日常茶飯事とCDコレクション
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フィンランドのデジェリドー・トラッド ヤーラルホーン

 先ほどまでやってました、ドラゴンクエスト7、何度も書いて恐縮だが、飛び抜けて面白いゲームとは思わない。それでもこれだけの時間やらせてしまうのは、やはりシナリオの良さか。面白いゲームは良く売れる、そうすれば収入が多く次回作に掛けられる費用が増える、経済的に余裕があれば開発陣ももっと面白いゲームを作ろうと張り切るから、そういう良い回転の中で名の知れたゲーム・シリーズは長く続いているのだろう。
 ポケモンも同じようなものだが、このドラゴンクエスト・シリーズも長い期間に亘って人気を保ってきた。ニンテンドー・DSでも4、5、6はやった、詳しいことは憶えていないが。ドラゴンクエスト・シリーズを初めてやったのは、多分スーパー・ファミコンの頃、今から20年近くも前のこと。子供たちが丁度小学校に上がる位の年頃、ご多分に漏れずアクション・ゲームに夢中になっていた。自分はその前から、パソコン版のウィザードリーをやってRPGにはかなり嵌り込んでいたので、アクション・ゲームばかりやっている子供たちにRPGの面白さを教えようと、中古の『ドラゴンクエスト1・2』を買ってきた訳。最初は「めんどくせー」など言っていた子供(特に次男)たちが、謎を解くごとにのめり込んでいった、やはりやり方の判るまでRPGには取っ付き難さがあるのだろう。それから何年か経って、ポケモンが登場し、子供たちはアクションとRPGの2本立てで楽しんでいる(オヤジは手が動かないので、アクションはダメだが)。

 6月も今日で最終日、月日の経つスピードは早い。今週の火曜日は半夏生、半夏という草が生える頃ということらしいが、蛸を食べる日としても有名。蛸は足が8本あって、それを稲の根に見立てて根が確りと張るように、ということらしい。また、天から毒が降ってくる日でもあって、井戸に覆いなどしたらしい、またこの日採った野菜は食ってはいけないとも、多分湿度が高くものが腐り易い時期、その戒めの意味もあったのだろう。しかし、梅雨の真っ只中の時期なのに、今年はカラッとした日が多い、今日もそれほど不快感はなかった。

 頭の悪さは、作文能力に覿面に出る、読み返すと酷い文章だ。どこかのオッサンが『ゲーム脳の恐怖』(?)というトンデモ本を書いて売れたという記憶があるが、ゲームをやりだすと他が手に付かない、ということだけはいえそうだ。

 さて、フィンランドのラディカル・トラッド・バンド、Gjallarhorn 。ラディカル・トラッドに興味を持ち出した2005年頃、Hedningarna と同時に聴き出した。Hedningarna ほどおどろおどろしくなく、演奏もアコースティク中心で、自分にとっては聴き易かった。

a0248963_2222265.jpg Ranarop、1997年。2002年には1曲追加の上、リマスターされた版が出ている(自分が持っているのはこれ)。Jenny Wilhelms(vo, vin, hardangerfiddle) が中心となるバンドで、メンバーの入れ替わりが多い。この時は、ディジェリドーが Jakob Frankenhaeuser から Tommy Mansikka-Aho に替わる時期で2人のクレジットがある、パーカッションが David Lillkvist、ビオラとマンドーラが Christopher Öhman という構成。デジェリドーとは、シロアリに中心部を喰われて空洞になったユーカリの木に空気を吹き込み低音を出すオーストラリアの原住民、アボリジニの楽器。この楽器は、循環呼吸で演奏され、音が途切れることがない(Evan Parker や Kang Tae Hwan などと同じ)。北欧のラディカル・トラッド・バンドには何故かしらよく使われる楽器であるが、専任のメンバーを抱えるのはこのバンドとオランダの Omnia くらいしか思い浮かばない。このデジェリドー、なかなか雰囲気を盛り上げるのには持ってこいの楽器で、一種の不気味さ、情念みたいなものを表しているような気がする。可愛らしい Jenny Wilhelms の声と対照となっている。
 Ranarop とは、副題にあるように Sea Witch らしいが、詳しくは判らない。

a0248963_2224121.jpg Sjofn、2000年。メンバーは前作と同様だが、ベーシストとして Sara Puljula が参加、太いいい音を聴かせている。カリンバやジューズ・ハープが聴こえ、パーカッションもアフリカ系統かと思える音を出しているのに、殆どの詞とメロディーはスエーデンやノルウェー、フィンランドの伝承曲から採られていて、フィドルの感じも丸で北欧というのもなかなか変でよい。
 4曲目などで聴かれるキンキンとした高音で歌われる羊追い歌などは独特なもの。前作よりもまとまりの点で今作の方が上。かなり重ね取りをしており、若干音を作り過ぎているような感じがないでもない。
 You Tube で彼らのプロモ・ビデオを見ると金粉で顔を彩色した Jenny さんと原始人みたいな格好をしたメンバーが出てきて、ようやるなぁ、という感じで一見の価値はある。このアルバム、一時は良く聴いた。

 ボーナスも出るまでは、まだかまだか、と思うのに出てしまうと何に使うわけでもなく、一瞬で気持ちが変わってしまうのは何故なんだろうか。
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by ay0626 | 2013-06-30 21:53 | radical-trad

どこにもない国の民俗音楽 アラマーイルマン・ヴァサラット

 先週金曜日(7日)、久しぶりにクラッシクのコンサートを聴きに行った。実に1年数ヶ月振り、それまでは会社の親しい同僚が誘ってくれて、2~3か月に一度くらいの頻度では出掛けていた。しかし、昨年の病気以来とんとご無沙汰になって、また同僚もこの4月に異動があって馴れない部署で忙しかったこともあり、これだけ長い空白期間ができた訳。
 この日のプログラムは、グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』より「精霊の踊り」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、ブラームス:交響曲第1番という構成。そう熱心なクラッシク・ファンというわけでもないので、最初のグルックとかモーツァルトなどは聴いたこともなくなく、ブラームスの1番は「ベートーベンの9番に似たメロディーの良く聴こえる曲」くらいのイメージしかない。前の日から当日に掛けて出張で、眠れなかったせいもあり、コンサート中うつらうつら位するだろう、鼾をかかなきゃいいなぁ、と思っていたのだが、案外眠くもならず楽しく聴けた。モーツァルトなど、あまり好みではなく編成も小さいので、大体寝てしまうパターンなのだが、ピアノの音が入っているのが良かったのか。ピアノの女性、変な格好でお世辞にもセンスが良いとは言えなかったのだが、演奏には嘘っぽい大仰さがなく、見ているぶんには気持ちが良かった。
 もともと、音楽教育受けた訳でもないので、本当にその演奏が良いか悪いかの判断など付くはずもない。息子がやっていた学生オーケストラと大枚何千円もの入場料の取られる有名オーケストラの違いも判然とはしないが、あれだけの有名音楽大学出身者が狭き門を潜り抜けて作ったオーケストラなのだから、多分上手いのだろう、そう思うことにしている。
 聴いているうちはまあまあ気持ちよいが、クラッシクは終わった後が嫌なのだ、あの長ったらしい拍手。大体、指揮者・ソリストとも何回も舞台に出て来過ぎる、それに出てきても何もする訳じゃなく、もったいぶって頭を下げる程度。また、指揮者が何人かの演奏家を立たせて、観客に拍手を強要するのも見苦しい、仲間内の褒め合いは舞台を降りてからやれ!といいたい。演奏家も嬉しそうな顔をするんじゃない!君たちはプロなのだから、上手く出来て当然なの。この当りポピュラー音楽であれば、2回目に舞台に出てくれば必ずアンコールと決まっていて、アンコールをそれ以上やらなければ、さっさと会場内の照明を明るくする、客も拍手もそこそこに帰り支度を急ぐ、なんともあっさりとしたものだ。
 ここまで書けばもう一つ、演奏が終わると「ブラヴォー!」と叫ぶ親父が何人かいる、あのノリはみているとAKBに熱中するオタクっぽい御兄ちゃんたちと変わらない、本人たちは高尚と思っているかもしれないが、回りから見れば違うところなど何処にもない。

 ということで、また変に力んでしまいました。クラッシクの話の後は、チンドン屋風ワールド・ミュージック、Alamaailman Vasarat のご紹介。全く脈絡ないなあ、と思いつつ。

 Alamaailman Vasarat (“The Hammers of the Underworld”という意味らしい、彼らのホーム・ページから)は1997年にソプラノ・サックスの Jarno “Stakula” Sarkula とドラムの Teemu Hänninen が中心となって結成された。この2人、91年に結成された Höyry-kone という変態プログレ・バンドの同僚、その頃は Stakula はベース担当、サックスなんか吹いてなかった。自分もこのバンドの2枚のアルバム(日本語題名が『昆虫偏愛』『偽理髪師』)を所持しているが、特に2枚目はメタル期のキング・クリムゾン的なかなりへヴィーなロックにオペラティックなヴォーカルが乗るという感じの音楽であった。かなり Alamaailman Vasarat とは異なる音楽性だった。

a0248963_14364112.jpg 最初のアルバムは2000年の Vasaraasia 。この題名、架空の国の名前のようで、そこには独裁者が居て国民を搾取して・・・・、なんぞという話のようだが、アルバムにはその手のことは何も書かれていないし、録音データの記載もなし、というある意味潔い作り。これに続くアルバム群もデータ関係の記載のないジャケット・ブックが付けられている。
 メンバーは Jarno Sarkula (soprano sax)、Erno Haukkala (tb, didgeridoo)、Miikka Huttunen (pump org, p, melodica)、Marko Manninen (cello)、Teemu Hänninen (ds, perc) の5人編成。
 短いメロディー・ラインのはっきりした曲が並ぶ。作曲面でも中心の Jarno “Stakula” Sarkula がテレビやゲーム関係の音楽の仕事をしているらしく( Stakula というのがそちらの仕事をするときの名前らしい)、それがメロディーのくっきりした楽曲に繋がっているようだ。そのため、変な編成の割には聴き難い前衛性みたいなものが皆無。
 チェロには相当なエフェクトが掛けられており、ディストーションの掛ったギターのように聴こえることも多い、特にバックに廻ったとき。キーボードは足踏みオルガンを多様している、クラリネット的なソプラノ・サックスと合わせてちょっとノスタルジックな感じになることも多い。

a0248963_1437613.jpg 2枚目が Käärmelautakunta 、2003年。このアルバムからチェロの Tuukka Helminen が加わり6人編成に。これからこの6人編成が続くことになる。
 1曲目からへヴィーなギターを思わせるチェロが響き、厚みのあるアンサンブルで聴く者を圧倒する。2曲目3曲目は一転メロディックでミステリアスな曲調と、前作よりもメリハリの付いた曲の並びとなっている。キーボードもピアノの使用などでアクセントを付けている。
 かなりのテクニシャン揃いなのは、後に出たDVD を見るまでもなく判るのだが、それを深刻さのまるでない、ヴィジュアル的にも軽味のある中でやってしまう凄さがある。

a0248963_14373279.jpg 3枚目は Tuomari Nurmio というシンガー・ソングライターとの共演盤、Kinaporin kalifaatti 、2005年作。全ての作詞・作曲は Tuomari Nurmio によるものだが、バックの演奏は一聴 Alamaailman Vasarat と判る。全体的には、民族調のメロディーが多い。チェロのピチカートの多用など今までのアルバムとちょっと違うところもあるが、ちょっとしゃがれたヴォーカルと演奏が似合っている、とは言ってもインストルメンタルのほうが圧倒的に好きだが。

 久々にフィンランドのバンドを取り上げた。かの地の音楽はなかなか変わったのが多く、もう少し探せばもっと面白いバンドが聴けるんじゃないか、とも思うのだが、今でも CD の数が多すぎ思うように音楽を聴ける時間が少ない、これ以上になると兵站線が延びすぎて収拾が付かなくなる惧れも。困ったものです(何を如何困っているのだ?と聞かれそうだが)。
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by ay0626 | 2012-09-09 12:59 | 音楽-その他

やっと着きましたニューアルバム、テンヒ。(2)

 前回の続き。今年は寒くて、年末から年始に掛けてひどい風邪を引いてしまい、(ブログを始めたのを別として)碌なことがなかった。寒さからフィンランドを連想して、もっと寒い音楽ということで Tenhi となったのかも知れない(無茶な三題話だ)。

a0248963_1445714.jpg ということで、Tenhi の Folk Aesthetic 1996-2006。バンドの10周年を記念して、それまでにデモやEPとして発表された作品を纏め、お蔵入りになっていた録音を引っ張り出し、新しいアルバムを付けたゴーカ3枚組(ファンには、1枚目は手に入りにくい音源ばっかりで感涙ものだろうが、一般客にとっては3枚目だけ単独で・・・3枚組だと手が出し難い、というわけで「豪華」ではなく「ゴーカ」と表記した次第)。
 ジャケットは、黒の下地に薄いピンクの髑髏が描かれ、その上に赤い花が咲いている。シュールでいわく言い難い印象を残す。Tenhi のアルバム全部がなかなかの芸術性を感じさせるジャケットで、それが本作を経て、次作 Saivo で満開状態になる。
 さて、1枚目。Kertomuksia(97)、Hallavedet(98)、Airut:ciwi(00)の3作を纏めたもの。サウンド的には、最初から Tenhi は Tenhi の音を出していたということか。Airut:ciwi は04年の Airut:aamujen の第1部に相当するのだろう、最初の曲こそ打楽器連打で驚かせてくれるが、2曲目は Airut:aamujen で再演される曲、3曲目はまた打楽器がリズムを刻む上にお経ヴォイスが乗る。
 2枚目は、別テイク・アウトトラック集。1998年から2005年の録音。録音や演奏に瑕疵があるわけではないので、純粋に時間の問題とか他曲とのフィット感の問題だろうと思う。
 3枚目は、Kaski という新アルバム。しかし、録音年代でいえば、最初のピアノ曲は1995年、次のよく聴くメロディーは1998年とかなり古い。他は2004年から2005年録音が中心。いつもの Tenhi サウンドだが、荒々しい感じも含んで、Hedningarna や Garmarna に近い呪術的な様相を見せることも。
 3枚、3時間。ずっと聴くのはしんどいけど、楽しませて頂きました。

a0248963_14452649.jpg さて、やっと聴きました最新作 Saivo。
 ホームページでだらだらと報告があって、それでもまだでないの・・・という感じだった Saivo は、やっと6月に「完成しました」の短い報告があって以来、また長い沈黙期間に突入。やっと、11月になって Prophecy Records に予約の案内が出た。3種類くらいのヴァージョンがあって、1,000円程度の違いなら、DVD付の豪華版にしようと勇躍予約を入れ、Pay Pal で送金。当初のリリース日が11月25日で、それが延びて12月2日に。普通1週間くらいで来るものが、なかなか来ない。20日を過ぎたので E メールで Prophecy Records に問い合わせたら、「2日に出荷したので、もうちょっと我慢してね」。その3日後、立派に包装されたブツが我が家に到着したのであった。
 確かにCDやDVDのジャケットとしては、28cm×28cmは大きすぎる、LPサイズより若干小さいくらいの感じ(収納困るなあ)。船に乗り込んだ男たちが海面(湖面?)に映った見事なイラストに艶出しの黒で Saivo と浮き出したデザインは素晴らしいの一言。イラストから見ても神話(フィンランド神話は、ケルトや北欧神話とは異なるらしい、詳しいことは調べてもあまり出てこないので、よく分からない)をモチーフのしたと思われる。この見事なイラスト、メンバーの Tyko Saarikko が描いているようで、才能というのは、音楽と絵画のように違う分野でも発揮されるものだな、と強く感じた。
 内容は、というと、これが素晴らしいの一言。カンテレかと思うような弦楽器に導かれる1曲目から「引きの魅力」満載で、冥く重い世界に一気に引きずり込んでくれる。クレジットを見ると、今回の録音にはヴァイオリン奏者は加わらず、ヴィオラ、チェロ、コントラバスと低音域の編成になっている。また、打楽器の使い方も、今までのドラムだけでなく、低い音のティンパニー(言い方が変だが)のような、要はマレットで叩く音が効果的に使われる。全体的に低音が充実しており、録音も強弱のメリハリが意識され、迫力ということでは申し分ない。今までの霞の掛かったような感じは、若干は薄れているものの、リバーヴ掛け捲ったところとの対比も面白い。70分堪能いたしました。

 ということで、入手までは若干イライラしましたが、あとはノープロブレム、楽しませていただいております。そういえば、同時期にアマゾン・アメリカのマーケットプレースで注文したブツが、まだ届かないな、来週くらいにもう一回メールを入れてみようかな(英語でE メール書くのって面倒なんだよなあ・・・ブツブツ)。
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by ay0626 | 2012-01-09 11:51 | folk

やっと着きましたニューアルバム、テンヒ。(1)

 聴く音楽のジャンルを広げようと努力はしてるつもりだが、やっぱり行き着く先は暗く陰鬱なものになってしまうのは、持って生まれた性癖のせいでしょうか。とはいえ、友人から暗い奴だといわれたことは一度もありませんが(理屈っぽい奴とはよくいわれるが)。

 フィンランドのバンドは、この数年よく聴いていて、今回の Tenhi の他にも Gjarllarhorn や Alamaailman Vasarat, Suden Aika は正規盤のほとんどをコレクションしている。強烈な個性を持つバンドが多く、いったん嵌ると1週間くらいそのバンドばっかり聴いているということも少なくない。この国のバンドのCDは手に入り難いものも多く、Gjarllarhorn は、なかなか苦労した。
 フィンランドは北欧の国だが、純粋にヨーロッパかというとそうでもない。言語は、ゲルマン系でもラテン系でもスラヴ系でもないフィン-ウゴル語属で、母音の発音がはっきりしていて日本語に似た感じがする。歴史的にもスエーデンやロシアに苛められてきた時期が長い。この人口550万人程度の小国(失礼)にこれだけヴァラエティーに富んだ音楽文化が花開いているのは驚きである。

 Tenhi というのは、村の長老という意味らしい。だからどうした!という感じがしないでもないが。1996年に出来たバンドのようで、中核の Tyko Saarikko が Ilkka Salminen と結成し(情けなくも中核のミュージシャンの名前もまともに読めない。ネットで検索しても名前をカタカナ表示したサイトもない)、Ilmari Issakainen が加入して、その後 Salminen が抜け、現在に至る。素っ気ないが、Wiki 見てもそんなところしか情報がないし、細かいことまで知ったところで、音楽を聴くことに影響はしないから・・・と負け惜しみを言いながら紹介はここまで。

a0248963_1521682.jpg ずばり、Tenhi の魅力は、フィンランド語歌詞による、男の暗鬱な低音での「お経」「つぶやき・・・ぶつぶつ」ヴォーカルと音数を抑えてヴァイオリン、チェロ、フルートを浮かび上がらせる全体に霞の掛かったような音響処理にある。
 最初のアルバム Kauan は、1999年の発表。このアルバムの前にも数枚のデモやEPの発表はあって、後にFolk Aesthetic 1996-2006 に纏められることになる。Kauan は、ヴォーカル部分が少なめで、リズムもはっきりしていて、聴き易い。その分、アクみたいなのは少なめなので、例えばMaaäet や今回久しぶりに出た新譜の Saivo の強烈な「引きの魅力」は何十分の一しかない。このアルバムを最初に聞いていたら、ここまでは嵌らなかったと思う。

a0248963_1532428.jpg 次の Väre は、2002年の発表。頭のドッワーン!と鳴らしたドラムの一撃からリバーヴを掛け捲ったフルート、ピアノの後にお経ヴォーカル出現!となれば、Tenhi の魅力満開で、ずるずるとその底なしの音世界に嵌りこんで行く。フィンランド語の母音をはっきりと発音する(子音のみの発音がない?)ところが、歌い方自体に加え「お経」に近い印象を与えるのではないだろうか。個性がはっきり表出して来たアルバム。

a0248963_1543365.jpg 2004年の Airut:aamujen は、ちょっと変わった経緯で Tenhi のアルバムに加えられた。最初は、違うバンド名で、盤元も違っていたという。Wiki によると Airut-saga の第2部ということだが(確かに2000年にMini-CDとして Airut:ciwi というのが出ているから第2部というのは頷ける)、そもそも Airut を Wiki で引いても、多分フィンランド語のページがあるだけで、読むことはかなわない。
 アルバムの中身も、今までとは相当に趣きを異にしている。ピアノをメインとし、それにあっさりとしたドラム、ベース。ヴォーカルのパートも非常に大きく、そこに女声のバッキング・ヴォーカルが常に寄り添う。静謐でアンビエント、最初聴いたときのインパクトのなさに比べ、後で効いてくる魅力。これは Tenhi の本来の姿ではないが、他のを聴いてこれだけ聴いてないとすれば、それははっきり言って・・・損。

a0248963_1513218.jpg 2006年、Maaäet 。おなじみ Tenhi 振りが一層の深化を遂げる。最初の曲では、浮遊感のあるメロディーをヴァイオリンが歌うが、同じようなメロディー・ラインが他のアルバムでも聴かれるところから、フィンランドの民謡からでも持ってきているんだろうか、と思う。実際、彼らのホームページを見ると「自分たちは、フィンランドのフォークソングに根ざしている」といったようなことが書かれている。
 ジャケットの不気味な絵(?)は、よく見ると蛇の抜け殻。蛇は、抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるといった俗信とか、精力剤として重宝されるなど、嫌悪の対象でもあるのに、反面尊敬というわけではないけれどプラスのイメージもある不思議な存在。そういえば、アダムちゃん、イヴちゃん唆したのも蛇だったな。

 ということで、題名の事象までは至りませんでした・・・。3枚組大作 Folk Aesthetic 1996-2006 と焦らされ捲くった Saivo は、次回ということで。
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by ay0626 | 2012-01-08 14:59 | folk