるだろうが、ジャケット絵からの連想で英題を付けた可能性も)。
 ヴァイオリンの Judy Schomper が抜け Sylvia Houtzager (vln, harp) が加わり、所期のメンバーが固定される。この Sylvia 姐さん、顔もスタイルも良く、おまけにヴァイオリンのテクニックも凄いとしか言いようもない、一度は拝んで見たかったと思う(そういえば昨年2011年、18年振りに来日した、Erik 以外初期メンバーは誰もいないが)。
 本作には彼らの代表曲ともいうべき Oost - West Express が収録されており、Weekers のフルート・テクニックが堪能できる。続く De Vlinder でもフルートの循環奏法によるロング・トーンや歌いながらの演奏、Sylvia 姐さんのハープなど聴き所満載。ヴァイオリンとフルートの組んず解れつのバトルが随所に聴かれ、なかなかジャケットの絵と同様の興奮を呼びます(ちょっとイヤラシイ感じです、はい)。正に初期の代表作といったところ。

a0248963_1861986.jpg 3枚目が Live in Amsterdam 、1980年3月31日のアムステルダムでのライヴ録音。メンバーは前作と同じ4人、MC で観客が笑うところがあるが、オランダ語では手も足も出ません。後年の南米チリでのライヴを収めたアルバム(95年)では、Erik も英語で MC をしていたが。
 後年、彼らのステージはアクロバティックになり、大道芸的といわれることになるのだが、このアルバムのジャケットは普通の格好をしている。その分、演奏も大人しめで、後年の Alive (90年) のエネルギッシュな自由奔放さに比べればまだまだ、といったところ、人間歳を食ってくると恥ずかしげも薄れやりたいようにやってしまうものなのか、それともテクニックの裏打ち、自信が大胆なことを可能にするのか、どちらなのだろう。活動歴の長いバンドをみるとついついそんなことを考えてしまう。
 2枚組、90分にも及ぶ大作。前2作の主要曲をほぼ完全に再現して見せるところなど、恐るべきテクニック。19分近い大曲 De Eerste Dag Na Je Vertrek (君が旅立った後の最初の日)は、インプロ部分が多く、スタジオ録音に不向きとされ、後のアルバムにも収録されていない。

 先週はそういう訳で書きませんでした。え?、誰も更新を期待していない?、そりゃ失礼致しました。明日もまた書きます、予定では・・・。
[PR]
by ay0626 | 2012-09-08 16:33 | folk