日常茶飯事とCDコレクション
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女性ヴォーカルてんこ盛り マカーム (4)

 自民党政権に替わったら株も上がり円も安くなり、景気などやはり「気」のもの、ちょっとしたことをきっかけに変化していくもののようだ。株が上がっても持たざる者には関係ない、円安も輸出企業のみの恩恵、それでも輸出企業の多くは既に海外に生産拠点を移しているため、本当のところ何処まで万人が好影響を受けるのか。ガソリンは久々150円まで値上がりした、エネルギーの多くは海外に依存するため、円安になれば貿易収支は悪化する、必然的に円安になるが、それを利用して海外に売るべき商品が既に海外生産され国内にはなくなっている、そうなれば景気は悪いままに輸入インフレということにもなりかねない。世の中、そう単純ではなくなっているので、一概に円安が良い訳ではなくなっている、特に原子力が火力に代替している電気業界は深刻だ。景気が若干とも回復しても、給料に跳ね返ってくるのはもっと後の話、先ずは会社が内部留保して、となるだろう、特に電機の会社などはあれだけの巨額な赤字を垂れ流したのだから、従業員に回す前に会社が確実に利益を留保するに違いない。と考えれば、景気が多少良くなってもそれほど我々の生活が良くなるとも考えられん。

 自分を考えてみれば、CD の購入金額が増えることに。近頃は、海外の通販サイトで直接購入することばかりで、ユーロもドルも最安値から見れば、もう2割以上高くなった。今のところ、どうしても欲しいモノはないのでよいが、欲しいものが出てくれば、財布の中身が以前より減ることになる。円安は決して良いことではない。

 そういえば、今までもブツブツ書いて来た Makám の Approaches というアルバム、なかなか発送されないので出品した業者にメールしたら、2月上旬に(メーカーが)再プレスするのでそれまで待てといい加減なメールが返ってきた。どうも最初から胡散臭げではあったが、他に購入するところもない(唯一、日本アマゾンに中古の出品あり、6,970円という非道な値付け)ので、そのままにしておいた、腹が立つがなんとも仕方がない。
 もう一つ、年末に米アマゾンに注文した Wayne Shorter の Odyssey of Iska が未だ到着しない。同時期にチェコに頼んだ CD は1月9日には着いたのに、いい加減なものだ、腹が経つ。どうしょうもないことに腹を立ててばかり。

 ということで、最初のアルバムと最新作だけ蒐集できていない Makám の4回目。通勤時間のお供にチェコ勢と共によく聴いております。

a0248963_20224984.jpg Skanzen (野外博物館の意)、1999年。女性ヴォーカルが入るようになった最初のアルバム。メンバーを記しておくと、*Krulik Zoltán (g)、Lovász Irén (vo)、Bognár Szilvia (vo)、*Grencsó István (sax, harp)、*Thurnay Balázs (kaval, fl, udu,vo)、*Bencze László (b, p)、Krulik Eszter (vin)、Mizsei Zoltán (sansa ~ 親指ピアノ, chime, vo)、Gyulai Csaba (udu,derbouka,vla)、ll. Lengyelfi Miklós (e-b)、Szőke Szabolcs (gadulka)。11名クレジットされているが、音数は少なめ、ヴォーカリスト2名は5曲ずつ歌っている。前作 Café Babel と器楽メンバーの中心メンバーは同じ(*を付けた人が前作に参加)。ヴォーカルの感じは良く似ているが、Irén さんのほうが柔らかな印象、Szilvia さんは若々しく伸びやかな声。ヴァイオリンは、弓奏よりもピチカートのほうが印象に残る。
 スロー・テンポの曲が多く、若干器楽演奏が大人しめで弾む感じも円舞する感じもないため、平板に聴こえる。前々作の A Part に声を乗せたよう。次の 9 Colinda と比べても演奏が押さえ気味にされているのが判る。9曲目にはモンゴルの喉歌が聞こえる、10曲目のカヴァル中心のアンサンブルはその後の作品に繋がるが、歌中心への過渡期の作品といってよいのではないか。
 ライナーを見てみると、1984年の設立で、ハンガリーのフォーク・ソングとジャズ、クラッシクの要素を含んだ室内楽をやりたい、リズムやメロディーは東ヨーロッパ、バルカン半島、アフリカ、中近東の影響を受けているとある。84年の設立と書いているのに、ディスコグラフィーには82年(Makám és Kolinda)、83年(Úton ~ On the Way)、84年(Szélcsend után ~ After the Calm) の作品が掲げられているのはどういう訳だ?3作とも Kolinda との共作だからか(誰が参加しているかは、Orient - Occident というコンピ・アルバムの紹介で見ていきたい)。

a0248963_20231275.jpg Ákom Bákom (意味不明)、2007年作品。メンバーは、Krulik Zoltán (g)、Lázár Erika (vo)、Horváth Olga (vln)、Eredics Dávid (cl, kaval, flute)、Boros Attila (b)、Keönch László (perc) という顔ぶれ、2004年の前作 (Malmanach) とは一新されている。ドラムとエレキ・ベース(フレットレス・ベース)というリズム陣で、それまでのアコースティク色がここで一気にフュージョン風の作品になった。それでも、リズムやメロディーは民族風のままだし、クラリネットやカヴァルがそのサウンドに似合っている。殆どの曲でヴァイオリンと管楽器が同じメロディーを演奏している。
 このアルバムは、2002年の Szindbád に続き、「子供のための音楽」らしく、50分ほどの収録時間なのに1分から3分ほどの曲が20曲ぎっしり詰め込まれている。子供向けというだけあって、くっきりとしたメロディーを持つ曲が多く、歌い方も元気があって美声系の多い Makám の歌手たちの中でも溌剌とした感じは一番。しかし、ヴォーカリストは1人だけのクレジットなのに9曲目、11曲目、13曲目、17曲目、18曲目は明らかに声が違う、11曲目と17曲目は声質の違う2人が交互に歌っている、これはどういうことか。いろいろ調べても判らない。Boros Attila はこの後のアルバムに全て参加するが、非常に個性的なベースを弾く、また Eredics Dávid も同様で、マルチ・ウッドウィンドとして力強いソロを取る、この2人はこの後の Makám のアンサンブルの中心になる。

 ということで、なかなか揃わない Makám 、本当に2月に Approaches が再プレスされれば、コンプリートできるが(Robinzon Kruzo はアマゾンUKで注文済、多分今月末には到着するんじゃないか、と思う)、どうなりましょうか、コレクターも楽じゃない、楽しんではいるけれど。
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by ay0626 | 2013-01-19 16:32 | trad

インストルメンタルな  マカーム (3)

 笑ったことなど、簡単に。

 先ずは、未来の党、悪相コンビ(もちろん小●一郎と河●たかし)では政党の顔としては不味過ぎるのか、滋賀県知事の嘉●由紀子さんを担ぎ出した。なかなか存在感のある女性で、京大探検部の出身とか、文化人類学や環境社会学(といわれても直ぐにどんな学問か想像できないが)の研究者といえば、反原発の象徴とはなり得る。しかしなぁ、言い出したことといえば反消費税、またもや子ども手当、その財源は「無駄を省けば、いくらでも出る」、3年前の悪夢の始まりの「宣言書(Manifesto)」の文言そのまま、小●を制御するといっていたのに、「●沢に引かれてまたもや善光寺詣で」とはこれ如何、笑わせていただきました。

 表題にもある Makám 、以前にも書いたが、一括して全ての CD を販売しているサイトは何処にもない、色々なサイトから安いものを選んで購入しているのだが、海外アマゾンのマーケット・プレースを使うことも多い。新品と書いてあっても、どう見ても新品に見えないものを送ってくることもある。先日も酷い品を送ってきた業者がいて、文句をいったら新品を送ってきた、最初からちゃんとしたものを送ってくれば良いのに。この歳になると、なかなか英作文をするのは面倒だが、文句を言えば、リファンド(返金)か再送付に応じる業者が多いので(やっぱりレピュテーショナル・リスクは、ネット販売では最も注意すべきリスクなのかも)、文句は言うべきなのだ。近頃の翻訳ソフトは、丁寧に日本語を書けばかなり正確に訳してくれるので、重宝している。海外のサイトを使うのも翻訳ソフトがあってこそ。そういえば、エストニアのサイトに Makám の Approaches というアルバムを頼んだのだが(注文して Pay Pal で送金してからエストニアのサイトだと知った。最初からエストニアのサイトと知っていたら注文しなかったかも?)、1か月以上もウンともスンともいって来ない、大丈夫か知らん?

 三津田信三さんの新刊が出た、『のぞきめ』。やはり、好きな作家だと読むスピードも早くなる、今週火曜日に入手して、昨日時点で残すは50ページほど。明日には感想が書けるかも。

 寒さが増してきたので、コートに裏地を付けた。来週からは、いよいよ忘年会時期。一年の終わりも近いようで、早いもんですねぇ、今年もあと3週間ほど。

 ということで、Makám の3回目。初期の作品は、インストルメンタル、単独名義の初回作 Közelítések - Approaches (1988、99年のCD化に際して3曲が増補されている?未入手、上記したようにエストニアのネット・ショップに注文してあるが本当に来るのだろうか?)から4作目の A Part までがそれに当る。今回は、2作目と3作目の紹介。

a0248963_17403423.jpg 2作目、Divert time into... 、1994年。前作から6年を経ての作品。ジャズっぽい感じはあるが、民族音楽風のフュージョンというのが妥当か、後述する Café Bábel ほどジャズそのものではないし、先日紹介した A Part ほど現代音楽風でもない。民族音楽風ではあるが、田舎臭さみたいなものはなく非常に洗練された音、多分そういった感じを受ける最大の理由は、エレキ・ベースと控えめなドラムスによるものだろうか。
 器楽構成でも、マリンバやカリンバ(親指ピアノ)、カヴァル(民族フルート)、オーボエ、ガダルカ(ブルガリアの弓奏楽器、多くの共鳴弦を持つ)などが異国的な響きを出すが、サキソフォンはジャズの素養がある人のようで音は滑らか、聴き易さはこのサキソフォンに負うところが大きいように思う。
 メンバーを記すと、Juhász Endre (oboe)、Bencze László (double b)、Borlai Gergő (ds, perc)、Szőke Szabolcs (gadulka, kalimba)、Thurnay Balázs (kaval)、Grencsó István (as, ss)、Czakó Péter (b)、Krulik Zoltán (g, syn)。
 本作、アマゾン・ドイツのマーケット・プレースで買った。本体価格は17ユーロ。これだけ見てポチってしまったら、送料が14ユーロ、ちょっと高い買い物をしてしまいました、新品だから(ちゃんとシールもあったし)まぁいいか。ヨーロッパの各国アマゾン、送料の設定の仕方が違う、混乱するときも。

a0248963_17405153.jpg 3作目、Café Bábel、1997年。彼らのホーム・ページにある通り、インプロヴィゼーションを中心としたアルバム、ジャズっぽさでいえば一番ジャズに近い。ハンガリーでは、共産主義の頃からジャズが演奏され、フリー・ジャズのコンボまであったと記憶しているが、その伝統もあってこうした音楽が生まれるのか。1曲目はいつも通りの民族風フュージョンだが、2曲目以降 Krulik おじさんはピアノのみの演奏となる、それもぐっとジャズ・テイストの。2曲目、4曲目、6曲目とサキソフォンとのデュオ、3曲目などはワン・ホーン・カルテットのフリー・ジャズ。5曲目はオーボエ、7曲目はミュート・トランペットが入る。8曲目はフルートとカヴァルの多重録音にアルコ・ベース、まるで現代音楽のよう。印象に残るのは、ちょっとフリーキーな音を聴かせるサキソフォンと暴れまわるベース(特にアルコ)。先回も引用させていただいた rim-mei さんの感想は「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが」。ジャズをよく聴く自分にとっては、こんな感じの演奏も守備範囲。
 例によってメンバーを記しておくと、正式メンバー(複数曲参加しているのは、くらいの感じか?)として表記されているのは、Krulik Zoltán (g, p)、Grencsó István (as, ss)、Thurnay Balázs (kaval, udu, Kalimba)、Bencze László (double b)、Juhász Endre (oboe, english-h)。ゲスト扱いで、トランペット、ガダルカ、フルート、ダブル・ベース、ドラムスがクレジットされている。
 これは、アマゾンUK のマーケット・プレースで。フランスのレコード・レーベル&ディストリビューターのムゼアから購入したもの。ちょっと、新品か疑うところもあるものだったが、デジ・パックでもないので(デジ・パックだと中古で買う気にはならない)、クレームを付けるには至らず。2,000円程度の買い物、日本アマゾンのマーケット・プレース値付けの半額程度。

 取り留めのない文章、感想。もうちょっとなんとかならないのか、と思われるのは当然のこと、自分でも気の抜けた文章を書いているなぁ、とは思っています。そういえば、 Makám のホーム・ページに Robinzon Kruzo の CD が出ている、またガーデン・シェッドの新着案内にも出ていた、また買わなくちゃ。
 
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by ay0626 | 2012-12-08 15:26 | trad

ジャズとロックとトラッドと奇妙な女性ヴォーカル ベシュ・オ・ドロム (2)

 ほんの数日前、最も笑ったのが北朝鮮の金●恩将軍さま(彼はまだ将軍さまではなかったか?まぁ、些細なことだ)の記事。アメリカのニュース・サイト『オニオン』が、金●恩大将軍について「あっけにとられるほど美しい顔立ち、丸い顔、ボーイッシュな魅力と逞しい体。この平壌育ちの憧れの的は、全ての女性の夢の化身・・・・」と書いた、これを真に受けたのが中国の『人民日報』、言わずと知れた共産党の機関紙の電子版がこの記事を大々的に取り上げた。外国メディアに「悪ふざけに引っかかった」と報じられ、直ぐに削除されたという。中国は、いうことを聞かない北朝鮮に対しての当て付け、嫌味で取り上げたのではないか、とも思ってみるのだが、それじゃ余りに直截的過ぎる、やっぱり一旦は真面目に考えたのか知れない。
 昔から、美醜の問題は本質的でない、といわれながら、物事に大きく関わってくることは間違いないようで、北朝鮮で言えば、あちこちに掲げられている金●成、金●日親子の写真、相当修整されている、特にちんちくりんの印象の強い金●日の写真など、上手いこと修整するもんだ(本人と判らなければ意味がないので、本人とは判るが、それでも何倍もいい男に写っている)と思う。北朝鮮の人は修正の事実は知っているよね、ニュース全部を修正するほどの予算はないだろうから。思い出したのは、昔オウム真●教が作ったマンガ映画、そこに出てくる麻●グルの慈しみ深く優しそうな印象、現物の胡散臭さなど全くなく、しかしこれも全く本人に似ていない訳ではない、やっぱりその人物は麻●グルと判る。しかし、信者さんにとっては、マンガのグルも本物のグルも同じに見えたりして、信心がありゃ脳が勝手に視覚を修正してくれるのかも。そういえば、そう見たいと思うとそう見えるということは、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』が教えてくれていた訳だ。
 人は、見た目の印象が9割、と誰かがのたまわっていたが、なるほどその通り、すれ違う程度、1度か2度会う程度であれば、見た目以外の印象が割り込む余地は少ない。しかし、袖触れ合うも他生の縁程度の関わりだけじゃないので、何度も付き合ううちに碌でもない関係に陥ることもある。例えば、2年ほど前にあった30台半ばの小太りな女が結婚詐欺で何人もの男に貢がせ、挙句に一酸化炭素中毒で殺してしまった(真実かどうかは判らないが、死刑の判決は出た)事件、これなどは見た目だけじゃここまではいけないはず、お付き合いした後の手練手管のほうが重要で。やはり、美醜は二義的問題か、でもお付き合いするなら美人がよい、自分が惨めにならない程度の、それでもその上限くらいの。

 ということで、Besh O DroM の2回目。ハンガリーのバンドは、最近 Makám を聴き出して、歌手の Szalóki Ági など、両方のバンドで歌っているが、同じようなリズムやメロディーを使っても(Gyi! の表示は全部ハンガリー語なので判らない部分も多いのだが、1曲目はマケドニアのトラッド、2曲目はルーマニアのトラッド云々などという記述があり、Ha megfogom には殆どがトラッドをベースにしたという記述が(英語で)書かれている)、これだけ違う音楽が出来るということを教えてくれる、両バンドとも近頃愛聴しております。

a0248963_1737443.jpg 3枚目のアルバムが、Gyí! (Hiyo! 馬への掛け声ですね)、2005年作品。基本的には、前作の路線を踏襲している。ブラス・アンサンブルが主体で、そこに女性ヴォーカルが絡んでくる。ブラス・アンサンブル主体の曲は、打楽器がドラムを中心にエレキ・ベースも加わって、どちらかというと民族音楽的な感じは薄くなっている。女性ヴォーカルは、10曲中5曲に参加、前作に続き、Szalóki Ági が3曲、Juhász Miczura Mónikaが2曲、Szalóki Ági の声も特徴的で忘れがたいが、Juhász Miczura Mónika はもっと変、こんな歌い方で喉は大丈夫かと要らぬ心配をしそう(前回と同じことを書いているな、と反省)、それにしても奇妙な声である。しかし、ジャケット内側の写真を見ても、Yahoo や Google で画像検索してみても、両女性とも全くノー・プロブレムの美人、この顔であんな歌を歌うのね、ふーん。
 ブラス・アンサンブル主体の合奏曲と編成を小さくして各楽器のソロをフィーチャーした曲とが混在している。5曲目はアコースティク・ギターとゲストのコントラバスを、7曲目は、民族フルートのカヴァルとエレキ・ギターの掛け合いに民族パーカッション(多分両面太鼓のタパン)を絡めて、10曲目にエレキ・ギターとトランペットに導かれた男性ヴォーカル曲とアクセントを付けた構成になっているが、ツィンバロム(ハンマード・ダルシマー)の活躍が若干少ないのが残念(10曲目の曲調が変わるところで、アルト・サックスの後ろで若干活躍する程度)。

a0248963_1737179.jpg 4枚目、Ha megfogom az ördögöt… (Once I Catch The Devil...、悪魔を捕まえたら)、2006年。前作に引き続き女性ヴォーカルは Szalóki Ági (6曲)、Juhász Miczura Mónika (2曲)。最初の2曲は、カヴァルとフルートが活躍している。4曲目は、スクラッチ音が入っているので DJ が一部加わっているか。5曲目は、ベースとエレキ・ギターに導かれ、ここでもカヴァルが全面フィーチャー、Ági ちゃんの声がバッチリ決まった名唱。8曲目にやっとツィンバロムが若干聴こえますね、全体にもうちょっと出て来て貰っても良いのではないでしょうか、12曲目は殆どツィンバロムのソロで埋められる、やはり出番が少ないと思われたのでしょうねぇ。9曲目は、またもや DJ 的な効果を狙ったか、ちょっと奇妙な感じ。
 合奏とソロの交え方はジャズ的で、ソロはテクニックを見せ付けるようにちょっと派手目、そこのところが Makám とは反対の行き方。ブラス・アンサンブルでも、サキソフォンがクラリネットに持ち帰ると雰囲気がかなり変わる、また羊飼いのフルートと表示のある、ティン・ホイッスルに近い音の使い方も印象的。

a0248963_17373185.jpg 5枚目は、5年の時を経て 2011年作、Kertünk alatt (Down the Garden、庭の外れに)。1曲目の出だしは今までのアルバムと同じような感じだが、男性コーラスが聴こえたかと思ったら、ちょっとチープな感じのシンセのソロ、明らかにシンセと判る音は他に何曲も入っていて、大いに気になるところではある。若干、(音の取り方のせいかも知れないが)アンサンブルの厚みも薄くなったような・・・、よく見れば、メンバーに管楽器奏者は1名しか載っていない。曲数も11曲あるのに、収録時間は39分程度ということで、やや物足りない感じがする。特に11曲目は、DJ の Remix、おまけを含んで39分は短すぎるでしょう。
 女性ヴォーカルは、前2作とは異なり Kaszai Lili 、灰汁の強かった前作までに比べややあっさりした印象(写真はちょっと眉の細い妖艶なお姐さん風に写っております。美人です)。また出番も少なく、男性ヴォーカルのほうが前に出てきているような感じ(今までは、1曲か2曲だけ。決して悪いということではないので、念の為)。また、新メンバーで、アコーディオン/ハーモニカ担当の記載があるが、余り聴こえない感じではある。
 5年アルバムを出さなかったことが、マイナスとなったか。次作は一段のパワー・アップをお願いしたい。

 かなり寒くなってきて、寝床で本を読む気力もなくなってきた(腕を出していると若干寒い)。この頃は、そういうことで寝る前には音楽、ハンガリーの3つのグループはこの頃のお気に入りであります。ウォークマン、復帰してから大活躍。
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by ay0626 | 2012-12-01 15:45 | radical-trad

どっちかというとイージー・リスニング マカーム (2)

 一昨日、よく眠れなくて(昔から寝付きが悪かったが、近頃運動量が減っているせいか、この傾向が強い)、その上昨日は昼の数時間立ちっぱなしということもあって、本を読む気力もなく、それでも1時間くらいは寝床で転々反側、比較的早く眠りに入ることが出来た。12日の月曜日に本を読み出し、火曜日水曜日と順調に進み、あとは解決編のみとなったところで足踏みしている。この文章を書いたら、午後は読書の時間に当てようと考えている、何もなければだが。

 選挙対策の「第三極」作りは、各人の節操のなさと人の好き嫌いに左右されて、昨日「くっ付く」といったら「今日はダメ」など、くるくる状況が変わる。日本維新の会は、政策の一致が最も大切だ、などといっていたのにジジイ集団の太陽の党(命名時には凄く笑わせて貰った、岡本太郎さんも目をグリグリさせて「政治は爆発だぁ~」と草葉の陰で叫んだとか叫ばないとか)との合流を決め、もっと笑えることに石●前都知事を党首に据えてしまった。原発にしろ消費税にしろTPPにしろ、どれも様々な意見と考え方を纏めていかなければならない、非常に大きな問題な訳だが、これを「小異」と切り捨てるなぞ、民主や自民の各党から「野合」批判を招くのは当然の話、彼らにとっての「大同」とは何か、選挙に当選することの一点か、それじゃ原っぱの真ん中で恥ずかしい行為に及ぶ言葉どおりの行いじゃないか。橋●市長も自ら出馬することなく、後ろからコントロールしようとするのはずるくないか、例えば承久の変で後鳥羽上皇が先頭に立って「朕に歯向かうものには天罰が落ちる」と叫びながら鎌倉勢に立ち向かっていたらどうなったか、侍の世の中になるのにもう少し、時間が掛ったろうに、先頭に親玉が立つことの重要性の認識が低くはないか。また、自身の出自に関して週刊●日と戦ったときの啖呵は格好良かったが、偏見と差別感覚をてんこ盛りで持つ石●氏とくっ付くとはどういうことか、感覚的には随分ずれたことをしているような気がしてならない。自分は石●氏に期待するところなぞ寸毫もないから、同時に橋●氏に対する興味も急激に失った。
 袖にされた名古屋の河●市長、どうも胡散臭さが消えない人で、汚い名古屋弁をこれ見よがしにワザとしゃべってみせるところなぞ辟易してしまうが、行き着く先は「生活が第一」の小●氏との合同か、悪相同士の結合では訴える政策を聞く前に、有権者諸氏は顔の前で手を振るだろう、NO の意思表示として。
 となると何処へ入れましょう、長考の末・・・、ではあるが必ず選挙には行こう、今の世の中眺めているだけじゃ詰まらない。あと1か月となりました、正月に失業する多くの政治屋さんたち、頑張ってね。

 さて、蒐集すると宣言した Makám の2回目。このバンド、どこかのネット・ショップで一括して揃うというなら楽なのだが、なかなかそうは行かぬ。アマゾンなら直売しているものはほんの少し、後はマーケット・プレースでの購入となるが、マーケット・プレースでは送料負けするところもあり、よく考えて慎重に購入を進めている(殆ど趣味の範囲、高々数百円から千円程度の値段差しかないのだが、ちょっとでも安く買うことがが楽しいのかも、いじましい)。
 ということで、今回は国内の通販店、レコンキスタ(再征服の意ですね、イスラムからイベリア半島を ’取り返した’ ということで)さんとプログレ専門店のカケハシ・レコードさんから購入しました最近作2点。あんまり聴き込んではいないので、ちょっと不安もあるが(それでも両者、4~5回は聴取しております)、行ってみましょう。

a0248963_143935.jpg 最新作(どうも Robinzon Kruzo という作品がそのうち出るらしいが)、Csillagváró 、2010年作品。グーグル翻訳で訳して見ると「スターが求められている」「スターを待っている」ような意味らしい。2002年の Szindbád 、2006年の Ákom Bákom に続く、子供のための音楽の第3弾というような案内がされているが、前2作は未聴のためよくは判らない。メンバーを記しておくと、Hornai Zóra (vo)、Korzenszky Klára (vo)、Boros Attila (acc-bassguitar ~ 16曲目には Jaco Pastrious を思わせるようなベース・ソロあり)、Eredics Dávid (cl,sax,kaval,flute)、Horváth Olga (vln, cho)、Keönch László Farkas (perc)、Krulik Zoltán (acc-g, vo)。
 1分から3分程度の長さの曲が17曲も並んでおり(曲数が多いが総収録時間は41分程度)、非常に聴き易い、刺激的な音は入っていないので昼寝音楽にも最適、いうなればバルカン風味のアコースティック合奏の上に美声を乗せたイージー・リスニングといってもよい。全部が歌曲で Krulik 御大もなかなかの喉を聴かせる(ジャケット内側の写真を見ても良い人そうな感じではある)。女性ヴォーカルは2人いるが、重唱するような場面は少なく、曲ごとの独唱が基本、声の質が違うので単調さは免れている。演奏も各楽器のテクニックを前面に打ち出すところはなく、クラリネットが多少そんなところを見せることもあるが、基本的にはアンサンブル重視のゆったりした演奏である。

a0248963_1433388.jpg その前のアルバムが、2009年の Yanna Yova (固有名詞か?)。4分から5分の曲が10曲並ぶ。Csillagváró に比べれば、「大人向け」の音楽という感じ。メンバーは Csillagváró と同じ、所持している初期のアルバムから見るとメンバーは大きく変わっている。
 最初の曲からドラムが入り、エレキ・ベースがかなり重いリズムを作る上に、カヴァル(フルート?)とヴァイオリンが絡み、ヴァイオリンも派手めなソロを取る、クラリネットが入ってきて・・・というようにかなり賑やか。ギターも控えめながらエレキを使用している曲も多い。1曲当りの時間が長いこともあり、器楽のソロがそれなりに場を与えられている。特にベースは伸びやかに良い演奏を聴かせる(ちょっと前に出過ぎの感がなきにしもあらず、だが)。女性ヴォーカルも艶やかさを感じさせる、加えて重唱の曲も多い。異国情緒のある大人向けの音楽、バルカン・アダルト・フュージョンといった感じか。
 ハンガリーの楽団といえば、The Moon and the Night Spirit や Besh o DroM などを紹介してきたが、全く違う。落ち着いた気持ちの良い音楽、夢中になる、嵌るということはなさそうだが、長くお付き合いできそうな音楽だと思う。

 ということで、これからちょっと昼寝、もちろん BGM は Makám で。起きたら読書でも、読んだところまでの記憶が曖昧にならぬうちに。
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by ay0626 | 2012-11-18 10:35 | trad

現在蒐集中 ハンガリーの中堅トラッド・バンド マカーム

 昨日は何やかやありまして、文章を綴る時間がなかった。
 今朝も草臥れ仕事があって午前中は潰れ、昼飯を食べに行ったら何処もかしこも満員、家を出てから飯にありつくまで小一時間掛り若干イラッとしてしまった、まだ人生修行が足りぬようで。

 10月の半ばだったか本を買うと宣言して、10月の20日頃に4冊手に入れた、これがなかなか読めない、西澤保彦さんの新作は読めたが、あと3冊は積読状態。空気が乾燥するようになったためか、目がチカチカして本を読む気にならない、これも歳のせいかなあ・・・と、まぁゆっくり読めばよい、積んどいたって本は腐る訳でもあるまいし。
 ということで、西澤さんの新作『モラトリアム・シアター』、文庫書下ろし作、文庫書下ろしといえば、怪作『なつこ、孤島に囚われ。』(2000年)以来かと思う。お得意の記憶改竄ネタではあるが、主人公が自分の記憶が何らかの理由で封印されていることを自覚しているのが、今までの作品と異なるところ。記憶改竄ネタは、読者を非常に不安定な気持ちにさせる『夏の夜会』、感覚まで騙す実験作で傑作『神のロジック、人のマジック』、大量殺人から女殺し屋の誕生まで信じられぬ展開を見せる『収穫祭』など、西澤さんの主要テーマといっていい、しかし余りやりすぎるとまたこのネタかぁ、といわれそう。今回は何故記憶が封印されたのか、本人には記憶を回復しようとする意思が余りないのに、記憶の封印理由を解明しないと話が成り立たない、ということで、出ました!『必然という名の偶然』(短編集)の『エスケープ・ブライダル』に登場した超大富豪名探偵、彼女が登場してきて金を使い捲くって物語が奇跡的に成り立って仕舞うという荒業をやってのける。大体、終末近くでTVで驚愕の犯人名が告げられる場面、そこで気が付かなければいけないのであります・・・と読んでいない人は何が言いたいのか全く判らないであろうが、それなりに良い出来の作品ではありました、近頃の西澤さん、かなり快調ではなかろうかと思う、最後の最後に「produced by 腕貫探偵」の意味が判るところなんかも憎い。ただし、人間関係を性的な関係であちこち引っ付け過ぎなところは、どうも頂けない、安易ではないかとも思う。でも、『殺意の集う夜』『収穫祭』『からくりがたり』などでも見せたねっとりとしたアレ系の物語りも西澤節の重要な系統と考えれば、それはそれでよいのかも。

 音楽の方は、ちょっと新しい方向を探ってみようということで、手を出したのがハンガリーの Makám とチェコの Traband 。Traband はまだCDが手に入っていないので、取り合えず到着した Makám の2枚を紹介、今回は手に入った順での紹介のため、音の移り変わりがどうなのかなどは書けないのでご容赦を。

 Makám は、ハンガリーのバンド、1980年代半ばに同じくハンガリーの Kolinda というバンドとの連名作を2枚リリースした後、88年に単独名義の Közelítések / Approaches を出す。90年代半ばからは、コンスタントに作品を発表、初期作はインストルメンタル作品だが90年代終わりからは女性ヴォーカルを加えた編成の作品になる。今回入手したのは、Amazon 日本のマーケット・プレースで一番安かった2枚。ハンガリーといえば、今までに The Moon and the Night Spirit と Besh o DroM を紹介したが、どちらとも異なる系統で大変よろしい感じで聴きました、はい。

a0248963_19545799.jpg 入手した2枚のうち発表時期の早いのが A Part 、1998年作。リーダーはギター奏者の Krulik Zoltán (ハンガリーでは、姓と名の順が日本と同じ、Krulik が姓となる、マジャール人はフンのアッチラの後裔、アジア系)を中心として、Juhász Endre (oboe, flute, kaval ~ 民族フルート)、Bencze László (double b)、Szalai Péter (tabla)、Szőke Szabolcs (gadulka ~ ブルガリアの弓奏楽器, sarangi ~ インドの弓奏楽器)、Thurnay Balázs (kaval, marimba, gatham ~ インドの打楽器、壷を叩いて音を出す) の6名がクレジットされている。
 一聴、びっくりするのが全く土の匂いのしない、現代音楽的というかニュー・エイジというか、それ系のアンサンブル、例えば現代音楽でいえばミニマル系の Reich など、ニュー・エイジでは Stephan Micus とかトレンブリング・ストレインに近い印象。Besh o DroM がジャズ的なアプローチでポップな感じであったが、こちらは大人の抽象音楽といった感じで、初期はこんな風な音楽なのだろうか、ザビエル・レコードの Közelítések / Approaches の紹介でも「現代音楽風」といった惹句が見えたし、よく見せていただく rim-mei さんのホーム・ページでも同時期の Cafe Babel のレヴューに「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが。」というような文章が見える。
 クールとしか表現できないが、自分にとってはかなり好印象の作品、特にマリンバ、チェレステの音がミニマル感を盛り上げ、フルートなども短い音を積み上げていく。ずっと掛けていたいような音群、インド~東洋的な感じが凄く良い。

a0248963_19553134.jpg もう1枚は 9Colinda、2001年作品。Lovász Irén の歌を中心として、作曲は全て Krulik Zoltán 。メンバーは、Grencsó István (sax)、Thurnay Balázs (kaval, udu ~ 壷型ドラム、アフリカ系のようだが gatham に近い感じか)、Krulik Eszter (vln)、Mizsei Zoltán (syn)、Horváth Balázs (double b)、Gyulai Csaba (perc) 。どの人の名前も読めませんね。
 この Lovász Irén の声、柔らかで優しくて非常に良い、Makám の作品にはあと2作加わっている模様、聴きたいですねぇ。演奏もそれに合わせて、柔らかで聴き易い。シンセサイザー奏者も加わっているが、シンセ候の音はなく、オルガンなどのサンプリングが主体なのかも。
 この Kolinda (アルバム名は Colinda だが)とは、クリスマス・キャロル(祝歌)のような羊飼いの歌の一般的名称で、バルカン半島のルーマニア人やスラヴ人の新年の歌だ、というようなことがジャケット内側に書いてある。確かに2曲目などバルカン音楽(アラブ系の曲調)という感じで、カヴァルの音やヴァイオリンのピチカート、民族パーカッションなどがそれらしい感じを盛り上げるが、やはり土臭さはなく、洗練された感じが強い。
 A Part リリースから3年後の作品であるが、抽象的な感じは殆ど無くなっている、つまりはヴォーカル主体のメロディーのはっきりした音楽。サキソフォンの音など、イージーリスニングといってもいい感じの聴き易さ、トラッドに分類はしたけれども、ちょっと違うかも。

 ということで、今後も新ジャンル開拓は怠らぬようにするつもり、その割には聴く時間がないけれど。楽しみはこれから。
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by ay0626 | 2012-11-04 18:28 | trad

ハンガリーのパワー・ラディカル・トラッド ベシュ・オ・ドロム

 オリンピックの余波も落ち着き始め、そろそろメダリストの皆さんも日常復帰と言ったところか。
 スポーツ選手というと爽やかだとか純粋だとか言われるが、実際のところどうなのか。例えば、アフリカの何とかいう国の選手は、大会が終わっても選手村に帰らず行方知れずになってしまったという。自国に帰るよりロンドンで潜み続け何時か亡命でも果たし、二~三流でもよいからプロスポーツ団体からお呼びが掛れば余程よい生活が出来ると踏んだのであろう。そういう意味じゃ、スポーツも亡命の手段以外の何ものでもない。別に自国に忠誠を誓わなければならぬ理由もない、その期間だけナショナリズムの発動する日本みたいな裕福な国ばかりではないのだ。
 スポーツ選手が純粋ならば、絶対に起こらないことが起こったのがバドミントン、無気力試合をやり捲くって、日本人が棚ボタの銀メダルを取ってしまった、別に銀メダルを取った人を貶めるつもりはない、ただやはり参加することに意義などなく、メダルを取ることのみに意義があることを教えてくれる。特に国威発揚のために選手を養成している国はそうだ。日本だって、メダルを取ればその人の努力の跡まで詳細に教えてくれる、大体が感動話を交えてだ。メダルを取らなければ、話題にも何もならない、何百人単位で凄い金を掛けてロンドンくんだりまで出かけて、話題にも上らない競技の如何に多いことか。
 ヤフーのニュースだったか、スポーツ選手に、5年以内に死んでしまうようなドーピングをしてもオリンピックのメダルが取りたいか、というアンケートを採ったところ、実に過半数の者がイエスと答えたという。別に驚くことではあるまい、選手は狭い世界に住んでおり、交友の場も話題の範囲もその中だけ、当然と言えば当然のことだが、その中で思考の全ては如何に一番になるか、それしかない。採れる手段は何でも採る、判らなければそれでよい、その世界の住民の多くの者がそう思っている。自分たちサラリーマンでも、そう何社も会社を渡り歩くならいざ知らず、自分の勤める会社がスタンダードと思い、社内常識がつい社会常識と思ってしまう、それがかなりずれていようとそういうものなのだ、スポーツと言う特殊世界であれば、その傾向が一層強くなるのは当然だろう。
 もう一つ、ハンマー投げの某選手が、IOC委員か何かの選挙の違反をしたとかいう話、ちょっと興味深かった。どうしてもスポーツ選手は若いうちにピークを打ってしまう、会社員とは違い歳を取ることは一方的に衰えていくことに他ならない、その中でちゃんと未来を見据えて自分の生活を考えている人もいるのだ、皮肉ではなく。たとえハンマー投げというマイナー・スポーツでかなり歳を取るまで競技が出来、親父もその道の人という条件が揃ったせいであっても。少なくとも矢吹丈のように自分の階級を変えぬために試合直前に下剤をたんまり飲む、といった『純粋さ』に賞賛の声を上げる人たち、スポーツをただ美しいものと考えて、感動を貰ってありがとう、と素直に言ってしまえる人たちは思いたくはないだろうが、すくなくともメダルを取るような選手はその競技が『職業』なのだ、ということは事実なのだ。違反すれすれ、というよりも一歩間違ってしまったハンマー投げ某選手は、スポーツ村の住民からは賞賛を受けるのだろう、余程出ることに意義を見つける話題にもならない貧乏人選手は別として。
 ロンドン・オリンピックは、まあ、ショウとしてはよかった、北京みたいな国家が出てこなくて。最後に出てきたポール・マカートニーは見苦しかったが。

 上の話題とは全く関係のない、ハンガリー Besh o DroM(DroM の M は大文字が正しいらしい) の紹介。ハンガリーと言えば、The Moon and the Nightspirit のことを以前に書いたが、同じ国でも全く異なる方向、それが面白い。

 Besh o DroM は、1999年に Barcza Gergő (sax, ney, flute)、Pettik Ádám (derbuka, vo)、Sidoo Attila (g) により結成された。ブラス・ワールド・ミュージックというか、なんとも異国情緒に溢れた(バルカン半島各地の音楽を寄せ集めた)判り易いメロディーに、時には DJ にミックスさせたりするところも、何でもあり、という感じ。エレキ・ベースは入っているのだが、パーカッションがドラムではなく民族楽器が主体なので、やっぱりロックやジャズではなく、ワールド・ミュージック、ラディカル・トラッド。まあ、ついこの間書いた Warsaw Village Band でさえ DJ Mix があったのだから、このバンドにそれがあっても当然と言ったところか。

a0248963_22395379.jpg 最初のアルバムが、2000年の Macsó hímzés (Macho Embroidery ~ マチョーの刺繍)、ハンガリーではプラチナ・アルバムになったということのようだが、かの地でプラチナはどのくらいの枚数を売ればそうなるのか、まさか人口が1,000万人に満たない国で100万枚はないよね?
 確かに明るい乗りで、器楽演奏はカラフル、メロディーも判りやすく印象的、ということになれば売れるのは判るのだが、例えばダルシマーやネイ、カヴァル(民族フルート)が入っているということは、日本でいえばポップスに尺八や三味線、竜笛や笙が入るようなもの、やっぱり変だよね。
 元々民族音楽系の音楽家は演奏の達者な人が多く、このバンドも例外ではない。ブラスを主体とした曲を中心に置いている中に、例えばダルシマーやネイの長いソロを含んだ民族音楽っぽい曲が紛れると強烈な印象を残すことになる。
 Szalóki Ági (アルバムには Ágnes と表示) の声も柔らかで、4曲を歌う。他にも Csurkulya József のダルシマー、Farkas Róbert のヴァイオリンやアコーディオンも非常によい。

a0248963_22403711.jpg 2枚目が、Nekemtenemmutogatol (Can't Make Me!)、2002年。このアルバム、世評には高くないようだが、自分としては非常に気に入っている。
 ダルブッカに導かれブラスが入り、素晴らしいアコーステック・ギターとアルト・サックス、トランペットのソロが聞け、またリズム、曲調の目まぐるしい変化が楽しめる1曲目からこのバンドの魅力満載。一転2曲目は、尺八の音かと思うほどのネイの哀愁、落ち着いたギターとパーカッションのジャズ的な伴奏。3曲目は、エレキ・ギターとアコースティク・ギターの多重録音、といったように非常にバラエティーに富んでいる。自分がこのアルバムを好む理由は、多分各楽器の音がソロの形でよく判ることではないか、と思う、ジャズを聴くときのような聴き方をしている訳だ。
 そしてなんといってもびっくりなのが、2曲を歌う Juhász Miczura Mónika の声。何というかヘリウム・ガスでも吸ったような感じで、もの凄く変。たった2曲じゃなくて、もっと歌って欲しかった。次作 Gyi ! では、前作の Szalóki Ági との2枚看板で2曲を歌っている。

 ということで、後の3枚は別の機会に。Warsaw Village Band でもそうだったけど、この頃は何か根性がなくて、紹介できるアルバム数は2枚程度、ニンテンドーDS のやり過ぎで頭の中がウニ(勿論黄色くて美味しいアレ)状態のせいかも、まともに音楽も聴いていないからなあ。
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by ay0626 | 2012-08-18 20:43 | radical-trad

ハンガリーのペイガン・フォーク、ザ・ムーン・アンド・ザ・ナイトスピリット

 Pagan とは多神教のこと、ヨーロッパや中近東は、キリスト教だったりイスラム教のような一神教が殆どなので、多神教という厳密な意味よりも、どちらかと言うと「異教」といった感じで使われていると思う。Faun が自分たちの音楽を Pagan Folk と定義して、アルバム・ジャケットにも表示されている。ちなみに wiki で引っ掛けてみると、Pagan Folk Musician には、Faun と Omniaという先駆けとなったバンドに並んで、ハンガリーの The Moon and the Nightspirit の名前が見える。

 もともと宗教には懐疑的で、特に一神教には納得できるところが無かった。例えば、聖書をちょっと開くと、様々な物語が並んでいるが、神様が納得できる行動をしていない。
 ヨシュア記は、ヨシュアが約束の地であるカナーンを征服する話であるが、異民族とはいえ子供を含め絶滅させよ、となぜ神はいうのか。神は、自分に似せて人を作ったのではなかったか、異民族は頭から手が生えていたか、目が3つも4つもあったか、同じ人間の姿ではなかったか。聖絶を行わなければならないような世界を「全知全能の創造神」はどうして作ったのか、最初から争いの無い世を作っておけばよかったのに。
 ヨブ記は、もっとたちが悪い。神は、ヨブが清廉潔白で自分に対する信仰が確固たることを知っているのに(何しろ全知全能であるわけだから)、サタンに対して凄絶ないじめをすることを許可する。何も悪いことをしていないのに、ただ運の悪いいじめの対象となるわけだ(ヨブ本人は、どうも因果応報と考えていたらしいが、あまりに馬鹿のように人が良すぎる)。いじめられてもヨブは神の正当性を信じるが、これは聖書だから仕方のないことか。
 そんな神が「慈悲深い」とわかるのはどういう理由なのだろう。「慈悲深い」から「慈悲深い」のだ、ということな訳だが、宗教のもうひとつの嫌な理由がそれなのである。「信仰」とは「信じること」、信じるとは論理で考えることを止めて、言われたことを全て「正しい」として飲み込むことである。オウム真理教でも麻原教祖のいうことを論理で誰も考えなかった、だからあんなことが起こる訳だ、麻原も2000年も前に生まれていれば、正統な宗教者になれたかも知れないのに(ヨシュアのように大量殺戮を行っても、賞賛こそされ、貶められることは無かったろう)。

 と長々と宗教観について書いてしまったが、これからの世で、今言う3大宗教みたいなものは現れないだろう、なぜなら今「神が自分を預言者とした、世の人は私の言うことを聞かなければならない」といったら、確実に「神経科か心療内科に行きましょうね」と言われるからだ。
 といことで Pagan という言葉には、アンチ一神教みたいな響きがあって、それはそれで親近感が持てる、もっとも多神教でも仏教(仏教は正確には宗教ではないと思っている)でも突っ込みどころは満載であるが、それはまた別の機会で。

 本題の The Moon and the Nightspirit 。Faun の周辺を調べていくうちに見つけたバンド(duo だからバンドというのもどうかとは思うが)。男女2人組で、作詞(男性の Mihály Szabó が担当)、作曲、録音、アート・ワーク(ジャケットの絵は女性の Ágnes Tóth が全て描いている)、全部自分たちでやっている。ジャケットは、木の精というか、奇怪に捻じ曲がった木に顔が付いていて、みたいなモチーフで(正に Pagan という感じ!)既発4枚のアルバムが統一されている。

a0248963_16293025.jpg 最初のアルバム、Of Dreams Forgotten and Fables Untold は2005年の録音。音楽スタイルは、最初から確立されていて、あまり変化がない。ギターとヴァイオリンが中心となり、多重録音で2人組とはいえ、音の厚みは相当なもの。ヴォーカルも多重録音で、例えば声質からも Cocteau Twins なんかの影響が感じられる。大太鼓の音がかなり単調なことと音が詰まり過ぎなことが若干の難点だが、纏まりは良い。暗い音楽と言われるが、そんなに暗くはない、夜焚き火を囲んで踊っているような、そんな雰囲気の音楽。37分の収録時間は、今のアルバムにしては短すぎるような気がする。

a0248963_1630714.jpg 2nd は2006年録音の Regõ Rejtem 。A5変形ジャケットで収納に厄介なこと、この上ない。そういえば、世界音楽ぶらり旅さんもこのアルバムを取り上げていた。
 なかなか彼らのアルバムは手に入り難くて、アマゾン・ジャパンではマーケット・プレイスで法外な値段が付いているし(このアルバムは今現在、新品で3,437円から、中古ではなんと15,188円なんて驚くべき値段が付いている)、他に売っているサイトもないようだし・・・と思っていたら、アマゾン・ドイツで全作在庫ありの表示が付いているではないか。他も何作か頼んで(アマゾン・ドイツは送料が一定だから多く頼めばそれだけ送料単価が落ちる訳)ようやく手に入れた次第。
 内容的には全面的に全作を踏襲しているが、管楽器のソロなど、聴き所も増えている。中の歌詞ブックレットの最終ページの顔に模様を付けたメンバーの写真は、なんとも Pagan Folk に相応しい雰囲気を醸し出している。

a0248963_16303136.jpg 3rd 、2008年録音の Ősforrás 。これには、通常盤とブックレット仕様の特別盤があって、たまたまアマゾン・ドイツで通常盤が在庫がなかったので、特別盤を購入した。特別盤は1曲多く入っているが、これもA5変形ジャケットで収納にはよくない。そういえば、Faun なども特別盤作るのが好きなようで、Pagan Folk 系のミュージシャンの傾向でもあるのか、あんまり自分としてはそういうのは歓迎しないのだが。ブックレットは14ページもあり、冥い雰囲気の絵は全て Ágnes Tóth が描いたもの。一芸に秀でた人は、他の才能も大したものを持っているようで(Tenhi の Tyko Saarikko しかり、ちょっと変ではあるが Thinking Plague の Susanne Lewis しかり)羨ましい、なにしろ自分は無芸大食なもので。

a0248963_16305298.jpg 4th 、2010-11年録音の Mohalepte 。若干、打楽器の使い方(片面太鼓の使用)や曲の緩急の付け方に変化が出てきた、基本線は今までと変わらないが。
 Ágnes の使用楽器としてクレジットされている morin khuur とは、モンゴルの代表的な民族楽器である馬頭琴のことで、琴と言ってもチェロのように弓で弾く擦弦楽器。ハンガリーは、マジャール人の国家で元を質せばアジア系、その縁でもないだろうが。また、クレジット上に記載はないが、管楽器の音も前作に比べれば控えめだが、ちゃんと聴こえている(特にフルート系の音)。
 これから、もうちょっと捻った録音が出てくることを期待。

 ということで、ハンガリーの幽玄系というか幻想系というか、The Moon and the Nightspirit の紹介は終わり。他にもいろいろなバンドがあるようだが、次回のハンガリーは今へヴィー・ローテーションの Besh o Drom ということで。
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by ay0626 | 2012-03-17 14:19 | folk