日常茶飯事とCDコレクション
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民族フュージョンないし民族テクノ サインホ・ナムチラク (2)

 久しぶりに本を読んだ。中上健次の『千年の愉楽』。若松孝二監督の遺作となる映画の原作ということで。

 学生時代にも一時中上健次をかなり読んだ時期があって、それは神代辰巳監督の「赫い髪の女」を見たことがきっかけ。にっかつのロマン・ポルノは当時良く見ていて、それなりの作品も多かったように思うが、特に印象深いのがこの作品。宮下順子が余りに良くて、2回も見てしまったことを憶えている。亜湖なんかも出演していて、桃尻娘シリーズで「レナちゃ~ん」など間延びした感じが鬱陶しくもあり、可愛げもあって・・・、なんぞ脇道に逸れた。この映画の原作が中上健次の「赫髪」という短編で、読み難い文章ながら、一定のリズムを掴めばスルスルと読める、多分短編ばかり、「岬」や「蛇淫」などを読んだものと思うが、30年以上も前のこと、ほとんど内容も覚えていない。
 『千年の愉楽』も読み難い作品で、本当に文章推敲しているのか知らん、など思ってみるのだが、確かに文章には妙なリズム感はある。被差別部落のある一族の男たちの物語なのだが、産婆としてその男たちを取り上げたオリュウノオバが狂言回しとなり、時間は飛び越すは、視点は変わるは、本当だか幻想だか判らなくなるは、で筋を追うのは至難、まぁ感じを掴み取りましょうということで。「中本」という一族の男たちは性的に女を惹き付ける生来の運命があり、その引き換えに一生が短い。一生が短いのが残念かというと、寿命なぞ生れ落ちたときから決まっている、何歳で死のうが死ぬときゃ一度、と思えばそんなもん、自分だって戦前に生まれていればもう3回は死んでいる、昭和の半ばに生まれたから、今でも生きていられるだけで、結局一生なんてそんなもの。そう思えば、女にもててやれるだけやって、首を括ろうが、刺されて死のうが、それが幸せか不幸せか、傍で見ている人でもその人生観によって変わってしまう。自分を振り返ってみれば、全体運とすりゃそう悪い人生でもないと思うが、確かに女運だけはハッキリと悪い、もてたこともなけりゃ、いい女に当ったこともない、だからといってそれに悪態を付くことはあっても、なんとも諦める以外ないのであって。
 このオリュウノオバなかなか良いことをいっていて、例えば「何をやってもよい、そこにおまえが在るだけでよいといつも思ったし、礼如さんと暮らし続けて仏に仕える道は何もかもそうだったと肯い得心する事だと思っていた」「自分一人どこまでも自由だと思っても御釈迦様の手に乗っているものなら何をやって暮らしてもよい」。確かにその通りで、性的逸脱や犯罪行為に対する全面的な自己肯定と僧侶の戒律の矛盾はあるにしろ、日本には確かに誰もが「南無阿弥陀仏」と唱えれば天国に行ける、という考え方がある。それならどんな戒律破りでも同じじゃないか、というところに通じる訳、この物語でも男と女はやり捲くってしまうが、それが自然なのだ、そういうもんさね、と言われればその通りです、オリュウノオバでも(20歳、30歳?年下の)達男とことに及び、それを夫の僧侶に知れても悪びれることがない、まぁそんなもんで、それで別れるなど有り得ない。
 最後の「カンナカムイの翼」は、アイヌや朝鮮人が出てきて、虐げられた者への共感が出るかと思って若干嫌だなぁ、と思ったが、そこまで正義にならず、それはそれでよかった。
 全編、性行為だらけのこの作品、どんな映像になるのやら。若松監督の変な左翼への共感が出たら面白くないなぁ、なぞと考えている(浅間山荘の作品など、モロ、だったので)。

 と今回は、Sainkho Namtchylak の2回目。オリュウノオバのことを考えていたら、Naked Spirit のジャケットを思いついた。

a0248963_23111172.jpg Time Out 、1997年作品。インプロヴァイザーやジャズ・オーケストラとの連名作は沢山リリースしているのだが、単独名義では1993年以来となる。トゥヴァの伝統曲を中心にした作品で、33分程度の短い作品、参加ミュージシャンに知った名前はない、録音場所がモスクワであるところと名前の感じからロシア人と思われる。
 民族フュージョンというか民族テクノというか、ギターとパーカッション(アフリカン・パーカッションとの表記あり)で生音感を出しながら、サンプリングやループなども多用されており、聴き辛いところは少なく、ちょっと変なヴォーカルが優しく歌い上げる、ブルーズのような感じの曲も(特に1曲目、2曲目。2曲目の題名は Tuvan Blues でした)。どの曲も3分から長くとも6分程度、メロディー・ラインも追い易い、インプロヴァイザーというイメージを変える作品。

a0248963_23112428.jpg Naked Spirit 、1998年作品。ジャケットから異様。
 非常に淡々とした感じのアルバムで、様々な民族楽器(多くはパーカッション)が抑えた演奏をする中で、Sainkho の声がこれも淡々と歌い上げる。前作とは異なり、声の出し方のヴァラエティーは豊か。
 1曲目はスキャットに低音(サンプリング?)とアルメニアの管楽器ドゥドゥクという組み合わせ。2曲目は息を短く吐く声を重ね、高い朗々とした歌唱に繋ぐ、音域の広さも聴きもの。3曲目は、問い掛けと応答のような感じ、様々な声の出し方が試みられる。4曲目もスキャット、高音の声が非常に素晴らしい、ピアノがうっすらと伴奏するのも美しい。5曲目は喉歌、不気味な唸りが続く。6曲目は鳥の鳴く声のよう、パーカッションのみの伴奏で、インプロヴァイザーの面目躍如。7曲目は、低い濁声での呪文、マウス・ハープも不気味。8曲目も喉歌系、パーカッションにうっすらとした管楽器の音、Moon Trance という題名だが、トランス系の感じは良く出ている。9曲目は喉歌の上に可愛げのあるスキャットが乗る。10曲目も喉歌、淡々とした感じが強い、これもトランス系。11曲目、民族系の擦弦楽器の上に朗々たる歌声。
 こうして見ると、前作よりヴァラエティーに富んだ歌唱が聴ける作品。インプロ作品に混じり、こうした民族フュージョン、民族テクノ的な作品もこの後生み出されていく。

 ということで、今回は苦手な情念、土着、生臭系の話題ばかり。しかし、Sainkho 久しぶりに聴いてみると、案外あっさりとしたところもある、聴き直さないと印象が固まってしまうのかも。
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by ay0626 | 2013-02-24 23:08 | free improvisation

中世俗謡音楽 エスタンピー (2)

 眼鏡が出来たのでちょっとは世の中まともに見えるかと思ったら、左が弱すぎ右が若干強すぎで、どうもすっきりした感じがしない。そのうちに馴れるのだろうが、ちょっと時間が掛かりそう。そういえば、先週末には懸案事項も一応の決着を見て、運気低迷も底を打ったような感じではある。

 先週は、隕石が落ちてきて話題になった。ロシアの田舎でさえあれだけの被害が出るのだから、東京やニューヨークなんかに落ちたら悲惨なものだ。我々の生活なぞ、運のみで成り立っているのが良く判る、あんなものが落ちれば、善行を積もうが悪事の限りを尽くそうが、一瞬のうちに終わり。

 先週は、3人に対して死刑が執行された、まぁ当然といえば当然のこと、本来は判決が確定してから6か月以内に執行することになっているから、彼らは大分長く生きることが出来た。奈良の誘拐殺人や茨城の駅での無差別殺人は知っていたが、名古屋の事件は知らなかった。殺人での刑を終えて出所した後、また強盗殺人を犯す、死刑になって当然。茨城の被告は全く反省の気持ちを表すことがなかったとのこと、その死刑囚に「もっと生かしておけば、反省の弁が聞けたかもしれない」と新聞は書く、中立的であるように見せて、実は死刑反対がモロに文面に出ている。無関係な人々をあれだけ死傷させた者が多少反省したところで、死者は生き返る訳もなく、傷がなくなる訳でもない、死んで頂く以外に死刑囚に出来ることなどあるだろうか。同じような境遇に生まれ生きたとしても、犯罪を犯す者と犯さない(どころか篤志家になる者だっている)者がいる以上、余程精神に障害がある者以外、自分の取った行動には責任を持たなければならない、人の命を奪えば自分の命で贖うのは当然で、奈良や茨城の死刑囚はある意味良く判った人であるとも言える(死刑にして貰いたいが故に犯罪を犯す!)。ああいう人は、事件を未然に防ぐために教育などで矯正など出来ようもなく、被害者は運が悪かったとしかいいようがない。被害者やその家族には、そうした犯罪者を野放しにすることしか出来なかった国家に、出来るだけの精神的・経済的援助をさせるべきと思う。
 それでも死刑廃止は世界的潮流だとか、それはキリスト教的倫理観の産物、欧米が世界であった時代はもう随分前に終わったはずなのに。

 ということで、Estampie の2回目。主要メンバーが Al Andaluz Project に行って、ベスト盤を別とすれば2004年の Signum 以来音沙汰がなかったので、もうアルバムは出さないのか、解散状態なのか、と思っていたら Secrets of the North と題する作品が昨年リリースされた模様。現在、オーダーしている状態。

a0248963_1844482.jpg Materia Mystica 、1998年作品。前作の Crusaders までは録音に音響処理が掛けられる程度の操作があったが、この作品はシンセ音や音響処理が中核となっていて、かなり異色。風(Air)、地(Earth)、水(Water)、火(Fire)の4部で成り立っているが、どのパートもコーラスが全面に使われていて、最後の火(Fire)のパートなど打楽器とコーラスのみで成り立っている。
 録音メンバーは、中核の Popp、Schwindl、Syrah(Sigrid Hausen、voのみ)の3人に加え、Hannes Schanderl (santur, lute, ud, vo)、Cas Gebers (tb, perc, vo)、Tobias Schlierl (vln,perc, vo)、Bülent Kullukcu (electronics)、コーラスに3名がクレジットされている。11世紀から12世紀に生きた初の女性作曲家(神秘家でもある) Hildegard von Binben の曲を Estampie が膨らませたもの。他に Popp が1曲、Gebers が1曲(トロンボーンが全面的に活躍)、Schanderl が3曲(サントゥールのソロ曲あり)。
 全く何というべきか、中世風現代音楽というのも語義矛盾があるが、そんな感じ。捉えどころのない中途半端な印象で、ドイツ・アマゾンを見てもこの作品の評価は低い。Garmarna も Bingen 作品をエレクトロニクス処理した作品を作ってコケたが、同じようなものか。A Chantar から Crusaders までの4作は、純粋な古楽に近い印象であった、本作で大きくエレクトロニクスを取り入れ方向を変えようとしたが、どうも失敗した感じ、次作ではまたちょっと趣向を変えることになる。

a0248963_1845556.jpg Ondas 、2000年作品。全曲 Popp の作曲となった本作以降、Estampie は中世ポップというべき作風になっていく。曲自体は、現代風の落ち着いたポピュラー風で、その伴奏が古楽風な演奏で行われる感じ。歌詞は、何れも12世紀から14世紀のもの。録音メンバーは、Popp、Schwindl、Gebers の3名が器楽の中心、ヴォーカルに Syrah と Corneria Melian 、パーカッションに Sacha Gotowtschikow を含む3名がクレジット。
 もともと演奏や歌は抜群に上手い人達なので、前作のように変な前衛方向に走らずに、こうしたまともな方向に行けば聴き易く、ウケのよい音楽が出来上がる、特にパーカッションがこれだけ入ればポップ・ミュージックに近い感じにはなる。流石にこうした音楽だと、コンサートではオール・スタンディングという訳には行かぬようで、鋲を沢山打った袖なしの皮ジャンにモヒカン刈りの御兄ちゃん(どうもこうしたメディーヴァル・ポップはマーシャル・メタルとの関係もあって、そうしたムキムキ兄ちゃんのファンも多いようだ)も大人しく立って(座ってではなく)聴いているようだ。

 知らぬうちに、新しいアルバムが出ているようで。この頃は、前ほど熱心にチェックしないものだから、偶に見ると見知らぬ作品が見つかったり。聴くのが電車の中と寝る前の1時間程度だと、多くは聴けません、消化不良になるか、特定のものしか聴かなくなるかのどちらか。
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by ay0626 | 2013-02-23 18:38 | trad

囁きとエロティシズム ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール (3)

 スポーツ界の恥さらし事件が続く。女子柔道の暴力事件は、大阪の高校の事件と似たようなものだが、スポーツ界では勝った者が一番偉い、ということを教えてくれる。そしてもう一つ忘れてはならないのが、今の世の中、間違った(と世の中で認識される)ことは、隠しておけないということだ。握りつぶそうにも抑えられるだけの権威を持つ人・組織はもうない、訴える手段はそこら辺に転がっている、ネットに流せばもうお終い。どうせ謝らなければならないなら、率先して公表した方が勝ちとばかりに、様々な体罰・暴力事件が表に出てきたが、最初の事件ほどは盛り上がらない、当たり前の話。
 そしてもう一つが、レスリングの話題。オリンピックが未だに「神聖なスポーツの祭典」と思っている人も少なくないだろうが、あれは殆どショー・ビジネスの世界、ミュージカルや歌舞伎、プロレスと違わない。委員なんか金儲けのためにやっているのは明らかで、サマランチなど親子2代で旨い汁を啜り捲くっている、アフリカのIOC委員などは付け届けでひと財産を作ってしまうほどだ。この話題では、「ロビー活動」という言葉が有名になったが、誰も「お願いします」の声掛けだけで動くことなどない、飲ませ喰わせ金を握らせるなど当然のこと、実弾がモノをいうなど火を見るより明らかだ。今のレスリングなぞ、東洋の黄色いチンチクリンばかり金メダルを取る、もともとヨーロッパでは人気がなく、昔からやっていただけでは存在価値などなくなって当然。女子のレスリングなどイロモノ以外の何者でもない、競技人口が少ないのに、男女の格差があってはならない、というだけで作られた訳、日本人以外に誰が見るか。
 これで、東京オリンピックがなくなれば、それはそれで目出度いこと。ロンドンのように再開発の梃子にするなら兎も角、いまの東京でオリンピックを開催する意義など何処にあろう、開催期間中市民生活が制限されるなどマイナスばかり、景気が一時的に良くなってもそれ以上の落ち込みが発生するのは何度も世界が体験してきたこと、アテネなど地獄の底まで沈んでしまったではないか。
 それでもお祭騒ぎの好きな御仁の多いこと、こちらはケの世界でひっそり過ごします。

 ということで、闇の世界の住人であるのに何故か歌だけはハッキリ・クッキリの Black Tape for a Blue Girl の3回目。初期のたゆたうシンセサイザーの世界から Remnants of a Deeper Purity ではかなり生楽器が加わるようになり、今回紹介する2枚は、メリハリのついた非常に良い出来になってきている。

a0248963_1826549.jpg  As One Aflame Laid Bare by Desire、1999年。金属光沢のジャケット写真は大きく背中を見せたお姐さんといういつもの退廃的な感じ、Rosenthal 兄さんもホント好きなようで。
 71分を超える力作、最後の長尺曲は今までのようなシンセサイザー・ミュージックでちょっと退屈だが。ヴォーカリストは、女声が Juliannna Towns 、4枚目の A Chaos of Desire でも歌っていた方、なかなか渋くて落ち着いた歌唱を聴かせる。一方男声は、Oscar Herrera で変わらず、3曲ほどしか歌わず、このアルバムが最後の登板。その他は、Lisa Feuer (fl)、Vicki Richards (vln) にクラリネット、オーボエが少々参加、かなり生音が強調され、自分にとっては聴き易くなっている。
 これも通勤に聴くことが多いが、行きより帰りに聴くことが多い、やっぱり朝からエロティシズムを感じさせる音楽はどうもね。

a0248963_18263614.jpg The Scavenger Bride、2002年。フランツ・カフカ(Franz Kafka)を題材にした作品のようで、ジャケット・ブックの最後に「 in appreciation of Franz Kafka (カフカを理解して)」とある。青色のみを使ったジャケットは Lisa の写真が非常に美しく、ジャケット傑作賞をあげたいくらい。
 本作、メンバーとしてクレジットされているのは、Elysabeth Grant (vo, vla)、Lisa Feuer (fl)、Julia Kent (cello)、Vicki Richards (vln)、Sam Rosenthal だが、他に Unto Ashes の Miceal Laird 、男声として Bret Helm とAthan Maroulis などが加わる。Micheal Laird のパーカッションや弦が入ることによってリズムが強調され、普通の音楽(?)に近付いた感じ、50分を超える程度の収録時間も聴き通すには程よく、前作、本作辺りが最も充実した時期ではないかと思う。

 昨日眼鏡屋に行って、近距離用(読書、コンピュータ用)と遠近両用(つまり老眼で焦点を合わせられる距離が短くなってきたということ)の2つを買った。コンピュータは青の光が目に良くないということで、それをカットする加工を頼んだので、出来るまでに1週間掛かるとのこと、この不便さもあと少し。
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by ay0626 | 2013-02-17 16:51 | dark-wave

やる気のない奇妙さ クヴェティ (2)

 運気低迷はまだまだ続く。眼鏡を替えたせいで世界が若干変わった、そんな感じ。世界なんてちょっとしたことで変わってしまうもんだ。

 予告の通り、木曜日久しぶりに行って参りました、ライヴ。オルケスタ・リブレと柳原陽一郎、柳原さんは1994年暮れの「たまのお歳暮」以来、実に18年振り、こっちの頭も真っ白になったが、柳原さんの顔も皺が増えましたね、MCもたまの時代は殆どなかったのに、実に滑らかな喋りっぷり、月日は人間を進化させるものであります。
 オルケストラ・リブレは、芳垣安洋(ds ~ アルタード・ステイツのメンバーというのが自分の印象だがその他沢山の楽団に関係)がリーダーの10人編成のジャズ・バンド。知っているメンバーとしては、ボンデージ・フルーツの岡部洋一(perc) と高良久美子(vib) 、他 ts、 tb、 tp、 ss(cl)、 g、 tuba、 b。アヴァンギャルドかというと全くそうではない、楽器編成の特異性と特にギターの印象が変わっていることから普通でないが、自分にとっては至ってまともに聴こえる。
 一部は、Elvis Presley ~ Duke Ellington ~ Don Cherry という変わった取り合せのインストからスタート。Presley の曲でのピアニカ・ソロ(トロンボーンの持ち替え)などはなかなかのもの。そして柳原さん登場、Burt Bacharach の Raindrops Keep Fallin' on My Head から始まる。たま時代より情感を込めて、伸びやかでつややかな声、歌手としては何倍も上手くなっている。訳詩もまともな言葉の繋がり具合で、たま時代のシュールさは後退。原詩を知らないので何ともいえないが、楽曲にしっくり来る言葉を選んでいるような感じはした。MC も判りやすく、長すぎず。歌伴ではソロも短く、楽隊に特徴的なところはない。歌曲は3曲で終了、全部で1時間ほどの演奏時間。
 二部は、Louis Armstrong のナンバーから、トランペットのソロ(カデンツァ)は長く熱気のある見事なもの。1曲のみインストで、直ぐに柳原さん再登場、Kurt Weill ~ Bertolt Brecht の「三文オペラ (Die Dreigroschenoper)」のからの曲を中心に。「三文オペラ」は 1928年に初演され、それ以来何度となく上演される、メッキー・メッサーという悪党のめちゃめちゃな物語だが、その壊れっぷりが時代の雰囲気に合ったのだろう。人間の醜さをあからさまに描いたこの作品の中から有名な3曲、モリタート、ジゴロのバラード、第二のフィナーレ「人間は生きるために何をしてきたか」。Dagmar Krause の歌では、歌詞の内容までは判らないが、日本語の打ち付けな言葉が直接耳に入ってくると強烈。もう1曲奏って、アンコール突入、アンコール2曲目は、おおはた雄一(前日のオルケスタ・リブレの公演の歌手)が入り、Bob Dylan の I Shall Be Released でラスト、もともと Dylan が嫌いで、その中でもこの曲が最も嫌い、という作品なので最後にちょっとね、という感じになった、何だあの歌詞、日本語だともっと腹が立つ!
 4,000円のチャージに水割り2杯とミックスナッツで1,650円、元は取らせてもらいました。

 ライヴとは全く関係のない Květy 。このバンドの奇妙さ、へなへなヴォーカルは本当にクセになる。聴きこむほどに味がある。通勤の一番のお供となりつつある、朝から聴くような音楽じゃないが。

a0248963_2223981.jpg Střela zastavená v jantaru (弾丸は琥珀の中で止まる)、2008年。このアルバムから、ベースの Ondřej Bohemia が加入、トリオ編成に。ゲストでトランペットやオルガンが加わる、Marta Svobodova も若干登場。
 前に書いた Květy の紹介で、「3枚目(本作)からちょっとまともになる」とか書いたが、よく聴けば全くそんなことはない、3~4分の中尺曲に変な要素を詰め込み、統一感を壊さないのに思いがけない展開を見せる奇妙な曲がてんこ盛り。パーカッショニストのアイディアは相も変わらず凄いものがあり、冒頭の金属の薄い板を振り回す音からもうビックリ、相変わらず音階の出るパーカッション群の使い方が上手いし、彼らの音楽を特徴付ける。ギターだけでなく、バンジョーやマンドリンなど曲に合わせた弦楽器の持ち替えも見事。変態的なコーラスも決まっている(3曲目など)。今までにないバラードじみたしっとり(?)とした曲もあり、特に7曲目などは耳に残る佳曲、ベースの音も良い。ここら辺りから芸風が確立していく。

a0248963_2235049.jpg Myjau (意味不明)、2009年。Albert Novák (vin) が加わり、カルテット編成に。ゲストに数人のヴォーカルとトロンボーンが加わる。
 奇妙さに叙情性まで感じさせる、冒頭曲のピアノやコーラスの使い方など、よく思いつくもんだと感心する。2曲目は打って変わってメロディアス、ヴァイオリンが活躍する非常に締まった佳曲、彼らの曲の中でも一番好き。本アルバムは、チェコのグラミー賞といわれる Andělem (Angel) のオルタナティヴ部門賞を獲得したとか、チェコ人も変な音楽が好きなのか。
 チェコ語もすっかり馴れて、字余り感というかまったり・のたのたした感じが実に良い、やる気のないといっては何だが、チェコ語を聴くと脱力感を感じてしまう。だから朝から聴けるのかもしれない、脱力して会社へ行くというのもどうかと思うが。Květy の音楽を紹介するのはなかなか困難で、聴いて貰えば直ぐに判るのに言葉にすると伝え難い、もう少し日本でも聴く人が増えると良い・・・誰が聴くか?

 来月もライヴ見に行こう、元気出して。何処まで続くこの運気低迷、気力不充実、ちょっとは違ったことしなくちゃいけないのかも、何をすりゃいいんだろうか。
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by ay0626 | 2013-02-16 18:22 | rock

アンサンブルとソロ・デュエット エリック・ドルフィー (3)

 眼鏡が割れた。普段掛けている眼鏡は度が弱めで遠くは見えないが、近くを見るにはいちいち外す必要がなく、書類や本を読むには丁度良いくらい。今掛けているのは、夜車を運転するためのもので、遠くまで見えるのだが、本を読んだりパソコンで文章を綴ったりするには焦点が合い難い。困ったものだ、昨日なら眼鏡屋に行って、それなりの度のものを頼むことも出来たのに、今からでは面倒で出掛ける気にもならない。

 ということで、本日は簡単に。Eric Dolphy の3回目。

 Dolphy は、1960年61年と精力的にリーダー作を録音するが、62年は正規録音がなく、63年は所謂ダグラス・セッションといわれる2枚のアルバムを残すのみ。64年は、2枚のリーダー作を残すも、6月29日にはあの世に旅立つ、36歳。

 ダグラス・セッションは、アラン・ダグラスというプロデューサーによる Conversations と Iron Man の2枚のアルバムをいい、1963年7月1日と3日に録音された。この2枚の版権は相当複雑のようで、Conversations は、VJ というレーベルの Memorial Album という題名で学生時代に買って聴いていたのだが(だから30数年前から流通はそれなりにしていた)、Iron Man は相当探したものの全く見たことがなく、CD化されて初めて聴いた。この2枚、1枚ずつ版権が異なっており、ダグラスのレーベルからは Iron Man だけがリリースされたようだ。
 自分が持っているのは、Metrotone というレーベルからリリースされたもの、初出のジャケットとは異なるようだが、なかなか味があって好きだ。

a0248963_19124489.jpg Conversations は、4曲が収録され、1曲目の Jitterbug Waltzは Eric Dolphy(fl)、Woody Shaw(tp)、Bobby Hutcherson(vib)、Eddie Khan(b)、J.C. Moses(ds) というクインテットによるもの。Dolphy のフルート・ソロも良いが、この時弱冠19歳の Shaw の堂々としたソロも聴きもの。Hutcherson の柔らかなヴァイブの音も良い。全体的にゆったりした演奏。2曲目は、Music Matador、Dolphy はバス・クラに持ち替え、メンバーは Clifford Jordan(ss)、Sonny Simmons(as)、Prince Lasha(fl)、Richard Davis(b)、Charles Moffett(ds)となっている。この作品、Lasha と Simmons の作品、この2人双頭バンドを組んでいてクセの強いフリー掛かった音楽をやっていたようで、聴けば判るような気がする。それにしてもこの2曲は Dolphy としてはかなり明るい感じである。
 3曲目は、Love Me 、アルトのソロ。ソロは退屈との評もない訳じゃないが、自分は嫌いではない。ソロは、こうしたアンサンブルとの抱き合わせなら良いと思う(例えば、Roscoe Mitchell や Anthony Braxton のソロだけの作品は余り聴く気にはならないが、Evan Parker は聴ける、Rothenberg や Kang Tae Hwan はそれなりに・・・というのはどういう訳だ?)。4曲目、Alone Together、Richard Davis とのデュオ、バス・クラを吹く。60年には Ron Carter とのデュオの録音があったことも考えると、Dolphy はこうしたソロやソロに近い演奏に相当興味があったものと思う。
 この作品集、ヴァラエティーに富んでいて、学生時代から途切れ途切れに思い出したように聴く。Dolpy のアルバムでも特に好きなアルバム。

a0248963_19125739.jpg もう1枚が、Iron Man 、5曲が収録されている、Conversations と異なり、こちらは殆どが Dolphy のオリジナル。1曲目 Iron Man、Woody Shaw、Bobby Hutcherson、Eddie Kahn、J.C. Moses のクインテット。Dolphy はアルト。曲調はアグレッシヴで根性の入った各人のソロが聴ける。2曲目は Mandrake、ベースが Kahn から Richard Davis に交替する。ここでもアルトの演奏。前作に比べ、辛口の作品に仕上がっている。3曲目、Come Sunday は、Davis とのデュオ、バス・クラの演奏。Davis のアルコが良い。4曲目、Burning Spear、また大所帯の演奏で Woody Shaw、Sonny Simmons、Prince Lasha、Clifford Jordan (ts)、Garvin Bushell (bassoon)、Bobby Hutcherson、Eddie Kahn、Richard Davis、J.C. Moses という10人編成。Dolphy は音楽理論にも強かったようで、例えば Coltrane の Africa Brass では編曲を担当したほど。この曲にもその才能が発揮されている感じ、ちょっと大袈裟な感じがないではないが、ベースの絡みが面白く、特にアルコの使い方などは新鮮。Dolphy はバス・クラを吹く。最後の曲が Ode to C. P.、フルートとベースのデュオ。高低の差のあるフルートが印象的。

 Richard Davis とのデュオ3曲が7月1日の録音、その他は7月3日。Conversations が若干甘口、Iron Man が辛口といった感じで、自分は昔から聴いていることもあり、Conversations の方が好きかな。

 寒い日が続く、陽が長くなればそのうちに暖かくなるだろう。暖かくなると何かいいことありそうで・・・具体的には思い付かないのが残念ではある。
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by ay0626 | 2013-02-11 19:15 | jazz

その後のヘンリー・カウ 作曲家としての才能 リンゼイ・クーパー (2)

 今週久しぶりにライヴに繰り出そうか、と思っている。なかなか趣味に合致するライヴがなくて、出掛けられなかったのだが。
 クラシックのコンサートなら、時々友人が招待券をくれるので見に行くこともある。そういえば、1月の末にも名古屋フィルハーモニーの演奏会に出掛けた、演目が面白く、クラッシクとポピュラーの中間くらいのところの作品ばかり、バーンスタイン: 『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス、コープランド: クラリネット協奏曲、バーバー: 弦楽のためのアダージョ、J.ウィリアムズ: 映画『スター・ウォーズ』組曲というところ。スター・ウォーズなどなかなか迫力があってよかった。また、コープランドの協奏曲は、もともとベニー・グッドマンが初演をしたようにジャズを大幅に取り入れた作品、ソロのお姐さんのテクニックも大したものだった(その割には服のセンスが悪かったような気がするが)。何処かの学生さんの団体も居り(女子ばかりだった)、いつもとはちょっと違った客層だったような気がする。が、クラッシク特有の気持ちの悪い拍手強要と何回も仲間を褒める(指揮者が演奏者数人を立たせて、「こいつら上手く演奏したでしょう」と作り笑いをする)のは相変わらずで、そういうもんとは思っても、終演となれば5回ほど拍手をしてさっさと席を立つのはいつものこと。まぁ、悪態はついていますが、楽しめたのは事実。
 と変な方向に行きそうなので、話題を戻して。テレビで若い人たちの行くコンサートを見ると、殆ど座っている人はいない。音楽のコンサートなのだから、座ってゆっくり聴きたい人もいるのじゃないかと思うのだが。一体感だの参加(サルトルのいう engagement に近いかも、哲学とは無縁な人たちだが)しているというノリなのだろうか、体を揺らしたりペンライトを振ったりと、誰もまともに音楽など聴いているように見えない、行く目的ははなから音楽にはないのだろう。エグザイルという団体はまともに見たことはないのだが、ダンスする人と歌う人から成り立っているようだ、音楽はダンスの景気付けということなら仕方ない、スマップとか嵐とかも同じですか、ああそうですか。前にも書いたが、Les Ogres のDVD でもオール・スタンディング、あんなんじゃおじさんは見に行くのは嫌だ。
 今度行くライヴは、演者も40歳台後半から50歳の掛くらい、ちびちびと酒を飲みながらピーナツでも齧って、ゆっくりと音楽を楽しめる感じにはなれそう。しかし、この頃は、50のおじさんおばさんでもずっと立ちっぱなしで興奮し捲くっているようなコンサートもあるようで、そこまで入れ込めたら、それはそれで幸せか。

 と考えていたら、Lindsay Cooper もダンスの伴奏音楽やテレビ番組のための音楽を数多く手がけていた。今回は80年代中盤から90年代初めの3作品、とはいっても多発性硬化症という難病で殆ど体の自由が利かなくなっているため、98年の View From A Bridge 以降、作品は発表されていない。

a0248963_1819944.jpg 86年、Music for Other Occasions。様々なテレビ番組のための音楽を集めたもので、83年から85年の作品が中心となり、後に87年、90年、91年の録音が追加されて、91年に CD 化された。トータル52分余りの作品だが、1分から長くて5分程度の曲で構成され、21曲も詰まっている。ヴァラエティーに富んだ、という言い方も出来るが、どっちかといえばごった煮的な印象がある。参加しているミュージシャンも多いのだが、中心となるのはいつもの Georgie Born 、Sally Potter 、Dagmar Krause 、Maggie Nicols 、Kate Westbrook といったところ。
 短い曲が多いところから、どの曲も隅々まで作曲されており、ドラムが入ろうがノリ一発みたいな演奏は一つもなく、彼女の真面目な性格(会ったことがある訳じゃないので、実際にはどんな人か知りませんが)が滲み出ているような気がする。

a0248963_18193119.jpg 91年、Oh Moscow。録音は89年10月、カナダのヴィクトリアヴィルでのライヴから。この作品は、第二次世界大戦後の冷戦状況についての作品のようで、Sally Potter が作詞を担当し、87年に完成、それ以降世界各地で20回以上演奏された。
 このCD での演奏メンバーは、Lindsay Cooper (composer, bassoon, alto sax)、Sally Potter (lyricist, vo)、Elvira Plenar (p, syn)、Alfred Harth (tenor sax, cl)、Phil Minton (tp, vo)、Hugh Hopper (el-b)、Marilyn Mazur (ds)。他の演奏会ではドラムに Charles Hayward が入ることもあったようだ。カンタベリーの重鎮からレコメン系の有名ミュージシャン結集というメンバー構成ではある。ヴォーカルが何といっても力強く素晴らしいが、加えてドラムもなかなかのもの。管楽器のソロも余り全体の調和を逸脱するようなことはないが、それなりの魅力はある。
 楽器構成からも判るとおり、ジャズの雰囲気が強い。これだけのメンバーだから部分的には即興の部分もあるだろうが、全体には作曲された感じが強く、そういった意味ではジャズ本来のスリリングなところは少ない、予定調和といっては語弊があるが、やはり Cooper さんは作曲家だということなのだろう。

a0248963_18195782.jpg 91年、An Angel on the Bridge。本作品は、オーストラリアのみで発売されたため、非常に入手が難しく、自分も98年に本作全部が再収録された A View from the Bridge で初めて聴いた。
 20歳頃からバスーンを中心にした作品を作りたかった。バスーンをブラス楽器として、打楽器として、効果音の手段として、曲全部、または一部で。それが本アルバムで叶った ~ と Linsay は A View from the Bridge のライナーで書いている。また、実際にはホテルの部屋で作曲されたとも。また、チャンネル4の「5人の女性写真家」のための曲もあるようだ(詳しくは判らないが、” Dedicate to the memory of Ruth Pantoleon 1941 - 1992 who commissioned the music for '5 Women Photographers'"との記載がある)。
 録音に若干の難があるのと、A View from the Bridge では10曲を1トラックとしてしまっている(どうにかならなかったのか、本当にそう思う)点を除けば、バスーンを中心に置いた非常に良い作品で、Lindsay の代表作ともいえるのではないか。録音メンバーは、Lindsay Cooper (basoon, sopranino sax, kbd)、Michael Askill (perc)、Louise Johnson (harp)、Cathy Marsh (vo)、楽器編成から見ても判るとおり、ロック色、ジャズ色は全くない現代音楽。マリンバやハープ、ソプラノのスキャットも美しく、調性はあり(怪しいが)、聴き易さも抜群で、こうした小編成の作品を作って欲しかった。これを聴くと、Lindsay Cooper は、ポピュラー音楽畑の人というよりもクラッシク ~ 現代音楽畑の人と判る。

 ということで、音楽だけでなく容姿も大好きな Lindsay Cooper の第2回は終わり。こんな綺麗で主張があって素晴らしい音楽を作っても、若くして難病で意思の疎通も出来ない状態になってしまう、どう考えても慈悲深い神様などいないようで。ひょっとして彼女が無神論者だったから?、それなら神様もセコい性格だったりして。
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by ay0626 | 2013-02-10 18:09 | 現代音楽

不思議な雰囲気のチェロ・デュオ タラ・フキ

 月曜日から色々な会議があって、気分ばかり急いた。

 昨日一昨日から急に寒くなって、陽は長くなってきたのだがまだ2月、東京では雪が降るとかの報道があって戦々兢々だったようだが、そんなに酷いことにはならなかった。立春といえば、春とは名ばかり1年で一番寒い頃、立春の前日が節分で、節分は読んで字のごとく「季節を分ける」ということ、従って立夏・立秋・立冬の前日も節分というが、どういうことなのか、立春の前日だけが有名になってしまった。豆(大豆)を煎ったものを「鬼は外、福は内」と掛け声を掛けて撒くわけだが、最後にやったのは何時だったかもう思い出せなくなっている、これだけ歳を取ると年齢分だけ豆を喰うなぞ胸が焼けそうだ。また、鰯の頭を柊の枝に刺して、門口に飾り邪気を払うのも節分の行事だったように思うが、近頃はそんな風景見たことがない。
 毎年、節分は2月3日のような気がするのだが、たまたまのこと。子供の頃は閏年は2月4日だったような覚えがある。もともと二十四節季は太陽と赤道の傾きが15度ずつずれるごとに進むわけで、立春が1日ずれれば節分もずれる、1年が365日より若干長いことが原因。

 まあ、そんなことはどうでもいいが、あまり寒いと会社へ行きたくなくなって困る。毎回、同じことを書いている。

 ハンガリーやチェコの音楽は相変わらず通勤のお供、今回はそのうち Tara Fuki という、お姐さん2人、楽器もチェロだけという不思議なバンドの紹介。Tara Fuki は、Dorota Bárová と Andrea Konstankiewicz-Nazir のデュオ・チームで殆どポーランド語で歌っている。ポーランドに出張で行った折、誰に聞いたか「ポーランド人とスロヴァキア人がお互いに自国語を使って話しても大体の意味が通じる、チェコ人とスロヴァキア人が話しても判るが、チェコ人とポーランド人が話すとあまりよく判らない」とのことだった。同じ西スラヴ系統の言語、そんなこともあるのかも。

a0248963_21451899.jpg 2001年、ファースト Piosenki do snu (ポーランド語で多分「眠りへの歌詞」)。淡いグリーン一色の中に肌色で「Tara Fuki」とグループ名のみ浮き出させたセンスのあるジャケットが目を引く。中の歌詞冊子は反対に、肌色一色に緑の文字で「Tara Fuki」、なかなかの演出であります。歌詞冊子を開くと、スラヴ系の美女が二人。
 憂いを帯びたヴォーカルと2台のチェロが織り上げていく不可思議な音空間。ロックでもジャズでもなく(3作目はかなりジャズに近づくが)、現代音楽かというとそこまで無機的ではなく、民族音楽臭さは全くない。あくまでヴォーカルは普通の歌い方で(ベルカントでも地声張上げでもなく)妖艶に、伴奏はチェロのみという潔さ。ザビエル・レコードさんの惹句に「今までにチェコのCDを1000枚以上聴いてきた自分の中でもベスト3に入る超お気に入りバンド」とあるのは伊達ではない。睡眠前にお勧めの逸品。
 ポーランド語で歌っているのに、2001年のチェコの有名な音楽賞を獲得したとか、チェコの人って変わっているのかねぇ、自国民が他の国の言語で歌っているのに(ポーランド語とチェコ語は親戚筋とは言え)。まぁ、日本人でもよく英語で歌っている、若干違うように思うが。

a0248963_21453762.jpg 2003年、セカンド Kapka (雨粒、水滴)。今度は朱色をベースに水色のバンド名と何か良く判らない写真のジャケット、ファーストと呼応する、非常にすっきりとしたセンスを感じさせるアート・ワーク。中の歌詞冊子はまたベースの色を逆転させたもの。お姐さん達の写真はタンクトップで草原の中、出張でチェコに行ったとき、「原っぱばっか」と思った、そんなことを思い出した
 前作のアコースティク色から、一部 Mario Buzzi というサンプラー・アレンジャーが加わり(10曲中6曲に参加)、ぐっとアヴァンギャルド色が強くなっている、1曲目など最後の部分引っ張り過ぎ感がなきにしもあらず。時には雷のエフェクトも入ったりして、ビックリします。

 チェコの音楽は色々ありまして、1ユーロが100円なら、買って聴いて見たいバンドもあるのだが、ここまで円安になってしまうと、ちょっとね。そういえば、Faun の新しいアルバムが出たようだ、1枚だけ買うなら 日本Amazon のマーケット・プレースが一番安かったりして。
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by ay0626 | 2013-02-09 20:29 | 音楽-その他

Weather Report 前夜 ウェイン・ショーター

 運気低迷のため、面白い話題がない。こういう時もある。

 この頃は円安が進み、海外からCD を買うのも若干迷う。余りに一気に円安方向に行き、何処かで反動が出るんじゃないか、また円高になるかも、と思うとなかなか手が出ない。この前も書いたが、今それほど欲しいと思うものがないこともあって、今年に入ってからは、海外への直接オーダー1件しかしていない(アマゾンUK に Makam の新作をオーダー)。
 昨年最後に注文したのが、Wayne Shorter の Odyssey of Iska 、アマゾン・アメリカは12月29日に受付即日配送のメールが来た。同じ時にチェコのレーベル Indies Scope にもオーダーを出して、こちらは12月31日に発送の知らせが来ている。正月ともなれば、日本郵便の方々は忙しいので、ちょっと遅れるかな、とは思っていたのだが、チェコからのブツは意外にも早く、1月9日に到着した。それじゃあアメリカからのブツも直ぐ来るかな、と思ったら酷く時間が掛り、20日過ぎに到着、ひょっとして郵便事故?などとも思ったのだが。ヨーロッパからの郵便物は、大体1週間から10日くらいで到着するが、アメリカからの便はやたら早く着くときと時間が掛る時の差が大きい、通関で変なモノでも入っているんじゃないかと留め置かれている、なんてこともあるのかも知れない。

 ということで、Wayne Shorter のリーダー・アルバム3枚の紹介。Shorter が Zawinul と Weather Report を結成する直前に Blue Note に残した3部作。学生時代、Weather Report をよく聴いたことは何度も書いたが、Shorter のリーダー作はその頃聴いた覚えがない、社会人になった後、フリー掛かったそれでも真っ当なジャズとを聴こうとして、一時聴いたくらい。多分、その頃 Arthur Blythe や Chico Freeman をよく聴いたので、そういえば昔の Shorter もこんな感じかなぁ、と勘違いしたことによるものだろう。しかし、新主流派といわれた Shorter の64~67年頃の作品は彼らとはかなり違う感じで、あまり熱心には聴かなかった。

 唯一、学生時代に不思議な感じがして好きだったのが、Moto Grosso Feio というアルバム、昨年 Weater Report のサルベージをしたときに聴きたくなってアマゾンなどを調べていたが、既に廃盤となって久しく、中古品には異常な高値が付けられ手が出なかった。それが昨年末、BNLA 999 シリーズで正規発売となった、それも999円という値段で!こうなると、Blue Note の最後期の3部作を全部聴きたくなって、今回の紹介と相成った訳。聴いてみるとなかなか良い、フリーに最接近した Shorter の凄いこと。

a0248963_1819211.jpg 3部作の第1作は Super Nova 、1969年8月~9月録音。前作 Schizophrenia が1967年5月の録音だから、2年以上も間隔を空けていて、内容的にも大きな違いのある作品となっている。Miles のバンドでギターを加えた電化ジャズに関わって、殆ど同時期に Bitches Brew の録音(69年8月)に参加したので、本作と Bitches Brew の感じは表面的にはよく似ている。しかし、聴いてみると、Bitches Brew にはない、というかそれを超えるような緊張感、不安感みたいなものがこのアルバムにはあるように思う。Bitch は、Teo Macero が切って貼り付けてちゃんとアピール出来るように仕上げた作品であるが、この Super Nova はShorter が己の意思で仕上げたという出来で、そこら辺の根性の入り方(?)が違うような気がしてならない。Bitch が一般向け、本作はマニア向けというところか、フリー寄りの演奏でじっくり聴くとそうとう草臥れる作品ではある。
 演奏メンバーは、Wayne Shorter (ss)、John McLaughlin (a & e g)、Sonny Sharrock (e-g)、Miroslav Vitous (b)、Jack DeJohnette (ds, thumb piano)、Chick Corea ( ds, kbd, vibes)、Airto Moreira (per)、Walter Booker (a-g (3))、Maria Booker (vo (3))。
 冒頭の表題曲の乱れ飛び金切り声を上げるギター(やっぱり Sonny Sharlock のいっちゃってるノリの凄さ)、ぼこぼこに刻み続けるベース、煽り捲くるドラムスと非常に緊張感の高い演奏にビックリ。2曲目、4曲目、5曲目は Miles グループでの演奏もあるが、この時点では発表されるかどうか判らなかったのだろう(Miles の Water Babies は76年の発表)、このアルバムでこれらの作品に陽の目を見させておきたかったのか、どの作品も不安感を孕んだ演奏。3曲目の Dindi は、前後をフリー・フォームな演奏に挟まれたギター伴奏のヴォーカルが美しい(最後は何故だか泣き出してしまう)、冒頭のビリンバウ(弓を叩く楽器)やクイーカがブラジルらしさを出してはいるが、決して明るくはならないところが魔術師 Shorter たる所以。

a0248963_18194490.jpg 第2作が、Moto Grosso Feio  (直訳すれば「醜い太った自転車」、アマゾン河のことらしい)、1970年4月録音。録音メンバーは、Wayne Shorter (ss, ts)、John McLaughlin (12 string g)、Miroslav Vitouš (b ~クレジットはないが、演奏には参加している)、Ron Carter (b, cello)、Jack DeJohnette (ds, thumb piano)、Chick Corea (marimba, ds, perc)、Micheline Pelzer (クレジットはMichelin Prell、ds, perc)、Dave Holland (a- g, b)。本職の楽器を外して演奏している感じがする。因みに Micheline Pelzer はベルギー出身のサックス奏者の娘で当時19歳だったという。
 非常に不思議な感じがするアルバム、例えば Marion Brown の Afternoon of Georgia Faun を思い浮かべてしまうのは自分だけか。点描的というか、特に表題曲は、ギターとチェロが導く非常に自由な空間に Shorter のソプラノが鳴る、ずっと聴いていたいと思うような作品。マリンバの響きが耳に残る、また主題も非常に印象的で何度も不意に立ち上がって来る。後の曲も、パーカッションの響きが、奇妙な主題にマッチしてどの曲も凄く良い。Ron Carter の外れたようなチェロもまた良い。偏愛する1枚、正に Weater Report がやろうとした集団即興演奏の前駆となる作品。
 この作品、録音後直ぐに発表されず、74年になってやっと発表された。74年といえば、Native Dancer の発表された年でもある(このアルバムにも Milton Nasciment の曲が1曲収録されている)。ブラジル繋がりで、ついでに発表されたか、お蔵入りとは勿体無い話ではある(65年の作品でも The Soothsayer や Et Cetera などお蔵入りして後で発表された、何を考えていたんだろうか)。

a0248963_1820108.jpg 第3作は、Odyssey of Iska 、1970年8月録音。この作品は、多分1、2回は学生時代にジャズ喫茶で聴いたことがあるように思うのだが、まともに聴くのは今回が初めて。
 メンバーは、Wayne Shorter (ts, ss)、Gene Bertoncini (g)、Cecil McBee (b)、Ron Carter (b)、Alphonse Mouzon (ds)、Billy Hart (ds)、Frank Cuomo (ds, perc)、David Friedman (vib, marimba)。殆どリズム隊の中でサックスが響くといった感じ。
 特に最初の Wind から2曲目の Storm など、最もフリーに接近したのではないか。しかし、前の2作において他の楽器が果たしたような役割を負っている奏者はおらず、リズムの只中に Shorter が一人いる、というような感じがすることも確か。その意味で、やはりこの形式ではどん詰まり、これ以上の進展は望めなかったのかも。また、4曲目の真っ当な演奏、フリーっぽい1曲目2曲目とは全く異なる、Weather Report の聴き易さの部分の先取りか。前2作よりも聴く回数は少なくなりそうだ。
 この作品、アマゾン・アメリカから買ったのだが、Blue Note が正規に出している訳ではないらしい。ライセンスを受けて、少量ずつ生産しているのではないか、ジャケットのカラー・コピーのような安っぽさ、音の悪さなどを考えると、ちゃんとリマスターして出しなおして欲しいと思う。

 この頃は、チェコだとかハンガリーだとかに現を抜かしておったので、アメリカ音楽を久しぶりに聴くと、あぁいいなあ、なぞと嘆息してしまうのであります。こうなったら、Shorter の64~67年の Blue Note 作品も聴くぞ~、などと叫びたくなってくる訳で。しかも、多分殆どの作品がリマスターで1,000円以下で購入できる、暇潰しには最高だったりして。
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by ay0626 | 2013-02-03 18:09 | jazz

声の実験、ロックとジャズと地中海 アレア

 光通信の会社を変えプロバイダーも変えたら、無線LANが上手く繋がらず、息子を呼んで直してもらうのに時間が掛り、ブログの更新も久しぶり。やっぱり、ケーブル繋いでまでインターネットをする気にはならず、文章を綴る時間は音楽を(じっくりと)聴く時間になった、文章を書きながらでは音楽は掛っているだけ状態になってしまうので、それはそれで良い機会だったのかも。

 ジャスミン革命とか命名されて、チュニジアからアフリカ・マグレブ諸国を巻き込んだ騒乱は一応終息はしたようだが、旧勢力を倒すことでは協力出来ても、倒してからは誰もがイニシアティヴを取りたいものだから、前の政権よりもまともな政府など出来ようもなく、民衆に失望感が広がれば、経済その他に影響が出ない訳がなく、混乱と停滞は長い間続く。そうすればそこに入り込むのは決まって宗教、大体が神頼み、いつものこと。
 先週、浚ってくると宣言した Area を聴いていて、最初のアルバムの冒頭にアラビア語でお姐さんが朗読している。「平和に暮らそう、平和の歌を聴かせて、怒りや痛みを捨て、共に平和に暮らそう」、といった内容のようだが、いつもいつも反対の結果となるのは、判ってはいても馬鹿馬鹿しいことではある。独裁者を倒した後に混乱もせずもっと良い世の中になったためしはないので、願望としてのこんな言葉が出るのだろう。

 大阪の高校生の自殺から、柔道金メダリストの淫行事件、女子柔道選手15人の監督告発など、スポーツ界を揺るがす事件が続く。もともと、スポーツには余り興味がなく、また根性論や美しい師弟関係などさらさら信じられるものではなかったので、まあ、そんなこともあるだろうとは思っていたが、ここまでやってくれちゃうとちょっとこっちまで気恥ずかしくなる、あまりに打ちつけ剥き出しで。人格とメダルに結びつく結果に何ら関係はない、今朝新聞を見ていたら、加納治五郎先生のありがたいお言葉を掲げ、初期の精神に立ち返るべきなぞ、およそ教条的な記事があったが、笑止千万、政治家に高邁な理想を求めるのと同じくらいの虚しさ。

 ということで Area 、久しぶりに聴きました。昔はかなりよく聴いていて、主要曲なら鼻歌でメロディーくらいは歌える、流石イタリア語なので歌詞までは無理だが。70年代前半のユーロ・コミュニズム全盛の頃の音楽、イタリア共産党の集会でもコンサートが開かれたとか、あの頃は単純に正義を信じることが出来て良かったね、と思う次第。

a0248963_18205428.jpg ファーストは Arbeit Macht Frei 、1973年作。ご存知、ナチス・ドイツの強制収容所の入り口に掲げられた言葉、「労働が自由を生む」。先にも書いたが、女性のアラビア語の朗読から始まる本作品、ロックには分類されるものの、ジャズ色、現代音楽色、民族音楽色も強く、無類のテクニックと相まって非常に個性の強い音楽を作り上げている。録音メンバーは、Demetrio Stratos (vo, org, steel drums)、Giulio Capiozzo (ds, perc)、Patrizio Fariselli (p, kbd)、Paolo Tofani (g, syn)、Eddie Busnello (sax)、Patrick Djivas (b)の6人。
 特に凄いのが Demetrio Stratos のヴォーカル、好きか嫌いかは別として存在感あり捲くり、唸り、叫び、囁く、70年代にここまでやったのは Phil Minton くらいのもの、80年代になると Diamanda Galas や Sainkho なども出てくるが、当時としては出色。そのバックは、ジャズ色の強い、それもフリー系の音楽、メロディーは地中海の諸地域の題材を使って。冒頭の有名曲 Luglio, agosto, settembre (nero) (7月8月9月(黒))は、ブルガリアの民謡が使われているという。

a0248963_18211650.jpg セカンド Caution Radiation Area 、1974年作。Eddie Busnello が抜け、Patrick Djivas が Ares Tavolazzi に交替したクインテット。Ares Tavolazzi は、コントラバスも演奏し、アコースティクな音が非常に良い味を出している、3曲目の Brujo のソロなどはかなり面白く、ジャズ的。相当なテクニックの持ち主でトロンボーンも演奏する。脱退した Patrick Djivas は、PFM のメンバーとなった。
 本作は、かなりやりたい放題の演奏で、混沌とした印象。冒頭の Cometa Rossa には、またもやブルガリア民謡が引用されているらしい、また Rossa は「赤」、共産主義への傾倒がここにも現れている。
 彼らの作品の多くが Cramps というレーベルから出されているが、このレーベル、フリー・ジャズやフリー・インプロ(例えば Derek Bailey や Steve Lacy など)のアルバムや John Cage などの現代音楽などもリリースしている。この関係もあって、後に Area は、Lacy ~ Paul Lytton (Evan Parker との共演が有名)とのアルバム( Event 76 )を製作することになる。

a0248963_182263.jpg サード Crac !、1975年作。イタリアの評論家賞を受賞した代表作とも言える作品、前作の混沌とした感じが薄まって、アレンジが練られた作品が並ぶ。冒頭の L’elefante bianco (白い巨象)から、変拍子満載、地中海音楽の香りのする作品から始まり、2曲目は代表曲の一つ La mela di Odessa (1920)(オデッサの林檎(1920) ~ オデッサはウクライナの都市の名前、1917年のロシア革命以降この都市は色々な勢力により占領され、1920年に最終的に赤軍が支配権を取り戻した、多分このことを歌っているのだろう)、ライヴではピアノの Fariselli が林檎を齧るパフォーマンスを行ったという。3曲目以降も聴きどころの多いアルバム、最後の曲は現代音楽のお遊びだが。
 1975年といえば、イタリア政界の激変の年、与党のキリスト教民主党が大敗、共産党が大躍進した。Area は共産党の祭ルニタ祭に出演し大きな喝采を浴びた。この時の開催地はフェレンツェ、市長と市議会議員の半数以上が共産党員だった、今は昔。

 ちょっと間が空くと書くことも億劫になって・・・。長く続けられた趣味(音楽と読書を別にして、読書は長いことしていないなぁ、積読2冊残ったまま)がないので、このブログぐらいは、とは思うのだが。せいぜい頑張って続けましょう、それにどんな意味があるのか判りませんが。
 
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by ay0626 | 2013-02-02 16:56 | rock