日常茶飯事とCDコレクション
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女性ヴォーカルてんこ盛り マカーム (4)

 自民党政権に替わったら株も上がり円も安くなり、景気などやはり「気」のもの、ちょっとしたことをきっかけに変化していくもののようだ。株が上がっても持たざる者には関係ない、円安も輸出企業のみの恩恵、それでも輸出企業の多くは既に海外に生産拠点を移しているため、本当のところ何処まで万人が好影響を受けるのか。ガソリンは久々150円まで値上がりした、エネルギーの多くは海外に依存するため、円安になれば貿易収支は悪化する、必然的に円安になるが、それを利用して海外に売るべき商品が既に海外生産され国内にはなくなっている、そうなれば景気は悪いままに輸入インフレということにもなりかねない。世の中、そう単純ではなくなっているので、一概に円安が良い訳ではなくなっている、特に原子力が火力に代替している電気業界は深刻だ。景気が若干とも回復しても、給料に跳ね返ってくるのはもっと後の話、先ずは会社が内部留保して、となるだろう、特に電機の会社などはあれだけの巨額な赤字を垂れ流したのだから、従業員に回す前に会社が確実に利益を留保するに違いない。と考えれば、景気が多少良くなってもそれほど我々の生活が良くなるとも考えられん。

 自分を考えてみれば、CD の購入金額が増えることに。近頃は、海外の通販サイトで直接購入することばかりで、ユーロもドルも最安値から見れば、もう2割以上高くなった。今のところ、どうしても欲しいモノはないのでよいが、欲しいものが出てくれば、財布の中身が以前より減ることになる。円安は決して良いことではない。

 そういえば、今までもブツブツ書いて来た Makám の Approaches というアルバム、なかなか発送されないので出品した業者にメールしたら、2月上旬に(メーカーが)再プレスするのでそれまで待てといい加減なメールが返ってきた。どうも最初から胡散臭げではあったが、他に購入するところもない(唯一、日本アマゾンに中古の出品あり、6,970円という非道な値付け)ので、そのままにしておいた、腹が立つがなんとも仕方がない。
 もう一つ、年末に米アマゾンに注文した Wayne Shorter の Odyssey of Iska が未だ到着しない。同時期にチェコに頼んだ CD は1月9日には着いたのに、いい加減なものだ、腹が経つ。どうしょうもないことに腹を立ててばかり。

 ということで、最初のアルバムと最新作だけ蒐集できていない Makám の4回目。通勤時間のお供にチェコ勢と共によく聴いております。

a0248963_20224984.jpg Skanzen (野外博物館の意)、1999年。女性ヴォーカルが入るようになった最初のアルバム。メンバーを記しておくと、*Krulik Zoltán (g)、Lovász Irén (vo)、Bognár Szilvia (vo)、*Grencsó István (sax, harp)、*Thurnay Balázs (kaval, fl, udu,vo)、*Bencze László (b, p)、Krulik Eszter (vin)、Mizsei Zoltán (sansa ~ 親指ピアノ, chime, vo)、Gyulai Csaba (udu,derbouka,vla)、ll. Lengyelfi Miklós (e-b)、Szőke Szabolcs (gadulka)。11名クレジットされているが、音数は少なめ、ヴォーカリスト2名は5曲ずつ歌っている。前作 Café Babel と器楽メンバーの中心メンバーは同じ(*を付けた人が前作に参加)。ヴォーカルの感じは良く似ているが、Irén さんのほうが柔らかな印象、Szilvia さんは若々しく伸びやかな声。ヴァイオリンは、弓奏よりもピチカートのほうが印象に残る。
 スロー・テンポの曲が多く、若干器楽演奏が大人しめで弾む感じも円舞する感じもないため、平板に聴こえる。前々作の A Part に声を乗せたよう。次の 9 Colinda と比べても演奏が押さえ気味にされているのが判る。9曲目にはモンゴルの喉歌が聞こえる、10曲目のカヴァル中心のアンサンブルはその後の作品に繋がるが、歌中心への過渡期の作品といってよいのではないか。
 ライナーを見てみると、1984年の設立で、ハンガリーのフォーク・ソングとジャズ、クラッシクの要素を含んだ室内楽をやりたい、リズムやメロディーは東ヨーロッパ、バルカン半島、アフリカ、中近東の影響を受けているとある。84年の設立と書いているのに、ディスコグラフィーには82年(Makám és Kolinda)、83年(Úton ~ On the Way)、84年(Szélcsend után ~ After the Calm) の作品が掲げられているのはどういう訳だ?3作とも Kolinda との共作だからか(誰が参加しているかは、Orient - Occident というコンピ・アルバムの紹介で見ていきたい)。

a0248963_20231275.jpg Ákom Bákom (意味不明)、2007年作品。メンバーは、Krulik Zoltán (g)、Lázár Erika (vo)、Horváth Olga (vln)、Eredics Dávid (cl, kaval, flute)、Boros Attila (b)、Keönch László (perc) という顔ぶれ、2004年の前作 (Malmanach) とは一新されている。ドラムとエレキ・ベース(フレットレス・ベース)というリズム陣で、それまでのアコースティク色がここで一気にフュージョン風の作品になった。それでも、リズムやメロディーは民族風のままだし、クラリネットやカヴァルがそのサウンドに似合っている。殆どの曲でヴァイオリンと管楽器が同じメロディーを演奏している。
 このアルバムは、2002年の Szindbád に続き、「子供のための音楽」らしく、50分ほどの収録時間なのに1分から3分ほどの曲が20曲ぎっしり詰め込まれている。子供向けというだけあって、くっきりとしたメロディーを持つ曲が多く、歌い方も元気があって美声系の多い Makám の歌手たちの中でも溌剌とした感じは一番。しかし、ヴォーカリストは1人だけのクレジットなのに9曲目、11曲目、13曲目、17曲目、18曲目は明らかに声が違う、11曲目と17曲目は声質の違う2人が交互に歌っている、これはどういうことか。いろいろ調べても判らない。Boros Attila はこの後のアルバムに全て参加するが、非常に個性的なベースを弾く、また Eredics Dávid も同様で、マルチ・ウッドウィンドとして力強いソロを取る、この2人はこの後の Makám のアンサンブルの中心になる。

 ということで、なかなか揃わない Makám 、本当に2月に Approaches が再プレスされれば、コンプリートできるが(Robinzon Kruzo はアマゾンUKで注文済、多分今月末には到着するんじゃないか、と思う)、どうなりましょうか、コレクターも楽じゃない、楽しんではいるけれど。
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by ay0626 | 2013-01-19 16:32 | trad

ライヴ・バンドであることの証明 1975年 マグマ (3)

 朝から雨、陽が翳ると全く温度が上がらない。今日は成人の日、昨日式典を済ませてしまった自治体も多いようで、街に久しぶりに行ってみたが、晴れ着を着た若者なぞ見なかった。まあ、雨が強かった上、丁度昼時だったせいかも知れない。今日は、CD のケース・カヴァーを買いに出たわけだが、高々300円足らずの買い物のために朝からえっちらおっちら。日頃は通販ばかり利用しているので、現実の CD ショップや本屋は新鮮であった、自分の趣味に合うようなブツは少なかったが。昼食は知り合いと、自分は聴き手でいつもフンフンと相槌、相手が話してばかりだが、それが楽しかったりして。

 なぜ態々CDケース・カヴァーを買いに行ったのか。通販で送料無料のショップがなかったから。300円しない品物に350円ほどの送料をかけるくらいなら、暇潰しに偶にはリアル CDショップや本屋を冷やかしてこようと思った次第。それなりに楽しい時間を過ごせた、実物で確かめるのは買い物の原点なのかも。10年ほど昔までは、本屋にしろレコード屋(1990年頃までは)にしろよく足を運んだものだ。新刊や新譜情報は少なく、実際に行かないと確かめられないし手に入れられない、そのため2~3日に1回は定点観測のように会社帰りに寄った。この何年かは、新刊・新譜情報、予約まで全てネットで、アマゾンかHMVで殆ど用が足りてしまう。また品揃えもよいので、ネット・ショップ何軒か廻れば大凡のモノは手に入る。よい世の中なのか、何か物足りないような気もするのだが。

 CDケース・カヴァーを買う理由、それはデジパック仕様のCDが増えたため。CD の数が相当増えて来たので、プラ・ケースのものについては、コクヨの MEDIA PASS という収納ソフト・ケースを使って場所を確保している。しかし、デジパックはそういう訳にもいかず、そのまま収納するとジャケット表面が汚れるため、カヴァーを使うことになる。デジパックも見栄えは良いのだが、嵩張ることが難、コレクター泣かせではある。

 今回は、Magma の1975年作品。Magma も最近作はデジパック仕様になったが、自分が蒐集した90年代半ばは殆どプラ・ケース仕様。Magma には時々3枚組のもあって、非常に困る。

a0248963_19413566.jpg 1975年の公式作は Magma Live/Hhaï 。 6月に行われたパリ/オランピア劇場での演奏を中心に纏められたもの、彼らの代表作として有名な作品。2枚組で、収録作品は1枚目が前作の Köhntarkösz の中心曲である Köhntark とCD化の際に加えられた Ëmëhntëht-Rê (Announcement) 。Ëmëhntëht-Rê は 2009年に完成形がリリースされた。2枚目は、Hhaï、Kobah、Lïhns と5分から8分程度の曲が続く。Kobah はファースト・アルバムからの曲、ブラスが入っていないのでコーラスが中心となる。そして Da Zeuhl Wortz Mekanïk ~ Mëkanïk Zaïn と続く、Mëkanïk Dëstruktïẁ Kömmandöh 後半部分のメドレー。
 メンバーは、Christian Vander (ds)、Klaus Blasquiz (vo)、Stella Vander (vo)、Bernard Paganotti (b)、Gabrial Federow (g)、Didier Lockwood (vln)、Benoit Widemann (kbd)、Jean Pierre Asseline (kbd) の8名。人数の割りに若干音の密度が少ない感じがするのが残念。この中で Didier Lockwood の活躍が目を引く、この時弱冠17歳だが、堂々メインを張る演奏を奏でる、特に Köhntark と Mëkanïk Dëstruktïẁ Kömmandöh は素晴らしい出来。全体が、ドラムに先導され強迫的な推進力を見せるところなど、Magma の面目躍如といったところ。

a0248963_19421567.jpg 同じく 1975年9月録音の Théâtre Du Taur - Concert 1975 - Toulouse 。1996年にリリースされたもの、ブートレグ対策の作品の一つ、現時点なら購入を見送る作品なのだが、多分中古で安く落ちていたのだろう、もう忘却の彼方だ。メンバーは、キーボードの Jean Pierre Asseline が Patrick Gauthier に交替している。演奏曲も2枚組で Köhntarkösz (32:29)、Hhaï (11:18)、Kobaïa (11:49)、Mekanïk Destruktïw Kommandöh (38:15) とほぼ Live/Hhaï と一緒、Mekanïk Destruktïw Kommandöh が頭から聴けるのが味噌。
 録音は極端に悪いということはないが、高音が弱く低音はよく響いている。従って、Bernard Paganotti のやりたい放題のベース・ソロ(1曲目の20分半ばくらいから)は、異様なくらい迫力がある。全体的には、 Live/Hhaï と似た感じなので、余程の信者さん以外は必要ないかと思う。

 やっと日常に戻っていく年明け2週目、ぼちぼちと着実に行きましょう。来週当り、Area か Heldon (フランス繋がり、Patrick Gauthier 繋がりで)あたりをサルベージして来ようか、出来るかな、気力はあるかな。
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by ay0626 | 2013-01-14 17:24 | rock

アヴァンギャルド・アコースティクとおっさん臭い歌 ストーミー・シックス

 明日は成人の日だが、天気は生憎のようだ。20歳の頃は何をしていたのだろう。
 自分が20歳の頃の成人の日は1月15日に固定されていて、1月15日は小正月、この時に元服の儀式を行ったことから「成人の日」をこの日に定めたということらしい。小正月というのは、1月の満月の日、昔の太陰暦は月の満ち欠けを基準としていたので、満月の日は15日と決まっていた。因みに月の満ち欠けは29日か30日周期のため、季節と月がずれていく、その調整のため閏月というのを何年かに一度付け加えて調整していた、1年が13か月の年もあった訳。元服とは「頭に冠を被る」の意で、大人になる儀式のこと、12歳から16歳(もちろん数え年)の男の子が対象、昔は平均寿命も短かったため、早く大人になって、早く跡継ぎを作る必要があったのだろう。そんな意味付けもハッピー・マンデー法が出来てピンと来なくなってしまった。
 学生時代、住民票は親の居住地のままにしていたので、下宿に成人式の案内が来るわけもなく、友人も皆そんな感じで、普通の祝日と何ら変わることはない。煙草は18歳の頃から吸っていたし(40歳を過ぎて体を悪くして、すっぱりと止めた)、酒も飲んではいた(酒には弱く、会社に入って若干苦労することもあったが)ので、成人式だからといって、何らの感興はなかった。ただ、友人の殆どに女友達がなく、当然自分も彼女なんて居ない訳で「20歳にもなってなんて色気のないことだ」とブツクサいったのは憶えている。この歳になると、まぁどうでもいいことのように思えるのだが、何せ性欲は今の何倍もあったろうから、ある意味切実といえば切実。しかし、今の人たちのように気楽に合コンという訳にはいかず(何せ友人は自意識過剰な奴ばかり、そうであれば自分も間違いなく自意識過剰)、「女なんてどうでもいいもんね」と心にもないことを言い散らしていたのである。自分は経済学部に行っていたのだが、入学者202人のうち女性はたったの2人、そのうちの1人は文学部に転籍してしまう始末、そんな環境の中、女性関係においては無為な時間を過ごしたのであった(会社に入れば周りに幾ばくかの妙齢の女性はいることになるが、大きく情勢が変化することはなかったのだが)。

 チェコとハンガリーのバンドはちょっとひと段落(そういえば、Makám の Approaches というアルバム、注文したのだが未だに発送されない、多分廃盤なのに「在庫あり」と表示していたのだろう、問い合わせ中ではあるが、腹の立つことではある、もう1か月以上「発送準備中」になっている)。
 ということで久しぶりに浚って来ました、RIO のオリジナル・メンバー Stormy Six 。前にも書いたが、RIO のメンバーの中でも最も政治的な主張が強く、言葉(つまりは歌)に頼る部分が多いため、器楽が好きな自分には若干合わぬところがあって、そんなに深く聴き込むことはなかった。今回、引っ張り出してきて、印象的には大きく変わることもなかったのだが、様々な言語の歌を聴くようになった今聴くと、それなりには聴けるようになったような感じがする。また、演奏もアコースティクだし(彼らのアルバムでは、最後の Al Volo だけがエレクトリック)、ちょっとちゃんと聴いてみようか、今回は L'Orchestra レーベルから出した作品2枚。

a0248963_18201780.jpg Stormy Six は1966年、イタリア、ミラノで結成、初期はポップ/サイケ・ロックのバンドだったが、Henry Cow に影響を受け、急速に思想的にも音楽的にもアヴァンギャルド化していく。そのきっかけになったのが、自主レーベル L'Orchestra の立ち上げ、そのレーベルからの最初の録音が Un Biglietto del Tram (路面電車の切符)、1975年作品。Stormy Six 名義としては4作目に当る(第1作 1969年 Le Idee Di Oggi Per La Musica Di Domani 「明日の音楽のための今日のアイディア」、第2作 1972年 L'Unità 「単位(装置の意味?)」は CD化されて、自分も持っているが殆ど聴いていない。第3作 1974年 Guarda giù dalla pianura 「平野部から見下ろす」は CD化されていない)。
 メンバーは、Franco Fabbri (g, vo)、Umberto Fiori (g, vo)、Carlo De Martini (sax, vln)、Tommaso Leddi (vln, mandolin, balalajka, g)、Luca Piscicelli (b, vo)、Antonio Zanuso (ds)。曲作りでは、Fabbri ~ Fiori ~ Leddi のラインが中心だったようだ。
 Fiori の声がおっさん臭くて、殆どが生楽器で演奏されたフォーク候のサウンドをバックに歌われる。まあ、言ってしまえば、岡林信康とか五つの赤い風船などのイタリア版なのだが、弦や木管がヨーロッパらしさを演出している、特にヴァイオリンなど良い。歌詞は、主義が全面に出ており、最初の Stalingrado は、ナチとソ連について、表題作の Un Biglietto del Tram はアルゼンチンの軍事独裁政権についての歌のようだ、意味が判らない方が余程音楽を楽しめそう。この段階では、RIO の他のバンドに見られるような強烈な変拍子や複雑なアンサンブルは目立たず、出来の良い真っ当な(?)左翼フォーク・アルバムといった感じではある。

a0248963_18205875.jpg 次が Cliché 1976年作品。CD化されたときに Pinocchio Bazaar が追加された。劇の伴奏用として作られた音楽のようで、全部がインスト・ナンバー、ちょっと Stormy Six らしくないアルバム。追加曲も劇のための音楽でオール・インスト。メンバーにもジャズ関係のゲストが入り込んでいるようで、演奏メンバーもこのアルバムのみの参加者が多い。
 様々な局面を見せるアルバムだが、アコースティクな中にもエレキ・ギターやエレキ・ピアノなどもかなり入れられており、次作以降のサウンドの基礎を作っているような感じもする。1曲目などアコースティク・アンサンブルが見事に決まった名演奏、2曲目は珍しく生ピアノが先導するクラシカルな曲(次のアルバム L'Apprendista でも再演される)など、ジャズやクラッシク、フォークをごちゃ混ぜにしているが、他の RIO のバンドのような性急さは感じられず、どちらかというと大らかな印象。それほど聴くアルバムではないが、彼らの多面性を現している作品として持っている価値はある(またコレクターになってしまいました)。

 Stormy Six をサルベージしたなら、近いうちに Area も浚ってこないといけない。自分の中のイタリアは、この2つのバンドに集約されるので。しかし、何時になるのか、若干心配。
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by ay0626 | 2013-01-13 16:55 | rock

チェコの変てこサウンド クヴェティ

 年末年始の長期休み明け、今年は1週間まるまる出勤だから、そんなに色々なことがあったわけでもないのに妙に草臥れた。朝起きるのは、若い頃と違って全く苦労しないが、そもそも会社に行くのかぁ、と思うだけで体が重くなるような気がする。来週からは段々馴れていく筈なのだが。
 近頃、大きな話題になっているのが、大阪の市立高校の生徒自殺事件。酷いとは思うが、よくあることとも思ってしまう。オリンピックでも思ったことだが、スポーツの世界の住民は極端に狭いところで生きているのではないか。高校の超強豪校だそうだが、所詮それは高校バスケットボールでの話、このニュースを聞いた人の何人がその名前を知っていたか、殆どの人にととっては初めて聞く名前ではないか。その狭い小さい世界で君臨してきたオヤジに高校生のガキが対等の口がきける訳がない、一方的に暴力を振るわれることになる。また、高校生もその世界の狭さ故、「2軍に行くか」の一言に気力が折れてしまったのだろう、2軍へ行こうが行くまいが、その後の人生に大きく違いがあるわけではなかろうに。アメリカのプロ・バスケットならいざ知らず、高が日本のアマチュア・バスケット、アメリカからスカウトに来る訳でもないので、それを職業にすることもない。
 根性論と理性を超えた(理性を無視した)師弟関係は、『巨人の星』や『あしたのジョー』的な情緒世界、日本人の好むところ、しかしながら、オリンピックで金メダルを取ることと人格の高潔さには何の関係もないことを、柔道の金メダリストがついこの間、法廷で教えてくれた、一事に秀でた人は必ずしもバランスの取れた人ではない、一事に秀でたが故に常識を欠く人も多いのは事実だろう。良い指導者とは、強いチームを作れる人のことで、決して人を引き付け感化できるような人格者のことをいう訳ではない、よい素材を揃え、その中で自分の言うことだけを良く聴いて、負ければ自分の練習不足、根性不足、勝てばそれは指導者の指導内容が素晴らしいため、と思い込んでくれる単純な体力人間たちが、偶像の「名」指導者を生み出す。幻想でも長期間存在すれば、力と影響力を持って、18年も同じ高校に留まれるような異常な事態を生み出すことが可能となる。ある意味、狂気の相互影響だった尼崎事件と似たような人間関係に陥ってしまったのではないか。

 ということで、多種多様な世界に目を向けよう、チェコの変てこサウンド Květy 、チェコ語で「花」の意味。何処が花かといいたくなる、ちょっと聴いたことのないサウンド。近頃、よく聴くチェコのバンドのうちでも、イカレ度は相当高い。日本では彼らの音楽に関しては、ザビエル・レコードさんが紹介している他、「仙台単身赴任生活」さんが Jablko Jejího Peří のアルバム評を書いてらっしゃるくらいしか知らない。余程の物好き以外しか聴かないのだろう。
 Květy は、2000年から録音を開始しているよう、この時リーダーの Martin E. Kyšperský は20歳。デモ録音を2枚(2000年 Red riding hood、2001年 Palouček)録音した。この頃のメンバーは、Martin E. Kyšperský (g, vo)、Marta Svobodová (女性, vin, vo, etc)、Michal Navrátil (ds)、Martin Růžička (cello) というカルテット。2002年にはドラマーが Aleš Pilgr に交替し、アルバムを録音することになる。

a0248963_20565886.jpg 自主制作盤として発表された2003年作 Daleko hle dům (遠くに見える家)は、2009年に Martin E. Kyšperský の自主レーベル Amakvare から再リリースされた。数曲にヴァイオリンやクラリネットのゲストを加えている。37分ほどの作品。
 外れたようなギターとマンドリンの合奏にヴァイオリンが絡み、若干の女性ヴォーカルが聞こえる1曲目から変てこ感満載。2曲目はタンゴのリズムかと思って聴いていると、ずばり曲名は Tango でした。 Aleš Pilgr のアイディアに溢れたパーカッションが非常に良い、これは次作(公式アルバム1作目)でもっと進化するが、トチ狂った感じが良く出ている。また、Marta Svobodová のヴォーカルが可愛らしくて(それでも3曲目、6曲目などドスの効いた歌い方をしているが)、これが意外にも変な伴奏に良く合っている。女性ヴォーカル好きな自分としては、このメンバーで続けたら面白かったのに、と思う。残念ながら、彼女は本アルバムでグループを脱退するが、ゲスト扱いで後のアルバムにも参加している。

a0248963_20582963.jpg 公式アルバムとしては1作目に当たるのが、2004年の Jablko jejího peří (羽根の林檎)。赤い版画のジャケットがなかなか良い出来、中の歌詞冊子にも版画が使われ、何が書いてあるかは判らないが、見るだけでも価値あり。Martin E. Kyšperský 、Martin Růžička 、 Aleš Pilgr のトリオでの録音。
 何といっても Aleš Pilgr のパーカッションのアイディアが凄い。特にバラフォン、グロッケンシュピール、シロフォンなどの音階の出る打楽器の使い方が変な感じを大いに盛り上げている。これにチェロが上手く絡む、よく聴こえる。音数は少なく、決してテクニックがあるとは思わないが、ついつい耳を傾けてしまう音楽。
 チェコ語の字余り感とやる気が感じられない Martin E. Kyšperský が変にマッチしていて、例えばヴォーカルの感じで言えば Traband の方が好きだが、これはこれでありかも。変てこ感は本作が一番で、ベースが加わる公式3作目から徐々に変な感じは薄れて行く。

a0248963_20585988.jpg 2作目が Kocourek a horečka (Kocourek と発熱、Kocourek はどんな意味なのか不明)、2006年。チェロが抜け、メンバーの表示は Martin E. Kyšperský と Aleš Pilgr の2名のみ。ヴォーカルで Marta Svobodová が3曲参加、他にも何曲かゲストが加わるが、2曲目のチェロは Tara Fuki の Dorota Bárová 。ジャケットは、ごちゃごちゃしていて判り難いが、家の前に大きな茸が生えている、その横で夫婦(?)が子供を抱え叫んでいる(ように見える)、という何か訳の判らないもの。歌詞冊子にも訳の判らぬコラージュ風の絵画が多数収録され、ヴィジュアル面も気を遣っているのが判る。
 1曲目からやりたい放題、相変わらず音階の出るパーカッションの使い方は巧みで、そのチャカポコした音にちょっと草臥れたようなヴォーカルが良く似合う。 Martin E. Kyšperský はコントラバスも演奏しているが、特に7曲目などなかなか腹に来るずっしりとしたベース・ラインを演奏している。全体には、前作に比べ若干落ち着いた感じ。

  Květy の音は完全にロックなのだが、この奇妙な感じはなかなかありそうでない。チェコのバンドといえば、Čankišou とか Tara Fuki まで遂に手を出してしまった、もう英語の歌など聴けないかも。そういえば、通勤でよく聴くのはフィンランド語だとかポーランド語だとかスエーデン語だとか、歌は器楽と同じレヴェル、歌詞の内容を聴く訳じゃないので。
 
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by ay0626 | 2013-01-12 17:17 | rock

ソロとデュオ 姜泰煥 (3)

 昨年は、近隣諸国ともめた年であった。竹島に韓国大統領は行ってしまうは、尖閣諸島周辺の海域に中国の船が入ってくるは、おまけに日本系のスーパーや工場を破壊するは、話題には事欠かなかった。ニュースはもちろん、一番酷いところ、過激なシーンしか映さないので(平穏無事な光景を映しても何の面白みもない、誰も見ない、番組なぞ見てもらって何ぼの世界)、韓国の人や中国の人が皆が皆あんな風とは思わないが、却って自民党の大勝に利したところはあったのではないかと思う。

 音楽の世界だと、好きか嫌いかはっきりしていて良い。好きなミュージシャンが良い人とは限らないが。

 年明けだと書くネタが全くない。まあ、冒頭お茶を濁して、それでも韓国のインプロヴァイザー、姜泰煥の3回目。昨日の Etron Fou に続いて姜泰煥、どうも正月に聴くような音楽でもないが、選んでしまったものは仕方がない。今回は、2000年と2002年に発表された3作。

a0248963_2074825.jpg 2000年の作品は Clearness 。CD-R 2枚組で300枚限定、自分の持っているものは068/300とナンバーが入っている。本作品は多分、名古屋の得三というライヴ・ハウスで初めて姜泰煥を生で見たときに購入したもの。DVD サイズのケースに2枚の CD-R が収まっている。
 1枚目は、一楽儀光とのデュオ、約54分の作品、1999年11月防府市の「印度洋」でのライヴ。一楽氏は、1959年の生まれ(ということは殆ど同じ年)、ドラムを演奏し、エレクトロニクスの音を加えている。全く激しい音楽ではない、むしろ淡々と進行している感じ、姜泰煥も中音域で豊かな音量を響かせている。一楽氏のドラムはあまりシンバルを叩かず、和太鼓のような雰囲気が漂う。声のようなエレクトロニクスの音が儀式的な雰囲気を醸し出す。
 2枚目は、内橋和久とのデュオ、約53分、1999年11月神戸「Big Apple」と広島「Otis」でのライヴ録音。内橋氏も1959年の生まれ、やっぱり有名なのはナスノミツルと芳垣安洋とのアルタード・ステーツ、即興でそこまでやれるのか(そういえば Cassiber の紹介でもこんなフレーズ書いたっけ)と感心してしまう演奏を繰り広げる(とはいっても見たのは1回だけだが)。あとは、ドイツのインプロヴァイザー、ギタリストの Hans Reichel とのコラボレーション。Reichel は2011年の暮れに死んでしまったけれど、彼の初期のギターの即興にはユーモアが溢れ、他の FMP のミュージシャン、例えば Peter Brötzmann や Peter Kwald などのシリアスな感じとは随分違っていた。初期の CD 化されていない Wichlinghauser Blues や Bonobo などは非常に好きだったし、ダクサフォンという楽器の発明には驚いたものだ(内橋氏は日本人唯一のダクサフォン奏者でもある)。と、姜泰煥とは全く違う話になってしまい申し訳ない。
 相手の出方を慎重に見定めて対応しているような感じで、内橋氏のギターがなかなか繊細、アルタード・ステーツとは随分違う。ギターがギターの音を出している、内橋氏、時折エフェクトかけ過ぎで何だか判らないようなこともあるので、本作でもそうなるところはあるのだが。
 本作、内橋氏のレーベル、最高レコード(英語表記だと Psycho Record 、笑えます)からのリリース。

a0248963_208746.jpg 2002年には、ソロ作品2枚がリリースされた。とはいっても、Seven Breath は1998年2月に録音されたもの、朴在千(姜泰煥の韓国トリオのパーカッショニスト)のプロデュースによる作品、57分ほど。作家の田中啓文さんがこのアルバム評の中で『それぐらい……自己完結した音楽だった』と書かれているが、その通り。姜泰煥は共演者が居ようと居まいと自分のスタイルを貫く、従って複数で演奏するよりも、ソロが一番はっきりとした主張を持った音になる訳、ちょっと変な言い方だがそんな感じがする(だからといって、グループでの演奏が詰まらないことはない、特に2000年代の韓国トリオなど良い)。最初のトラックこそ早いフレーズを吹き捲っているが、全体にはゆったりしたアルト・サックスの音色を大事にした演奏。90年代の代表作といってよい。

a0248963_20141537.jpg もう1枚は、2002年5月、静岡の青嶋ホールでライヴ・レコーディングされた I Think So 。30分を超える2曲を収録、67分ほど。
 姜泰煥の日本ツアーは副島輝人(1931年生まれ)という評論家が関わっている。副島という人、様々な分野で評論活動をしているが、自分にとっては前衛ジャズの紹介に力を入れていた人という印象が強い。特に Moers Jazz Fes には相当数の日本のグループを紹介していて、以前に書いたトン・クラミの最初のアルバムは、かの地でのライブ録音であった。この CD のライナーも副島氏だが、文章は若干の難解系(間章や悠雅彦ほどの自己陶酔文章ではないが)、やっぱり精神世界に入りたいようで・・・・姜泰煥も求道者?いえいえ、それはどうでも良いこと、音さえ凄ければノー・プロブレム、女狂いだろうが、借金魔だろうが関係ありません。だけど、音を聴く限りでは、真面目そうな感じではある。
 Evan Parker の紹介でも同じようなことを書いたが、ここまで技術的に完成されてしまうと、後はその時点での記録のようなもので、一つ一つの作品にコメントするのは難しい。1曲30分程度が2000年頃の定番だったようで、一つの典型的な記録ではあろう。

 正月らしくなく今年も始まった本ブログ。昨年の正月も Cecil Taylor から始まっているので、似たようなものといったところ。
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by ay0626 | 2013-01-05 18:58 | free improvisation

ヒッピーの日常は非日常なのか エトロン・フー・ルルーブラン (2)

 明けましておめでとうございます、というのも三が日まで、4日になると半分以上は日常に戻る。今年は、曜日の関係から6日まで休みの会社が多いようだ。かくいう自分の会社も6日まで休み、官公庁の挨拶回りもあるのだが、今年は先方が忙しいのか、7日以降に来るようにとのことなのでゆっくりしている。
 柳田國男先生のおっしゃる「ハレとケ」、学生時代にはそれなりに本を読んだり、文化人類学の講義で聴いて理解したつもりであったが、この歳になると、子供たちが家に帰ってくることで実感するようになる。
 ケすなわち日常時間においては、我が家は老人と中年男で構成されており、食欲はそれほどなく(昔は見向きもしなかったカボチャやナス、おでんなどが好きになってくる、肉も牛肉のこってりしたものより鳥のほうが良くなってきたとか、金が使えるようになってくるとそんなに高いものが喰いたくなくなってくるという不思議さ)、夜もあっという間に寝てしまう、枯れたといえばその通り、淡々としたものだ。他の老人/中年家庭と違うところといえば変な音楽が、まあまあ大きな音で掛ることがあるくらい。それに対して、ハレの時間の年末から年始に掛けては大いに異なる、20歳代の子供3人が帰ってきて、夜遅くまで遊びに行くは、朝はだらだら寝ているは、ですっかり日常が破壊される。居場所がなくなってあっちこち、うろうろとしてしまう。特に年が明ければ、我が家のご馳走タイム、毎年寿司としゃぶしゃぶとカニの食い放題(普通、ハレの食い物といえば餅や赤飯、尾頭付きの魚だが、時代が進めば変わるもの)、自分はこの何年かで相当食が細くなっており、食べるは飲むはを見ていると、喰わなくとももう満腹状態。この狂乱状態も3日にはほぼ終息した、まあ、1年に何度もあることではない、数日の我慢だ。

 ということで今年の最初の CD 紹介は、Etron Fou Leloublan 、あんまり正月から聴きたくはない音楽じゃないかもしれないが、ハレとケのことを考えていたら思いついた。Etron のメンバー、もともと原始共産制のコミューン的な共同生活から生まれたとのこと(だから RIO の活動に共感する訳だ)、ヒッピーたちの日常は一般の世間から見れば非日常に見えるのだろうか、農業やっていれば案外普通の生活だったりして。こんな音楽を作り出すから、異常=非日常と思われてしまう、やっぱり変な音楽。

a0248963_23402247.jpg 4作目、1982年の Les Poumons Gonflés (膨らんだ肺)。プロデュースは Fred Frith 、前年にリリースされた Frith の Speechless (Frith の記事で紹介した Ralph 3部作の2作目)で共演したことが縁となったようだ(2曲にギターとヴァイオリンで参加)。本作は、前作に引き続き Ferdinand Richard (b, vo)、Guigou Chenevier (ds, perc, vo)、Bernard Mathieu (sax) に加えて、女性メンバーJo Thirion (org, p, tp) が新たに参加、カルテットになっている。
 前作までのゴツゴツしたつんのめるような性急さは薄らいで、アヴァン・ポップ風というかかなり聴き易くなっている、これも80年代という時代のせいか、それとも女性の加入で柔軟性が出てきたためか(確かに作曲面においては10曲中4曲が彼女のペンによるもの)。Jo Thirion の薄っぺらな感じ(他に言葉が思い浮かばない、聴いたらナルホドといって貰えると思うのだが)のオルガンは印象深い、ヴォーカルが単独で聴ける曲はまだない。他にもトランペットなど彩は増しているのだが、もともと持っている「骨格だけの音楽」との感じはそれほど変わらず。方向が若干変わった感じ、これはこれで良い出来の作品。

a0248963_23403299.jpg 5作目、1984年 Les Sillons de la Terre (地表の溝)。サキソフォン奏者が Bruno Meillier に交替している。前作に増して聴き易くなっており、これは当時流行ったニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンに影響を受けたためか(この頃ニューヨーク・ツアーも敢行している)、そんなに似ているとは思わないのだが。もう一つがジャズの影響、もともと Bruno Meillier はジャズ畑の人、ニューヨーク一派の影響は強いと思われる(彼が平行して加入していたバンドがそんな演奏を行っていたらしい)。
 Jo Thirion の存在は益々大きくなっており、オルガンの音が本作を特徴付けているといって過言ではない。また、リード・ヴォーカルも取るようになっており、1曲目や6曲目(この歌の迫力というかドスの効いた感じは彼女の鋭そうな面貌の写真に良く似合っている)。Jo Thirion は後に Ferdinand Richard の奥さんになったらしい、何処かにそんなことが書いてあったような気がするが、うろ覚え。
 赤と黒と白のみで構成されている、なかなかセンスのあるジャケット。先頭の白い狼は Etron Fou なのだろうか。

a0248963_2341330.jpg 6作目で最終作、Face Aux Éléments Déchaînés (荒れ狂う気象に直面して)、1985年。 Bruno Meillier が抜けてトリオに。本作も Fred Frith のプロデュースによる。
 Guigou Chenevier がサキソフォンを演奏しているが、全体に音数は少なめで、ヴォーカルも芝居のセリフのよう(殆どスポークン・ワード風になっている曲もある)。肩の力が抜けているのか、シンプルな印象が強く、ミニマル・ミュージックのような感じも(特に3曲目のインスト・ナンバーなど)。全編、オルガンがリードする、Jo 姐さんが主役といって良い。初期の性急な演奏と1曲の中で曲がめちゃくちゃに変化していくような構成は完全に消滅している。題名に比べ、随分と激しさや余分な要素を削ぎ落としてしまった、その分溌剌さみたいなものに欠けてしまったか、聴きようによるが、ある意味完成型か。

a0248963_23411676.jpg 2010年、突然リリースされたのが À Prague という1984年11月のチェコ・プラハでのライヴ。73分を超える長尺盤、音は非常に良いとまでは行かぬものの充分に聴ける。
 84年には既にトリオ編成になっていたよう(因みに Face Aux Éléments Déchaînés は85年4月の録音)。13曲が収録されていて、その作者についても記載があるが、ほぼ3人が3等分で作曲を担当しており、80年に加入した Jo 姐さんの役割の大きさが判る。
 以前も書いたが、Etron Fou のアルバム単体での発売は、フランス・ムゼア・レーベル傘下のガゼール・レコードから行われたのだが、5作目と6作目に長い期間が空き、オマケに5作目は既に品切れ状態。本当にやる気あるのかないのか疑わしい感じであった。何よりもやっぱり売れなかったのかとも思ったのだが、6作目がリイシューされた直後に本作がリリースされた、これはどういう理由か、よう判らん。

 ということで、今年も変な世界の音楽について書き散らしたいと思います。何処まで行けるやら。
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by ay0626 | 2013-01-04 21:35 | rock