日常茶飯事とCDコレクション
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墓場からの音楽 アントゥー・アッシーズ (2)

 CD 関連の話題から。
 Makám の Approaches という作品、結局オークション・サイトでも入荷せず、酷い話で返金も受けられず(手続きが面倒で)、宙ぶらりんのまま。オークション・サイトも在庫の確認ぐらいちゃんとしろよ、といいたくなる。こうなるとアマゾンのマーケット・プレースの出ものに手を伸ばそうかと、しかし、6,970円の価格は内容に比べて如何にも高過ぎる、思案中。
 Stephan Micus と Estampie の新作を手に入れた。Micus の作品は、目新しいところはなくいつもの感じだが、70分近い収録時間は過去最高かも。Estampie の方は今までとは異なりスェーデンの民謡を取り上げ、そこにはHedningarna の作品も含まれている。詳しくは、またその時に。

 眼鏡を直してもらって何とか本が読めるようになったので、積読本2冊の小林泰三さん作品のうち『大きな森の小さな密室』を読了。小林さんの作品は最初の『玩具修理者』から読んでいて、『ΑΩ』など本当に好きで、『ネフィリム 超吸血幻想譚』も世評は低いものの、その暗さゆえ印象に残っている。本ブログでも紹介した『セピア色の凄惨』や『惨劇アルバム』もなかなか(特に連作という一定の枠があることで作者の意図が見え易いというところがあって)こちらのツボに嵌った作品集だった。ところが、本作品集、世評がまあまあの割りにどうも作品世界に入って行けない、自分にとっては面白くない。
 どうした訳だろう、とつらつら考えた。例えば『セピア色の凄惨』や『惨劇アルバム』は、小林さんの邪悪な論理が加速することで物語の異常な世界をカタストロフに導くのに対し、本作品集『大きな森の小さな密室』がミステリ作品集であることで、つまりは世界がマトモに(常識的・論理的に)存在することが前提なので、事件の起こる世界の奇矯さ(前提条件にそもそも違いがある奇矯さ)にどうも違和感を残してしまう。最初の作品「大きな森の小さな密室」、二つ目の「氷橋」などは、まだミステリの感じはある(世界自体がまだマトモ)が、三つ目以降となるとどうも通常のミステリ読みには付いていけない、イライラする部分が多過ぎる。特に「更新世の殺人」と「正直者の逆説」にはちょっと閉口した。結局のところ、自分にとってのミステリとはどんなに奇妙な現象でも、現実世界のなかで現実的な論理で決着する、その約束が守られるのが大事なんだろう、と思った次第(それでは、三津田さんの作品には現実世界とは懸け離れた現象が表出するではないか、それはどうなんだ、と言われそうだが、西澤保彦さんの初期のSF本格と同様、作品の中ではそういう現象が起こるという前提で書かれている、最初からゲームの前提条件を明らかにしている訳で、使われる論理は現実世界のもの、その点が小林さんの「ミステリ」とは明らかに異なる)。
 ただ、「自らの伝言」における江本勝や「更新世の殺人」での藤村新一に対する批判というか非難は全く同感で、少しでも考え疑えば直ぐに判るような出鱈目が、大きな話題になったり賞賛の対象になるのはどうしてなのだろう。江本勝の噴飯ものの理論(「水に意思がある」)が何で話題になるのだ、人間はそうであって欲しいことを真実にしたい、と思うもんなんだろうか、それとも単に馬鹿が多いだけのことか。「更新世の殺人」で権威者の言うことに疑問を呈さないが故に「150万年前の死体が昨日死んだ人のように新鮮」ということになるわけだが、それが最後の最後まで「不思議」として残ることに作中人物(新藤礼都)同様のイライラを感じてしまい、それが面白さよりも不快感に繋がってしまうのだ(作者の意図はそれを面白がってもらいたいのだろうと思っても無理だった、ということ)。
 もう1冊、『完全・犯罪』も半分ほど読み進めている、また読了時点で報告します。

 と、唐突に Unto Ashes 。Estampie と Stephan Micus のことを書いていて思いついたのが彼ら。しかし、Micus や Estampie よりもストイックさ(?)は少なく、現代楽器やエレクトロニクスの導入が無造作であります。

a0248963_18203084.jpg Unto Ashes は、聖公会(イギリス〈正確にはイングランド〉国教会)の祈祷書の一節から採られたもの(earth to earth; ashes to ashes, dust to dust)。葬儀の際に使用されるもので、彼らの曲が葬送曲のように聴こえるのもそうした訳か。灰の水曜日(復活祭の46日前の水曜日のこと、日本でいえば桃の節句とかと同じような感覚か)でも同じフレーズを口にし、灰で信者の額に十字を切るそうだ、全くの縁なき衆生故、実際に見たことはないのだが。
 Grave Blessings 、2005年。メンバー表記は、Micheal Laird (g, Appalacian dulcimer, cello, ds & perc, hummered dulcimer, hurdy-gurdy, p, vo)、Natalia Lincoln (vo, kbd, p)、Mariko (vo)。Mariko という人、Estampie の最新作(Secret of the North)には正式メンバーとしてクレジットがあり、ヴァイオリンとヴォーカルを担当している。ゲストとしては、チェロ、バラライカ(ロシアの撥弦楽器)、フルート、フレンチ・ホルンなどの表記がある。
 いつものことながら抑揚の少ないメロディー・ラインに女声中心のコーラスが乗っかるという音楽。暗いかというとそうでもなく、まぁほの暗いといった感じか。3曲目や4曲目、10曲目は、エレキ・ギターの音がぐっと卑近な感じを醸し出す、併せて4曲目はあからさまな打ち込みリズムで、ちょっとどうかな、違和感あり捲くり。7曲目はテープの逆回しから始まる、日本語めいた感じの歌唱(聴き取れませんが)、その題名も Three Haiku !
 そうした雑なところも狙ってやっているようなところがある。Projekt というレーベル自身の持ついかがわしさみたいなのが(Black Tape for a Blue Girl ほどじゃないにしても)そこはかとなく出ているアルバム。

a0248963_18205934.jpg Songs For A Widow 、2006年。今回もメンバー・クレジットは、Laird 、Lincoln 、Mariko の3名、Mariko は今回はヴァイオリンも担当。その他、ゲストにチェロ、ハーディー・ガーディーなど、若干前作よりもシンプルな感じ。
 最初の曲は、ハーディー・ガーディーにドラムという取り合わせの葬送曲(Funeral と題名にある)。2曲目は、ハンマード・ダルシマーに弦楽器は使っているが余り中世感はない。3曲目は、中近東めいたメロディー・ラインにダルブッカ風のパーカッション、6曲目はエレキ・ギターと大袈裟なパーカッション・・・といういつもながらの出来。こうなってくると、中世風の BGM となって、あまり真面目に聴こうとしなくなる(製作側はどういう風に思って作っているのだろう、聴くだけ野暮か)。偶に引っ張り出してきて半睡半醒の状態でぼんやり聴くのが最も正しい聴き方だったりして。

 陽も伸びてきて、会社を出る時間はまだ明るい状態、寒い日もあるが、桜の開花情報なども流れるようになった。心配していた娘の就職活動もどうやら希望のところから内定が出たようでほっとしている。もうじき新年度、新しい年度には新しい楽しい出来事が起こるといいね、もう3月も半ば過ぎ。
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by ay0626 | 2013-03-16 18:03 | dark-wave

冥い波、再び ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール (2)

 夏バテのせいか、本も読まず、音楽も熱心に聴かずの状態が続いている、おまけに会社でも家でも碌なことがない。こういう時には、部屋に閉じこもってじっとしているのが一番だろうな、と理屈を付けて昼寝ばかり。
 処暑も過ぎたのだから暑さも一服になって欲しいものだが、朝は多少凌ぎ易くはなったか、昼からの暑さは相も変わらず。会社から帰る頃になるとそれでも陽は相当に傾き、電車が最寄駅に着く頃には夕焼けも暗さを伴う、やはり季節は着実に歩みを進めている。
 そういえば、今年はウナギをまともに食っていない、稚魚が不漁とかで値段も随分上がっているものと聞く。ウナギも食えば旨いのだが、そうそう食い慣れたものでもないため、口に入らぬが寂しいといった感じもなく、食わねば食わぬで過ぎていってしまうもの。土用の丑の日の数日前に会社の食堂でも大出血価格200円也で丼が提供されたようだが、並ぶのが嫌でそばなんぞを食してしまった、ちょっと我慢して並んでおいたほうがよかったか。
 そもそも土用とは、陰陽五行説にいうところの変化の時期、季節の変わる時期、従って立春、立夏、立秋、立冬の前の18日程度を指す。正確にいうと今は「夏」の土用になる訳だ。立秋の前の節季は大暑だから、夏の一番暑い頃、スタミナ食としてウナギを食いましょう、ということのよう。一般的には、平賀源内がコマーシャル・メッセージとして発案したということだが、もともと丑の日に食わなければならぬ理由は述べられてはいない。一説に丑の日に「う」の付く食べ物を食べるとよいといった風習はあったようで、梅干とかを食べるなんていうのもあったそうだ。そういえば、食い合わせの悪いものの代表にウナギと梅干というのがあった、どうもそれは嘘であるらしい。
 思えば昔は食いたいなぁと思う食い物がいくらでもあった、しかしこの歳になると今何が食べたいと聞かれても困ってしまう、本当に心から食いたいと思うものがない、食いたいと思ううちが華なのか、食いたいものがない割には、どんなものでも食い始めると食ってしまうのが痩せない理由なのだが・・・。

 と、また本ネタとは関係のない無駄話で始まりました、ハイ。昼寝のお供に、とういことで Sam Rosental 氏率いる Black Tape for a Blue Girl の2回目。昼寝のお供は、最適が Stephan Micus で、Black Tape は途中豪くびっくりさせるような音も入っている場合あり、要注意といったところ。

a0248963_15555038.jpg 5枚目に当たるのが、This Lush Garden Within 、1993年作品。瓦礫の上に寝転がる裸のおねえさん、というジャケット・デザインは、ヌード写真満載の歌詞ブックレットの入った2009年の 10 Neurotics の先駈けともいえるか、しかしながら音楽面は今までの作品と殆ど同じ傾向といってよい。たゆたうシンセサイザー・ウェーヴの上にくっきりしたヴォーカルの載る、メロディーの追い難い音楽。
 殆ど生楽器は使っていない、若干のピアノとギターのクレジットがあるだけ。ヴォーカルは Oscar Herrera と Lucian Casselman がメインだが、Oscar Herrera の出番は相当少なくなっている。Sam 氏もがんばって数曲メイン・ヴォーカルを張っている。他に2~3人のヴォーカリストが参加しているが、そんなに強烈な印象を残す訳ではなく、曲といっても同じような感じで流れるので、54分の作品の中の1パートとも言えてしまう。

a0248963_15571094.jpg 6枚目が Remnants of a Deeper Purity 、1996年作品。2006年に10周年記念盤として、97年のEP With My Sorrows にライヴを加えた2枚目を加えて再発された。
 77分の大作で、全面的にヴァイオリン( Vicki Richards ) とチェロ( Mera Roberts ) が加わり、サウンド的にも厚みと深みが増した、傑作といってよい。ヴォーカルは前作から引き続き Oscar Herrera と Lucian Casselman だが、インストルメンタル部分がかなり多くなっている。特に4曲目、For You Will Burn Your Wings Upon the Sun は26分を超える作品で殆どがインストルメンタル。相変わらず Oscar Herrera の声は暑苦しいが、慣れればそんなもの、Sam 氏はこうした声が好きなようで、次の男声 Athan Maroulis も似たような感じ、良くも悪くも Black Tape のメイン・メイル・ヴォーカルははっきりくっきりの熱唱タイプ。
 Disk 2 に収められた With My Sorrow もなかなかの出来で、ヴァイオリンとチェロが非常に良い感じ、若干の大袈裟感は否めないが、それでも今までのシンセサイザーのみの無機的な印象にかなりの表情が出てきた感じで、次作以降のアルバムの作り方の骨格はこのアルバムにある。

a0248963_15562677.jpg 同年には、EP として33分ほどの The First Pain to Linger が出ている。この作品は Sam 氏の小説の付属品のよう(小説が付属品?)。1曲目と7曲目(この曲には題名が付いていない、湾岸戦争時の薄暗い雰囲気の中で作った、とのこと)のみが未発表曲、他の曲は色々なコンピレーションに提供した曲を寄せ集めたもののようだ。メンバーのクレジットは、Sam 氏と Oscar Herrera 、 Lucian Casselman の3名。
 この EP は、そんなに数も出ていなかったらしく、amazon のマーケット・プレースに出るとそこそこの価格が付いているものだから、Projekt (Sam 氏のレーベル、Black Tape は全てここからリリース)の通販ページでこの EP を見つけ、その上『Last Copies !!』なんて煽られるとついつい手が出てしまった。33分の内容的には大したことのない作品に$18などという大枚を叩いてしまったが、コレクターとしては当然といったところか、しかし、それから既に1年が経過しようとしているのに、未だ通販ページには本作が『Last Copies !! 』のまま販売が継続されている。

 もう夏も終わり、来週は休暇を取って北海道に遊びに行くつもり、涼しいといいなぁ。もう少し暑さを我慢、音楽を聴きながら昼寝を継続。
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by ay0626 | 2012-08-25 13:46 | dark-wave

クラブ・ミュージックと伝統音楽の融合 ニヤーズ

 梅雨も末期になって、九州では猛烈な雨が降っているようだ、水没した家々がテレビに映しだされる。自分の住んでいるのは中部地方の中くらいの都市だが、4年前には同様に豪雨の被害に遭った。「平成20年8月末豪雨」といわれるこの水害は、8月29日の夜中1時から2時に掛けて140ミリを超える記録を作った猛烈な雨によってもたらされた。海に面してもいない街で、それほどの大きさでもない川が溢れ、家の中で水死するというような悲惨な事故も起きた。また、川に流された人が海まで運ばれ、陸地から遥かに離れた島で発見されるというようなこともあったと記憶している。夜中の真っ暗ななか凄まじい雨音を聴いていると、不安感がふつふつと湧き上がってくるのは確かで、豪雨の中田んぼを見に行って死ぬ老人の話など、平常のときには『何故、馬鹿なことを』といってしまえるのだが、異常な雨音の中で何かしなくては、という焦りが出てくるのはないことではないとも思える。

 相変わらず、暇なときは携帯ゲームばかりで、気が付けば60時間以上遊んでいる。壮大ともいえる時間の無駄遣い、でも無駄でない時間の使い方なんてあるのだろうか。ヴォランティア?勉強?それも、一歩間違った時間の無駄遣いの、自己満足のための正当化、言い訳でしかないのかも知れない。何しろ楽しく時間が経過すればそれにこしたことはない訳で。
 そういえばポケモンは、イスラム世界ではハラーム(禁忌)とされているそうだ。ポケモンが成長して姿が変化することを表す「進化」という言葉が引っかかったよう。もともとイスラム教もキリスト教も同根で、世界は神様が作り、猿も鹿も人間も同時に生まれたとするのが考え方で、だからダーウィンのいう「進化」という考え方を否定する。もっともポケモンは、進化論の進化とは全く関係なく、芋虫が蛹になり蝶や蛾になる「変態」と同じだから、ゲームでも「××は、●●に変態した」と書けば問題なかったのかもしれないが、子供のするゲームにやっぱり「変態」はありえないだろう。「進化」のほうが何となく前向きな感じにもなるし。
 イスラムで直ぐ思い出すのが、最初にイスラム革命を起こしたイラン。1979年に起きたこの事件は、当初アメリカもソ連も排除した民衆運動として考えられた。しかし、やはり宗教が中心に据われば反動的になるのは必定で、イスラム以外の宗教への弾圧や女性差別は当然のように起こり、相当な数の亡命者が出たのである。過ぎたるは及ばざるが如し、といったところ、いくら不景気であろうと、宗教への悪口が平気でいえる・・・日本でよかった。

 ということで、今回は Niyaz 。亡命イラン人が中心となったユニットである。プログラマー/サウンドデザイナーの Carmen Rizzo 、ヴォーカル/サントゥールの Azam Ali 、撥弦楽器の Loga Ramin Torkian の3名、勿論パーカッションはいないのでゲスト・ミュージシャンを加えて CD は製作されている。Azam Ali は Vas ( パーカッションの Greg Ellis とのチーム)で、Loga Ramin Torkian は Axiom of Choice で活躍していたらしい。この2つのグループは殆ど聴いたことがない。もう一人の Carmen Rizzo は、クラブ・シーンではかなり有名なようで、ラディカル・トラッドの Varlavn の Re-coded というリミックス・アルバムでも1曲担当している。
 音楽はイランやトルコのものだが、音の感じというか手触りはアメリカのニューエイジの影響をもろ受け過ぎの感じで、ヨーロッパのバンドほどは聴きこんではいないのが正直なところ。

a0248963_1523876.jpg 最初のアルバムは、2005年のバンド名と同タイトル。歌詞はペルシャ語とウルドゥー語(パキスタンの国語)のようで、作曲は Ali と Torkian によるもの。メロディーと生楽器とヴォーカルは完全に中東の感じだが、音の組み立て方はアメリカそのもの。音が綺麗過ぎてしまうというか、作り過ぎの感じが否めず、BGM としてはいいにしても聴き込むほどにはならず、今一歩の感じがどうしても拭えない。エレクトロニクスの導入にしろ、もっと生楽器を生かす方向にはならないものなのか。


a0248963_1525749.jpg 2枚目が Nine Heavens 、2008年作品。2枚組で1枚が前作と同様の演奏に様々なエレクトロニクス加工をした作品、2枚目がよりアコーステックな生音を中心に据えた作品となっている。
 このバンド、殆ど管が入らないため(この作品では控えめにフルートが入るが)、乾いた感じが強くなるのに加え、ヴォーカルがどちらかといえばあっさり系統の上手いけれどアクがない、またパーカッションのリズムも一定であまり変化がない、ということでロックやジャズとの近隣性は全くなく、ハウス・ミュージック、トランス・ミュージックといった感じ。アコースティックと銘打たれた2枚目もあまりそんな感じはせず、どちらかといえば「アコースティック」程度。

a0248963_1532563.jpg 3枚目は出来立て、2012年作品の Sumud 。ますますエレクトロニクスの導入が進み、ペルシアン・エレクトロニカという感じ。ここまで徹底すればジャンルはもう関係ないのかもしれない。打ち込みのドラムにストリングス、その厚い音の塊に生音のパーカッションやサズ、ウードといった撥弦の音が聴こえてくる。ヴォーカルは、あっさり感の中にも歳から来る貫禄か、なかなか聴かせどころを心得たもの。
 今のポップスと同様、全体的に音を詰め込み過ぎ、音数を絞り込んで聞かせどころを強調すべきではないか。

 読み返せば、ちょっと辛目の意見となっているが、聴いているうちはそれなりに聴いてしまいます。やはりそれは Ali の声のお陰か。捨てた国の、それでもその国の音楽を演奏するということになれば、現代の技術を駆使することが、反動とは真反対の方向に進みたいという意思の現れ、と見るべきか、それとも「やっぱり音楽で喰っていくためには、それなりの売れ筋のものは取り込まないとね」ということなのか、それは判らないのだが。
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by ay0626 | 2012-07-14 13:05 | new age

ちょっと不気味なN.Y 中世派、アントゥー・アッシーズ

 この前テレビを見ていて、震災地の瓦礫処理を行うことにしたある市で、瓦礫が運び込まれる場所に反対派に人が並んで搬入を阻止した映像が映し出されていた。遠くの自分に影響のない不幸には涙を流し寄付もするが、不幸のちょっとした肩代わりには、自分たちの安全(それも絶対的な)があくまで中心で、『国家の安全宣言など嘘』とばかりに鬼の形相で拒む。昨年の漢字は『絆』だったはず、絆は金を与えたり、たまの物見遊山に近いヴォランティアだけで済むのだ。

 『絆』とは、良い響きを持つが、もともと動物を繋ぎとめておく綱を意味しており(例えば「騎綱」であれば馬を繋ぐ綱、「頸綱」ならば首に巻いてどこかに動けなくしておく綱)、どちらかとういと自由を奪うイメージが強い。日本のような農業中心の世界では、季節ごとに大勢で片付けなければならない仕事が多く、そのため村人が強制的に協力することが求められた。それに加え、勝手に村を離れることのないよう、江戸時代には檀家制度やそれに付随する宗門人別改帳などが整備され、言い方は悪いが相互監視がきっちり行われた訳である。戦中だって「隣組」というのがあったし、今でも市役所は町を何組かに分け「自治会」と称して、必要でもない回覧板を回すし、公共の場所の掃除などに駆り立てようとするのだ。

 そんな束縛するものは『嫌』なのだ、例えば大学生になって一人で生活するようになった時の開放感は如何ほどであったか、アルバイトでも就職して得た金でもいい、自分の労働で手にした金による買い物の楽しさはどうだったか、思い出すまでもない、自由というものには他にはない価値がある。全部自分で決めなければならないという辛さはあるにしろ。(自分で決めるという重圧に耐えられない人が走るのが「仕事」と「宗教」、やることを決めてくれ、善悪を判断してくれる。)

 これだけ人が大都会に集まる訳は?仕事にありつける可能性が高いことは大きな要因だが、端的に言えばその匿名性によるのだろう。どんなに酷い職業に就いたって、自分を知る人がいなければ、恥ずかしがることもない、自由に生きるためにはそれだって必要なこと。このごろ、都会で餓死する人も多いと報道されるが、彼らは本当に救済を望んだか、周りの人の自分中心の親切ごかしにうんざりしていたのではないだろうか。そうなれば、孤独死ではなく「孤高死」と呼ぶべきかもしれない。

 ということで、Unto Ashes 。このバンドというかプロジェクト、どのアルバムを聴いても「葬送曲集」にしか聴こえない感じで、それならば頭の無駄話に繋がるかと・・・やっぱり無理ですか、ああ、そうですか。

a0248963_1555130.jpg Unto Ashes の1stアルバム Moon Oppose Moon は1999年、Black Tape for a Blue Girl の Sam氏が主催する Projekt からのリリース。色々なところで、Dead Can Dance の影響が語られているが、かなり感じは異なる。Dead Can Dance は盛り上がるところは盛り上がり、平板な感じがなく、音も持続音が多いが、対して Unto Ashes は、平板で、歌い方も脱力系、細かいパーカッションやギター・サズーなどの分散音がまぶされている。また、中世的ということで Faun にも比較されるが、歌い方の違いや、電子楽器の使い方( Unto Ashes のが無造作に使われている)も違う。どのバンドも自分たちのスタイル・音を持っているということなんだろう。
 Unto Ashes の中心メンバーは Micheal Laird (g,vo,dulcimar)、Natalia Lincoln (kd,perc) の男女2人で、1st はこれに加え Kit Messick (vo,perc)、Melody Henry (perc,vo,dulcimar,kd)、Paul Ash (hurdy-gurdy,perc,kd)、Spider Grandmother (harp,perc)がクレジットされている。非常に平板で声の音域も非常に狭い、若干スローテンポの上リズムが単調で、繰り返すが全編葬送曲のよう。落ち着くことは落ち着くけど。

a0248963_15552956.jpg 2nd Saturn Return 2001年作。1st が中世ヨーロッパとすれば、ちょっとそこに中近東の香りが入り込んできたかな、という感じ。1st では、自作の歌詞以外だったのは2曲(13世紀と19世紀の詞)だけであったが、本作では15曲中6曲(古いのは14世紀、新しいのは20世紀 ~ これがあの大魔術師 Aleister Crowley(!) によるもの)が引用による歌詞。
 正式にメンバーとしてクレジットされているのは、Micheal、Natalia に前作から引き続き Melody Henry、加えてEricah Hagle (vo,perc)。他に多くのゲストが参加している。
 ジャケットは、なかなか良い、修道女とスフィンクスの会話といったところか。このスフィンクスは多分ギリシャ産で、何故なら人間の女の顔とおっぱいのある胸、ライオンの体、鷲の翼を持っているから、これがエジプト産だと王の顔(男)とライオンの体で翼がない。しかし、ギリシャ産でも髪の毛はあったような・・・スキン・ヘッドのスフィンクスは見たことがない。

a0248963_15555419.jpg 3rd Empty into White 2003年作。かなり躍動感が出てきた。エレキ・ギターを担当する Jeremy Bastard が入った関係か?そんなに表に出る音ではないのだが、1st の冥さみたいなものは薄らいでいる。ちなみに正式メンバーとしてクレジットされているのは、 Micheal、Natalia、Ericah Hagle に Jeremy Bastard (el.g,ac.g)。タブラの推進力にストリングスを被せた2曲目などは、もろ中近東系の音。安易にストリングスを被せると、安っぽくなっていかんのだが、それに加えて甘い声の女声も安っぽくて、聴き易いけどちょっとどうか、という印象。3曲目にもストリングス。5曲目は海のイメージか、かもめの声と波の音のSE。12曲目にも若干のストリングスと大仰なコーラス、ドラム。13曲目はピアノ・ソロ。14曲目はドラム入りのこれは Dead Can Dance といえる堂々の女声。最終18曲目は大コーラス大会。19曲目に隠しトラック、全編SEでお遊び以外の何者でもないが。と、まあ賑やかしい。
 ちょっと安っぽくなったのは否めないが、ヴォーカルの感じも伸びやかで、粗を探さなきゃ比較的良い出来なのではないか。

a0248963_15561964.jpg 同年にリリースされたのが、リミックス2曲と4曲の新録音から成り立つEP I Cover You with Blood 、約20分。ジャケットは、Empty into White の焼き直しで、どうしてこんな形にしたのだろう。ただ面倒なだけだったのかもしれないが。1曲目が Empty into White 収録曲の、2曲目が Saturn Return 収録曲のリミックス。元の曲が異形のものに変わった、などということはありませんのでご安心を。ストリングスとドラム・パーカッションの入り方で、ぐっと普通のロックに近づいております。
 路線的には、3rd そのもので、ストリングスにコーラスという甘口の作品と言ったところか。このEPから日本人の Mariko という歌手が加わっている模様。

 ということで、このバンド、6月にはニュー・アルバムがリリースされる予定。それが出た頃、後半のご紹介をしたいと考えております、出来るかな?
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by ay0626 | 2012-05-26 13:59 | dark-wave

辺境の漆黒の女性ユニット、アンバー・アサイラム

 最初にどんなきっかけでそのバンドを知るのか、昔は雑誌か、ジャズ喫茶かそんなところでしか知ることはなかった。当然、狭い範囲でしか情報は入らないので、そのバンド・ミュージシャンの近隣・同傾向の音楽ばかり聴くようになる。知識が増え、一丁前なことが言えるようになると、ますますそのジャンルに拘るようになる、当然ながら他のジャンルの音楽に興味を示さなくなる。多分、昔はそんなもんだったのだろう。
 インターネットが急速に進展し、嘘か真か判らない情報が巷に溢れかえっている現在では、ディスコグラフィーは勿論、同傾向のミュージシャンの動向まで丁寧に教えてくれるようになった。例えば、Wiki でざっと調べた後、Discog で共演者の情報を得て、Amazon でアルバム入手状況を確認するなんてことはほんの1時間もあれば出来る世の中なのだ。そして、ちょっと試して見るなら、You-Tube なんかで音が確認できるのは当然、ライヴ映像まで見ることが出来る。
 こんなことまでして、聴く音楽ジャンルの拡大をしてどうなる?といわれれば言葉も無いが、ここ数年はこんなことをして楽しんでいる。Faun の Pagan Folk という言葉から、ハンガリーの The Moon and the Nightspirit を知ったように、ハンガリー繋がりでは Besh o Drom を聴くようになったり、世界にはまだ知らない音楽がたくさんある。

 Amber Asylum は、昨日書いた Black Tape for a Blue Girl 繋がりで知った。My Space の「こんな××が好きな人は、〇〇も好き」に騙されて(好きでやっているのだが)、wiki → Discog → Amazon コースを辿った。なかなか、ヴィジュアル的にもインパクトが強く、どう見ても中年の年季の入った Goth 雰囲気を纏ったお姐さん4人(現在のメンバー)は尋常な感じではない、日本人も入っているようで、足の太さは正に大和撫子そのもの。
 次に You-Tube で見てみると、ネオ・クラシカルと言うか、暗いテンポの遅い音楽をやっている、こいつは趣味に合うかも!とCD集めに走った次第。二重丸かというとそこまでは行かず、しかし失敗した、とは思わないくらいのところでした。

a0248963_15402130.jpg このバンド、というかプロジェクト、歴史は長く、最初のアルバム Frozen in Amber が発売されたのは1996年、ざっと15年以上のキャリアを持つ。もっとも、さっきも書いた通り、バンドと言うよりプロジェクトに近いこのユニット、最初は Kris Force のソロ・プロジェクト的なところがあり、Frozen in Amber でも、最初の3曲ではチェロとキーボードが入り、アコーステックな感じを残すバンド・サウンドと言ってよいが、その後の曲は完全に Dark-Wave 、Ambient 系の音の組み立て方になっている。特に最初の曲、Volcano Suite などは、もろ Black tape for a Blue Girl のRemnants of a Deeper Purity のそっくり。ゆったりとした感じは、打楽器系統が入っていないので当然として、断然最初の3曲の方が出来は良いと言わざるを得ない、エレクトロニクス系のアンビエント・ファンの方申し訳ありません。蛇足ながら、最後の3曲は再発時のボーナス・トラック。

a0248963_15405223.jpg 2枚目は、翌1997年発表の The Natural Philosophy of Love 。なかなか判りにくいジャケットだが、蛾がデザインされている。このアルバムは、チェロの Martha Burns とヴァイオリンのAnnabel Lee が全曲に活躍、Kris Force はギター・メインとしてトライアングルを形成し、パーカッションもかなりの曲に導入されているので、バンド・サウンドとして非常に聴き易くなっている。曲も Cupid や Forinda and Foringal など耳に残る印象的なメロディーの佳曲が多く、初期の傑作と言っていいだろう。
 Kris Force の歌声も全面的にフューチャーされ、ご面相に似合わぬヘヴンリー・ヴォイスが十分に堪能できる、Goth 、Ethereal 系統のヴォーカルは、スキャットを含めこんなんじゃないといけない。

a0248963_15413579.jpg 3枚目が、1999年の Songs of Sex and Death。ジャケットは美人の土左衛門?題名、ジャケットからして、Goth 、Dark-Wave という感じですね、はい。
 前作で活躍した弦2人が抜け、これから長く在籍する Jackie Grants が加入する。彼女は、エレキ・チェロを担いで Grayceon や Giant Squid などのメタル、ポスト・メタル系のバンドにも在籍し(CD持ってないので詳細不明、You-Tube ではちらっと見た程度)、サンフランシスコあたりではかなり有名人のようだ。画像検索してみると腕に刺青の入った、ごっついガタイのお姐さん、ちょっとした迫力です。
 サウンドとしては、全作のバンドとして纏まった感じが薄れ、プロジェクト的な側面が強くなっている。しかし、Jackie のチェロの迫力は特筆物で、これが全ての Goth 要素を代弁している感じ。最終曲の Devotin Reprise は、もろエレクトロニクス系の Ambient で十数分もあるため、若干聴くのが辛い。

a0248963_1542242.jpg 4枚目は、2000年の The Supernatural Parlour Collection 。Goth に似合わぬ風景ジャケット、裏面の木は不気味だが。
 ドラムやベース、オーボエなどの新メンバーが加わり、バンド・サウンドが戻ってきた。特にドラムの加入がその感を強くしている。最初の Black Lodge などは、ミニマルといっていいほど、同じようなメロディーが同じテンポで繰り返される、チェロやギターが絡んでくる辺りからなかなか強迫的な感じになってよい。また最終曲は、イギリスの Black Sabbath の同名曲で、Goth の祖先返りといったところか。全体的には纏まりがあって、好きなアルバムだ。

 ということで、前半の紹介終了。この後、4年程度の充電期間を経て、05年にミニ・アルバムを発表することになるのだが、それは別の機会に。
 ゲテモノ・バンドではあるかも知れないけど、聴けば聴くほど好きになっていくバンドであることは確か。勇気を出して、新しい音楽に挑戦しよう(と力んでどうする、自分の趣味は自分だけで)。
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by ay0626 | 2012-03-11 14:08 | dark-wave

冥い波、ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール

 1980年代というのは、奇妙に落ち着いた10年だった。例えば60年代末から70年年代は、ヒッピー・ドラッグ・サイケから難し系のプログレ、世の中の不景気に対応するパンクを経て、聴き易いフュージョン・ポップの流れと音楽の傾向を見るだけでも忙しい時代であった。それが一転、80年代になると(最末期のバブルの頃になるとちょっとは違ってくるが)、聴きやすさ満載のアイドル全盛の時代になってしまう。
 政治の世界を見ても、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根など、80年代を殆どこの3人が新自由主義の名のもと、安定的に政権を維持し、ソヴィエト連邦を「悪の帝国」などと非難していた。まだ、中産階級という言葉が残り、「一億総中流」とか言われていたのもこのころだ。一方、ソ連は、アンドロポフ・チェルネンコといった老いぼれ書記長が何の手も打てずに病気になり、あるいは死に、崩壊の前兆は今見れば明らかとしか言いようも無い。
 多分、新自由主義に工学の確率論的な知識が金融に適用された金融派生商品(いわゆるデリヴァティヴというやつ)が引っ付くと、儲けた者勝ちの世界が生まれるのだろう。オプションだのスワップだの、80年代半ばから盛んに言われだした。この後、90年代に入ると日本はバブルの後遺症で「失われた10年」が始まり、ヨーロッパやアメリカでも、富裕層と貧困層の分化が激しくなる。もともと、この頃は儲けた奴が経済を引っ張り、景気がよくなれば雇用も増え、社会全体が良くなると思われていた、そのため富裕層の減税がなされた。ところがどうだ、雇用など増えるわけも無く(一般庶民に金融工学の知識などある訳が無い)、一部の富裕層はやたらと金を持つ一方、そうでない人たちは、将来不安のために財布の紐を硬く締める、景気が良くなるわけも無い。ということで、80年代があって、現在に至る訳。

 しかし、妙に明るくふわふわとした80年代は、自分が社会人になった年代と言うこともあって、そんなに悪い印象はない、どころか良い印象なのだ。前にも書いたが、その頃の会社など、皆夜遅くまで働いてはいたが、そうしなければ仕事が片付かなかった訳ではなく、何となく居ちゃった訳、OLなども完全腰掛状態だったので、決められたことを決められたようにやっていれば、それで良かった。従ってメンタル障害などになりようもなく、職場は奇妙な明るさに包まれていた。そんな10年が社会人スタートの10年だったのは喜ぶべきか、悲しむべきか、少なくとも就職にこんなに大学生があくせくしなければならない今より、ずっと良かったと思うべきだろう。

 この80年代中葉、イギリスでは4ADの Cocteau Twins だとか Dead Can Dance など、Goth や Ethereal 系の始祖みたいなバンドが登場し、それに呼応するかのように86年には、ここで取り上げる Black Tape for a Blue Girl が Sam Rosenthal によって組織される。時代の変な安定感を象徴するかのような、ふわふわとした浮遊感や(Dead Can Dance に特に強く感じられる)フェイク感満載の音楽といっては失礼に当たるか(感想を述べる者は、どんな感想を述べたっていいとは思っているが)。

a0248963_1516659.jpg 1986年の第1作が The Rope。25周年記念なのか、昨年目出度くトリビュート盤1枚を付けた2枚組として再発売された。Black tape for a Blue Girl (あんまりに長い名称なので以下、Black Tape と略す)は、Sam Rosenthal のプロジェクトとして組織されたもので、曲毎にメンバーが入れ替わる。変わらないのは、Rosenthal のエレクトロニクス操作で、波のように強弱を付けた電子音がずっと曲の背景に流れ、その上にヴォーカルやアコーステック楽器の音が乗る。ヴォーカルに何らかのエフェクトが掛けられることはないが、楽器にはそれなりに操作が加わっている模様。
 お前は、電子音嫌いだったんじゃないか、と言われれば、その通り、と答えるしかないが、ここでの電子音の使用は、通奏低音のように雰囲気を作り出すためだけに使われるケースが多く、潔いと言えば潔い使い方であると言える。
 wiki を見ると、Black Tape の活動を主たるヴォーカリストに合わせ3期に分けている。1作目から7作目が Oscar Herrera era に当たる。この期間、86年から99年に掛けて、ちょっと何でも長すぎるやろ・・・とは思うのだが。
 このアルバムには、パーカッションがかなり入っており、2作目以降より躍動感には富むが、Dark-Wave として見ると、抑揚は抑えて、という感じか。しかし、Oscar Herrera の声が美声系の朗々とした歌唱なので、全体雰囲気からすると、これ自体違和感あり、とも言える。聴いているときは、そんなもんかな、と言った感じで聞き流している。

a0248963_15195984.jpg 2作目が1987年の Mesmerized by Sirens。Sam は文学にも造詣が深いようで、ジャケット・ブックなどにいろいろな文章が引用されて、それがもしかすると音楽の深さに影響するように出来ているのかもしれないが、こっちは英語を苦労して読む耐性もないので、そこの部分は捨象して。
 本アルバム以降、数作に亘ってギターとヴォーカルの Sue Kenny-Smith が正規メンバーとしてクレジットされる。このお姐さんのヴォーカルも、Oscar 同様、はっきりくっきりの声質で、後ろのアンビエントなエレクトロニクス音とは若干の違和感がある。もっとも、Sam 氏はそれを狙って布陣を組んだのかも。

a0248963_15181740.jpga0248963_1518399.jpg 3作目、1989年 Ashes in the Brittle Air。4作目、1991年 A Chaos of Desire。ここら辺まで来ると、もう落ち着き具合やサウンド構築の面では、ほぼ確立されてしまい、何を聞いても同じという状態。それでも、何とか聴かせてしまうのは、効果的に使われる生楽器の音色。特にクラリネットは効果的で、非常に気持ち良く聴ける。エレクトロニクスと生楽器の組み合わせは、作品毎に進化している。
 これもヴォーカルの感じを別とすれば、昼寝にはもってこいの音楽。世の中では、耽美的とか暗いとか言われるが、自分にとってはアメリカ的な明るさを感じる部分もあり、そんなに畏まって聴くような音楽じゃない、むしろ喫茶店でBGMとして掛かっていてもおかしくはないと思う。まあ、アルバム名は、「海の精に魅了されて」、「壊れやすい空気の中の灰」、「欲望の混沌」だから耽美と言えば耽美なのだが。

 この音楽プロジェクトを聴くようになって、4ADの Dead Can Dance 、Cocteau Twins などに手を伸ばすと同時に、Unto Ashes や Amber Asylum といった辺境にまで足を踏み出すことになった次第。そういう意味じゃ、50過ぎて Cocteau Twins なんで聴き始めるバカなんてそうそう居ないかも、いいじゃない、新しい音楽に興味を持つことに年齢は関係ないだろう。
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by ay0626 | 2012-03-10 10:18 | dark-wave

やっと着きましたニューアルバム、テンヒ。(2)

 前回の続き。今年は寒くて、年末から年始に掛けてひどい風邪を引いてしまい、(ブログを始めたのを別として)碌なことがなかった。寒さからフィンランドを連想して、もっと寒い音楽ということで Tenhi となったのかも知れない(無茶な三題話だ)。

a0248963_1445714.jpg ということで、Tenhi の Folk Aesthetic 1996-2006。バンドの10周年を記念して、それまでにデモやEPとして発表された作品を纏め、お蔵入りになっていた録音を引っ張り出し、新しいアルバムを付けたゴーカ3枚組(ファンには、1枚目は手に入りにくい音源ばっかりで感涙ものだろうが、一般客にとっては3枚目だけ単独で・・・3枚組だと手が出し難い、というわけで「豪華」ではなく「ゴーカ」と表記した次第)。
 ジャケットは、黒の下地に薄いピンクの髑髏が描かれ、その上に赤い花が咲いている。シュールでいわく言い難い印象を残す。Tenhi のアルバム全部がなかなかの芸術性を感じさせるジャケットで、それが本作を経て、次作 Saivo で満開状態になる。
 さて、1枚目。Kertomuksia(97)、Hallavedet(98)、Airut:ciwi(00)の3作を纏めたもの。サウンド的には、最初から Tenhi は Tenhi の音を出していたということか。Airut:ciwi は04年の Airut:aamujen の第1部に相当するのだろう、最初の曲こそ打楽器連打で驚かせてくれるが、2曲目は Airut:aamujen で再演される曲、3曲目はまた打楽器がリズムを刻む上にお経ヴォイスが乗る。
 2枚目は、別テイク・アウトトラック集。1998年から2005年の録音。録音や演奏に瑕疵があるわけではないので、純粋に時間の問題とか他曲とのフィット感の問題だろうと思う。
 3枚目は、Kaski という新アルバム。しかし、録音年代でいえば、最初のピアノ曲は1995年、次のよく聴くメロディーは1998年とかなり古い。他は2004年から2005年録音が中心。いつもの Tenhi サウンドだが、荒々しい感じも含んで、Hedningarna や Garmarna に近い呪術的な様相を見せることも。
 3枚、3時間。ずっと聴くのはしんどいけど、楽しませて頂きました。

a0248963_14452649.jpg さて、やっと聴きました最新作 Saivo。
 ホームページでだらだらと報告があって、それでもまだでないの・・・という感じだった Saivo は、やっと6月に「完成しました」の短い報告があって以来、また長い沈黙期間に突入。やっと、11月になって Prophecy Records に予約の案内が出た。3種類くらいのヴァージョンがあって、1,000円程度の違いなら、DVD付の豪華版にしようと勇躍予約を入れ、Pay Pal で送金。当初のリリース日が11月25日で、それが延びて12月2日に。普通1週間くらいで来るものが、なかなか来ない。20日を過ぎたので E メールで Prophecy Records に問い合わせたら、「2日に出荷したので、もうちょっと我慢してね」。その3日後、立派に包装されたブツが我が家に到着したのであった。
 確かにCDやDVDのジャケットとしては、28cm×28cmは大きすぎる、LPサイズより若干小さいくらいの感じ(収納困るなあ)。船に乗り込んだ男たちが海面(湖面?)に映った見事なイラストに艶出しの黒で Saivo と浮き出したデザインは素晴らしいの一言。イラストから見ても神話(フィンランド神話は、ケルトや北欧神話とは異なるらしい、詳しいことは調べてもあまり出てこないので、よく分からない)をモチーフのしたと思われる。この見事なイラスト、メンバーの Tyko Saarikko が描いているようで、才能というのは、音楽と絵画のように違う分野でも発揮されるものだな、と強く感じた。
 内容は、というと、これが素晴らしいの一言。カンテレかと思うような弦楽器に導かれる1曲目から「引きの魅力」満載で、冥く重い世界に一気に引きずり込んでくれる。クレジットを見ると、今回の録音にはヴァイオリン奏者は加わらず、ヴィオラ、チェロ、コントラバスと低音域の編成になっている。また、打楽器の使い方も、今までのドラムだけでなく、低い音のティンパニー(言い方が変だが)のような、要はマレットで叩く音が効果的に使われる。全体的に低音が充実しており、録音も強弱のメリハリが意識され、迫力ということでは申し分ない。今までの霞の掛かったような感じは、若干は薄れているものの、リバーヴ掛け捲ったところとの対比も面白い。70分堪能いたしました。

 ということで、入手までは若干イライラしましたが、あとはノープロブレム、楽しませていただいております。そういえば、同時期にアマゾン・アメリカのマーケットプレースで注文したブツが、まだ届かないな、来週くらいにもう一回メールを入れてみようかな(英語でE メール書くのって面倒なんだよなあ・・・ブツブツ)。
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by ay0626 | 2012-01-09 11:51 | folk

やっと着きましたニューアルバム、テンヒ。(1)

 聴く音楽のジャンルを広げようと努力はしてるつもりだが、やっぱり行き着く先は暗く陰鬱なものになってしまうのは、持って生まれた性癖のせいでしょうか。とはいえ、友人から暗い奴だといわれたことは一度もありませんが(理屈っぽい奴とはよくいわれるが)。

 フィンランドのバンドは、この数年よく聴いていて、今回の Tenhi の他にも Gjarllarhorn や Alamaailman Vasarat, Suden Aika は正規盤のほとんどをコレクションしている。強烈な個性を持つバンドが多く、いったん嵌ると1週間くらいそのバンドばっかり聴いているということも少なくない。この国のバンドのCDは手に入り難いものも多く、Gjarllarhorn は、なかなか苦労した。
 フィンランドは北欧の国だが、純粋にヨーロッパかというとそうでもない。言語は、ゲルマン系でもラテン系でもスラヴ系でもないフィン-ウゴル語属で、母音の発音がはっきりしていて日本語に似た感じがする。歴史的にもスエーデンやロシアに苛められてきた時期が長い。この人口550万人程度の小国(失礼)にこれだけヴァラエティーに富んだ音楽文化が花開いているのは驚きである。

 Tenhi というのは、村の長老という意味らしい。だからどうした!という感じがしないでもないが。1996年に出来たバンドのようで、中核の Tyko Saarikko が Ilkka Salminen と結成し(情けなくも中核のミュージシャンの名前もまともに読めない。ネットで検索しても名前をカタカナ表示したサイトもない)、Ilmari Issakainen が加入して、その後 Salminen が抜け、現在に至る。素っ気ないが、Wiki 見てもそんなところしか情報がないし、細かいことまで知ったところで、音楽を聴くことに影響はしないから・・・と負け惜しみを言いながら紹介はここまで。

a0248963_1521682.jpg ずばり、Tenhi の魅力は、フィンランド語歌詞による、男の暗鬱な低音での「お経」「つぶやき・・・ぶつぶつ」ヴォーカルと音数を抑えてヴァイオリン、チェロ、フルートを浮かび上がらせる全体に霞の掛かったような音響処理にある。
 最初のアルバム Kauan は、1999年の発表。このアルバムの前にも数枚のデモやEPの発表はあって、後にFolk Aesthetic 1996-2006 に纏められることになる。Kauan は、ヴォーカル部分が少なめで、リズムもはっきりしていて、聴き易い。その分、アクみたいなのは少なめなので、例えばMaaäet や今回久しぶりに出た新譜の Saivo の強烈な「引きの魅力」は何十分の一しかない。このアルバムを最初に聞いていたら、ここまでは嵌らなかったと思う。

a0248963_1532428.jpg 次の Väre は、2002年の発表。頭のドッワーン!と鳴らしたドラムの一撃からリバーヴを掛け捲ったフルート、ピアノの後にお経ヴォーカル出現!となれば、Tenhi の魅力満開で、ずるずるとその底なしの音世界に嵌りこんで行く。フィンランド語の母音をはっきりと発音する(子音のみの発音がない?)ところが、歌い方自体に加え「お経」に近い印象を与えるのではないだろうか。個性がはっきり表出して来たアルバム。

a0248963_1543365.jpg 2004年の Airut:aamujen は、ちょっと変わった経緯で Tenhi のアルバムに加えられた。最初は、違うバンド名で、盤元も違っていたという。Wiki によると Airut-saga の第2部ということだが(確かに2000年にMini-CDとして Airut:ciwi というのが出ているから第2部というのは頷ける)、そもそも Airut を Wiki で引いても、多分フィンランド語のページがあるだけで、読むことはかなわない。
 アルバムの中身も、今までとは相当に趣きを異にしている。ピアノをメインとし、それにあっさりとしたドラム、ベース。ヴォーカルのパートも非常に大きく、そこに女声のバッキング・ヴォーカルが常に寄り添う。静謐でアンビエント、最初聴いたときのインパクトのなさに比べ、後で効いてくる魅力。これは Tenhi の本来の姿ではないが、他のを聴いてこれだけ聴いてないとすれば、それははっきり言って・・・損。

a0248963_1513218.jpg 2006年、Maaäet 。おなじみ Tenhi 振りが一層の深化を遂げる。最初の曲では、浮遊感のあるメロディーをヴァイオリンが歌うが、同じようなメロディー・ラインが他のアルバムでも聴かれるところから、フィンランドの民謡からでも持ってきているんだろうか、と思う。実際、彼らのホームページを見ると「自分たちは、フィンランドのフォークソングに根ざしている」といったようなことが書かれている。
 ジャケットの不気味な絵(?)は、よく見ると蛇の抜け殻。蛇は、抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるといった俗信とか、精力剤として重宝されるなど、嫌悪の対象でもあるのに、反面尊敬というわけではないけれどプラスのイメージもある不思議な存在。そういえば、アダムちゃん、イヴちゃん唆したのも蛇だったな。

 ということで、題名の事象までは至りませんでした・・・。3枚組大作 Folk Aesthetic 1996-2006 と焦らされ捲くった Saivo は、次回ということで。
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by ay0626 | 2012-01-08 14:59 | folk