日常茶飯事とCDコレクション
by ay0626
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
無駄話
jazz
rock
folk
new age
radical-trad
trad
free improvisation
latin
現代音楽
音楽-その他
dark-wave
以前の記事
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
最新の記事
大坪砂男の粋 + ハット・フ..
at 2013-08-11 15:46
ブログの内容 ちょっと変更 ..
at 2013-08-04 15:59
大人のロック、洗練された音、..
at 2013-07-27 14:49
変容するフリー アルバート・..
at 2013-07-20 14:20
ベースの可能性・無伴奏の魅力..
at 2013-07-07 21:31
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
音楽
オヤジ
画像一覧

タグ:czech ( 9 ) タグの人気記事

ものうい・・・逢魔が時の音楽 タラ・フキ (2)

 昨日とは打って変わってよい天気、気温もぐんぐん上昇、夏本番の雰囲気。昼間は暑くて敵わなかったが、日も落ちる頃になると風が爽やかで気持ちが良い。

 先週は外で夕食を取る機会が多く、必然的に帰りも遅くなるので、読書の時間も少なくなる。その少ない時間で読んだのが、深木章子さんの『衣更月家の一族』。プロローグの数ページに「衣更月家」のことは書いてあるのだが、続くのは「廣田家の殺人」「楠原家の殺人」「鷹尾家の殺人」と「衣更月家」とは関係が定かでない、独立した殺人事件が扱われる。特に「廣田家の殺人」はそれ単独でも充分に成り立つほどよく練りこまれた作品で、こんな独立した中篇が長編の一部になりうるのだろうか、と考えてしまう。「楠原家の殺人」の後半、前作の『鬼畜の家』に登場した榊原聡が登場する段で初めて何かの繋がりが見えてくるのだが、一転「鷹尾家の殺人」でまたまた混沌とした状態になる。それが最終章「衣更月家の一族」であれよあれよと繋がりが解明されて行くのだが、この章の畳みかけるような論理展開は、正に本格推理の王道を行くもので、こちらも読むことが止められなくなる、圧巻とはこういうことをいうのだろう。2013年の本格ミステリ大賞の候補作に挙げられたのも首肯できようというもの。前作を遥かに上回った出来で熟女パワー侮るべからず、といったところか、十二分に楽しめた。
 しかしながら、若干文句がない訳ではない。前作の感想でも述べたが、人間の汚いところ(ストーカー、せこい宝くじ当選金独り占め、子供のことを一切考えない親)を容赦なく描くのは良いとして、どうしてもその部分とトリッキーな構成が上手く交わっているとはいえないのではないか。読む人の感性を泡立たせておいて、社会悪を暴くかと思えばさにあらず、自分は本格ミステリ大賞候補作と知って読んでいるから、ああした結末に満足するが、社会派(もうそんなものはないか)を期待した人たちは呆然としてしまうだろう。もうちょっとマトモな人たちが出てくるミステリにしても良いのではなかろうか。【ネタバレあり】「鷹尾家の殺人」で中心人物の母親が画廊を経営していることが出てくるが、これで衣更月辰夫との関係を疑えというのもちょっと無理がありそう、母親の苗字を伏せているのも不自然といえばいえて、それが技巧といえばそれまでだが、若干釈然としない。全体に人間関係を隠しすぎのような感じも。例えば「楠原」の戸籍謄本でも取れば一発で判るようなことを視点を変えることで無理やり謎にしているような気がする。【ネタバレ終わり】

 昨日は、何となく幡 大介さんの『猫間地獄のわらべ歌』を購入してしまったし、井沢さんの『逆説の日本史』も読んでないし、『悪夢百一夜』も50夜まで進んでいない。ぼちぼちと片付けていきましょう。

 今日は Tara Fuki の2回目。アンニュイというんでしょうか(フランス語ですね、ennui と書きます)、ちょっとものうい感じで、大人の雰囲気音楽。しかし、スラブの人たちの音楽にアンニュイというのも似合わないかなあ、という感じではあります(しかし、時にはフランス語の歌詞も歌っているようで)。

a0248963_2151622.jpg Auris 、2007年。Auris とはどういう意味だろう、トヨタの車の名前なんかじゃないよなぁ。
 前作から4年振りの作品、デュオのどちらかの妊娠出産によって間があいたと、何処かに書いてあったように記憶しているが、本当かどうかは知らない。
 いつも通りしゃれたアート・ワークで、ジャケットは布に描いてあるような感じになっている、赤い線で描かれた半分だけのチェロ。3面デジパックを開けると赤一色に統一され、CD も赤一色。歌詞の冊子も赤で、歌詞の印刷されたページも赤(白で歌詞は印刷されている)、一転彼女たちの写真のページはモノクロで、その対比は見事。
 前作が、DJ を加えてアバンギャルドな感じだったのに対して、本作はジャズ・グループのメンバーやその他のゲストを加えた、落ち着いたアコーステックな音が中心、ジャズ・マンが加入しているだけにジャズっぽいところも随所に。曲によっては管楽器(バス・クラリネット(10、11曲目)、トランペット(6、11曲目))、今までの弦と打だけとは異なる質感を持つ。7曲目、8曲目は2人のみの演奏だが、若干アバンギャルド。
 聴き易さでは随一のアルバムのように思う。

a0248963_21511985.jpg Sens 、2010年。また二人のみで録音されたアルバム、重ね採りされた部分が少なく非常にシンプルで、逢魔が時の光はあるのに薄暗いような、疲れたわけではないのに何もしたくないような、そんな雰囲気(何だ!変な言い回しばかり)。例えば、1st や 2nd に見られた攻撃性、先鋭性が薄れて(やはりデビューから10年、人間誰でも歳を取る、多くの人は歳を重ねることで少しく穏健になっていく)、フォーク・ミュージックを聴いているよう。7曲目の Pragnienia (ポーランド語で「欲望」)は、インプロビゼーションとの表示があるが、静かなのにその中に若干の狂気を感じさせるスキャットが緊張感を孕む、本作中の白眉。
 今回のアート・ワークはこれも非常にシンプル、見開き2面の内側は黒と白の四角をアレンジしたデザイン、歌詞の冊子も白と黒(写真もモノクロ)、最終ページの曲名の印刷だけが黄色。CD も白一色。
 Andrea Konstankiewicz の担当する楽器に「hang」とあるが、これは金属製の打楽器で大きな鍋に半球形の蓋を被せたような形をしていて、それを手で叩いてスティール・ドラムのような音を出す、スイス人が発明したようだ。YouTube にも映像があるので興味のある方はどうぞ。Stephan Micus もアルバム On the Wing で1曲のみだが使用していた。

 今日は父の日、次男がプレゼントをくれたので、ちょっと嬉しくて晩御飯を奢ってやった。これこそ、情けは人のためならず、ということか(ちょっと違うか)、それとも蝦で鯛を釣るということか(まあまあ高価なものだったので、これもちょっと違うか)。
[PR]
by ay0626 | 2013-06-16 20:13 | 音楽-その他

変なのは格好と言葉 チャンキショウ

 世の中、ゴールデン・ウィークに突入、海外脱出する者は60万人とか、国内の移動も渋滞、渋滞これ渋滞。休むのが一斉だから混むのも一斉、皆が皆動くことはないだろうに、なぞと思っているのは自分くらいか、特に行きたいところもなければ、やりたいこともない、ボーと過ごすのが一番とパチンコなど2時間ほど弾いて、損をせずとも儲かるまでには至らず、金も掛けず時間を潰せれればこんな良いことはない。仕事は勿論嫌いだが、定年になると時間を持て余すことになるのだろうか、そんなに沢山の趣味がある訳でもなし、そのときになって考えればよいことなのだろう。

 読書も順調に進んでいて、大坪砂男全集の2巻も半分ほど読み進めた。そんなに面白い作品があるわけではないが、読み難いのに慣れたのか、嘖々と読み進められる。感想を書くほどではない。

 過ぎた週は、死んだ父の預金だとか不動産の名義書換に大分時間を取られた。遺産というほどでもないが、その処分はかなり面倒だということを聞いていたのでちょっとは覚悟をしていたのだが、意外にあっさりと出来た。死んだ者の戸籍が某市役所一箇所で揃ったのが大きい、昔の戸籍は戸主が変わると新たに戸籍を作り直していたようで、父親の記載のある戸籍は現代戸籍に至るまで5通に及ぶ。勿論、遺産相続者の確定のために必要ということは判るが、80歳半ばで死んだ者に親や祖父母がいる訳もなく、それを確認するために態々戸籍を全部取る必要なんてあるのか知らん。閉鎖戸籍の取得には1通750円も掛かる、現代戸籍の手数料は450円、従って戸籍一揃えで何と3,450円也。それに加えて住民票だの子供の戸籍だの印鑑証明だので2万円近い額を市役所に納めました、ハイ。銀行さんもそのところは良く判っているようで、確認した後コピーを取って返してくれるのだが、各々の銀行独自の書類なんかもあって、出向いてもその銀行の預金を相続する者本人を連れて来い、など面倒なことを言われる。近頃はマネー・ロンダリングや詐欺などへの対応のせいで本人確認を確実に行わなければならないらしく、これは至って手間が掛かる、年金事務所で「本人がヨイヨイで字も書けなければどうするんだ」と嫌味で聴いてみたら、真顔で「介護証明を持ってきて下さい」と言われた、この世知辛い世の中、トラブルを回避するためには面倒でも何でもマニュアル通りが求められるようで。

 ということでチェコのフェイク・エスニック・バンド、Čankišou 。C や S の上に付いている V みたいな記号はハーチェクというらしく、č は チェとかチャという音を、š はシェとかシャという音を表す、従って「チャンキショウ」とカタカナで綴っては見たが、本当にこの発音で良いかはチェコ人に聞いた訳じゃないから判らない。John Mandeville という人が14世紀に書いたという『東方旅行記』に出て来るエチオピアに住む一本足の民族がチャンキ人、その足は極太で、曲げれば体全体を覆うことができるといった記述があるらしい、アルバム・ジャケットに描かれている人たちがそれ。

a0248963_2023559.jpg Hudba lidu Čanki (チェンキ人の音楽)、2000年。このバンド、1999年にチェコのブルノという街で結成されたよう、グループ名が示すとおり、様々な国や地域の民族音楽を取り込んだロックをやっている。メンバー構成は、Karel Heřman (vo)、Zdeněk Kluka (perc, ds, balafon, accordion)、David Synák (didjeridoo, fl,altosax, sopranosax, baritonesax, perc)、Martin Krajíček (mandolin, g, tenorukulele)、Jan Kluka (djembe , perc, ds)、René Senko (tenorsax, sopranoukulele, perc)、Roman Mrázek (b) という7人編成。中心は Karel Heřman のようで、禿頭に東洋風のゆったりした衣装を纏う、朗々とした歌唱。
 例えば、Besh O Drom や他の民族系のバンドに見られるようなテクニックに走ったところは余りなくて、リズムも変拍子を使うこともなく、アンサンブル重視のサウンド。パーカッションの活躍が目立ち、デジェリドゥやアコーディオン、マンドリンなどの使い方で民族色を出しているが、サックスなどにはジャズの影響も見て取れる。聴き易いといえば聴き易いが、各人のソロなどもう少し前に出しても良いのではと思う。

a0248963_20232193.jpg 2枚目が、Densé Ju (意味不明)、2002年。メンバーは前作と変わらず、チェロやトランペット、ギターなどのゲストが参加しており、前作よりも多彩な感じ。特にトランペットやスティール・ドラムの使用はアクセントが付いてなかなか面白い。4曲目の表題作はモンゴルの民謡のようだ。
 このバンドの歌詞は「チェンキ語」のようで、そういえば慣れ親しんだ(といっても意味は全く不明なのだが)チェコ語の語感とはかなり違う。Magma のような強面の創作言語ではなく、むしろリズムに乗りやすい英語的な感じがするのは自分だけか、彼らの演奏する音楽に似合っている。
 Zdeněk Kluka というミュージシャンだけが単独で Wiki に載っていたので見てみたら、この人1947年生まれでかなりの演奏歴を持つ老人(御歳66歳)。1960年半ばから活動を行い、ロック・バンドでの活動を経て、テレビや劇場の音楽を担当した後、バンドに加わった模様。チェコではそれなりに有名な人のよう。

a0248963_20234344.jpg 3枚目が Gamagaj (意味不明)、2004年。赤を基調としたジャケットがなかなか良い出来、最初のアルバムが緑、2作目が青を基調としていたので今作は赤ということか。ジャケット・ブックに遺跡と人物の彫像の絵と共に何か文章が書いてあるのだが、チェコ語のみで手も足も出ない。音楽的にはコーラスを多用し前作よりもパワーで押す感じの強いアルバム、若干楽曲が似通っており一本調子に聴こえてしまう。パーカッションの Zdeněk 爺さんのヴォーカルが味わい深くて(?)洒落ています。
 前作に次いでチェロで Tara Fuki の Dorota Barová が参加しているが、余り目立った活躍はしていない。他にもゲストは若干加わってはいるが、目立った感じはない。

 近頃は、CD を買っていない。音楽聴くよりも本を読んでいる時間のほうが長いかも。ゴールデン・ウィークのうちに何か長編小説でも読もうか、それともニンテンドーDSで久しぶりにゲームでもやってみようか。
[PR]
by ay0626 | 2013-04-27 17:09 | rock

やる気のない奇妙さ クヴェティ (2)

 運気低迷はまだまだ続く。眼鏡を替えたせいで世界が若干変わった、そんな感じ。世界なんてちょっとしたことで変わってしまうもんだ。

 予告の通り、木曜日久しぶりに行って参りました、ライヴ。オルケスタ・リブレと柳原陽一郎、柳原さんは1994年暮れの「たまのお歳暮」以来、実に18年振り、こっちの頭も真っ白になったが、柳原さんの顔も皺が増えましたね、MCもたまの時代は殆どなかったのに、実に滑らかな喋りっぷり、月日は人間を進化させるものであります。
 オルケストラ・リブレは、芳垣安洋(ds ~ アルタード・ステイツのメンバーというのが自分の印象だがその他沢山の楽団に関係)がリーダーの10人編成のジャズ・バンド。知っているメンバーとしては、ボンデージ・フルーツの岡部洋一(perc) と高良久美子(vib) 、他 ts、 tb、 tp、 ss(cl)、 g、 tuba、 b。アヴァンギャルドかというと全くそうではない、楽器編成の特異性と特にギターの印象が変わっていることから普通でないが、自分にとっては至ってまともに聴こえる。
 一部は、Elvis Presley ~ Duke Ellington ~ Don Cherry という変わった取り合せのインストからスタート。Presley の曲でのピアニカ・ソロ(トロンボーンの持ち替え)などはなかなかのもの。そして柳原さん登場、Burt Bacharach の Raindrops Keep Fallin' on My Head から始まる。たま時代より情感を込めて、伸びやかでつややかな声、歌手としては何倍も上手くなっている。訳詩もまともな言葉の繋がり具合で、たま時代のシュールさは後退。原詩を知らないので何ともいえないが、楽曲にしっくり来る言葉を選んでいるような感じはした。MC も判りやすく、長すぎず。歌伴ではソロも短く、楽隊に特徴的なところはない。歌曲は3曲で終了、全部で1時間ほどの演奏時間。
 二部は、Louis Armstrong のナンバーから、トランペットのソロ(カデンツァ)は長く熱気のある見事なもの。1曲のみインストで、直ぐに柳原さん再登場、Kurt Weill ~ Bertolt Brecht の「三文オペラ (Die Dreigroschenoper)」のからの曲を中心に。「三文オペラ」は 1928年に初演され、それ以来何度となく上演される、メッキー・メッサーという悪党のめちゃめちゃな物語だが、その壊れっぷりが時代の雰囲気に合ったのだろう。人間の醜さをあからさまに描いたこの作品の中から有名な3曲、モリタート、ジゴロのバラード、第二のフィナーレ「人間は生きるために何をしてきたか」。Dagmar Krause の歌では、歌詞の内容までは判らないが、日本語の打ち付けな言葉が直接耳に入ってくると強烈。もう1曲奏って、アンコール突入、アンコール2曲目は、おおはた雄一(前日のオルケスタ・リブレの公演の歌手)が入り、Bob Dylan の I Shall Be Released でラスト、もともと Dylan が嫌いで、その中でもこの曲が最も嫌い、という作品なので最後にちょっとね、という感じになった、何だあの歌詞、日本語だともっと腹が立つ!
 4,000円のチャージに水割り2杯とミックスナッツで1,650円、元は取らせてもらいました。

 ライヴとは全く関係のない Květy 。このバンドの奇妙さ、へなへなヴォーカルは本当にクセになる。聴きこむほどに味がある。通勤の一番のお供となりつつある、朝から聴くような音楽じゃないが。

a0248963_2223981.jpg Střela zastavená v jantaru (弾丸は琥珀の中で止まる)、2008年。このアルバムから、ベースの Ondřej Bohemia が加入、トリオ編成に。ゲストでトランペットやオルガンが加わる、Marta Svobodova も若干登場。
 前に書いた Květy の紹介で、「3枚目(本作)からちょっとまともになる」とか書いたが、よく聴けば全くそんなことはない、3~4分の中尺曲に変な要素を詰め込み、統一感を壊さないのに思いがけない展開を見せる奇妙な曲がてんこ盛り。パーカッショニストのアイディアは相も変わらず凄いものがあり、冒頭の金属の薄い板を振り回す音からもうビックリ、相変わらず音階の出るパーカッション群の使い方が上手いし、彼らの音楽を特徴付ける。ギターだけでなく、バンジョーやマンドリンなど曲に合わせた弦楽器の持ち替えも見事。変態的なコーラスも決まっている(3曲目など)。今までにないバラードじみたしっとり(?)とした曲もあり、特に7曲目などは耳に残る佳曲、ベースの音も良い。ここら辺りから芸風が確立していく。

a0248963_2235049.jpg Myjau (意味不明)、2009年。Albert Novák (vin) が加わり、カルテット編成に。ゲストに数人のヴォーカルとトロンボーンが加わる。
 奇妙さに叙情性まで感じさせる、冒頭曲のピアノやコーラスの使い方など、よく思いつくもんだと感心する。2曲目は打って変わってメロディアス、ヴァイオリンが活躍する非常に締まった佳曲、彼らの曲の中でも一番好き。本アルバムは、チェコのグラミー賞といわれる Andělem (Angel) のオルタナティヴ部門賞を獲得したとか、チェコ人も変な音楽が好きなのか。
 チェコ語もすっかり馴れて、字余り感というかまったり・のたのたした感じが実に良い、やる気のないといっては何だが、チェコ語を聴くと脱力感を感じてしまう。だから朝から聴けるのかもしれない、脱力して会社へ行くというのもどうかと思うが。Květy の音楽を紹介するのはなかなか困難で、聴いて貰えば直ぐに判るのに言葉にすると伝え難い、もう少し日本でも聴く人が増えると良い・・・誰が聴くか?

 来月もライヴ見に行こう、元気出して。何処まで続くこの運気低迷、気力不充実、ちょっとは違ったことしなくちゃいけないのかも、何をすりゃいいんだろうか。
[PR]
by ay0626 | 2013-02-16 18:22 | rock

不思議な雰囲気のチェロ・デュオ タラ・フキ

 月曜日から色々な会議があって、気分ばかり急いた。

 昨日一昨日から急に寒くなって、陽は長くなってきたのだがまだ2月、東京では雪が降るとかの報道があって戦々兢々だったようだが、そんなに酷いことにはならなかった。立春といえば、春とは名ばかり1年で一番寒い頃、立春の前日が節分で、節分は読んで字のごとく「季節を分ける」ということ、従って立夏・立秋・立冬の前日も節分というが、どういうことなのか、立春の前日だけが有名になってしまった。豆(大豆)を煎ったものを「鬼は外、福は内」と掛け声を掛けて撒くわけだが、最後にやったのは何時だったかもう思い出せなくなっている、これだけ歳を取ると年齢分だけ豆を喰うなぞ胸が焼けそうだ。また、鰯の頭を柊の枝に刺して、門口に飾り邪気を払うのも節分の行事だったように思うが、近頃はそんな風景見たことがない。
 毎年、節分は2月3日のような気がするのだが、たまたまのこと。子供の頃は閏年は2月4日だったような覚えがある。もともと二十四節季は太陽と赤道の傾きが15度ずつずれるごとに進むわけで、立春が1日ずれれば節分もずれる、1年が365日より若干長いことが原因。

 まあ、そんなことはどうでもいいが、あまり寒いと会社へ行きたくなくなって困る。毎回、同じことを書いている。

 ハンガリーやチェコの音楽は相変わらず通勤のお供、今回はそのうち Tara Fuki という、お姐さん2人、楽器もチェロだけという不思議なバンドの紹介。Tara Fuki は、Dorota Bárová と Andrea Konstankiewicz-Nazir のデュオ・チームで殆どポーランド語で歌っている。ポーランドに出張で行った折、誰に聞いたか「ポーランド人とスロヴァキア人がお互いに自国語を使って話しても大体の意味が通じる、チェコ人とスロヴァキア人が話しても判るが、チェコ人とポーランド人が話すとあまりよく判らない」とのことだった。同じ西スラヴ系統の言語、そんなこともあるのかも。

a0248963_21451899.jpg 2001年、ファースト Piosenki do snu (ポーランド語で多分「眠りへの歌詞」)。淡いグリーン一色の中に肌色で「Tara Fuki」とグループ名のみ浮き出させたセンスのあるジャケットが目を引く。中の歌詞冊子は反対に、肌色一色に緑の文字で「Tara Fuki」、なかなかの演出であります。歌詞冊子を開くと、スラヴ系の美女が二人。
 憂いを帯びたヴォーカルと2台のチェロが織り上げていく不可思議な音空間。ロックでもジャズでもなく(3作目はかなりジャズに近づくが)、現代音楽かというとそこまで無機的ではなく、民族音楽臭さは全くない。あくまでヴォーカルは普通の歌い方で(ベルカントでも地声張上げでもなく)妖艶に、伴奏はチェロのみという潔さ。ザビエル・レコードさんの惹句に「今までにチェコのCDを1000枚以上聴いてきた自分の中でもベスト3に入る超お気に入りバンド」とあるのは伊達ではない。睡眠前にお勧めの逸品。
 ポーランド語で歌っているのに、2001年のチェコの有名な音楽賞を獲得したとか、チェコの人って変わっているのかねぇ、自国民が他の国の言語で歌っているのに(ポーランド語とチェコ語は親戚筋とは言え)。まぁ、日本人でもよく英語で歌っている、若干違うように思うが。

a0248963_21453762.jpg 2003年、セカンド Kapka (雨粒、水滴)。今度は朱色をベースに水色のバンド名と何か良く判らない写真のジャケット、ファーストと呼応する、非常にすっきりとしたセンスを感じさせるアート・ワーク。中の歌詞冊子はまたベースの色を逆転させたもの。お姐さん達の写真はタンクトップで草原の中、出張でチェコに行ったとき、「原っぱばっか」と思った、そんなことを思い出した
 前作のアコースティク色から、一部 Mario Buzzi というサンプラー・アレンジャーが加わり(10曲中6曲に参加)、ぐっとアヴァンギャルド色が強くなっている、1曲目など最後の部分引っ張り過ぎ感がなきにしもあらず。時には雷のエフェクトも入ったりして、ビックリします。

 チェコの音楽は色々ありまして、1ユーロが100円なら、買って聴いて見たいバンドもあるのだが、ここまで円安になってしまうと、ちょっとね。そういえば、Faun の新しいアルバムが出たようだ、1枚だけ買うなら 日本Amazon のマーケット・プレースが一番安かったりして。
[PR]
by ay0626 | 2013-02-09 20:29 | 音楽-その他

チェコの変てこサウンド クヴェティ

 年末年始の長期休み明け、今年は1週間まるまる出勤だから、そんなに色々なことがあったわけでもないのに妙に草臥れた。朝起きるのは、若い頃と違って全く苦労しないが、そもそも会社に行くのかぁ、と思うだけで体が重くなるような気がする。来週からは段々馴れていく筈なのだが。
 近頃、大きな話題になっているのが、大阪の市立高校の生徒自殺事件。酷いとは思うが、よくあることとも思ってしまう。オリンピックでも思ったことだが、スポーツの世界の住民は極端に狭いところで生きているのではないか。高校の超強豪校だそうだが、所詮それは高校バスケットボールでの話、このニュースを聞いた人の何人がその名前を知っていたか、殆どの人にととっては初めて聞く名前ではないか。その狭い小さい世界で君臨してきたオヤジに高校生のガキが対等の口がきける訳がない、一方的に暴力を振るわれることになる。また、高校生もその世界の狭さ故、「2軍に行くか」の一言に気力が折れてしまったのだろう、2軍へ行こうが行くまいが、その後の人生に大きく違いがあるわけではなかろうに。アメリカのプロ・バスケットならいざ知らず、高が日本のアマチュア・バスケット、アメリカからスカウトに来る訳でもないので、それを職業にすることもない。
 根性論と理性を超えた(理性を無視した)師弟関係は、『巨人の星』や『あしたのジョー』的な情緒世界、日本人の好むところ、しかしながら、オリンピックで金メダルを取ることと人格の高潔さには何の関係もないことを、柔道の金メダリストがついこの間、法廷で教えてくれた、一事に秀でた人は必ずしもバランスの取れた人ではない、一事に秀でたが故に常識を欠く人も多いのは事実だろう。良い指導者とは、強いチームを作れる人のことで、決して人を引き付け感化できるような人格者のことをいう訳ではない、よい素材を揃え、その中で自分の言うことだけを良く聴いて、負ければ自分の練習不足、根性不足、勝てばそれは指導者の指導内容が素晴らしいため、と思い込んでくれる単純な体力人間たちが、偶像の「名」指導者を生み出す。幻想でも長期間存在すれば、力と影響力を持って、18年も同じ高校に留まれるような異常な事態を生み出すことが可能となる。ある意味、狂気の相互影響だった尼崎事件と似たような人間関係に陥ってしまったのではないか。

 ということで、多種多様な世界に目を向けよう、チェコの変てこサウンド Květy 、チェコ語で「花」の意味。何処が花かといいたくなる、ちょっと聴いたことのないサウンド。近頃、よく聴くチェコのバンドのうちでも、イカレ度は相当高い。日本では彼らの音楽に関しては、ザビエル・レコードさんが紹介している他、「仙台単身赴任生活」さんが Jablko Jejího Peří のアルバム評を書いてらっしゃるくらいしか知らない。余程の物好き以外しか聴かないのだろう。
 Květy は、2000年から録音を開始しているよう、この時リーダーの Martin E. Kyšperský は20歳。デモ録音を2枚(2000年 Red riding hood、2001年 Palouček)録音した。この頃のメンバーは、Martin E. Kyšperský (g, vo)、Marta Svobodová (女性, vin, vo, etc)、Michal Navrátil (ds)、Martin Růžička (cello) というカルテット。2002年にはドラマーが Aleš Pilgr に交替し、アルバムを録音することになる。

a0248963_20565886.jpg 自主制作盤として発表された2003年作 Daleko hle dům (遠くに見える家)は、2009年に Martin E. Kyšperský の自主レーベル Amakvare から再リリースされた。数曲にヴァイオリンやクラリネットのゲストを加えている。37分ほどの作品。
 外れたようなギターとマンドリンの合奏にヴァイオリンが絡み、若干の女性ヴォーカルが聞こえる1曲目から変てこ感満載。2曲目はタンゴのリズムかと思って聴いていると、ずばり曲名は Tango でした。 Aleš Pilgr のアイディアに溢れたパーカッションが非常に良い、これは次作(公式アルバム1作目)でもっと進化するが、トチ狂った感じが良く出ている。また、Marta Svobodová のヴォーカルが可愛らしくて(それでも3曲目、6曲目などドスの効いた歌い方をしているが)、これが意外にも変な伴奏に良く合っている。女性ヴォーカル好きな自分としては、このメンバーで続けたら面白かったのに、と思う。残念ながら、彼女は本アルバムでグループを脱退するが、ゲスト扱いで後のアルバムにも参加している。

a0248963_20582963.jpg 公式アルバムとしては1作目に当たるのが、2004年の Jablko jejího peří (羽根の林檎)。赤い版画のジャケットがなかなか良い出来、中の歌詞冊子にも版画が使われ、何が書いてあるかは判らないが、見るだけでも価値あり。Martin E. Kyšperský 、Martin Růžička 、 Aleš Pilgr のトリオでの録音。
 何といっても Aleš Pilgr のパーカッションのアイディアが凄い。特にバラフォン、グロッケンシュピール、シロフォンなどの音階の出る打楽器の使い方が変な感じを大いに盛り上げている。これにチェロが上手く絡む、よく聴こえる。音数は少なく、決してテクニックがあるとは思わないが、ついつい耳を傾けてしまう音楽。
 チェコ語の字余り感とやる気が感じられない Martin E. Kyšperský が変にマッチしていて、例えばヴォーカルの感じで言えば Traband の方が好きだが、これはこれでありかも。変てこ感は本作が一番で、ベースが加わる公式3作目から徐々に変な感じは薄れて行く。

a0248963_20585988.jpg 2作目が Kocourek a horečka (Kocourek と発熱、Kocourek はどんな意味なのか不明)、2006年。チェロが抜け、メンバーの表示は Martin E. Kyšperský と Aleš Pilgr の2名のみ。ヴォーカルで Marta Svobodová が3曲参加、他にも何曲かゲストが加わるが、2曲目のチェロは Tara Fuki の Dorota Bárová 。ジャケットは、ごちゃごちゃしていて判り難いが、家の前に大きな茸が生えている、その横で夫婦(?)が子供を抱え叫んでいる(ように見える)、という何か訳の判らないもの。歌詞冊子にも訳の判らぬコラージュ風の絵画が多数収録され、ヴィジュアル面も気を遣っているのが判る。
 1曲目からやりたい放題、相変わらず音階の出るパーカッションの使い方は巧みで、そのチャカポコした音にちょっと草臥れたようなヴォーカルが良く似合う。 Martin E. Kyšperský はコントラバスも演奏しているが、特に7曲目などなかなか腹に来るずっしりとしたベース・ラインを演奏している。全体には、前作に比べ若干落ち着いた感じ。

  Květy の音は完全にロックなのだが、この奇妙な感じはなかなかありそうでない。チェコのバンドといえば、Čankišou とか Tara Fuki まで遂に手を出してしまった、もう英語の歌など聴けないかも。そういえば、通勤でよく聴くのはフィンランド語だとかポーランド語だとかスエーデン語だとか、歌は器楽と同じレヴェル、歌詞の内容を聴く訳じゃないので。
 
[PR]
by ay0626 | 2013-01-12 17:17 | rock

変拍子とおちゃらけスキャット&コーラス ウズ・イスメ・ドーマ (2)

 朝早くから選挙に行ってきた、じじい・ばばあが暇なのか沢山いた、こっちもじじい・ばばあの類か。今日は、夜8時寸前になるとテレビは軒並み特番、そう面白い訳じゃないがついつい見てしまう、マラソン中継みたいなもん。それでも前回の総選挙から早くも3年3か月が流れた、東日本大震災で世の中変わるかと思ったが、そうでもない(被災者の方々は気の毒だが)、2001年のニューヨークの特攻テロでも世の中が変わると思ったものだが、日常性の強固なことといったら、余程身近で起こらない限り、どんな大事件・大事故でも対岸の火事となってしまうようで。
 そういえば、うちのお袋がいっていたが、お袋は田舎の出身で、太平洋戦争当時は10歳になるかならぬかの頃、特段腹を空かせることもなく、遠くに多分米軍の飛行機が飛んでいくところを見た程度、そんなに生活が変わったということもなかったらしい、太平洋戦争でも田舎の日常性には大きく楔を打ち込むことはできなかったということ。所詮空襲にあったり、食料品がなくてひもじい思いをしたのは、都市生活者のみであった訳。戦後の方が、過疎が進み様変わりだったよう、変化の起こる理由は地理的な理由、経済基盤の問題が基礎にあって、一律に万人に起こることはない。当たり前のことだが、今回一番大きな変化を蒙るのは、失業者となってしまう元先生方、せいぜい自分の胸に手を当てて、この3年間何をやってきたのか、何をしなかったのか考えて戴きたいもの。

 先日も書いた Makám の Approaches というアルバム、やはりエストニアのネット・ショップから入荷に至らず、ということで返金された。こんなことだろうとは思っていたが、ちょっと時間が掛り過ぎ、ヨーロッパ人らしい気長さ、悠長さというべきか。代わりに某音楽マーケット・プレースで出物があったので、そちらに注文を入れた、ここは在庫を確認して連絡してくれるので、そこは安心のはず。一時のユーロ安が一服して、格安とは行かぬまでも3,000円に至らぬ値段で購入できれば安いもの(日本アマゾンのマーケット・プレースでは7,000円近い値段が付いていたので)、しかし在庫ありの連絡と同時に送金してから既に一週間近く、ステイタスが『発送準備中』のままになっていて、一向に『配送済』にならない、これも大丈夫か知らん、と若干不安、もう2~3日経ったらまた英作文でもしようと思っている、面倒だなぁ。

 ということで、近頃通勤のお供の一角を担っている Už Jsme Doma の2回目。嵌ると気持ちが良いチェコ音楽、字余り言語がクセになります。Wanek おじさんの変てこスキャットにメンバー全員がコーラスで応える構成の曲が多く、笑えるというか何というか。人口1,000万人の中欧の国、そういえば2006年に出張でいったことがある。ポーランドからスロヴァキアを経てチェコへ、チェコ第3の都市オストラヴァという街で泊まったのだが、泊まったホテルその街では良いほうとのことだったが、シャワーから茶色い水が出てきたのと余り温度が上がらぬのには閉口した。チェコもスロヴァキアもなだらかな丘陵地帯が多い印象しか残っていない。

a0248963_17464732.jpg 4枚目が、1995年作の Pohádky ze Zapotřebí (Fairytales from Needland)。メンバーは、Jan Cerha (b, vo)、 Milan Nový (ds)、Romek Hanzlík (g, vo)、Jindra Dolanský (ts, vo)、Miroslav Wanek (g, p, vo)、Martin Velíšek (brushes)、ベースとドラムが新メンバーに交替している。音楽の面では前作を引き継いでいて、変拍子にスキャット、それに呼応するベタなコーラス、特段に変化しているところはないのだが、音が全体的に籠り気味でやや不満。彼らもそう思ったのか、2012年の最新作は本作の再録音となっている。
 ジャケットは、相変わらず凝っていて、広げるとジャケットの9倍の大きさに。青と緑を基調に、中央下部に軍服に銃を手にしたメンバーが並び、その前には頭だけ人間(Wanek おじさん?)の動物の姿。中央には池があり、ジャケットにも付いている河童のような異星人(?)、遠くにファーストのジャケットのような一軒家、というイラスト。変な音楽にジャスト・フィットといったところ。

a0248963_17471128.jpg 5枚目は、Jaro, Peklo, Podzim, Zima (Spring, Hell, Fall, Winter)、1996年。メンバーは前作と同じ。アウレル・クリムトという1972年生まれのチェコのアニメ作家の作品のサントラとして録音された作品、30分程度の収録時間。サントラということもあって、いつものような歌詞を伴う作品はなく、殆どがインストルメンタル、ヴォーカルが入るにしろ歌詞を伴わないコーラス曲のみ。他の作品に比べると若干大人しいというか、行儀の良い感じではある。
 ジャケットはデジ・パックだが、内側の2つの絵は凄く不気味、Martin Velíšek がチェコの現代絵画の中で評価されているのも頷けるというもの、何か黙示録的な雰囲気を醸し出す、一見の価値あり。

a0248963_17474043.jpg 6枚目は、初ライヴ作品 Vancouver 1997、1999年発表。1曲目から13曲目までがヴァンクーヴァーでのライヴ、1997年11月録音、メンバーはギターが Radek Podveský、ベースが Jan Čejka、ドラムがPetr Böhm ということでリズム隊が大幅に交替しているが、Wenek ~ Dolanský という作曲グループは不動のため、大きく演奏が変化することがない。14曲目はワシントンDCでの、15曲目はミネアポリスでのライヴ、何れも1996年6月録音。13曲目までは非常にクリアに音が取れており、コーラスもバランスよく、彼らの変化に富むダイナミックな演奏が見事に収録されている、この演奏を聴けば彼らのテクニックが尋常ではないことが良く判るし、バカやっているなぁ、というのも大いに頷けようというもの。それに対し14、15曲目は、明らかに音質的には落ちる、ブート並みといってもいいくらいの音質、演奏は決して悪くはないのだが、続けて聴くと聴くのが辛くなるほどの出来。14、15曲目をオミットしても充分な収録時間になるのに(全体の収録時間が72分余り、14・15曲で15分半ほど)、どうしてわざわざこんな形にしたのだろう、疑問に思う。13曲目までは良く聴きます。
 なお、本作、単独作品としては現在廃盤となっている。アメリカ盤ではファースト(Uprostřed slov)にオマケとして付いている、これも廃盤かも、マーケット・プレースではそんなに高くない値段で売っています。

 今日は暖かく、選挙日和といったところ、自分の一票で大きく変わるとは思わないが、何もしないのも気が引ける。せめて自分の考えに近い政党に入れようとは思ったが、なかなかこれは!と思えるところがなくて、それでも、えい!やっ!と。
 
[PR]
by ay0626 | 2012-12-16 15:53 | rock

ハマるとクセになるチェコ歌唱 トラバント (2)

 デブで保健指導の対象となっている。食べる量は若い頃に比べ、半減とはいかないもののかなり少なくなっている(少なくしようとしている訳でなく)にも関わらず、体重の方は減ってくれない。運動量が激減し、それに伴って基礎代謝も少なくなっているためか、何とも仕方がないのだが、やっぱり健康診断でなんのかんのいわれるのは面白くないので、何らか手は打ちたいのだが・・・。
 と思っているうちに年末、忘年会の季節になった。昔ほど忘年会をやろうという人がいなくなったのか、声を掛けられることは多くはないのだが、普段に比べれば相当な回数、外食することになる。家庭の教育のせいか、生来のいじましい性格からか、出された料理を残すということが出来ないので、体重にとっては良くない季節であることは間違いない。そして、正月が続き、寒さが厳しくなれば自ずと外に出るのが億劫になり、休みともなれば家でゴロゴロが定番になる、そして悪循環は当分の間続くのである。

 と下らない話になった。先日も書いたが、気力減退のせいか、近頃は通勤では音楽を聴くのみ、本を読むなどの能動的な行為が出来なくなった。通勤で聴く音楽は、変ではあるが Už jsme doma と今回取り上げる Traband が中心、チェコ語のまったり感というか字余り感が非常に気持ちが良い、ハマるとついつい聴いてしまう、通勤という中途半端な感じにジャスト・フィットなのである。
 ついでに、同じレーベルで出ている Květy というバンドまで手を出してしまった、そのうち届くと思うので、紹介するだけの面白さがあればここで取り上げることになると思う。

 ということで、今回は Traband の2回目。金管 + バンジョーという編成の2005年作品まで。

 Traband とは、東ドイツの自動車の名前を捩ったものではないか。Traband のホーム・ページを見ると表紙ページに巻貝と自動車が合体したようなイラストが蠢いているが、この自動車の顔つき(というか何というか)が Trabant という自動車の顔つきにそっくりなのだ。Trabant とういう自動車は、東ドイツのVEBザクセンリンクという会社が作っていたもので、顔つきに非常にユーモアがあって、1958年の登場から1990代初頭の生産中止まで、殆どモデル・チェンジをしなかった。共産圏ではポピュラーな車であったよう、今でもそれなりの人気があるのだとか。
 Trabant という自動車が持つユーモアと非効率性(共産圏の生産物は何かしらの非効率性を抱えていたように思う)が、このバンドの音楽に良く合っている(音楽の非効率性って何だ、といわれると困るが、例えばエレキ・ベースを使わずにチューバを使うようなところ)ように思うのだ。

a0248963_15535480.jpg ということで、2004年発表の4作目、Hyjé! (Giddy up! ~ 目が廻る!)。メンバーは前作と同じく Jarda Svoboda (acc, g, vo)、Evžen Kredenc (banjo, vo)、 Jana Modráčková (tp, vo)、 Robert Škarda (tuba), Jakub Schmid (euphonium)、Petr Vizina (ds)、ゲストでヴァイオリン、ティン・ホイッスル、アコーディオンが加わっている(12曲目のみ)。5曲目で久しぶりに Svoboda 兄さんがクラリネットを吹いている。
 ジャケットには馬に乗る兵士の金属像、題名も暗示する通り、かなり元気でノリのよい音楽、6曲目のコーラスなんか若干勇ましい感じでもある。また、トランペットのお姐さんが歌う7曲目なども良い。ちょっとその分、哀愁部分が若干後退しているか、それでも10曲目以降の数曲にはかなりノスタルジックな感じがある。楽器の持ち替えも多く、前作までに比べると演奏がカラフルでヴァリエーションが豊富になったように思う(歌詞ブックレットの最終ページにインストルメンテーションの記載があるのだが、チェコ語の記載なので正確に把握できているか疑問。そういえば、本作に限って歌詞ブックレットに英語の対訳が付いている、次作 10 let na cestě にはチェコ語の歌詞しか載せていないのに)。
 全体に、印象的なメロディーを持つ曲が多く、Anděl (Angel) というチェコの音楽賞(グラミー賞みたいなもののよう)を受賞し、テレビなどに出演する機会も増えたとか。自分も気に入っているアルバムである。

a0248963_15544510.jpg 2005年、バンドの10周年を記念したライヴ 10 let na cestě (10 years on the road ~ 途上の10年)を発表。前作と同じメンバーに、数人のゲストや昔のバンドメンバーが加わっている。同時に DVD 版が発表されており、収録時間は CD 版の倍程度(131分)ということだが、残念ながら入手していない。
 のりのりの演奏で、力の入ったコンサートであったことがよく判る。楽曲は既発のアルバムから広く選ばれているようだが、ライヴも意識してノリの良い曲を中心に置いたか。途中、6曲目のような観客も一緒に歌えるようなバラードを置いて、メリハリを付けた構成になっている。
 音が特に悪いという訳ではないが、やっぱりスタジオ・アルバムのほうが聴き易い感じで、彼らのアルバムの中では聴く回数が少なくなっている。自分はもともと、ライヴ・アルバムは好きではないのかもしれない、ジャズを別とすれば。

 この頃、気温が低くて会社へ行くのが若干億劫になっているのに加え、面倒な問題もあって、余り気勢の上がらない状態だったが、やっと金曜日に一服。そういえば、10日には大人数の忘年会第一弾があって、その席での籤引き大会でもまあまあの景品を引き当てた、運勢そんなに悪くないのかも。Traband でも聴いて元気を出しましょう、ということで。
[PR]
by ay0626 | 2012-12-15 15:43 | rock

チェコの金管と哀愁 トラバント

 いよいよ衆議院選挙の公示も間近に迫り、事実上の選挙戦に入っている。「近いうちに」発言で大分男を下げた野●首相も近頃は勢いを取り戻し、なかなか格好よく(?)爆走中である。TPP とか消費税とか、賛成しなければ公認しない、など高らかに宣言し、従わない人たちを次々に切り捨てていく。本来、政党は同じ考えを持つ者が集まり、自分たちの考えで国家を運営することを目標とする団体なのだから、当然といえば当然の行為。民●党は設立当初からそこら辺のところをはっきりせずに、政権を取った時点から崩壊の道を辿り始めた、皆好きなことを好きなように言い過ぎた。まぁ、本来の政党になりつつあるということだが、3年前の公約を殆ど実現出来ずにその反省もなく、3年前にはおくびにも出さなかった消費増税や TPP を前面に出すなぞ、ちょっと厚顔過ぎやしないか、そのくらい厚顔でないと政治家にはなれないものですか、ああ、そうですか。

 一番笑わせてくれたのが、鳩●元首相、公認されないのが明らかになるとすごすごと尻尾を巻いて引退宣言。もの言えば唇寒し秋の風、とはよく言ったもので、正にその典型だったのが彼、「トラスト・ミー」が「自分を信用しないでくれ」の意味だとは知らなかった、多分それを聞いた人は本来頭に付く筈だった「ドウント」という言葉を聞き逃してしまったのだろう。結党時には資金面で相当な援助をし、自分が作った党という自負が大きかったろうと思う、正に彼はミスター・民●党だったのに。政治家は責任を持ってからじゃないと評価が出来ないということが良く判る、時間はあっという間に過ぎ10年間の評価のモラトリアムはほんの8か月で結論が出て、すぐに彼は過去の人になった。まだ「アジア友愛なんとか」という組織を作って活動してはいくようだが、首相に成りたくても成れない御仁がごまんといる中、後世の評価が「最低」だとしても「首相」が出来たことは目出度きことか。しかしなぁ、鳩● ~ ●直人と史上最低級の内閣が続いたのは、笑い事では済まない抱腹絶倒劇ではあった。

 もう11月も終わる、冬の気配が忍び寄って、陽光は明るいのに気温はそれほど上がらない。段々日も短くなってゆき、選挙の頃には冬至も近い、選良たちが国会に登壇する頃には明るい時間が少しずつ長くなるのだろうか、それとも冬眠の時間だけがいたずらに長くなるだけなのか。

 とまた、関係ない話題で始まりました、スミマセン。ということで、今回は Traband 、チェコの金管楽器を主体としたジプシー音楽風のバンド、近年「ジプシー」という言葉が差別用語として「ロマ」という民族名に置き換えられることも多いが、「ジプシー」に含まれるのはロマの人だけじゃないので、ここでは敢えて「ジプシー」としている。そういえば、Les Ogres de Barback もアルメニア系、かの地のジプシーはロムと呼ばれていたようだ、彼らの音楽もジプシーの香りが濃厚である。

 1995年、歌手でマルチ・インストルメンタリストの Jarda Svoboda によって結成された。最初は、ギター、ベース、ドラムのトリオ編成であったようだが、96年にバンジョー奏者が加わり、一部メンバー・チェンジを経て金管主体のユニークな「スラヴの哀愁」を奏でるバンドとなっていく。

a0248963_1736796.jpg 最初のアルバムが O čem mluví muži (What men talking、1997年)だが、廃盤となっており残念ながら蒐集できていない。
 2枚目の作品が、Kolotoč (Carousel ~ 回転木馬)、2000年。録音メンバーは、Jarda Svoboda (g, accordion, cl, vo)、 Evžena Kredence (banjo, vo)、Jana Modráčková (trumpet player の意味らしい、女性、tp, vo)、Robert Škarda (tuba)、Petr Vizina (dr) のクインテット。なかなか賑やかではあるが、何処となく哀愁を感じさせるサウンドが彼らの持ち味。特に、チューバの柔らかな低音が心地よく、硬いバンジョーの音が良い彩を添えている。トランペットは溌剌と、切り裂くような音は一切なく、非常に素直な音だ。 Už jsme doma を聴いていて、相当チェコ語の響きにも慣れたのか、かの地では変な合唱というかコーラスが流行っているのか、歌も意味は全く判らずとも、良い気分で聴ける、最初はかなり煩く感じられたのだが。また、トランペットのお姐さんの声も硬い感じでなかなかよろしい。何より、このアルバムでは、Svoboda の哀愁を含んだクラリネットが活躍するのが聴きもの、次作以降殆どクラリネットを使用しなくなったのはどういうことなのだろう。ブンチャッチャ、というチンドン屋風の、それでも憂いを裏に隠したサウンド。

a0248963_17363662.jpg 3作目が Road Movie 、2002年。このアルバムからユーフォニウム奏者の Jakub Schmid が加わり、セクステットになる。ユーフォニウムは、金管楽器の一種で低音楽器、これを導入することで Svoboda は、アコーディオンやギターばかりを演奏し、殆どクラリネットを演奏しなくなった。アルバム・クレジットでもクラリネットの表示はない。前作よりも女性ヴォーカルが活躍しており、金管3管のアレンジも面白い。歌のサビの部分には似たような感じが多く、これはチェコやジプシー系のメロディーの特徴なのだろうか、チェコ語のたっぷりの字余り感(垢抜けなさ、といっては失礼ですが、まぁそんな感じです)にこのメロディー、たいへんマッチしている。
 架空の映画を題材とした作品のようではあるが、内容は不明、当たり前か(曲の題名すら読めない、調べないのだから当然)。音楽的には前作を踏襲しているが、クラリネットの哀愁を帯びた音色が聴けないのが残念ではある。

 まだ、購入して1か月程度、聴き込むまでには至っておらず。最初に聴いたときは大していいとは思わなかったが、通勤電車に揺られながら聴いていると段々好きになってくる、そんな感じ。6th アルバム以降は、音楽性ががらっと変わって、ワールド・ミュージック的な興味が薄れちょっと詰まらなくなるが、それはその時に。4th、5th はそれなりです。また書きます。
[PR]
by ay0626 | 2012-11-24 16:01 | rock

チェコの辺境アホアホレコメン ウズ・イスメ・ドーマ

 今日は会社の部下(女性)の結婚式に行ってきた。カラリとした秋晴れの下、明るい雰囲気で宴が進んだ。近頃の若者は何やかや言われることも多いのだが、自分の意見を変に衒わず率直に表明できる人も多いように思う、あくまで自分の知っている範囲だが。

 近頃、報道について考えたことを何点か。
 ノーベル賞の中山教授は立派だったが立派な人は沢山いる、まあかなり立派だ、と自分も思ったが。もっと面白かったのが、森●尚史氏の iPS手術実施の虚報、読売新聞のような立派な(?)新聞が裏付けも取らずに、舌先三寸コロリと騙された。直ぐばれるような嘘など吐くまい、当然のことのように思えるのだが、世の中に変な人は山のようにいる、嘘など吐き放題なんて人も相当数いる。それに加え、人を疑うことを知らない人だって山のようにいるのだから、騙される人がいて当然、今まででも思い付くだけで豊田商事事件からオウム・法の華三法行まで多くの人が騙され金を巻き上げられた、ちょっと考えれば判るような馬鹿な理屈を何故人は信じるのか。人を信じるように教育されているため?本当か。
 考えるということを放棄していないか、その人の権威みたいなものを有難がっていないか。例えば森●氏は実際東大病院で働いていたようだし、一般の人から見れば東大病院と聞くだけで「偉い先生なのでは」と思ってしまう、東大出ても就職できないような馬鹿はごまんといるし、企業に入っても皆が皆偉くなれるわけではない、そりゃ確率的に見れば、そこら辺の大学よりはずっと優秀な人材を輩出していることは確かだが。
 それでも森●氏の事件、あっという間に誤報と判り、森●氏の明かされたくない過去まで明かされてしまった、まだ1件は本当に実施などと言っているようだが、誰も信じることなどない、往生際の悪さも人格否定に繋がることをこの御仁は知らないのであろうか。
 もう一つ、大阪の橋●市長の週刊朝日の記事の件、こちらも天下のご意見番を認じている朝日新聞の週刊誌なのに、差別の関係で絶対やってはいけないことをやってしまった。子会社だから関係ないなぞ、口が裂けても言うべきではない、それなら完全に親会社との人的交流を絶ち、誌名を変更してから言うべきこと。新聞に沿った意見を書くことが多ければ、必然的に新聞社の意見と見做されるのは明らか、そうだとすれば今までの差別反対論が空虚に響く、その程度のものだったのか、と多くの読者が思うであろう。
 さらにもう一つ、田●法務大臣、これは権力が国民を馬鹿にしている典型例。どうももともといろいろあった先生らしく、大臣になれば必ず書かれるだろうことなど予想が出来たことという、大臣にするとき「身体検査」という言葉もあると聞いた、それなのによりもよってなったのが「法務大臣」だとは笑わせる。予算委員会まで欠席して、馬鹿にするにも程がある、それでも死ぬときゃ「元大臣」、そのときには週刊誌報道があって辞任なんて詳しい解説はないだろうから、本人にとっては何日間でも大臣できりゃ有難い話かも知れないけど。
 ということで、この1~2週間、面白いこと沢山ありました、面白いといっちゃ不謹慎?、でも面白いとしかいいようのないことだらけ、自分にとって報道というかマスコミについて少しは考える機会にはなったと思う。

 面白いといえば Už jsme doma (もう家にいる、という意味らしい、何を考えているんだか)、チェコのバンド、1980年代半ばから活動。共産政権では活動に制限もあったようだが、90年の所謂ヴェルヴェット革命以降はアルバム・リリースも順調で、幾多のメンバー・チェンジを経て現在まで活動が続いている。Miroslav Wanek を中心としたバンドで、初期はサクソフォンの入った明るいアヴァンギャルド・パンク、聴き難い部分は殆どなく、言葉は判らなくともアチャラカな感じはよく判る。日本にも来たことがある、多分2回。

a0248963_2223928.jpg ファーストは1990年 Uprostřed slov (In the Middle of Words)。この時のメンバーは、Miroslav Wanek (lead vo, g, kbd, b, bandleader, lyricist, composer)、 Romek Hanzlík (g, vib, vo)、 Jindra Dolanský (sax, vo, composer)、Pavel Keřka (b, vo)、 Alice Kalousková (sax, vo)、 Pavel Pavlíček (dr, vo)、 Martin Velíšek (brushes, visuals) の7名、とは言え7人目のメンバーはジャケット・デザインの担当だから実際にはセクステット。これにヴァイオリン(Track 1,3,7の3曲)、フルート(Track 2)、アコースティク・ギター(Track 2)、バグパイプ(Track 8) のゲストが参加。
 ヴォーカル曲ばかりで、比較的短い曲ばかり(最長曲でも5分程度)、リズムが目まぐるしく変化するが、楽器にフリーキー・トーンはなく、良く作曲された感じで聴き易い(あくまでも自分の聴く他のバンドとの対比でだが)。曲調は明るく、ヴォーカルも一部元気に叫ぶところはあるにしろ、それもユーモアの範囲か。
 ジャケット・デザイン担当がメンバーにクレジットされているように、ヴィジュアルは非常に面白く、全てのアルバムに統一感がある。このアルバムでも、黄色を基調にして、一軒家の中にタイプライターを打つ人物が一人、遠くには首吊りの器具のようなものが描かれている、ちょっと意味深長。

a0248963_223881.jpg セカンドは1992年 Nemilovaný svět (Unloved World)。メンバーは前作と同じ、かなりゲストが加わっている模様、チェコ語表記のためよく判らないが。コーラスを交えた曲が多いのが特徴、女性ヴォーカルも聴こえます。リズム・チェンジがますます多くなっている感じ、それでも聴き易さは変わらず、テクニカルなところも随所に見られる。
 今回のジャケットは濃いオレンジを基調に青いテーブルを囲んで裸で酒を飲む人々、まるで餓鬼のように腹だけ迫り出した格好は不気味、窓から一軒家、前作に描かれた家だろうか。
 最初のチェコ盤では9曲収録のようだが、現行盤は後に英語で再録音(ヴォーカル部分のみ?)された曲が6曲追加され77分の長尺録音になっている。

a0248963_2233739.jpg サード、1993年 Hollywood、何か映画に関係するのか、歌詞も判らないので何とも判断できないが。本作では Alice Kalousková が抜けクインテット編成に。
 1曲目からギターのカッティングに乗って泣くや喚くわのアホアホ・サウンド満開。1枚目・2枚目でのある意味真面目に作ってました感が消え、やりたい放題になってきた。どちらかというと管が前面に出た感じの前作までに比べ、ギターが頑張って、ロック的な感じが強まっている。なかなか根性の入った堂々とした出来である。
 1992年には、アメリカ・ツアーを行っており、そのときにあの Sleepytime Gorilla Museum の Nyls Frykdahl (まだそのときは Idiot Flesh の頃か) と知り合いになったらしい、後のアルバム Rybí tuk には Nyls だけではなく Carla Kihlstedt もゲスト参加している。
 このアルバム・ジャケットもなかなかのもの、4人のアメリカ人俳優のような顔の男が馬に並んで乗っている、一番手前の人物は右脇に人を一人抱えている、不気味だが何とも言えない面白い構図。裏ジャケットはその後姿を描いているが、皆ホッケーのスティック(正式名称は知らないのでこう記す)を持っている、その一つ向こうの丘の上には裸の男女、ピンクの太陽のせいで影が長く延びている。やっぱり、ジャケットは重要、そのバンドの個性の一つとなるときがある。

 中日ドラゴンズの読売ジャイアンツ相手の快進撃は今日は一服といったところ、もう一つくらいは勝てるでしょ、と思っています。そういえば、ジャイアンツも色々な芳しくない報道が多かった年でもあった、しかし金も下ネタも余り尾を引くようなことはなかった、それほど野球人気が落ちたということか。Už jsme doma を掛けて、画面だけ野球を見ているのも乙なもので。
[PR]
by ay0626 | 2012-10-20 19:28 | rock