日常茶飯事とCDコレクション
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薄っぺらな感覚と忘れられない声 スラップ・ハッピー

 朝から晴れた空は、それでも若干靄が掛かって、やはり春の空。目が乾くのは、歳のせいか、花粉のせいか、ただ単に空気が乾燥しているせいか。加湿器の掛かった部屋では不快感を感じないので、空気のせいということで。

 金曜日、仕事というのは人間にとって何なんだろう、と思うようなことがあった。自分にとっては、仕事とは生活の糧以上の意味はないが、生き甲斐にしている人もいる。賃金以上に仕事をして、それで喜びを感じる、それをいけないと他人がいうことでもないだろうが、どうも傍で見ているのが嫌になってくる。それじゃあ、見なければ良いのに、ついつい見てしまう、例えばエレファント・マンを見に行く人のように。デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』、心温まる物語、ヒューマニズムの物語のように日本では喧伝されたが、先入観なしに見りゃ判る、あれは唯のフリークスに対する猟奇的な興味で撮られた映画だと。同じことで、身を削って一生懸命仕事をすることが一部の人には大変な美徳であるのに、同じ人を自ら率先して搾取の対象になる醜い人々と感じる人もいるのだという事実。力んでも仕方ないが、そこら辺の価値観には深い溝があるように思えて仕方ない。

 また、訳の判らない前振りから入りまして申し訳ない、はっきり書くといろいろ差し障りもあるので。自分が怠惰な考え方の持ち主だということのみ書きたいだけであります、本当。

 今回は、エピキュリアン達が、ひょんなことから思想に染まりそうになってしまう、その一歩手前で留まった(しかしながら一人は取り込まれてしまう訳だが)、そんな感じの集団 Slapp Happy について。
 Slapp Happy は、1970年代初期、イギリス人(Anthony Moore)、ドイツ人(Dagmar Krause)、アメリカ人(Peter Blegvad) で作られたポップ・グループ。ポップ・グループといっても Anthony Moore は現代音楽畑の人で、初期の3枚のアルバム(『Pieces from the Cloudland Ballroom (1971)』、『Reed Whistle and Sticks (1972)』、『Secrets of the Blue Bag(1972)』)は、まるでその通りの現代音楽、自分ももってはいるが片手の指の数ほどの回数も聴いていない。まぁ、そんな人のグループなので、ポップ・グループといっても・・・・。

a0248963_17412985.jpg 最初のアルバムが Sort of 、1972年。ドイツの Polydor から、なんとメジャー・レーベル!Uwe Nettelbeck という山師的なプロデューサーの甘言に乗せられたのが Polydor 、Fausut や Slapp Happy のアルバムを作った。全く売れるはずもなく、Faust のファーストなど1,000枚も売れなかったという。しかし、今度はイギリスの Virgin が目を付ける。Faust の Faust Tapes など話題作りに LP を EP の値段で売り、間違ってヒット・チャート入りなどもしてしまう。変な時代であったことは確か。
 このアルバムは、Slapp Happy の3人に加えて、Faust の Werner "Zappi" Diermaier (ds)、Jean-Hervé Péron (b)、Gunther Wüsthoff (sax) が演奏。もともと Faust の演奏自体、薄っぺらというか、特にドラムなど単調でその印象が強いのだが、このアルバムでもそんなところが出ていて、今聴くと余り魅力的とは言い難い。このアルバム、ずっと廃盤の状態で、CD 化されたのが1999年になってから、ということもあって Casablanca Moon を聴き慣れた耳には何とも聴き所の少ないように感じたものだ。

a0248963_17414882.jpg 2枚目は、Virgin から出た Slapp Happy (Casablanca Moon)、1974年。ヴァイオリンに導かれる Casablanca Moon から始まる本作品、奇妙な明るさに加えて曲の良さもあって、非常に好きな作品。多数のゲスト・ミュージシャンを加え、様々な楽器の響きもカラフル。もともと、Blegvad だけじゃなく Moore にもポップな部分が多分にあり、ソングライターとしての才能がここで一気に花開いたという感じなのだろうが、やっぱりちょっと捻った(世の中を斜めに見るような、言葉をこね回したような)ところは一般受けするものではなかったようだ。この作品は1993年に Desperate Straights と2in1の形でCD化されたが、11曲目までが本作、12曲目以降が Desperate ~、そこで雰囲気がガラリと変わる感じが聴いていても明確に判って、ちょっとビックリした。

a0248963_17425422.jpg 2枚目のドイツ録音版というべき作品が、Acnalbasac Noom (Casablanca Moon の逆綴り)、イギリスの Recommended Record から1980年に発売されたもの。この作品は、1973年の録音、殆どの曲が Casablanca Moon と重複している、というより Casablanca Moon は編曲を変えて再録音されたという方が正しい。結局のところ、Polydor が Nettelbeck に騙されたことをようやく悟って、本作をお蔵入りさせた、ということだろう。
 ここでも Faust のメンバーが加わっている、Wüsthoff のクレジットはあるが余りサックスの音は聴こえないような気がするのだが。Casablanca Moon に比べるとあっさりとした印象、音がクリアに取れており、Dagmar の特徴的な声が気持ちが良い。

a0248963_17431237.jpg Henry Cow と合体後、Slapp Happy を主体として作成されたのが Desperate Straights 、1975年。もう1作、Henry Cow 主体で作成されたのが In Praise of Learning。
 1993年に Casablanca Moon とカップリングで CD 化され、その後単独で発売もされた。先ほども書いたが、Casablanca Moon と続けて聴くと、その違いにビックリする、何しろ冷たい、厳しい印象のアルバムなのだ。アルバム題名も、和訳すれば『絶望へ、一本道』といった感じか、Dagmar の声も掠れて鬼気迫る感じだし、途中ジャズ風の曲(Desperate Straights)や最後のインスト曲(Caucasian Lullaby)も峻厳そのもの。享楽的な Blegvad だけでなく遊び心のあった Moore も Cow の思想に付いて行ける人ではなかったのであろう、Cow との合体期間は非常に短く終わり、しかし Dagmar だけは Cow に残るという奇妙な結果に終わる。Dagmar は、その後 Art Bears や News from Babel にも加わり、80年代半ばまで Cow 一派と行動を共にする。

a0248963_1743458.jpg その後、長い休止期間を置いて Ça Va (OK の意)が発表される、1998年。力の抜けた、落ち着いたポップになっており、そういう意味では歳を取ってきたのかも。この時、Moore 50歳、Dagmar 48歳、Blegvad 47歳。皆、地が出たというか、好きな音楽を素直にやるようになってきたということだろう。特に Dagmar の声にキンキンした感じがなくなり、非常に落ち着いた(その分、特徴も失くしてしまったともいえるが)分、聴き易くなっている。ジャケットデザインもなかなか洒落た感じである。
 このあと、Slapp Happy 名義では2001年に Live in Japan というアルバムがあるが、アルバムを購入するまでの興味はなくなっていた。

 Henry Cow という存在がなければ、今でも聴かれるグループであったか。Blegvad も Moore もそれなりに才能のある人だから何枚かのアルバムを残したろうが、ここまで残る人たちであったかどうか疑問、思想に馴染めなくとも、それ故後に残る、それをどんな風に感じているのだろうか。
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by ay0626 | 2013-03-17 17:31 | rock

その後のヘンリー・カウ 作曲家としての才能 リンゼイ・クーパー (2)

 今週久しぶりにライヴに繰り出そうか、と思っている。なかなか趣味に合致するライヴがなくて、出掛けられなかったのだが。
 クラシックのコンサートなら、時々友人が招待券をくれるので見に行くこともある。そういえば、1月の末にも名古屋フィルハーモニーの演奏会に出掛けた、演目が面白く、クラッシクとポピュラーの中間くらいのところの作品ばかり、バーンスタイン: 『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス、コープランド: クラリネット協奏曲、バーバー: 弦楽のためのアダージョ、J.ウィリアムズ: 映画『スター・ウォーズ』組曲というところ。スター・ウォーズなどなかなか迫力があってよかった。また、コープランドの協奏曲は、もともとベニー・グッドマンが初演をしたようにジャズを大幅に取り入れた作品、ソロのお姐さんのテクニックも大したものだった(その割には服のセンスが悪かったような気がするが)。何処かの学生さんの団体も居り(女子ばかりだった)、いつもとはちょっと違った客層だったような気がする。が、クラッシク特有の気持ちの悪い拍手強要と何回も仲間を褒める(指揮者が演奏者数人を立たせて、「こいつら上手く演奏したでしょう」と作り笑いをする)のは相変わらずで、そういうもんとは思っても、終演となれば5回ほど拍手をしてさっさと席を立つのはいつものこと。まぁ、悪態はついていますが、楽しめたのは事実。
 と変な方向に行きそうなので、話題を戻して。テレビで若い人たちの行くコンサートを見ると、殆ど座っている人はいない。音楽のコンサートなのだから、座ってゆっくり聴きたい人もいるのじゃないかと思うのだが。一体感だの参加(サルトルのいう engagement に近いかも、哲学とは無縁な人たちだが)しているというノリなのだろうか、体を揺らしたりペンライトを振ったりと、誰もまともに音楽など聴いているように見えない、行く目的ははなから音楽にはないのだろう。エグザイルという団体はまともに見たことはないのだが、ダンスする人と歌う人から成り立っているようだ、音楽はダンスの景気付けということなら仕方ない、スマップとか嵐とかも同じですか、ああそうですか。前にも書いたが、Les Ogres のDVD でもオール・スタンディング、あんなんじゃおじさんは見に行くのは嫌だ。
 今度行くライヴは、演者も40歳台後半から50歳の掛くらい、ちびちびと酒を飲みながらピーナツでも齧って、ゆっくりと音楽を楽しめる感じにはなれそう。しかし、この頃は、50のおじさんおばさんでもずっと立ちっぱなしで興奮し捲くっているようなコンサートもあるようで、そこまで入れ込めたら、それはそれで幸せか。

 と考えていたら、Lindsay Cooper もダンスの伴奏音楽やテレビ番組のための音楽を数多く手がけていた。今回は80年代中盤から90年代初めの3作品、とはいっても多発性硬化症という難病で殆ど体の自由が利かなくなっているため、98年の View From A Bridge 以降、作品は発表されていない。

a0248963_1819944.jpg 86年、Music for Other Occasions。様々なテレビ番組のための音楽を集めたもので、83年から85年の作品が中心となり、後に87年、90年、91年の録音が追加されて、91年に CD 化された。トータル52分余りの作品だが、1分から長くて5分程度の曲で構成され、21曲も詰まっている。ヴァラエティーに富んだ、という言い方も出来るが、どっちかといえばごった煮的な印象がある。参加しているミュージシャンも多いのだが、中心となるのはいつもの Georgie Born 、Sally Potter 、Dagmar Krause 、Maggie Nicols 、Kate Westbrook といったところ。
 短い曲が多いところから、どの曲も隅々まで作曲されており、ドラムが入ろうがノリ一発みたいな演奏は一つもなく、彼女の真面目な性格(会ったことがある訳じゃないので、実際にはどんな人か知りませんが)が滲み出ているような気がする。

a0248963_18193119.jpg 91年、Oh Moscow。録音は89年10月、カナダのヴィクトリアヴィルでのライヴから。この作品は、第二次世界大戦後の冷戦状況についての作品のようで、Sally Potter が作詞を担当し、87年に完成、それ以降世界各地で20回以上演奏された。
 このCD での演奏メンバーは、Lindsay Cooper (composer, bassoon, alto sax)、Sally Potter (lyricist, vo)、Elvira Plenar (p, syn)、Alfred Harth (tenor sax, cl)、Phil Minton (tp, vo)、Hugh Hopper (el-b)、Marilyn Mazur (ds)。他の演奏会ではドラムに Charles Hayward が入ることもあったようだ。カンタベリーの重鎮からレコメン系の有名ミュージシャン結集というメンバー構成ではある。ヴォーカルが何といっても力強く素晴らしいが、加えてドラムもなかなかのもの。管楽器のソロも余り全体の調和を逸脱するようなことはないが、それなりの魅力はある。
 楽器構成からも判るとおり、ジャズの雰囲気が強い。これだけのメンバーだから部分的には即興の部分もあるだろうが、全体には作曲された感じが強く、そういった意味ではジャズ本来のスリリングなところは少ない、予定調和といっては語弊があるが、やはり Cooper さんは作曲家だということなのだろう。

a0248963_18195782.jpg 91年、An Angel on the Bridge。本作品は、オーストラリアのみで発売されたため、非常に入手が難しく、自分も98年に本作全部が再収録された A View from the Bridge で初めて聴いた。
 20歳頃からバスーンを中心にした作品を作りたかった。バスーンをブラス楽器として、打楽器として、効果音の手段として、曲全部、または一部で。それが本アルバムで叶った ~ と Linsay は A View from the Bridge のライナーで書いている。また、実際にはホテルの部屋で作曲されたとも。また、チャンネル4の「5人の女性写真家」のための曲もあるようだ(詳しくは判らないが、” Dedicate to the memory of Ruth Pantoleon 1941 - 1992 who commissioned the music for '5 Women Photographers'"との記載がある)。
 録音に若干の難があるのと、A View from the Bridge では10曲を1トラックとしてしまっている(どうにかならなかったのか、本当にそう思う)点を除けば、バスーンを中心に置いた非常に良い作品で、Lindsay の代表作ともいえるのではないか。録音メンバーは、Lindsay Cooper (basoon, sopranino sax, kbd)、Michael Askill (perc)、Louise Johnson (harp)、Cathy Marsh (vo)、楽器編成から見ても判るとおり、ロック色、ジャズ色は全くない現代音楽。マリンバやハープ、ソプラノのスキャットも美しく、調性はあり(怪しいが)、聴き易さも抜群で、こうした小編成の作品を作って欲しかった。これを聴くと、Lindsay Cooper は、ポピュラー音楽畑の人というよりもクラッシク ~ 現代音楽畑の人と判る。

 ということで、音楽だけでなく容姿も大好きな Lindsay Cooper の第2回は終わり。こんな綺麗で主張があって素晴らしい音楽を作っても、若くして難病で意思の疎通も出来ない状態になってしまう、どう考えても慈悲深い神様などいないようで。ひょっとして彼女が無神論者だったから?、それなら神様もセコい性格だったりして。
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by ay0626 | 2013-02-10 18:09 | 現代音楽

その後のヘンリー・カウ 即興の鬼あるいは主張する人 カシーバー

 今年も残すところ数日、あんまり良い年でもなかったが、去年に比べりゃノー・プロブレム。年明けは体の調子が今一歩で、肉体が精神に与える影響とは大きなものがあると改めて思ったものだが、ゴールデン・ウィークの原因不明の胃痛を除けば、至って健康な一年であったように思う。大病を患うといろいろ悲観的なことを考えてしまう、しかしずっと考え続けることが出来ない性分なので、また諦めも良い方なので、後半に行くに従って調子が出てきた。調子というのは、心の持ちようのことで仕事の調子は関係ない。会社の仕事は、優秀な部下たちが殆どこちらの手を煩わせずに片付けてくれるので、あまり気にしたことがないのだから。同じような職位にあっても、自分で片付けないと気が済まぬ人たちは可哀想だ、あまりに背負うものが大きすぎると嫌になる。お気楽な自分は、お陰で髪の毛が少なくなるようなこともない。
 世間では様々な事件があり、経済や政治が大きく変わった。日常のレヴェルで感じることは少ないのだが、それでも連日何やかや新聞を賑わす大きな出来事があったように思う。あれだけ凄惨な死体が出た尼崎事件の鬼畜婆さんはあっさり死んでしまうし、富山県では警部補の職位にある人が放火殺人をしちゃったなぞ、信じられないような出来事もあった。民主党はあっさりと崩壊してしまうし、日本未来の党はこれも1か月で消滅、社民党のおばさんと自民党の元幹事長が並び立つわけもなく、滋賀県知事が大見得を切ったのに、庇を貸して母屋を取られる典型的な姿を晒してしまった。新聞を読んだら反原発しか書いてなくて、それが民意みたいに言われていたが、原子力を止めると宣言しなかった唯一の政党である自民党があれだけ大勝したのは、何故なんだろう、新聞のほうが民意を無視していたのか。
 別にこうした世の中を憂いている訳ではない、殆どが面白半分に見ている。かといって斜に構えている訳ではない、それなりに真面目に生きていると思っている。そんなのが大方の普通の人の態度、自分に近い考えの人も多いのではないか。

 音楽では、チェコとハンガリーのバンドに手を出して、なかなか面白かった。そういえば、頼んでおいたチェコのバンドの CD が昨日やっと到着し(クリスマスの関係か、いつもより5日は余計に時間が掛った)、7枚のうち2枚ほど聴いたがこれがなかなか変で良い。もう少し聴き込んだらまたレヴューでも書こう。
 amazon の音楽のページを何気なく見ていたら、Wayne Shorter の Moto Grosso Feio が正規盤で出ているではないか、吃驚して急いで注文してしまった。69年から70年に掛けての3部作がこれで揃うことになる、じっくり聴こう、非常に楽しみ。

 年末の忙しい時期に聞くような音楽では決してないと思うが、Henry Cow の思想的な屋台骨、Chris Cutler のユニット Cassiber のご紹介。Cassiber は、1982年、ドイツのアヴァンギャルド・デュオ(キーボードとサックス/ブラス)にギター/ヴォーカルと Cutler が加わって結成された即興主体の音楽集団、なかなか根性の据わった音楽を聴かせる、今回は即興主体の初期作2枚。

a0248963_18431538.jpg 1982年、Heiner Goebbels(kbd)、Alfred Harth(sax, tp, tb)のドイツ人デュオ・チームに同じくドイツ人のギター/ヴォーカルの Christoph Anders 、Chris Cutler が加わり結成。最初の作品は、Man or Monky 、ドイツのレーベル Riskant から12インチ・シングル2枚組として発表された。Goebbels / Harth のデュオは、これまでに何枚もアルバムを発表しており、特に Goebbels は現代音楽畑でも有名な人である。この2人と Anders に Cutler は1977年、the So-Called Left-Radical Brass Band というバンドを通して知り合ったとのこと、如何にもな名前のバンドではある。Harth と Anders は79年にはフランクフルトでパンク・バンドを作ったこともあるらしい。
 Cassiber の音楽は、Man or Monky のライナーに書かれていることが本当だとすれば、全て即興であるらしい。作曲されているといわれれば、頷いてしまいそうになるほど、メロディー的なものもあるし。ヴォーカルも叫んでいるが、全くただ叫んでいるのとは違う、音楽として成り立っているように思う。これだけの即興をやるとなると、相当に相手の出方を伺い注意深く、それでも瞬時に対応しないと出来ない、大変なことをやったもんだと思う出来である。特に、Harth のサックスとブラス、ありきたりのフリーキーな音に頼らず、ユーモアさえ感じさせる大らかな音色を響かせるところなぞ、特に良い。
 一聴、スピード感溢れるパンクにフリー・ジャズをまぜこぜにしたような音楽。なかなかの傑作といってよい。

a0248963_18433295.jpg 次は、Beauty And the Beast 、1984年作品。ReR Megacorp からのリリース。この作品から歌詞は Cutler のペンによる。9曲目(Und Ich Werde Nicht Mehr Sehen)はアイスラー/ベケット作品、11曲目(At Last I Am Free)はエドワーズ/ロジャーズによる有名曲(Wyatt も歌った)、パンク風の歌唱だが。クレジットはないが、8曲目は Ayler の Ghost がはっきりと聴こえる。13曲目は CD のみのボーナス。
 前作が緊張感に溢れた傑作だったので、それに比べるとやや緊張感に欠けるところあり。テープの多用も若干気になるところではある。しかし、ここでも Harth のサキソフォンが良い味を出している、Ghost のメロディーなんか非常に抜け抜けとした良い感じである。

 Art Bears の後に Chris Cutler が本格的に関わったバンド。思想的にも近い仲間だったようだが、この2枚で Harth は脱退し、この後の作品は、Harth が担っていたユーモア部分(というかホッとできる部分)が失われ、また Goebbels による作曲がなされるようになって、タイトな感じではあるが厳しさを増すようになる。残る3枚は別の機会に。

 正月にブログを書き始め、もうじき1年。飽きっぽい自分には驚異的な持続力である。文章書くのは、案外好きなのかも、『下手の横好き』という言葉が直ぐに頭に浮かんで仕方がないが。
 
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by ay0626 | 2012-12-29 17:26 | rock

その後のヘンリー・カウ アート・ベアーズからブレヒトへ ダグマー・クラウゼ

 秋も深まって、日中なら半袖でもいられるが、釣瓶落としに陽が落ちると途端に寒さを感じるようになる。注文しておいた本がやっと届いたので、これから1~2週間は寝る前1時間程度は読書に時間を費やすことになる。西澤保彦さんと小島正樹さんの新刊と小林泰三さんの文庫本、楽しみ。

 能動的にコンピュータに向かうのはブログを書くときか、買い物をするときくらいのもの、年を取ったせいか、エロ・サイトなぞ殆ど覗く機会もなくなったので、ウイルスを貰ってくるようなこともないだろうとは思っている。しかし、「遠隔操作ウイルス」などという変てこなものが出てくると落ち着かない気分にはなる。銀行口座情報などは登録していないが、買い物にはクレジット・カードを使っているし、情報が漏れては大変だ。自分の名を騙って、悪いことをされるのももっと困る、警察の杜撰なこと、罪がない人を犯罪者に仕立て上げてしまう、つまり冤罪事件を引き起こすような捜査をやっていることを今回の事件が白日に晒してしまったから。今回の事件、マスコミの警察追求が今一歩の印象を受けるが、もっと検証すべきではなかったか。もっとも、iPS細胞の件で赤っ恥をかいた記者が、疑惑が持ち上がった後に会見を開いた森口某に嘘を認めさせようと、まったくの「上から目線」で偉そうに質問する姿を見ていると、マスコミにも自分たちは偉いのだ、という権威主義みたいなものを感じてしまう、権威主義は警察もマスコミも同じ穴の狢ということか。せいぜい自分はどちらのお世話にもならぬよう自衛しましょう。

 前回、Fred Frith のことを書いたとき、「残るは Chris Cutler 御大のみ」などといってしまったような気がするが、Dagmar Krause のことをコロッと忘れておりました。ということで今回は Dagmar Krause の巻、Art Bears は Frith の項か Cutler の項に入れるか迷った末、Dagmar 姐さんのところに入れることにした、あの声がなければあのサウンドはあり得ないので。

 Henry Cow の内部対立が目立ち出したのは、ヴァージンが彼らとの契約を打ち切ったあと、77年頃から。78年の1月には、新しいアルバムのために録音を開始するが、アルバムの傾向が今までとは全く違う、ということで内部抗争が激化(といってもやはり音楽家なので、血で血を洗うようなことにはなりません、ハイ)し、遂に完成したアルバムは、Frith 、Cutler が権利を買い取り、Art Bears の第一作として発表されることとなる。78年は、レコーディングも多く、順を追って見ていくことにする。

a0248963_17433680.jpg 1978年1月、Henry Cow は、スイスのキルヒベルクのサンライズ・スタジオでレコーディングを開始する。今回のアルバムは Dagmar Krause の歌を中心とした小品で構成されることになるが、今までの作品とコンセプトが違いすぎるとTim Hodgkinson や Lindsay Cooper から意見が出て、作品の殆どを作った Frith ~ Cutler が権利を買い取ることで決着、アルバムは3月のロンドン・カレイドフォン・スタジオの録音で完成し、5月、Art Bears のファースト・アルバム Hopes and Fears として、Recommended Record から発売される。
 このアルバムは、やはり Dagmar の声を活かすように作られている。Dagmar の声は個性的で、ドイツ人であるためか、英語の単語が非常にはっきりと耳に入ってくる、言葉を伝えるのに最上の声と言えるのではないか。
 確かに全体の雰囲気は Henry Cow のアルバムとは言い難い作品で、Tim や Lindsay の言い分は判るような気はするが、所詮は左翼の主義者によく見られるような、ちょっとした違いを大きく言い立てるような感じがない訳ではない。Cutler の詩は、Tim の In the Heart of the Beast ( In Plaise of Learning に収録の大曲)ほど直線的に表現していないだけで、同じようなもんだと思ってしまう、やはり自分がノンポリだからか。
 サウンド的には、Georgie Born が加入し、室内楽的な感じが強くなっている。Frith のソロにも収録された Terrain などはチェンバー・ロックの典型的な演奏とも思う。Cow の Western Culture に収録される Lindsay 作品 Half the Sky もこの1月録音のもの。Western Culture は、同じ年、同じスタジオで7~8月に録音されているが、Half the Sky だけが質感が異なっている。
 CD化(1992年)の際には、3曲を追加収録。All Hail ! と Collaps は1980年冬の録音、前者は82年にレコメン・サンプラーに、後者はセカンドからのシングル・カット Rats And Monkeys のB面として発売されたもの。最後の1曲 Coda to Man and Boy は、80年のヨーロッパ・ツアーのライヴ録音で、セカンド Winter Songs の予約者に配られたもの。

a0248963_17435820.jpg セカンド Winter Songs は1978年11月と12月にスイス・サンライズ・スタジオで録音されたもの。フランスのアミエンス大聖堂の西正面の彫刻を素材とした Cutler の詩に Frith が曲を付けた。
 非常にタイトな印象を受けるアルバム、Dagmar の声と詩を活かすためにサウンドはかなり音数を少なめに、全くシリアスでユーモアを感じさせるようなところもない。Dagmar の声は千変万化、Cutler の短く象徴的な詩(何がいいたいのか判然としないまでに抽象化されているものもある)を的確に歌い上げてゆく。
 この頃は、パンクの隆盛から下降の時期、また共産主義も力を失い特に新左翼は全く権威失墜の状態、その中で彼らは何をしようとしていたのか。レコメン、ロック・イン・オポジションの中では非常に象徴的な作品である。

a0248963_1744187.jpg サード The World As It Is Today、1980年の8~9月に同じくサンライズ・スタジオで録音された本作は81年に Recommended Recoed からリリースされた。最初のレコードは30センチ盤ではあるが、45回転という変則的な形式で発売された( Recommended のアルバムでは、例えば News from Babel の Letters Home もこの形式であった)。
 のっけから The Song of Investment Capital Overseas ときた、海外投資資本の歌!!!全く主義主張を変えない Cutler さんは偉い、という他ない。こんな詩「町の外 / 仕事が町の外に連れて行く / 村は空っぽ / 家々を燃やし尽くし / 工場を立ち上げていく / プランテーションを広げ /富をもっと貧しい国民に届けよ / 道を線路を地割れのように走らせよ / そしてわたしを彼らの背に乗せて運ばせよ」。
 傑作といえば傑作、ひとつの行き着く先。ひとつの時代の終わり、肩の荷を降ろして、新しい道を進む、そんな感じの Art Bears の最終作。

a0248963_17444168.jpg その後、Dagmar は1986年 Supply and Demand: Songs by Brecht / Weill & Eisler というソロ作を発表する。堂々とした歌いっぷり、もともと英語版とドイツ語版の2つがあったようだが、再発の際、英語版に10曲ドイツ語版から加えられた。
 もともとブレヒト/クルト・ヴァイル、ハンス・アイスラー曲集だからクラッシクぽくはあっても、ポピュラーに近いから、そんなところが Dagmar にぴったりといったところなのだろう。のびのびと楽しそうな感じが気持ちよい。
 クルト・ヴァイルは、ドイツの作曲家、クラッシク作品と同様にオペレッタ作品に力を入れ、劇作家ベルトルト・ブレヒトとの「三文オペラ」は非常に有名、悪人の出てくる変な作品、一度何かで見たことがあるような気がするが、よく憶えていない。

a0248963_1744573.jpg 88年には Tank Battles: The Songs of Hanns Eisler というアルバムもリリース。今回は完全にアイスラーの作品集。アイスラーはドイツの作曲家で、ヴァイルと同様ブレヒトとの共同作業で有名だが、元はといえば新ウィーン楽派の一方の雄、シェーンベルクの高弟の一人、東ドイツの国歌の作曲者でもあった人物。
 歌いっぷりは前作と同様だが、前作に比べると若干クラッシクぽいか。ミュージシャンの中には、Alexander Bălănescu や Lindsay Cooper などの名前が見える。これも英語版とドイツ語版があるが、再発盤は英語版に数曲ドイツ語版の曲を加えている。

 Dagmar は、様々なプロジェクトに加わっているため、なかなか全貌が掴めない感じだが、彼女の声はよく判る、ヴォーカル担当はいいですな、一聴その人の声と判る、器楽奏者だと余程特徴がないとやはり難しいでしょう。
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by ay0626 | 2012-10-21 15:30 | rock

その後のヘンリー・カウ 境界線を超えて フレッド・フリス

 いよいよ台風がやって来る。朝方まで風は強いものの陽も照っていたのだが、昼が近づくにつれ雲が厚くなり、ざっと雨が降り出した。これからますます荒れ模様となるようで、家の中で大人しく音楽でも聴きながら、ブログでも綴りましょう、って何時もの休日の過ごし方と変わらない。

 先日は、Dead Can Dance の新譜を購入、相変わらずのサウンドだが、その前のアルバム Spiritchaser が1996年、16年振りの作品となる。また、まだ購入はしていないが Tin Hat もニュー・アルバムをリリースしている、Carla Kihlstedt が全面的にヴォーカルを披露しているとのこと、非常に楽しみである。また、この頃一番聴き込んでいる Les Ogres de Barback ももうすぐ新譜が出るとか、ライヴ・アルバムで DVD 付きらしい、こちらも楽しみ、コレクターは止まらない、止められない!といったところ。聴く時間を確保しようと、イア・フォーンが嫌で一時聴くのを止めていたウォーク・マンを引っ張り出してきて、中身をかなり入れ替えた。通勤の行き帰りでだいたい CD 1枚が聴ける、本を読むならいざ知らず、ボ~っとうたた寝じゃ勿体無いといったところ、しかし、ボ~っとするのは時間の無駄遣いか?ある意味、最も気持ちの良い時間だったりして。

 そんなことを考えているうち、どんな時間の過ごし方が良いのか考えてみた。やはり、好きなことをしているときが最も時間の経つのが速い。それでは好きなこととは何か、例えば好きじゃなくても教育のせいで好き(といっていいのか何というべきか)になってしまうのが宗教、合理性もへったくれもないのに小さい頃から洗脳されると何も疑問を抱かず、お祈りでも寄付でもしてしまう、宗教を守るためなら戦争も・・・やっぱり好きなんでしょう、神様。もう一つ、生活の手段としての仕事、生活のためとはいえ、一日の活動時間の大半を使う、そして丁寧にしようとすればするほど仕事に使われる時間は増大する、するとどうなるか、「仕事が嫌だ」と苦痛になるので「自分はそれ(仕事)が好きなのだ」と思うことで、苦痛を減らそうとする、反対に楽しいと思えるようになる。案外ワーカホリックの精神構造はこんなだったりして。音楽が好きで、ミステリが好きで良かった、周りから見れば下らぬ趣味でもそれがあってよかった。そのため、時間を作ろうと努力(?)する、家に早く帰ろうとする、そうした自己防御による認識すり替えが起こらずに済んだのだから(難しく書こうとしている訳じゃない、短く書いたらこんな風になっただけ、言い訳がましくて申し訳ない)。

 自分が聴いている音楽家のうち、多分一番自分の遣りたいことを遣りたいように遣っているのが Fred Frith 、盟友の Tim Hodgkinson が多少肩に力が入っているんじゃないの、と思えるのに対し、こちらは自由人そのもの、アルバムの題名じゃないが、遥かに境界線を跨いでいる(1990年 'Step Across the Border' )。
 交友関係が広く、気軽にレコーディングも行うものだから CD の数も膨大、それが全て面白いという訳でもないので、紹介しようと思うのは80年代の作品、Ralph 3部作、最初の自身名義の作品 Guitar Solos 、Skelton Crew 、Step Across the Border 程度、作曲作品集や他グループ作品は割愛。今回の紹介は、Art Bears 以降の最初のプロジェクト、Ralph 3部作のご紹介。

a0248963_16434728.jpg 80年代初頭、Frith はArt Bears の演奏と平行して RIO を通して関連の出来たバンドと共演を行った。その最初の成果が80年リリースの Gravity。所謂 Ralph 3部作の第1作、Ralph とはレコード・レーベル名で、Residents のレコード会社、アヴァンギャルド系の音を多くリリースしており、日本人でも立花ハジメ(テクノ・バンド、プラスティックスのギター)がここから LP を出している。
 LP でいえば A 面が Zamla Mammas Manna との、B 面がアメリカのRIO バンド Muffins とのコラボレーション、またこれもベルギーの RIO バンドの Aqsak Maboul のリーダー/アルト・サックス奏者の Marc Hollander が全面的に参加、RIO 祭みたいなもんである。お祭らしく、民族的なメロディーや躍動感のあるリズムなど、批評家はこのアルバムを 'an avant-garde "dance" record ’ などと言っている。確かに Zamla の Lars Hollmer のアコーディオンなどダンスの感じをよく醸し出しているし、Frith のヴァイオリンも異国風な感じではある。
 Muffins はアメリカの RIO バンド、70年代中盤から80年代初頭に掛けて活動、長い中断期間を挟み90年代末に復活、それ以降コンスタントに活動している。初期にはメンバーも変わったが、ギター・レスのカルテットの固定メンバーとなっている。
 Frith の作る音楽には何となく軽味があって、そのためアヴァンギャルドであってもあれだけの数の CD をリリースし、そこそこの人気があるのだろう、風貌通りの人なのではないか。自分が彼の音楽に突っ込まない(突っ込めない)のは、その軽さ、ボーダーレスな感じに付いていけない部分があるからかも知れない。
 CD リリース時(自分が持っているのは1990年 ESD 盤)、6曲が追加で収録された。Henry Cow のWestern Culture のアウトトラックや Art Bears の Hopes and Fears 収録曲、Aqsak Maboul の Un Peu de l'Âme des Bandits の収録曲、Skelton Crew の Learn to Talk 収録曲など。

a0248963_1644966.jpg 次が81年リリースの Speechless 。LP では、A 面が Etron Fou Leloublan との、B 面は Frith 自身もメンバーである Massacre の演奏(B 面はソロでの作品も多く収録)。CD 化に際し、6曲が追加され、その部分は正に混沌状態。Frith も 盟友John Zorn 同様の親日家で、日本の様々なコンピレーション・アルバムに音を提供しているが、追加曲のうち2曲がそれ。17曲目の No More War なんていう曲は「おかあちゃ~ん」という叫び声が何度も聴こえます、変な曲。
 A 面の Etron fou 、Frith の作品を演奏しているせいか案外まともで、彼らの弾けた感じがない、4曲目に若干その片鱗が見えるか、といったところ。Etron fou は4枚目 Les Poumons Gonflés 、6枚目 Face Aux Éléments Déchaînés が Frith のプロデュースによるもの、またベースの Ferdinand Richard は共同名義のアルバムを出しており、関係は強固なものがあった。
 B 面の Massacre の面子による曲は、ニューヨークの CBGB でのライヴから、前に紹介した Curlew のファーストのライヴもここで同時期に行われたもの、ゲストで Curlew のリーダー George Cartwright が参加している。

a0248963_16443534.jpg 3部作最後のアルバムが Cheap at Half the Price 。殆どの楽器を一人でこなしたその名の通りの 'ソロ・アルバム'(とはいっても Bill Laswell と Tina Curran が1曲ずつ参加しているが)、自宅での録音。前作でも何曲か全部自分で演奏というのがあったが、本作はそれを全面的に展開した。
 このアルバムの一番の特徴は、聴き易さ、のっけからあまり上手くもないヴォーカルが入り、何曲かはヴォーカル入りというのも今までにない試み。あまりに薄っぺらい感じで、題名通り『安いよ!半額だ!』、発表当時評論家諸氏もその"apparent simplicity"に当惑したという。
 Gravity のところに書いたが、Frith には非常にポップな面があり、様々な境界線を軽々と超えるうち、ポップ領域に踏み込んだのがこの作品ではなかったか。ちょっと異色ではあるが、決して嫌いではない、よく聴くかと問われれば、そんなでも・・・とは言ってしまうが。
 CD では追加で2曲収録、1曲は Curlew のセカンド North America 収録曲、もう1曲はコンピレーション提供曲、あまり追加の意味はなさそうな気がする。

 Henry Cow 関係、あと残すは Chris Cutler 御大のみとなりました(とは言っても、各人の紹介のパート2、場合によってはパート3までは必ずやりますが)。昔の音楽ばっかりじゃん、って・・・当然です、なんたって自分はオヤジなんですから(と開き直り)。
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by ay0626 | 2012-09-30 13:50 | rock

その後のヘンリー・カウ 形式だけはパンク ザ・ワーク

 テレビでは、中国のデモばかり。自分の勤めている会社でも相当数の駐在員を置いているので、心配な状況だ。
 それにしてもよくあれだけのことをするものだ、日本人は一部の(それを商売としている)方々を除きデモを行うこともない、これが1960年代であれば少しはフィーヴァーしちゃったのかも知れないが。社会が成熟してきていること、まだ外国人が少なく外資系企業も目立つほどではないこと、などが主な要因とは思う。曲がりなりにも民主主義が定着し、前回で経験したように投票で政権が変えられることも大きいだろう。民主主義がどの政治制度にもまして良い制度だとは考えにくい、しかしながらそれ以上の有効な制度が見つからない以上、騙し騙しその制度の向上を図るしかない訳だ。国民がそれなりに考え判断できるような民度の国は、やはり民主主義的な方向しか進むしかないのだろう。
 例えば宗教を基礎においた国家に民主主義が根付くかと言えば多分難しいだろう。民主主義でない国家に民度を上げることも出来ない。宗教は、自分で考えず神様を盲目的に疑うことなく信仰することから始まるし、民主主義でない(つまりは暴力以外に政権から追われることのない)国家の首脳が考えるのは自分たちの特権の維持と被支配層からの富の搾取だけだ。民衆は踊らせるもの、躍らせて言うこと聞かなくなれば、天安門事件のように戦車で潰してしまえばよい。心優しい趙紫陽さんは、そういう国家には相応しくない。
 中国のデモを見て驚いたのは、未だ毛沢東の写真が出てくること。外国人なら知っている(勿論自分も知っている)、彼が大躍進運動展開によって餓死者を大量に発生させた、文化大革命発令による社会の遅滞を引き起こした張本人であることを。教えないということは怖いことではある。まぁ、豊臣秀吉の出世物語は喧伝されても、自分の子(秀頼)が生まれた後、弟の秀次に言いがかりを付け、彼の一族、女子供を含む39人を皆処刑した事実も教えない(文献に書かれたことまで隠すことはないが)、それと同じですか、ああそうですか。

 70年代後半、パンク・ロックが一時隆盛を極めた、何に怒っていたんだろう、頭を逆立てがなりたて、スリー・コードの単純な音楽、反体制のための反体制、すぐに終わってしまった、しかしヴァージン・レコードには莫大な利益を齎したムーヴメント。Henry Cow のアルト・サックス、キーボード奏者、インテリ・エリート Tim Hodgkinson がその形だけを真似して見せたのが The Work 、1980年の結成である。

a0248963_16505542.jpg 81年に最初の The Work 名義の作品 EP ’I Hate America / Fingers and Toe / Duty’ を発表(Megaphone でCD化された際に Houdini と併せ追加収録された)。バンドはこの後、オランダ、ベルギー、スイス、スエーデンなどをツアーし、ドイツのボンで RIO フェスティヴァルに出演。そのときに共演した Catherine Jauniaux をゲストに、最初のアルバム Slow Crime を1982年の発表する。
 この The Work 、Tim Hodgkinson の言に依れば、「極力テクニックを排除した、若手中心のバンド」という。確かに Tim は本業のアルト・サックスは殆ど演奏せず、主にフラット・ギター(ハワイアン・ギターという奴ですな)と甲高いリード・ヴォーカル(このアルバムでは殆ど「叫び」といって良いほど、ライヴ盤でもこんな歌い方、よく喉が持ったな、という感じ)を担当、今までの経歴を捨て、新たな挑戦という雰囲気ではある。
 メンバーは、Bill Gilonis (g, euphonium, sampling, vo)、Mick Hobbs (g, b, drums, ukulele, recorder, midi-horn, vo)、Rick Wilson (ds, bass, vo) で当時名を知られた者はいない、この内唯一 Wiki で記事のある Gilonis の生年は58年とあり、結成当時22歳くらい、Tim とは10歳近い年齢差がある。Tim のバンド紹介の言葉に偽りはないように見えるが、このバンド良く聴くと複雑な変拍子など軽々と演奏しており、聴こえる通りの唯のパンクという感じではない。Tim のインテリ・エリート(何度も書くがケンブリッジ出の秀才なのだ)としての音楽に対する考えがついつい滲み出てしまったのではなかろうか。
 本作のゲスト・ヴォーカリスト Catherine Jauniaux はTom Cora の嫁さん、3曲参加している。Cora が亡くなったとき、前衛音楽仲間が Catherine と彼らの子供を助けるためチャリティー・コンサートなどを行ったのは有名な話、アヴァンギャルド・ミュージシャンも頭の芯までオカしくはないのである。

a0248963_16511931.jpg 次に日本へのツアーが決まっていたところで、Wilson がインドへ行ってしまう、Hobbs はバンドの方向性で意見対立、脱退と空中分解。困って、Chris Cutler と Amos (b) に頼んで一緒にツアーを廻って貰った。このアルバム Live in Japan は、82年6月29日大阪厚生年金会館中ホールでの記録。
 ホールの中ほどでカセット・テープで録音されたものという、その割には音は良い、デジタル・マスターリングの Udi Koomran (Present や Dave Kerman / 5uu's の音響処理を担当したイスラエル在住の人、ユダヤ人?) の腕のお陰か。
 殆どファースト・アルバムの曲で占められた本作、やはり Chris Cutler の手数の多いドラミングは聴きもの。最後にソノシート版 'I Hate America (live version)' がおまけで付いている。ずっとCD化されず、2006年にやっと日の目を見た。

a0248963_16514088.jpg この後、長い沈黙期間に入るのだが、The Work 復活の直前89年に The Momes (古語で「ばか、うすのろ」の意)名義で Spiralling というアルバムが出ている。メンバーは Hodgkinson 、Mick Hobbs 、Andy Wake (ds) 。録音場所は、お馴染み Cold Strage 、エンジニアに Charles Bullen という This Heat 体制。
 演奏は The Work に良く似ており、Hodgkinson のこの手の音楽に対する興味が一時的でなかったのが判る。音は良くない、音楽の弾け具合もそれほどでもないため、あまり聴くことのないアルバムである。

 怒りなのか、ちょっと他人の尻馬に乗ってしまったら楽しくなったか。集団心理みたいなものは必ずあり、自制ができないのは困ったもの、国家が絡むと振り上げた手を下ろすこともままならないようで。パンクの波も短かった、冷静になるには民度が必要、それはいつのことか。
 The Work 復活後の3枚のアルバムはそのうちに。
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by ay0626 | 2012-09-17 13:17 | rock

その後のヘンリー・カウ 奇妙なポップ・サウンド ジョン・グリーヴス

 梅雨が明けたら即暑さ満開状態で35℃を超える猛暑日が3日ほど続いたと思ったら、昨日から気温がぐんと下がり、肌寒い感じもする。明日は二十四節季の大暑、一年で最も暑い時期に突入していく訳だ。50歳を過ぎると、これほどの寒暖の差は体の不調の原因となる、暑いよりも良いのかも知れないが、ちょっと冷房が掛った部屋にいると鼻の奥がもぞもぞし出し、くしゃみを連発することも。昔は、冷房が効いていないと腹を立てたものだが、この頃は効き過ぎた冷房に腹が立つ、いい加減なものだ。

 この前、Samla を聴く宣言をしたのに、一向にその話題にならないじゃないか、とお叱りを受けそうだが、猛暑日には流石に CD サルベージもキツイ、とういことで Samla のアルバムは、Kaka と Dear Mamma の2枚しか聴き返していない。ということで Samla についてはもうちょっと後で。やはり、何回かは聴いておかないとレヴューするにも失礼でしょう。

 ということで、先日サルベージを完了していた Henry Cow 関係から。John Greaves は、90年代までのソロを見ていくことにする。今回は Kew Rhone と80年代のソロ2枚。

 John Greaves という人を見るときいつも思うのは、バンドにいることとバンドの思想とはあまり関係のないこともあるものだということ。判りにくい言い方になってしまったが、Henry Cow というある意味、思想に裏打ちされたバンドに在籍したのに、彼には思想的な背景が全く感じられない(Art Bears のファースト時の Cow 内部のゴタゴタには関係していない、というより思想的な先鋭さが明らかになって来る頃、Cow に見切りを付けたということかも知れない)。非常に趣味的な人なのに、例えば Chris Cutler とも付き合いが長い、思想云々というよりも付き合って楽しいが優先されたのか、思想に凝り固まった人は付き合い難い筈なのに、なにか飄々と付き合ってしまっているという感じか。音楽的にも、Cutler や Frith 、Hodgkinson とは異なり、ポップ・ミュージックへの親近感が露だ。Tim Hodgkinson が Work でやったような明らかなわざとらしさは彼にはないように思う。

a0248963_1723348.jpg John Greaves は1950年の生まれ、ケンブリッジ大学出身の秀才。Cow の設立者である Frith 、Hodgkinson ともケンブリッジだから、その関係でバンドに加入したのかも。69年には既に Cow の一員であったようで、75年3月に脱退するまでバンドの屋台骨を支え続けた訳だ。脱退した後、バンド仲間であった Peter Blegvad と意気投合、ニューヨークで Kew Rhone を録音する。この1977年のアルバムは、Greaves が作曲、Blegvad が作詞を担当、ヴォーカルの Lisa Herman との3名連名のアルバムとなっている。
 非常にポップ・センスのある名曲揃いのアルバムで、Blegvad の歌詞が凝っている(Slapp Happy 時代もそういった評価が多かった)とのことだが、日本人の悲しさ、音楽の凝りようは判るが歌詞の凝りようは判らない。ジャズ的なアレンジの中に印象的なメロディーを持った曲が息付く、特にアルバム表題曲は(後に Songs というアルバムで再度録音されるのだが、そのヴォーカルは Robert Wyatt!)、変わったメロディーを持つ名曲。
全面的に Mike Mantler ~ Carla Bley ご夫妻が協力、ジャズっぽい感じは彼らのアレンジによるところ大、ドラムは Andrew Cyrill 、70年代前半の Cecil Taylor Unit のメンバー! ちょっとびっくり。Mike Mantler ~ Carla Bley は、Watt というレーベルで自身のビッグ・バンドのアルバムを出しており、Robert Wyatt が何枚かゲストで参加、その関係でこのコラボレーションが成立したのかもしれない。Mantler ~ Bley の Watt レーベル作品では、87年 Live 、97年 The School of Understanding に参加している。

a0248963_17233031.jpg Kew Rhone の後、National Health に参加していた関係で、最初のソロ作品は80年代に入ってから。Europa というレーベルから、82年に Accident というタイトル作品を発表。ここでも歌詞は2曲を除き Blegvad のペンによるもの。
 内容的にはポップ・ミュージックの範疇だが、ところどころにアヴァンギャルドな雰囲気を漂わせて、やっぱり Henry Cow に在籍した人だと思う。80年代初期という時代背景のせいか、シンセサイザーを使い過ぎのような感はあるが、落ち着いた渋い曲が多い。女性ヴォーカルの使い方も効果的だ。

a0248963_17235148.jpg 次のソロは、84年の Parrot Fashons 、同じく Europa レーベルから。ロック色・バンド色が強くなっている、前衛色をすっと忍び込ませてくるところなど前作と同様。ベースだけではなく、ピアノにも重点を置いた演奏になっている。この頃には活動の拠点をパリに移していたようで、Gong の Mirelle Bauer や Julverne の Denis Van Hecke (cello)などが参加、後に The Lodge で再び共演する Kristoffer Blegvad (Peter Blegvad の弟) も加わっている。
 この前、ライヴで聴いた名曲 How Beautiful You Are はこのアルバムの2曲目、ピアノの弾き語りとは大分雰囲気は異なるが。Henry Cow の Live でも演奏された Bad Alchemy も5曲目にクレジットされている。

 集団として十把一絡げにされがちだが、一人一人を見ればその人なりの個性はある。Henry Cow の各人の音楽活動を見るとき、人の個性の重要さを考えてしまう、深刻な話ではないのだが。 
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by ay0626 | 2012-07-21 16:00 | rock

その後のヘンリー・カウ 美貌の社会運動家 リンゼイ・クーパー

 先々週読んだ本は橋爪 大三郎・大澤 真幸の『ふしぎなキリスト教』、先週は島田裕巳の『日本の10大新宗教』『葬式はいらない』、小林泰三の『セピア色の凄惨』。通勤の電車内で読んだものばかり。
 宗教にはそれなりに興味があって、本はよく読む、人間の生き方を教えてくれる有難い経典ではなく、その成り立ちの社会的思想的背景が何であったかというようなことが判るような本が好きなのだ。『ふしぎなキリスト教』でも『日本の10大新宗教』でも言っていたように、宗教は世の中が終わってしまうというご託宣を梃子にして信者を増やすというところがある。何故世の中が滅びるのか、それは人間誰にも嫌なことがあって「世の中なんか滅んじまえ」と思っているからだ、そう思っている人に限って「他の人は滅んでいいけど、自分だけは消滅したくない」と思うのであって、そうならば自分で自分が滅びないようにすればいいのだけれど、そこまでの努力はしたくない、それじゃ神様にでも頼んでみようか、ということになるのではないか。考えもせずに何かに縋る人たち、宗教家じゃなくて宗教屋にとってそれ以上美味しい獲物はいない。

 小林泰三はデビュー当初から読んでいて、その生理的な「嫌さ」を楽しんできたのだが、この『セピア色の凄惨』は論理の暴走が嫌さ感を募らせていく。4編の短編で構成されていて、全体が連作となっているのだが、後半に行くに従ってその暴走具合は加速し、最終編の「英雄」の落ちがああなるとは、ただただ唖然とするばかり。読んでいる内は、その論理が「間違った方向に正しく進む」感じにイライラするのだが、読み終わると妙に納得してしまう。

 音楽のほうは、相変わらず昔買って今は聴かなくなった CD のサルベージ大作戦が進行中で、今回の Lindsay Cooper の作品もそのうちのひとつ。Henry Cow 関連で、例えば Cassiber や Work、John Greaves のソロあたりと同時に浚ってきた。
 Lindsay Cooper は、1951年生まれで王立音楽院で学んだ、本来はクラシック畑の才媛。もともと社会に対する思いも強かったのであろう、Henry Cow のような左翼思想に染まったバンドを経て、Feminist Improvising Group を結成するに至る(1977年、Cow の崩壊寸前)。Maggie Nicolsとの共同で立ち上げたこのプロジェクト、他には Georgie Born、Irène Schweizer、Sally Potter、Annemarie Roelofs など知った名前も多い。最初の演奏が「社会主義のための音楽祭」で行われたのを見ても、これがどういう類の人たちの集まりか、容易に想像できよう。こちらは主義主張にはあまり関係がなく音楽を聴いているので、その人が作る音楽が如何であるか、だけが興味の焦点、そういう意味では外国語の歌詞は内容が判らない点がグッド、Ayler でも Cow でも歌詞がその言葉の意味を伴って頭に入ってきたら、嫌になって聴くのを止めていたかも知れない。

a0248963_15484167.jpg その Lindsay Cooper のソロ1作目が Rags 、1981年。映画音楽のようで、1840年代のロンドンでこき使われた植民地から連れてきた針子さんたちを描いた作品らしい、ロンドン版「ああ野麦峠」みたいなもんか、映画自体に興味がないのでよくは判らない。19世紀に限らず近代など収奪の歴史に間違いない訳で、それを声高に叫んでも歴史が変わることはない。
 音楽作品としては、Lindsay の作曲家としての能力が発揮されており、この人の力はインプロよりも作曲作品により強く出ると思う。また、メインの楽器がバスーン、柔らかで優しい音であることから、主義を持った作品でもほんわかと聴かせてしまうのかも知れない。
 メンバーとしては、Sally Potter (vo)、Georgie Born (b, cello)、Phil Minton (vo, tp)、Fred Frith (g)、Chris Cutler (ds) 、お馴染みのといえば全くお馴染みの人たち。Sally Potter の声は、Dagmar Krause に比べれば存在感が薄いかもしれないが、非常に可愛らしい感じで Phil Minton の男性的な声との対比が面白い。

a0248963_15491521.jpg 次が1983年の Golddiggers 。これも Sally Potter が監督した映画のサントラ、詞も全曲 Sally Potter による。これも歌詞なんか見るとかなりの主義作品のようだが、音楽的には前作にも増して室内楽的な雰囲気が強い。2曲目などピアノがミニマルな印象を与えるなど、ピアノやギター演奏も管楽器演奏に負けない印象。
 メンバーは、Georgie Born (b, cello)、Marilyn Mazur (ds)、Eleanor Sloan (vl)、Kate Westbrook (tenor horn)、Sally Potter (vo)、Collette Laffont (vo)、Phil Minton (vo)、Lol Coxhill (sax)、Dave Holland (p)。この内、ヴォーカリスト達は1曲から2曲のみの担当。Marilyn Mazur は1980年代の Miles Davis のパーカッショニストとして有名。こうして見ると男性は全てゲスト、主たるメンバーは女性、主義主張が表れていますな。女性解放と社会主義・共産主義との相性は良いようで。

a0248963_15494319.jpg この2作、RER から1991年、2 in 1で再発された。






a0248963_1550874.jpg 1983年には News from Babel の活動が始まる。これは、Art Bears の後継バンドといったところで、Chris Cutler が全曲作詞、Lindsay Cooper が全曲作曲。
 1984年に1st 、Sirens & Silences / Work Resumed On The Tower 発表。LP A面が Sirens & Silences、LP B面が Work Resumed On The Tower となっている。メンバーは、Lindsay 、Cutler 、Dagmar Krouse (vo)、Zeena Parkins (harp, accordion)。Georgie Born と Phil Minton がゲスト参加。変な話だが、Lindsay も Zeena も美人、Dagmar も見ようによっては(失礼!)美人、本人たちにこんなことをいえば糾弾されてしまうかも、女性の敵とかいわれて、美人であることは素晴らしいことだと思うのだが。
 ギターもベースもない、ドラムが辛うじてロックの雰囲気を残す、といった感じか。Zeena Parkins の本格的なレコーディングは本作が初めてか、この後、Skelton Crew などにも参加し、Henry Cow - Fred Frith 一派としての活動機会が多い。本作では彼女のハープの音が前面に出ていて興味深い(その後のソロなどを聴くとハープだかなんだか判らないような音が多いので)。Dagmar の声の存在感は相当なもので、バックが Frith でも Cooper でも彼女の世界になってしまう感じ、ちょっと存在感あり過ぎでだれるところも。

a0248963_15503118.jpg 1986年 Letters Home 。45回転の LP で出された模様。このアルバムでは、ヴォーカリストが大勢参加している、Robert Wyatt がメインで、Sally Potter も2曲、Phil Minton が1曲。Dagmar は2曲くらいしか歌っていない。他に Work の Bill Gilonis がベースとギターで全面協力、そのせいか前作にみられた盛り上がりに欠けるようなところがなく、色彩感や緊張感は前作以上の出来、ヴォーカリストの声の違いによる目先の変えようもプラスとなった。Zeena のアコーディオンも非常にいい感じ(3曲目の Banknote )。
 Robert Wyatt はこの頃は共産党員だったので多分参加したのであろう、しかし1曲目の Who Will Acuse ? など、バックの演奏と Wyatt の声の雰囲気がぴったり合っており非常に良い出来。
 1986年といえば、多くの RIO バンドが活動を停止した時期。News from Babel も同じように活動を停止することになる。

 1995年には目出度く2 in 1の形で RER から再発(ジャケットは1st を流用)、2009年にはリマスターの上、3枚組(1枚は7インチ・シングルで発売された Contraries 、3分の曲1曲のみ)として再再発、流石にこれは購入していない。

 Lindsay Cooper のこれ以降の作品については別の機会に。
 こうしてみると Henry Cow のそれぞれのメンバーは才能ある人ばかりだったと思う。そのうちに他のメンバーの作品も紹介したいな。
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by ay0626 | 2012-07-01 13:08 | rock

70年代後半、ヴァージンをクビになった後の ヘンリー・カウ (2)

 木曜日に久々、ライヴを見に行ってきた。The Artaud Beats という、Geoff Leigh(computer,fl,vo)、Yumi Hara Cawkwell(key.vo)、Chris Cutler(ds)、John Greaves(b,key,vo) から成るカルテット。Chris Cutler も John Greaves も聴き始めてから30年以上経つのにご尊顔を拝んだことがなかったので、1年何ヶ月振りにライヴ・ハウスに足を運んだのであった。会場に入ると、やっぱり観客の年齢層は相当高め、Crimson や Yes だのの名前が会話の端々に聴こえる、その世代のおじさんが集まった感じ。客の入りは30名から40名程度といったところか。
 演奏者も舞台のそばで、まったりとビールなんか飲んで、不良老人の雰囲気を濃厚に醸し出している。Geoff は1945年生まれの67歳、Chris は47年生まれの65歳、John は50年生まれの62歳だから、老人というにはちょっと可哀想か、老年に片足を突っ込んだというべきか。このなかで、Chris が最も端正かつまともそうに見えた、Henry Cow 40周年記念Box Set のDVDに映っている面貌と大きく変わらず(変わったのは、髪が後退し一層額が広くなったことと頭の後ろが相当薄くなったことくらい)、体つきもスリムだ。
 開演時間を15分か20分過ぎた頃、 Yumi Hara CawkwellさんのMCで「スタートは John Greaves のソロ、ピアノの弾き語りから」、John がおもむろにピアノの椅子に座り、ライヴが始まった。John は赤ら顔の大きな体つきで、ピアノ演奏が窮屈そうな感じ。朗々とした渋い声での弾き語りは、期待していたものとは違っていたが(やはりアヴァンギャルドなインプロを期待しますよね?)それなりには楽しめた。途中、フランス語での1曲もあり、ソロのラストは Geoff のフルート入りの How Beautiful You Are 。この曲は、John のソロ名義の Parrot Fashons に入っていたバラードで何故かよく覚えていた、さびの部分などつい口ずさんでしまったくらい。全部で30~40分程度の演奏。
 2部は、カルテットでの演奏。Geoff はコンピュータを中心にフルートや縦笛を吹くのだが、サックスは全く演奏せず(持ってきてもいない)。特筆すべきは、やはり Chris のドラム、数種類のスティックやブラッシュを使い分け、色の付いた(全体の半分が赤、先端が光沢のある青の)スティックを操る姿は、求道者的面貌と相まって千手観音のように見えた(ちょっと言い過ぎか)。それでも、手数の多さは凄いとしか言いようもない。John は、危ないオヤジそのものでベースをかき鳴らす。やや、ピアノのお姐さんが単調な感じもしたが、十分に楽しめる演奏であった。1時間15分程度の演奏時間だったと思うが、あっという間だった感じ。

 若い頃は、ポップかシリアスか、作曲か即興か、共産主義化か享楽主義か、など数々のたいしたことのない違いで分かれたりくっついたりしたミュージシャンたちも、60歳を超えてくれば恩讐の彼方、昔の仲間との地を丸出しにした音楽を演奏することになる、ということか。

 ということで、Henry Cow の2回目。
 
a0248963_1258188.jpg 1976年の Concerts 。Disk1の殆どが作曲作品(Track 9、10を除く)で、特に Track1~5のBBCライヴ(75年8月)が音質、演奏とも良い。Dagmar Krause の声はあくまでも伸びやかかつ艶やかで、演奏も決まっている。
 Track6、7は、Robert Wyatt が加わった75年5月の演奏、この頃 Wyatt は Cow のことを最も好きなバンドだと言っていたようだが、自分の思想と共鳴する部分があったからか、それとも音楽の方向性が同じであったためか。録音があまり良くないのが残念だが Little Red Riding Hood Hits the Road が聴けるのは嬉しい。
 Track8『Ruins』は、言わずと知れた2ndからの曲、Disk2のTrack12と同日の75年10月イタリアでの録音。Track9、10は74年9月のオランダでの録音、インプロヴィゼーション。ロックのインプロヴィゼーションは映像が付いているならそれなりに楽しめるが、音だけだとちょっときつい。ジャズだと気分よく聴けるのに、どうしてだろう。Disk2は全部がインプロなので、Disk1に比べると格段に聴く回数が少ない。特に、Track9~11の73年のライヴ(この部分はCD化に際して加えられたもの、Greasy Truckers Live at Dingwalls Dance Hall という1974年のアルバムから、それまでは入手が困難なことで有名であった)は、なかなか聴くに根性がいる。
 このアルバムを最後に John Greaves はバンドを離れ、捻くれポップ路線を Peter Blegvad と共に邁進し、Kew Rhone という傑作を初めとする数々のアルバムを残す。

a0248963_12583857.jpg そして最終作が 1979年(78年7~8月録音)の Western Culture 。赤い鎌と槌の付いたジャケット、裏は 'Culture' と書かれた紙幣が舞う、という主義丸出しのもの、当時は音楽を聴くにも額に縦皺を入れなきゃならなかった、今となっては笑うしかないよね。
 この頃の Cow は音楽路線に(主義主張にも)違いが出てきて、分裂致し方なしという状態。78年1月に録音された Hopes and Fears は、Cow の名義で発表する予定だったらしいが、小品が全て歌物という構成に Tim Hodgkinson からクレームが付き、Frith と Cutler が権利を買い取り、Art Bears 名義としたもの。一方の器楽派が中心となったのが本作で、LP でいえば A面が Hodgkinson の作品、B面が Cooper の作品となっている。この2作、雰囲気がまるで違う、同じバンドの作品とは到底思えないほど。
 そうしたバンド内の雰囲気もあったためか、本作は非常に緊張感を持ったタイトかつ硬派な演奏が繰り広げられ、世評もそうだが Cow の最高傑作ではないかと思う。しかし、Hodgkinson は本作をそんなに評価しておらず「根性のない演奏」とか言っているそうだ。Annemarie Roelofs がヴァイオリンとトロンボーンで全面参加(Track7以降を除く)、1曲のみジャズピアニスト Irène Schweizer が参加。フリー・ジャズ人脈にも繋がりがあったことが判る。

a0248963_1259170.jpga0248963_12592025.jpg 最後に The 40th Anniversary Henry Cow Box Set 。10枚にも及ぶ膨大なアーカイヴ。Chris Cutler の自己言及癖ここに極まれリ的な至れり尽くせりの作品集で、音の面でも Bob Drake の偏執的なマスタリングで相当聴けるものにはなっているが、いかんせん量が多すぎる。またインプロ部分も多く長時間聴くことも辛い、ということで購入以来、数回しか聴いていないのが現実。
 このボックス・セットが発売されるということでReR に予約を入れた、送料込みで100ポンドという安さで、先行して発売された Stockholm & Göteborg も直ぐに送付されるという親切さ。予約者のみの特典CDには自分の名前と『512/750』とのナンバリングが書かれている。丁度、本作が送付されクレジット・カードからの引き落としがある頃がポンドの最安値だったので、お徳感があったことを覚えている。
 10枚目は DVD で、76年スイスでの収録。Dagmar はそれほどでもないが(失礼!)、Lindsay Cooper 、Georgie Born はなかなか美しい。特にLindsay は凛とした主義主張を確り持っている感じで、お付き合いしたいとは思わないが、良い。しかしながら、映っている場面が少ない、あまりに少なすぎる!Frith や Hodgkinson など映っている時間を半分にしてよいから、Lindsay を・・・と思うのは自分だけだろうか。

 近頃、聴かなくなってしまってあるCDを引っ張り出してきてまた聴く、ということをやっている(以前書いた通り)。Henry Cow 一派を聴く機会も随分多くなった。各人のソロ作や後継グループの作品も紹介できたら、と思う。
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by ay0626 | 2012-06-16 08:52 | rock

RIOの大御所、オルガナイザー、ヘンリー・カウ

 Henry Cow は、大学に入って直ぐに聴き始めた。その頃、良く聴いていた Robert Wyatt が一番好きなバンドだと言っていたから、興味を持ったと記憶している(そうすると、ファースト・アルバムの発売が73年だから高校時代には聴いていた可能性がある・・・曖昧)。変拍子に多楽器主義、そして左翼に対する連帯感、マイナーでアヴァン・ギャルドなヨーロッパのバンドを糾合しての Rock in Opposition のオルガナイズなど、多感な青少年にとって、少なくとも外観は立派に見えた。ただし、音楽としてはどうであったか。ファーストの最初の曲、Nirvana for Mice の昭和歌謡にも似たサクソフォンの出だしから見ても格好の良い音楽ではなかった。ここから、彼らの音楽に対する愛憎半ばする長い付き合いが始まったのである・・・ちょっと大袈裟か。

 音楽と音楽以外の影響に大きなギャップがあるバンドは、例えばアフリカやカリブ海諸国にはままいることはいるが、ヨーロッパのマイナー・ロック界の大立者と言えば、Henry Cow に止めを刺す。彼らが、バンドとしての活動を78年に終了した後は、例えば マイナー・レコードの発表・発売の場としての ReR Megacorp の立ち上げ、世界各地に似たようなマイナー・レーベル(アメリカの Cuneiform やイタリアの L'Orchestra 、フランスの Ghazel 、日本の Locus Solus など)の支援など、積極的に活動を広げてきた。そのお陰もあって RIO 関連の秀作については、廃盤になることもなく、例えば This Heat などは、その後に発掘された未発表ライヴも加えて、全作リマスターされた立派な Box Set となったし、Henry Cow 自身も10枚組の全編未発表のライヴ・アーカイヴを発表している。
 これは、全て Henry Cow のドラマー Chris Cutler の活動によるものだ。もともと、Cow の創設者は、Fred Frith(ギター・ヴァイオリン) と Tim Hodgkinson(キーボード・サクソフォン) で両者ともケンブリッジ大学の出身、同じくベースの John Greaves も同校出身で、謂わばエリート集団、それを鎌と槌の集団に組織していったのが、Cutler なのだ。Frith も Hodgkinson もCutler がいなければ、あれだけの録音を残すことが出来たか。

 音楽面で見れば、その後の活動がなければここまで過大に評価されるバンドであったのか。確かに Nirvana for Mice や Ruins 、Living in the Heat of the Beast 、Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners などの佳曲も多く、最終作の Western Culture の出来などはかなりのものだが、音楽的な出来であれば、アメリカンRIO(Thinking Plague 、5UU'S、Motor totemist Guild)の方が、実験的な面、演奏能力は上を行く。そういう意味においては、ロックにおけるインプロヴィゼーションの導入を別とすれば、思想を明確に打ち出した態度が創成期のアヴァン・ロックへの大きな影響、組織化の機会を与えたことを考えれば、音楽面以外で彼らが途轍もない巨人であったことには違いない。

 割りにきついことを書いているが、本当は何ヶ月に1回くらいの割合でターンテーブルには乗っている。ここまで何十年と聴いていると耳も慣れて、聴きたくなる機会もそれなりに多くなる。昭和歌謡も年月を過ぎて聴いてみれば、心に残るメロディーが多いじゃないか、なんて思うのと同じなのかも。

a0248963_14475439.jpg ということで、1973年ファースト・アルバム Legend 発表。日本で発売されたときは「伝説」と題されていたが、靴下のジャケットということもあって「足の終わり(靴下)」との掛詞でもあるので、いまではそのまま「レジェンド」としてあるようだ。
 何度も書いて恐縮だが、他に書きようがないので・・・最初の曲 Nirvana for Mice、本当に昭和歌謡の乗りのサクソフォンから始まり、途中ピアノが入るところ何ぞは、何回聴いても気持ちが良い。殆ど切れ目無く続くような演奏は、例えば Hatfield And The North などの流れるような演奏と違い、ごつごつした印象を与える。これが変拍子のせいか、Cutler の手数の多いドラムのせいかは、続けて聴いたことがないのを言い訳にして、自分の耳では自信を持って聴き分けられない。
 最後の Nine Funerals of the Citizen King の下手なコーラスまで含めて、多分、難しいことをやっているのだろうなと思いつつ、かなりの確率でヘタウマ・バンドのひとつではなかったかと思う。

a0248963_1448235.jpg 2枚目が、Unrest 1974年。Geoff Leigh が抜けて、Lindsay Cooper が加入する。ポピュラー音楽にバスーン(ファゴット)が加わることは少ないが、こうした前衛的なバンドには、知性を与えるような気がする(ただのスノッブだったりして)。Lindsay は、確りした音楽教育を受けていて、安定的な演奏をしている。かなりの美人で、思想的にも女性解放の闘士だったりする、キツメのお姐さんという感じ。しかし、wiki で調べると、難病を患い今では意思疎通にも困る状態だとのこと。1950年生まれだから60歳を越えたところ、寂しいですね。
 このアルバムは、半分だけ作曲されたマテリアルで、あと半分はスタジオに入ってから即興で録音したもののようだ。買った当時、LPのA面は良く聴いたが、B面は殆ど針を落とさなかった、多分ジャズを聴きなれた耳にはロックのインプロヴィゼーションが稚拙に感じられたのかもしれない、今でもインプロはジャズの方が余程良いと思っている。
 LPで言えば、3曲目の Ruins までがA面、Bittern Storm over Ulm、Half Asleep ; Half Awake、Ruins と続く、佳曲揃いだが特に、まどろむような題名通りの Half Asleep ; Half Awakeは、作曲者の John Greaves のセンスを感じさせる、Henry Cow 脱退後に開花する渋いポップ・センスを告げているよう。

a0248963_14485321.jpg 3枚目が、In Praise of Learning 1975年。Slapp Happy との合体後、Cow 主体で作成されたアルバム(Slapp Happy 主体で作成されたのは Desperate Straights)。Slapp Happy の男2人がそれなりに活躍するのはA面の2曲のみで、どうも疎外されているような感じ、このアルバム作成後、直ぐに脱退している(お払い箱にされている?)。最初の曲 War は、Slapp Happy 組の Moore/Blegvad の作品で今までとは違うポップ感覚に富む作品だが、2曲目が Living in the Heat of the Beast 。完全な共産主義万歳曲で、曲自体の複雑さは十分楽しめるものの、ここまでの宣言をしてよいものか、世はパンク世代に移行し、それもあって Henry Cow は Virgin Record に契約をぶった切られて、RIO活動に邁進していくことになる。
 ついでにB面、2つのインプロヴィゼーションに挟まれた Beautiful As the Moon - Terrible As an Army with Banners は美しい、しかし、主義の旗の下での行進曲。Chris Cutler の強烈な個性がバンドをここまでに鍛えたのだろう。多分、John はそんな感じに耐えられず(その後の活動を見ても上品な、ちょっと捻くれて渋いポップ感覚に溢れた感じの人と思う)、Blegvad と供に逃げて行ってしまったのだと思う。

 Virgin 時代の3枚のアルバム(靴下3部作)、なんのかんのと文句をつけたが、長い付き合い、鼻歌くらいなら歌えそうなくらいには聴き込んでいる。時間は怖いね・・・何が?ということで、後半戦と10枚組のライヴ集成は別の機会に。
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by ay0626 | 2012-03-04 12:36 | rock