日常茶飯事とCDコレクション
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フィンランドのデジェリドー・トラッド ヤーラルホーン

 先ほどまでやってました、ドラゴンクエスト7、何度も書いて恐縮だが、飛び抜けて面白いゲームとは思わない。それでもこれだけの時間やらせてしまうのは、やはりシナリオの良さか。面白いゲームは良く売れる、そうすれば収入が多く次回作に掛けられる費用が増える、経済的に余裕があれば開発陣ももっと面白いゲームを作ろうと張り切るから、そういう良い回転の中で名の知れたゲーム・シリーズは長く続いているのだろう。
 ポケモンも同じようなものだが、このドラゴンクエスト・シリーズも長い期間に亘って人気を保ってきた。ニンテンドー・DSでも4、5、6はやった、詳しいことは憶えていないが。ドラゴンクエスト・シリーズを初めてやったのは、多分スーパー・ファミコンの頃、今から20年近くも前のこと。子供たちが丁度小学校に上がる位の年頃、ご多分に漏れずアクション・ゲームに夢中になっていた。自分はその前から、パソコン版のウィザードリーをやってRPGにはかなり嵌り込んでいたので、アクション・ゲームばかりやっている子供たちにRPGの面白さを教えようと、中古の『ドラゴンクエスト1・2』を買ってきた訳。最初は「めんどくせー」など言っていた子供(特に次男)たちが、謎を解くごとにのめり込んでいった、やはりやり方の判るまでRPGには取っ付き難さがあるのだろう。それから何年か経って、ポケモンが登場し、子供たちはアクションとRPGの2本立てで楽しんでいる(オヤジは手が動かないので、アクションはダメだが)。

 6月も今日で最終日、月日の経つスピードは早い。今週の火曜日は半夏生、半夏という草が生える頃ということらしいが、蛸を食べる日としても有名。蛸は足が8本あって、それを稲の根に見立てて根が確りと張るように、ということらしい。また、天から毒が降ってくる日でもあって、井戸に覆いなどしたらしい、またこの日採った野菜は食ってはいけないとも、多分湿度が高くものが腐り易い時期、その戒めの意味もあったのだろう。しかし、梅雨の真っ只中の時期なのに、今年はカラッとした日が多い、今日もそれほど不快感はなかった。

 頭の悪さは、作文能力に覿面に出る、読み返すと酷い文章だ。どこかのオッサンが『ゲーム脳の恐怖』(?)というトンデモ本を書いて売れたという記憶があるが、ゲームをやりだすと他が手に付かない、ということだけはいえそうだ。

 さて、フィンランドのラディカル・トラッド・バンド、Gjallarhorn 。ラディカル・トラッドに興味を持ち出した2005年頃、Hedningarna と同時に聴き出した。Hedningarna ほどおどろおどろしくなく、演奏もアコースティク中心で、自分にとっては聴き易かった。

a0248963_2222265.jpg Ranarop、1997年。2002年には1曲追加の上、リマスターされた版が出ている(自分が持っているのはこれ)。Jenny Wilhelms(vo, vin, hardangerfiddle) が中心となるバンドで、メンバーの入れ替わりが多い。この時は、ディジェリドーが Jakob Frankenhaeuser から Tommy Mansikka-Aho に替わる時期で2人のクレジットがある、パーカッションが David Lillkvist、ビオラとマンドーラが Christopher Öhman という構成。デジェリドーとは、シロアリに中心部を喰われて空洞になったユーカリの木に空気を吹き込み低音を出すオーストラリアの原住民、アボリジニの楽器。この楽器は、循環呼吸で演奏され、音が途切れることがない(Evan Parker や Kang Tae Hwan などと同じ)。北欧のラディカル・トラッド・バンドには何故かしらよく使われる楽器であるが、専任のメンバーを抱えるのはこのバンドとオランダの Omnia くらいしか思い浮かばない。このデジェリドー、なかなか雰囲気を盛り上げるのには持ってこいの楽器で、一種の不気味さ、情念みたいなものを表しているような気がする。可愛らしい Jenny Wilhelms の声と対照となっている。
 Ranarop とは、副題にあるように Sea Witch らしいが、詳しくは判らない。

a0248963_2224121.jpg Sjofn、2000年。メンバーは前作と同様だが、ベーシストとして Sara Puljula が参加、太いいい音を聴かせている。カリンバやジューズ・ハープが聴こえ、パーカッションもアフリカ系統かと思える音を出しているのに、殆どの詞とメロディーはスエーデンやノルウェー、フィンランドの伝承曲から採られていて、フィドルの感じも丸で北欧というのもなかなか変でよい。
 4曲目などで聴かれるキンキンとした高音で歌われる羊追い歌などは独特なもの。前作よりもまとまりの点で今作の方が上。かなり重ね取りをしており、若干音を作り過ぎているような感じがないでもない。
 You Tube で彼らのプロモ・ビデオを見ると金粉で顔を彩色した Jenny さんと原始人みたいな格好をしたメンバーが出てきて、ようやるなぁ、という感じで一見の価値はある。このアルバム、一時は良く聴いた。

 ボーナスも出るまでは、まだかまだか、と思うのに出てしまうと何に使うわけでもなく、一瞬で気持ちが変わってしまうのは何故なんだろうか。
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by ay0626 | 2013-06-30 21:53 | radical-trad

フェロー諸島って知ってる? ヴァルラヴン

 今週もライブと夜の会食があった日を除けば、3DSを弄ってばかり、ゲームってやりだすとついついやってしまうんだよなあ、と自己弁護。

 ライブは、この前書いた通り、姜泰煥と土取利行のデュオ。堪能しましたね、実に。土取さんのドラム素晴らしいの一言。土取さんの実際の演奏を見たのは、実に30年振りのこと、正確に30年かといわれると記憶も曖昧だが、そのときはソロだったと思う。
a0248963_22133932.jpg 土取さんを初めて(レコードで)聴いたのは、Billy Bang の Changing Seasons というアルバム。Bang は、String Trio of New York を聴いて以来、何枚かコレクションしていて、この Changing Seasons と全くの無伴奏ソロ Distinction Without A Difference は凄く気に入った。Changing Seasons のドラムが全く独創的で何度も繰り返し聴いたのを憶えている。ちょうど社会人になりたての頃で、会社の寮に戻って夕飯を食べ終わると直ぐにこの手の音楽を掛けていた、非常にはた迷惑な話であるが、その頃は罪悪感を感じることはなかったように思う。
a0248963_22141338.jpga0248963_22144178.jpg このアルバムで Toshi Tsuchitori という名前を覚えて、たまたま何処かの輸入盤屋で見つけたのが、Ajagara というドラム・ソロのアルバム、これにはやられました、土曜日曜になればエンドレスに掛け捲って、それも相当なボリュームで。ドラムのソロでここまで出来るのだ、と心底感動したものである。そんなとき、小さな会場でのソロ・パフォーマンスを見に行った。ドラムだけでなく各種のパーカッションに声のインプロを絡めた演奏だったように記憶している、何しろ長い年月を跨いでいるので、思い出せるのはその程度。(そういえば、パーカッション・ソロでもう一枚良く聴いたのが Jerome Cooper の The Unpredictability Of Predictability 、特にLP B面のバス・ドラムとハイハットの単純なリズムにバラフォンのインプロが乗る20分程の曲 Bert The Cat は凄かった)。この3枚、どれも CD化されてないのは残念。
 今回の演奏は、バス・ドラムとシンバル、銅鑼の使い方が印象的。バス・ドラムは遠雷のように腹に響く、シンバルは割れるのではないかしらと思うほどバシッと短く決まり、その踊るが如くのドラミングはただ口を開けて見ている他はない、特にシンバルと銅鑼をマレットで叩き続ける中、姜さんのロングトーンが突き抜けていくところなど鳥肌モノだった。
 姜さんも見るのは久しぶり、2007年以来(高橋悠治とのデュオ)。頭も白く薄くなって、ちょっと見ると漫才のオール巨人みたいな感じで、風采の上がらないことこの上ない、しかし舞台で吹き出すと70歳近い年齢とは思えない朗々とした音のボリュームと艶。この2人、相性は抜群、今まで姜さんは3度見たけれど、一番の出来ではなかったかと思う。お客も吃驚するほど沢山入っていて、若い人(といっても20歳台は少ないかなぁ)が多かったのもまた吃驚。
 最後に土取さんが「今度は唖蝉坊をやりますよ、演歌です」といっていた、唖蝉坊とは添田唖蝉坊のことで明治から大正に活躍した演歌師のことで、そんなことまでやっているんだ、と思った。

 さて、今回は Faun のアルバムにも登場したデンマークのラディカル・トラッド・バンド Valravn の紹介。Valravn とはワタリガラスのこと。北欧神話の主神オーディンの使いとしてフギン(思考)、ムニン(記憶)の2羽がいるのは、貴志祐介氏の『悪の経典』で有名になった。2枚目のアルバム、Koder På Snor が話題となって、Faun のアルバムにも参加していたので(それが、なかなか味のある歌いっぷりの女性ボーカルだったので)手を出すことにした。女性ボーカルの出身がフェロー諸島、グリーンランドと同じくデンマークの自治領、独自通貨まで持っているようだが、詳細は次回にでも。

a0248963_22154873.jpg 最初のCDは、20分ほどの録音時間の Krunk (デンマーク語で「良い」といった感じか)、2005年。メンバーは、Anna Katrin Egilstrøð (vo)、Juan Pino (perc)、 Martin Seeberg (vla, fl)、Søren Hammerlund (Mandola, Hurdy Gurdy)という典型的なラディカル・トラッドのバンド編成。この Anna Katrin Egilstrøð というお姐さん、もともと女優を目指していたということで、正式なファースト(このEP と次作はデモ的な扱いになっているのだろう)では、中ジャケットの写真ではなかなか色っぽい写真を披露している。コブシの効いた歌い方で好き嫌いは分かれるだろうが、インパクトはある。同じラディカル・トラッドの Garmarna の Emma Härdelin とは対照的な感じ。

a0248963_2216756.jpg 次が Krunk Krunk 、2007年。前作を丸ごと取り込んで、5曲を追加したもの(Krunk の最初の曲 Kom Alle Væsener (全ての存在が来る)は2分割され、最初と最後に配置)。グループ名と同じタイトルの(正式)ファーストはドイツ・アマゾンで買ったような記憶があるが(これもなかなか手に入り難かった)、このファーストの前に2枚のデモがあると知ったのは、Discog でディスコグラフィーを調べたときのこと。そして、バンドのホーム・ページを見ると「これらの作品を購入するしたい人はEメールで知らせよ」というようなことが書いてある。「Pay Pal で支払いが出来るなら、購入するので、ここに送ってくれ」とメールすると、なんと10日ほどで2枚のCD が届いたのである。向こうから来た送金先を記したメールを迷惑メールに紛れて消してしまったようで、再度メールを頼んだことを憶えている、確かメールの送信者はパーカッション担当の Juan Pino だった。CD代金と送料込みで20ユーロと、なかなか安かった(購入当時はユーロが100円程度だった)。
 音楽は、正統な(?)ラディカル・トラッドというもので、音の取り方も正規アルバムの捏ね回したようなところがなく、平板といえば平板だが、楽器ひとつひとつの音も良く聴こえ、比較的好印象。メンバーのオリジナルとスエーデン、アイスランド、デンマークのトラッドで構成され、インスト曲も数曲含まれている、メロディーも覚え易い。

 今日は朝から良く晴れて、温度は上がったが比較的湿度は低く、夜になれば風が冷たいくらい。旧暦でいえば5月21日、これが本当の「五月晴れ」といったところ。
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by ay0626 | 2013-06-29 20:19 | radical-trad

韓国トリオ、冷静な狂気 姜泰煥 (4)

 今週もライブに出かけようかと思っている。姜泰煥と土取利行のデュオ、楽しみ。

 という訳で予習の意味もあって、姜泰煥の韓国トリオ作品を聴くことにした。韓国の大統領が交代して、北朝鮮がそれに付け入って工業団地の締め出しなど揺さぶりをかけている。今の大統領のお父さんも大統領で、民族分断国家の常で独裁体制を敷き、しかし軍事にお金をかけても経済をあれだけ発展させたのだから、大した人であったことは間違いないだろう。お父さんもお母さんも暗殺されてしまったのだから、現大統領は悲劇のヒロインといったところ。思い出すのは、ミヤンマーのアウン・サウン・スーチーやフィリピンのコラソン・アキノ、悲劇は女性に似合うということか。本人の実力以上のもの(過去からの光)を民衆は彼女たちの上に見てしまうのだろう。男性はこの点、全くの不利、英国チャールズ皇太子を見よ。

 3DSのために頭と指先がサルになってしまったので、これ以上の作文は無理。

 ということで姜泰煥の韓国トリオの作品、2枚。姜泰煥は、活動初期の頃(1978年)、パーカッションの金大煥(Kim Dae Hwan)とトランペットの崔善培(Choi Sun Bae)とトリオを組んで、最初のリーダー・アルバムにもこのトリオの演奏が収められている(興味のある方はこのブログでも紹介しておりますのでご覧ください)が、その後はソロ中心に、トン・クラミの2枚のアルバムがある程度。その意味では興味深いアルバムなのだ。
 この2枚、何れも韓国盤、Improvised Memories は多分東京のディスク・ユニオンのお茶の水店で、Isaiah は通信販売で(あまり有名なところではなかったが)購入したもの。

a0248963_21441998.jpg Improvised Memories、2002年12月録音。美妍(Miyeon, p)、 朴在千(Park Je Chun, perc)とのトリオ。美妍さんと 朴在千さんは夫婦らしい。分散音が現代音楽風なピアノと殆どシンバルを鳴らさず、低い音の多いパーカッションに姜さんのロングトーンがマッチして、非常に緊密な音を生成している。例えば、富樫雅彦と佐藤允彦とのトリオ演奏とは全く異なる印象、富樫~佐藤との演奏はやはりジャズ的な要素が多く、それに比べ本作は、民族要素(Park のパーカッション)と現代音楽要素(Miyeon のピアノ)の折衷であるといっていいのではないか、熱くならない冷静さがちょっとアブナさを感じさせる音楽。ちょっと変な言い回しになってしまって(間章風を気取った訳ではない、ただ頭の中がサル化しているだけだ)、言いたいことが上手く言えない。

a0248963_21444660.jpg 2枚目は、Isaiah 、2005年3月録音。500枚限定でリリース、自分の持っているものは206という数字が書いてある。題名はキリスト教の預言者イザヤのこと、韓国では戦後クリスチャンが増え、姜さんもクリスチャンとのこと。
 変わった装丁のCDで、厚い表紙の2面デジパック、表紙裏には、イザヤ書の6章9節から『 You will go on hearing, but learning nothing. You will go on seeing, but without getting wiser.』とのみ書かれている。どういう意味で読んだらいいんでしょうか「聞き続けよ、しかし何も学ぶな。見続けよ、しかし悟ってはならない」。インプロを聴くときの心構えを説いたもの、といえば神様のバチが当るか、当っても本当にそれが神様のバチと判るかが問題。
 50分途切れることなく続く演奏、便宜的に6パートに分けてある。各人のソロを取り混ぜて、それでもパート3の姜さんのソロはゆったりとしたリズムを刻みながら時にロングトーンを交えるところが素晴らしい出来。

 今週はちょっと色々あって忙しくなりそう。クール・ビズに馴れ切ってしまうと偶にネクタイ締めて上着着て、が嫌で嫌で、しかしそれも給料のうち。せいぜい、気温が上がらぬことを祈りましょう。
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by ay0626 | 2013-06-23 20:40 | free improvisation

聴きやすく、それでも充実 ファウン (3)

 この前の日曜日が父の日で、次男がプレゼントに呉れたのが『3DS』、やはり3Dで見えるソフトが欲しいと買ってきたのが『ドラゴンクエスト7』。これがいけない、やり出したら止まらない、そう面白いソフトとも思えないのだがなにしろ時間があるとやってしまう。それまでやっていた『逆転検事2』も第1話が終わって、切りが付いたのでちょっとだけこっちを、と思ったのが運の尽き、ただいま18時間ほどやり捲くって、お陰で読書も全く進まず。情けないとは思うが、時間潰しには最適。潰すべき時間は山のようにある。

 株や為替が荒っぽく動く、アメリカの金融緩和が何時まで続くのかが焦点のようで、材料を探しては市場を大量の金が行き来する。なんと欲深いことか、金で買えないものなどないのだから、当然といえば当然。この頃、気に入っているコマーシャルがロト6の柳葉某と妻夫木某の出てくるアレ、「君の夢は金で買えるのか」、柳葉某のロト籤を買うときの表情が何ともいえず。買わなきゃ当らないのが宝くじだが、天文学的に低い確率に数百円を投じる趣味はなく、大金持ちになることはとうに放棄しているが、例えば3億円でも手に入れば確実に会社を辞めることになるとは思う。

 5月の20何日かに梅雨入り宣言はなされたが、その後全く雨は降らず。気温だけはぐんぐん上がって、6月半ばで既に猛暑日が発生、今年の夏は地獄の釜が空くかと思われたが、この木曜日から金曜日に纏まった雨が降り、地表も冷やされたせいか温度も随分下がった。この2~3日は気持ち良く惰眠を貪ることになる。

 下らぬ話ばかりになるのは、ゲームのせい、猿以下の知能に成り下がる。

 ということで、久しぶりに Faun。昨年の12月に新アルバムが出て、しかしこのアルバムの出来というか、方向性に大いに疑問があった。今回はそのアルバムのことについては書かないが、次のアルバムもこの方向だったら残念至極といった感じ。
 その前の充実した2枚を紹介。

a0248963_22285459.jpg Buch der Balladen (バラードの本)、2009年。表題にある通り、ジャケットは本のような形になっており、非常に凝ったものとなっている。彼らのジャケット・ワークに対する拘り振りが判ろうというもの。
 表題に Acoustic Faun とある通り、Niel Mitra はコンピュータを一切使わず、従って演奏にも関与は少ない。オリジナル・メンバーの Elisabeth Pawelke が抜け、バイオリンとハーディー・ガーディー、ボーカルを担当する Sandra Elflein が参加。この Sandra ちゃん、写真で見ると非常に可愛らしい、声も容貌通りで Pawelke 姐さんの硬い感じとは随分異なる。You Tube などの映像で見ると Sandra ちゃんはかなりぽっちゃりで小さく、これがまた可愛いのである(完全に AKB ファンの乗りですな)。彼女は本作のみの参加となってしまうのだが、残念至極である。
 前作の Totem がスタジオ・ワークとシンセで幻想的で暗めの演出を過剰に行ったのに比べ、本作は随分明るい感じがする、それは Sandra ちゃんの声の質とシンセ一切なしの作り方によるものだろう。楽器のソロもくっきり聴こえ、ボーカル部分が多いのに演奏が歌伴になってない。特にハーディー・ガーディーの音が綺麗に採れており、なかなか良い。ゲストも少なく、チェロ(Ganbe との記載あり)とニッケル・ハルパが1曲づつ、Faun の演奏能力の高さが判るアルバムでもある。
 途中、1曲のみ( Brynhildur Táttur フェロー諸島の言葉か、Google 翻訳の言語検出だとアイスランド語と出てくる) Valravn というデンマークのバンドの合唱曲(船で歌う感じが良く出ている)、Valravn はまた別に紹介したいと思う。
 本作は限定盤があり、11曲目に Brynhilds Lied という曲が入っている。この曲は単独で Amazon で電子データを買うことが出来るが、詩の朗読にあっさりとした演奏が加わるだけのもので、別にどうしても限定盤が欲しくなるようなものではない。しかしながら、録音時間が42分あまりというのは、ちょっと短すぎやしないか、演奏が充実しているだけに、もう2~3曲あってもよかったのでは。

a0248963_22291329.jpg Eden 、2011年。Sandra Elflein に替わり Rairda が参加、基本的にはボーカルのみ(1曲のみハープを演奏している)。Rairda の声は Sandra ちゃんよりも可愛くない、容姿も同じ(頭の毛がカーリー系)。
 ジャケット・アート・ワークは凄く凝っていて、歌詞冊子が別立てになっていて、見るだけの価値は十分あり(読め!といわれても残念ながら無理)。
 今回は録音時間70分を越える大作、演奏も Niel Mitra のビートやエフェクトが戻ったのに加え、 Rüdiger Maul のパーカッションもドラム風になって(シンバルはないので、ロックやポップスという感じはないが)、ビートは良く効いている、そのせいか随分と聴き易くなった。それに加えて英語詞の導入、今まで彼らは一切英語を使っていなかったが、英米進出も考えたのか。その可能性は充分あって、Rairda が抜けた後、Stella Mara の Sonja Drakulich が加入してアメリカ・ツアーまでやっている。
 聴き易くなったとはいえ、まだ比重はボーカルよりインストの方が高い、次作ではこの比重が逆転してしまう訳だが。曲も5分から7分と比較的長めの曲が多く、聴き応えは充分。Hymn To Pan など、マリンバが入り、今までとは一味違うところも見せている。ゲストもかなり入っていて、ソロも取っている。前作に比べると暗い感じがするのは、色々な地域の神話(キリスト教とは無縁な神話、何故なら彼らは自らの音楽を Pagan Folk と呼んでいるから)をモチーフとしているからなのだろう。

 今日は朝方雲が多く、また天気予報と違うのかと思ったが、段々と晴れてきた。気温も上がったに違いないのだが、湿度が低いせいか風が吹くとひやりとした感じになる。1日に何時間も3DSを弄っていれば目もチカチカしようかというもの、それでも止められないのがサルのサルたる所以。
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by ay0626 | 2013-06-22 20:37 | trad

ものうい・・・逢魔が時の音楽 タラ・フキ (2)

 昨日とは打って変わってよい天気、気温もぐんぐん上昇、夏本番の雰囲気。昼間は暑くて敵わなかったが、日も落ちる頃になると風が爽やかで気持ちが良い。

 先週は外で夕食を取る機会が多く、必然的に帰りも遅くなるので、読書の時間も少なくなる。その少ない時間で読んだのが、深木章子さんの『衣更月家の一族』。プロローグの数ページに「衣更月家」のことは書いてあるのだが、続くのは「廣田家の殺人」「楠原家の殺人」「鷹尾家の殺人」と「衣更月家」とは関係が定かでない、独立した殺人事件が扱われる。特に「廣田家の殺人」はそれ単独でも充分に成り立つほどよく練りこまれた作品で、こんな独立した中篇が長編の一部になりうるのだろうか、と考えてしまう。「楠原家の殺人」の後半、前作の『鬼畜の家』に登場した榊原聡が登場する段で初めて何かの繋がりが見えてくるのだが、一転「鷹尾家の殺人」でまたまた混沌とした状態になる。それが最終章「衣更月家の一族」であれよあれよと繋がりが解明されて行くのだが、この章の畳みかけるような論理展開は、正に本格推理の王道を行くもので、こちらも読むことが止められなくなる、圧巻とはこういうことをいうのだろう。2013年の本格ミステリ大賞の候補作に挙げられたのも首肯できようというもの。前作を遥かに上回った出来で熟女パワー侮るべからず、といったところか、十二分に楽しめた。
 しかしながら、若干文句がない訳ではない。前作の感想でも述べたが、人間の汚いところ(ストーカー、せこい宝くじ当選金独り占め、子供のことを一切考えない親)を容赦なく描くのは良いとして、どうしてもその部分とトリッキーな構成が上手く交わっているとはいえないのではないか。読む人の感性を泡立たせておいて、社会悪を暴くかと思えばさにあらず、自分は本格ミステリ大賞候補作と知って読んでいるから、ああした結末に満足するが、社会派(もうそんなものはないか)を期待した人たちは呆然としてしまうだろう。もうちょっとマトモな人たちが出てくるミステリにしても良いのではなかろうか。【ネタバレあり】「鷹尾家の殺人」で中心人物の母親が画廊を経営していることが出てくるが、これで衣更月辰夫との関係を疑えというのもちょっと無理がありそう、母親の苗字を伏せているのも不自然といえばいえて、それが技巧といえばそれまでだが、若干釈然としない。全体に人間関係を隠しすぎのような感じも。例えば「楠原」の戸籍謄本でも取れば一発で判るようなことを視点を変えることで無理やり謎にしているような気がする。【ネタバレ終わり】

 昨日は、何となく幡 大介さんの『猫間地獄のわらべ歌』を購入してしまったし、井沢さんの『逆説の日本史』も読んでないし、『悪夢百一夜』も50夜まで進んでいない。ぼちぼちと片付けていきましょう。

 今日は Tara Fuki の2回目。アンニュイというんでしょうか(フランス語ですね、ennui と書きます)、ちょっとものうい感じで、大人の雰囲気音楽。しかし、スラブの人たちの音楽にアンニュイというのも似合わないかなあ、という感じではあります(しかし、時にはフランス語の歌詞も歌っているようで)。

a0248963_2151622.jpg Auris 、2007年。Auris とはどういう意味だろう、トヨタの車の名前なんかじゃないよなぁ。
 前作から4年振りの作品、デュオのどちらかの妊娠出産によって間があいたと、何処かに書いてあったように記憶しているが、本当かどうかは知らない。
 いつも通りしゃれたアート・ワークで、ジャケットは布に描いてあるような感じになっている、赤い線で描かれた半分だけのチェロ。3面デジパックを開けると赤一色に統一され、CD も赤一色。歌詞の冊子も赤で、歌詞の印刷されたページも赤(白で歌詞は印刷されている)、一転彼女たちの写真のページはモノクロで、その対比は見事。
 前作が、DJ を加えてアバンギャルドな感じだったのに対して、本作はジャズ・グループのメンバーやその他のゲストを加えた、落ち着いたアコーステックな音が中心、ジャズ・マンが加入しているだけにジャズっぽいところも随所に。曲によっては管楽器(バス・クラリネット(10、11曲目)、トランペット(6、11曲目))、今までの弦と打だけとは異なる質感を持つ。7曲目、8曲目は2人のみの演奏だが、若干アバンギャルド。
 聴き易さでは随一のアルバムのように思う。

a0248963_21511985.jpg Sens 、2010年。また二人のみで録音されたアルバム、重ね採りされた部分が少なく非常にシンプルで、逢魔が時の光はあるのに薄暗いような、疲れたわけではないのに何もしたくないような、そんな雰囲気(何だ!変な言い回しばかり)。例えば、1st や 2nd に見られた攻撃性、先鋭性が薄れて(やはりデビューから10年、人間誰でも歳を取る、多くの人は歳を重ねることで少しく穏健になっていく)、フォーク・ミュージックを聴いているよう。7曲目の Pragnienia (ポーランド語で「欲望」)は、インプロビゼーションとの表示があるが、静かなのにその中に若干の狂気を感じさせるスキャットが緊張感を孕む、本作中の白眉。
 今回のアート・ワークはこれも非常にシンプル、見開き2面の内側は黒と白の四角をアレンジしたデザイン、歌詞の冊子も白と黒(写真もモノクロ)、最終ページの曲名の印刷だけが黄色。CD も白一色。
 Andrea Konstankiewicz の担当する楽器に「hang」とあるが、これは金属製の打楽器で大きな鍋に半球形の蓋を被せたような形をしていて、それを手で叩いてスティール・ドラムのような音を出す、スイス人が発明したようだ。YouTube にも映像があるので興味のある方はどうぞ。Stephan Micus もアルバム On the Wing で1曲のみだが使用していた。

 今日は父の日、次男がプレゼントをくれたので、ちょっと嬉しくて晩御飯を奢ってやった。これこそ、情けは人のためならず、ということか(ちょっと違うか)、それとも蝦で鯛を釣るということか(まあまあ高価なものだったので、これもちょっと違うか)。
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by ay0626 | 2013-06-16 20:13 | 音楽-その他

ブルー・ノート 1966-1967年 ウェイン・ショーター (5)

 今週は暑かった、週半ばには36℃を超える猛暑日に。流石6月も中旬でこの暑さは体に堪える、雨でも降れば蒸す不快感は別として、地表が冷やされて気温だけでも下がろうというものの、殆ど雨は降らず、台風崩れの低気圧から湿った空気が送り込まれて湿度だけが高くなる、全く不快。会社でもすっきりしたところがなく、運が6月から反転攻勢かと思っていただけにちょっと挫折気味。
 今日は、午前中は厚い雲に覆われて、陽が当らないせいか気温がぐんぐん上がるということもなく、午後には久しぶりにそれなりの雨が降った。湿度が相当高いのか、エアコンをドライにするだけで部屋の中がひんやりする。しかし、この程度の雨では水不足は解消しないだろう。

 朝、大きい方の用を足していつもの通り尻を洗い、スイッチ・オフにしたら水が止まらなくなった。そうこうしているうちに水を貯めるところからも漏れ出し、トイレが水浸しに。10年以上故障もせずに動いていたのに突然こんな風になると手の打ちようもなく、便座の蓋の裏側に書いてあった故障対応専用フリー・ダイアルに電話、かなり待たされたが、オペレーターの対応も良く、その指示に従い螺旋回し一本で応急対応は出来た。そして案外早く担当者も家まで来てくれて、シャワー・トイレの部分のみ停止するようにしてくれた。
 この家も建ててもう直ぐ25年、シャワー・トイレは10数年前に初代のものが壊れ、今のが2代目、毎日何回かは使っていて、それでも13年ほどの命脈を保ったのは、日本の技術がどれだけ凄いものか証明している。シャワー・トイレというのは今では当たり前になったが、出た当時は本当に画期的というか、凄いとしか言いようのないものだった。発売された頃のコマーシャルに戸川純が出てきて「何を隠そう、お尻も綺麗」とかなんとか奇妙な表情でのたまわっていたのを思い出す。確かに粘度の高いものをひり出したとき、何度拭いても未だ付いているような不快感があったり、下痢のときに拭き過ぎてひりひりしたり、そうした嫌な感じがこの発明で一掃されたのは正に「画期的」だったのである。そのかわり、お尻の穴の周りの皮膚が弱くなったのだろう、海外出張に1週間も行けばお尻に違和感を感じることになる。日本に住んだことのある外国人は皆シャワー・トイレのファンになるようだが、外国での普及率はまだまだなのだ。
 来週の火曜日には新しいものが来るという、衛生陶器部分もちょっと汚くなっていて、ついでに替えることにしたので少しはトイレも綺麗になるか、何でも新しくなるのは楽しみなことである。

 ということで、Wayne Shorter の5回目。1966年、67年の Blue Note 吹き込みの2作。1965年作品が非常に先進的というか、新たな試み満載の作品ばかりだったので、今回紹介の2作は、目新しさでは一歩譲る印象。

a0248963_2239837.jpg Adam's Apple 、1966年。メンバーは、Wayne Shorter (ts)、Herbie Hancock (p)、Reggie Workman (b)、Joe Chambers (ds) というワン・ホーン・カルテット。超有名曲 Footprints が初披露された作品。本作の録音は2月だが、10月には Miles Davis の Miles Smiles でも再演されることになる。新しい感じはしないが、非常に充実したテナーが楽しめる作品、この頃の Miles Quintet の音楽的な中心は Shoter であって、殆ど67年までは Miles Combo = Shorter Group みたいなものだから、Shorter も自分名義の作品を作る必要がなかったのだろう、65年にはあれだけ沢山の作品を生み出したのに(確かに Miles が薬物の治療で休んでいて時間があったということか)、66年は2月録音の本作のみ、67年も1作のみの録音だ。
 Reggie Workman のベースがなかなか攻撃的で凄く良い。特に Footprints や The Collector (CD化の時に追加収録)のソロなど、聴き惚れてしまう。全体的には明るい感じで、初期のミステリアスな雰囲気は随分薄れている。
 ちなみに Adam's Apple とは読んで字の如く『アダムの林檎』のことだが、「喉仏」のことも指す。アダムちゃんが神の戒めに背いて食らった林檎が喉につっかえて喉仏になったということ。女の方は、勿論イブちゃんですな、根性こめて飲み込んだが今度は胸でつっかえて、これがオッパイになりました。

a0248963_22393182.jpg Schizophrenia 、1967年。メンバーは、Wayne Shorter (ts)、Curtis Fuller (tb)、James Spaulding (fl, as)、Herbie Hancock (p)、Ron Carter (b)、Joe Chambers (ds) という3管編成の大所帯。65年の3管編成作品 All Seeing Eye に比べればずっと判り易い、というか捻ったところがないというか、ちょっとムード音楽的といえぬこともない。Curtis Fuller が加わっているためか。
 最初の Tom Thumb から快調な、ちょっと軽めの出発。3曲目が表題作の Schizophrenia 、統合失調症のことだが、曲からはそんな雰囲気は感じられない。4曲目は James Spaulding の作品でKryptonite、フルートのソロが美しい、この James Spaulding という人、有名なリーダー作はないようだが Shorter の作品のソロはどれもかなりのテンションを持った好演、Shorter のアルバムでこの人の名前は残るだろう。Kryptonite とは、スーパーマン(アメ・コミの代表!)の故郷の星、クリプトンのエネルギーの素の物質。2曲目 Go と5曲目 Miyako はバラード、丁度サンドイッチの中身みたいなもので、ここが聴き所なのかも。最後の Play Ground は若干の新しい感じがする。

 今日も本屋へ行き、1冊購入、積読本は3冊に。明日には読書報告でも。
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by ay0626 | 2013-06-15 22:09 | jazz

忍び寄るファンクの影 マグマ (4)

 今日は朝から曇り空、気温は高くないものの湿度が高いせいか若干蒸し暑い。前から気になっていた和室の障子、昨年台風の時にどういうわけかサッシの内側まで雨が入り込んで、濡れたところが染みになって一部は剥がれ掛けていた。気になりつつも面倒なのでずっとそのままにしていたのだが、思い立って張り替えることにした。紙を破って(破壊することは楽しいことらしい、この歳になっても障子紙に手を突っ込んで穴を開けるのは若干気持ちがよい、子供がしてみたくなるのも当然か)、桟を洗い乾かしたあとで糊を付け、皺にならぬように紙を張ってゆく、ほんの1時間少々の時間なのだが中腰で作業していると汗が出てくる、こんな作業で汗を出すとは歳を取ったものだ。芒種も過ぎ、麦も収穫時期の黄金色、本格的な雨の季節に入っていく。

 前にも書いたが、この頃は音楽を聴くより本を読む時間の方が多くなった。音楽を聴きながらでも本は読めるが(日本語の歌が入っていると気になって読書の邪魔になるが)、音楽が流れていたという印象は残っても、どんな音楽だったのか、までは記憶に残らない。そんなことならいっそ読書のみにして、音楽を掛けないようになった。

 今回の読書報告は西澤保彦さんの『いつか、ふたりは二匹』、2004年に発表された作品がやっと文庫化されたので読もうと思った。本作品は、講談社の「ミステリーランド」という叢書の中の1冊として刊行されたもの、この叢書、豪く立派な装丁で値段も2,000円ほど、しかし中身はジュブナイル(子供向け作品)という、ちょっと捻くれている。「新本格」で当りを取った有名編集者が、自分が世に送り出した作家を集め書かせてそれなりの評判を取った。自分は「わざわざジュブナイルなんか読みたくない」ということで(何かあざとい感じがしていたのも確か)、唯一西澤さんの作品で読んでいなかった。
 感想を一言でいえば、「いつもの西澤作品」、ジュブナイルだからどうということはなく、しかし初出時に2,000円も出して購入していたら、ちょっとがっくりしたとは思う。【ネタバレ】異常な性格の少女襲撃犯も、友達が死んでも自分の世界の方が大事な忍坂という女の子も、子供のくせに老人の雰囲気を纏う主人公も、似たような人物は西澤作品のあちこちに登場している。「ピーター」の正体にしても、ジュブナイルとはいえ、余りに早い段階で見当が付く、最後の場面では、この二人どんな関係をこれから育んでいくのだろう、とは思わせるが。最後に「ジェニー」が死ぬのも西澤さんの作品であれば、多分そうだろうとは予想の範疇。【ネタバレ終わり】面白くなかった訳ではないが、文庫化まで待って正解か。

 引き続き、『悪夢百一夜』を読んでいる。短編集なので、途中他の作家の作品も読むことにした。現在は深木章子さんの『衣更月家の一族』を読んでいる、なかなか面白い、プロローグとそれに続く独立したように見える3つのエピソードはどんな風に繋がっていくのだろう。感想は後日。

 音楽は、Heldon からの繋がりで、Magma の4回目、1976年の作品。徐々にファンクの影響が現れ始めた頃。しかし、何ですな、Magma を聴くと若干草臥れる感じがする、長い上に強迫的だからか。Christian Vander は60歳半ばにしてまだこんな音楽やっている、頭が下がる思いです(好きこそものの上手なれ、ちょっと違うか)。

a0248963_1738534.jpg 1976年のスタジオ録音作品が Üdü Ẁüdü。メンバーは曲ごとに異なっているが、Christian Vander、Klaus Blasquiz、Jannick "Janik" Top の3名が中心、Stella Vander は1曲目と7曲目(この曲はCD化の際にボーナスとして加えられたもの、後年 Ëmëhntëhtt-Rê の一部となる)のみ参加。2曲目のベースは Bernard Paganotti、この曲には Heldon でもキーボードを担当する Patrick Gauthier が加わっている。
 明るいパーカッションに先導されてファンク色を濃厚にした表題曲から5曲目までは、何れも3~4分程度の Magma としては短い曲が並び、変化を感じさせる。4曲目(Soleil d'Ork 、Janik の曲)を除き、曲調も今までになく明るい感じで、この頃ジャズの多くのミュージシャンがファンクの影響下にあった(Miles、Herbie Hancock、Ornette Coleman などなど)ことを考えれば、似たようなものかも知れない。
 しかし、6曲目の De Futura (LPでは B 面全部を占める)は、今までの Magma そのもので Christian Vander、Klaus Blasquiz、Jannick "Janik" Top の3人で繰り広げる強迫リズム爆走曲、最初のうちはシンセの音が飛び交うようなところがないわけではないが、後半は Top のベースが炸裂し捲くり、何とも腹にもたれそうな重厚な音楽(褒め言葉です!お間違えなきよう)。彼らの曲では最も有名な曲のひとつ、これを聴くためにこのアルバムを購入する訳。

a0248963_1739649.jpg 1976年3月のライブが Concert 1976 - Opéra De Reims、なんと3枚組、160分になんなんとする録音時間の大作。海賊盤対策でリリースされた AKT シリーズの中の1作。録音状態はまあまあ良いが、時々バランスが悪くなる(特に1枚目 De Futura のボーカルとギターが入るところなど、突然音が大きくなって驚く、他にも何箇所かそんなところがある)ほか、3枚目 Mekanïk Destruktïw Kommandöh、Didier Lockwood のソロが素晴らしく、これから行くところまで行っちゃうよ!!!と力の入ったところで、突然テープ切れになってしまうところなど、正規盤としてはどうかというところはあるが、まぁ許せる範囲か。
 この時のメンバーはかなり大所帯、Bernard Paganotti (b)、Christian Vander (ds, vo)、Gabriel Federow (g)、Benoît Widemann (kbd)、 Patrick Gauthier (kbd)、Didier Lockwood (vln)、Stella Vander (vo)、Klaus Blasquiz (vo, perc) の8人体制、Vander 尊師の下、緊密なアンサンブルを聴かせる。ギターとバイオリンが頑張っている、どの曲も纏まっていて、この頃の彼らの活動の充実振りが判る録音。

 来週は、社会保険関係の団体の会議や歓迎会、送別会など外で食事をする日が多い、必然的に帰りが遅くなる訳で、読書も一休みか。生活するのに労働は当然で、頑張って働きます、来週も。
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by ay0626 | 2013-06-09 16:04 | rock

頭でっかちのイカレ・フレンチ・ギター エルドン

 雨が降らないと思っていたら、昨日夕方おどろおどろしく雷鳴が轟き強烈な雨、しかしそれも長くは続かず今日は晴れやかな天気、関東では早くもダムの貯水量が平年の7割程に減っているという。梅雨入り宣言が早過ぎたと気象庁は悔やんでいるかも。

 先週に続き今週もライブへ足を運ぶ。Richard Pinhas が来日、彼のグループ(というか初期はセッション・ミュージシャンを加えたソロ作品に近いが)Heldon は20年以上前から聴いているので、今どんな音を出しているのだろうかと興味があった。ライブでは、吉田達也(ds)、小埜涼子(as) が共演。
 先ずは、サックス・ルインズのオープニング・アクト、何度聴いても吉田さんのドラムには唸る他はない。サックスとのデュオなのだが、ドラムがメロディーを奏でるような感じで、インプロかと思うくらい(サックスとの合わせ方を見ていると作曲されているらしい)自由自在。よくもまあ、あれだけ複雑なリズムを叩き出すものだと感心しきり、ただやはりあの手の音楽は、メロディー楽器そのもののサックスよりも、ゴリゴリとした音のエレキ・ベースのほうが合っている、やはり本家のルインズの方が正解のようだ。20分5~6曲でサックス・ルインズの演奏は終了、10分ほどの休憩を挟み、いよいよ Pinhas 御大が登場。
 Richard Pinhas は1951年生まれ、今年62歳になる。髪はフサフサ、がっちりした体格だがそれほど大きくはない、あまり老けた感じもない、昔の写真とそう違いはない。哲学を学んだという経歴を知っているせいか、何か頭の良さそうな(事実頭のデカイ人ではあった)雰囲気を持っている。活動は70年代半ばから、ということで、自分もそうだが聴きに来ている客の多くが40後半~50歳台、多分高校や中学(ませたガキだ!)の頃、プログレに取り憑かれて未だそれを引き摺っているオジサン(一部オバサン)が集合しましたという感じ、前の週に行ったマタハリ!オールスターズに比べれば客の入りは悪く、30人程といったところか。
 先ずはソロで演奏が開始される。シーケンサーで背景音を作り、それに次々に新しいフレーズを加えていく、段々混沌とした雰囲気になって行く。Pinhas を聴きに行くということで、予習をしようと思い Heldon の初期3枚のアルバムを通勤時間に聴いたが、今回の演奏40年前の音とそんなに違いがないように思えた、音に対する拘りが強いのか、それとも進歩がないのか。15分ほどソロでの演奏が続き、吉田さんのドラムが加わる。このドラム、サックス・ルインズの演奏と全く異なり、強い推進力を持ったロック・ドラムそのものの演奏、吉田さんの演奏家としての凄さが判る。ドラムが加わった後、10分ほどで演奏は終了。
 続く第3部は、小埜さんも加わったトリオでの演奏、小埜さんはフルートに持ち替え、Pinhas の幻想的な音にはフルートが良く似合う、吉田さんのドラムや Pinhas のギターに張り合う堂々とした演奏。途中、アルトサックスに持ち替えるが、サックスのフリーキーな演奏はありきたりな感じで、10分ほどで再度フルートに持ち替えたのは正解、あとはずっとフルートでの演奏、トリオでは約50分ほど。アンコールは、Pinhas のソロ、10分程か、ギターを演奏する時間と同じくらい機材をいじっているように思えるほどエフェクトに気を遣っている、昔から初期 Heldon は「頭でっかち」の演奏だと思っていたが、今でも「頭でっかち」のまま、それでも充分に満足できるライブであった。

 ライブの予習のため、引っ張り出してきた初期 Heldon 作品。5作目以降のずっしりと来る傑作群に比べれば、実験的な(といっても当時はよくあった「実験」なのだが)エフェクトを掛けたギター(かどうかも判らないような音)のロング・トーンが響く、そんな音楽。

a0248963_17335516.jpg デビュー・アルバムは、1974年の Electronique Guérilla 。1968年には、有名な「パリ5月革命」が発生、フランス人はこうした革命に熱狂するらしく、この時も1,000万人がゼネストを行うなど、フランス全土を巻き込んだ大騒ぎ、若き日の Pinhas 君もさぞや若き血を滾らせたであろう。それで Guérilla などという言葉をデビュー・アルバムの題名に入れたのに違いない。
 King Crimson の Robert Fripp に影響を受けているのは有名で、Fripp のロング・トーンに似せたフレーズがあちこちに見え隠れする。Fripp は 1973年に Eno との共作で No Pussyfooting というアルバムを作成しており、Pinhas はこれに相当の影響を受けている。特に3曲目の Northernland Lady という曲の引き摺るようなウネウネとしたギターは、もろに Fripp の音。Fripp & Eno にはお金があって録音機材もよいものが使えたが、Heldon には金がなかった。従って、録音は良くないし、全体的に安っぽい感じになって、とても佳作とは呼べない。
 殆どが Pinhas のソロ演奏(オーバー・ダブは行われているが)、1曲のみドラムやベースの入ったバンド演奏となっている。Magma にも在籍したキーボード奏者 Patrick Gauthier はこの時からの付き合い。

a0248963_17341533.jpg 2作目 Allez Teia 、Georges Grunblatt (Syn, mellotron, tape) との共作、1975年。1曲目の題名が笑いを誘う、In the Wake of King Fripp、Crimson の1作目2作目の題名を混ぜたものに Fripp 閣下の名前をぶち込んだもの、ここまでオマージュ捧げるのも天晴れといったところか。3曲目の Omar Diop Blondin は、Fripp & Eno に献呈されている。不安定なメロトロンの音が当時の流行で、74年といえば Crimson 作品では Red の頃、Starless という名曲には見事にメロトロンが使われていて、このアルバムでもそれがやりたかったのかも知れない。このアルバム、よく売れたという話もあるが、本家の Fripp & Eno の傑作 Evening Star に比べれば冗長な感じ、特に12分を超える5曲目( Fluence )などは音の垂れ流し。
 ジャケット写真はどんな意味があるのだろう、走り逃げる若い男を警棒を持った警官(?)が追いかけている、多分5月革命ではよく見られた場面だったのかも。哲学を学ぶものにとって、5月革命はどう見えたのだろう。

a0248963_17343652.jpg 3作目1975年、It's always Rock'n Roll、LP2枚組の大作。ドラマーとキーボード・プレイヤーが数曲に加わるが、殆ど Pinhas のソロといってよい。題名は唯の皮肉といったところか。
 Eno が創始したアンビエント・ミュージックの典型、フワフワと雰囲気のみの音楽。特にLPの片面を占める Aurore などその典型で、ある意味お昼寝には持ってこいの音楽といえるかも知れない(時にはドラムとベースが入った Mechammment Rock といったロック的な曲もあるけれど)。1曲目の ICS Machinique からピコピコ音が前面に、コンピュータ・ミュージック候。頭でっかちの Fripp 狂いが到達した最初の高みといってよいかも知れない、やはり70年代中盤の典型的な音楽、前2作に比べればそれなりに聴けます、そんなに好きじゃないけど。Heldon のアルバムは、全てアメリカの Cuneiforn Record から復刻された。 Allez Teia は1992年、本作とデビュー作は2枚組として1993年にやっと CDとなったのである。

 暑くなってきた。まだ夜は気温が下がる分、寝苦しいということはないのだが、もう直ぐのエアコンのお世話になりそう。読書の報告は明日にでも。
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by ay0626 | 2013-06-08 15:45 | rock

復活後はホラー・テイストのBGM ユニヴェル・ゼロ (3)

 もう6月に突入、月日の流れるのが早い。5月の終わり頃には梅雨入り宣言が出て、今年は早いなぁと思っていたら、2~3日ぐずついたがその後は本格的な雨は降らず、走り梅雨だったのかと思う。旧暦でいえば未だ4月も末の4日(つまりは24日)で、そのことを知れば「五月晴れ」が今の5月の爽やかな晴れの日をいうのではなく、本来は梅雨の間に時折ある晴れた日のことを指すのが判る。湿度はそれなりにあるが、お天道さまが顔を覗かせなければ気温が耐え切れないほど上がるわけでもなく、夜も薄手の布団を被らないとちょっと寒い感じがする。直ぐ暑くなってくるのだろう、近年はクール・ビズが定着して首辺りは涼しくなったが、部屋全体は温度高め。昔ほど暑がりではなくなってきたので(エアコンの人工的な冷却が体に堪えるようになってきたのかも)これはこれで良いのだろう。

 この何日か、『逆転検事』で時間を潰し、昨日目出度くクリアした。『逆転裁判』の1~3はそれこそゲーム史上に残る傑作で自分もいい年こいて熱心にやったものだが、4はちょっとどうかの出来だった。この作品は過去作の人物を全面に出して、逃げかけたファンを連れ戻そうという意図が見え見え。ストーリーもコメディー調で一本道のため難易度も低め、特に最終話は犯人が確定した後で引っ張り捲くるものだからくどい印象のみが残った。本作は期待外れの感が否めないが、『逆転検事2』は評判がよいみたいだから、やってみようかという気にはなっている。CD のコレクションでもそうだが、シリーズものには滅法弱く、シリーズ(同一ミュージシャンと言い換えても同じ)の作品だとどんな駄作でも手を出してしまうところがある。今度発売が予定されている『逆転裁判5』も購入するとなると 3DS も手に入れなければ、やや出費が嵩む、ポケモンXYも出るしなぁ、50過ぎのオッサンのブログにしちゃあ余りに程度が低い。

 久しぶりに本屋に行った。西澤保彦さんの『いつか、ふたりは二匹』が文庫化されたのを西澤さんのホーム・ページ(といってもファンの方が運営しているのだが)の掲示板で知ったため。ついでに井沢元彦さんの『逆転の日本史』18巻と19巻も購入、積読本が大量に発生しそうな予感、『悪夢百一夜』と平行して読み進めることとしよう。

 さて、死んでいた Univers Zero が復活したのが1999年のこと。ここからのアルバムはリアル・タイムで(つまりは新譜として)聴くことになる。残念ながら、セッション・アルバム風で85年までの Zero のイメージとは若干異なっていたが。

a0248963_19223937.jpg The Hard Quest 、1999年。アメリカの Cuneiform レーベルから、85年までの全作品を CD化していたのがこのレーベル、その繋がりから新作も出せたのだろう。録音メンバーは、Michel Berckman (bassoon, oboe, English horn, melodica, p[8,9])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, melodica, vo[5])、Dirk Descheemaeker (cl, b-cl)、Igor Semenoff (vln)、Reginald Trigaux (b, vo[10], a-g[10])、他に1曲のみハーモニウム奏者が加わる。
 Berckman と Descheemaeker の2人が加わったメンバー構成は初めて。Denis がドラムよりもキーボードに力を入れているのも今までの Univers Zero とは異なる。特に Uzed 以降の Zero はロック的な推進力や力強さが前面に出ていたので、このアルバムを聴いたときは「?」が頭の中に浮かび、「ホラー・テイストのBGMみたいだ」と思った次第。音も綺麗で、クラッシク風という感じ、ロックとは最早呼べないものになっている。曲は短いものが多いが(それ故軽い感じがするところもある)、10曲目の Xenantaya は緊張感のある10分を超える素晴らしい作品、本作中の白眉。自分の持っているのは日本盤(ディスク・ユニオン)で最後の曲はボーナス。
 時代が変わったのはベースが、初代ギタリストの息子になっていること(Reginald Trigaux、Present の紹介のときに書きましたね、変態親子)。Zero のデビューからもう20年以上の時間が経過している。

a0248963_1923127.jpg Rhythmix 、2002年。録音メンバーは、Michel Berckmans (bassoon, oboe, English horn, vo)、Aurelia Boven (cello[1,5,9])、Ariane De Bievre (fl, piccolo[2])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, harmonium)、Dirk Descheemaeker (bcl[7])、Bart Maris (tp[6,10,12])、Eric Plantain (b)、Christophe Pons (a-g[1,3,5])、Bart Quartier (marimba, glockenspiel)、Louison Renault (accordion[1])。全てのセッションに加わるメンバーは少数で、殆ど Denis が曲ごとに必要な楽器を集めたという感じ。前作を受け継いでおり、ロックというよりも現代音楽、バルトークやストラビンスキーを思い浮かべる。10曲目の Emotions Galactiques(Galactical Emotions)、12曲目の The Fly-Toxmen's Land などアンサンブルにトランペットが加わり、非常に面白い出来。
 ロック色が薄くなって、特に Uzed 以降の荒々しい感じがなくなり、彼らの魅力が減じたように思う。これ以降の作品もセッション的な雰囲気の作品が多い。

 陽が随分と長くなった、暑くなるのももう直ぐ。夜は短くなるがせいぜい読書に励みましょう、積読の冊数を減らすために。
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by ay0626 | 2013-06-02 16:54 | rock

衰退期?いえ、絶頂期 ウェザー・リポート (5)

 久しぶりにライブに足を運んだ。マタハリ!オールスターズ、メンバーは梅津和時(sax.cl)、壷井彰久(vln)、佐藤芳明(acc)、鬼怒無月(g)、佐藤研二(b.vo)、佐藤正治(ds.vo)、正にオールスターズという感じ。実に楽しめた・・・かというと、そうでもない。先ず、佐藤正治さんのドラムがどうも趣味に合わない、特にシンバル・ワークが気になる(ヒカシューを見たときはそんなこと全く思わなかったのに)。また、フロントが4人もいるとどうしても各人のソロを繋げる格好となってしまい、構成が平板でだれた感じになる。そのためか、3曲目に余りソロが入らないバラード(アコーディオン奏者の曲ということだが、なかなかの佳曲)やバイオリン/アコーディオン、ホイッスル/ヴォーカルのデュオを組み合わせた曲、Cream の Politician (「政治家」か「政治屋」かで鬼怒さんとベースの佐藤さんが掛け合いをしていた、この曲のボーカルはベースの佐藤さんで、ごつい体の割には綺麗な声でしたね)を入れたり、特に第2部の冒頭、「東北」という歌詞を聴くとちょっと気恥ずかしくなるような曲を梅津さんが朗々と歌い上げる。これも一本調子にならぬための工夫なのだろうが、ちょっと全体的な印象としてはバラエティーに富むというよりちぐはぐな感じのほうが強い。何をどう聴けばいいのか(それほどのことじゃないかも知れないが)迷うような感じであった。最後も Foster の曲を持ってくるとはなぁ、若干あざといよね。
 鬼怒さんや梅津さんのソロはよく聴く機会があるので、いつも通りの印象。ちょっと驚いたのが壷井さんのバイオリン、様々なエフェクトを掛け、ギターのような音を出すかと思えば、佐藤正治さんの龍飛(青森の竜飛岬と「りゅう」の字が違うけど他の意味があるのか知らん)という曲ではいかにも「宇宙的」な音を紡ぐ感じで、変幻自在、目の前でバイオリンと確認して、ああバイオリンの音なのだと認識する、CD で音だけ聴いていたら「キーボード?」と間違えそう。壷井さんも久しぶりに見た、ポチャカイテ・マルコで見て以来だから多分7、8年振り。アコーディオン奏者佐藤さんは初めて見る、ハモンド・オルガン風になってみたり、壷井さんとのデュオは特に良かった。
 ライブ会場は久しぶりに見る大入りで、このメンバーならこのくらいは入るわなぁ、と思った次第。行きがけに本屋に寄って大坪砂男全集の第3巻を購入、文庫で600頁弱、これで1,575円也、どれだけの部数が出ているのだろう。

 読書は『悪夢百一夜』に掛かり切り。家に帰ると飯を食って、『逆転検事』を小一時間、風呂に入って寝しなに読書、これが先週1週間の毎日。『悪夢百一夜』は面白い!としかいいようがなくて、第34夜まで進む。第24夜の「俗物行進曲」、こういう人っているんだよなぁ、第27夜の「窮鼠」は身につまされる、ちょっと哀れな物語、第32夜は「紅葉狩」、艶っぽく美しい、「狩り」が文字通りの意味だと知る、そして第33夜「健康への暴走」の皮肉さ、思わずニヤリ。
 この調子だと、読了にあと3週間は掛かりそう、深木さんの『衣更月家の一族』や昨日購入した大坪砂男全集3巻など何時になったら読めるのだろうか。

 電車の中ではライブ盤ばかり良く聴く Weather Report の5回目。Weather Report を聴き直すようになってから最も見直したアルバムが Procession 。本当にいいアルバムですよねぇ。

a0248963_20391939.jpg Procession 、1983年。このアルバムで Shorter 、Zawinul 以外のメンバーを一新する。リズム隊のメンバーは、Victor Bailey (b)、Omar Hakim (ds, g, vo)、Jose Rossy (perc)。Hakim のドラムは溌剌としたパワーがあり特に好き、Live and Unreleased や Live in Cologne を聴けば Erskine なんか目じゃないのが良く判る。
 楽曲も変化に富んでいて、表題曲の徐々に盛り上がって、また遠くに消えていく感じ(Procession とは、行進とか行列の意)。次の Plaza Real はタンゴ、コンサルティーナ(小型アコーディオン)やアコーディオンが懐かしさを醸し出す Shorter 屈指の名曲、Elegant People の次に好きかも。Two Lines はパワー系の演奏、リズム隊の素晴らしさが現れた曲。Where the Moon Goes はゲストに Manhattan Transfer が加わる、ライブでは Zawinul が歌ったりしているが、やっぱりこっち方が雰囲気は随分出ている。The Well を挟んで、最後は Hakim のオリジナルで、ボーカル・ギターまで演奏してしまうという Molasses Run で締め括り。コンサルティーナ他の生楽器やコーラスを加えた色彩感の豊かさや曲自体の出来も申し分なく、何でこのアルバムがもっと評価されないのかと思う。

a0248963_20393879.jpg Domino Theory 、1984年。前作とメンバーは同じだが、若干硬派というかストレートな感じの強いアルバム。冒頭の Can It Be Done はボーカル・ナンバー(ボーカルは Carl Anderson 、演奏の殆どは Zawinul によるもの)だが、2曲目以降、あまりオーバー・ダビングを行わずに録音された曲が多いように思う。D♭ Walz は Hakim のドラムがなかなかのもの、Shorter のテナーはコーラス系(音が2重に聴こえる)のエフェクトが掛けられ若干気持ちが悪い。The Peasant はうねうねとした感じの曲、次の Shorter 作曲の Predator はスティール・ドラムのような音が聴こえる、非常にシンプルな(5人でやりました、一切他の音は入っておりません、といったような)曲。もう1曲 Shoter の曲は Swanp Cabbage 、不思議な曲、こんな曲を書くのが彼らしい。最後の表題曲は、ドラム・マシーンが基本的なリズムを刻み、Hakim はその上に様々なフレーズを乗せている。Baily のベースも独特なもので、このリズム隊の真価が発揮されている。

 先週は株式乱高下、どんなもんでしょう。通勤で見るサラリーマン諸氏はノー・ネクタイ、いわゆるクール・ビズというのが定着してきたのか。一旦ネクタイを外してしまうと、もう暑苦しくて二度と嵌めたくないと思う。しかし、ワイシャツの上に直接上着だとちょっとその筋の人みたいで、鏡に姿を映すと余り格好のいいものではない。
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by ay0626 | 2013-06-01 18:26 | jazz