日常茶飯事とCDコレクション
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変容するフリー アルバート・アイラー (5)

 先週は、人が来て何かバタバタしていて書く気にならなかった。それをいいことにドラクエをやり捲くり、遂にラスボスを倒す、激闘87時間!いい歳こいたオヤジのすることではありませんな。

 明日は参議院選挙の投票日、なかなか入れる政党・候補を選ぶのが難しいが、折角この時代を生きているんだから、行って一票を投じてこよう、朝早く、爺さん、婆さんに混じって。

 宮崎駿氏の新作が公開されるとかで、NHKの9時のニュースまでインタビューを流していた。宮崎作品は、娘と行った『千と千尋の神隠し』くらいで、猫バスの出てくる何とかとか、カウンター・テナーが主題歌を歌う『もののけ姫』などはテレビで半睡状態で眺めたくらい。そういえば、もう1作映画館で見た覚えがあるが、題名も内容も思い出せない。思うに、宮崎作品は雰囲気だけで成り立っていて、そういう作品は何とでも解釈できる。頭の良い人が変に深読みして、作者も思っていないような「深遠なる思想」をそこから読み取ってしまうのだろう。一時はやった「世界系」といわれる漫画などもその類、エバンゲリオンは典型。たしかに『千と千尋』の画面は綺麗だし、その場面場面の構図は息を呑むほどのところも多々あったが、あのシナリオは何が言いたかったのか、冷静に見てみれば、案外場当たり的に決めていった感じがする。
 エンターテインメントにあまり理屈を捏ねても仕方がない。しかし、恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』を普通のミステリと思って読み始めて、なんじゃこりゃ!と思ったことがあった。合わぬ世界はあるもんだ、好き嫌いの世界だから仕方がないが、その最右翼が、宮崎駿と恩田陸ということなのだろう。
 宮崎氏には新作の宣伝のためか、戦争や従軍慰安婦に関する発言も話題となっていて、これも本人の雰囲気には合っている、あんな作品を作って好戦的な発言をしたら場違いだろう。まあ、彼が何を言ってくれても構わないのだが、考えの無い人たち(だからこそ宮崎作品を賞賛する)が彼の発言をマトモに受け止めて、あたかも自分の意見のように言い出す危険性はある。世の中、風潮に乗ることだけで生きている人たちの何と多いことか、それで困らないのだから仕方ないか。

 ということで、Albert Ayler の5回目。67~68年の Impulse に残されたアルバム2枚。相当に変わっていく音楽の姿、世評は高くないが Impulse の諸作はどれも好き。

a0248963_1521187.jpg In Greenwich Village が Impulse 移籍第1弾となるが、続いての作品がスタジオ録音の Love Cry、1967年8月と1968年の2月録音。初出時の8曲に後に3曲が追加された。
 録音メンバーは、Albert Ayler (ts, as(1, 10), vo(1, 9, 11))、Donald Ayler (tp(1-3, 5, 7, 9, 11))、Alan Silva (b)、Milford Graves (ds)、Call Cobbs (harpsichord(3, 4, 6, 8, 10))。歌い出す Ayler、神様だーい好き、と真面目だかふざけてだか判らぬが、ヘロヘロ歌い出している。神様登場のためのハープシコード、Cobbs じいさんもヘロヘロ弾く。ジャケット写真はアルトを吹く Ayler の写真、変容していく姿を象徴するような写真だ。67年7月に John Coltrane が亡くなり、その葬儀に Ayler は演奏を捧げている(Holy Ghost: Rare & Unissued Recordings にその演奏が収録されている)、その雰囲気は本作にも受け継がれているが、キリスト教とは無縁の自分にとっては、どう聴いても「神様を信じて」あんな演奏が出来るとは思えない訳。Anton Webern が「自分は無調音楽をナチスに判らせることが出来る」といったり「子供がコンパスと定規を使って作曲する日が来るのも、決して遠いことではない」といったりしたのと同じ意味で「フリーでも賛美歌になり得る」と Ayler が思っていたとしても、それはないことではない、と思えてしまうのである。
 旧LPのA面には、2分から3分の短い曲が6曲も並び、テーマを吹くと直ぐ終了してしまうような曲が多く、肩透かしの感は否めないが、ある意味ポップ志向になっていったのだろう、多分ファンクの影響も隠し得ないところだ。

a0248963_15214155.jpg 次が、問題作というか超ポップになってボーカルが全面に入った New Grass、1968年9月録音。メンバーは、Albert Ayler (ts, vo, whistling)、Garnett Brown (tb)、Call Cobbs (el-harpsichord, harp, organ, p)、Burt Collins (tp)、Bill Folwell (b, el-b)、Buddy Lucas (b, bs)、Rose Marie McCoy (vo)、Joe Newman (tp)、Seldon Powell (fl, ts)、Bernard "Pretty" Purdie (ds)、Soul Singers (vo)。最初に聴いたときは「へっ!これが Ayler ?」と驚いたものだ。どう聴いてもフリー・ジャズじゃない、ソウルとファンクにニュー・ロックの要素をゴタ混ぜにしたようなノリの良い音楽、Ayler のソロだけが辛うじて Ayler のアルバムであることを認識させる。間章がこのアルバムを難しい言葉で評価していたような気がするが、やっぱりここまで来ると「ちょっと間違っちゃったかなぁ」と思う。それでも、1年か2年に1回は聴いている、全く嫌いではないということか、Music Is the Healing Force of the Univers や Last Album の方がずっと好きだが。ここでも Ayler はメッセージを発している、英語で幸い、意味の判る言語で話されたら、きっと聴くのが嫌になったかも。

 全く音楽を聴かなくなった。音楽を聴くときはかなり熱心に聴いて、本やゲームを殆どしない。本を読み始めると、今度は音楽もゲームもしなくなったり、ゲームを始めればゲームばかりで・・・・。そのうち、音楽の紹介を中断、ということもありそうで。ご勘弁を。
 10月になれば悪魔のゲーム『ポケモン』の新作が出て、サル以下の存在になりそうな気が。それまではせいぜいサボらずにブログでも書きましょう。
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by ay0626 | 2013-07-20 14:20 | jazz

デビューの頃 1956-1959年 セシル・テイラー (6)

 台風一過、とはいかず、北風のちょっと冷たい風が吹く、雲が重く垂れる。花が散ったのに花冷えとはこれ如何。

 木曜日だったか、日銀が思い切った金融政策を発表してそれに市場が反応、円安と株高が一段と進んだ。市場が金でじゃじゅじゃぶになって、金は何処へいくのか。資金が必要な中小企業に金がいくかといえばそうは思えない、彼らには信用がない、貸し手は充分な金利が取れないのに信用リスク(元本のリスク)など取れるはずがない、従って真に必要なところにはいかない(超低金利状態で貸し出しが伸びなかったのは事実)。しかし、じゃぶじゃぶの金はどうかしなくてはならない、遊ばしておく訳にはいかないので。それは投機的な市場にいかざるを得ない、株式や不動産、コモデティなどなど、どう見てもバブルの再来を狙っているのじゃないか、その傾向は今も見えている。
 そして、もう一つ、円安が進めば輸入インフレが進む、原子力が禁じ手にされているため、どうしたって高いエネルギーを輸入しなければならない、輸出は増えるかもしれないが本当に収支は改善されるか、改善されなければ酷い円安になり、2%どころではないハイパー輸入インフレがやって来る。
 まぁ、そう悲観的に考えることはない、景気なんて「気」のもの、何をやっても上手く行くときは上手く行く、世の中そんなもん。持っている投資信託もかなり値段が上がった、ありがたや、ありがたや。

 年度初めとしては上々のロケット・スタートの世の中、自分を振り返ると(またもや運気低迷か)疑問符の付き捲る仕事振り、生活振りだが、そのうちいいこともある、そうでも思わなければやっていけない。ということで、改めて原点から(何の脈略か?原点だの初心だのはこういうときに使う言葉)。Cecil Taylor のデビューの頃、久しぶりに聴いて見ました、初期4作品+1。

a0248963_1704511.jpg デビュー作 Jazz Advance 、1956年9月録音。驚くなかれ、自分が生まれるより前に録音された作品。所有しているのは2010年の EMI ミュージック・ジャパンの版だが、音は時代がかってはいるが充分に聴ける、60年近く前の録音でもそれなりなんだ、と感心する。
 録音メンバーは、Buell Neidlinger (b)、Denis Charles (ds)、Steve Lacy (ss, track2,4)。オリジナル盤は6曲収録だけれども、後に1曲増補された(自分の持っているのは6曲収録のもの)。
 一聴、変な感じはするけれども、どう聴いてもジャズそのもの。自分のCDコレクションには他に50年代録音のジャズ・アルバムはないので何ともいえないが、当時としてはかなり前衛的な作品だったのだろう。Taylor の初アルバムという歴史的意義だけではなく、Cecil Taylor はデビュー当時から Cecil Taylor であったことを教えてくれる作品、この時、Cecil 27歳。3曲目のエリントンの Azure は後の演奏の萌芽を充分に感じさせる、また5曲目の You'd Be So Nice To Come Home To はコール・ポーターの曲をアブストラクトな現代音楽風にしたピアノ・ソロ、後の Silent Tongue や Indent などを想起させる、最終曲の Rickkickshow は、素晴らしく躍動感に富んで、聴き応えのある作品。
 Steve Lacy もこの時23、4の若造で、音楽理論を Taylor から学んでいたらしい。若々しい演奏だが2曲しか参加していないのが残念。Buell Neidlinger と Denis Charles は、初期の Taylor のリズム隊、Neidlinger はその後、クラッシクの世界にいったという。やや Denis Charles の叩き方に時代を感じる。

a0248963_176587.jpg 次が、At Newport 、1957年6月のライヴ作品。LP の A面が Taylor カルテットの作品(B面は Gigi Gryce & Donald Byrd クインテットの演奏)。録音メンバーは Jazz Advance と同じ。
 司会者の紹介に続いて、多分 Taylor が曲名をアナウンスして演奏が始まる。Lacy のソプラノが全面に活躍し、57年録音とは思えない良い音で躍動感溢れる演奏が繰り広げられる。まだまだ、充分ジャズの範囲での演奏。2曲目、3曲目が Cecil のオリジナルだが、特に2曲目などは印象に残る。
 このアルバム、LP の半分ということもあって、なかなか復刻されなかったが、単独では2002年に、そのほか Jazz Advance にボーナスとして収録された。自分の持っているのは 60-61年の Nat Hentoff Sessions のボーナスとしてのもの。

a0248963_1712636.jpga0248963_172583.jpg Looking Ahead!、1958年6月録音。Buell Neidlinger (b)、Denis Charles (ds)、Earl Griffith (vib) という録音メンバー。バイブラフォンが加わるのは珍しい。全て Cecil のオリジナルによる録音(1曲のみ Griffith との共作)。ジャズそのもので、Jazz Advance より前衛色は薄いかもしれない。
 この Cecil ~ Neidlinger ~ Charles のトリオを中心に作られたのが Love for Sale、1959年4月録音。LP でいえば A面がピアノ・トリオ(コール・ポーターの作品を演奏)によるもの、B面が Bill Barron (ts)、Ted Curson (tp) が加わったクインテットによるもの。再発時に1曲追加されたが、自分の持っているのは5曲収録の旧版。最初の曲の出だしなど、Cecil Taylor の雰囲気があって(低音を力を込めて弾くところなんぞ)好き、Neidlinger のベースも変わっていて良いが、スタンダードを基にしている分、充分にジャズ。B面の管が入る2曲は、Cecil のオリジナルで雰囲気が違うのがはっきりと判るが、まだまだ調性もある普通のジャズの範疇。

a0248963_171458.jpga0248963_1715677.jpg この流れとは別に録音されたのが、大御所 John Coltrane との共演盤 Hard Driving Jazz (Coltrane Time 、1963年に再発されたときの題名、そりゃ Coltrane の方が名前の通りが良いので仕方ないが)。1958年10月録音、メンバーは Kenny Dorham (tp)、John Coltrane (ts)、Chuck Israels (b)、Louis Hayes (ds)。他のアルバムより音が悪く、籠り気味。Cotrane もブイブイ吹き捲るというわけではないので、何気なく聴いてしまうと、普通のジャズという感じ。Cecil の側から見ても Coltrane の側から見ても特に重要な作品とは思われない、2大巨頭合間見えての作品には違いないのだが。

 ここら辺りまでが、ジャズらしいジャズをやっていた Cecil くん。60年辺りからもっと尖がってきて、62年頃には完全無調男となってしまう訳、人生に大きな転機のやって来る前夜といったところ。

 この頃、CD を買わなくなった。この1か月ほど1枚も購入していない。新しいものに手を出さなくなったせい、ここまで手を広げるとそんなものかも知れない。じっくりとあるものを聴き直してみるとしようか、また違った発見があるかも。
 
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by ay0626 | 2013-04-07 16:28 | jazz

64年のヨーロッパ楽旅 アルバート・アイラー (4)

 近頃、いろいろなガタガタがあって、ちょっと気分の悪くなることもあったが、それは年の功、なのか感性が摩滅したせいなのか判らぬが、熱くなることもなく対応した。
 このガタガタの中で考えたのは、ヒエラルキーについて。ヒエラルキー(ドイツ語ではHierarchie、英語では hierarchyで、どちらも発音がヒエラルキーではないのが面白い)とは、階層社会、階層性のこと。先日読んだ中上健次の『千年の愉楽』の舞台「路地」は、ヒエラルキー的にいうと最下層、底辺層ということになろうが、それはここでは関係ないので割愛。今回思ったのは、ヒエラルキーの上位層は、「ヒエラルキー」という概念を意識するか、ということだ。例えば人事の仕事で、ある部署(例えばAとする)から他の部署(B)にある人物を異動させる、そのとき異動をさせる者はAとBに仕事の価値の上下関係を意識したことがない、機能的には同等と見ている。それが、異動させられる当人にとっては「格落ち」と感じる、つまりAという部署とBという部署に価値的な上下関係を意識していることがあるということだ。そして厄介なことに、異動をさせる者は往々にしてAという仕事をした期間が長いことが多い。ヒエラルキーの上位にある者は、下位の者が感じる「嫌さ」を感じることが出来ない、従ってヒエラルキーが存在すること自体を意識できなくなる。これが、植民地統治など、全く文化・風習・言語の異なる人々に暴力的収奪を行うことが中心の活動となれば、上位者・下位者とも階層性を強く意識することになるだろうし、また卑近な例を採れば会社の中に常駐する業者など明らかに階層性を感じるだろう。しかし、同じ会社の中のそうした微妙なヒエラルキーについていえば、それは下位者のみが感じることになる、それが鬱積することもある。
 具体的には書けないこともあって、判り難い言い回しになってしまったが、「未だに存在する関係性」に若干の自戒を込めてここに記す次第。

 今回は、久しぶりに Albert Ayler 。アメリカ社会のヒエラルキーの底辺であった黒人の抵抗の手段でもあった(あまりそうした考え方には組したくないが)フリー・ジャズの旗頭であった Ayler は、傑作 Spiritual Unity 録音後、ヨーロッパへの演奏旅行に出掛ける。Spiritual Unity で組んだ Sonny Murray と Gary Peacock に加えて、Ornette Coleman の片腕であったトランペット奏者 Don Cherry 、このカルテットで3枚のアルバムを残す。といっても Ayler の生前に出たのはスタジオ録音の Ghost だけであったが。

a0248963_1826121.jpg 録音順で紹介すると、先ずは The Copenhagen Tapes。1964年9月3日のコペンハーゲンのクラブ・モンマルトルでの演奏(トラック1~6)と9月10日の同じくコペンハーゲンでのデンマーク・ラジオ・スタジオでの演奏(トラック7~10)を収める、2002年に初出。クラブ・モンマルトルでの演奏は、一部が海賊盤もどきのLP でこの CD が出る前にも聴くことができた模様。
 Don Cherry というトランペット奏者、決して嫌いではないが(学生時代に Cherry の Eternal Rhythm は愛聴していたし、Live in Ankara も不思議な演奏で好きだった)、どうも Ayler には似合わないような気がして仕方がない。Cherry の持つ上手さ、装飾性(テクニックといってもよいが)と噛み合わない、Ayler もテクニックは凄かったということのようだが、残された録音を聴く限り、感性が剥き出しになっているような演奏が多いように思う、それが Cherry のやり方にあっていないような気がする訳。
 モンマルトルでのライヴ録音は、音は悪くはないのだが、一部リールが撚れているようなところがあって、若干気になるところも、しかし Cherry もまずまず熱く対応しており、Cherry 入りの演奏では上位に位置する感じか。ラジオ・スタジオの録音は、これもテープの撚れがあるが、スタジオ録音とライブ録音の中間といったところ、Peacock が根性の入ったソロを取るのが聴きもの。紹介のスピーチまで収録されていて若干鬱陶しい。

a0248963_18262272.jpg 次がスタジオ録音の Ghost 、1964年9月14日録音。デンマーク Debut での作品。この作品、Cherry と Ayler の方向性の違いと録音が細い(何と書いてよいのか判らないのでこう書いておく)のが相俟って、メンバーが豪華な割には今一歩の印象。Debut には、他に My Name Is Albert Ayler と Spirits という2枚のアルバムがあるが、この2枚よりも劣るか。
 録音曲は、Ghost 、Children 、Holy Spirit など毎度お馴染みの曲ばかり、とはいっても出だしの1分くらいのテーマ提示が済んでしまえば、直ぐにフリーな演奏に突入するのだから、曲といっても演奏のきっかけくらいといういう意味で。

a0248963_18263644.jpg 3枚目が、The Hilversum Session 、1964年11月9日、オランダ・ヒルバーサムのラジオ・スタジオでの録音。音が素晴らしく良く、スタジオ録音として充分に聴ける作品。
 曲の演奏スタイルとしては、前作と同様だが、音が生々しく採れている分、こちらに軍配が上がるか。Cherry のソロは端正な感じで、やっぱり上手いなと思う反面、感覚の違いもあるのが判る。ヨーロッパ楽旅もそろそろ終わろうかという頃、アンサンブルにも纏まりがあって、大分練れて来た感じ。この時期の Ayler の作品の中では特に好きな一枚。
 お馴染み、後ろで密やかに聴こえる唸り声、これって本当に Murray の声なんだろうか。

 ということで、何が書きたいのか益々訳の判らなくなってきた当ブログ、もうちょっと読書やライヴに行ければその感想が書けるのに、気力・行動力が落ちていく中で頭の中の抽象概念だけが肥大気味、何とも致し方のないところ。
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by ay0626 | 2013-03-09 16:45 | jazz

衝撃の1964年、スピリッチュアル・ユニティとその前夜 アルバート・アイラー (3)

 やっぱり、選挙は酷い結果だった、前回民●党に投票しにいった人が今回は棄権するか第三極と呼ばれる有象無象に票を入れ、自民党は獲得票数が変わらないのに歴史的大勝となった訳。まぁ、この3年余りの迷走に次ぐ迷走、最愚宰相が2代も続けば、その結果はこんなところとも思ってしまうのだが、しかしその果ては、『お腹痛い』と一年で政権を放り投げた首相の再登板、漫画ばかり読んで頭の中身が疑われる首相経験者が財務大臣、権力闘争に敗れ続けた元総裁まで入閣の噂、これじゃ『昔の名前で出ています』内閣。取り敢えず頑張って頂くということで、期待はしないけど、税金だけは大切に使って下さい。
 それでも、野●元首相はどんな気持ちなのだろう、ちょっとは興味がある。自爆テロだとか言ったバカな元文部科学大臣もいたのだが、ホント完全落選で良かった、あんたも首相に選んで貰った訳、批判だけでも封印するのが人の道ってもんだろう。

 年末も近くなり、ヨーロッパはクリスマス・シーズン、そのせいかチェコのレーベルに注文したCDがなかなか到着しない。12月11日付けで「発送完了」のメールが着ていたので、そろそろだとは思うが。年末は、何があるわけでもないのに、何か慌しい感じがする。この時期の3連休はあまり楽しくはない、小学校・中学校はこのまま冬休みに突入なので開放感が大きいのかもしれないが、生憎大人はそういうわけにも行かず、何かやらなきゃならないが、未だ年末準備をする時期でもない、非常に中途半端な感じ。そうしてみると、昭●天皇は良い時期にお生まれになった、あの方がいなければゴールデンウィークも今のような形にはならなかったのだから、それだけでも大したものです。

 久しぶりにジャズ、Ayler の Spiritual Unity でも。何といっても自分のジャズ歴は Weather Report と Albert Ayler から始まる。やはり、主流のジャズは面白くなかったし、今でも余り聴こうとは思わない。Miles Davis は、最近でこそ良く聴くが、ジャズを聴き始めた頃は彼の音楽は退屈で仕方がなかった、尤も今でも新クインテット以降しか聴かないので、あれが当時のジャズの主流とは思わないが。やはり、衝撃が最も大きかったのが Ayler 、Taylor もそりゃあ凄いと思ったが、サキソフォンの衝撃度はピアノの衝撃度の何倍もあったということか。

a0248963_2095956.jpg 1964年6月14日、ニューヨークの Cellar Café でのライヴが Prophecy 、Ayler の死後1975年になって発表された作品。Spiritual Unity のほぼ1か月前の録音で、Spiritual Unity の方法論は完全に確立されている。Ayler は、フリーの典型のように言われるが、例えば Coltrane や Pharaoh Sanders のように咆哮するような吹き方は少なく、ぐにゃっと曲がったような泣くような感じの演奏が多いように思う。陰に籠ったというわけではないが、外に発散するようなところは少ないように思うのだ(この時点では特に、後期に行けば、死の直前期などは随分ふっ切れた感じがあるのだが)。
 この時のメンバーは、いわずと知れた黄金のトリオ、Albert Ayler (ts)、Gary Peacock (b)、Sunny Murray (ds)。Murray のどしゃどしゃとした特徴的なドラムが印象的であると同時に、ああ Ghost はこのドラムじゃないと、といいたくなるというもの。Peacock は、今となっては Jarrett Trio の名ベーシストということなのだろうが、ちょっと違和感有り捲くり、変節のようなものを感じてしまうのは、ただ自分の Jarrett 嫌いのせいか。でも、あのグレン・グールドを真似たとしか思えないクラッシクかぶれの芸術家さんはどうしても好きになれないのです。
a0248963_20102933.jpg この Prophecy の増補盤が 1996年にドイツでリリースされた Albert Smiles With Sunny。この CD、かなり博捜したものの手に入れることが出来ず、かなり悔しい思いをしたが、後に出た10枚組アーカイヴ、Holy Ghost に増補部分が全収録されることになり、聴くことが出来るようになった。この部分は、Albert Smiles With Sunny と曲表示が異なっている模様。ちなみに、ドイツ盤は、Sweet: first variation (6:29)、Ghosts: third variation (10:20)、Truth Is Marching In (10:53)、No Head (6:44)、Sweet: second variation (9:22)となっているが、アーカイヴでは、Spirits [incomplete] (6:38)、Saints (10:32)、Ghosts [incomplete] (10:56)、The Wizard (6:51)、Children (9:05)、Spirits [theme] (0:28)となっている、いかにも曲の題名に拘りのなかった Ayler らしい感じではある。

a0248963_2011668.jpg そして、同年7月10日、傑作 Spiritual Unity 録音。ESP レーベルの名を一躍世に知らしめた作品。テナー・サックスを持ち走っているような男を描いたジャケットの素晴らしいこと。
 35年ほど前に聴いたとき、初めて思ったことは「こんな雑音、金払って聴く奴がいるんだ」。それが、数回我慢して聴くうちに「ああ、フリーって気持ちがいいんだ」に変化する。馴れというのは恐ろしいもんで、今では全然平気、むしろ、時間が経つと、Peacock のテナーへの合わせ方とか、ソロの取り方とか、Murray の唸り方とか細かい点も聴き込むようになって、それは良い音楽経験であったと思う次第。これを基にヨーロッパ・インプロから一部のノイズ・ミュージックまで聴けるようになっていく、しかしノイズ・ミュージックは余り必然性を感じられないものも多いが。
 このアルバム、何度もレーベルを変えリリースされてきた、殆ど入手不能になる時期もなかった。これほどの名盤(?)でも不思議なことがあるようで、それは3番目の収録曲 Spirit のヴァージョン。今流布しているのは6分52秒のヴァージョンだが、1964年の初リリース時は7分50秒のヴァージョンだったという。この二つのヴァージョンを初めて収録したのが、1993年に徳間ジャパン傘下のヴィーナス・レコードからリリースされたもの、自分が持っているのがこれ。例えば、Coltrane の Ascension にも2つのヴァージョンがあったように、稀には同じレコード番号でもこうした違いがあるようだ。Ascension は、この事実が明らかになって以降、幸い CD なら2つとも収められる演奏時間なので、両ヴァージョンとも収録されているようだ。しかし、Spiritual Unity に限っていえば、これ以降2つのヴァージョンを収めた盤はない、これはどういうことなのだろうか、不思議だ。
 もうひとつ、収録曲の4番目 Ghost : Second Variation の途中に入る ’ピー' という音。この音、昔の盤には入っていた、自分の持っている盤も同様。しかし、最近の盤には入っていないという。かなり気になる音なので、消せるものならもっと早く消すべきだったのではなかったか、不思議だ。
 ということで、35年間、年数回程度は聴いています。

 Ayler は、歴史に埋もれることもなくリリースされ続ける。ほんの短い人生だったが、音楽家としての名前は長く残っていく、それはそれで幸せなことなのだろう。
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by ay0626 | 2012-12-22 17:04 | jazz

イタリア、ソウル・ノートへの録音 セシル・テイラー (5)

 立冬も過ぎて、しかしまだコートまでは要らない温度、今くらいが丁度良い気候か、空も高い。読書も気分が乗らず、寝る前にはウォークマンで CD を2枚程度聴くというのがこの頃の日課。
 ついこの間、「この頃は CD の購入も減って・・・云々」などと書いたが、買い出すと次々に買ってしまう悪い癖が出て、聴いていない CD がここあそこにゴロゴロ転がっている。一応、ウォークマンのデータ容量には未だ空きがあるので、次々に放り込んではいるものの、なかなか聴く時間がない。

 先日、田●文科大臣が、突然大学設置を認めない、などといい出して、関係者を慌てさせたことは記憶に新しいが、考えてもみれば、この国に700もの大学が必要なのか、少数や分数の計算も出来ず、英語で1から100まで数え切れない、こんなのが大学生なんぞ片腹痛いわ・・・と思う。一方、凄く勉強している学生も多いのは確か。就職が厳しいのが理由なのか判らないのだが、自分の行っている会社に応募してくる学生のなかには、留学経験もないのに Toeic 900点以上なんていうのが何人もいる、勉強ばかりじゃないのは「何とかクラブで代表を務めました」などとのたまう者もいることから判る、のんびりするということを知らないのか。理系女子ではそれに加えて美人という人も多い、大したものだ。
 30年も歳が離れれば、食べるものも日常の生活スタイルもかなり異なる、経済情勢や社会常識も大きく変わってきている。おじさんが頭が大きく手足の短いちんちくりんだとしても、子供はスラリと手足の長い良いスタイルだったりする。おじさんが入った頃の大学は、稀にでも機動隊が学内に入り、ヘルメットを被ったお兄さん達が「我々はぁ、断固としてぇ~、大学のぉ、帝国主義的なぁ体制にぃ抗議の声をぉ上げるう~」などと声の割れる拡声器で大声を出していた、もちろん学生は一部を除き授業なんかに行かず。それがどうだ、今の特に優秀な学生は授業には必ず行くという、多分よい方向なのだとは思うが、そんな青春時代はやっぱり嫌だなぁ、と怠惰な学生時代を過ごした自分は思ってしまうのである。
 やっぱり調性音楽ばかりでは息が苦しくなる、ということで冒頭に繋がりまして、Cecil Taylor の5回目、無調シリアス・フリー男、久々の登場です。

 Cecil Taylor のレコーディングは、70年代半ば以降ヨーロッパで行われることになる。ドイツの Enja 、MPS 、スイスの Hat Hut 、イギリスの Leo などヨーロッパのレーベルへの吹込ばかりで、88年以降は FMP へ進出、完全にヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションへ取り込まれ(?)、アメリカン・フリー・ジャズとは一線を画すことになる。この中でも、ヴァラエティーが豊かなのがイタリア Soul Note への吹込、ソロ ~ デュオ ~ スモール・コンボ ~ オーケストラと様々な形式の演奏が収められている。
 Soul Note は、たしか Black Saint というレーベルの兄弟分だった。アメリカのフリー・ジャズを中心にしたリリースが多く、Black Saint では String Trio of New York や World Saxophone Quartet なんぞ良く聴いたものだ。Soul Note は、特に記憶に残るような録音はないが、アメリカとヨーロッパ、程よいカタログ構成だったように思う。

a0248963_17485991.jpg Soul Note 最初の録音が、Max Roach とのデュオ・アルバム、Histrical Concerts 、1979年12月コロンビア大学での録音。 Max Roach は、ジャズ・ドラムの大御所、1924年生まれだから Taylor よりも5歳年上となる。ビ・バップのドラマーとして最初期から活動、公民権運動への関わりなど、政治的関心も高いようだ。70年代末から80年代にかけて、Taylor 以外にも Archie Shepp 、Anthony Braxton 、Abdullah Ibrahim (自分にとっては、African Piano の Dollar Brand の印象が強い)などのフリー系ミュージシャンとの録音がある。
 ジャズ・ドラマーであるところの Roach との対戦は、各々5分程度のソロから始まる。第一ラウンドは40分を超える長丁場、ちょっと相手の出方を伺うような感じはあるものの、そのうちに組んず解れつのバトルを展開する。第二ラウンドは38分、Raoch の反則色物パーカッション攻撃から始まるが Taylor 一切挑発に乗らず我が道を行く、それでもRoach は相手の出方を良く見て上手くパーカッションを選び、音を出している。その後は、相手の出方も十分承知、一層熱い演奏が繰り広げられる。演奏の前にリハーサルなどは一切なかったという、大したもんだね。最後に17分ほどインタヴューが収録されているが、全く聞き取れません、無駄な努力はしないことにしているので、1回しか聴いておりません、はい。

a0248963_17492479.jpg 2枚目は、ビッグ・バンドの Winged Serpent (Sliding Quadrants)、1984年10月ミラノでの録音。11人のアメリカ ~ ヨーロッパ混成、メンバーは、Cecil Taylor (p, vo)、Jimmy Lyons (alto sax, vo)、Enrico Rava (tp, vo)、Tomasz Stanko (tp, vo)、Frank Wright (tenor sax, Vo)、John Tchicai (tenor sax, b-cl, vo)、Gunter Hampel (baritone sax, b-cl, vo)、Karen Borca (bassoon, vo)、William Parker (b, vo)、Rashid Bakr (dr, vo)、Andre Martinez (dr, perc, vo)。Jimmy Lyons にとっては最後の録音(86年死去)。
 大傑作、作曲され非常にコントロールの効いた、それでもフリーのエネルギーを失わない素晴らしい演奏。Taylor のユニット把握力は凄いものがあって、78年の One Too Many Salty Swift and Not Goodbye のソロ配置の流れなども感心することしきりであったが、本作もそれを超えた凄まじさがある。これだけ統制が取れているのは、ヨーロッパ勢が比較的穏健な(?)フリー・ジャズ・ミュージシャンであることも関係しているのかもしれない、これは後に述べる Olu Iwa との対比での感想。
 3曲目は、ポエット・リーディングの影響での集団ヴォーカル・インプロヴィゼーション、案外すっと聴けるのが不思議、オーケストラのこってり感が中和されるためか、しかしこれもこってり感はあるよなぁ、ちょっと方向性を外したところでの作品。

a0248963_17494980.jpg 3枚目、ピアノ・ソロ For Olim 、1986年4月9日録音。FMP が毎年開催しているワークショップ・フリー・ミュージックでの演奏。前回紹介した Sweet Basil でのライヴ Iwontunwonsi と Amewa が2月の録音だったので、2か月後の録音ということになる。この頃の録音は、一時の熱狂的な感じがなくなり、一音一音考えて叩いているように思う。また、このアルバムは最初の曲こそ17分ほどあるが、あとは1分から5分と短い曲ばかりで、非常に聴き易い。世評も高い作品。

a0248963_17501454.jpg 4枚目は、同じ演奏会での4月11日と12日でのユニットでの録音 Olu Iwa 。1曲目は4月12日の録音、48分に及ぶ演奏で、編成は3管編成(テナー・サックス2、トロンボーン1)のセプテット。メンバーは Cecil Taylor (p)、Thurman Barker (marimba, perc)、William Parker (b)、Steve McCall (dr)、Earl McIntyre (tbn)、Peter Brötzmann (tenor sax, tárogató)、Frank Wright (tenor sax)。最初の作曲された部分から管なしのカルテット演奏、そして23分過ぎたあたりから管が入り、Brötzmann がソロを取ると混沌度が一気に上がる。流石 FMP を作り、ドイツ・フリー界を背負ってきた大立者、ちょっとやそっとのことではアメリカの巨人には負けない。Taylor も応戦に精一杯という感じか。80年代半ばのこういった交流を経て、88年 FMP 本拠に乗り込むことになる。
 2曲目は、前日11日の録音、管の入らない2人パーカッションのカルテット。Thurman Barker のマリンバの音色の良さと William Parker のベースの変幻自在なこと。87年の Leo 3部作よりはかなり辛口の演奏であるが。

 久しぶりにジャズでしたね。しかし、この頃はウォークマンで Miles Davis をよく聴いている(それも65年から67年の作品)ので、自分の中では、久しぶりにジャズという訳ではないのだが。
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by ay0626 | 2012-11-10 15:14 | jazz

デビューから Spiritual Unity までの アルバート・アイラー (2)

 先週・先々週で3冊読了。2冊は牧野修さんの「死んだ女は歩かない 2」「同 3」、そして島田裕巳氏の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」。【ネタバレあり】牧野さんの作品は、今回はツボに嵌りまくり、いつもなら魅力的キャラクターを惜しげもなく殺しまくるのに今回は●谷以外は全員生き残りのハッピーエンド、強い女の魅力爆発と言ったところ。●ン元所長も中年男の哀愁と正義感を振りまいてカッコいい。【ネタバレ終わり】島田氏に教えて貰ったのは、浄土宗と浄土真宗の違い、今までよく理解できていなかったのだが、納得のいく形で腹に落ちた。そして72ページの「草木国土悉皆成仏」という文句から日本人の無宗教について、「戒律も必要なく、さらには仏教の教えそのものさえ意味をなさない」とし「宗教そのものの存在意義を否定することにも結びついていく」との考え方には大いに共鳴した。

 昔、昔も大昔、初めて芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだとき、幼心に思ったことは「お釈迦様はなんて酷い人(?)なんだろう」。昔から捻くれていたのかもしれないが、そう思ったのである。それは、釈迦が、ずっと苦しんできた人に対し寛容の心を持てということが出来ないのを判らなかったこと(判っているけれど原理主義的な対応を取ったこと、かもしれない)、再び地獄に落ちていくカンダタに対し『悲しそうな御顔』程度の対応しかしかなかったこと、この2点。当時、ここまで整理できていたとは思わないが、今でもこういう思いに囚われたことは記憶に残っている。
 死ぬほど辛い責めにいたぶられた人が、一縷の希望を蜘蛛の糸に見出した、大勢の人が登ってくれば切れてしまうのは火を見るより明らかだ。そのときに「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」といったのは当然の理であって(唯一引っかかるとすれば『罪人ども』という言葉だけ、自分も罪人)、なにもおかしなことはない。カルネアディスの舟板みたいなものじゃないか、何がいけないんだ。カンダタは今まで以上の絶望感に打ちひしがれるはずだ、それも「慈悲の心がない言葉を吐いたから地獄に逆戻りした」などとは認識できず、やはり「馬鹿が大勢登ってきたからだ」と周りを怨む心だけ増大する。何のための釈迦の行為か、阿弥陀だったら助けたかもしれないか。
 そして『悲しそうな御顔』は完全「上から目線」。自分が悟ったからと言って、悟らずにいるものを劣った者として見るのは止めてくれ。生まれたときからスラムに住み、暴力と汚辱の中で育った者に慈悲を説いても、慈悲に接したことがなければそもそも慈悲の概念自体を認識できないと考えるのが普通ではないか。

 昔の船舶振興財団(うろ覚え、今の日本財団)のテレビ・コマーシャルで「人類は皆兄弟、お父さんお母さんを大切にしよう」と●川●一さんが優しい笑顔で言っていた。それに対するギャグ「人類が皆兄弟なら、大切にするお父さんお母さんはいません」。
 一見まともそうに見える既成概念を疑え、いろいろな見方をしろ、正義など何処にもない、すべては関係性の中にあると竜樹は説いたのではなかったか。そして草木も仏になれるのであれば、人間などなれて当然、なれないとすれば、考える者ほど仏性から遠くなる、草木の方が動物の方がより神や仏に近いことにならないか、逆説といえば逆説。

 Albert Ayler が神をどう認識していたかは判らない。少なくとも Spiritual Unity だとか、Music Is the Healing Force of the Universe とか、Holy Holy 、Saints などの楽曲の題名を見れば、神様を深く信じていたか、それとも馬鹿にし捲くってたか、のどちらかだ。自分の不気味な楽曲にそんな題名を付けたとなれば、後者の可能性も少なくはないだろう。Evan Parker はどう見たって無神論者、でなければ宗教に対して何の尊敬もない、という感じがするのだが、あの Kang Tae Hwan だってクリスチャンだからなあ。もし、Ayler が熱心なクリスチャンだったとすれば、なぜイースト・リヴァーに浮かばなくちゃならなかったんだろうか。

a0248963_16194120.jpga0248963_16201766.jpg Ayler の初めてのレコーディングは、1962年10月、あの Spiritual Unity の録音が64年の7月だから、ほんの2年弱前のことだ。スウェーデンの Bird Note というマイナー・レーベルにLP 2枚分の記録が残された。ストックホルムのアカデミー・オヴ・モダーン・アーツのホールで収録とあるが、酷い録音でベース・ドラムのレベルが低く過ぎ、サキソフォンばかりが聞こえ、そのサックスも音が突然大きくなったり、小さくなったりする。またLP からの盤起こしのためか、矢鱈とプチプチいう音が耳障りだ。
 肝心のアイラーは、というとそれほど悪くはない、案外まともな音を出しているが、2年後のブレイクを十分に感じさせる。やはり、作家の田中啓文さんのいう通り「Ayler はずっと変わらなかった」のであろうか。
 ターンテーブルに乗るかというと、やはり回数は他の作品に比べ極端に少ない、やはりこのアルバムは、記録の重要性ということで聴くよりも持っていることの意義の方が余程大きい・・・コレクター根性丸出しと言うべきか。

a0248963_16203925.jpg それから3か月弱経過した63年1月にコペンハーゲンで録音されたのが My Name Is Albert Ayler 。デンマークの Debut からのリリース。可愛らしい声での自己紹介から始まる本作は、録音はもとより共演者にも恵まれ、初期の代表作といってよい。スタンダードが中心で、その中でも Summertime は本作中の白眉。うねくり、細かなヴィブラートを掛けられたメロディーには心を揺さぶられる、残念ながら「感動」してしまうのだ。一転、最終曲の C.T. (もしかして Cecil Taylor のこと?)は、フリーらしいフリーで、やはり Spiritual Unity を生み出す人なのだ、ということが判る。
 共演者の中で驚くべきは、ベースの Niels-Henning Orsted Pedersen 。本録音時はほんの15歳。こんなへんてこな音楽に15歳の時から付き合って、人格捩れないのかなあ、などと心配するが、大物にはなっていった。

 その1年後。Ayler 、N.Y. に現れる。64年2月、Spiritual Unity の5か月前。同日に全く傾向の異なる2枚のアルバムを吹き込んでいる。どちらが先の録音かは定かではないが、一応 Albert Ayler org のディスコグラフィーに従っておこう。
a0248963_1621380.jpg と言うことで、Spirits 。大学時代に初めて Freedom 盤で聴いたときは Witches And Devils と題されていた。メンバーは、Norman Howard (trumpet)、Henry Grimes (bass [tracks 1,2,4])、Earle Henderson (bass [tracks 1,3])、Sunny Murray (drums)。Murray の不気味な唸り声がばっちり入っています。
 完全なフリーで、1曲目の Spirits こそ荒々しいフリーらしい感じではあるが、2曲目以降は、 Ayler のテナーに細かなヴィブラート入り捲くり、泣いているような、うじうじと這い回るような不気味で独特な音群が紡がれる。3曲目の Holy Holy には Ghost のメロディーがはっきりと聴こえる。いずれにせよ、Spiritual Unity の前夜の雰囲気は濃厚に漂う。

a0248963_16212337.jpg もう1枚が Going Home 。メンバーは、Tp に替わり P が入り Call Cobbs Jr. (piano)、Henry Grimes (bass [not tracks 1 & 7])、Sunny Murray (drums [not tracks 1 & 7]) というカルテット編成。Ayler の死後、1971年にリリース、94年に3曲を追加しCD化された。
 ゴスペル曲集といったところで、テーマを吹くのみ、アドリブなしの4分から5分程度の短い演奏が10曲入っている。堂々とした吹きっぷりで、聴き易いのもあって一時はよく聴いたものだ。ここでは、フリー界の巨人である Grimes にしろ Murray にしろ、奔放になれる時間を与えられないため、神妙で端正な(?)演奏を聴かせている。

 なかなか、Spiritual Unity には行かない、次に紹介するのは Love Cry 以降の作品だったりして。やっぱりへそ曲がりだよなあ、自分でもそうは思っているんですよ、いつも。
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by ay0626 | 2012-06-03 13:46 | jazz

アメリカン・フリー・ジャズの最終期、86~87年 セシル・テイラー(4)

 何回か「感心」と「感動」の違いみたいなことを書いてきたが、ちょっと例を引いて補足しておきたい。自分の好みを具体的に述べておきたいのだ。

 端的な例で言えば、石川啄木の有名な短歌『やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごどくに』が「感動」、西東三鬼の『水枕 ガバリと寒い 海がある』が「感心」、また安西冬衛の『てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った』でもよい。
 石川啄木の歌は、『泣けとごとくに』と直接的な感情表現(稚拙ともいえる素直さ)で、読み手の心を揺さぶる。啄木の短い人生を知り、ふるさとに寄せる思いを知るとなると、この歌の一層の悲劇性みたいなものが大きくなる。学校では、歌そのものに加え、夭折した悲しい人生までおせっかいにも教えるから、みんなころっと「感動」してしまうのである。そのくせ、本当のところは生活力のないぐうたらで、行っていた学校はカンニングで放校同然だったこと、友人(金田一京助)が家財を売り払ってまで支援してくれたのに、その金で娼館に通い詰めて、その借金が増えていったこと、など詳しくは教えてくれないので、美化されてしまう。まあ、夭折してしまうと「悲劇の天才」になる可能性は飛躍的に増大するが。

 それに対し、西東三鬼って誰?、安西冬衛って誰?という感じだろうと思う。西東三鬼は、本業が歯医者で京大俳句事件と呼ばれる言論弾圧事件にも関与したが、派手な人生ではなかったようで、62歳で亡くなっている。また、安西冬衛に至っては Wiki にも詳細な情報はなく、生年と没年が判る程度だ。それにしても、石川啄木との知名度の差の激しいこと。
 『水枕 ガバリと寒い 海がある』、「水枕」から「寒い海」への連想、「ガバリ」との擬音語がどう繋がるのか、それがこの俳句の味噌で、その連想・擬態語の特異な組み合わせは、感情にはいっさい訴えるものは無い。ただ、その組み合わせに唸るしかない、その冷たいイメージが背中に寒気を覚えさせる訳だ。これが「感心」という言葉で言いたかったことなのである。
 『てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った』も同様、「てふてふ」という旧仮名遣いで現される小さな、繊細なものと、「韃靼海峡」という荒々しいイメージの見事な対照に感情ではなく理性が唸るのである。

 「死」は絶対的に悲しい、感情に訴える、どれだけそれが文学作品や映像作品として作成されたか。夥しい数に上るだろう。それは簡単に人の感情を動かすことが可能だから、言い換えれば「感動をありがとう」になり易いからだ。

 Albert Ayler と Cecil Taylor との関係も同じような感じで、80歳を超えてまだ矍鑠とピアノを弾くことはあまり悲劇性には結びつかない、Ayler のようにリヴィエラでの傑作ライヴを残した直後にイーストリヴァーに浮かぶという悲劇が人の心に残すものとは、比べるだけ野暮なのだろう。

 さて今回の Cecil Taylor は、ヨーロッパ・フリー(FMP のミュージシャンたち)との膨大な数のセッションとレコーディングによっての合体を果たす直前、86年と87年のアメリカン・フリー(黒人の音楽としてのジャズから生み出されたフリー)の最終局面の作品について見ていこうと思う。ヨーロッパ・フリーとの交流以降については、殆ど興味が無い、黒人のルーツ音楽としてのフリー・ジャズはヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションとは本質的に異るものと考えるからだ。自分にとっての Taylor は Ayler と並ぶ黒人ルーツ音楽としてのフリー・ジャズの音楽家として認識しておきたいと思っている(なんて勝手な言い草!)。

a0248963_15443698.jpga0248963_15445418.jpg 86年の録音は、Sweet Basil でのソロ・ライヴを収めた2枚、Iwontunwonsi と Amewa の2枚。他にもイタリア、Black Saint に2枚のアルバムを残してはいるが、それは Black Saint の他の諸作と一緒に別の機会に譲る。
 この頃には、言葉によるパフォーマンス、ポエット・リーディングに目覚めた頃の録音で、渋い声での唸りがそこここに聴かれる。ポエット・リーディング自体面白いとは思わないが、Taylor には思うところが大きかったのだろう、自分は持っていないが、翌87年、ヨーロッパ楽旅の最終に Leo レーベルに Chinampas というポエット・リーディングで全編を通した(ピアノ一切なし!)珍奇なアルバムを録音している。
 この2枚は2月8日の2つのステージの演奏を収めたもので、いわば双子のアルバムということが出来る。楽曲は非常に厳密に組み立てられており、その場での即興というより、楽譜に書かれていないだけの作曲作品といっても良いのではないか。少なくとも左手の部分は、同じようなパターンが頻出している。
 本作品は、日本の Sound Hills というマイナー・レーベルからリリースされたもの、95年の発売だから、録音されてから8年も経ってから日の目を見た録音。日本の典型的な訳判らない珍妙な解説付きで、日本語の副題が「真実の美とは!」。これに対してニヤニヤ笑わない筈がない。

a0248963_15453758.jpga0248963_15455457.jpga0248963_15461349.jpg 次は、87年の Leo レーベルでの3作、Live in Bologna (11月3日録音)、Live in Vienna (11月7日録音)、Tzotzil/Mummers/Tzotzil (11月13日のパリでのライヴと11月16~17日のロンドンでのポエット・リーディングの合体作)。
 メンバーは、Leroy Jenkins (vl)、Carlos Ward (as,fl)、William Parker (b)、Thurman Barker (dr,marimba,perc) 。室内楽的な感じで、Taylor のピアノなどいつも通りかなり激しく弾き倒すところもあるのだが、ある種の長閑さまである。これは、ヴァイオリンもそうなのだがアルト・サックスがフリーキーな音を一切出さず、長めの伸びやかで澄んだトーンに終始していること。フルートも同様で、そういえばフルートなど Taylor Unit に入っていたこと、あったっけ?フルートの音色自体が柔らかなイメージを織り上げる。加えて、マリンバのこれも柔らかな響き、ドラムに廻っても煽るような叩き方はしないため、切迫感がない。唯一ベースだけが、忙しげに数多くの音を紡ぎだすのだが、それはそれで良い。明確なソロがなく、集団での即興演奏に近い、例えば78年の超傑作 One Too Many Salty Swift and Not Goodbye などは、見事なまでに計算されたソロの配置だったが、それとは異なるやり方となっている訳だ。
 3作とも好きな作品だが、Tzotzil/Mummers/Tzotzil が最初と最後のポエット・リーディングを除けば、一番好き。アメリカン・フリー・ジャズとしての最終局面にこの3作が残されたのは、非常に印象深い。

 そういえば、ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼーションが感情に訴えない「感心」派とすれば、アメリカン・フリー・ジャズは黒人の情動から始まった「感動」派の音楽ではないのか、って訊かれたらどうしよう、だってその通りだから。
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by ay0626 | 2012-05-20 14:09 | jazz

ジョージア3部作 + Vista マリオン・ブラウン

 ジョージア州といえば、アメリカ南東部に位置する自然豊かな州というイメージが強い。州都のアトランタで1996年にオリンピックが開かれたことでも有名(スポーツには殆ど関心がない自分にとっては、さして重要なことではないが)。

 ジョージア州で有名なのは、綿。コットン・フィールドという綿花畑が美しい風景を形作るそうな。しかしながら、昔は奴隷が劣悪な条件で働かされていた場所であったのも事実。ヨーロッパ人はヒューマニズムみたいなことを言いながら、それは白人間のことだけだよ、という確固たる信念があったようで、奴隷制度が廃止された後でも、州単位では人種差別を合法化する法律が出来るなど、ずっと差別は残り続け、1950年代から60年代にかけてキング牧師の公民権運動を経て、やっと少しずつ改善されていくことになる。日本人も人種差別の対象であって、第二次世界大戦中、同じ敵性国民でも日系人は強制収容所に入れられたが、ドイツ系に対してはそんなことはなかった、ということが有色人に対する差別意識を雄弁に語っている。

 人間は、まずコミュニケーションを取れないとダメ、次に姿形が似通っていないとダメの2重となった差別構造があるようだ。理解できない言語で話をされれば、悪口を言われているのではないのか、悪事の相談をしているのではないか、と思うのは当然であって、悪事を働けば皆殺してしまえばよい、と思う某イギリス人は、自分の召使にしか英語を教えなかったようだが、真面目な日本人は、朝鮮民族や台湾人に日本語を強制するものだから嫌われてしまった。
 姿形でいえば、アフリカの多くの民族でアルビノ(色素欠乏症)の子供が生まれると、すぐに殺してしまう例も多いと聴く。もともと、奴隷としてアメリカ大陸に売られた黒人の多くは、黒人部族間の争いで捕まって、ちゃんと代金を白人が支払って(?)輸出されたものらしい。昔はやったドラマのルーツのように白人様御自ら狩に行くことは殆どなかったようだ。黒人間でも、言語の違いだの、ちょっとした見てくれの違いなどで、(日本人にはそう見える)同胞をいとも簡単に売り払ったようだ。

 こう考えるとジョン・レノンのお気楽な「イマジン」の世界など到底出来ようもないが、情報が世界中何処でも簡単に手に入れられることだけがあからさまな差別を抑える唯一の手段かもしれないと思う。少数派を常に差別の対象としてしまうのは、人間の本能かも知れない。

 ということで、Marion Brown 、ジョージア州の出身で2010年に亡くなった。最初の録音が John Coltrane の Ascention であったり、初期には ESP レーベルに属したりでフリーの人のように思われているが、録音ごとの変化の大きい人で、特に70年からその中盤にかけての変化が大きい。所持しているのは、ジョージア3部作と Vista 、1970年から75年の作品のみ。

a0248963_18321513.jpg 3部作最初の作品は、ECM からリリースされた Afternoon of a Georgia Faun 1970年作品。Afternoon of a Georgia Faun と Djinji's Corner の2曲のみ。最初の曲は如何にも ECM といった靄に包まれたような現代音楽風の作品であり、もちろんこれはドビッシーの有名曲のもじりだろうから、その雰囲気も十分に出ている。特に効果的なパーカッション群が印象に残る。2曲目は、フリーといえばフリーだが、熱く吹きまくるような感じでもなく、声の入り方も現代音楽風であり、1曲目をもっとジャズよりにしてみました、と言う感じ。初期のフリー系の録音を出していた ECM の好きそうな感じではある。

a0248963_18324041.jpg 第2部は、Impulse からの Geechee Recollections 1973年作品。Geechee というのは、ガラ人のジョージア州での呼び名で、どの地域の黒人集団よりもアフリカの文化や言語を色濃く残すコミュニティーとして有名のようだ。題名は、従ってジーチー文化の再収集といったところか。
 まだ、フリー的な部分はかなり残しており、2曲目 Karintha などは、全編ポエットリー・リーディングの後ろで弦や管が蠢くといったところで、頭でっかちフリーの印象。もともと教師をしていたと言うインテリとして見れば、納得いくところ。後半の Tkalokaloka (意味不明) などは、フリーではあるが、前作の2曲目よりも余程大人しく、落ち着きのある印象で良い。

a0248963_1833021.jpg 第3部が、傑作との声も高い Sweet Earth Flying 、1974年作品、Impulse より。ここまで来るとどう見たってフリーではない、フリーは香りのみで、実はフュージョンと言った感じ。Muhal Richard Abrams と Paul Bley というフリー界のインテリジェンスの塊みたいな2人をキーボード(最も印象的なのが、エレクトリック・ピアノ)に据え、後はドラムス・ベース、自身のサキソフォンというシンプルな編成。特に出だしのエレピの美しさは絶品で、アルバム全体を象徴しているよう。傑作。

a0248963_18332914.jpg この2作、長い間廃盤となっていて、アマゾンのマーケット・プレイスではバカ高い値段が付いていて手が出なかったもの。2011年になって、Impulse 2 in 1 シリーズでやっとまともな値段で買えるようになった。収録時間も極限の79分超えという、サービス満点ぶり。できれば、Sweet Earth Flying のお蔵入りとなっている Part2 まで含めた完全版2枚組で出して欲しかった。しかし、そうすると 2 in 1 とはならない訳だが。


a0248963_1833501.jpg そして Impulse の最終作となるのが、1975年の Vista 。ここまで来ると完全にフュージョンといってよい。それにしても、このアルバムの美しさは、数年前までフリーをやっていた人とは到底思えない。もともとは、こういう音楽がやりたかったのか、それとも年齢から来る円熟(当時44歳)からか、それともフリーに対する根性がなくなったせいか。
 ここでも Anthony Davis と Stanley Cowell という個性の強いピアニスト(加えて Bill Braynon が3人目として加わる曲もあり)にエレピを弾かせ、個性的でありながら、叙情的に仕上げてある。これも長い間廃盤となっていて、日本で久しぶりに再発されたのは、日本人の感性に合ったからなのか、それにしても復刻者は良い選択をしたものだ。

 なにか音楽ブログとは離れてきたか。ま、無駄話と音楽、が表題だからそこんところは許して頂くとして。
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by ay0626 | 2012-04-21 17:11 | jazz

1976年+1973年「ソロ」 セシル・テイラー (3)

a0248963_1633558.jpg Cecil Taylor の1973年の「ソロ」については、前にも書いたが、Amazon のマーケット・プレイスなどでバカバカしい値段が付いているので、手を出さなかった。今、Amazon を調べて見ると、同じ規格ではないが、2005年のキング盤は最低で3,980円、8,500円の値付をしているところもある、2002年の P-JAZZ盤では7,800円が最低ラインだ。アメリカの Amazon でも2002年盤が$138.57なんていう値段である。
 今回、手に入れたのは、1994年の Venus 盤でリマスター前ではあるが、十分に聴ける音質は保っている(もともと音が良いのはLP時代から言われていた)。同時期の Indent や Silent Tangue は、ずっと命脈を保って、1,000円内外の値段で買えるのに、この Solo だけは、何回もリマスターで出たり、紙ジャケットで出たりもしたが、あまりに短期間で廃盤になるので、中古市場でも変に高値を保ってしまうことになる。
 たまたま、Yahoo のオークションを見ていたら、94年盤にしろ、500円という格安値での出物があって、ちょっと目を疑った。オークション出品者は適正値を付ける人が少なくて、バカ高い値段を付けてしまう人もいれば(新品で Amazon あたりで買うほうが安い、廃盤でもないのに)、めちゃくちゃ安い値段を付ける人もいる、その安値を狙うなら、定期的なチェックも必要となる。昔ほど情熱はなくなったが、バカ高い値を付ける業者の鴨にはなりたくないので、この作品だけはそれなりに色々な中古屋やオークションを見回ってはいた。それでも500円は信じがたい値段であった。
 自分が入札したときには、最初の入札者が最高値を設定していたのか、あっという間に620円まで上がり、一旦そこで最高入札値を付けた。入札期間は1週間であったので、毎日のチェックは欠かさず行った、何事も努力が肝心である(偉そうなことを言うな、このケチ!と声が飛んできそう)。
 2~3日が経過したころ、中古品扱いの最大手Net-Off のサイトを見ていたら、同じものがなんと1,580円で入荷があったではないか(これでも市場値より格安)、これには困ったね、安い値段でオークションが落とすことができれば、それでよし(その時点では自分が620円で最高入札者だったし)、でも600円そこそこで落ちることはないよなー、という気持ちが入り乱れ、もう4日待てば決着が付くからと考え、そのままにしておいた。翌日、Net-Off のサイトを見に行ったら、なんともうなくなっている!どうしようもないけど、ちょっと後悔しましたね、はい。
 オークション最終日、何度も画面を更新しながら、最後の最後に攫われないように・・・と思いつつ、あっさりと620円で落ちたときは気が抜けた、落ちるときは落ちるもんだ、その3日後には送料を含んで820円で「Cecil Taylor Solo at 02:30a.m. May 29th, 1973 in Tokyo」が手に入ったのであった。
 このアルバム、Taylor には珍しくスタジオ録音であること、音が良いこと、といった理由で世評の高い1枚ではあるのだが、自分としては同時期の Indent や Silent Tongue に比べて静か過ぎる感じで、31分という収録時間以上に物足りない感じがする。法外な値段を払うほどではない、1,000円で Indent を聴くほうが遥かに良い気分に浸れる(真剣に落としておいて、何たる言い草)。

 あとは、1976年のヨーロッパ楽旅で採られた2枚のアルバムについて。クインテット作品の Dark to Themselves (6月18日録音)、とソロ作品 Air above Mountains (8月20日録音)でどちらも盤元はドイツの Enja 。ドイツ録音は、どれも音が良い。
 この頃の Taylor は、構築性よりもフリー度の深化(ちょっと変な言い回しだが)を目指した感じで、パワーは感じるが、1966年や1978年(Shanon Jackson がドラマーだった頃)の非常に統制の利いた時期とは異なった無秩序な感じを受ける。

a0248963_1644980.jpg 特に Dark to Themselves の David S Ware の長い、フリーキーさを強調したようないわば放し飼いにした犬の吼え声のようなソロには若干の胃もたれ感がある、Jimmy Lions のソロになるとちょっと落ち着く、貫禄ですかね。Marc Edwards のドラムの煽り方が関係しているのかも知れない(Andrew Cyrill よりも直線的なスピード感がある)。それが終わったあとの Taylor のソロも荒々しいタッチだ。

a0248963_1651845.jpg Air above Mountains も 2部にわかれて各々44分強、32分弱の長尺のソロが収録されている。相変わらずの音の洪水状態には圧倒されるが、ここでも構築性よりパワー重視の姿勢が見て取れる。それにしても、この時 Taylor 御歳47歳、これだけのパワーをピアノに1時間以上ぶつけられる体力と精神力に脱帽。

 Dark to Themselves が最初にリリースされたのは、1976年。勿論 LPレコードであったため、収録時間の制限で、A面23分、B面26分12秒と現行のCD(1990年リリース)とは10分以上の編集差が存在する。同様に Air above Mountains の最初のリリース年も76年。収録時間は LP でも頑張ってA面25分40秒、B面25分37秒収録はしているが、現行CD(2002年)に比べれば25分以上短い。

 Thinking Plague や Motor Totemist Guild のところで書いた不満がこちらでは不満解消に役立っているとは奇妙だが、結局、現行のCD規格(80分が最長といわれる)が微妙だと言うことだろう、LP2枚分には若干不足しているという点で。まあ、70分も根性込めて音楽が聴けるか、と言われれば微妙で・・・結局、LP片面の20分程度が緊張感を持って音楽を聴ける限界かも知れない。
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by ay0626 | 2012-03-31 14:47 | jazz

鬼才アラン・シルヴァとの1966年、セシル・テイラー (2)

 Cecil Taylor ほど、活動期間が長くなると、録音数は(活動期間に対しては相当少ないとは言え)かなりの数になるし、その期間の競演者の面々によっても大きく音楽の面貌は変わってくる。今回は、一番印象深い1966年のアルバムについて、あの Alan Silva が大きく関わった3枚。

 変に印象に残る人が居て、付き合いの長い短いは関係なく、一言話しただけとか一瞬見ただけとかで忘れられないことがある。例えば、Jazz & Now の中村邦雄さん、華奢で優しそうな感じの人がプロレスラーかと見紛う Evan Parker と並んで歩くところなど、30年も前なのに思い出す。残念ながら中村さんは病で逝かれたが、Evan にとっても特別な人のようで、ソロ・アルバムの Conic Sections には 「For Kunio Nakamura」の献辞がある。仙台の地でフリー・ミュージックをこつこつと広められていった人がいたことは覚えておきたい。
 ちょっと脇道に逸れた。音楽でも同様に、一聴して強烈な印象を残す音がある。そのひとつが、Alan Silva のキコキコ・アルコ・ベース。ほんと、キコキコと管楽器群に負けじと、自己主張しまくる、ピアノに絡みつくその切り込みの絶妙さと想像力溢れるフレーズの連発には脱帽。Unit Structures も Conquistador! も Student Studies ( Great Paris Concert の方がぴったり来るなあ、初めて聴いたLPは BYG 2枚組のものだったので)も Alan Silva のキコキコ・アルコがなければ成り立ちません、これは絶対。

 Alan Silva は、1939年、バミューダ諸島(北大西洋、サルガッソー海の西端に位置)生まれ。バミューダ諸島ってどんなところか知らないが、サルガッソー海の近くで・・・となると何かミステリアスな雰囲気。まあ、多分南の島で、どうってことないようなところだろうけど。

a0248963_152276.jpg 1966年の3枚の録音は、Unit Structures が5月19日、Conquistador! が10月6日、Student Studies が11月30日という順番だ。Unit Structures と Conquistador! は、Henry Grimes との2本ベース体制。Grimes が土台を支え、Silva がキコキコと華(色物?)を添える構成で成り立っている。同じ頃の Ayler の録音( Live in Greenwich Village - The Conplete Impulse Recording )を見てみると66年12月には、Grimes と Bill Folwell で、67年2月にはFolwell と Silva での2本ベース使いとなっている。フリーの大立者2人が揃ってベース2本使いをしようとした訳は何だったのか、確かに Silva のアルコはヴァイオリンよりも高い音を発する特異なものではあるが、それだけではなさそうだ(と偉そうなことを書いても、自分に解があるわけではない)。Tayler は、この後、一変してベース奏者を加えず、録音としては78年に Sirone が加わるまでベース・レスのユニットを続けることになる。

a0248963_152382.jpg 1966年の3枚の特異性は、その作曲性にある。今所有している Unit Structures には、Enter Evening の、Conquistador! には With (Exit) の別ヴァージョンが収録されているが、比べて見ればテーマはもちろん、構成においても Taylor の明快な指示が出ているのがよく判る。Taylor 作品において作曲の重要性が認識できるところである。現代音楽の影響は顕著だが、テーマを良く聴けばやっぱりジャズ、というのも嬉しい。

a0248963_1524336.jpga0248963_1525102.jpg この3枚のうち、最初に聴いたのは Student Studies ( Great Paris Concert 当時のジャケットが右)。大学の1年か2年の頃。この頃は、もうフュージョンの時代に入っていて、ちょっと軟弱なジャズ喫茶では「お客が嫌がるから」とこちらがリクエストしたフリーを拒絶することもあった時代。そうした中でフリーのお勉強に励んだ訳だが、Taylor は Silent Tongues と Akisakila から始まったので、最初 Student Studies を聴いたときは戸惑った、「これって現代音楽じゃない?」。
 たしかに、73-74年頃の作品は、テーマもすぐに崩れ、構築性よりエネルギーに目が行ってしまっていたので、そうした感想もまあ当然だった。聴き続けるうちに耳も慣れた頃、ベースの特異さに気が付いた、もうひとつのフロントと。カルテットなので、全面キコキコ・アルコとは行かないが、個性溢れる奏法は大いに気に入った、「それじゃあ、Alan のリーダーアルバムを買おう」。
 これが大失敗、ESP の Luna Surface を購入したのだが、余程の音でも聴ける自分が聴きたくない、と思えるような音の詰まったLPでありました、はい。これ以降、Alan 君は、Taylor か Ayler のお伴しか聞かないと決めたのである。

 続けて3枚聴いたので、今回は音の違いについて考えさせられた。Conquistador! は2003年のRudy Van Gelder のリマスター盤で、特に「Conquistador!」の粒立った美しいピアノの音には目を見張らせられる。Bill Dixon のトランペットも実に滑らかでいい音を聞かせる。それに比べて Unit Structures の音のしょぼさ、ピアノはベールを掛けたようなくすんだ感じだし、管の分離も今一、内容が素晴らしいだけに惜しい。ちゃんとしたリマスターは出ないのか!と意見表明だけでもしておこう。Student Studies は昔聞いたときの印象通り、ピアノの曇った感じは解消されていないので、こんなもんなんだろう、ライヴだし・・・。

 今回、いろいろ書こうとして何かとっ散らかった文章になってしまった。まあ、Alan Silva 、サイドマンだったら大好き!ということだけでも書けたから、良しとするか。
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by ay0626 | 2012-02-07 11:34 | jazz