日常茶飯事とCDコレクション
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精神世界・・・・・みたいなもの・音楽 トレンブリング・ストレイン

 雨が降って肌寒い、昨日は明るく気温も高かったのに。この頃の寒暖の差は激しく、すぐに冬の雰囲気になっていくのだろう。休みともなれば、短パン(というか膝下くらいの長さのゆったりしたパンツ)ばかりで過ごしてきたが、来週くらいからは長いのに変えないといけないかも、思えば4月頃から半年以上お世話になりました。

 そういえば、最近は余り CD を買っていない、一時は1か月に10枚~15枚購入することもあったが、昔の CD サルベージ作戦なんかを展開したものだから、そちらの方に時間を取られてしまうということもあったとは思う。まあ、興味の赴くまま、かといって購入したもの全部を気に入る訳もなく、好きな音楽は自然と決まってくるということか。この頃は通勤時間に音楽を聴くようにしていて、ウォークマンに入っているものの中心が、Weather Report 、Uz Jsme Doma 、Miles Davis 、Faun 、Besh o DroM 、Warsaw Village Band といったところ。これでもかなりばらついた選択ではある。この内でも Miles Davis の新五重奏団(1965年から68年にかけての頃)は今のところ最も良く聴いている、とはいえ行き帰りの1時間強の時間だが。

 尼崎の事件報道を見ていると、本当に人間の心とは恐ろしいものだ、との思いが強くなる。簡単に家族が崩壊してしまう恐ろしさ。病気とか、金に困るとか、人間関係に疲れるとかすると、どうしても誰かに縋りつきたくなることはある、普段であれば理性が働き、簡単に排除出来るようなことでも、ちょっとしたことで他人が決めてくれることの気楽さに負けてしまうと、すっとそこに入り込んでくる怪物たちは沢山いるのだ。戦争での残虐行為(BC 戦犯の悲劇などはこの典型、上官殿が決めてくれることに異を唱えてはいけない)とか宗教団体の暴走(オウムの集団暴走を見よ、麻●だけが狂ったのではなく、集団全体がそれを育てていった)がその典型だが、家族を中心とする小さな集団でも十分に狂気に支配されることがある、中心人物が冷静な訳でもなく、お互いに狂気の大きさを増幅させるように行動するようになるのではなかろうか。

 ということで、今回はトレンブリング・ストレイン、日本のバンドというかユニット。日本のマイナー・ミュージック・シーンにも面白いバンドは幾つもあると思うのだが、海外のアングラ・シーンより CD など手に入り難い、また CD の価格も高いし、ということで日本の音楽は自分のコレクションでは少数派。
 その中でも、このトレンブリング・ストレイン、現役活動時(ライヴやっていたなどという情報は全くなかったが。現役というのはアルバムが新譜として出た時に購入した、という程度の意味)から聴いた数少ない日本のユニット、好きですね、特に集団狂気・・・・みたいなところが。聴くきっかけがなんだったのか、もう15年以上も前でよく憶えてはいない。

 ユニットの中心は、Pneuma という人物。調べても、医者であること(それも精神科医?)くらいしか判らない。因みに Pneuma とは、ギリシャ古語で「呼吸」のこと、それから転じて「精神(spirit) 」の意味に使われるようになった、発音はギリシャ語で「プネウマ」、英語では「ニューマ」。リリース・レーベルは Belle Antique 、古館徹夫だの多加美だの似たような傾向だろうとは思ったのだがそれらは聴く機会のないままになっている。

a0248963_18454144.jpg 最初のアルバムが『巫歌(ふか)』、1994年録音の95年リリース。ジャケットの中に「Anthem to raise the dead」という英題が書かれている通り「死者を起き上がらせる賛歌」という意味。帯の惹句は「サード・イアー・バンドやポポル・ヴー・タイプの日本の実験的ロック・ユニット。中世的な暗さに日本的な陰影を加味したサウンド。先に発売されたプネウマの新ユニット」とある。ちょっとその2つのバンドとは違うんじゃないの・・・といいたいところもあるが。
 鳥の声や水の流れといったサウンド・エフェクトが多用されるが、演奏は殆ど生楽器が主体。このファーストのメンバーを書いておくと(漢字表記が判らないので、書いてある通りに記す)、pneuma (perc, vin, music-saw, santur)、Akira (vo, perc)、Yuko Suzuki (harp, vo)、Shin Yamazaki (g, oud, recorder, sharmai)、Yulihito (cello, vo)。ゲストとして Shinji Kuroki (琵琶)。
 非常に日本を感じさせるサウンド、2曲目のリコーダーなど、もろ竜笛か篠笛のような音、4曲目の琵琶はまるで November Steps だし、7曲目のYulihito のチェロとヴォーカルによるソロは能の謡を聴いているような感じ。8曲目は弦(ギター、ハープ、サントゥール(ハンマード・ダルシマー))の合奏、非常に美しいアンサンブル、9曲目は弦のハーモニクスによる儚い夢。Third Ear Band のような繰り返しによるトランス効果みたいなものは余りなく、一部を除き繰り返しを拒否するような感覚、それがある種の聴き手との距離感(取っ付き難さ)みたいなものに繋がる。
 音楽の構成とすれば似ているStephan Micus には温かみやメロディーがあるが、彼らにはない、それが聴くにはそれなりの根性を必要とすることに繋がり、決して昼寝用の音楽にはならない理由でもある。

a0248963_1846553.jpg 2枚目は、『四つの弔歌』、1994年から95年録音、95年リリース。今回のアルバムに Yulihito の名前がなく、基本は pneuma , Suzuki, Yamazaki, Akira のカルテット、これに Enomoto Ryuichi がエレキ・ギターで、Hiroko Tanada が歌(スキャット)でゲスト参加。
 本アルバムは、4つの埋葬歌(土葬、火葬、鳥葬、水葬)+嘆きの川辺(表記には Kokytus とあるが普通は Cokytus 、嘆きの川といわれる ~ ギリシャ神話に出てくる)の長尺曲5曲にそれを繋ぐ4小曲の構成。基本的には、葬儀の方法を象徴する効果音を取り入れ、雰囲気を盛り上げている。
 最初の埋葬歌では、モンゴルのホーミーのような声が聞こえるが、この声は多分 Akira のもの、どんな活動をしている人なのだろうか、興味津々、ヤマンタカ・アイみたいな人?火葬歌では、エレキ・ギターのインプロヴィゼーションが展開されるが、アルバム全体で見るとちょっと浮いた印象、他の曲が生楽器主体だとエレキ・ギターの音は異質過ぎるか。「嘆きの川辺」は、弦の合奏による美しい曲、鳥葬歌は風と鳥の声のS.E.が効果的、水葬歌はゲストのスキャットが良い。
 全体的には、前作を受け継ぐものだが、地水火風をモチーフになにやらジャケット裏にも難しいことが書かれていて、哲学的な感じが漂う、それを喜ぶか、悪趣味と感じるかは聴く人次第、どっちかというと自分は後者かな。この集団、かなりのインテリだとは思うものの。

 ということで、今回はマインド・コントロールから集団狂気へ・・・・精神世界にズルズルッと行きそうなトレンブリング・ストレインでした。しかし、このユニット、自分としてはかなり好きな部類、1か月に1度はターンテーブルに載ります、アブナイ傾向が自分の中にあるのかも(バーカ!お前みたいな現実主義者にそんなもんあるかよ!とお叱りを受けそう)。
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by ay0626 | 2012-10-28 17:08 | new age

ジャズかロックか、どっちでも関係ない カーリュー (2)

 この前、ネットのニュースを何気なく見ていたら、男女平等が実現している社会として、アイスランドが1位、北欧諸国が上位に位置し、日本は相当下位であるとの調査が掲載されていた。
 自分が社会に出たのが1980年代の初め頃、何度も書いて恐縮だが、女性の仕事は定型的なことばかりで、今じゃほとんどワードやエクセルで数時間で出来てしまうようなことを何日か掛けて処理していた。そんな訳で、女性の仕事は今のように労働密度が高くなく、定時で仕事を終わるのが当然、一方男は当然のごとく残業と、それはお決まりの光景ではあった。1985年に男女雇用均等法ができ、世の中が少しずつ変わり始める。それに加えてバブルの崩壊、社会保険制度の綻び、少子化の一層の進展など後押しする条件も整い、2000年頃から一般会社でも女性の総合職採用が定着していくようになる。確かに今の一流大学卒業の女性は勤勉で優秀な人が多い、昔のキャリア女性といえば、容姿を褒められることなぞ断固拒否したものだったが、今の人たちはそれも上手く受容して社会に相対していけるように思う。仕事の能力のみならば、相当のものだ。
 女性進出が日本では遅れているというのは、まだまだ事実と受け止めない訳にはいかないだろうが、楽観的に考えれば、まだ本格的な端緒に付いて10年程度、社会全体の変化のスピードとしては、この種の問題の中では比較的早いほうではないだろうか。
 とはいっても、考えなければならない問題は多い。例えば、転勤(結婚していた場合、夫の転勤・本人の転勤とも)の問題、出産に伴う休業期間を如何に考えるか(出勤していたのと同等に評価するのか、それとも経験を積んでいない期間として評価しないのか)など、考えれば色々出てくる、それなりに社会的コンセンサスが必要となるだろう。いずれにしろ、ハンディキャップを負うのは女性であることが多いのは事実。男で今後とも問題となるのは、過重労働くらいだろう、直ぐ働きすぎてしまう輩の多いこと。

 音楽の世界では、男女平等か? 近頃では、バンドの紅一点がベースやドラムのこともあるのだが、まだまだ少数派。ベースで思い出すのは Curlew の Ann Rupel くらいだけれども、あの人は面構えも体格も演奏スタイルも凄かったなぁ。犯罪世界でも、某尼崎事件の中心人物のような凄まじ過ぎる人もいるようではあるが。

 ということで、Curlew の2回目。George Cartwright (as)、Tom Cora (cello)、Davey Williams (g)、Ann Rupel (b)、Pippin Barnett (dr) という黄金時代のライン・アップ、1990年代前半のCD 2枚と DVD 1枚、なかなか根性の入った演奏を聴かせてくれる。

a0248963_18235865.jpg このライン・アップ最初の作品が Bee 、1990年の録音。このバンドの音を聴くと何時もアメリカらしいなぁ、と思ってしまう。このアルバムもかなりアヴァンギャルドな演奏をしているのだが、重苦しい感じが丸でない。Cartwright のアルト・サックス・ソロにしても、Williams のビロ~ン・ビロ~ンとした変てこな、それでも1音1音が非常にクリアに聴こえるソロ(これは本当に好きだ!)にしても、タイトなリズム隊(Rupel ~ Baenett)の上で繰り広げられれば、凄く明るく(というか悩みや屈託が全くない)聴こえるのである、Tom Cora は若干とも翳りのある感じではあるが。
 これは、バンド・メンバー全員がアメリカ人、とりわけリーダーの Cartwright がミシシッピ州ミッドナイト出身であるところが大きいのではないか。ミシシッピといえば、黒人差別とそれに抗う公民権運動で有名だが、黒人の音楽に与えた影響は大きく、ゴスペル、スピリチュアル、カントリーなど様々なジャンルを生み出した。Curlew はそれを白人感覚で咀嚼し直したとはちょっと考え過ぎか、Curlew のアヴァンギャルドではあるが、ノリの良さ、聴き易さはそこらあたりに理由があるのかも。
 本アルバム、音は良くないが、たっぷり70分音楽が詰まっている、各人のソロも十分堪能出来ます。なんと12曲目の As You Said では Ann Rupel 姐さんの容姿に似合わぬ(?)美声が聴けます。

a0248963_18242634.jpg 次が、92年発表の A Beautiful Western Saddle 。ヴォーカルに Amy Denio を迎えた異色作。3分から5分程度の短い曲を14曲並べた構成、なにやら Henry Cow ~ Art Bears の Hope and Fears を思い出すが、Curlew には路線対立みたいなものはありません、念の為。
 Amy Denio の歌いっぷりは堂々としたもの。初めて Denio の名前を知ったのは、Chris Cutler とスイス人ギタリストの Wädi Gysi と組んだ (ec) Nudes で、これがなかなかの傑作で、その直後に本作を聴くことになった(アルバムの発表順は、本作 ~ (ec) Nudes)。一時は、彼女のソロ・アルバムや参加していた The Billy Tipton Memorial Saxophone Quartet の作品も購入して聴いた覚えがある。コブシが効いた歌い方というのも変だが、確かに唸りが効果的に入っている。
 作詞の Paul Hains は、1933年生まれのカナダ人の詩人。Kip Hanrahan の Darn It! や Carla Bley の諸作(Escalator over the Hillなど)で自分にはお馴染み(どんな詩を書いているの?といわれると困るが)。後に Cartwright は、単独名義のアルバム The Memphis Years (2000)で Paul Hains の詩と Denio のヴォーカルを再びフューチャーしている。
 メロディー・ラインのはっきりした曲が多く(当然といえば当然だが)、聴き易いのは確か、若干過激さが薄いが、ヴォーカル・アルバムとしては器楽のソロとのバランスは良い。

a0248963_18253657.jpg そして、93年発表の映像作品 The Hardwood 、1991年3月の Knitting Factory でのライヴ(VHS ヴィデオ・テープで発売)。2010年に A Beautiful Western Saddle が再発されたとき、この作品も DVD 化され、91年12月のワシントン D.C. でのライヴが追加された。追加されたライヴは、Amy Denio も参加している。
 動くミュージシャンは一度は見ておきたいと思うのだが、CD だと何回も聴くのに、DVD だとそう何回も見ないのは何故だろう(気に入っている Faun だって、まともに DVD 見たのは10回に満たない、それこそ CD を聴く回数の数十分の一といったところ、まあ、コレクターだから、とお決まりのフレーズをほざいておきましょう)。本映像で一番かっこいいのは、何といっても Ann Rupel 姐さん、堂々とした体躯をゆさゆさと揺らし、その迫力は最高。 Cora や Williams がひょろひょろっとした感じで随分神経質そうに見えるのに対して、リズムは任せろ! 的な姐さんの存在感はこの頃の Curlew の屋台骨といえる。

 この後、中心人物の Cora が抜け、サウンドも変化してゆく。この頃が、最も安定した迫力のあった時期か。最もアメリカを感じるバンドだった、それ故、のめり込めなかった部分もあったけれど。
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by ay0626 | 2012-10-27 16:46 | jazz

枯れた淋しさ、音の少ない音楽 ロバート・ワイアット (2)

 昨日突然、東京都の石●知事が国政に進出するとかで、知事を辞任することにしたようだ。80歳にして元気なもんで、将来の日本を心配するよりも明日の自分の健康を心配しろよ、などと言いたくなってしまうのだが、やりたいことをやるのが一番楽しいんで、日本のため未来のためとはいいながら、そういう政治活動が自分にとっては楽しくて楽しくて!(注目されるの大好き!!!)、彼もあの年齢になれば「自分が誰よりも偉い、自分が一番」、甚だしく自己満足できる訳。ということで、彼には期待しない、それは当然といえば当然、責任を取れるほど頭脳明晰なままであと何年も活動できるなど、どう考えても不可能ではないか、せいぜい世迷いごとを撒き散らかしてくれ。

 この元気のよい爺さんに比べ、歳よりも枯れてしまったのが Robert Wyatt 、階段から落ちなければ、ヒッピー・フリークな人生を送ったろうに、下半身不随になることで世の中の不条理を知り、そこから共産主義の方向に向いてしまうのが70年代中盤の時代の趨勢というところか。
 静かな抗議という感じのプロテスト・ソングから、音数を減らした90年代初頭の Dondestan まで、実をいうとこの時期の Wyatt 、そう好きではない、主義主張が出過ぎているのは仕方ないとしても、音楽的な実験性や楽しさが少ないように思えるからだ。

a0248963_1435674.jpg Wyatt は、Rock Bottom 期の1974年2枚のシングル盤を出している。後にボックス・セット EPs (99年)の Disk 1 に纏められる、I'm A Believer / Memories 、Yesterday Man / Sonia がそれだ。演奏メンバーは、Fred Frith 、Dave MacCrea 、Richard Sinclair 、Nick Mason 、Mongezi Feza 、John Greaves 、Gary Wind などのお馴染みのメンバー。もともと、ポップ感覚のあった人だと思う、特にロックのヴォーカリストといえばフロントの一番映える位置にいるので(Wyatt はドラマーなのでそうもいかないが)、自然と人に見られる快感を知り、ポップなエンターテインメント性を身に付く(と勝手に想像)。そんな部分が結実した2枚、どちらも60年代半ばのヒット・ソング、聴いていて良い曲だなあとは思う。EPs の Disk 1 には、後に(2005年)に全貌が明らかになる74年の Wyatt 復帰ライヴ(Theatre Royal Drury Lane)の1曲 Calyx が加えられている。それから長い沈黙が続き、そのため自分の Wyatt に対する興味も薄れ、次にリアル・タイムで聴くアルバムは97年に久々にリリースされた Shleep からとなる。

a0248963_14352831.jpg 82年には、久々に2枚のアルバムが発表される。まずは、Nothing Can Stop Us 。これは、80年から81年にかけてシングルで発表した作品を集めたもの。冒頭の Born Again Cretin は Wyatt のオリジナルだが、At Last I Am Free や Strange Fruit など、その系統の名曲が並んでいる、世界のプロテスト・ソング集といった感じか、まだ多少のゲストの入った、サウンド的にも聴けるものとなっている。ただし、最後の2曲は完全な蛇足、何れもシングルB面に入っていた他人の曲で、インド音楽だったりポエット・リーディングだったりで、乖離感甚だしい。同時期にシングルで出た Ship Building (B面の Memories of You 、Round Midnight も同時に)を加えて、最後の2曲を削除した方がいいのに、と思っている。Ship Building は、E. Costello が作曲した傑作で、ウッドベースの音が素晴らしく、ドラムとピアノというシンプルな伴奏に Wyatt の哀しい声が鳥肌ものの出来。先に紹介した EPs の Disk 2 として、Ship Building 、Memories of You 、Round Midnight の3曲と86年の Pigs...(In There) 、88年の Chairman Mao (毛沢東!!!)(いずれもコンピレーション収録曲)が収められている。
 もう1枚が The Animals' Farm 。動物実験に反対する立場で作られた映画のサウンド・トラック。一世代前の前衛音楽といった感じの締まらない、詰まらない曲。60年代末であれば、サイケなんとかで評価もされたろうが、80年代に入ってこれでは全くお話になりません。まあ、映画としても有り勝ちなテーマで左翼の方々が好みそうではある。EPs の Disk 4 として収録。

a0248963_14355222.jpg 84年には4曲入りの EP Work in Progress 発表。これも、Nothing Can Stop Us と同傾向の作品。殆どの演奏を Wyatt 一人でこなし(1曲のみ Hugh Hopper 参加)、シンプルな傾向が強まっていく。前述 EPs の Disk 3 として収録。
 85年、久々のフル・レングスのアルバム、Old Rottenhat 発表。全く一人で演奏を行ったこのアルバム、音数を少なくして、パーカッション以外は全てキーボードの音、ヴォーカルの抑揚も少なく、昼寝の友ならいいがちゃんと耳を澄まして聴くにはかなり退屈。詩を拾い読みしても、左翼傾向は変わらない。しかし、この全体から来る枯れた感じ、非常な寂寥感はなんだろう。80年代から90年代半ばに掛けて、妻の Alfreda Benge と二人、半ば隠遁生活のようなものだったのかも知れない。退屈で、ある意味羨ましい身分ではある。

a0248963_14361220.jpg 80年代前半は、それでもシングル・リリースなどはあり寡作ではあったが、何年も消息が途切れるようなことはなかった。しかし、80年代半ば Old Rottenhat 以降は、殆ど情報のない状態になった。91年、唐突にフル・アルバム Dondestan が発表される。この頃には、共産党との関係は終わっていたようだが、前作と同様の傾向のアルバムで、歌詞にもその傾向は残っている。Henry Cow のような過激さではなく、自分が弱い立場になって、周りには弱く守るべき対象が多いことが判った、その優しさが故の左翼接近とすれば、共産主義の党派性の持つ教条主義、権威主義的な体質が嫌で離脱していったのか、とも思う。
 ジャケットの Robert と Alfreda が部屋の大きな窓から海を見ている絵が、このアルバムの感じをよく現している。Alfreda の絵は、Wyatt のアルバム群に統一感を与えると同時に、彼の声の「柔らかな哀しみ」のようなものを上手く現しているのではないかと思う。

 90年代半ばから、ちょっとした変化が起こってくるのだが、それはまた別項で。
 現在 Wyatt 67歳、Alfreda 72歳、平和な老夫婦。いいですねぇ。Dondestan のジャケットはまだ40歳代ですか、確かにまだ若いです、その割には枯れてます。音楽は余り枯れるのはどうかと思う、久しぶりに Wyatt の80~90年頃の音楽を聴いてみて。
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by ay0626 | 2012-10-26 11:03 | rock

その後のヘンリー・カウ アート・ベアーズからブレヒトへ ダグマー・クラウゼ

 秋も深まって、日中なら半袖でもいられるが、釣瓶落としに陽が落ちると途端に寒さを感じるようになる。注文しておいた本がやっと届いたので、これから1~2週間は寝る前1時間程度は読書に時間を費やすことになる。西澤保彦さんと小島正樹さんの新刊と小林泰三さんの文庫本、楽しみ。

 能動的にコンピュータに向かうのはブログを書くときか、買い物をするときくらいのもの、年を取ったせいか、エロ・サイトなぞ殆ど覗く機会もなくなったので、ウイルスを貰ってくるようなこともないだろうとは思っている。しかし、「遠隔操作ウイルス」などという変てこなものが出てくると落ち着かない気分にはなる。銀行口座情報などは登録していないが、買い物にはクレジット・カードを使っているし、情報が漏れては大変だ。自分の名を騙って、悪いことをされるのももっと困る、警察の杜撰なこと、罪がない人を犯罪者に仕立て上げてしまう、つまり冤罪事件を引き起こすような捜査をやっていることを今回の事件が白日に晒してしまったから。今回の事件、マスコミの警察追求が今一歩の印象を受けるが、もっと検証すべきではなかったか。もっとも、iPS細胞の件で赤っ恥をかいた記者が、疑惑が持ち上がった後に会見を開いた森口某に嘘を認めさせようと、まったくの「上から目線」で偉そうに質問する姿を見ていると、マスコミにも自分たちは偉いのだ、という権威主義みたいなものを感じてしまう、権威主義は警察もマスコミも同じ穴の狢ということか。せいぜい自分はどちらのお世話にもならぬよう自衛しましょう。

 前回、Fred Frith のことを書いたとき、「残るは Chris Cutler 御大のみ」などといってしまったような気がするが、Dagmar Krause のことをコロッと忘れておりました。ということで今回は Dagmar Krause の巻、Art Bears は Frith の項か Cutler の項に入れるか迷った末、Dagmar 姐さんのところに入れることにした、あの声がなければあのサウンドはあり得ないので。

 Henry Cow の内部対立が目立ち出したのは、ヴァージンが彼らとの契約を打ち切ったあと、77年頃から。78年の1月には、新しいアルバムのために録音を開始するが、アルバムの傾向が今までとは全く違う、ということで内部抗争が激化(といってもやはり音楽家なので、血で血を洗うようなことにはなりません、ハイ)し、遂に完成したアルバムは、Frith 、Cutler が権利を買い取り、Art Bears の第一作として発表されることとなる。78年は、レコーディングも多く、順を追って見ていくことにする。

a0248963_17433680.jpg 1978年1月、Henry Cow は、スイスのキルヒベルクのサンライズ・スタジオでレコーディングを開始する。今回のアルバムは Dagmar Krause の歌を中心とした小品で構成されることになるが、今までの作品とコンセプトが違いすぎるとTim Hodgkinson や Lindsay Cooper から意見が出て、作品の殆どを作った Frith ~ Cutler が権利を買い取ることで決着、アルバムは3月のロンドン・カレイドフォン・スタジオの録音で完成し、5月、Art Bears のファースト・アルバム Hopes and Fears として、Recommended Record から発売される。
 このアルバムは、やはり Dagmar の声を活かすように作られている。Dagmar の声は個性的で、ドイツ人であるためか、英語の単語が非常にはっきりと耳に入ってくる、言葉を伝えるのに最上の声と言えるのではないか。
 確かに全体の雰囲気は Henry Cow のアルバムとは言い難い作品で、Tim や Lindsay の言い分は判るような気はするが、所詮は左翼の主義者によく見られるような、ちょっとした違いを大きく言い立てるような感じがない訳ではない。Cutler の詩は、Tim の In the Heart of the Beast ( In Plaise of Learning に収録の大曲)ほど直線的に表現していないだけで、同じようなもんだと思ってしまう、やはり自分がノンポリだからか。
 サウンド的には、Georgie Born が加入し、室内楽的な感じが強くなっている。Frith のソロにも収録された Terrain などはチェンバー・ロックの典型的な演奏とも思う。Cow の Western Culture に収録される Lindsay 作品 Half the Sky もこの1月録音のもの。Western Culture は、同じ年、同じスタジオで7~8月に録音されているが、Half the Sky だけが質感が異なっている。
 CD化(1992年)の際には、3曲を追加収録。All Hail ! と Collaps は1980年冬の録音、前者は82年にレコメン・サンプラーに、後者はセカンドからのシングル・カット Rats And Monkeys のB面として発売されたもの。最後の1曲 Coda to Man and Boy は、80年のヨーロッパ・ツアーのライヴ録音で、セカンド Winter Songs の予約者に配られたもの。

a0248963_17435820.jpg セカンド Winter Songs は1978年11月と12月にスイス・サンライズ・スタジオで録音されたもの。フランスのアミエンス大聖堂の西正面の彫刻を素材とした Cutler の詩に Frith が曲を付けた。
 非常にタイトな印象を受けるアルバム、Dagmar の声と詩を活かすためにサウンドはかなり音数を少なめに、全くシリアスでユーモアを感じさせるようなところもない。Dagmar の声は千変万化、Cutler の短く象徴的な詩(何がいいたいのか判然としないまでに抽象化されているものもある)を的確に歌い上げてゆく。
 この頃は、パンクの隆盛から下降の時期、また共産主義も力を失い特に新左翼は全く権威失墜の状態、その中で彼らは何をしようとしていたのか。レコメン、ロック・イン・オポジションの中では非常に象徴的な作品である。

a0248963_1744187.jpg サード The World As It Is Today、1980年の8~9月に同じくサンライズ・スタジオで録音された本作は81年に Recommended Recoed からリリースされた。最初のレコードは30センチ盤ではあるが、45回転という変則的な形式で発売された( Recommended のアルバムでは、例えば News from Babel の Letters Home もこの形式であった)。
 のっけから The Song of Investment Capital Overseas ときた、海外投資資本の歌!!!全く主義主張を変えない Cutler さんは偉い、という他ない。こんな詩「町の外 / 仕事が町の外に連れて行く / 村は空っぽ / 家々を燃やし尽くし / 工場を立ち上げていく / プランテーションを広げ /富をもっと貧しい国民に届けよ / 道を線路を地割れのように走らせよ / そしてわたしを彼らの背に乗せて運ばせよ」。
 傑作といえば傑作、ひとつの行き着く先。ひとつの時代の終わり、肩の荷を降ろして、新しい道を進む、そんな感じの Art Bears の最終作。

a0248963_17444168.jpg その後、Dagmar は1986年 Supply and Demand: Songs by Brecht / Weill & Eisler というソロ作を発表する。堂々とした歌いっぷり、もともと英語版とドイツ語版の2つがあったようだが、再発の際、英語版に10曲ドイツ語版から加えられた。
 もともとブレヒト/クルト・ヴァイル、ハンス・アイスラー曲集だからクラッシクぽくはあっても、ポピュラーに近いから、そんなところが Dagmar にぴったりといったところなのだろう。のびのびと楽しそうな感じが気持ちよい。
 クルト・ヴァイルは、ドイツの作曲家、クラッシク作品と同様にオペレッタ作品に力を入れ、劇作家ベルトルト・ブレヒトとの「三文オペラ」は非常に有名、悪人の出てくる変な作品、一度何かで見たことがあるような気がするが、よく憶えていない。

a0248963_1744573.jpg 88年には Tank Battles: The Songs of Hanns Eisler というアルバムもリリース。今回は完全にアイスラーの作品集。アイスラーはドイツの作曲家で、ヴァイルと同様ブレヒトとの共同作業で有名だが、元はといえば新ウィーン楽派の一方の雄、シェーンベルクの高弟の一人、東ドイツの国歌の作曲者でもあった人物。
 歌いっぷりは前作と同様だが、前作に比べると若干クラッシクぽいか。ミュージシャンの中には、Alexander Bălănescu や Lindsay Cooper などの名前が見える。これも英語版とドイツ語版があるが、再発盤は英語版に数曲ドイツ語版の曲を加えている。

 Dagmar は、様々なプロジェクトに加わっているため、なかなか全貌が掴めない感じだが、彼女の声はよく判る、ヴォーカル担当はいいですな、一聴その人の声と判る、器楽奏者だと余程特徴がないとやはり難しいでしょう。
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by ay0626 | 2012-10-21 15:30 | rock

チェコの辺境アホアホレコメン ウズ・イスメ・ドーマ

 今日は会社の部下(女性)の結婚式に行ってきた。カラリとした秋晴れの下、明るい雰囲気で宴が進んだ。近頃の若者は何やかや言われることも多いのだが、自分の意見を変に衒わず率直に表明できる人も多いように思う、あくまで自分の知っている範囲だが。

 近頃、報道について考えたことを何点か。
 ノーベル賞の中山教授は立派だったが立派な人は沢山いる、まあかなり立派だ、と自分も思ったが。もっと面白かったのが、森●尚史氏の iPS手術実施の虚報、読売新聞のような立派な(?)新聞が裏付けも取らずに、舌先三寸コロリと騙された。直ぐばれるような嘘など吐くまい、当然のことのように思えるのだが、世の中に変な人は山のようにいる、嘘など吐き放題なんて人も相当数いる。それに加え、人を疑うことを知らない人だって山のようにいるのだから、騙される人がいて当然、今まででも思い付くだけで豊田商事事件からオウム・法の華三法行まで多くの人が騙され金を巻き上げられた、ちょっと考えれば判るような馬鹿な理屈を何故人は信じるのか。人を信じるように教育されているため?本当か。
 考えるということを放棄していないか、その人の権威みたいなものを有難がっていないか。例えば森●氏は実際東大病院で働いていたようだし、一般の人から見れば東大病院と聞くだけで「偉い先生なのでは」と思ってしまう、東大出ても就職できないような馬鹿はごまんといるし、企業に入っても皆が皆偉くなれるわけではない、そりゃ確率的に見れば、そこら辺の大学よりはずっと優秀な人材を輩出していることは確かだが。
 それでも森●氏の事件、あっという間に誤報と判り、森●氏の明かされたくない過去まで明かされてしまった、まだ1件は本当に実施などと言っているようだが、誰も信じることなどない、往生際の悪さも人格否定に繋がることをこの御仁は知らないのであろうか。
 もう一つ、大阪の橋●市長の週刊朝日の記事の件、こちらも天下のご意見番を認じている朝日新聞の週刊誌なのに、差別の関係で絶対やってはいけないことをやってしまった。子会社だから関係ないなぞ、口が裂けても言うべきではない、それなら完全に親会社との人的交流を絶ち、誌名を変更してから言うべきこと。新聞に沿った意見を書くことが多ければ、必然的に新聞社の意見と見做されるのは明らか、そうだとすれば今までの差別反対論が空虚に響く、その程度のものだったのか、と多くの読者が思うであろう。
 さらにもう一つ、田●法務大臣、これは権力が国民を馬鹿にしている典型例。どうももともといろいろあった先生らしく、大臣になれば必ず書かれるだろうことなど予想が出来たことという、大臣にするとき「身体検査」という言葉もあると聞いた、それなのによりもよってなったのが「法務大臣」だとは笑わせる。予算委員会まで欠席して、馬鹿にするにも程がある、それでも死ぬときゃ「元大臣」、そのときには週刊誌報道があって辞任なんて詳しい解説はないだろうから、本人にとっては何日間でも大臣できりゃ有難い話かも知れないけど。
 ということで、この1~2週間、面白いこと沢山ありました、面白いといっちゃ不謹慎?、でも面白いとしかいいようのないことだらけ、自分にとって報道というかマスコミについて少しは考える機会にはなったと思う。

 面白いといえば Už jsme doma (もう家にいる、という意味らしい、何を考えているんだか)、チェコのバンド、1980年代半ばから活動。共産政権では活動に制限もあったようだが、90年の所謂ヴェルヴェット革命以降はアルバム・リリースも順調で、幾多のメンバー・チェンジを経て現在まで活動が続いている。Miroslav Wanek を中心としたバンドで、初期はサクソフォンの入った明るいアヴァンギャルド・パンク、聴き難い部分は殆どなく、言葉は判らなくともアチャラカな感じはよく判る。日本にも来たことがある、多分2回。

a0248963_2223928.jpg ファーストは1990年 Uprostřed slov (In the Middle of Words)。この時のメンバーは、Miroslav Wanek (lead vo, g, kbd, b, bandleader, lyricist, composer)、 Romek Hanzlík (g, vib, vo)、 Jindra Dolanský (sax, vo, composer)、Pavel Keřka (b, vo)、 Alice Kalousková (sax, vo)、 Pavel Pavlíček (dr, vo)、 Martin Velíšek (brushes, visuals) の7名、とは言え7人目のメンバーはジャケット・デザインの担当だから実際にはセクステット。これにヴァイオリン(Track 1,3,7の3曲)、フルート(Track 2)、アコースティク・ギター(Track 2)、バグパイプ(Track 8) のゲストが参加。
 ヴォーカル曲ばかりで、比較的短い曲ばかり(最長曲でも5分程度)、リズムが目まぐるしく変化するが、楽器にフリーキー・トーンはなく、良く作曲された感じで聴き易い(あくまでも自分の聴く他のバンドとの対比でだが)。曲調は明るく、ヴォーカルも一部元気に叫ぶところはあるにしろ、それもユーモアの範囲か。
 ジャケット・デザイン担当がメンバーにクレジットされているように、ヴィジュアルは非常に面白く、全てのアルバムに統一感がある。このアルバムでも、黄色を基調にして、一軒家の中にタイプライターを打つ人物が一人、遠くには首吊りの器具のようなものが描かれている、ちょっと意味深長。

a0248963_223881.jpg セカンドは1992年 Nemilovaný svět (Unloved World)。メンバーは前作と同じ、かなりゲストが加わっている模様、チェコ語表記のためよく判らないが。コーラスを交えた曲が多いのが特徴、女性ヴォーカルも聴こえます。リズム・チェンジがますます多くなっている感じ、それでも聴き易さは変わらず、テクニカルなところも随所に見られる。
 今回のジャケットは濃いオレンジを基調に青いテーブルを囲んで裸で酒を飲む人々、まるで餓鬼のように腹だけ迫り出した格好は不気味、窓から一軒家、前作に描かれた家だろうか。
 最初のチェコ盤では9曲収録のようだが、現行盤は後に英語で再録音(ヴォーカル部分のみ?)された曲が6曲追加され77分の長尺録音になっている。

a0248963_2233739.jpg サード、1993年 Hollywood、何か映画に関係するのか、歌詞も判らないので何とも判断できないが。本作では Alice Kalousková が抜けクインテット編成に。
 1曲目からギターのカッティングに乗って泣くや喚くわのアホアホ・サウンド満開。1枚目・2枚目でのある意味真面目に作ってました感が消え、やりたい放題になってきた。どちらかというと管が前面に出た感じの前作までに比べ、ギターが頑張って、ロック的な感じが強まっている。なかなか根性の入った堂々とした出来である。
 1992年には、アメリカ・ツアーを行っており、そのときにあの Sleepytime Gorilla Museum の Nyls Frykdahl (まだそのときは Idiot Flesh の頃か) と知り合いになったらしい、後のアルバム Rybí tuk には Nyls だけではなく Carla Kihlstedt もゲスト参加している。
 このアルバム・ジャケットもなかなかのもの、4人のアメリカ人俳優のような顔の男が馬に並んで乗っている、一番手前の人物は右脇に人を一人抱えている、不気味だが何とも言えない面白い構図。裏ジャケットはその後姿を描いているが、皆ホッケーのスティック(正式名称は知らないのでこう記す)を持っている、その一つ向こうの丘の上には裸の男女、ピンクの太陽のせいで影が長く延びている。やっぱり、ジャケットは重要、そのバンドの個性の一つとなるときがある。

 中日ドラゴンズの読売ジャイアンツ相手の快進撃は今日は一服といったところ、もう一つくらいは勝てるでしょ、と思っています。そういえば、ジャイアンツも色々な芳しくない報道が多かった年でもあった、しかし金も下ネタも余り尾を引くようなことはなかった、それほど野球人気が落ちたということか。Už jsme doma を掛けて、画面だけ野球を見ているのも乙なもので。
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by ay0626 | 2012-10-20 19:28 | rock

西海岸の超絶白塗りパフォーマンス楽隊 スリーピータイム・ゴリラ・ミュージアム

 今朝新聞の一面に丸谷才一氏の死亡記事が載っていた。丸谷氏の小説は殆ど読んでいる、昨年も最新長編『持ち重りする薔薇の花』を上梓したばかりだったのでびっくりした。新潮の10月号に一挙掲載との新聞広告が載り、急いで買いにいった、その直後体調を崩してしまい読むきっかけをなくしたせいか、今でも積ん読状態のまんまになっている。死亡記事が出たんだから、それを機会に読まなけりゃ、なんて不謹慎なことを思っている。
 丸谷氏の著書で一番初めに読んだのはなんだったか、『たった一人の反乱』のような気がするが、『横しぐれ』だったかも知れない。高校に入った頃、一時自由律俳句に興味を持って、種田山頭火や尾崎放哉などを調べたりした時期があった。それで『横しぐれ』を読んだのではないかとも思うが、記憶の彼方に埋没している、もう40年近く昔の話だ。その後順調に作品を読み進め、『にぎやかな街で』などなかなか文庫にならず、読むのが遅れた作品もあったが、殆どの作品を高校の頃には読み終えていた。
 『裏声で歌え君が代』以降は社会人になった後ではあったが、本が出ると直ぐに購入し一日二日で読み終えていた。『樹影譚』は文庫化されてから読んだような気がする。
 どの著書も本棚の奥のほうに隠れているので、これを書くためにわざわざ探索する気もない、従って記憶だけで記すので間違いもあろうと思うが容赦頂きたい。最も好きだったのが『笹しぐれ』、徴兵忌避者の逃避行と現在の境遇を過去と現在とを自由に行き来する構成で描き出したもの。何か希望のなさ、閉塞感みたいなものと、それでも年上の女性を連れての旅が奇妙に明るく、その薄ぼんやりとした感じと現在の若い奥さんとの微妙なもやもやが重なり、絶妙な感覚がそこにはあった。徴兵忌避者は戦後賞賛の対象となったかと思うとさにあらず、その事実は隠さなければならないものだったことをこの小説で知った、一億総反省するなら忌避者のことを認めてやればよい、純真だった頃の自分はそんなことを考えていた、今となっては主人公の行動や世間の目も判らないことじゃなくなくなっている。
 論理性というか理知的というか、私小説にはないカラッとした感じが好きではあったが、一方反発する部分もなかった訳ではない。東大を出て、大学講師をしながら小説や評論を書いた、やはり上流階級の人だったのだろう、『たった一人の反乱』は中年の会社役員が主人公、女中(敢えて書いています)が辞める辞めないでドタバタが始まるし、『女ざかり』は新聞社の権力抗争、『輝く日の宮』は中堅会社の役員と女性大学教員(教授だかどうかは記憶にない)との恋愛模様、と一般人と違いすぎる人たちを描いていてリアリティーという意味ではどうかな、という感じもする。ある意味お洒落過ぎて、食べるものにしても趣味にしても、そして恋愛感情にしても、スノッブな感じが否めないのだ。だからといって、私小説は全く嫌で、そっちに行くことは絶対にない。そして、丸谷氏が「一つの事件」と評した村上春樹は、もっとスノッブ感が強く全然読む気はない。やはり、ミステリくらいですかね、自分と本当に合うのは。

 ということで、今回は Sleepytime Gorilla Museum (以下 SGM)、2000年代のロックでは最も好きな楽隊。1999年にバンドは誕生、その前身の Idiot Flesh から Nyls Frykdahl 、Dan Ruthbun 、Dave Shamrock が参加、とはいってもその Idiot Flesh というバンドの音は聴いたことがない。SGM を聴くようになって Tin Hat や Faun Fables を知ったのである。

a0248963_15432869.jpg 1st アルバムは2001年の Grand Opening and Closing 。2006年に3作品を追加して再発された。
 誰かが書いていたが、正しく Art Bears Meets Metal King Crimson 、複雑な曲構成と変拍子にオリジナル楽器とメタル・パーカッションの音の洪水、Nyls のデス声に掠れた倦怠感のある Carla のヴォーカル、これを基本に現代音楽とも思えるような作品を取り混ぜて、再発盤77分を一気に聴かせる凄まじい演奏。興奮を抑え切れません!!!
 この作品のメンバーは、Nyls Frykdahl (6st & 12st g, etc)、Dan Ruthbun (b, original instruments, etc)、Carla Kihlstedt (el-vln, perc-g, etc)、Moe! Staiano (Perc, original instruments, etc)、David Shamrock (ds, p)。ドラムは1曲のみ Frank Grau に変わる。2006年追加収録作品は、In Grorious Time で詳述予定。
 Nyls が Faun Fables メンバー、Carla が Tin Hat のメンバーであることはこれまでにも述べたので割愛。Dave Shamrock は、A History of Madness 録音時の Thinking Plague のドラマーであったことを付け加えておく。何れも大した才能で、SGM とは何かという与太話( John Kane という未来主義者でダダイストが秘密結社として作った云々、1974年版のギネス・ブックにも記載あり・・・・というような)や白塗りで暗黒舞踏に影響された舞台(事実、Dun は舞踏との関係が深い)、自分たちがオリジナルで作り上げた見た目にも面白い楽器群など、その独自性は他のバンドを圧倒している。このアルバムの中に掲載されている写真も余りに胡散臭く格好良過ぎる(黒の正装に身を固めたメンバーが彫像のように佇む)、音楽以外にも見所満載(だから早く DVD 出してよ!とまたいっておく)。
 楽曲でも、スタートの Sleep is Wrong からテンションがマックス・レヴェル、The Miniature という現代音楽風の極短い曲を経て Powerless ~ The Stain ~ Sleepytime と大作が続き、Dave の金属打楽器による現代音楽風の Sunflower で終わる(オリジナル盤)構成はなんとも言えぬ緊張と弛緩の体験。
 今だとほんに1,000円程度で購入出来ます、そのうちなくなっちゃうと思うのでちょっとでも興味があったら即購入をお勧めします!!!(力が入っちゃいました、ハイ)

a0248963_15435682.jpg 2枚目が Live 、2003年の作品。音も悪いが構成も悪い、1st の緊張感の半分くらいしかない、多分しゃべりの部分が入り過ぎていることが緊張感を削ぐ原因。このアルバム、直ぐに品切れになったのも頷ける出来。時々は根性の入った演奏が聴かれ、彼らのライヴでの演奏力の高さは判る。メンバーは1st と同じ(ドラムは Frank Grau )。

 SGM が解散して早1年半、新アルバムや集大成 DVD が完成したとの知らせが来ないのは残念。ファンは首を長くして待っている。10年以上に及ぶバンド歴に比べ、残された音源は余りに少な過ぎる、せめて約束を守って早くラスト・アルバム/ DVD をリリースして貰いたいものだ。
 
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by ay0626 | 2012-10-14 14:17 | rock

70年代後半 人気絶頂期 ウェザー・リポート (3) + レ・ゾグル・ド・バルバック DVD

 秋たけなわ、お祭の季節。どこもかしこもこの時期は秋祭り、つまりは収穫祭。現世を楽しむのは神道の担当のようで神社が主役(死の世界に踏み込むのは仏教の担当つまりはお寺)。神社は多神教、仏教はもともと哲学みたいなもので、神様っぽい仏様なんぞいなかったのに日本に来たら多神教みたいになってしまった。
 多神教なら多神教で構わないのだが、日本の神社は特異な存在で、どんな神様が祭られているのか判らないのに、猫も杓子も参りに行く。交通安全の神様なんてテレビで宣伝している神社もあるが、神が生まれた大昔どんな交通事故で人が死んだり傷ついたりするのだ、自動車が出てきた後の話だろう、などと考えてみるが、まぁそれでいいのか、どんな神様が交通安全担当なのか誰も知らないのだから。これが一神教だとどんなお願いをするのも唯一絶対神だから楽ではある、最初から交通事故のない世界を創造しといておくれよ、なんて悪態も吐きたくはなるが。
 今日明日が自分の家のそばの神社のお祭、神社事務所に集まってくるのは爺さん婆さんばかりで若い人など来りゃしない、当然といえば当然、根にある「収穫」という概念が全くない、そうなれば秋に祭がある意味さえ判らない。若い人にとっては、神社なぞ正月に彼氏彼女と散歩に行くところくらいな意識であろう、中年オヤジにとっても特に興味を惹かれるようなことはなく、寄付寄こせなど鬱陶しい限り、あと何十年かして土地に縛られる人がいなくなればこの習俗も廃れていくとは思うが。
 神社に祭られる神様は多種多様で、どんな出自なのか判らないのも沢山あるようだが、明治期に国家神道の名のもと、一応謂れのある祭神名に変えてしまった神社も多いらしい、世の何処かにはクトフルフみたいな神さんを祭っていた神社もあったりして。有名な神社でも御嶽神社のように古事記でちょろっと最初に出て隠れたとされる造化三神(至高の神とも言われるようだが何をやったか、どんな性格の神だったか誰も知らない)を祭っていたり、白山神社は菊理媛神という黄泉の国のシャーマンみたいな神さんを祭っている、何に効く神なのか誰も判らない(神社の宣伝は別にして)。
 まぁ、でも神道はまだそれなりにわかる点もある、ある意味大らかなのだ、性に対して。宗教全般、大体性を良くないものとして押し込めようとする、キリスト教にしろ仏教にしろ。その点、神道は開けっぴろげなのだ、アマテラスが天の岩戸に入り込み世の中が暗くなったとき、アメノウズメがどんな踊りを踊ったか、それは決して恥ずかしいことではなかったはず、イザナミが先にイザナギをナンパしたため蛭子 = エビスが出来てしまったのは残念だが、最初の女神が男神に声を掛けた事実(?)は否定できない。やはり、人間自然に欲を抑えず、肯定的に何もかも受け入れて生きる方が幸せなんじゃないかと思います。

 ということで今回は、Les Ogres de Barback の DVD と Weather Report の絶頂期の2枚というゴーカ2本立てで。

a0248963_22215125.jpg Les Ogres de Barback は近頃へヴィーローテーション。あれだけの多楽器の持ち替え、本当にやっているのかを確認したくて DVD を購入した、もちろん Amazon France 、他には売っていないので。
 2005年に出た Création de 10 Ans d'Ogres et de Barback 、10周年記念盤のようで2枚組。1枚目はコンサートの模様が3時間近く収められている、ゲストが盛り沢山で、それがどんなミュージシャンか全く判らないものだから興味が持てない部分も多いが(なんせフランス語ばかりなんで、ミュージシャンの紹介も名前を言っているのかさえ判りません!)、彼らが本当に何種類もの楽器をそれも相当のテクニックを持って操るのが確認できる。特に Alice のコントラバスはうねるようなグルーヴが凄い、また Sam 兄ちゃんのギターとトランペットのテクニックの凄いこと。Fred はやはりちょっとイッチャっているような感じではありました。Sam はギター・ヴァイオリン・トランペット、Fred はギター・アコーディオン・トロンボーン、Alice はコントラバス・チェロ・トロンボーン、Mathilde はピアノ・フルート・クラリネット・テューバなど、見ているだけでも面白い。
 ライヴ会場は、まさにお祭、オール・スタンディングの踊り捲くりの感じで、行きたくはない CD で十分でしょう、それが感想。
 ジャケットとオープニングのアニメは、彼らのアルバム・デザインと同じ人が担当しておりなかなか芸術的といいましょうか、グロかわいいといいましょうか、原色を使った印象深いもの。

a0248963_22231537.jpg お祭といえば、祝祭感覚なのが Weather Report の絶頂期作品 Heavy Weather 、1977年作品。やはり、Birdland、学生時代どれだけこの曲を聴いたか、Jaco Pastrious のベースがめちゃめちゃいい感じに歌う、時にピッキング・ハーモニクスでメロディー・ラインを奏でるところなど、インストなのに全部口ずさむことが出来ます。次の A Remark You Made でも Shorter に負けず Jaco のベースが歌い捲くり。Teen Town で Jaco ベース炸裂、Rumba Mama などという色モノを交えつつ、判りやすいメロディーてんこ盛りで一気に聴かせる(37分ちょっとと聴き易い長さということもあって)。
 このキャッチーさ、しかし余りの商業主義と思い始めるともうダメ、一時聴かなかったのはこのせい、サルベージしておいて正解でした、今はウォークマンにも全アルバムが入っています。まあ、判らなくもない、自分のような人間でさえ、商業主義といえば眉を顰める、あれだけ当時評価していた評論家諸氏が掌を返したように Procession 以降の Weather Report を無視するのはやはり商業主義のせいですか、違いますか、ああそうですか、自分は Procession 以降の方が Night Passage や Weather Report '81 より好きなんですが、やはり耳がトチ狂っていますか。
 Jaco の凄いことはよく判るが、やはり天才と狂人は紙一重といったところ、この後10年も経たずして天才音楽家らしい(破天荒な)最後を迎えることになる。

a0248963_22234438.jpg 次が問題作、Mr. Gone 、1978年作品。多分、このアルバムが発表されて Weather Report の音楽に興味が薄れてきたのかも、次作 8:30 までは何とかリアル・タイムで聴いたが、Night Passage と Weather Report ('81) は、2000年に再発されたときに初めて聞いたような感じで(多分数回は発売時に聴いたかも知れないが)、そのときも何かピンと来ない、未だにそんな感じ。
 このアルバム、やはり Zawinul が前面に出すぎ、全部自分でやっちゃいましょう、ちょっと凝ってみましょうと捻くり回した感じが否めず、前作で朗々と歌っていた Shorter 君が片隅に追いやられている、特に最初の曲 The Pursuit of the Woman with the Feathered Hat など何処にいるの Shorter くん、表題曲 Mr. Gone でも主旋律を歌わせて貰っていない、キーボードの脇でピロピロというだけ。やっぱり、ジャズの華はサックスのソロなんです、全部一人でやっちまおう(人寄せには Jaco の River People や Punk Jazz がありますよ、ということ?)なんて Zawinul さんも欲が深いねぇ、と思えてしまう。仕方ない、プロデューサーが Zawinul 、共同(副)プロデューサーが Jaco で Shorter のクレジットがないのだから。
 しかしながら、カリンバの導入やヴォーカルの使い方などに新機軸が見えるのも確か。これは、Procession 以降の作品に活かされることになる訳。

 と今回は変則的な構成でお送り致しました。どういう取り合わせなんだ!ご尤も、しかし両方とも好きでねぇ・・・と正面から答えておきましょう(態度でかいぞ!とお叱りを受けそうではありますが)。
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by ay0626 | 2012-10-13 20:27 | jazz

気力充実、堂々とした大作中心の80年代後半 ステファン・ミクス (3)

 今日は寒露、秋も深まっていく。魚嫌いという訳ではないが食べるのが面倒で、食卓にもあまり上がらない。今年は2回も秋刀魚を食べたというのに驚き、通常はもっぱら鮭ばかり、それも輸入の。しかし、この季節になると生の鮭が並び、塩焼き以外の料理も食べられるようになる。
 茸にしても、昔は秋の食べ物だったがこの頃は通年店に並ぶので、有り難味も大分減少したが、ファミレスのCMを見ていると、まだまだ秋の味覚としての印象は強い。栗はそろそろ、炊き込みご飯なんかいいねぇとも思うが、昔子供たちに作ってやったら「口の中がもそもそする」なんぞと抜かして、あまり評判はよろしくなかった。
 果物でも、ブドウであれば最もポピュラーな品種デラウェアはとうに店頭から消え、今はマスカットの類。柿も出始め、甘いだけで水気も乏しく、昔はそんなに好きでもなかったが、歳を取るにつれ美味しく思えてくる。梨もそろそろ仕舞いの頃、寒さに向かって林檎が美味しくなっていく。
 天高く、馬肥ゆる秋・・・・中年オヤジにとってあまり太りたくはない秋である。

 Stephan Micus の80年代後半の音楽は、正に秋にぴったりの印象。ちょっと清冽な空気ともの哀しい音が良く似合う、セピアのモノトーンの音楽。セピアは原意のイカ墨のことではありません、そこまで食物に拘っている訳じゃないので、念の為。

 前回書いた85年作品 East of the Night くらいから長尺曲が増えていく Micus の作品、90年代に入るとまた短い曲を沢山並べる形式となっていくが。80年代中盤といえば、Micus 30歳代前半から中盤、作曲家/演奏家として最も油の乗りきった頃、今が旬の秋刀魚と同様美味しい時期だったようで。

a0248963_15422080.jpg 86年の Ocean 、新しく取り入れたのはハンマード・ダルシマー。そしてもう一つ焦点が当てられるのが笙。ハンマード・ダルシマーは、このアルバムで初めて聴いた。今では良く聴く Besh o DroM にしろ Warsaw Village Band にしろ専属のダルシマー奏者を抱え、民族音楽系の要素を取り入れたバンドでは非常にポピュラーな楽器ではあるが、当時はどんな楽器か全く判らず、アパラチアン・ダルシマーくらいしか思い浮かばなかったため、「どうすればこんな音が出せるのだ?」とおもったものである。後に民族音楽のアルバムで同類の楽器サントゥールを聴いて、初めて金属弦を小さなバチで叩いて音を出すのだということを知った。当時はインターネットなどという便利な道具がなかったため、こんなことを知ろうとしてもなかなか辿り着くのに時間が掛ったのである。
 本作の構成は、Part 1・7分58秒、Part 2・19分20秒、Part 3・15分46秒、Part 4・7分13秒と前作の大作路線を受け継ぎ、また多重録音も出来るぎりぎりのところまで重ねている。
 非常に細かな煌くような音なのにある種の寂しさ、郷愁を憶えるような音楽。秋の日、海に出かけて風が凪ぎ、柔らかい陽光の中、水面のさざ波がきらきらと煌く感じ、とでも言えばよいのか(Part 1)。使われる楽器が、尺八(Part 1 にはネイも使われるが、尺八と非常に良く似た響き)と笙、ダルシマーとツィターということで、全体の印象は統一感を持っている、特に Part 4 の笙のソロの慎ましやかな演奏は締めに相応しい。

a0248963_15425862.jpg 87年の Twilight Field 、全面的に植木鉢パーカッションを導入。植木鉢に適度に水を入れ、音階を出せるようにした50個を1セットにした楽器、マリンバのような雰囲気の楽器である、80年の Wing Over Water で初めて披露されたもの。構成は、Part 1・8分35秒、Part 2・8分、Part 3・4分27秒、Part 4・10分、Part 5・15分01秒とまだまだ大作路線といってよい堂々とした演奏。
 使われる管楽器は尺八とネイで前作同様、それでも前作が寂しげな印象が強かったのに対し、今作は明るい印象、ダルシマーの金属系の音に対し植木鉢パーカッションが土系の柔らかい音であるからだろうか、慎ましいながらも祝祭的な華やかな感じがする、唯一植木鉢パーカッションの入らない Part 5 は、宴の後の寂しさか冬への惧れか、若干の寂しさを感じさせてアルバムは終わる。

a0248963_15432026.jpg 89年、The Music of Stones 。Micus のアルバムは多重録音による完全ソロ作品ばかりだが、唯一の例外が本作品。3名の共演者がクレジットされている、このうち Nobuko Micus は妻か?East of the Night に For Nobuko という曲があったがその人だろうと思う。
 南ドイツ、ウルムの大聖堂(非常に背の高いゴシック建築として有名、Henry Cow の2nd の最初の曲 Bittern Storm over Ulm のウルムも多分ここのこと、第二次世界大戦で大きな被害に遭ったことでも有名故)にある共鳴石( Resonating Stone 、大きな石に切れ込みを入れたもの。叩くと長い間唸るような共鳴音を発する)をメイン楽器に置いている。
 一発採りの録音なのか、音数が少なく、リズム面で面白いことをやっているわけでもなく、Micus のアルバム中最も退屈と言って良い、殆ど聴くこともない、これを書くために聴き返してみたが印象は変わらない。コレクターがコレクションのために持っているようなアルバム、ちょっと書き過ぎ、いい過ぎか。

a0248963_15435466.jpg 90年、Darkness and Light 。大作路線の最終作、Part 1・29分、Part 2・10分15秒、Part 3・13分10秒。
 本作は、今までも使ってきたインドの金属弦擦弦楽器ディルルーバをメインに据え、キ・ウン・キという金管系の音を出す楽器(ジャケット写真にも使われているが、この楽器息を吐くときでなく吸うときに音が出るとのこと)とボーラスト・ストリング(金属の棒の先に金属球を着けて、叩くと長い間共鳴音を持続する)という2つの新しい楽器が登場する。
 Part 1は29分余りの大曲とはいってもその中は4つほどの部分に明確に分割出切る、そのため却って退屈から逃れているともいえる。馴れた楽器の演奏で長さを感じさせない、流石なもの。LP でいえば B面は、印象深い2曲が並ぶ。キ・ウン・キが不意に立ち上がるところは Part 2 の一番の聴きどころ、今までにない Micus 世界。Part 3 もボーラスト・ストリングの共鳴音が唸る中、スリンの軽々とした舞い上がるようなソロが入るところなぞ、Micus のアルバムの中でも特に好きな部分。Part 3 は、Micus の楽曲の中でも構成力を感じさせる屈指の名曲/名演と思う。

 ついこの間まで暑い暑いといっていたのに、急に秋らしくなって、今度は寒いの嫌だなあ、人間なんて本当に勝手なもんです。秋の夜長は読書でしょうか、それともじっくりと音楽でも聴きこみましょうか、これから2~3週間が1年のうち、多分最も良い季節。
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by ay0626 | 2012-10-08 14:45 | new age

その後の はっぴいえんど 田舎暮らしから世界漫遊へ 細野晴臣

 久しぶりにパチンコをした。近頃は安く玉を貸してくれる、そのせいか暇潰し感覚でやっている人も多いようだ。通常の1玉4円貸しのレーンには人が少なく、1円など安く遊べるレーンの方が人が多い、特に中年以上の女性が多いような気がする。まあ、そう多くの金を消費する訳ではない、年金程度でも遊べるとなれば、テレビじゃ刺激が少ない、本を読む習慣も気力もない、そうした中高年の手っ取り早い遊びが博打 ~ パチンコ。今の台は連チャンの確率も高く、一度大当たりになればそれなりに興奮する、脳内麻薬も出捲くる。10年ほど前、連チャン機能が野放しだった頃は、勝てば10万円、負ければ5万円くらいは平気だった、勝つのが数度に1度とすれば、負けが月に20万円30万円と嵩んでいくのは当然のこと、世間の非難を浴び規制が強くなる、また世の不況もあってパチンコ業界ももう終わりか、という感じではあった。が、そう毟らなければ(節度(?)を持って毟れば)業界が生きていける程度のお客はいる(年金世代)、来てくれるということが判ったのだろう、また盛り返して来てはいるようだ。
 競馬や競輪、競艇などの博打には縁がなく、競馬は誘われて数度馬券を買い見にも行ったが、全く面白くない、「一度でも当れば違う」といわれるが、そこまで続ける気にもならず、30年以上ご無沙汰状態。しかし、パチンコはコンスタントにやっていて、学生時代は新装開店に並びもしたし、何年か前までは休みになれば何万円かポケットに入れて、出れば昼飯も食わず何時間もぶっ続けで遊んだこともある。何時の頃からか、何か憑き物が落ちたようにぷっつりと行かなくなり、誰かに誘われれ暇であれば付いて行く程度、出ていても帰る時間になれば未練なく止められる。
 そういえば、麻雀もやらなくなった。学生時代は、学校に行くのは麻雀仲間を探しに行くようなもの、決して授業を受けに行くためではなかった。友人の家でやるときは何時も徹夜、何で眠気を我慢してまでやっていたのだろう、今となっては理解に苦しむ。会社に入ってからも麻雀熱が醒めることはなく、どうだろう10年ほどはやっていたと思う、そのうち突然やらなくなった。若い世代は、4人が仲間内で金を取り合うというのに疑問を持ったという訳ではないだろうが、長い時間煙草を吸いながら椅子に座り続けるのは苦痛なのかと思う。自分もこの数年、牌を握ったこともない。そういえば会社に入った頃、会社の近くには6~7軒の雀荘があったが、バブルが消滅した頃から廃業し出し、今ではもう1件しかない。
 博打も世相を敏感に反映するもの。そのうち、パチンコ屋の客は65歳以上の老人ばかりになったりして、そういえば今日若い人の姿を見た覚えがない。

 昔話ばかりで恐縮だが、また70年代までの話、はっぴいえんど、その後。細野さんといえば、YMO が最も有名かと思うが、自分はあれで全く細野さんとは縁が切れました。ということで、ここでは Hosono House とトロピカル3部作まで、Hosono House はともかく、トロピカル3部作は今でも十分に聴けます。

a0248963_18201310.jpg ソロ第1作が Hosono House 、1973年作品。多分中学生の頃、LP を買った。大瀧さんにしろ鈴木さんにしろ、やはり最も愛着があるのが各人のファースト・アルバム。本当に良く聴いた。
 このアルバム、埼玉県の自宅で録音したもののようで、決して音は良くない。演奏も今の耳で聴くとどうかと思うような感じなのだが、全体のホンワカとした田舎っぽいところが気に入った。特に「僕は一寸」「終わりの季節」「恋は桃色」など当時は大いに気に入っていて、よく口ずさんでいたことを憶えている。松本隆さんの詞とは明らかに違う世界がそこにはあった。
 ジャケットもモノトーンのシンプルなもので、70年代のヒッピー、自然回帰志向がよく現されたデザイン。しかし、実質の最終曲「薔薇と野獣」はちょっとイッちゃった感じがして、やはりミュージシャンなんてのは皆悪いお薬でもやっているのじゃないか、と高校に入る頃には思っていた、的が大きく外れているとは今でも思わないが。

a0248963_1821935.jpg それから、キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)の活動を行うが、その中で生み出されたのが所謂トロピカル3部作。その1作目が『トロピカル・ダンディ』、1975年作品。
 当時細野さんの新しいアルバムが出るということで首を長くしていた、高校1年か2年の頃。それほど Hosono House が好きだったのである。アルバム・リリース日に即購入、勇んで聴くと「ちょっと何か違う感じ?」。それでも聴き込んで、LP A面はそれなりに納得もしたが、B面の力の入らなさにはガッカリしたところもあった。
 その頃は、プログレを聴き始めた頃、例えば Pink Floyd の Meddle だとか、Crimson の In the Court of ~などを齧り出し、シリアス志向、大作大好きになりつつあった。とすれば、向くのは北方向(冷たく理知的な方向・・・と思っていたのだろう)、楽しく明るく能天気な南には志向が向かなかったのだろう、このアルバムのあとの2作は、CD 化された後に購入、リアル・タイムでは聴いていないのである。
 しかし、このアルバムの「Hurricane Dorothy」「絹街道」は凄く好きな曲、当時は勉強しながら掛けていました、これは本当の話。

a0248963_18213110.jpg トロピカル3部作の第2部は『泰安洋行』、1976年作品。上記のごとく、2000年 CD 化されてから購入したもの。
 かなり熱に浮かされたような出来で、ちょっと行き着くところまで行き着いた感じ、訳の判らぬワールド・ミュージック。サウンド的には実験的な部分がかなり盛り込まれている。中の歌詞ブックも凝り捲くりで、鬘を付けた白塗りの細野さんなどやり過ぎ感あり。
 演奏は、ティン・パン・アレー、当時の最高の演奏力を誇るバンド、今聴いても古びたところがないのは流石、細野さんの構成力とティン・パンの演奏力、見事なコラボレーションです。

a0248963_18221457.jpg 最終作『はらいそ』、1978年作、ハリー細野とイエロー・マジック・バンド名義。とは言ってもバンドが継続した訳もなく、これまでのソロ作品と同じ。
 前作に比べるとかなり落ち着いた出来で、録音の仕方も若干違うような感じ(前作までのクラウンからアルファ(ソニー傘下)に移籍したことも関係があるのか)。
 ストレートにグレン・ミラー(3曲目)とか沖縄民謡(4曲目)とかを取り入れ、マリンバやスティール・ドラムとか(7曲目は金属打楽器の合奏!)民族的な指向が出ている。
 それなりの出来ではあるが、前作のハチャメチャな感じの方が好きかも。

 時々ブログを読み返すこともあるが、何れも昔の音楽ばかり、偶には現役バンドの話題がないわけではないが、古いと思わざるを得ない。一番多感な頃聴いた音楽が最も心に染み付いているのは当然のこと、素直に居直っておきましょう。ということで、今後も古い音楽、沢山出てきます。

 
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by ay0626 | 2012-10-07 16:56 | folk

肩の力の抜けた、けれど凄くテクニカル サムラ・ママス・マンナ

 10月ももう1週間過ぎようとしているのにこの暑さは何なんだ。朝はかなり涼しくなってきたが、夜は昼間の熱気が籠るせいか、エアコンで少し部屋を冷ましてやらないと寝苦しくて仕方がない。10月にエアコンを付けたことなんてあったっけ。これも地球温暖化のせい?気温のことになると温暖化云々とよく話題になったものだが、震災以降とんとこの話も聞かなくなった。

 夏の終わり頃、娘が帰省して、家の中を整理してくれたお陰でかなりすっきりした。あちらこちらに読み散らかした本の小山が積みあがっていたが、その収納場所が出来たので今まで何処にあるのか判らなかったものがひょっこり見つかることもある。
 先週ぽつぽつと1日1編くらいずつ読んでいたのが田中啓文さんの『異形家の食卓』、もちろん買った記憶もあったし内容もかなり憶えている、ただこの数年家の中で見たことはない。その本が目の前の本棚にあったので、ちょっと手に取り読み返してみたという訳。田中さんの作品はそれなりの数は読んでいて、一時は大分凝って絶版になった集英社スーパーファンタジー文庫を集めに古書店に繰り出しもしたが、今はそこまでの肩入れはしていない、文庫で偶に購入する程度というところか。ちょっと最後になると辻褄が合わなくなってしまうとか、そこを駄洒落(地口)で誤魔化してしまうというような感じがあって、西澤さんや三津田さんほど熱心なファンにはならなかった。それでも物語る才能には凄いものがあって、ページを捲らせる迫力、リーダビリティには感心する。
 加えて、ホーム・ページ「ふえたこ日記」のジャズ・レコード評は熱心に読んだ。若干聴く音楽の傾向は違うが、Ayler や Coltrane 、Taylor の音楽に対する視点は大いに感心、同調するところも多い。
 『異形家の食卓』、所持しているのは2003年の集英社文庫版だが、元本は2000年に出ている、田中さんにとって初の作品集とのこと。伝奇が一方の柱とすれば、グロはもう一方の柱、本作品集はグロの塊といってよい。あまりに詳細な描写がこれでもかと続き、それでも文章なら読むことが出来る、映像じゃ正視できないだろう物語の数々。初読時に特に気に入ったのが「新鮮な二グ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」(この作品、多分異形コレクションか何か、他の本で読んだのことがあるような気がする、それは余計な話)。ここに出てくる生物、この作品集の中の「にこやかな男」や「オヤジノウミ」に出てくる「バ・・・・神」に違いない、クトフルフ神話の一編とも考えられる、しかしここまで描くかなぁ、流石関西人、凝るところは凝りまくりのようで。同じ関西人、小林泰三さんもお仲間らしく(一時まんがカルテットで有名に、あとのお二人は牧野修さんと田中哲弥さん)、小林さんの論理の暴走性、偏執性と近い感じもある。
 また、駄洒落もてんこ盛りで、ショートショートの表題作「異形家の食卓 1~3」は全て駄洒落で締めくくられるし、「邦夫のことを」も言葉遊び、ここら辺が異常に拡大して『銀河帝国の弘法も筆の誤り』『蹴りたい田中』に繋がっていく、この2冊も何処かに埋もれているはずなので、ひょっこり出てくればまた読んでしまうかも。初期作品で読んでないのは『禍文』くらい、そのうち読んでみようか、一方の柱の伝奇作品集ということのようだから。

 軽味とテクニックが同居する、から連想して、やっとたどり着いた Samla Mammas Manna 。予告から随分経ってやっとサルベージに成功しました、ハイ。誰も期待などしていないでしょうが、初期アルバムのご紹介。

 Samla Mammas Manna はスエーデンのバンド、69年結成というからプログレ・バンドでも古株、RIO でいえば、Henry Cow なんかと同じくらいのバンド歴となる。おふざけとシリアス、テクニカルな側面が一体となった音楽性、一時はそのテクニカルな側面が嫌であまり聴かなくなったが、Hedningarna と比べて聴くと案外近いものがあり(リズムや曲構成など、やはりトラッドとの関係?)、サルベージに繋がったもの。この調子で Stormy Six や Area (純粋に RIO ではないにしろ、思想はかなり近いと思う)あたりも聴き直して・・・・また何ヵ月先になるやら。

a0248963_13575691.jpg 最初のアルバムは Samla Mammas Manna (s/t) 、1971年作品(70年録音)。この時は Lars Hollmer (kd)、 Hasse Bruniusson (ds)、 Lars Krantz (b)、Henrik Öberg (perc)という、ギターレスのカルテット編成。最初の曲 Circus Apparatha は変態ヴォーカル入りの如何にも Samla という感じなのだが、2曲目以降はエレキ・ピアノ中心のジャズロックといったところで、音が今一歩であることも加わって、聴くために所持しているよりも史料価値として所持している意味のほうが大きい(言い訳がましい!コレクターだから持っている、と素直に言ったらどうだ)。
70年といえば、Beatles が Let It Be を出した頃、King Crimson のデビューの頃、大昔だ。歌物でもないインスト・ジャズロック、どのくらい売れたのだろう。
 本アルバムは、セカンド以降のアルバムが90年代半ばに次々に復刻されていく中、なかなか CD 化されず、やっと2001年に2曲のボーナス・トラックを加えて再発された。盤元は Silence 、Hedningarna の2~5枚目をリリースしたレーベルである。

a0248963_13582217.jpg 2枚目は 1973年、Måltid (食事という意味らしい)。ここからは全くの Samla サウンド。このアルバムで Coste Apetrea (g) が加わり、Henrik Öberg (perc) が抜ける。1曲目の Dundrets fröjder (ダンドレットの喜び、ダンドレットは固有名詞?)から、変拍子と転調満載、圧倒的なテクニック(特にドラムの凄さ、出だしからもうビックリ)で一糸乱れぬ演奏を10分を超えて繰り広げる。アホアホ・ヴォーカルを所々に挟み(2曲目のスキャットなど裏返った声で相当引っ張ります)、ギターとキーボードのテクニックが冴え渡る。たしか、復刻はこのアルバムが最初だったか(93年?)、それもよく判る出来である。音楽面では深刻なところは全くなく、テクニック面を考えれば Gentle Giant に似た感じともいえる、こっちのがおふざけ度は高いが。
 CD 化に際し、1st アルバムから Circus Apparatha を再録(この時点では1st 復刻予定はなかったということか?)、あと2曲追加で収録。音も1st に比べれば遥かに良い。

a0248963_13584543.jpg 3枚目が、変なジャケットで有名な Klossa Knapitatet 、1974年作品。日本盤では「踊る鳥人間」なんて酷い題名が付けられていた。
 RIO に加わるほどであるから、左翼に共感を示していたのは間違いなかろうが、それでも Stormy Six のようにあからさまにそれを見せるようなこともなかったらしい。RIO の中でもはっきりとした左翼傾向を見せるバンドとは若干の距離があったようだ。しかし、このアルバムの題名、Klossa Knapitatet というのは krossa kapitalet のもじりのようで、これを訳せば「資本を破壊せよ」、やはり RIO 加入の素地はあったということ。
 音楽的には2nd の延長上。若干メランコリックなところも、1~2分の短い曲と6分以上の長い曲と組み合わせている。民族的なメロディーもおふざけもますます快調、一聴 Samla と判るものに。表題曲は、多分路上でのアコーディオンのソロ録音、1分半にも満たぬ演奏だが印象に残る。

 オリジナル RIO は残すところ Stormy Six のみ。イタリア仲間の Area と一緒にサルベージしましょうか、聞き直す時間が取れるか、それが問題。気長に行きましょう、夜がだんだん長くなる、そうだ西澤さんと小島正樹さんの新刊を予約してある、再来週くらいには届く予定、楽しみ。
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by ay0626 | 2012-10-06 11:33 | rock