日常茶飯事とCDコレクション
by ay0626
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
無駄話
jazz
rock
folk
new age
radical-trad
trad
free improvisation
latin
現代音楽
音楽-その他
dark-wave
以前の記事
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
最新の記事
大坪砂男の粋 + ハット・フ..
at 2013-08-11 15:46
ブログの内容 ちょっと変更 ..
at 2013-08-04 15:59
大人のロック、洗練された音、..
at 2013-07-27 14:49
変容するフリー アルバート・..
at 2013-07-20 14:20
ベースの可能性・無伴奏の魅力..
at 2013-07-07 21:31
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
音楽
オヤジ
画像一覧

フィンランドのデジェリドー・トラッド ヤーラルホーン

 先ほどまでやってました、ドラゴンクエスト7、何度も書いて恐縮だが、飛び抜けて面白いゲームとは思わない。それでもこれだけの時間やらせてしまうのは、やはりシナリオの良さか。面白いゲームは良く売れる、そうすれば収入が多く次回作に掛けられる費用が増える、経済的に余裕があれば開発陣ももっと面白いゲームを作ろうと張り切るから、そういう良い回転の中で名の知れたゲーム・シリーズは長く続いているのだろう。
 ポケモンも同じようなものだが、このドラゴンクエスト・シリーズも長い期間に亘って人気を保ってきた。ニンテンドー・DSでも4、5、6はやった、詳しいことは憶えていないが。ドラゴンクエスト・シリーズを初めてやったのは、多分スーパー・ファミコンの頃、今から20年近くも前のこと。子供たちが丁度小学校に上がる位の年頃、ご多分に漏れずアクション・ゲームに夢中になっていた。自分はその前から、パソコン版のウィザードリーをやってRPGにはかなり嵌り込んでいたので、アクション・ゲームばかりやっている子供たちにRPGの面白さを教えようと、中古の『ドラゴンクエスト1・2』を買ってきた訳。最初は「めんどくせー」など言っていた子供(特に次男)たちが、謎を解くごとにのめり込んでいった、やはりやり方の判るまでRPGには取っ付き難さがあるのだろう。それから何年か経って、ポケモンが登場し、子供たちはアクションとRPGの2本立てで楽しんでいる(オヤジは手が動かないので、アクションはダメだが)。

 6月も今日で最終日、月日の経つスピードは早い。今週の火曜日は半夏生、半夏という草が生える頃ということらしいが、蛸を食べる日としても有名。蛸は足が8本あって、それを稲の根に見立てて根が確りと張るように、ということらしい。また、天から毒が降ってくる日でもあって、井戸に覆いなどしたらしい、またこの日採った野菜は食ってはいけないとも、多分湿度が高くものが腐り易い時期、その戒めの意味もあったのだろう。しかし、梅雨の真っ只中の時期なのに、今年はカラッとした日が多い、今日もそれほど不快感はなかった。

 頭の悪さは、作文能力に覿面に出る、読み返すと酷い文章だ。どこかのオッサンが『ゲーム脳の恐怖』(?)というトンデモ本を書いて売れたという記憶があるが、ゲームをやりだすと他が手に付かない、ということだけはいえそうだ。

 さて、フィンランドのラディカル・トラッド・バンド、Gjallarhorn 。ラディカル・トラッドに興味を持ち出した2005年頃、Hedningarna と同時に聴き出した。Hedningarna ほどおどろおどろしくなく、演奏もアコースティク中心で、自分にとっては聴き易かった。

a0248963_2222265.jpg Ranarop、1997年。2002年には1曲追加の上、リマスターされた版が出ている(自分が持っているのはこれ)。Jenny Wilhelms(vo, vin, hardangerfiddle) が中心となるバンドで、メンバーの入れ替わりが多い。この時は、ディジェリドーが Jakob Frankenhaeuser から Tommy Mansikka-Aho に替わる時期で2人のクレジットがある、パーカッションが David Lillkvist、ビオラとマンドーラが Christopher Öhman という構成。デジェリドーとは、シロアリに中心部を喰われて空洞になったユーカリの木に空気を吹き込み低音を出すオーストラリアの原住民、アボリジニの楽器。この楽器は、循環呼吸で演奏され、音が途切れることがない(Evan Parker や Kang Tae Hwan などと同じ)。北欧のラディカル・トラッド・バンドには何故かしらよく使われる楽器であるが、専任のメンバーを抱えるのはこのバンドとオランダの Omnia くらいしか思い浮かばない。このデジェリドー、なかなか雰囲気を盛り上げるのには持ってこいの楽器で、一種の不気味さ、情念みたいなものを表しているような気がする。可愛らしい Jenny Wilhelms の声と対照となっている。
 Ranarop とは、副題にあるように Sea Witch らしいが、詳しくは判らない。

a0248963_2224121.jpg Sjofn、2000年。メンバーは前作と同様だが、ベーシストとして Sara Puljula が参加、太いいい音を聴かせている。カリンバやジューズ・ハープが聴こえ、パーカッションもアフリカ系統かと思える音を出しているのに、殆どの詞とメロディーはスエーデンやノルウェー、フィンランドの伝承曲から採られていて、フィドルの感じも丸で北欧というのもなかなか変でよい。
 4曲目などで聴かれるキンキンとした高音で歌われる羊追い歌などは独特なもの。前作よりもまとまりの点で今作の方が上。かなり重ね取りをしており、若干音を作り過ぎているような感じがないでもない。
 You Tube で彼らのプロモ・ビデオを見ると金粉で顔を彩色した Jenny さんと原始人みたいな格好をしたメンバーが出てきて、ようやるなぁ、という感じで一見の価値はある。このアルバム、一時は良く聴いた。

 ボーナスも出るまでは、まだかまだか、と思うのに出てしまうと何に使うわけでもなく、一瞬で気持ちが変わってしまうのは何故なんだろうか。
[PR]
# by ay0626 | 2013-06-30 21:53 | radical-trad

フェロー諸島って知ってる? ヴァルラヴン

 今週もライブと夜の会食があった日を除けば、3DSを弄ってばかり、ゲームってやりだすとついついやってしまうんだよなあ、と自己弁護。

 ライブは、この前書いた通り、姜泰煥と土取利行のデュオ。堪能しましたね、実に。土取さんのドラム素晴らしいの一言。土取さんの実際の演奏を見たのは、実に30年振りのこと、正確に30年かといわれると記憶も曖昧だが、そのときはソロだったと思う。
a0248963_22133932.jpg 土取さんを初めて(レコードで)聴いたのは、Billy Bang の Changing Seasons というアルバム。Bang は、String Trio of New York を聴いて以来、何枚かコレクションしていて、この Changing Seasons と全くの無伴奏ソロ Distinction Without A Difference は凄く気に入った。Changing Seasons のドラムが全く独創的で何度も繰り返し聴いたのを憶えている。ちょうど社会人になりたての頃で、会社の寮に戻って夕飯を食べ終わると直ぐにこの手の音楽を掛けていた、非常にはた迷惑な話であるが、その頃は罪悪感を感じることはなかったように思う。
a0248963_22141338.jpga0248963_22144178.jpg このアルバムで Toshi Tsuchitori という名前を覚えて、たまたま何処かの輸入盤屋で見つけたのが、Ajagara というドラム・ソロのアルバム、これにはやられました、土曜日曜になればエンドレスに掛け捲って、それも相当なボリュームで。ドラムのソロでここまで出来るのだ、と心底感動したものである。そんなとき、小さな会場でのソロ・パフォーマンスを見に行った。ドラムだけでなく各種のパーカッションに声のインプロを絡めた演奏だったように記憶している、何しろ長い年月を跨いでいるので、思い出せるのはその程度。(そういえば、パーカッション・ソロでもう一枚良く聴いたのが Jerome Cooper の The Unpredictability Of Predictability 、特にLP B面のバス・ドラムとハイハットの単純なリズムにバラフォンのインプロが乗る20分程の曲 Bert The Cat は凄かった)。この3枚、どれも CD化されてないのは残念。
 今回の演奏は、バス・ドラムとシンバル、銅鑼の使い方が印象的。バス・ドラムは遠雷のように腹に響く、シンバルは割れるのではないかしらと思うほどバシッと短く決まり、その踊るが如くのドラミングはただ口を開けて見ている他はない、特にシンバルと銅鑼をマレットで叩き続ける中、姜さんのロングトーンが突き抜けていくところなど鳥肌モノだった。
 姜さんも見るのは久しぶり、2007年以来(高橋悠治とのデュオ)。頭も白く薄くなって、ちょっと見ると漫才のオール巨人みたいな感じで、風采の上がらないことこの上ない、しかし舞台で吹き出すと70歳近い年齢とは思えない朗々とした音のボリュームと艶。この2人、相性は抜群、今まで姜さんは3度見たけれど、一番の出来ではなかったかと思う。お客も吃驚するほど沢山入っていて、若い人(といっても20歳台は少ないかなぁ)が多かったのもまた吃驚。
 最後に土取さんが「今度は唖蝉坊をやりますよ、演歌です」といっていた、唖蝉坊とは添田唖蝉坊のことで明治から大正に活躍した演歌師のことで、そんなことまでやっているんだ、と思った。

 さて、今回は Faun のアルバムにも登場したデンマークのラディカル・トラッド・バンド Valravn の紹介。Valravn とはワタリガラスのこと。北欧神話の主神オーディンの使いとしてフギン(思考)、ムニン(記憶)の2羽がいるのは、貴志祐介氏の『悪の経典』で有名になった。2枚目のアルバム、Koder På Snor が話題となって、Faun のアルバムにも参加していたので(それが、なかなか味のある歌いっぷりの女性ボーカルだったので)手を出すことにした。女性ボーカルの出身がフェロー諸島、グリーンランドと同じくデンマークの自治領、独自通貨まで持っているようだが、詳細は次回にでも。

a0248963_22154873.jpg 最初のCDは、20分ほどの録音時間の Krunk (デンマーク語で「良い」といった感じか)、2005年。メンバーは、Anna Katrin Egilstrøð (vo)、Juan Pino (perc)、 Martin Seeberg (vla, fl)、Søren Hammerlund (Mandola, Hurdy Gurdy)という典型的なラディカル・トラッドのバンド編成。この Anna Katrin Egilstrøð というお姐さん、もともと女優を目指していたということで、正式なファースト(このEP と次作はデモ的な扱いになっているのだろう)では、中ジャケットの写真ではなかなか色っぽい写真を披露している。コブシの効いた歌い方で好き嫌いは分かれるだろうが、インパクトはある。同じラディカル・トラッドの Garmarna の Emma Härdelin とは対照的な感じ。

a0248963_2216756.jpg 次が Krunk Krunk 、2007年。前作を丸ごと取り込んで、5曲を追加したもの(Krunk の最初の曲 Kom Alle Væsener (全ての存在が来る)は2分割され、最初と最後に配置)。グループ名と同じタイトルの(正式)ファーストはドイツ・アマゾンで買ったような記憶があるが(これもなかなか手に入り難かった)、このファーストの前に2枚のデモがあると知ったのは、Discog でディスコグラフィーを調べたときのこと。そして、バンドのホーム・ページを見ると「これらの作品を購入するしたい人はEメールで知らせよ」というようなことが書いてある。「Pay Pal で支払いが出来るなら、購入するので、ここに送ってくれ」とメールすると、なんと10日ほどで2枚のCD が届いたのである。向こうから来た送金先を記したメールを迷惑メールに紛れて消してしまったようで、再度メールを頼んだことを憶えている、確かメールの送信者はパーカッション担当の Juan Pino だった。CD代金と送料込みで20ユーロと、なかなか安かった(購入当時はユーロが100円程度だった)。
 音楽は、正統な(?)ラディカル・トラッドというもので、音の取り方も正規アルバムの捏ね回したようなところがなく、平板といえば平板だが、楽器ひとつひとつの音も良く聴こえ、比較的好印象。メンバーのオリジナルとスエーデン、アイスランド、デンマークのトラッドで構成され、インスト曲も数曲含まれている、メロディーも覚え易い。

 今日は朝から良く晴れて、温度は上がったが比較的湿度は低く、夜になれば風が冷たいくらい。旧暦でいえば5月21日、これが本当の「五月晴れ」といったところ。
[PR]
# by ay0626 | 2013-06-29 20:19 | radical-trad

韓国トリオ、冷静な狂気 姜泰煥 (4)

 今週もライブに出かけようかと思っている。姜泰煥と土取利行のデュオ、楽しみ。

 という訳で予習の意味もあって、姜泰煥の韓国トリオ作品を聴くことにした。韓国の大統領が交代して、北朝鮮がそれに付け入って工業団地の締め出しなど揺さぶりをかけている。今の大統領のお父さんも大統領で、民族分断国家の常で独裁体制を敷き、しかし軍事にお金をかけても経済をあれだけ発展させたのだから、大した人であったことは間違いないだろう。お父さんもお母さんも暗殺されてしまったのだから、現大統領は悲劇のヒロインといったところ。思い出すのは、ミヤンマーのアウン・サウン・スーチーやフィリピンのコラソン・アキノ、悲劇は女性に似合うということか。本人の実力以上のもの(過去からの光)を民衆は彼女たちの上に見てしまうのだろう。男性はこの点、全くの不利、英国チャールズ皇太子を見よ。

 3DSのために頭と指先がサルになってしまったので、これ以上の作文は無理。

 ということで姜泰煥の韓国トリオの作品、2枚。姜泰煥は、活動初期の頃(1978年)、パーカッションの金大煥(Kim Dae Hwan)とトランペットの崔善培(Choi Sun Bae)とトリオを組んで、最初のリーダー・アルバムにもこのトリオの演奏が収められている(興味のある方はこのブログでも紹介しておりますのでご覧ください)が、その後はソロ中心に、トン・クラミの2枚のアルバムがある程度。その意味では興味深いアルバムなのだ。
 この2枚、何れも韓国盤、Improvised Memories は多分東京のディスク・ユニオンのお茶の水店で、Isaiah は通信販売で(あまり有名なところではなかったが)購入したもの。

a0248963_21441998.jpg Improvised Memories、2002年12月録音。美妍(Miyeon, p)、 朴在千(Park Je Chun, perc)とのトリオ。美妍さんと 朴在千さんは夫婦らしい。分散音が現代音楽風なピアノと殆どシンバルを鳴らさず、低い音の多いパーカッションに姜さんのロングトーンがマッチして、非常に緊密な音を生成している。例えば、富樫雅彦と佐藤允彦とのトリオ演奏とは全く異なる印象、富樫~佐藤との演奏はやはりジャズ的な要素が多く、それに比べ本作は、民族要素(Park のパーカッション)と現代音楽要素(Miyeon のピアノ)の折衷であるといっていいのではないか、熱くならない冷静さがちょっとアブナさを感じさせる音楽。ちょっと変な言い回しになってしまって(間章風を気取った訳ではない、ただ頭の中がサル化しているだけだ)、言いたいことが上手く言えない。

a0248963_21444660.jpg 2枚目は、Isaiah 、2005年3月録音。500枚限定でリリース、自分の持っているものは206という数字が書いてある。題名はキリスト教の預言者イザヤのこと、韓国では戦後クリスチャンが増え、姜さんもクリスチャンとのこと。
 変わった装丁のCDで、厚い表紙の2面デジパック、表紙裏には、イザヤ書の6章9節から『 You will go on hearing, but learning nothing. You will go on seeing, but without getting wiser.』とのみ書かれている。どういう意味で読んだらいいんでしょうか「聞き続けよ、しかし何も学ぶな。見続けよ、しかし悟ってはならない」。インプロを聴くときの心構えを説いたもの、といえば神様のバチが当るか、当っても本当にそれが神様のバチと判るかが問題。
 50分途切れることなく続く演奏、便宜的に6パートに分けてある。各人のソロを取り混ぜて、それでもパート3の姜さんのソロはゆったりとしたリズムを刻みながら時にロングトーンを交えるところが素晴らしい出来。

 今週はちょっと色々あって忙しくなりそう。クール・ビズに馴れ切ってしまうと偶にネクタイ締めて上着着て、が嫌で嫌で、しかしそれも給料のうち。せいぜい、気温が上がらぬことを祈りましょう。
[PR]
# by ay0626 | 2013-06-23 20:40 | free improvisation

聴きやすく、それでも充実 ファウン (3)

 この前の日曜日が父の日で、次男がプレゼントに呉れたのが『3DS』、やはり3Dで見えるソフトが欲しいと買ってきたのが『ドラゴンクエスト7』。これがいけない、やり出したら止まらない、そう面白いソフトとも思えないのだがなにしろ時間があるとやってしまう。それまでやっていた『逆転検事2』も第1話が終わって、切りが付いたのでちょっとだけこっちを、と思ったのが運の尽き、ただいま18時間ほどやり捲くって、お陰で読書も全く進まず。情けないとは思うが、時間潰しには最適。潰すべき時間は山のようにある。

 株や為替が荒っぽく動く、アメリカの金融緩和が何時まで続くのかが焦点のようで、材料を探しては市場を大量の金が行き来する。なんと欲深いことか、金で買えないものなどないのだから、当然といえば当然。この頃、気に入っているコマーシャルがロト6の柳葉某と妻夫木某の出てくるアレ、「君の夢は金で買えるのか」、柳葉某のロト籤を買うときの表情が何ともいえず。買わなきゃ当らないのが宝くじだが、天文学的に低い確率に数百円を投じる趣味はなく、大金持ちになることはとうに放棄しているが、例えば3億円でも手に入れば確実に会社を辞めることになるとは思う。

 5月の20何日かに梅雨入り宣言はなされたが、その後全く雨は降らず。気温だけはぐんぐん上がって、6月半ばで既に猛暑日が発生、今年の夏は地獄の釜が空くかと思われたが、この木曜日から金曜日に纏まった雨が降り、地表も冷やされたせいか温度も随分下がった。この2~3日は気持ち良く惰眠を貪ることになる。

 下らぬ話ばかりになるのは、ゲームのせい、猿以下の知能に成り下がる。

 ということで、久しぶりに Faun。昨年の12月に新アルバムが出て、しかしこのアルバムの出来というか、方向性に大いに疑問があった。今回はそのアルバムのことについては書かないが、次のアルバムもこの方向だったら残念至極といった感じ。
 その前の充実した2枚を紹介。

a0248963_22285459.jpg Buch der Balladen (バラードの本)、2009年。表題にある通り、ジャケットは本のような形になっており、非常に凝ったものとなっている。彼らのジャケット・ワークに対する拘り振りが判ろうというもの。
 表題に Acoustic Faun とある通り、Niel Mitra はコンピュータを一切使わず、従って演奏にも関与は少ない。オリジナル・メンバーの Elisabeth Pawelke が抜け、バイオリンとハーディー・ガーディー、ボーカルを担当する Sandra Elflein が参加。この Sandra ちゃん、写真で見ると非常に可愛らしい、声も容貌通りで Pawelke 姐さんの硬い感じとは随分異なる。You Tube などの映像で見ると Sandra ちゃんはかなりぽっちゃりで小さく、これがまた可愛いのである(完全に AKB ファンの乗りですな)。彼女は本作のみの参加となってしまうのだが、残念至極である。
 前作の Totem がスタジオ・ワークとシンセで幻想的で暗めの演出を過剰に行ったのに比べ、本作は随分明るい感じがする、それは Sandra ちゃんの声の質とシンセ一切なしの作り方によるものだろう。楽器のソロもくっきり聴こえ、ボーカル部分が多いのに演奏が歌伴になってない。特にハーディー・ガーディーの音が綺麗に採れており、なかなか良い。ゲストも少なく、チェロ(Ganbe との記載あり)とニッケル・ハルパが1曲づつ、Faun の演奏能力の高さが判るアルバムでもある。
 途中、1曲のみ( Brynhildur Táttur フェロー諸島の言葉か、Google 翻訳の言語検出だとアイスランド語と出てくる) Valravn というデンマークのバンドの合唱曲(船で歌う感じが良く出ている)、Valravn はまた別に紹介したいと思う。
 本作は限定盤があり、11曲目に Brynhilds Lied という曲が入っている。この曲は単独で Amazon で電子データを買うことが出来るが、詩の朗読にあっさりとした演奏が加わるだけのもので、別にどうしても限定盤が欲しくなるようなものではない。しかしながら、録音時間が42分あまりというのは、ちょっと短すぎやしないか、演奏が充実しているだけに、もう2~3曲あってもよかったのでは。

a0248963_22291329.jpg Eden 、2011年。Sandra Elflein に替わり Rairda が参加、基本的にはボーカルのみ(1曲のみハープを演奏している)。Rairda の声は Sandra ちゃんよりも可愛くない、容姿も同じ(頭の毛がカーリー系)。
 ジャケット・アート・ワークは凄く凝っていて、歌詞冊子が別立てになっていて、見るだけの価値は十分あり(読め!といわれても残念ながら無理)。
 今回は録音時間70分を越える大作、演奏も Niel Mitra のビートやエフェクトが戻ったのに加え、 Rüdiger Maul のパーカッションもドラム風になって(シンバルはないので、ロックやポップスという感じはないが)、ビートは良く効いている、そのせいか随分と聴き易くなった。それに加えて英語詞の導入、今まで彼らは一切英語を使っていなかったが、英米進出も考えたのか。その可能性は充分あって、Rairda が抜けた後、Stella Mara の Sonja Drakulich が加入してアメリカ・ツアーまでやっている。
 聴き易くなったとはいえ、まだ比重はボーカルよりインストの方が高い、次作ではこの比重が逆転してしまう訳だが。曲も5分から7分と比較的長めの曲が多く、聴き応えは充分。Hymn To Pan など、マリンバが入り、今までとは一味違うところも見せている。ゲストもかなり入っていて、ソロも取っている。前作に比べると暗い感じがするのは、色々な地域の神話(キリスト教とは無縁な神話、何故なら彼らは自らの音楽を Pagan Folk と呼んでいるから)をモチーフとしているからなのだろう。

 今日は朝方雲が多く、また天気予報と違うのかと思ったが、段々と晴れてきた。気温も上がったに違いないのだが、湿度が低いせいか風が吹くとひやりとした感じになる。1日に何時間も3DSを弄っていれば目もチカチカしようかというもの、それでも止められないのがサルのサルたる所以。
[PR]
# by ay0626 | 2013-06-22 20:37 | trad

ものうい・・・逢魔が時の音楽 タラ・フキ (2)

 昨日とは打って変わってよい天気、気温もぐんぐん上昇、夏本番の雰囲気。昼間は暑くて敵わなかったが、日も落ちる頃になると風が爽やかで気持ちが良い。

 先週は外で夕食を取る機会が多く、必然的に帰りも遅くなるので、読書の時間も少なくなる。その少ない時間で読んだのが、深木章子さんの『衣更月家の一族』。プロローグの数ページに「衣更月家」のことは書いてあるのだが、続くのは「廣田家の殺人」「楠原家の殺人」「鷹尾家の殺人」と「衣更月家」とは関係が定かでない、独立した殺人事件が扱われる。特に「廣田家の殺人」はそれ単独でも充分に成り立つほどよく練りこまれた作品で、こんな独立した中篇が長編の一部になりうるのだろうか、と考えてしまう。「楠原家の殺人」の後半、前作の『鬼畜の家』に登場した榊原聡が登場する段で初めて何かの繋がりが見えてくるのだが、一転「鷹尾家の殺人」でまたまた混沌とした状態になる。それが最終章「衣更月家の一族」であれよあれよと繋がりが解明されて行くのだが、この章の畳みかけるような論理展開は、正に本格推理の王道を行くもので、こちらも読むことが止められなくなる、圧巻とはこういうことをいうのだろう。2013年の本格ミステリ大賞の候補作に挙げられたのも首肯できようというもの。前作を遥かに上回った出来で熟女パワー侮るべからず、といったところか、十二分に楽しめた。
 しかしながら、若干文句がない訳ではない。前作の感想でも述べたが、人間の汚いところ(ストーカー、せこい宝くじ当選金独り占め、子供のことを一切考えない親)を容赦なく描くのは良いとして、どうしてもその部分とトリッキーな構成が上手く交わっているとはいえないのではないか。読む人の感性を泡立たせておいて、社会悪を暴くかと思えばさにあらず、自分は本格ミステリ大賞候補作と知って読んでいるから、ああした結末に満足するが、社会派(もうそんなものはないか)を期待した人たちは呆然としてしまうだろう。もうちょっとマトモな人たちが出てくるミステリにしても良いのではなかろうか。【ネタバレあり】「鷹尾家の殺人」で中心人物の母親が画廊を経営していることが出てくるが、これで衣更月辰夫との関係を疑えというのもちょっと無理がありそう、母親の苗字を伏せているのも不自然といえばいえて、それが技巧といえばそれまでだが、若干釈然としない。全体に人間関係を隠しすぎのような感じも。例えば「楠原」の戸籍謄本でも取れば一発で判るようなことを視点を変えることで無理やり謎にしているような気がする。【ネタバレ終わり】

 昨日は、何となく幡 大介さんの『猫間地獄のわらべ歌』を購入してしまったし、井沢さんの『逆説の日本史』も読んでないし、『悪夢百一夜』も50夜まで進んでいない。ぼちぼちと片付けていきましょう。

 今日は Tara Fuki の2回目。アンニュイというんでしょうか(フランス語ですね、ennui と書きます)、ちょっとものうい感じで、大人の雰囲気音楽。しかし、スラブの人たちの音楽にアンニュイというのも似合わないかなあ、という感じではあります(しかし、時にはフランス語の歌詞も歌っているようで)。

a0248963_2151622.jpg Auris 、2007年。Auris とはどういう意味だろう、トヨタの車の名前なんかじゃないよなぁ。
 前作から4年振りの作品、デュオのどちらかの妊娠出産によって間があいたと、何処かに書いてあったように記憶しているが、本当かどうかは知らない。
 いつも通りしゃれたアート・ワークで、ジャケットは布に描いてあるような感じになっている、赤い線で描かれた半分だけのチェロ。3面デジパックを開けると赤一色に統一され、CD も赤一色。歌詞の冊子も赤で、歌詞の印刷されたページも赤(白で歌詞は印刷されている)、一転彼女たちの写真のページはモノクロで、その対比は見事。
 前作が、DJ を加えてアバンギャルドな感じだったのに対して、本作はジャズ・グループのメンバーやその他のゲストを加えた、落ち着いたアコーステックな音が中心、ジャズ・マンが加入しているだけにジャズっぽいところも随所に。曲によっては管楽器(バス・クラリネット(10、11曲目)、トランペット(6、11曲目))、今までの弦と打だけとは異なる質感を持つ。7曲目、8曲目は2人のみの演奏だが、若干アバンギャルド。
 聴き易さでは随一のアルバムのように思う。

a0248963_21511985.jpg Sens 、2010年。また二人のみで録音されたアルバム、重ね採りされた部分が少なく非常にシンプルで、逢魔が時の光はあるのに薄暗いような、疲れたわけではないのに何もしたくないような、そんな雰囲気(何だ!変な言い回しばかり)。例えば、1st や 2nd に見られた攻撃性、先鋭性が薄れて(やはりデビューから10年、人間誰でも歳を取る、多くの人は歳を重ねることで少しく穏健になっていく)、フォーク・ミュージックを聴いているよう。7曲目の Pragnienia (ポーランド語で「欲望」)は、インプロビゼーションとの表示があるが、静かなのにその中に若干の狂気を感じさせるスキャットが緊張感を孕む、本作中の白眉。
 今回のアート・ワークはこれも非常にシンプル、見開き2面の内側は黒と白の四角をアレンジしたデザイン、歌詞の冊子も白と黒(写真もモノクロ)、最終ページの曲名の印刷だけが黄色。CD も白一色。
 Andrea Konstankiewicz の担当する楽器に「hang」とあるが、これは金属製の打楽器で大きな鍋に半球形の蓋を被せたような形をしていて、それを手で叩いてスティール・ドラムのような音を出す、スイス人が発明したようだ。YouTube にも映像があるので興味のある方はどうぞ。Stephan Micus もアルバム On the Wing で1曲のみだが使用していた。

 今日は父の日、次男がプレゼントをくれたので、ちょっと嬉しくて晩御飯を奢ってやった。これこそ、情けは人のためならず、ということか(ちょっと違うか)、それとも蝦で鯛を釣るということか(まあまあ高価なものだったので、これもちょっと違うか)。
[PR]
# by ay0626 | 2013-06-16 20:13 | 音楽-その他