日常茶飯事とCDコレクション
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80年代の傑作ライヴ群 アストール・ピアソラ (2)

 10月半ばに久しぶりに本を購入したことは以前にも書いたが、4冊のうち2冊目をようやく読了した。老眼なのか目が悪くなって、左右同じくらいに悪くなればまだ対処の仕様もあるが、左だけひどく見難くなっている。そのため、右目が酷使されるのだろうか、右目だけ痛いというか何か疲れた感じがする。それに空気が乾いているせいか、目も乾いて、目薬が手放せない、情けないことである。
 読み終わったのは小島正樹さんの『祟り火の一族』、名探偵(?)海老原シリーズ。春に『龍の寺の晒し首』、夏に『綺譚の島』と順調に(積読時間を3か月程度置いて)読み進め、秋には目出度く(積読状態1か月で!)『祟り火の一族』まで終了しました。小島さんのお師匠さんの島田荘司氏の作品はとうに読む気が失せているので、近頃の作品と対比することは出来ないが、非常に稀にしか起きないような自然現象を取り込んで不思議を構築していく手法は、『奇想、天を動かす』や『暗闇坂の人喰いの木』あたりにかなり似た感じ、強引なところも良く似ているが、島田氏の鼻に付く日本人嫌いのところが小島さんにはなく(ゲスな野郎は沢山出てくるけど)、それが読み続けていける理由のひとつ。
 最初に読んだ海老原モノ『十三回忌』の記憶は定かではなくなっていて、感想もないのだが、次の『扼殺のロンド』はそれなりに感心した。しかし、『龍の寺の晒し首』や『綺譚の島』は面白く読みはしたが、良作程度で留まった感じ。今回作も前作、前々作に比べればすっきりした出来であると思うが、手放しで感服するまでではない。【ネタバレあり】叙述トリックと怪談話の組み合わせというのは悪くはない。しかし、叙述トリックについては、かなりあからさまな書き方をしていたので途中で殆ど判ってしまい、何故そんなことをするのか、その理由に興味は移るのだが、納得させるだけのモノがないように思えるのだ。また、一方の主人公である極悪人の思考についていけないところがあって、そこまでするか(特に殺人と自分のマスク作成、未読の人には判らない)、と思ってしまう、相当のゲスだとは書かれていても、合理的な経済人としてはここまではしないでしょう、だって後が面倒になるだけだから。また、真相が探偵の口から確定的に物語のように説明されるところなど、論理(思考過程)が完全に端折られて、「はぁはぁ、お説ご尤も」みたいで物足りない。などなどの理由で。【ネタバレあり、終わり】
 探偵さんの哀しみが、上手く表現されるようになってきた。「事件に巻き込まれて・・・」ということは今回作で明らかになったわけで、これが今後どんな形で展開されていくのか楽しみである。また、因縁話をいちいち全部律儀に解釈していこうなどというところは、例えば三津田信三さんとは正反対の方向性(三津田さんは理屈では割り切れないことがある、というのが前提)で、これはこれで貴重。なんのかんのと文句は垂れておりますが、海老原シリーズは出たら読みます、今のところは。それに、これだけの分量の作品を年2冊も刊行できる筆力、大したもの。『綺譚の島』で大いに笑わせて貰った「海から現れる槌」といったの大技(というか何というか)を連打していただきたいものである。あまりシリーズを増やさずに、海老原御大で行けるところ(?)は、彼に探偵役を張って欲しいと思う。

 ということで、今回は Astor Piazzolla の2回目。80年代キンティートの東京以外でのライヴ、所持しているのは4枚。秋の夜長、落ち着いた大人の音楽、とくれば美しい女性と聴きたいものだが、今のところそれは願望でしかない、残念なことに。

a0248963_20125359.jpg Piazzolla の録音の中でも特に有名なのが Live in Wien 。1983年10月、ウィーンのコンツェルトハウスでの録音。非常にクリアな録音で、各楽器の分離の良さやバランスは特筆モノ、曲も Verano Porteño (ブエノスアイレスの夏)、Libertango (リベルタンゴ)、Invierno Porteño (ブエノスアイレスの冬)、Adios Nonino (アディオス・ノニーノ) など傑作を揃えている。8曲が収められており、最も長い演奏で9分程度、じっくり聴いても良いし、BGM 的に掛け流しても良い。86年ライヴに比べると軽めな感じに仕上がっている。
 Piazzolla 研究家の斉藤充正氏によれば、Piazzolla の80年代の活動のピークは、82 - 83年に掛けてと86年にあったそうだ。その一方にこの Live in Wien が位置し、もう一方に後で述べるこれもウィーンでのライヴ Tristeza de un Doble A (ダブルAの哀しみ)が位置することになる。
 前にも書いたが、この2枚の超傑作アルバム、ドイツの Messidor というレーベルから出ていたもの。自分が Piazzolla を聴きだした頃(2008年だったか09年)には、このレーベルは消滅しており、権利が複雑なためか、その後復刻されることもなく、泣く泣くアマゾンのマーケット・プレースで高い金を払って購入した。しかし、内容は素晴らしく、まぁ仕方ないか、と思えるのであった。Piazzolla にちょっとでも関心があれば、アメリカン・クラーヴェの2枚(もちろん Tango Zero Hour と La Camorra)と2枚のウィーン・ライヴ(本作と Tristeza de un Doble A)は多少の無理はあっても聴きましょう、必聴です!(力んでしまった・・・) 

a0248963_20131847.jpg この83年の欧州ツアーでの録音が、スイスのルガーノでのライヴ Adios Nonino (最初にリリースされたのは92年で、その時はこの題名ではなかった。持っているのは、フランス Milan レーベルでのものをビクターが日本盤として 発売したもの)。13曲、70分を超える録音。しかしながら、録音のせいなのか(若干くぐもった印象)バンドのその時の状態のせいなのか、Live in Wein に比べると今一歩という感じは否めない。選曲では、天使4作中、3曲(Milonga del ángel、Muerte del ángel、Resurrección del ángel)が収録されており、自分としては好印象。
 この時期のメンバーを記すと Astor Piazzolla (bn, arr, dir)、Fernando Suárez Paz (vln)、Pablo Ziegler (p)、Oscar López Ruiz (g)、Héctor Console (b)。Paz のヴァイオリンは素晴らしいが、後ろで地味に支える Ruiz の流れるようなエレキ・ギターが特に気に入っている、録音によっては殆ど聴こえないようなものもあるが、本作ではきちんと捉えられている。

a0248963_20134095.jpg 次が再度のウィーンでのライヴである Tristeza de un Doble A 、86年11月録音。83年のライヴと同様、コンツェルトハウスでウィーン放送が録音を担当しており、これまた素晴らしい作品。ギターが Horacio Malviccino に交替している以外は、前作と同じメンバーによる。
 なんと言っても凄いのが、最初の Tristeza de un Doble A (ダブルAの哀しみ、ダブルAとはドイツのバンドネオン・メーカー、アルフレッド・アーノルド社の商標のこと。バンドネオンが実はドイツ起源ということは以前書いた)。22分にも及ぶこの作品、バンドネオンのソロから始まり、珍しく無調寸前までのインプロヴィゼーションが繰り広げられる。細部まで聴き取れる素晴らしい録音が緊張感を高め、終わるとホッと溜息の出るほど、これ1曲聴くために高い金を払う価値があろうというもの。あと4曲は、4分から7分程度の曲が並ぶが、Tango Zero Hour でも演奏された Tanguedia や最後の Tangata (69年作曲)などよい演奏である。
 ジャケットもカッコ良く、Piazzolla 作品の中でも最後期の Luna と並ぶ出来。

a0248963_2014484.jpg 87年9月録音の Central Park Concert 。もちろん、ニューヨークのセントラル・パークのこと。本作もラジオ放送用の音源のようだが、70分ぎっしりと音が入っており、出色の一枚。録音状態も良い。
 曲目も代表作が網羅されている感じで、La Camorra を録音して解散するキンティート最終期の状態を記録している。

 ということで久しぶりに Piazzolla を聴きました。聴き始めるとどんどん聴いてしまう。特に Doble A は何度聴いても鳥肌モノ、少しはいろいろ聴いて見ないといけないと思ったが、いかんせん時間のないのと、やはり CD ばかり聴いている訳にもいかないもので。
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by ay0626 | 2012-11-25 16:01 | 音楽-その他

チェコの金管と哀愁 トラバント

 いよいよ衆議院選挙の公示も間近に迫り、事実上の選挙戦に入っている。「近いうちに」発言で大分男を下げた野●首相も近頃は勢いを取り戻し、なかなか格好よく(?)爆走中である。TPP とか消費税とか、賛成しなければ公認しない、など高らかに宣言し、従わない人たちを次々に切り捨てていく。本来、政党は同じ考えを持つ者が集まり、自分たちの考えで国家を運営することを目標とする団体なのだから、当然といえば当然の行為。民●党は設立当初からそこら辺のところをはっきりせずに、政権を取った時点から崩壊の道を辿り始めた、皆好きなことを好きなように言い過ぎた。まぁ、本来の政党になりつつあるということだが、3年前の公約を殆ど実現出来ずにその反省もなく、3年前にはおくびにも出さなかった消費増税や TPP を前面に出すなぞ、ちょっと厚顔過ぎやしないか、そのくらい厚顔でないと政治家にはなれないものですか、ああ、そうですか。

 一番笑わせてくれたのが、鳩●元首相、公認されないのが明らかになるとすごすごと尻尾を巻いて引退宣言。もの言えば唇寒し秋の風、とはよく言ったもので、正にその典型だったのが彼、「トラスト・ミー」が「自分を信用しないでくれ」の意味だとは知らなかった、多分それを聞いた人は本来頭に付く筈だった「ドウント」という言葉を聞き逃してしまったのだろう。結党時には資金面で相当な援助をし、自分が作った党という自負が大きかったろうと思う、正に彼はミスター・民●党だったのに。政治家は責任を持ってからじゃないと評価が出来ないということが良く判る、時間はあっという間に過ぎ10年間の評価のモラトリアムはほんの8か月で結論が出て、すぐに彼は過去の人になった。まだ「アジア友愛なんとか」という組織を作って活動してはいくようだが、首相に成りたくても成れない御仁がごまんといる中、後世の評価が「最低」だとしても「首相」が出来たことは目出度きことか。しかしなぁ、鳩● ~ ●直人と史上最低級の内閣が続いたのは、笑い事では済まない抱腹絶倒劇ではあった。

 もう11月も終わる、冬の気配が忍び寄って、陽光は明るいのに気温はそれほど上がらない。段々日も短くなってゆき、選挙の頃には冬至も近い、選良たちが国会に登壇する頃には明るい時間が少しずつ長くなるのだろうか、それとも冬眠の時間だけがいたずらに長くなるだけなのか。

 とまた、関係ない話題で始まりました、スミマセン。ということで、今回は Traband 、チェコの金管楽器を主体としたジプシー音楽風のバンド、近年「ジプシー」という言葉が差別用語として「ロマ」という民族名に置き換えられることも多いが、「ジプシー」に含まれるのはロマの人だけじゃないので、ここでは敢えて「ジプシー」としている。そういえば、Les Ogres de Barback もアルメニア系、かの地のジプシーはロムと呼ばれていたようだ、彼らの音楽もジプシーの香りが濃厚である。

 1995年、歌手でマルチ・インストルメンタリストの Jarda Svoboda によって結成された。最初は、ギター、ベース、ドラムのトリオ編成であったようだが、96年にバンジョー奏者が加わり、一部メンバー・チェンジを経て金管主体のユニークな「スラヴの哀愁」を奏でるバンドとなっていく。

a0248963_1736796.jpg 最初のアルバムが O čem mluví muži (What men talking、1997年)だが、廃盤となっており残念ながら蒐集できていない。
 2枚目の作品が、Kolotoč (Carousel ~ 回転木馬)、2000年。録音メンバーは、Jarda Svoboda (g, accordion, cl, vo)、 Evžena Kredence (banjo, vo)、Jana Modráčková (trumpet player の意味らしい、女性、tp, vo)、Robert Škarda (tuba)、Petr Vizina (dr) のクインテット。なかなか賑やかではあるが、何処となく哀愁を感じさせるサウンドが彼らの持ち味。特に、チューバの柔らかな低音が心地よく、硬いバンジョーの音が良い彩を添えている。トランペットは溌剌と、切り裂くような音は一切なく、非常に素直な音だ。 Už jsme doma を聴いていて、相当チェコ語の響きにも慣れたのか、かの地では変な合唱というかコーラスが流行っているのか、歌も意味は全く判らずとも、良い気分で聴ける、最初はかなり煩く感じられたのだが。また、トランペットのお姐さんの声も硬い感じでなかなかよろしい。何より、このアルバムでは、Svoboda の哀愁を含んだクラリネットが活躍するのが聴きもの、次作以降殆どクラリネットを使用しなくなったのはどういうことなのだろう。ブンチャッチャ、というチンドン屋風の、それでも憂いを裏に隠したサウンド。

a0248963_17363662.jpg 3作目が Road Movie 、2002年。このアルバムからユーフォニウム奏者の Jakub Schmid が加わり、セクステットになる。ユーフォニウムは、金管楽器の一種で低音楽器、これを導入することで Svoboda は、アコーディオンやギターばかりを演奏し、殆どクラリネットを演奏しなくなった。アルバム・クレジットでもクラリネットの表示はない。前作よりも女性ヴォーカルが活躍しており、金管3管のアレンジも面白い。歌のサビの部分には似たような感じが多く、これはチェコやジプシー系のメロディーの特徴なのだろうか、チェコ語のたっぷりの字余り感(垢抜けなさ、といっては失礼ですが、まぁそんな感じです)にこのメロディー、たいへんマッチしている。
 架空の映画を題材とした作品のようではあるが、内容は不明、当たり前か(曲の題名すら読めない、調べないのだから当然)。音楽的には前作を踏襲しているが、クラリネットの哀愁を帯びた音色が聴けないのが残念ではある。

 まだ、購入して1か月程度、聴き込むまでには至っておらず。最初に聴いたときは大していいとは思わなかったが、通勤電車に揺られながら聴いていると段々好きになってくる、そんな感じ。6th アルバム以降は、音楽性ががらっと変わって、ワールド・ミュージック的な興味が薄れちょっと詰まらなくなるが、それはその時に。4th、5th はそれなりです。また書きます。
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by ay0626 | 2012-11-24 16:01 | rock

トゥヴァの人間を超越したヴォイス・パフォーマー サインホ・ナムチラク

 先週から今週、外で夕食を取ることが多かった。人の組み合わせはいろいろで、様々なものを食べた。食事をするというのは原始的ではあるけれども、一番リラックスして話の出来る機会ではないかと思う。先週の木曜日は会社の同僚でもう30年近いつきあいの友人たちと、何を話したのか定かには思い出せないけれど、久しぶりに会えば近況報告とか業況とか、3時間近くも途切れることなく話は続いた。金曜日は、クラシックのコンサートの後同期の友人と、長い付き合いで率直にモノが言えて相談も乗ってもらえる、この歳になれば衒うこともないのでたいへん素直に話が出来る。今週の月曜日は会社の後輩たち大勢と、20歳以上も歳下だとこちらが下らぬ話をしても真面目な顔をしてフンフンと聞いてくれるものだから、ついつい説教臭くなる、それを自覚してしまうものだから多少内心忸怩たる思いもあるが、それは外には出さずに。火曜日は会社の同じ職場の人たちと、歳もバラバラ話題もバラバラで、お酒も入れば賑やかなこと。水曜日は親しい人と久しぶりに、話を聞くのもほんとうに楽しく、心の底から笑った。ということで、出不精の割にはよく動き回った1週間でありました。
 それでも、夜外食をすると酒を飲むことになる、これが困ったことになることもあって。もともとそう飲める口ではない、ビールなら中ジョッキ2杯程度、ワインなら2杯程度が適量というか上限であって、それ以上飲めば苦しくなる、気分が悪くなることも。大体量がそのくらいになると体の方も受け付けず、水かソフト・ドリンクとなるわけだが、お開きの頃にはかなり醒めて(酒が抜けるのは早いようだ)、それから電車に揺られ、自宅に着くまで小一時間、家に帰ればやはり気持ちが悪いから風呂には必ず入る、そうなると完全に醒め切って、目はパッチリ、ランラン状態に突入。こうなるともういけない、寝付きがもともと悪いのにますます眠れなくなる、睡眠導入剤を医者に処方してもらってはいるのだが、1錠では到底効かず、2錠でも眠れないときがある。疲れが残るほど仕事もしていないが、寝不足だけは困ってしまう。直ぐに眠りに付ける人はそれだけで幸せだと認識して貰いたい(!)ものだ・・・など勝手なことを言っている。

 ということで、通勤時間はウォークマンで音楽を聴きながら、うつらうつらして、幸い乗り過ごすことはないが、気が付くと降りる駅直前だったことが何度もある。ぐっと寝付くまで若くないのが、却って幸いか。こんな音楽を聴いていると眠れない典型ということで、また食事も発声(おしゃべり)も原始的欲求ということで、今回選んだのは Sainkho Namtchylak 、中央アジア出身(ロシア連邦のトゥヴァ共和国)のシャーマン・ヴォーカリストである。
 ジャズやフリー・インプロの人たちに共通することだが、連名作が多く、何処まで紹介するのが適当か迷うが、一応本人単独名義の(所謂リーダー作というやつ)アルバムをご紹介ということで。

a0248963_20332197.jpg 最初の本人単独名義の作品は 1991年6月録音、ドイツの老舗フリー・インプロのレーベル FMP からリリースされた Lost Rivers 。Sainkho は 1957年の生まれだから自分とほぼ同じ歳、91年といえば30台の中盤、最も油の乗り切ったころでありまして、急激にヨーロッパの前衛音楽シーンで注目されるようになった、ジャケット写真も若々しい。どうも、FMP のベーシスト Peter Kowald の後押しがあったよう。
 やはり、30台といえばやることも過激で、この作品、全編ヴォイス・インプロヴィゼーション、最初の曲 Night Birds から鳥の声を模した叫びで始まり、喉歌(スロート・シンキング、モンゴルの伝統的な歌唱法、所謂ホーミーというやつ、2つの声が同時に出せる)や叫び、つぶやき、唸り、あらゆる声の出し方を実験しているかのよう、なかなか全編を通して聴くのは辛い、よほど根性のあるときに、こういった音楽に理解のある人たちの前でしか聴けない音楽の典型みたいなもの。けれど、決して嫌いではない、最初に聴いたときの衝撃は相当なものでありました。

a0248963_20334187.jpg 次の作品が 93年、ベルギーの Crammed Disc からリリースされた Out of Tuva 。Crammed Disc は、RIO にも加わったバンド Aksak Maboul のリーダー Marc Hollander が設立したレーベルで、ワールド・ミュージックのアルバムも多数リリースしている。
 このアルバムは、古くは 86年トゥヴァ録音から、86年から88年に掛けてのロシアでの録音(その中も、オーケストラ・バックの正統的民族歌唱から小さなグループの前衛的な録音まで、様々)、89年のロシア、アヴァンギャルド・トリオとの演奏(1曲のみ。フルートとファゴットとのトリオだが、民族音楽的で非常に良い。後にこの頃の録音が Leo レーベルからリリースされる)、Crammed 勢との新録音(92年から93年、これはHector Zazou (いわずと知れた ZNR の)プロデュースと演奏による アヴァン・ポップという感じ)で、録音期間が実に6年にも及ぶ、寄せ集めといっては何だが、そんな感じではある。
 もともとトゥヴァでは民謡を歌っており、その声域は6オクターヴとか7オクターヴとかいわれるのを証明するかのように伸びやかに溌剌と歌う、前作は肩に力が入りすぎたのか、打って変わった非常に明るい感じが印象的である。

a0248963_20341779.jpg  3作目が Letters 、イギリスの Leo レーベルから。Leo と Sainkho とは関係が良好のようで、様々な作品をリリースしている。本作は、92年にチューリッヒとストックホルムでのライブを集めたもの。基本的には、フリー・インプロ系のミュージシャンとの共演盤。
 のっけから Kieloor Entertet (Mathias Kielholz - el.g, Mathias Gloor - syn, Lucas Niggle - perc) との明るい感じのインプロで快調と思ったら、2曲目はヴォイス・ソロ、それも喉歌系のコテコテのアヴァンギャルド。続いて女性ベース・インプロヴァイザー Joelle Leandre の素晴らしいアルコに天国的な歌唱から喉歌で対応する Sainkho 、次はバリトン・サックスの Mats Gustafsson とのデュオ、Sten Sandell のピアノとのデュオとインプロヴィゼーションが続く。再び Kieloor Entertet との演奏の後、短いソロで幕を閉じる。なかなか充実した一枚、彼女のヴァラエティーに富んだ歌唱が素晴らしい。

 初期の3枚を聴くと今後の彼女の活動の方向性が見えて面白い。ソロ・ヴォイスは後の Aura や Cyberia などの先駈けだし、少人数のインプロはその後夥しい録音が出る。また、オーケストラとの共演盤も(多少は所持しているが、殆ど聴いていない)多い。この後、単独名義の作品の多くが、民族テクノ・ポップというべき傾向となるが、これも Out of Tuva が示している通りの方向だ。

 叫び、呻き、つぶやき、溜息を吐き、様々な感情が声を通して現される。声を通して情報が伝わり、感情が溢れ出し、気持ちが伝わる。自分は、器楽の方がずっと好きだが、近頃歌モノも良く聴くようになった、歳を取ってきて、声の表情みたいなものが許せるようになってきたのかも。
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by ay0626 | 2012-11-23 18:06 | free improvisation

どっちかというとイージー・リスニング マカーム (2)

 一昨日、よく眠れなくて(昔から寝付きが悪かったが、近頃運動量が減っているせいか、この傾向が強い)、その上昨日は昼の数時間立ちっぱなしということもあって、本を読む気力もなく、それでも1時間くらいは寝床で転々反側、比較的早く眠りに入ることが出来た。12日の月曜日に本を読み出し、火曜日水曜日と順調に進み、あとは解決編のみとなったところで足踏みしている。この文章を書いたら、午後は読書の時間に当てようと考えている、何もなければだが。

 選挙対策の「第三極」作りは、各人の節操のなさと人の好き嫌いに左右されて、昨日「くっ付く」といったら「今日はダメ」など、くるくる状況が変わる。日本維新の会は、政策の一致が最も大切だ、などといっていたのにジジイ集団の太陽の党(命名時には凄く笑わせて貰った、岡本太郎さんも目をグリグリさせて「政治は爆発だぁ~」と草葉の陰で叫んだとか叫ばないとか)との合流を決め、もっと笑えることに石●前都知事を党首に据えてしまった。原発にしろ消費税にしろTPPにしろ、どれも様々な意見と考え方を纏めていかなければならない、非常に大きな問題な訳だが、これを「小異」と切り捨てるなぞ、民主や自民の各党から「野合」批判を招くのは当然の話、彼らにとっての「大同」とは何か、選挙に当選することの一点か、それじゃ原っぱの真ん中で恥ずかしい行為に及ぶ言葉どおりの行いじゃないか。橋●市長も自ら出馬することなく、後ろからコントロールしようとするのはずるくないか、例えば承久の変で後鳥羽上皇が先頭に立って「朕に歯向かうものには天罰が落ちる」と叫びながら鎌倉勢に立ち向かっていたらどうなったか、侍の世の中になるのにもう少し、時間が掛ったろうに、先頭に親玉が立つことの重要性の認識が低くはないか。また、自身の出自に関して週刊●日と戦ったときの啖呵は格好良かったが、偏見と差別感覚をてんこ盛りで持つ石●氏とくっ付くとはどういうことか、感覚的には随分ずれたことをしているような気がしてならない。自分は石●氏に期待するところなぞ寸毫もないから、同時に橋●氏に対する興味も急激に失った。
 袖にされた名古屋の河●市長、どうも胡散臭さが消えない人で、汚い名古屋弁をこれ見よがしにワザとしゃべってみせるところなぞ辟易してしまうが、行き着く先は「生活が第一」の小●氏との合同か、悪相同士の結合では訴える政策を聞く前に、有権者諸氏は顔の前で手を振るだろう、NO の意思表示として。
 となると何処へ入れましょう、長考の末・・・、ではあるが必ず選挙には行こう、今の世の中眺めているだけじゃ詰まらない。あと1か月となりました、正月に失業する多くの政治屋さんたち、頑張ってね。

 さて、蒐集すると宣言した Makám の2回目。このバンド、どこかのネット・ショップで一括して揃うというなら楽なのだが、なかなかそうは行かぬ。アマゾンなら直売しているものはほんの少し、後はマーケット・プレースでの購入となるが、マーケット・プレースでは送料負けするところもあり、よく考えて慎重に購入を進めている(殆ど趣味の範囲、高々数百円から千円程度の値段差しかないのだが、ちょっとでも安く買うことがが楽しいのかも、いじましい)。
 ということで、今回は国内の通販店、レコンキスタ(再征服の意ですね、イスラムからイベリア半島を ’取り返した’ ということで)さんとプログレ専門店のカケハシ・レコードさんから購入しました最近作2点。あんまり聴き込んではいないので、ちょっと不安もあるが(それでも両者、4~5回は聴取しております)、行ってみましょう。

a0248963_143935.jpg 最新作(どうも Robinzon Kruzo という作品がそのうち出るらしいが)、Csillagváró 、2010年作品。グーグル翻訳で訳して見ると「スターが求められている」「スターを待っている」ような意味らしい。2002年の Szindbád 、2006年の Ákom Bákom に続く、子供のための音楽の第3弾というような案内がされているが、前2作は未聴のためよくは判らない。メンバーを記しておくと、Hornai Zóra (vo)、Korzenszky Klára (vo)、Boros Attila (acc-bassguitar ~ 16曲目には Jaco Pastrious を思わせるようなベース・ソロあり)、Eredics Dávid (cl,sax,kaval,flute)、Horváth Olga (vln, cho)、Keönch László Farkas (perc)、Krulik Zoltán (acc-g, vo)。
 1分から3分程度の長さの曲が17曲も並んでおり(曲数が多いが総収録時間は41分程度)、非常に聴き易い、刺激的な音は入っていないので昼寝音楽にも最適、いうなればバルカン風味のアコースティック合奏の上に美声を乗せたイージー・リスニングといってもよい。全部が歌曲で Krulik 御大もなかなかの喉を聴かせる(ジャケット内側の写真を見ても良い人そうな感じではある)。女性ヴォーカルは2人いるが、重唱するような場面は少なく、曲ごとの独唱が基本、声の質が違うので単調さは免れている。演奏も各楽器のテクニックを前面に打ち出すところはなく、クラリネットが多少そんなところを見せることもあるが、基本的にはアンサンブル重視のゆったりした演奏である。

a0248963_1433388.jpg その前のアルバムが、2009年の Yanna Yova (固有名詞か?)。4分から5分の曲が10曲並ぶ。Csillagváró に比べれば、「大人向け」の音楽という感じ。メンバーは Csillagváró と同じ、所持している初期のアルバムから見るとメンバーは大きく変わっている。
 最初の曲からドラムが入り、エレキ・ベースがかなり重いリズムを作る上に、カヴァル(フルート?)とヴァイオリンが絡み、ヴァイオリンも派手めなソロを取る、クラリネットが入ってきて・・・というようにかなり賑やか。ギターも控えめながらエレキを使用している曲も多い。1曲当りの時間が長いこともあり、器楽のソロがそれなりに場を与えられている。特にベースは伸びやかに良い演奏を聴かせる(ちょっと前に出過ぎの感がなきにしもあらず、だが)。女性ヴォーカルも艶やかさを感じさせる、加えて重唱の曲も多い。異国情緒のある大人向けの音楽、バルカン・アダルト・フュージョンといった感じか。
 ハンガリーの楽団といえば、The Moon and the Night Spirit や Besh o DroM などを紹介してきたが、全く違う。落ち着いた気持ちの良い音楽、夢中になる、嵌るということはなさそうだが、長くお付き合いできそうな音楽だと思う。

 ということで、これからちょっと昼寝、もちろん BGM は Makám で。起きたら読書でも、読んだところまでの記憶が曖昧にならぬうちに。
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by ay0626 | 2012-11-18 10:35 | trad

一枚だけ偏愛 キャンバーウェル・ナウ

 いよいよ衆議院解散となった。「16日に解散します」と高らかに宣言した野●首相は本当に気持ちが良かったと思う、溜まりに溜まった鬱憤を一気に放屁するような一言、首相のみがいうことのできる一言の快感はどれほどのものだったろうか。それに比べ安●総裁のあたふた感、ちょっとみっともなかったね、「今の言葉、確りと受け止めましょう」と目をぐるぐるさせて見得でも切れば、もっと支持率も上がったろうに。
 政治屋さんたち、年末解散で正月を失業者で始める訳にもいかない、それならば勝てるところで、と浅ましさ満開状態、民主党から自民党に鞍替えする無節操者もいる訳で、これは本当にみっともない。主義主張が一番であるはずが、自分の職業を守ることが一番になっている、高潔な人ばかりでないのは当然のことだが、それをあからさまに見せるのはどうなのか、そんな人に投票しなければならない人も可哀想ではある。
 あの発言があった日には、森●子さんの死亡、サッカーと大きな話題が合って、ニュースの順番も殆どこの通り、三題話みたいでちょっと笑った。92歳のおばあさんは何時亡くなってもおかしくはなかった、数年前から殆ど目の光がなくなり、ふうっと視線が宙を泳ぐところなど、長くはないと思わせた。この人も完全にパラノ型の人で、同じ劇を2,000回以上主演したのが日本人の琴線に触れ、国民栄誉賞まで貰った。同じことを2,000回もやって飽きなかったのだろうか、自分などどうしてもそんなことを考えてしまうのだが、この国の人たちは「一途」が大好きのようで、ここら辺は自分の理解の範囲を超えている。2,000回もやっているのに、多分お決まりのセリフが「まだまだ満足していない」、どうすれば満足できるのか、満足できる前にあの世行き、天国でも芝居に励めばもっと拍手喝采という落ちなのか。
 サッカーは、自分の守備範囲外なのでコメントなしということで。

 今日は、3時過ぎまで野暮用で外にいたため、短めに書く。続々と CD が到着し始め、聴けぬままにそこらあたりに転がっている、聴ければそれについて書こうと思ったのだが、まだ書くまで聴き込んでいない、それらについては後日。
 ということで、今回は聴き返しも必要ないほど聴き込んだ Camberwell Now 、いわずと知れた This Heat のドラマー Charles Hayward が作った歌モノユニット。Quiet Sun (唯一のアルバムが、75年の Mainstream)、This Heat を経て82年に結成、2枚の30センチ EP と一枚のアルバムを残し87年解散。音源は少ないが、偏愛するユニットである。
 Charles Hayward 関連の CD は殆ど所持しているが、何のせいか余り聴く気がなくなり、今では聴くのはこのユニットのみ、This Heat もソロ作品も重い感じがするせいか、やっぱり感性が変わってきたためか。

a0248963_22223518.jpg 自分の持っているのは、1992年にスイス RecRec からリリースされた All's Well 、30センチ EP 2枚と1枚のアルバム、カセット・オムニバスに収められた1曲( Daddy Needs a Throne )を加えた全集版である。その後、リマスター盤も発売された。本当に良く聴いたアルバムで、Hayward の作品では必ずしも評価の高いもののようではないが、自分にとっての Hayward といえばこの1枚なのである。
 81年 This Heat は、Gareth Williams の抜けた穴を Ian Hill と Stephan  Rickard で埋め、Charles Bullen とのカルテットでヨーロッパ・ツアーを行うが、敢え無く解散、その時のメンバー Rickard にベーシスト Trefor Goronwy を加え Canberwell Now が出来上がる。ドラムとベースのリズム・セクションにテープ録音の音を被せ、そこに歌を乗せていくスタイル、今で言えばサンプリング、エフェクトで作り上げる不可思議な音群。この Goronwy 、天才じゃないかと思うくらい印象深いベーシストである。

a0248963_2223985.jpg 最初の EP 、1982年12月録音の Meridian 、4曲収録。非常に音数を少なくして歌を浮かび上がらせるような作りとなっている。もともと、Hayward は社会の歪みに対する批判を前面に押し出しているが、This Heat はインストルメンタルが多いため、歌詞という形でまともに表明されることがなかった。それに対して、Camberwell Now ははっきりした主張がどの歌詞にも出ており、多分これが日本語であったらここまでは好きにならなかっただろうと思う、まぁ、かなり抽象化はされてはいるが。
 シンバルとメロディカ、ベースで始まる Cutty Sark (紅茶を運ぶ船)で幕を開け、多分紅海当りの真珠採りの悲哀を歌ったと思われる Pearl Divers、この2曲はメロディーも美しく、This Heat では聴かれなかった新たな世界を描出している。そしてドラムの躍動感の素晴らしい Spirit of Dunkirk を経て、最大の聴きもの Resplash へ。沈静作用というか「引きの魅力」満載のこの曲、ドラムとメロディーが微妙に食い違う感じと素晴らしく太いベースの音が非常にダウナーな気持ちにさせてくれる佳曲、All's Well では82年録音の原曲ではなく84年の再録音版を収録。
 この曲の後にオムニバス収録の Daddy Needs a Throne を収録、This Heat を感じさせる激しいナンバー。この曲もベースが素晴らしい、人間業とは思えないようなスピードで弾き捲くって、突然の終わり、静寂。

a0248963_22233648.jpg 唯一のアルバムが84年8月から翌85年2月に録音された Ghost Trade 。このアルバムから Rickard の楽器クレジットに Tape Switchboard の表示が見える。多分、複雑なテープ操作を出来るように開発された機器であろう、奇妙な音がてんこ盛りの怪作。
 素晴らしく歯切れの良いドラムとそれにピタリ追随するベースの Working Night で幕を開け、同じような曲調の Sitcom が続き(最後の部分の女性ヴォーカルが印象的)、ドラム・ベース・レスの奇妙な音群から立ち上がるHayward のヴォーカルが素晴らしい(歌詞はざっと眺めて何がいいたいのか不明だが) Wheat Future で LP A面は終わる。リズムを敢えて単純にし、様々な声を上に乗せた実験作 Speculative Fiction 、またまたドラムが軽快な Green Lantern 、そして最後が11分を超える奇妙な音が詰まった The Ghost Trade 、低い声で唸るように歌う歌に添うようにバス・ドラムの一定のリズム、トイ・ピアノかグロッケンシュピールか点描的な効果を上げ、これも「引きの魅力」のある作品。

a0248963_2224250.jpg 最後の EP が Greenfingers 、86年8月録音。3人に加えて女性サキソフォン・ヴィオラ奏者の Maria Lamburn が加わっている。彼女が加わることで生音が彩りを添える。
 最初の曲が Greenfingers 、This Heat 時代の曲らしく実際にライヴでも演奏されていた模様。ちょっと(というか大分) This Heat の他の曲とはイメージが違い過ぎるか、この EP に収められて正解なのだろう。途中のふっとソプラノ・サックスの音が立ち上がるようなところ、全面的にテナー・サックスが出て来るところは、今までの録音にはない、こんな感じは本当に好きだ。ピアノの音が印象的な Mystery of the Fence に続き Goronwy のヴォーカル曲 Know How 、何でこんなシンプルで直線的な曲をここで持ってきたのだろうと驚く、あんなベースを弾くのに案外純情な人だったりして。そして奇妙な音の塊、短い Element Unknown で幕を閉じる。
 この後、アルバムの計画もあり、ツアーも順調に消化したようだが、Rickard の脱退により、あえなく解散。Greenfingers の音の作り方が好きだったので、もう1枚くらいはアルバムを作ってくれても良かったのに、と思う。

 昨日は快晴だったのに、今日はかなり強い雨、女心のような・・・知りませんが。今読書をしていまして、しかし昨日一昨日と帰宅が遅く、まだ最後までは読み切れていない、来週くらいにはご報告を・・・と考えております。




 
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by ay0626 | 2012-11-17 19:36 | rock

快調、アルバム量産、それでも佳作多し レ・ゾグル・ド・バルバック (2)

 90年代中盤の頃、ワールド・ミュージックのブームというか、エスニック音楽への関心が高まったということか、かなりの数の 民族音楽のCD が発売された時期があった。キング・レコードと日本ビクターの2社が競って出していたもので、各々百数十枚に及ぶカタログを誇っていた。様々な地域の音楽が集められ、特にキングのシリーズは音も良く、聴き応えのある作品が多かったと思う。しかし、聴き易い音楽ばかりではない、西洋音楽に馴染んだ耳には退屈に聴こえる音楽もままあったし、ヴォーカル曲は特にその感を強くした(もともと器楽が好きで、西欧楽器以外の楽器の音を聴いてみたくて蒐集を開始したので)。
 自分もかなり購入したが、やはり上に書いたとおり好き嫌いがはっきりしてしまって、全てが全て楽しめたわけではない。こうした CD は何処かで試聴出来る訳でもないため、勢い購入して初めて合う合わないが判るもの、そういう意味ではフリー・インプロヴィゼーション作品と似ていなくもない。
 この頃の CD の値段は日本盤で2,500円ほど、当時はまだ給料も少なく子供の保育園代など他にお金の掛ることも多く、ほんの数回聴くだけのものをそうそう買えるだけの懐具合ではなかった。そんな訳で新品だけでなく中古盤も探すことにしたのだが、この手の音楽はそんなに中古市場に出るような代物ではない、春秋の良い季節にはウォーキング・シューズを穿いて、中古CD店ガイドを片手に歩き回ったものだ。ぼちぼちのゆっくりしたペースで集めているうちに、廃盤になるものも出始め結局コレクションはコンプリート出来ないで終わった。
 その頃は、まだインターネットも一般的ではなく、例えばオークションや中古市場の情報を手に入れるのは難しかった。インターネットが今のような状況だったら、多分もっとお金を掛けずにコレクションを完全なものにすることが出来たろうに。また、個別のミュージシャンの蒐集と異なり、シリーズ物では、どうしても良く聴くのと全く聴かないのが出来てしまう、学問として聴く訳じゃないので金を掛ける効率性を考えると余りよくないのではないかと思った次第。
 そんな経緯があって今のような音楽コレクション・スタイルが出来ていった、そう大したスタイルでもないが。また、余程渋い民族音楽まで聴いたせいか、フリー・ジャズ&フリー・インプロヴィゼーション聴取体験と併せ、どんな音楽にも耐性が付いてそれなりに楽しめるようになったのは良かったと思うのである。

 ということで、訳も判らず蒐集し始めた Les Ogres De Barback 。彼らをどうして知ったのか、そのきっかけは定かではないが(どうも最近物忘れが多くて)、それでも大体の作品は集めた。今まで聴いてきた音楽とは傾向が違うようで、共演ミュージシャンなど全く知らない、ということで下らない感想文の類になってしまうかも。

a0248963_2274436.jpg 4作目、Croc'Noces 、2001年作品。'croc' とは「牙」、'noces' は「結婚式」、どういう意味なんでしょうね。何時もながらのアート・ワークで、歌詞カードも折りたたむと表紙がジャケットと同じ色調でセンスを感じさせる。広げると裏側はフランス地図の上にキリンに引かれる車(馬車じゃないよね)の上で演奏するメンバー4人、Sam はトランペット、Fred はアコーディオン(ちょっとビロ~ンと伸び過ぎですが)、Alice はコントラバス、Mathilde はフルート。向こう側には赤と黄色の縦じまのテント、'Latcho Drom' の文字、'Safe Journy' の意味で、ロマの人を追ったフランスのドキュメント映画の題名(1993年)のよう、よくは知らない。Aurelia Grandin という人のデザイン、彼らのジャケットは殆どこの人?統一感があり、また演奏内容と上手くマッチしている。
 先ずは 'La Manche (英仏海峡)' で幕開け、軽快なアコーディオンに先導される名曲、ちなみにこの曲、Ogres を作る前の Sam と Fred のデビュー曲のようである。また、後のアルバムの題名になる 'Avril et Toi (4月とあなた)' など印象に残る。メロディーの綺麗な曲が多く、豚の鳴き声の聴こえる曲もあるが、総じて真っ当な演奏が多い。
 基本的には4人での演奏だが、例えば10曲目や13曲目にはハンマード・ダルシマーのような音が聴こえ、ライナーにも 'cymbalum' という単語が見えるところから若干のゲストも入っている模様。それにしても多楽器主義の多彩な演奏で、器楽好きな自分としては13曲目 'Flûte!' (フルートという題名だがフルートの音は聴こえない)のようなインストルメンタルも増やして欲しいが。

a0248963_2283772.jpg 5作目 La Pittoresque Histoire de Pitt'ocha(ピット・オシャの絵のような物語)、2003年。この作品の前(2002年)に Un air, deux familles という Les Hurlements d'Léo というバンドとの連名ライヴが出ているのだが、聴いていない。
 この作品、ウォークマンに入れるとジャンルには「子供向け音楽」という表示がなされる。実際、60ページ以上の歌詞とピット・オシャの物語の絵本に CD が付いている。このイラストも Aurelia Grandin 、ルオーの油絵風と我が 'たま' の知久寿焼氏のイラスト感とを合わせたような奇妙な世界を作っている。
 非常に多くのゲストを加えた、というよりお友達を揃えてコンセプト・アルバムを作ってみました、という感じか。あまり、Ogres らしくないところも、彼らの交友関係の広いことは良く判るが、全く知識もないのでコメントしようがない。21曲目は11分を超える作品、朗読劇みたいな感じでフランス語が判らないとちょっと聴くのに苦しいところも、自分も苦しみ(?)ました。
 2009年には続編 Pitt Ocha au Pays des Mille Collines がリリースされ、2013年5月(?)には第三弾が用意されているとのこと。

 ということで、今回は2枚。ちょっと調べようにも余り情報はなく、フランス語のページを英語に自動翻訳して四苦八苦、聴くにはなんの役にも立ってないところが空しいというか何というか。頭の体操だと思えばいいのかも知れない、数行の文章を書くのに半日を費やしたとしても。
 
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by ay0626 | 2012-11-11 17:13 | folk

イタリア、ソウル・ノートへの録音 セシル・テイラー (5)

 立冬も過ぎて、しかしまだコートまでは要らない温度、今くらいが丁度良い気候か、空も高い。読書も気分が乗らず、寝る前にはウォークマンで CD を2枚程度聴くというのがこの頃の日課。
 ついこの間、「この頃は CD の購入も減って・・・云々」などと書いたが、買い出すと次々に買ってしまう悪い癖が出て、聴いていない CD がここあそこにゴロゴロ転がっている。一応、ウォークマンのデータ容量には未だ空きがあるので、次々に放り込んではいるものの、なかなか聴く時間がない。

 先日、田●文科大臣が、突然大学設置を認めない、などといい出して、関係者を慌てさせたことは記憶に新しいが、考えてもみれば、この国に700もの大学が必要なのか、少数や分数の計算も出来ず、英語で1から100まで数え切れない、こんなのが大学生なんぞ片腹痛いわ・・・と思う。一方、凄く勉強している学生も多いのは確か。就職が厳しいのが理由なのか判らないのだが、自分の行っている会社に応募してくる学生のなかには、留学経験もないのに Toeic 900点以上なんていうのが何人もいる、勉強ばかりじゃないのは「何とかクラブで代表を務めました」などとのたまう者もいることから判る、のんびりするということを知らないのか。理系女子ではそれに加えて美人という人も多い、大したものだ。
 30年も歳が離れれば、食べるものも日常の生活スタイルもかなり異なる、経済情勢や社会常識も大きく変わってきている。おじさんが頭が大きく手足の短いちんちくりんだとしても、子供はスラリと手足の長い良いスタイルだったりする。おじさんが入った頃の大学は、稀にでも機動隊が学内に入り、ヘルメットを被ったお兄さん達が「我々はぁ、断固としてぇ~、大学のぉ、帝国主義的なぁ体制にぃ抗議の声をぉ上げるう~」などと声の割れる拡声器で大声を出していた、もちろん学生は一部を除き授業なんかに行かず。それがどうだ、今の特に優秀な学生は授業には必ず行くという、多分よい方向なのだとは思うが、そんな青春時代はやっぱり嫌だなぁ、と怠惰な学生時代を過ごした自分は思ってしまうのである。
 やっぱり調性音楽ばかりでは息が苦しくなる、ということで冒頭に繋がりまして、Cecil Taylor の5回目、無調シリアス・フリー男、久々の登場です。

 Cecil Taylor のレコーディングは、70年代半ば以降ヨーロッパで行われることになる。ドイツの Enja 、MPS 、スイスの Hat Hut 、イギリスの Leo などヨーロッパのレーベルへの吹込ばかりで、88年以降は FMP へ進出、完全にヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションへ取り込まれ(?)、アメリカン・フリー・ジャズとは一線を画すことになる。この中でも、ヴァラエティーが豊かなのがイタリア Soul Note への吹込、ソロ ~ デュオ ~ スモール・コンボ ~ オーケストラと様々な形式の演奏が収められている。
 Soul Note は、たしか Black Saint というレーベルの兄弟分だった。アメリカのフリー・ジャズを中心にしたリリースが多く、Black Saint では String Trio of New York や World Saxophone Quartet なんぞ良く聴いたものだ。Soul Note は、特に記憶に残るような録音はないが、アメリカとヨーロッパ、程よいカタログ構成だったように思う。

a0248963_17485991.jpg Soul Note 最初の録音が、Max Roach とのデュオ・アルバム、Histrical Concerts 、1979年12月コロンビア大学での録音。 Max Roach は、ジャズ・ドラムの大御所、1924年生まれだから Taylor よりも5歳年上となる。ビ・バップのドラマーとして最初期から活動、公民権運動への関わりなど、政治的関心も高いようだ。70年代末から80年代にかけて、Taylor 以外にも Archie Shepp 、Anthony Braxton 、Abdullah Ibrahim (自分にとっては、African Piano の Dollar Brand の印象が強い)などのフリー系ミュージシャンとの録音がある。
 ジャズ・ドラマーであるところの Roach との対戦は、各々5分程度のソロから始まる。第一ラウンドは40分を超える長丁場、ちょっと相手の出方を伺うような感じはあるものの、そのうちに組んず解れつのバトルを展開する。第二ラウンドは38分、Raoch の反則色物パーカッション攻撃から始まるが Taylor 一切挑発に乗らず我が道を行く、それでもRoach は相手の出方を良く見て上手くパーカッションを選び、音を出している。その後は、相手の出方も十分承知、一層熱い演奏が繰り広げられる。演奏の前にリハーサルなどは一切なかったという、大したもんだね。最後に17分ほどインタヴューが収録されているが、全く聞き取れません、無駄な努力はしないことにしているので、1回しか聴いておりません、はい。

a0248963_17492479.jpg 2枚目は、ビッグ・バンドの Winged Serpent (Sliding Quadrants)、1984年10月ミラノでの録音。11人のアメリカ ~ ヨーロッパ混成、メンバーは、Cecil Taylor (p, vo)、Jimmy Lyons (alto sax, vo)、Enrico Rava (tp, vo)、Tomasz Stanko (tp, vo)、Frank Wright (tenor sax, Vo)、John Tchicai (tenor sax, b-cl, vo)、Gunter Hampel (baritone sax, b-cl, vo)、Karen Borca (bassoon, vo)、William Parker (b, vo)、Rashid Bakr (dr, vo)、Andre Martinez (dr, perc, vo)。Jimmy Lyons にとっては最後の録音(86年死去)。
 大傑作、作曲され非常にコントロールの効いた、それでもフリーのエネルギーを失わない素晴らしい演奏。Taylor のユニット把握力は凄いものがあって、78年の One Too Many Salty Swift and Not Goodbye のソロ配置の流れなども感心することしきりであったが、本作もそれを超えた凄まじさがある。これだけ統制が取れているのは、ヨーロッパ勢が比較的穏健な(?)フリー・ジャズ・ミュージシャンであることも関係しているのかもしれない、これは後に述べる Olu Iwa との対比での感想。
 3曲目は、ポエット・リーディングの影響での集団ヴォーカル・インプロヴィゼーション、案外すっと聴けるのが不思議、オーケストラのこってり感が中和されるためか、しかしこれもこってり感はあるよなぁ、ちょっと方向性を外したところでの作品。

a0248963_17494980.jpg 3枚目、ピアノ・ソロ For Olim 、1986年4月9日録音。FMP が毎年開催しているワークショップ・フリー・ミュージックでの演奏。前回紹介した Sweet Basil でのライヴ Iwontunwonsi と Amewa が2月の録音だったので、2か月後の録音ということになる。この頃の録音は、一時の熱狂的な感じがなくなり、一音一音考えて叩いているように思う。また、このアルバムは最初の曲こそ17分ほどあるが、あとは1分から5分と短い曲ばかりで、非常に聴き易い。世評も高い作品。

a0248963_17501454.jpg 4枚目は、同じ演奏会での4月11日と12日でのユニットでの録音 Olu Iwa 。1曲目は4月12日の録音、48分に及ぶ演奏で、編成は3管編成(テナー・サックス2、トロンボーン1)のセプテット。メンバーは Cecil Taylor (p)、Thurman Barker (marimba, perc)、William Parker (b)、Steve McCall (dr)、Earl McIntyre (tbn)、Peter Brötzmann (tenor sax, tárogató)、Frank Wright (tenor sax)。最初の作曲された部分から管なしのカルテット演奏、そして23分過ぎたあたりから管が入り、Brötzmann がソロを取ると混沌度が一気に上がる。流石 FMP を作り、ドイツ・フリー界を背負ってきた大立者、ちょっとやそっとのことではアメリカの巨人には負けない。Taylor も応戦に精一杯という感じか。80年代半ばのこういった交流を経て、88年 FMP 本拠に乗り込むことになる。
 2曲目は、前日11日の録音、管の入らない2人パーカッションのカルテット。Thurman Barker のマリンバの音色の良さと William Parker のベースの変幻自在なこと。87年の Leo 3部作よりはかなり辛口の演奏であるが。

 久しぶりにジャズでしたね。しかし、この頃はウォークマンで Miles Davis をよく聴いている(それも65年から67年の作品)ので、自分の中では、久しぶりにジャズという訳ではないのだが。
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by ay0626 | 2012-11-10 15:14 | jazz

現在蒐集中 ハンガリーの中堅トラッド・バンド マカーム

 昨日は何やかやありまして、文章を綴る時間がなかった。
 今朝も草臥れ仕事があって午前中は潰れ、昼飯を食べに行ったら何処もかしこも満員、家を出てから飯にありつくまで小一時間掛り若干イラッとしてしまった、まだ人生修行が足りぬようで。

 10月の半ばだったか本を買うと宣言して、10月の20日頃に4冊手に入れた、これがなかなか読めない、西澤保彦さんの新作は読めたが、あと3冊は積読状態。空気が乾燥するようになったためか、目がチカチカして本を読む気にならない、これも歳のせいかなあ・・・と、まぁゆっくり読めばよい、積んどいたって本は腐る訳でもあるまいし。
 ということで、西澤さんの新作『モラトリアム・シアター』、文庫書下ろし作、文庫書下ろしといえば、怪作『なつこ、孤島に囚われ。』(2000年)以来かと思う。お得意の記憶改竄ネタではあるが、主人公が自分の記憶が何らかの理由で封印されていることを自覚しているのが、今までの作品と異なるところ。記憶改竄ネタは、読者を非常に不安定な気持ちにさせる『夏の夜会』、感覚まで騙す実験作で傑作『神のロジック、人のマジック』、大量殺人から女殺し屋の誕生まで信じられぬ展開を見せる『収穫祭』など、西澤さんの主要テーマといっていい、しかし余りやりすぎるとまたこのネタかぁ、といわれそう。今回は何故記憶が封印されたのか、本人には記憶を回復しようとする意思が余りないのに、記憶の封印理由を解明しないと話が成り立たない、ということで、出ました!『必然という名の偶然』(短編集)の『エスケープ・ブライダル』に登場した超大富豪名探偵、彼女が登場してきて金を使い捲くって物語が奇跡的に成り立って仕舞うという荒業をやってのける。大体、終末近くでTVで驚愕の犯人名が告げられる場面、そこで気が付かなければいけないのであります・・・と読んでいない人は何が言いたいのか全く判らないであろうが、それなりに良い出来の作品ではありました、近頃の西澤さん、かなり快調ではなかろうかと思う、最後の最後に「produced by 腕貫探偵」の意味が判るところなんかも憎い。ただし、人間関係を性的な関係であちこち引っ付け過ぎなところは、どうも頂けない、安易ではないかとも思う。でも、『殺意の集う夜』『収穫祭』『からくりがたり』などでも見せたねっとりとしたアレ系の物語りも西澤節の重要な系統と考えれば、それはそれでよいのかも。

 音楽の方は、ちょっと新しい方向を探ってみようということで、手を出したのがハンガリーの Makám とチェコの Traband 。Traband はまだCDが手に入っていないので、取り合えず到着した Makám の2枚を紹介、今回は手に入った順での紹介のため、音の移り変わりがどうなのかなどは書けないのでご容赦を。

 Makám は、ハンガリーのバンド、1980年代半ばに同じくハンガリーの Kolinda というバンドとの連名作を2枚リリースした後、88年に単独名義の Közelítések / Approaches を出す。90年代半ばからは、コンスタントに作品を発表、初期作はインストルメンタル作品だが90年代終わりからは女性ヴォーカルを加えた編成の作品になる。今回入手したのは、Amazon 日本のマーケット・プレースで一番安かった2枚。ハンガリーといえば、今までに The Moon and the Night Spirit と Besh o DroM を紹介したが、どちらとも異なる系統で大変よろしい感じで聴きました、はい。

a0248963_19545799.jpg 入手した2枚のうち発表時期の早いのが A Part 、1998年作。リーダーはギター奏者の Krulik Zoltán (ハンガリーでは、姓と名の順が日本と同じ、Krulik が姓となる、マジャール人はフンのアッチラの後裔、アジア系)を中心として、Juhász Endre (oboe, flute, kaval ~ 民族フルート)、Bencze László (double b)、Szalai Péter (tabla)、Szőke Szabolcs (gadulka ~ ブルガリアの弓奏楽器, sarangi ~ インドの弓奏楽器)、Thurnay Balázs (kaval, marimba, gatham ~ インドの打楽器、壷を叩いて音を出す) の6名がクレジットされている。
 一聴、びっくりするのが全く土の匂いのしない、現代音楽的というかニュー・エイジというか、それ系のアンサンブル、例えば現代音楽でいえばミニマル系の Reich など、ニュー・エイジでは Stephan Micus とかトレンブリング・ストレインに近い印象。Besh o DroM がジャズ的なアプローチでポップな感じであったが、こちらは大人の抽象音楽といった感じで、初期はこんな風な音楽なのだろうか、ザビエル・レコードの Közelítések / Approaches の紹介でも「現代音楽風」といった惹句が見えたし、よく見せていただく rim-mei さんのホーム・ページでも同時期の Cafe Babel のレヴューに「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが。」というような文章が見える。
 クールとしか表現できないが、自分にとってはかなり好印象の作品、特にマリンバ、チェレステの音がミニマル感を盛り上げ、フルートなども短い音を積み上げていく。ずっと掛けていたいような音群、インド~東洋的な感じが凄く良い。

a0248963_19553134.jpg もう1枚は 9Colinda、2001年作品。Lovász Irén の歌を中心として、作曲は全て Krulik Zoltán 。メンバーは、Grencsó István (sax)、Thurnay Balázs (kaval, udu ~ 壷型ドラム、アフリカ系のようだが gatham に近い感じか)、Krulik Eszter (vln)、Mizsei Zoltán (syn)、Horváth Balázs (double b)、Gyulai Csaba (perc) 。どの人の名前も読めませんね。
 この Lovász Irén の声、柔らかで優しくて非常に良い、Makám の作品にはあと2作加わっている模様、聴きたいですねぇ。演奏もそれに合わせて、柔らかで聴き易い。シンセサイザー奏者も加わっているが、シンセ候の音はなく、オルガンなどのサンプリングが主体なのかも。
 この Kolinda (アルバム名は Colinda だが)とは、クリスマス・キャロル(祝歌)のような羊飼いの歌の一般的名称で、バルカン半島のルーマニア人やスラヴ人の新年の歌だ、というようなことがジャケット内側に書いてある。確かに2曲目などバルカン音楽(アラブ系の曲調)という感じで、カヴァルの音やヴァイオリンのピチカート、民族パーカッションなどがそれらしい感じを盛り上げるが、やはり土臭さはなく、洗練された感じが強い。
 A Part リリースから3年後の作品であるが、抽象的な感じは殆ど無くなっている、つまりはヴォーカル主体のメロディーのはっきりした音楽。サキソフォンの音など、イージーリスニングといってもいい感じの聴き易さ、トラッドに分類はしたけれども、ちょっと違うかも。

 ということで、今後も新ジャンル開拓は怠らぬようにするつもり、その割には聴く時間がないけれど。楽しみはこれから。
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by ay0626 | 2012-11-04 18:28 | trad