日常茶飯事とCDコレクション
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変容するフリー アルバート・アイラー (5)

 先週は、人が来て何かバタバタしていて書く気にならなかった。それをいいことにドラクエをやり捲くり、遂にラスボスを倒す、激闘87時間!いい歳こいたオヤジのすることではありませんな。

 明日は参議院選挙の投票日、なかなか入れる政党・候補を選ぶのが難しいが、折角この時代を生きているんだから、行って一票を投じてこよう、朝早く、爺さん、婆さんに混じって。

 宮崎駿氏の新作が公開されるとかで、NHKの9時のニュースまでインタビューを流していた。宮崎作品は、娘と行った『千と千尋の神隠し』くらいで、猫バスの出てくる何とかとか、カウンター・テナーが主題歌を歌う『もののけ姫』などはテレビで半睡状態で眺めたくらい。そういえば、もう1作映画館で見た覚えがあるが、題名も内容も思い出せない。思うに、宮崎作品は雰囲気だけで成り立っていて、そういう作品は何とでも解釈できる。頭の良い人が変に深読みして、作者も思っていないような「深遠なる思想」をそこから読み取ってしまうのだろう。一時はやった「世界系」といわれる漫画などもその類、エバンゲリオンは典型。たしかに『千と千尋』の画面は綺麗だし、その場面場面の構図は息を呑むほどのところも多々あったが、あのシナリオは何が言いたかったのか、冷静に見てみれば、案外場当たり的に決めていった感じがする。
 エンターテインメントにあまり理屈を捏ねても仕方がない。しかし、恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』を普通のミステリと思って読み始めて、なんじゃこりゃ!と思ったことがあった。合わぬ世界はあるもんだ、好き嫌いの世界だから仕方がないが、その最右翼が、宮崎駿と恩田陸ということなのだろう。
 宮崎氏には新作の宣伝のためか、戦争や従軍慰安婦に関する発言も話題となっていて、これも本人の雰囲気には合っている、あんな作品を作って好戦的な発言をしたら場違いだろう。まあ、彼が何を言ってくれても構わないのだが、考えの無い人たち(だからこそ宮崎作品を賞賛する)が彼の発言をマトモに受け止めて、あたかも自分の意見のように言い出す危険性はある。世の中、風潮に乗ることだけで生きている人たちの何と多いことか、それで困らないのだから仕方ないか。

 ということで、Albert Ayler の5回目。67~68年の Impulse に残されたアルバム2枚。相当に変わっていく音楽の姿、世評は高くないが Impulse の諸作はどれも好き。

a0248963_1521187.jpg In Greenwich Village が Impulse 移籍第1弾となるが、続いての作品がスタジオ録音の Love Cry、1967年8月と1968年の2月録音。初出時の8曲に後に3曲が追加された。
 録音メンバーは、Albert Ayler (ts, as(1, 10), vo(1, 9, 11))、Donald Ayler (tp(1-3, 5, 7, 9, 11))、Alan Silva (b)、Milford Graves (ds)、Call Cobbs (harpsichord(3, 4, 6, 8, 10))。歌い出す Ayler、神様だーい好き、と真面目だかふざけてだか判らぬが、ヘロヘロ歌い出している。神様登場のためのハープシコード、Cobbs じいさんもヘロヘロ弾く。ジャケット写真はアルトを吹く Ayler の写真、変容していく姿を象徴するような写真だ。67年7月に John Coltrane が亡くなり、その葬儀に Ayler は演奏を捧げている(Holy Ghost: Rare & Unissued Recordings にその演奏が収録されている)、その雰囲気は本作にも受け継がれているが、キリスト教とは無縁の自分にとっては、どう聴いても「神様を信じて」あんな演奏が出来るとは思えない訳。Anton Webern が「自分は無調音楽をナチスに判らせることが出来る」といったり「子供がコンパスと定規を使って作曲する日が来るのも、決して遠いことではない」といったりしたのと同じ意味で「フリーでも賛美歌になり得る」と Ayler が思っていたとしても、それはないことではない、と思えてしまうのである。
 旧LPのA面には、2分から3分の短い曲が6曲も並び、テーマを吹くと直ぐ終了してしまうような曲が多く、肩透かしの感は否めないが、ある意味ポップ志向になっていったのだろう、多分ファンクの影響も隠し得ないところだ。

a0248963_15214155.jpg 次が、問題作というか超ポップになってボーカルが全面に入った New Grass、1968年9月録音。メンバーは、Albert Ayler (ts, vo, whistling)、Garnett Brown (tb)、Call Cobbs (el-harpsichord, harp, organ, p)、Burt Collins (tp)、Bill Folwell (b, el-b)、Buddy Lucas (b, bs)、Rose Marie McCoy (vo)、Joe Newman (tp)、Seldon Powell (fl, ts)、Bernard "Pretty" Purdie (ds)、Soul Singers (vo)。最初に聴いたときは「へっ!これが Ayler ?」と驚いたものだ。どう聴いてもフリー・ジャズじゃない、ソウルとファンクにニュー・ロックの要素をゴタ混ぜにしたようなノリの良い音楽、Ayler のソロだけが辛うじて Ayler のアルバムであることを認識させる。間章がこのアルバムを難しい言葉で評価していたような気がするが、やっぱりここまで来ると「ちょっと間違っちゃったかなぁ」と思う。それでも、1年か2年に1回は聴いている、全く嫌いではないということか、Music Is the Healing Force of the Univers や Last Album の方がずっと好きだが。ここでも Ayler はメッセージを発している、英語で幸い、意味の判る言語で話されたら、きっと聴くのが嫌になったかも。

 全く音楽を聴かなくなった。音楽を聴くときはかなり熱心に聴いて、本やゲームを殆どしない。本を読み始めると、今度は音楽もゲームもしなくなったり、ゲームを始めればゲームばかりで・・・・。そのうち、音楽の紹介を中断、ということもありそうで。ご勘弁を。
 10月になれば悪魔のゲーム『ポケモン』の新作が出て、サル以下の存在になりそうな気が。それまではせいぜいサボらずにブログでも書きましょう。
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by ay0626 | 2013-07-20 14:20 | jazz

64年のヨーロッパ楽旅 アルバート・アイラー (4)

 近頃、いろいろなガタガタがあって、ちょっと気分の悪くなることもあったが、それは年の功、なのか感性が摩滅したせいなのか判らぬが、熱くなることもなく対応した。
 このガタガタの中で考えたのは、ヒエラルキーについて。ヒエラルキー(ドイツ語ではHierarchie、英語では hierarchyで、どちらも発音がヒエラルキーではないのが面白い)とは、階層社会、階層性のこと。先日読んだ中上健次の『千年の愉楽』の舞台「路地」は、ヒエラルキー的にいうと最下層、底辺層ということになろうが、それはここでは関係ないので割愛。今回思ったのは、ヒエラルキーの上位層は、「ヒエラルキー」という概念を意識するか、ということだ。例えば人事の仕事で、ある部署(例えばAとする)から他の部署(B)にある人物を異動させる、そのとき異動をさせる者はAとBに仕事の価値の上下関係を意識したことがない、機能的には同等と見ている。それが、異動させられる当人にとっては「格落ち」と感じる、つまりAという部署とBという部署に価値的な上下関係を意識していることがあるということだ。そして厄介なことに、異動をさせる者は往々にしてAという仕事をした期間が長いことが多い。ヒエラルキーの上位にある者は、下位の者が感じる「嫌さ」を感じることが出来ない、従ってヒエラルキーが存在すること自体を意識できなくなる。これが、植民地統治など、全く文化・風習・言語の異なる人々に暴力的収奪を行うことが中心の活動となれば、上位者・下位者とも階層性を強く意識することになるだろうし、また卑近な例を採れば会社の中に常駐する業者など明らかに階層性を感じるだろう。しかし、同じ会社の中のそうした微妙なヒエラルキーについていえば、それは下位者のみが感じることになる、それが鬱積することもある。
 具体的には書けないこともあって、判り難い言い回しになってしまったが、「未だに存在する関係性」に若干の自戒を込めてここに記す次第。

 今回は、久しぶりに Albert Ayler 。アメリカ社会のヒエラルキーの底辺であった黒人の抵抗の手段でもあった(あまりそうした考え方には組したくないが)フリー・ジャズの旗頭であった Ayler は、傑作 Spiritual Unity 録音後、ヨーロッパへの演奏旅行に出掛ける。Spiritual Unity で組んだ Sonny Murray と Gary Peacock に加えて、Ornette Coleman の片腕であったトランペット奏者 Don Cherry 、このカルテットで3枚のアルバムを残す。といっても Ayler の生前に出たのはスタジオ録音の Ghost だけであったが。

a0248963_1826121.jpg 録音順で紹介すると、先ずは The Copenhagen Tapes。1964年9月3日のコペンハーゲンのクラブ・モンマルトルでの演奏(トラック1~6)と9月10日の同じくコペンハーゲンでのデンマーク・ラジオ・スタジオでの演奏(トラック7~10)を収める、2002年に初出。クラブ・モンマルトルでの演奏は、一部が海賊盤もどきのLP でこの CD が出る前にも聴くことができた模様。
 Don Cherry というトランペット奏者、決して嫌いではないが(学生時代に Cherry の Eternal Rhythm は愛聴していたし、Live in Ankara も不思議な演奏で好きだった)、どうも Ayler には似合わないような気がして仕方がない。Cherry の持つ上手さ、装飾性(テクニックといってもよいが)と噛み合わない、Ayler もテクニックは凄かったということのようだが、残された録音を聴く限り、感性が剥き出しになっているような演奏が多いように思う、それが Cherry のやり方にあっていないような気がする訳。
 モンマルトルでのライヴ録音は、音は悪くはないのだが、一部リールが撚れているようなところがあって、若干気になるところも、しかし Cherry もまずまず熱く対応しており、Cherry 入りの演奏では上位に位置する感じか。ラジオ・スタジオの録音は、これもテープの撚れがあるが、スタジオ録音とライブ録音の中間といったところ、Peacock が根性の入ったソロを取るのが聴きもの。紹介のスピーチまで収録されていて若干鬱陶しい。

a0248963_18262272.jpg 次がスタジオ録音の Ghost 、1964年9月14日録音。デンマーク Debut での作品。この作品、Cherry と Ayler の方向性の違いと録音が細い(何と書いてよいのか判らないのでこう書いておく)のが相俟って、メンバーが豪華な割には今一歩の印象。Debut には、他に My Name Is Albert Ayler と Spirits という2枚のアルバムがあるが、この2枚よりも劣るか。
 録音曲は、Ghost 、Children 、Holy Spirit など毎度お馴染みの曲ばかり、とはいっても出だしの1分くらいのテーマ提示が済んでしまえば、直ぐにフリーな演奏に突入するのだから、曲といっても演奏のきっかけくらいといういう意味で。

a0248963_18263644.jpg 3枚目が、The Hilversum Session 、1964年11月9日、オランダ・ヒルバーサムのラジオ・スタジオでの録音。音が素晴らしく良く、スタジオ録音として充分に聴ける作品。
 曲の演奏スタイルとしては、前作と同様だが、音が生々しく採れている分、こちらに軍配が上がるか。Cherry のソロは端正な感じで、やっぱり上手いなと思う反面、感覚の違いもあるのが判る。ヨーロッパ楽旅もそろそろ終わろうかという頃、アンサンブルにも纏まりがあって、大分練れて来た感じ。この時期の Ayler の作品の中では特に好きな一枚。
 お馴染み、後ろで密やかに聴こえる唸り声、これって本当に Murray の声なんだろうか。

 ということで、何が書きたいのか益々訳の判らなくなってきた当ブログ、もうちょっと読書やライヴに行ければその感想が書けるのに、気力・行動力が落ちていく中で頭の中の抽象概念だけが肥大気味、何とも致し方のないところ。
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by ay0626 | 2013-03-09 16:45 | jazz

衝撃の1964年、スピリッチュアル・ユニティとその前夜 アルバート・アイラー (3)

 やっぱり、選挙は酷い結果だった、前回民●党に投票しにいった人が今回は棄権するか第三極と呼ばれる有象無象に票を入れ、自民党は獲得票数が変わらないのに歴史的大勝となった訳。まぁ、この3年余りの迷走に次ぐ迷走、最愚宰相が2代も続けば、その結果はこんなところとも思ってしまうのだが、しかしその果ては、『お腹痛い』と一年で政権を放り投げた首相の再登板、漫画ばかり読んで頭の中身が疑われる首相経験者が財務大臣、権力闘争に敗れ続けた元総裁まで入閣の噂、これじゃ『昔の名前で出ています』内閣。取り敢えず頑張って頂くということで、期待はしないけど、税金だけは大切に使って下さい。
 それでも、野●元首相はどんな気持ちなのだろう、ちょっとは興味がある。自爆テロだとか言ったバカな元文部科学大臣もいたのだが、ホント完全落選で良かった、あんたも首相に選んで貰った訳、批判だけでも封印するのが人の道ってもんだろう。

 年末も近くなり、ヨーロッパはクリスマス・シーズン、そのせいかチェコのレーベルに注文したCDがなかなか到着しない。12月11日付けで「発送完了」のメールが着ていたので、そろそろだとは思うが。年末は、何があるわけでもないのに、何か慌しい感じがする。この時期の3連休はあまり楽しくはない、小学校・中学校はこのまま冬休みに突入なので開放感が大きいのかもしれないが、生憎大人はそういうわけにも行かず、何かやらなきゃならないが、未だ年末準備をする時期でもない、非常に中途半端な感じ。そうしてみると、昭●天皇は良い時期にお生まれになった、あの方がいなければゴールデンウィークも今のような形にはならなかったのだから、それだけでも大したものです。

 久しぶりにジャズ、Ayler の Spiritual Unity でも。何といっても自分のジャズ歴は Weather Report と Albert Ayler から始まる。やはり、主流のジャズは面白くなかったし、今でも余り聴こうとは思わない。Miles Davis は、最近でこそ良く聴くが、ジャズを聴き始めた頃は彼の音楽は退屈で仕方がなかった、尤も今でも新クインテット以降しか聴かないので、あれが当時のジャズの主流とは思わないが。やはり、衝撃が最も大きかったのが Ayler 、Taylor もそりゃあ凄いと思ったが、サキソフォンの衝撃度はピアノの衝撃度の何倍もあったということか。

a0248963_2095956.jpg 1964年6月14日、ニューヨークの Cellar Café でのライヴが Prophecy 、Ayler の死後1975年になって発表された作品。Spiritual Unity のほぼ1か月前の録音で、Spiritual Unity の方法論は完全に確立されている。Ayler は、フリーの典型のように言われるが、例えば Coltrane や Pharaoh Sanders のように咆哮するような吹き方は少なく、ぐにゃっと曲がったような泣くような感じの演奏が多いように思う。陰に籠ったというわけではないが、外に発散するようなところは少ないように思うのだ(この時点では特に、後期に行けば、死の直前期などは随分ふっ切れた感じがあるのだが)。
 この時のメンバーは、いわずと知れた黄金のトリオ、Albert Ayler (ts)、Gary Peacock (b)、Sunny Murray (ds)。Murray のどしゃどしゃとした特徴的なドラムが印象的であると同時に、ああ Ghost はこのドラムじゃないと、といいたくなるというもの。Peacock は、今となっては Jarrett Trio の名ベーシストということなのだろうが、ちょっと違和感有り捲くり、変節のようなものを感じてしまうのは、ただ自分の Jarrett 嫌いのせいか。でも、あのグレン・グールドを真似たとしか思えないクラッシクかぶれの芸術家さんはどうしても好きになれないのです。
a0248963_20102933.jpg この Prophecy の増補盤が 1996年にドイツでリリースされた Albert Smiles With Sunny。この CD、かなり博捜したものの手に入れることが出来ず、かなり悔しい思いをしたが、後に出た10枚組アーカイヴ、Holy Ghost に増補部分が全収録されることになり、聴くことが出来るようになった。この部分は、Albert Smiles With Sunny と曲表示が異なっている模様。ちなみに、ドイツ盤は、Sweet: first variation (6:29)、Ghosts: third variation (10:20)、Truth Is Marching In (10:53)、No Head (6:44)、Sweet: second variation (9:22)となっているが、アーカイヴでは、Spirits [incomplete] (6:38)、Saints (10:32)、Ghosts [incomplete] (10:56)、The Wizard (6:51)、Children (9:05)、Spirits [theme] (0:28)となっている、いかにも曲の題名に拘りのなかった Ayler らしい感じではある。

a0248963_2011668.jpg そして、同年7月10日、傑作 Spiritual Unity 録音。ESP レーベルの名を一躍世に知らしめた作品。テナー・サックスを持ち走っているような男を描いたジャケットの素晴らしいこと。
 35年ほど前に聴いたとき、初めて思ったことは「こんな雑音、金払って聴く奴がいるんだ」。それが、数回我慢して聴くうちに「ああ、フリーって気持ちがいいんだ」に変化する。馴れというのは恐ろしいもんで、今では全然平気、むしろ、時間が経つと、Peacock のテナーへの合わせ方とか、ソロの取り方とか、Murray の唸り方とか細かい点も聴き込むようになって、それは良い音楽経験であったと思う次第。これを基にヨーロッパ・インプロから一部のノイズ・ミュージックまで聴けるようになっていく、しかしノイズ・ミュージックは余り必然性を感じられないものも多いが。
 このアルバム、何度もレーベルを変えリリースされてきた、殆ど入手不能になる時期もなかった。これほどの名盤(?)でも不思議なことがあるようで、それは3番目の収録曲 Spirit のヴァージョン。今流布しているのは6分52秒のヴァージョンだが、1964年の初リリース時は7分50秒のヴァージョンだったという。この二つのヴァージョンを初めて収録したのが、1993年に徳間ジャパン傘下のヴィーナス・レコードからリリースされたもの、自分が持っているのがこれ。例えば、Coltrane の Ascension にも2つのヴァージョンがあったように、稀には同じレコード番号でもこうした違いがあるようだ。Ascension は、この事実が明らかになって以降、幸い CD なら2つとも収められる演奏時間なので、両ヴァージョンとも収録されているようだ。しかし、Spiritual Unity に限っていえば、これ以降2つのヴァージョンを収めた盤はない、これはどういうことなのだろうか、不思議だ。
 もうひとつ、収録曲の4番目 Ghost : Second Variation の途中に入る ’ピー' という音。この音、昔の盤には入っていた、自分の持っている盤も同様。しかし、最近の盤には入っていないという。かなり気になる音なので、消せるものならもっと早く消すべきだったのではなかったか、不思議だ。
 ということで、35年間、年数回程度は聴いています。

 Ayler は、歴史に埋もれることもなくリリースされ続ける。ほんの短い人生だったが、音楽家としての名前は長く残っていく、それはそれで幸せなことなのだろう。
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by ay0626 | 2012-12-22 17:04 | jazz

デビューから Spiritual Unity までの アルバート・アイラー (2)

 先週・先々週で3冊読了。2冊は牧野修さんの「死んだ女は歩かない 2」「同 3」、そして島田裕巳氏の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」。【ネタバレあり】牧野さんの作品は、今回はツボに嵌りまくり、いつもなら魅力的キャラクターを惜しげもなく殺しまくるのに今回は●谷以外は全員生き残りのハッピーエンド、強い女の魅力爆発と言ったところ。●ン元所長も中年男の哀愁と正義感を振りまいてカッコいい。【ネタバレ終わり】島田氏に教えて貰ったのは、浄土宗と浄土真宗の違い、今までよく理解できていなかったのだが、納得のいく形で腹に落ちた。そして72ページの「草木国土悉皆成仏」という文句から日本人の無宗教について、「戒律も必要なく、さらには仏教の教えそのものさえ意味をなさない」とし「宗教そのものの存在意義を否定することにも結びついていく」との考え方には大いに共鳴した。

 昔、昔も大昔、初めて芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだとき、幼心に思ったことは「お釈迦様はなんて酷い人(?)なんだろう」。昔から捻くれていたのかもしれないが、そう思ったのである。それは、釈迦が、ずっと苦しんできた人に対し寛容の心を持てということが出来ないのを判らなかったこと(判っているけれど原理主義的な対応を取ったこと、かもしれない)、再び地獄に落ちていくカンダタに対し『悲しそうな御顔』程度の対応しかしかなかったこと、この2点。当時、ここまで整理できていたとは思わないが、今でもこういう思いに囚われたことは記憶に残っている。
 死ぬほど辛い責めにいたぶられた人が、一縷の希望を蜘蛛の糸に見出した、大勢の人が登ってくれば切れてしまうのは火を見るより明らかだ。そのときに「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」といったのは当然の理であって(唯一引っかかるとすれば『罪人ども』という言葉だけ、自分も罪人)、なにもおかしなことはない。カルネアディスの舟板みたいなものじゃないか、何がいけないんだ。カンダタは今まで以上の絶望感に打ちひしがれるはずだ、それも「慈悲の心がない言葉を吐いたから地獄に逆戻りした」などとは認識できず、やはり「馬鹿が大勢登ってきたからだ」と周りを怨む心だけ増大する。何のための釈迦の行為か、阿弥陀だったら助けたかもしれないか。
 そして『悲しそうな御顔』は完全「上から目線」。自分が悟ったからと言って、悟らずにいるものを劣った者として見るのは止めてくれ。生まれたときからスラムに住み、暴力と汚辱の中で育った者に慈悲を説いても、慈悲に接したことがなければそもそも慈悲の概念自体を認識できないと考えるのが普通ではないか。

 昔の船舶振興財団(うろ覚え、今の日本財団)のテレビ・コマーシャルで「人類は皆兄弟、お父さんお母さんを大切にしよう」と●川●一さんが優しい笑顔で言っていた。それに対するギャグ「人類が皆兄弟なら、大切にするお父さんお母さんはいません」。
 一見まともそうに見える既成概念を疑え、いろいろな見方をしろ、正義など何処にもない、すべては関係性の中にあると竜樹は説いたのではなかったか。そして草木も仏になれるのであれば、人間などなれて当然、なれないとすれば、考える者ほど仏性から遠くなる、草木の方が動物の方がより神や仏に近いことにならないか、逆説といえば逆説。

 Albert Ayler が神をどう認識していたかは判らない。少なくとも Spiritual Unity だとか、Music Is the Healing Force of the Universe とか、Holy Holy 、Saints などの楽曲の題名を見れば、神様を深く信じていたか、それとも馬鹿にし捲くってたか、のどちらかだ。自分の不気味な楽曲にそんな題名を付けたとなれば、後者の可能性も少なくはないだろう。Evan Parker はどう見たって無神論者、でなければ宗教に対して何の尊敬もない、という感じがするのだが、あの Kang Tae Hwan だってクリスチャンだからなあ。もし、Ayler が熱心なクリスチャンだったとすれば、なぜイースト・リヴァーに浮かばなくちゃならなかったんだろうか。

a0248963_16194120.jpga0248963_16201766.jpg Ayler の初めてのレコーディングは、1962年10月、あの Spiritual Unity の録音が64年の7月だから、ほんの2年弱前のことだ。スウェーデンの Bird Note というマイナー・レーベルにLP 2枚分の記録が残された。ストックホルムのアカデミー・オヴ・モダーン・アーツのホールで収録とあるが、酷い録音でベース・ドラムのレベルが低く過ぎ、サキソフォンばかりが聞こえ、そのサックスも音が突然大きくなったり、小さくなったりする。またLP からの盤起こしのためか、矢鱈とプチプチいう音が耳障りだ。
 肝心のアイラーは、というとそれほど悪くはない、案外まともな音を出しているが、2年後のブレイクを十分に感じさせる。やはり、作家の田中啓文さんのいう通り「Ayler はずっと変わらなかった」のであろうか。
 ターンテーブルに乗るかというと、やはり回数は他の作品に比べ極端に少ない、やはりこのアルバムは、記録の重要性ということで聴くよりも持っていることの意義の方が余程大きい・・・コレクター根性丸出しと言うべきか。

a0248963_16203925.jpg それから3か月弱経過した63年1月にコペンハーゲンで録音されたのが My Name Is Albert Ayler 。デンマークの Debut からのリリース。可愛らしい声での自己紹介から始まる本作は、録音はもとより共演者にも恵まれ、初期の代表作といってよい。スタンダードが中心で、その中でも Summertime は本作中の白眉。うねくり、細かなヴィブラートを掛けられたメロディーには心を揺さぶられる、残念ながら「感動」してしまうのだ。一転、最終曲の C.T. (もしかして Cecil Taylor のこと?)は、フリーらしいフリーで、やはり Spiritual Unity を生み出す人なのだ、ということが判る。
 共演者の中で驚くべきは、ベースの Niels-Henning Orsted Pedersen 。本録音時はほんの15歳。こんなへんてこな音楽に15歳の時から付き合って、人格捩れないのかなあ、などと心配するが、大物にはなっていった。

 その1年後。Ayler 、N.Y. に現れる。64年2月、Spiritual Unity の5か月前。同日に全く傾向の異なる2枚のアルバムを吹き込んでいる。どちらが先の録音かは定かではないが、一応 Albert Ayler org のディスコグラフィーに従っておこう。
a0248963_1621380.jpg と言うことで、Spirits 。大学時代に初めて Freedom 盤で聴いたときは Witches And Devils と題されていた。メンバーは、Norman Howard (trumpet)、Henry Grimes (bass [tracks 1,2,4])、Earle Henderson (bass [tracks 1,3])、Sunny Murray (drums)。Murray の不気味な唸り声がばっちり入っています。
 完全なフリーで、1曲目の Spirits こそ荒々しいフリーらしい感じではあるが、2曲目以降は、 Ayler のテナーに細かなヴィブラート入り捲くり、泣いているような、うじうじと這い回るような不気味で独特な音群が紡がれる。3曲目の Holy Holy には Ghost のメロディーがはっきりと聴こえる。いずれにせよ、Spiritual Unity の前夜の雰囲気は濃厚に漂う。

a0248963_16212337.jpg もう1枚が Going Home 。メンバーは、Tp に替わり P が入り Call Cobbs Jr. (piano)、Henry Grimes (bass [not tracks 1 & 7])、Sunny Murray (drums [not tracks 1 & 7]) というカルテット編成。Ayler の死後、1971年にリリース、94年に3曲を追加しCD化された。
 ゴスペル曲集といったところで、テーマを吹くのみ、アドリブなしの4分から5分程度の短い演奏が10曲入っている。堂々とした吹きっぷりで、聴き易いのもあって一時はよく聴いたものだ。ここでは、フリー界の巨人である Grimes にしろ Murray にしろ、奔放になれる時間を与えられないため、神妙で端正な(?)演奏を聴かせている。

 なかなか、Spiritual Unity には行かない、次に紹介するのは Love Cry 以降の作品だったりして。やっぱりへそ曲がりだよなあ、自分でもそうは思っているんですよ、いつも。
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by ay0626 | 2012-06-03 13:46 | jazz

死んで40年、新譜が出るアルバート・アイラー

 昨日、軽めの Gryphon とか言いながら、今日はお腹にずっしり来る Ayler とはどういう了見なんだ、とお叱りを受けそうだが、人間数時間眠れば気分も変わる、今この文章を綴りながらのバック・グラウンド・ミュージックは、Cecil Taylor の Air above Mountains だったりして。

 大学生の頃、一番聴いたのが Cecil Taylor でその次が Ayler だったような気がする。もっともその頃は、1日10時間以上も音楽を流していたので、Taylor や Ayler ばかり聴いていたわけじゃない。その当時、聴き始めて夢中になったから、いつも聴いていたような思い出に繋がっているのだろう。フリー・ジャズは真面目に聴いたので(本を読みながら・・・などということはせず)、一層その思いが強いのかも知れない。今じゃ、Evan Parker さえ BGM にして、本を読んだり、インターネットしたり、昼寝をしたり、慣れりゃそんなもんかもしれないがちょっと感性が麻痺してきたんじゃないかと思ったりすることもある。

 Ayler は、知り合い(前にも書いたとおり)の家で聴いたのが始まり、その時その知り合いは「うちはあんまりフリー好きと違うから、あんたら勝手に聴いとって」とかなんとかいって、別の部屋へ行ってしまった。次に聞かせろと頼んだ Coltrane の Ascension の時もそうで、知り合いにとってはどうもフリーはお勉強の内で、持っていることに意義があったらしい。
 18歳だか19歳だかの自分にとって、「こんな音楽があるのか」という衝撃は強く、Ascension の大人数の演奏には、あまり感心しなかったが、トリオで楽器の音が一音一音はっきり聴こえる Spiritual Unity には大いに感銘を受けた。ここから、フリー・ジャズ(その後のフリー・インプロヴィゼイションを含めて)狂いが始まったのである。

 Ayler の活動期間は短く、録音の数も多くないので、コレクターとしては是非とも全作品を揃えたくなってしまうところ。コンプリートの最難関であった Last Album も最善の形式ではないにしろ入手は簡単だし(Impulse の2in1で・・・でも何でカップリングが Love Cry なんだ、と誰もが思う)、10枚組の Holy Ghost を手に入れれば、公式レコーディングの隙間もちゃんと埋まる。
 Impulse の未発表曲に対する姿勢が今ひとつ明確でなかったり、Spritual Unity のヴァージョン違いが今後どう扱われるのか、など細かい部分に拘れば言いたいこともあるが、それはそれとして別稿に譲ろう。

a0248963_13454258.jpg 今回の話は、Impulse に移籍した直後の頃、アルバムでいえば Albert Ayler in Greenwich の1966年から67年に掛けての頃。
 聴き始めた当時は、Impulse 盤は殆ど出回っておらず、特に最後期の Music Is The Healing Force Of The Universe と The Last Album のLPは見たこともない。必然的に学生の頃の Ayler は、ESP の Ayler であり Impulse の Ayler ではない、ということになる。作家の田中啓文さん(「水霊」「ベルゼブブ」「異形家の食卓」・・・殆ど読まさせて頂いとります。グロ最高!!!)のディスク・レヴューには「正直、アイラーの音楽というのは、『ファースト・レコーディングス』以来ほとんどゆるぎなく変化もないわけで」というような記述もあるが、自分のような聴くだけ一辺倒な音楽好きには(表面的には)かなり変わっているように聴こえる。
 アンサンブルに弦、特にチェロやヴァイオリンを入れたり、ベースを2本にしてアルコに徹しさせたりする試み。特に For John Coltrane なんかでは、葬送曲として凄い効果を上げているように思う。そして、テーマ合奏部分が長くアンサンブルも練られ、フリー・インプロヴィゼーション部分との区分が明確になっていることなど、変化を感じる部分は多い。

a0248963_13423683.jpg Impulse の Ayler との出会いは、The Village Concerts という2枚組。大学3年の頃(記憶が曖昧)、場末の輸入盤屋で見つけたもの。当時は情報が少なく、Albert Ayler in Greenwich Village の残りテイク集ということも判らずに、「へー、こんなんあるの?何これ」とか言いながら、大手輸入盤屋では見たことがなかったため購入した(発売年でいうと1978年なので、そんなに珍しいアルバムでもなかったはず、記憶がおかしいのか?)。「大人しい」という印象が強く、それはテーマ提示のアンサンブルの美しさとフリー部分の制限によるものと思うが、当時は面白みがよく判らず、あまりターンテーブルに載ることもなかった。

a0248963_135039.jpg 正規盤たる Albert Ayler in Greenwich を聴き、Lörrach / Paris 1966 なんかも出たときに買い、この頃の Ayler って良いんだ、と思い始めたのは会社に入った80年代前半、ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションに嵌りながらも、Ayler だけは何とか聴いていた( Cecil Taylor は殆ど聴かなくなっていったのに対照的、Taylor がよりヨーロッパ勢に近い感じがしたせいかも)時期、心境の変化があったのかも。


a0248963_13471321.jpga0248963_13481331.jpg この時期の Ayler は、Albert Ayler in Greenwich と The Village Concerts に未発表録音が加わった Live In Greenwich Village - The Complete Impulse Recordings 、ESP からの Live At Slug's Saloon 、Hat Hut から出たヨーロッパ楽旅のライヴ Lörrach / Paris 1966 、Stockholm, Berlin 1966 で聴ける。昨年リリースされた Stockholm, Berlin 1966 は本当にびっくりした。Ayler 死して40年以上が経過しているのに、いまだに新譜が出るなんて・・・、稀有なミュージシャンである。

a0248963_13512960.jpg アルバムでいえば、Live In Greenwich Village と Stockholm, Berlin 1966 が音がよく、演奏にも力が入る。Live At Slug's Saloon は、編集も悪く取り散らかした印象、Lörrach / Paris 1966 は Lörrach のライヴの音が細い(モノ録音のせいではないとは思うが)感じか。


 Ayler は、今後も聞き続けるだろうな、多分 ESP 盤ではなく、初期の Debut 盤や中期以降の Impulse 盤を。ターンテーブルに乗る機会はそれほど多くはないだろうが。
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by ay0626 | 2012-01-22 09:43 | jazz