日常茶飯事とCDコレクション
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復活後はホラー・テイストのBGM ユニヴェル・ゼロ (3)

 もう6月に突入、月日の流れるのが早い。5月の終わり頃には梅雨入り宣言が出て、今年は早いなぁと思っていたら、2~3日ぐずついたがその後は本格的な雨は降らず、走り梅雨だったのかと思う。旧暦でいえば未だ4月も末の4日(つまりは24日)で、そのことを知れば「五月晴れ」が今の5月の爽やかな晴れの日をいうのではなく、本来は梅雨の間に時折ある晴れた日のことを指すのが判る。湿度はそれなりにあるが、お天道さまが顔を覗かせなければ気温が耐え切れないほど上がるわけでもなく、夜も薄手の布団を被らないとちょっと寒い感じがする。直ぐ暑くなってくるのだろう、近年はクール・ビズが定着して首辺りは涼しくなったが、部屋全体は温度高め。昔ほど暑がりではなくなってきたので(エアコンの人工的な冷却が体に堪えるようになってきたのかも)これはこれで良いのだろう。

 この何日か、『逆転検事』で時間を潰し、昨日目出度くクリアした。『逆転裁判』の1~3はそれこそゲーム史上に残る傑作で自分もいい年こいて熱心にやったものだが、4はちょっとどうかの出来だった。この作品は過去作の人物を全面に出して、逃げかけたファンを連れ戻そうという意図が見え見え。ストーリーもコメディー調で一本道のため難易度も低め、特に最終話は犯人が確定した後で引っ張り捲くるものだからくどい印象のみが残った。本作は期待外れの感が否めないが、『逆転検事2』は評判がよいみたいだから、やってみようかという気にはなっている。CD のコレクションでもそうだが、シリーズものには滅法弱く、シリーズ(同一ミュージシャンと言い換えても同じ)の作品だとどんな駄作でも手を出してしまうところがある。今度発売が予定されている『逆転裁判5』も購入するとなると 3DS も手に入れなければ、やや出費が嵩む、ポケモンXYも出るしなぁ、50過ぎのオッサンのブログにしちゃあ余りに程度が低い。

 久しぶりに本屋に行った。西澤保彦さんの『いつか、ふたりは二匹』が文庫化されたのを西澤さんのホーム・ページ(といってもファンの方が運営しているのだが)の掲示板で知ったため。ついでに井沢元彦さんの『逆転の日本史』18巻と19巻も購入、積読本が大量に発生しそうな予感、『悪夢百一夜』と平行して読み進めることとしよう。

 さて、死んでいた Univers Zero が復活したのが1999年のこと。ここからのアルバムはリアル・タイムで(つまりは新譜として)聴くことになる。残念ながら、セッション・アルバム風で85年までの Zero のイメージとは若干異なっていたが。

a0248963_19223937.jpg The Hard Quest 、1999年。アメリカの Cuneiform レーベルから、85年までの全作品を CD化していたのがこのレーベル、その繋がりから新作も出せたのだろう。録音メンバーは、Michel Berckman (bassoon, oboe, English horn, melodica, p[8,9])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, melodica, vo[5])、Dirk Descheemaeker (cl, b-cl)、Igor Semenoff (vln)、Reginald Trigaux (b, vo[10], a-g[10])、他に1曲のみハーモニウム奏者が加わる。
 Berckman と Descheemaeker の2人が加わったメンバー構成は初めて。Denis がドラムよりもキーボードに力を入れているのも今までの Univers Zero とは異なる。特に Uzed 以降の Zero はロック的な推進力や力強さが前面に出ていたので、このアルバムを聴いたときは「?」が頭の中に浮かび、「ホラー・テイストのBGMみたいだ」と思った次第。音も綺麗で、クラッシク風という感じ、ロックとは最早呼べないものになっている。曲は短いものが多いが(それ故軽い感じがするところもある)、10曲目の Xenantaya は緊張感のある10分を超える素晴らしい作品、本作中の白眉。自分の持っているのは日本盤(ディスク・ユニオン)で最後の曲はボーナス。
 時代が変わったのはベースが、初代ギタリストの息子になっていること(Reginald Trigaux、Present の紹介のときに書きましたね、変態親子)。Zero のデビューからもう20年以上の時間が経過している。

a0248963_1923127.jpg Rhythmix 、2002年。録音メンバーは、Michel Berckmans (bassoon, oboe, English horn, vo)、Aurelia Boven (cello[1,5,9])、Ariane De Bievre (fl, piccolo[2])、Daniel Denis (ds, kbd, perc, harmonium)、Dirk Descheemaeker (bcl[7])、Bart Maris (tp[6,10,12])、Eric Plantain (b)、Christophe Pons (a-g[1,3,5])、Bart Quartier (marimba, glockenspiel)、Louison Renault (accordion[1])。全てのセッションに加わるメンバーは少数で、殆ど Denis が曲ごとに必要な楽器を集めたという感じ。前作を受け継いでおり、ロックというよりも現代音楽、バルトークやストラビンスキーを思い浮かべる。10曲目の Emotions Galactiques(Galactical Emotions)、12曲目の The Fly-Toxmen's Land などアンサンブルにトランペットが加わり、非常に面白い出来。
 ロック色が薄くなって、特に Uzed 以降の荒々しい感じがなくなり、彼らの魅力が減じたように思う。これ以降の作品もセッション的な雰囲気の作品が多い。

 陽が随分と長くなった、暑くなるのももう直ぐ。夜は短くなるがせいぜい読書に励みましょう、積読の冊数を減らすために。
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by ay0626 | 2013-06-02 16:54 | rock

変拍子フォークからオルタナティブ・ロックへ ストーミー・シックス (2)

 ちょっと前になるが、東京都の猪●知事がイスラムを批判し、それが五輪立候補地のイスタンブールを批判したことになるという騒ぎがあった。つい最近は大阪の橋●市長が慰安婦や風俗(売春)を肯定するような発言があって物議を醸し出した。
 冷静に考えてみれば、イスラム教は例えばイラクではシーア派とスンニー派が血で血を洗うようなテロ合戦をしているし、シリアの内戦だって少数のアラウィー派が権力にしがみ付くためにやっているようなもの、猪●知事野いう通り「共通なのはアラーの神様」のみというのは的を射た発言ということになる。軍隊は年寄りには所詮無理な職業で殆どが血気盛んな若者で成り立っている、また戦場で殺し殺されるような極限状況にいれば変に性欲が刺激されることもあろう。そんな人たちに禁欲を貫けという方がどだい無理な話。市街戦になって敵国女性を強姦などされると困るから(昔は勝てば官軍、負ければ泣き寝入りだが、今の世の中情報手段が発達したせいで隠し通せるものではない、隠せないと非難轟々)、そうした性的エネルギーを管理するためには慰安婦という名の売春組織が必要なのは当然、橋●市長の発言は真っ当なものだということが判ろうというもの。しかし、それを文脈の中で理解しようとせず、片言隻句を捉え「宗教批判」だの「慰安婦肯定・売春肯定」みたいにいわれてしまっては何もいうなということと同じ、報道の暴力というか偏向ここに極まったか。
 猪●知事のツイッターでの「誰が敵で誰が味方か判った」という発言や橋●市長の「もう正式記者会見以外は受けない」という発言もその通りと思う。何も「慰安婦」を貶めている訳ではなく、イスラムを批判している訳ではないだろうに。まぁ、オリンピックの東京開催には反対なので、これで東京開催がなくなればそれはそれで良かったかも。そういえば、84年に冬季オリンピックが開催されたボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボは、イスラム(ムスリム)の人が多く住む町であった。その後90年代にはセルビアが攻め込み、市街戦が展開され多くの人々が命を落とし、オリンピック開会式が行われた会場は墓で埋め尽くされていると聞く。平和の祭典がかの地で行われたことを考えれば、チトーの偽りのコスモポリタニズムの方がずっと正しかったということか。

 『逆転検事』は初めの2話はやり終えたが、今ひとつ面白みに欠ける。出張を挟んだということもあって、ちょっと放ってある状態、そのうち片付けようとは思っている。本は、深木章子さんの作品と共に花輪莞爾さんの『悪夢百一夜』という厚い短編集(なんと1,300頁を超える!)を買ってぼちぼち読み進めている。大坪砂男全集の2巻はあと数編を残すのみ。読書はそれなりにこなしております。

 ということで、今回は Stormy Six の2回目。RIOの諸バンドとの交流も深まり、変拍子度が高まっていく70年代後半から80年代初頭にかけての3枚。イタリア盤も英語表記一切なしでちょっと困る。

a0248963_1858159.jpg L'apprendista (見習い、日本盤では「修行時代」という題名が付いていた)、1977年。録音メンバーは、Giorgio Albani (sound technician)、Carlo de Martini (vln, vla, mandolin, a-g, vo)、Franco Fabbri (vo, a&e-g, vib, xylophone)、Umberto Fiori (vo, a-g)、Salvatore Garau (ds)、Tommaso Leddi (mandolin, vln, a&e-g, p)、Luca Piscicelli (b, vo)、その他サックスやファゴット、弦楽器などのゲストが参加。サウンド担当がクレジットされ、ベースが Pino Martini から交替している。
 アコースティク主体のサウンドでフォークの風情を充分に残すが、リズムは変拍子がかなり取り入れられ、アバンギャルドな雰囲気が強く出るようになってきている。歌が中心ということで、メロディーラインがはっきりしていることと、アレンジがきっちりとなされているところが聴き易さに繋がっているか。アンサンブルの纏まりも彼らの作品の中一番と思う。Carlo de Martini は本作を最後にグループを抜けるが、彼のバイオリンやマンドリン演奏が相当の核になっているように思う。スピード感はそれほどなく、まったりした感じ(Fiori 氏の歌声を含めて)が彼らの持ち味で、ちょっと頑張っちゃった感の強い Macchina Maccheronica やそれまでの演奏とは趣の異なる Al Volo よりもずっと Stormy Six らしい作品といえるのではないか。

a0248963_18581813.jpg Macchina Maccheronica (マッケロニカ(意味不明)の神)、1980年。RIOの思想的中心になった頃の作品、管や弦を多用しエレキ・ギターもかなり取り入れ変拍子満載の、正しく RIO という感じのアルバムだが、やはり Fiori 氏のボーカルのせいか、Henry Cow のような研ぎ澄まされたようなシリアスさはなく、どこかユーモアも感じさせる、管楽器で活躍するのがクラリネットやトロンボーンという柔らかな音のためか。前作に比べ、即興的な部分がかなり感じられる。
 録音メンバーは、Tommaso Leddi (mandolin, vln, g, as, organ)、George Born (cello)、Leonard Schiavone (cl, ts)、Franco Fabbri (g, tb, vib)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b)。Henry Cow の Georgie Born とサキソフォン/クラリネット奏者が加わり、他メンバーもサキソフォンやトロンボーンなどを持ち替えており、非常にサウンドは色彩感豊かな作品に仕上がっている。ただし、ちょっと肩に力が入っている感じがあって、好き嫌いでいえば前作の方が好き。

a0248963_18583682.jpg Al Volo (エスペラント語で「意志を持って」の意味か?)、1982年。彼らの現役活動期の最終作品。フォーク的な部分を完全に切り捨て、オルタナティブ・ロックそのもの。管楽器やバイオリンなどの擦弦楽器は一切使わず、ロック・カルテット(ギター・ベース・キーボード・ドラム)+ボーカルという構成、リズム・マシーンやベースへのエフェクトなど今までにされていない試みも。Fiori 氏のボーカルも前作よりシリアス度を増している。前作までとはかなり趣が異なるが、これはこれでカッコよい作品、出来はかなりのもの。
 録音メンバーは、中核が残ったということで Tommaso Leddi (kbd)、Franco Fabbri (g)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b) のクインテット編成。

 いつの間にか立夏を過ぎ、明後日は小満。季節は確実に嫌な夏に近付いている。しかし、今日は曇り空で太陽が照っていなければまだまだ肌寒さを感じることもある。空気も乾燥していて気持ちがよい。
 敗れ放題の網戸も、昨日1枚だけ張り替えた、やってみれば出来るもの。来週も2枚くらい張り替えるとするか、夏になって外で作業するのが嫌にならぬうちに。
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by ay0626 | 2013-05-19 17:59 | rock

おふざけとインプロと技巧 サムラ・ママス・マンナ (2)

 ゴールデン・ウィークも前半終了、明日から3日間また会社、といっても予定が詰まっている訳ではないのでのんびりしたもの。昨日今日とすることがなかったので(ついでに昨日はブログ書くのもサボってしまって)パチンコなんぞやり捲くって運が低迷していることを嫌になるほど認識した、トホホ。

 あんまり、パチンコばかりなのもどうかと思って、久しぶりに土曜日にアマゾンで本とDSゲームを注文、今日パチンコから帰ると荷物は既に到着していた。ゲームは『逆転検事』、本は深木章子さんの『鬼畜の家』。
 『逆転検事』は『逆転裁判』シリーズのスピン・オフ、というか『逆転裁判4』が不評だったため、『逆転裁判』だったか『逆転裁判2』だったかで人気を博した検事「御剣怜侍」を主人公に仕立てた作品。『逆転裁判』は2001年の作品。確か『3』が出て非常に評判が良くて遊んでみようという気になったと記憶しているので多分2004年頃のことではないかと思う。今の3DSの2世代前のハード GBA は、その前の世代の GB に比べ格段に性能が良くなっており、例えばポケモンの『ルビー・サファイア』の後の『エメラルド』という作品なんぞ、よく遊び300時間くらいはやっていたと思う、いいオッサンが馬鹿なことを、と鼻で笑われそうだが、あの作品は遣り込み要素が詰まっていて子供だけにやらせておくには勿体無い、などと思っていたものだ。『逆転裁判』に話を戻すと、これが評判に違わず面白い、ミステリ好きには特に堪らない、トリックなど子供騙しかとも思うが、それでもゲームとして様々な要素が詰め込まれ小説を読むよりは余程考えるためか(小説だと適当に読み飛ばしてしまうこともあるが、ゲームだと一応クリアして行かないと次に進めないのだ)、「クリアした!」という充実感は小説以上のところもあったりした。シナリオの質が落ちた『4』をやって、ちょっと落胆しそこから次の作品には手が出なくなった、そういう意味では小説よりも厳しい世界かも、やはりゲームは価格が高いのでちょっと質が落ちると打撃は大きいようだ。『4』も裁判員制度を見越した要素もあり、見るべきところはあったようにも思うのだが。
 今回『逆転検事』をやってみようという気になったのは、7月に『逆転裁判5』が出るということを知ったため。『4』が2007年の作品だったので、実に6年振りということになる。前作の評判が今ひとつで多分開発陣も気合いが入るであろうことは目に見える、多分よい作品になるだろう。ポケモンの新作をやる前に3DSで何かゲームをしておこうか、ということで『5』を購入することにして、それならと『逆転検事』もやっておきましょうということになった、価格も安く1,700円程度で買える、それじゃあゴールデン・ウィークの暇潰しにということにしたのである。プロローグに当る第1話は先ほど終了したが、それほどの出来ではなかった、クリア報告はまた後ほど。
 本もまた読了後ご報告ということで。

 久しぶりに Zamla Mammas Manna。読み方まで違うのかどうかは判らないけど、グループ名の冒頭の文字が S から Z に変わっている。心境の変化?だとしたらふざけた心境の変化だったりして。

a0248963_18593787.jpga0248963_18595317.jpg Schlagerns mystik / För äldre nybegynnare (ポピュラー音楽の謎 / 歳を取った初心者のために )、1978年。ギターが前作までの Coste Apetrea から Eino Haapala に交替、多分技術的には Apetrea の方が上手いような気がする。
 2枚組アルバムだが、全く傾向の異なる音楽の組み合わせ、何を考えているのだろうコイツら、と思ってしまうような作品、決して貶めている訳ではありません、念のため。旧 LP でいうと A面が子供の声に似せた(変態的)ヴォーカルにアコーディオンやオルガンなどアコースティク楽器で伴奏した小品が並ぶ(8曲!)、B面は17分に及ぶテクニックをこれでもかというまでに見せ付けるジャズ・ロック大曲(これだけの転調とリズム変化、凄まじいというしかありません)、C・D面はインプロ大会、やりたい放題にやってます状態、やや聴くのには疲れる。彼らのやりたい音楽を端的に示して見ました、ともいえる総決算アルバム、特にA面などは例えば Hedningarna や Garmarna などを聴いた後で改めてじっくり聴くと北欧の民族音楽の影響がモロに出ているのが判る。

a0248963_190885.jpg Familjesprickor (家庭のひび割れ)、1980年。ドラムの Hans Bruniusson が抜け(1曲のみ参加)、Vilgot Hansson が後任として加わる。
 内容は、非常に硬派なジャズロック、複雑なリズムや転調を易々とやってのける、彼らの技巧が端的に見えるアルバム、しかし軽さというかユーモアも忘れていないところが Zamla の Zamla たる所以か(特に最初の Five Single Combat など端的、メロディーの軽さとコーラスに目を奪われるが、技巧面の素晴らしさも同時に判ろうというものだ)。80年代になると様々な RIO 関連のバンドが活動を止めたり、作品を発表しなくなっていったりしたが、彼らもこのアルバムを最後に (Von Zamla 名義の作品は数枚残すが)長い休眠期に入る。
 ジャケットの中にこんな言葉が書いてある、「この Zamla のレコードは、変遷期に作られたものだ。勿論こうした(いつものことだが楽観的でも幸せでもない)環境が音楽に影響している。しかし、受け継ぐということの意味は何時だってそんなものだ、貧しかろうが富もうが、両方から影響を受けているのだ。『年老いたばか者は、若いばか者よりもっと馬鹿だ。』ロシュフコーの箴言集」。当時の状況が判るような文章。

 明日からちょっと社会復帰。来月早々には海外出張が控え、やや憂鬱。出張も間近になると憂鬱になってきますね、1か月前はちょっと楽しみだったのだが。
 
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by ay0626 | 2013-04-29 18:27 | rock

アヴァンギャルド・アコースティクとおっさん臭い歌 ストーミー・シックス

 明日は成人の日だが、天気は生憎のようだ。20歳の頃は何をしていたのだろう。
 自分が20歳の頃の成人の日は1月15日に固定されていて、1月15日は小正月、この時に元服の儀式を行ったことから「成人の日」をこの日に定めたということらしい。小正月というのは、1月の満月の日、昔の太陰暦は月の満ち欠けを基準としていたので、満月の日は15日と決まっていた。因みに月の満ち欠けは29日か30日周期のため、季節と月がずれていく、その調整のため閏月というのを何年かに一度付け加えて調整していた、1年が13か月の年もあった訳。元服とは「頭に冠を被る」の意で、大人になる儀式のこと、12歳から16歳(もちろん数え年)の男の子が対象、昔は平均寿命も短かったため、早く大人になって、早く跡継ぎを作る必要があったのだろう。そんな意味付けもハッピー・マンデー法が出来てピンと来なくなってしまった。
 学生時代、住民票は親の居住地のままにしていたので、下宿に成人式の案内が来るわけもなく、友人も皆そんな感じで、普通の祝日と何ら変わることはない。煙草は18歳の頃から吸っていたし(40歳を過ぎて体を悪くして、すっぱりと止めた)、酒も飲んではいた(酒には弱く、会社に入って若干苦労することもあったが)ので、成人式だからといって、何らの感興はなかった。ただ、友人の殆どに女友達がなく、当然自分も彼女なんて居ない訳で「20歳にもなってなんて色気のないことだ」とブツクサいったのは憶えている。この歳になると、まぁどうでもいいことのように思えるのだが、何せ性欲は今の何倍もあったろうから、ある意味切実といえば切実。しかし、今の人たちのように気楽に合コンという訳にはいかず(何せ友人は自意識過剰な奴ばかり、そうであれば自分も間違いなく自意識過剰)、「女なんてどうでもいいもんね」と心にもないことを言い散らしていたのである。自分は経済学部に行っていたのだが、入学者202人のうち女性はたったの2人、そのうちの1人は文学部に転籍してしまう始末、そんな環境の中、女性関係においては無為な時間を過ごしたのであった(会社に入れば周りに幾ばくかの妙齢の女性はいることになるが、大きく情勢が変化することはなかったのだが)。

 チェコとハンガリーのバンドはちょっとひと段落(そういえば、Makám の Approaches というアルバム、注文したのだが未だに発送されない、多分廃盤なのに「在庫あり」と表示していたのだろう、問い合わせ中ではあるが、腹の立つことではある、もう1か月以上「発送準備中」になっている)。
 ということで久しぶりに浚って来ました、RIO のオリジナル・メンバー Stormy Six 。前にも書いたが、RIO のメンバーの中でも最も政治的な主張が強く、言葉(つまりは歌)に頼る部分が多いため、器楽が好きな自分には若干合わぬところがあって、そんなに深く聴き込むことはなかった。今回、引っ張り出してきて、印象的には大きく変わることもなかったのだが、様々な言語の歌を聴くようになった今聴くと、それなりには聴けるようになったような感じがする。また、演奏もアコースティクだし(彼らのアルバムでは、最後の Al Volo だけがエレクトリック)、ちょっとちゃんと聴いてみようか、今回は L'Orchestra レーベルから出した作品2枚。

a0248963_18201780.jpg Stormy Six は1966年、イタリア、ミラノで結成、初期はポップ/サイケ・ロックのバンドだったが、Henry Cow に影響を受け、急速に思想的にも音楽的にもアヴァンギャルド化していく。そのきっかけになったのが、自主レーベル L'Orchestra の立ち上げ、そのレーベルからの最初の録音が Un Biglietto del Tram (路面電車の切符)、1975年作品。Stormy Six 名義としては4作目に当る(第1作 1969年 Le Idee Di Oggi Per La Musica Di Domani 「明日の音楽のための今日のアイディア」、第2作 1972年 L'Unità 「単位(装置の意味?)」は CD化されて、自分も持っているが殆ど聴いていない。第3作 1974年 Guarda giù dalla pianura 「平野部から見下ろす」は CD化されていない)。
 メンバーは、Franco Fabbri (g, vo)、Umberto Fiori (g, vo)、Carlo De Martini (sax, vln)、Tommaso Leddi (vln, mandolin, balalajka, g)、Luca Piscicelli (b, vo)、Antonio Zanuso (ds)。曲作りでは、Fabbri ~ Fiori ~ Leddi のラインが中心だったようだ。
 Fiori の声がおっさん臭くて、殆どが生楽器で演奏されたフォーク候のサウンドをバックに歌われる。まあ、言ってしまえば、岡林信康とか五つの赤い風船などのイタリア版なのだが、弦や木管がヨーロッパらしさを演出している、特にヴァイオリンなど良い。歌詞は、主義が全面に出ており、最初の Stalingrado は、ナチとソ連について、表題作の Un Biglietto del Tram はアルゼンチンの軍事独裁政権についての歌のようだ、意味が判らない方が余程音楽を楽しめそう。この段階では、RIO の他のバンドに見られるような強烈な変拍子や複雑なアンサンブルは目立たず、出来の良い真っ当な(?)左翼フォーク・アルバムといった感じではある。

a0248963_18205875.jpg 次が Cliché 1976年作品。CD化されたときに Pinocchio Bazaar が追加された。劇の伴奏用として作られた音楽のようで、全部がインスト・ナンバー、ちょっと Stormy Six らしくないアルバム。追加曲も劇のための音楽でオール・インスト。メンバーにもジャズ関係のゲストが入り込んでいるようで、演奏メンバーもこのアルバムのみの参加者が多い。
 様々な局面を見せるアルバムだが、アコースティクな中にもエレキ・ギターやエレキ・ピアノなどもかなり入れられており、次作以降のサウンドの基礎を作っているような感じもする。1曲目などアコースティク・アンサンブルが見事に決まった名演奏、2曲目は珍しく生ピアノが先導するクラシカルな曲(次のアルバム L'Apprendista でも再演される)など、ジャズやクラッシク、フォークをごちゃ混ぜにしているが、他の RIO のバンドのような性急さは感じられず、どちらかというと大らかな印象。それほど聴くアルバムではないが、彼らの多面性を現している作品として持っている価値はある(またコレクターになってしまいました)。

 Stormy Six をサルベージしたなら、近いうちに Area も浚ってこないといけない。自分の中のイタリアは、この2つのバンドに集約されるので。しかし、何時になるのか、若干心配。
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by ay0626 | 2013-01-13 16:55 | rock

ヒッピーの日常は非日常なのか エトロン・フー・ルルーブラン (2)

 明けましておめでとうございます、というのも三が日まで、4日になると半分以上は日常に戻る。今年は、曜日の関係から6日まで休みの会社が多いようだ。かくいう自分の会社も6日まで休み、官公庁の挨拶回りもあるのだが、今年は先方が忙しいのか、7日以降に来るようにとのことなのでゆっくりしている。
 柳田國男先生のおっしゃる「ハレとケ」、学生時代にはそれなりに本を読んだり、文化人類学の講義で聴いて理解したつもりであったが、この歳になると、子供たちが家に帰ってくることで実感するようになる。
 ケすなわち日常時間においては、我が家は老人と中年男で構成されており、食欲はそれほどなく(昔は見向きもしなかったカボチャやナス、おでんなどが好きになってくる、肉も牛肉のこってりしたものより鳥のほうが良くなってきたとか、金が使えるようになってくるとそんなに高いものが喰いたくなくなってくるという不思議さ)、夜もあっという間に寝てしまう、枯れたといえばその通り、淡々としたものだ。他の老人/中年家庭と違うところといえば変な音楽が、まあまあ大きな音で掛ることがあるくらい。それに対して、ハレの時間の年末から年始に掛けては大いに異なる、20歳代の子供3人が帰ってきて、夜遅くまで遊びに行くは、朝はだらだら寝ているは、ですっかり日常が破壊される。居場所がなくなってあっちこち、うろうろとしてしまう。特に年が明ければ、我が家のご馳走タイム、毎年寿司としゃぶしゃぶとカニの食い放題(普通、ハレの食い物といえば餅や赤飯、尾頭付きの魚だが、時代が進めば変わるもの)、自分はこの何年かで相当食が細くなっており、食べるは飲むはを見ていると、喰わなくとももう満腹状態。この狂乱状態も3日にはほぼ終息した、まあ、1年に何度もあることではない、数日の我慢だ。

 ということで今年の最初の CD 紹介は、Etron Fou Leloublan 、あんまり正月から聴きたくはない音楽じゃないかもしれないが、ハレとケのことを考えていたら思いついた。Etron のメンバー、もともと原始共産制のコミューン的な共同生活から生まれたとのこと(だから RIO の活動に共感する訳だ)、ヒッピーたちの日常は一般の世間から見れば非日常に見えるのだろうか、農業やっていれば案外普通の生活だったりして。こんな音楽を作り出すから、異常=非日常と思われてしまう、やっぱり変な音楽。

a0248963_23402247.jpg 4作目、1982年の Les Poumons Gonflés (膨らんだ肺)。プロデュースは Fred Frith 、前年にリリースされた Frith の Speechless (Frith の記事で紹介した Ralph 3部作の2作目)で共演したことが縁となったようだ(2曲にギターとヴァイオリンで参加)。本作は、前作に引き続き Ferdinand Richard (b, vo)、Guigou Chenevier (ds, perc, vo)、Bernard Mathieu (sax) に加えて、女性メンバーJo Thirion (org, p, tp) が新たに参加、カルテットになっている。
 前作までのゴツゴツしたつんのめるような性急さは薄らいで、アヴァン・ポップ風というかかなり聴き易くなっている、これも80年代という時代のせいか、それとも女性の加入で柔軟性が出てきたためか(確かに作曲面においては10曲中4曲が彼女のペンによるもの)。Jo Thirion の薄っぺらな感じ(他に言葉が思い浮かばない、聴いたらナルホドといって貰えると思うのだが)のオルガンは印象深い、ヴォーカルが単独で聴ける曲はまだない。他にもトランペットなど彩は増しているのだが、もともと持っている「骨格だけの音楽」との感じはそれほど変わらず。方向が若干変わった感じ、これはこれで良い出来の作品。

a0248963_23403299.jpg 5作目、1984年 Les Sillons de la Terre (地表の溝)。サキソフォン奏者が Bruno Meillier に交替している。前作に増して聴き易くなっており、これは当時流行ったニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンに影響を受けたためか(この頃ニューヨーク・ツアーも敢行している)、そんなに似ているとは思わないのだが。もう一つがジャズの影響、もともと Bruno Meillier はジャズ畑の人、ニューヨーク一派の影響は強いと思われる(彼が平行して加入していたバンドがそんな演奏を行っていたらしい)。
 Jo Thirion の存在は益々大きくなっており、オルガンの音が本作を特徴付けているといって過言ではない。また、リード・ヴォーカルも取るようになっており、1曲目や6曲目(この歌の迫力というかドスの効いた感じは彼女の鋭そうな面貌の写真に良く似合っている)。Jo Thirion は後に Ferdinand Richard の奥さんになったらしい、何処かにそんなことが書いてあったような気がするが、うろ覚え。
 赤と黒と白のみで構成されている、なかなかセンスのあるジャケット。先頭の白い狼は Etron Fou なのだろうか。

a0248963_2341330.jpg 6作目で最終作、Face Aux Éléments Déchaînés (荒れ狂う気象に直面して)、1985年。 Bruno Meillier が抜けてトリオに。本作も Fred Frith のプロデュースによる。
 Guigou Chenevier がサキソフォンを演奏しているが、全体に音数は少なめで、ヴォーカルも芝居のセリフのよう(殆どスポークン・ワード風になっている曲もある)。肩の力が抜けているのか、シンプルな印象が強く、ミニマル・ミュージックのような感じも(特に3曲目のインスト・ナンバーなど)。全編、オルガンがリードする、Jo 姐さんが主役といって良い。初期の性急な演奏と1曲の中で曲がめちゃくちゃに変化していくような構成は完全に消滅している。題名に比べ、随分と激しさや余分な要素を削ぎ落としてしまった、その分溌剌さみたいなものに欠けてしまったか、聴きようによるが、ある意味完成型か。

a0248963_23411676.jpg 2010年、突然リリースされたのが À Prague という1984年11月のチェコ・プラハでのライヴ。73分を超える長尺盤、音は非常に良いとまでは行かぬものの充分に聴ける。
 84年には既にトリオ編成になっていたよう(因みに Face Aux Éléments Déchaînés は85年4月の録音)。13曲が収録されていて、その作者についても記載があるが、ほぼ3人が3等分で作曲を担当しており、80年に加入した Jo 姐さんの役割の大きさが判る。
 以前も書いたが、Etron Fou のアルバム単体での発売は、フランス・ムゼア・レーベル傘下のガゼール・レコードから行われたのだが、5作目と6作目に長い期間が空き、オマケに5作目は既に品切れ状態。本当にやる気あるのかないのか疑わしい感じであった。何よりもやっぱり売れなかったのかとも思ったのだが、6作目がリイシューされた直後に本作がリリースされた、これはどういう理由か、よう判らん。

 ということで、今年も変な世界の音楽について書き散らしたいと思います。何処まで行けるやら。
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by ay0626 | 2013-01-04 21:35 | rock

肩の力の抜けた、けれど凄くテクニカル サムラ・ママス・マンナ

 10月ももう1週間過ぎようとしているのにこの暑さは何なんだ。朝はかなり涼しくなってきたが、夜は昼間の熱気が籠るせいか、エアコンで少し部屋を冷ましてやらないと寝苦しくて仕方がない。10月にエアコンを付けたことなんてあったっけ。これも地球温暖化のせい?気温のことになると温暖化云々とよく話題になったものだが、震災以降とんとこの話も聞かなくなった。

 夏の終わり頃、娘が帰省して、家の中を整理してくれたお陰でかなりすっきりした。あちらこちらに読み散らかした本の小山が積みあがっていたが、その収納場所が出来たので今まで何処にあるのか判らなかったものがひょっこり見つかることもある。
 先週ぽつぽつと1日1編くらいずつ読んでいたのが田中啓文さんの『異形家の食卓』、もちろん買った記憶もあったし内容もかなり憶えている、ただこの数年家の中で見たことはない。その本が目の前の本棚にあったので、ちょっと手に取り読み返してみたという訳。田中さんの作品はそれなりの数は読んでいて、一時は大分凝って絶版になった集英社スーパーファンタジー文庫を集めに古書店に繰り出しもしたが、今はそこまでの肩入れはしていない、文庫で偶に購入する程度というところか。ちょっと最後になると辻褄が合わなくなってしまうとか、そこを駄洒落(地口)で誤魔化してしまうというような感じがあって、西澤さんや三津田さんほど熱心なファンにはならなかった。それでも物語る才能には凄いものがあって、ページを捲らせる迫力、リーダビリティには感心する。
 加えて、ホーム・ページ「ふえたこ日記」のジャズ・レコード評は熱心に読んだ。若干聴く音楽の傾向は違うが、Ayler や Coltrane 、Taylor の音楽に対する視点は大いに感心、同調するところも多い。
 『異形家の食卓』、所持しているのは2003年の集英社文庫版だが、元本は2000年に出ている、田中さんにとって初の作品集とのこと。伝奇が一方の柱とすれば、グロはもう一方の柱、本作品集はグロの塊といってよい。あまりに詳細な描写がこれでもかと続き、それでも文章なら読むことが出来る、映像じゃ正視できないだろう物語の数々。初読時に特に気に入ったのが「新鮮な二グ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」(この作品、多分異形コレクションか何か、他の本で読んだのことがあるような気がする、それは余計な話)。ここに出てくる生物、この作品集の中の「にこやかな男」や「オヤジノウミ」に出てくる「バ・・・・神」に違いない、クトフルフ神話の一編とも考えられる、しかしここまで描くかなぁ、流石関西人、凝るところは凝りまくりのようで。同じ関西人、小林泰三さんもお仲間らしく(一時まんがカルテットで有名に、あとのお二人は牧野修さんと田中哲弥さん)、小林さんの論理の暴走性、偏執性と近い感じもある。
 また、駄洒落もてんこ盛りで、ショートショートの表題作「異形家の食卓 1~3」は全て駄洒落で締めくくられるし、「邦夫のことを」も言葉遊び、ここら辺が異常に拡大して『銀河帝国の弘法も筆の誤り』『蹴りたい田中』に繋がっていく、この2冊も何処かに埋もれているはずなので、ひょっこり出てくればまた読んでしまうかも。初期作品で読んでないのは『禍文』くらい、そのうち読んでみようか、一方の柱の伝奇作品集ということのようだから。

 軽味とテクニックが同居する、から連想して、やっとたどり着いた Samla Mammas Manna 。予告から随分経ってやっとサルベージに成功しました、ハイ。誰も期待などしていないでしょうが、初期アルバムのご紹介。

 Samla Mammas Manna はスエーデンのバンド、69年結成というからプログレ・バンドでも古株、RIO でいえば、Henry Cow なんかと同じくらいのバンド歴となる。おふざけとシリアス、テクニカルな側面が一体となった音楽性、一時はそのテクニカルな側面が嫌であまり聴かなくなったが、Hedningarna と比べて聴くと案外近いものがあり(リズムや曲構成など、やはりトラッドとの関係?)、サルベージに繋がったもの。この調子で Stormy Six や Area (純粋に RIO ではないにしろ、思想はかなり近いと思う)あたりも聴き直して・・・・また何ヵ月先になるやら。

a0248963_13575691.jpg 最初のアルバムは Samla Mammas Manna (s/t) 、1971年作品(70年録音)。この時は Lars Hollmer (kd)、 Hasse Bruniusson (ds)、 Lars Krantz (b)、Henrik Öberg (perc)という、ギターレスのカルテット編成。最初の曲 Circus Apparatha は変態ヴォーカル入りの如何にも Samla という感じなのだが、2曲目以降はエレキ・ピアノ中心のジャズロックといったところで、音が今一歩であることも加わって、聴くために所持しているよりも史料価値として所持している意味のほうが大きい(言い訳がましい!コレクターだから持っている、と素直に言ったらどうだ)。
70年といえば、Beatles が Let It Be を出した頃、King Crimson のデビューの頃、大昔だ。歌物でもないインスト・ジャズロック、どのくらい売れたのだろう。
 本アルバムは、セカンド以降のアルバムが90年代半ばに次々に復刻されていく中、なかなか CD 化されず、やっと2001年に2曲のボーナス・トラックを加えて再発された。盤元は Silence 、Hedningarna の2~5枚目をリリースしたレーベルである。

a0248963_13582217.jpg 2枚目は 1973年、Måltid (食事という意味らしい)。ここからは全くの Samla サウンド。このアルバムで Coste Apetrea (g) が加わり、Henrik Öberg (perc) が抜ける。1曲目の Dundrets fröjder (ダンドレットの喜び、ダンドレットは固有名詞?)から、変拍子と転調満載、圧倒的なテクニック(特にドラムの凄さ、出だしからもうビックリ)で一糸乱れぬ演奏を10分を超えて繰り広げる。アホアホ・ヴォーカルを所々に挟み(2曲目のスキャットなど裏返った声で相当引っ張ります)、ギターとキーボードのテクニックが冴え渡る。たしか、復刻はこのアルバムが最初だったか(93年?)、それもよく判る出来である。音楽面では深刻なところは全くなく、テクニック面を考えれば Gentle Giant に似た感じともいえる、こっちのがおふざけ度は高いが。
 CD 化に際し、1st アルバムから Circus Apparatha を再録(この時点では1st 復刻予定はなかったということか?)、あと2曲追加で収録。音も1st に比べれば遥かに良い。

a0248963_13584543.jpg 3枚目が、変なジャケットで有名な Klossa Knapitatet 、1974年作品。日本盤では「踊る鳥人間」なんて酷い題名が付けられていた。
 RIO に加わるほどであるから、左翼に共感を示していたのは間違いなかろうが、それでも Stormy Six のようにあからさまにそれを見せるようなこともなかったらしい。RIO の中でもはっきりとした左翼傾向を見せるバンドとは若干の距離があったようだ。しかし、このアルバムの題名、Klossa Knapitatet というのは krossa kapitalet のもじりのようで、これを訳せば「資本を破壊せよ」、やはり RIO 加入の素地はあったということ。
 音楽的には2nd の延長上。若干メランコリックなところも、1~2分の短い曲と6分以上の長い曲と組み合わせている。民族的なメロディーもおふざけもますます快調、一聴 Samla と判るものに。表題曲は、多分路上でのアコーディオンのソロ録音、1分半にも満たぬ演奏だが印象に残る。

 オリジナル RIO は残すところ Stormy Six のみ。イタリア仲間の Area と一緒にサルベージしましょうか、聞き直す時間が取れるか、それが問題。気長に行きましょう、夜がだんだん長くなる、そうだ西澤さんと小島正樹さんの新刊を予約してある、再来週くらいには届く予定、楽しみ。
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by ay0626 | 2012-10-06 11:33 | rock

3つの期間に異なる3つの面貌を持つ 5UU'S

 先週の木・金曜日に珍しく泊りがけの出張があり、電車に揺られた。その時車内で久しぶりに本を読んだ、小島正樹さんの『綺譚の島』。今までの作品と同様、なかなか演出が派手というか、解決編を読むと本当にそのように見えるのか疑問だよなぁと頭の中に?マークがいくつも付く。師匠と仰ぐ島田荘司氏と同様に、自然現象を取り込んで怪奇現象のスケールが大きいといえば聞こえはよいが、偶然を取り込みすぎのような感じがしなくもない、読んでいるうちはワクワクするのだが、やがて哀しき解決編、といった感じ。島田御大の手が入った(共著ということになっているが)処女作は読んではいないが、例えば Taipei Chronoscope さんのブログを読むと御大と同様の辟易するような日本人嫌いが前面に出ているよう。その後、単独名義作品ではあまりそういう傾向はなくて、その点は安心して読める。
 しかしこの作品、核心となる事実が昭和60年時点で成立出来たか、という点では首を傾げざるを得ない。【ネタバレあり】同じような事実から事件が発生する三津田信三さんの『首無の如き祟るもの』のように年代の設定が戦前から戦後に掛けて、というならいざ知らず【ネタバレおわり】登場人物もまともな地方公務員を配しているのだし、う~ん。ネットでの評判も良さ気だったので期待はしたのだが、これだったらネット評判が今一歩だった前作『龍の寺の晒し首』のほうがよかったかも。文句は言っておりますが、読んでいる間はかなりのめり込みました、また海老原シリーズの新刊が出たら買ってしまうでしょう、ハイ。

 また、音楽ブログとは関係ない方向に行きそうなので、修正。Thinking Plague 、Motor Totemist Guild と来たので(ちょっと間が空いてしまったが)、今回は 5uu's 、これでアメリカ西海岸 RIO の3つのバンドを全部(といっても、どれも Part 1 ばかりだが)紹介することになる。

 自分が RIO の音楽を一番聴いたのが90年代の半ば頃、丁度第2期 5uu's がバリバリの現役で CD リリースを行っていた時期に当る。変拍子と変な音響処理の施された、しかしロックとしか言いようのないドライヴ感を持った演奏の上に、まるで Yes のようなハイトーン・ヴォーカルを乗せた音楽は、当時聴いた多様な音楽の中でも一際印象に残ったのである。

a0248963_18485831.jpg 5uu's のデビュー作は1984年録音、86年リリースの Bel Marduk & Tiamat 。ドラマーの Dave Kerman 率いるこのバンド、最初は King Crimson のカヴァーなどしていたようで、現代音楽風に複雑な音楽を作っていた Thinking Plague やごった煮的アヴァンギャルドからチェンバー方向に走った Motor Totemist Guild に比べて、至極まともなプログレッシヴ・ロック的アプローチとなっている。
 本作のメンバーは、Kerman (dr)、Jon Beck (b)、Greg Conway (g)、Curt Wilson (vo) 。典型的なロック・カルテット、他の2つのバンドは女性ヴォーカルに拘ったが、このバンドは美声系の男性ヴォーカル、これだけでもロックっぽい感じになる。後のインタヴューなど見ると、殆ど Kerman のワンマン・バンドのようであった。
 この Kerman という人、ドラマーとしては言うに及ばず、作曲家としても相当な才能を持っており、その上 RER USA 代表という CD ディストリビューターであり、Ad Hoc Record の主催者であり、と現時点では Chris Cutler に次ぐ RIO 活動の推進者といってよい。

a0248963_18493280.jpg 85年録音の Bar Code というシングルを挟んで 86年には Motor Totemist Guild のメンバーを全員ゲストとして迎えた Elements を作成、88年に本家 RER Megacorp からリリースする。このアルバムからキーボードの Sanjay Kumar が加わり、その後長い期間 Kerman との共同作業を行うことになる。
 一方、ゲストとして参加した Motor Totemist Guild のメンバーは、James Grigsby (b,etc)、Emily Hay (fl)、Becky Heninger (cello)、Lynn Johnston (sax) 。チェンバー部隊がごっそり入り込んではいるが、作曲が Kerman なので前作から大きく印象が異なることはない。
 ロック色が明らかで、かつ明快なメロディーを持っているため RIO の音楽としては相当聴き易い音楽に仕上がっている。(良い画像がないのはご容赦のほど)

 上記2枚のアルバムは 96年にアメリカ Cuneiform Record から 2in1の形で復刻された。Motor Totemist Guild 、Thinking Plague も追うように初期作品が 2in1の形で復刻される、その皮切りとなるリリース。(ジャケットは Bel Marduk & Tiamat を使用している)

a0248963_18512266.jpg その後、5uu's は、Motor Totemist Guild と合体し U Totem となり、単独活動を停止する。U Totem が休止する 94年に新生第2期 5uu's が出来上がる。このときのメンバーは、Kerman 、Sanjay Kumar に加え、Thinking Plague のベーシスト Bob Drake 。驚いたことに Bob Drake 、Yes の Jon Anderson の如きハイトーンで歌い捲くるのだ、なかなかの迫力、何故 Thinking Plague で歌わなかったのか。
 第2期5uu's の最初のアルバムが 94年の Hunger Teeth 。非常にロック的なアプローチの強いアルバムで、第1期の音楽とは大分面貌を異にする。ドラムとベース、特にベースのウネウネとした、それでいて推進力のあるリズム陣に多彩なキーボード、時としてヴァイオリンやギターが被さり、43分程をあっという間に聴き終えてしまう。この時期の RIO 諸作の中でも傑作の呼び声の高い一作。

a0248963_18514017.jpg 97年リリースの Crisis in Clay は94~96年録音。Bob Drake の趣味的音響処理が全開といったところで、一部には混沌とした印象も。本人たちも言っていた通り、前作が Yes 的ならば本作は Led Zeppelin 的なアプローチなのか。
 この頃、グループの本拠はフランスにあったらしく、Kerman の Present の一員としての活動や Drake のエンジニアとしての仕事の多くがフランスで行われたのも頷けるところ。
 この2枚でパワー・トリオとしての活動を終えた 5uu's は、今度は Kerman のソロ・プロジェクトとして00年代に復活することになる。

 聴き始めた当時は、こうしたロックばりばりの音楽も苦もなく聴けたものだが、この歳になると若干気合いを入れないと全曲聴き通せないことも。現代音楽やもっと生音が多いものはそんなことはないのだが、特に読書の BGM としては向かなくなってきた感は強いなぁ。Kerman はほぼ自分と同じ歳、これからも過激な音楽を作っていくのだろうか。
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by ay0626 | 2012-07-29 16:59 | rock

決して暗くない暗黒サウンド ユニヴェル・ゼロ (2)

 先週は、やはり政治のことが面白かった。57人という微妙な人数が反対票を投ずるものだから、例えばこれが50人程度なら、もっと居丈高に「除名!除名!」とドジョウ宰相も叫びたかったと思うが、この数だとそういう訳にもいかず、貧相な幹事長とのご相談ということになった。死神のような顔をした幹事長は政権与党の座を明け渡したくない一心で、犬と猿が、白と黒がごちゃ混ぜになった「一枚岩」に必死に縋りつく。ドジョウ宰相のほうが余程肝が据わっている。
 割って出た元代表さんも「鉄の結束」が、どうした訳か離党届提出の最終確認が取れていなかったようで、一人減り二人減り。最後は、政策も義理も糞といっしょ、国民の生活が一番どころか自分の選挙が一番になり果てた。右往左往するのが最も印象悪い、そんなことも判断できなくなってしまうのか、前回の選挙が如何に熱狂の茶番であったか、良く判ろうというもの。
 最もカッコ悪かったのが友愛坊ちゃんで、出て行きもせずまだ友愛!友愛!とのたまわっていらっしゃる、信念のずれ方も超坊ちゃん級であります、その友愛坊ちゃんを死神幹事長は党員資格停止中でも公認するとか、なんでもありの政界でもそりゃあんまりだろう、恣意的なんてもんじゃない。
 早く選挙をしないかなぁ、投票率が20%を切って、創●学会や共●党が第一党になって連立政権を打ち立てたりして、笑い話にしても冗談がきつい。

 相変わらず、電車の中では読書に励み、6月末の週は小林泰三さんの『惨劇アルバム』と田中啓文さんの『ミミズからの伝言』。小林さんは、前の『セピア色の凄惨』と同じく間違った方向に爆走する論理の果ての狂気。田中さんはやっぱり駄洒落、この脱力感堪りません、特に『赤ちゃんはまだ?』には仰け反った、『銀河帝国の弘法も筆の誤り』収録の『銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて』と同じくらいの衝撃度。グロでいえば『牡蠣喰う客』のおぞましさ、最高!朝からこんな本読んでいていてバチ当るんじゃないか、と思う。

 音楽では、サルベージで浚ってきた Samla Mammas Manna の Kaka を聴いてみたらこれが良い!ということで本日以降は Samla 聴き直し期間にしようと思っている。しかし、やっぱり RIO なら一番好きな Univers Zero をもう一回くらいは書いておかなければ、ということで Univers Zero の2回目。

 Univers Zero が現役で活動したのが77年から86年まで(アルバム・リリース期間)、その中でも木管楽器がバスーン(ファゴット)からサックス・バスクラに替わる4枚目以降はエレクトロニクスの導入も進み、初期3枚とは微妙に印象が違う。暗黒サウンドと言われるけれど、4枚目以降は自分はそれほど暗いとは思えず、むしろ変拍子に明るさ・楽しさみたいなものを感じてしまうのだが、やっぱり変なのであろうか。

a0248963_16455547.jpg 4枚目というのか、世間では番外 EP として扱われる Crawling Wind 。元々は日本でしか発売されなかった作品で、やっとCD化されたのは2001年になってから。リリース元はイースタン・ワークス、ジャケット・デザインは Fool's Mate の北村昌士、裏ジャッケットの 宇宙零 の書は鈴木響泉。初期の Fool's Mate には RIO を始めアヴァンギャルド関係の記事が多く、へ~そんな音楽もあるんだ、聴いてみて~と思ったもんであったが、手に入り難い盤ばかりでなかなか聴けない、今は凄いもんです、どんな音楽でも金を出せばほぼ入手出来るようになった。
 初出は3曲で構成され、メンバーが Daniel Denis (dr)、Dirk Descheemacker (cl)、 Andy Kirk (kd)、Guy Segers (b)、Alan Ward (vln)、19分ほどの作品。再発時に同時期同メンバーによるスタジオ録音1曲、84年と79年のライヴを加え、ほぼフル・レングスの収録時間になった。

a0248963_16461641.jpg 次が傑作との声も多い Uzed 、84年の作品。メンバーは Denis、Descheemaker、Christian Genet (b)、Andre Mergen (cello, as)、Jean-Luc Plouvier (kd) 。バスーンがクラリネットに替わり、もやっとしたところが少なくなり、それに従ってチェンバー感も薄くなったが、その分疾走感が強まりロック的な面が強調された感じ、初期のまったり感とどちらが良いかは好き好き。
 前衛ロックも世界が狭く、Andre Mergen は Berlin ~ Nosferatu 期の Art Zoyd のメンバー、Jean-Luc Plouvier は X-Legged Sally の初期メンバー、Genet は Segers と入れ替わりで出たり入ったり、ゲスト参加の Michel Deloy は後に正式メンバーとなる。曲も複雑な割には印象に残るメロディーもあり、曲名は(フランス語で)読めないので、聴けば、あ~あの曲、という感じになる。

a0248963_16463411.jpg 86年 Heat Wave 、このアルバムの後、解散。メンバーは Denis、Descheemaker、Genet、Plouvier、Michael Delory (g)、初期メンバーの復帰 Patrick Hanappier (vln,vla)、 Andy Kirk (kd)。ツイン・キーボードにギターまで入った大所帯。Kirk が大曲1曲を含む2曲を作曲、残り2曲が Denis の作品、初期の Trigaux 作品を除けば Denis 以外の作曲作品がこれほどフューチャーされるのも珍しい。
 音としては、エレクトロニクスをかなり導入、どちらかと言えば生音よりも電子音のほうが耳に残る、凶暴性というか何というか、とげとげしさみたいなものを感じる。

a0248963_16465640.jpg 2008年に発表された84年から86年に掛けての未発表ライヴ集が Relaps 。録音状態もよく、臨場感溢れる作品。アンサンブルが時として荒っぽくなるのもライヴの生々しさ。しかし、殆どが原曲そのもののアレンジとなっており、インプロの部分はかなり少ないと思われる。84年は Uzed のメンバー構成、85~86年は Heat Wave のメンバー構成。
 暗い赤を基調としたジャケットは、何が描いてあるのか(写っているのか?)判らないが、収録された音楽とよくマッチしている。

 ということで、最初の解散までの作品を紹介した。Zero を聴きだしてもう20年以上、Denis のソロや再結成後に一時失望した時期もあったが、これからもお付き合いさせて頂きたく。
 ちょっと詰まらない Denis Solo や再結成後の作品も勿論(力が入るか否かは別にして)紹介致しますのでよろしく。
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by ay0626 | 2012-07-07 13:49 | rock

70年代後半、ヴァージンをクビになった後の ヘンリー・カウ (2)

 木曜日に久々、ライヴを見に行ってきた。The Artaud Beats という、Geoff Leigh(computer,fl,vo)、Yumi Hara Cawkwell(key.vo)、Chris Cutler(ds)、John Greaves(b,key,vo) から成るカルテット。Chris Cutler も John Greaves も聴き始めてから30年以上経つのにご尊顔を拝んだことがなかったので、1年何ヶ月振りにライヴ・ハウスに足を運んだのであった。会場に入ると、やっぱり観客の年齢層は相当高め、Crimson や Yes だのの名前が会話の端々に聴こえる、その世代のおじさんが集まった感じ。客の入りは30名から40名程度といったところか。
 演奏者も舞台のそばで、まったりとビールなんか飲んで、不良老人の雰囲気を濃厚に醸し出している。Geoff は1945年生まれの67歳、Chris は47年生まれの65歳、John は50年生まれの62歳だから、老人というにはちょっと可哀想か、老年に片足を突っ込んだというべきか。このなかで、Chris が最も端正かつまともそうに見えた、Henry Cow 40周年記念Box Set のDVDに映っている面貌と大きく変わらず(変わったのは、髪が後退し一層額が広くなったことと頭の後ろが相当薄くなったことくらい)、体つきもスリムだ。
 開演時間を15分か20分過ぎた頃、 Yumi Hara CawkwellさんのMCで「スタートは John Greaves のソロ、ピアノの弾き語りから」、John がおもむろにピアノの椅子に座り、ライヴが始まった。John は赤ら顔の大きな体つきで、ピアノ演奏が窮屈そうな感じ。朗々とした渋い声での弾き語りは、期待していたものとは違っていたが(やはりアヴァンギャルドなインプロを期待しますよね?)それなりには楽しめた。途中、フランス語での1曲もあり、ソロのラストは Geoff のフルート入りの How Beautiful You Are 。この曲は、John のソロ名義の Parrot Fashons に入っていたバラードで何故かよく覚えていた、さびの部分などつい口ずさんでしまったくらい。全部で30~40分程度の演奏。
 2部は、カルテットでの演奏。Geoff はコンピュータを中心にフルートや縦笛を吹くのだが、サックスは全く演奏せず(持ってきてもいない)。特筆すべきは、やはり Chris のドラム、数種類のスティックやブラッシュを使い分け、色の付いた(全体の半分が赤、先端が光沢のある青の)スティックを操る姿は、求道者的面貌と相まって千手観音のように見えた(ちょっと言い過ぎか)。それでも、手数の多さは凄いとしか言いようもない。John は、危ないオヤジそのものでベースをかき鳴らす。やや、ピアノのお姐さんが単調な感じもしたが、十分に楽しめる演奏であった。1時間15分程度の演奏時間だったと思うが、あっという間だった感じ。

 若い頃は、ポップかシリアスか、作曲か即興か、共産主義化か享楽主義か、など数々のたいしたことのない違いで分かれたりくっついたりしたミュージシャンたちも、60歳を超えてくれば恩讐の彼方、昔の仲間との地を丸出しにした音楽を演奏することになる、ということか。

 ということで、Henry Cow の2回目。
 
a0248963_1258188.jpg 1976年の Concerts 。Disk1の殆どが作曲作品(Track 9、10を除く)で、特に Track1~5のBBCライヴ(75年8月)が音質、演奏とも良い。Dagmar Krause の声はあくまでも伸びやかかつ艶やかで、演奏も決まっている。
 Track6、7は、Robert Wyatt が加わった75年5月の演奏、この頃 Wyatt は Cow のことを最も好きなバンドだと言っていたようだが、自分の思想と共鳴する部分があったからか、それとも音楽の方向性が同じであったためか。録音があまり良くないのが残念だが Little Red Riding Hood Hits the Road が聴けるのは嬉しい。
 Track8『Ruins』は、言わずと知れた2ndからの曲、Disk2のTrack12と同日の75年10月イタリアでの録音。Track9、10は74年9月のオランダでの録音、インプロヴィゼーション。ロックのインプロヴィゼーションは映像が付いているならそれなりに楽しめるが、音だけだとちょっときつい。ジャズだと気分よく聴けるのに、どうしてだろう。Disk2は全部がインプロなので、Disk1に比べると格段に聴く回数が少ない。特に、Track9~11の73年のライヴ(この部分はCD化に際して加えられたもの、Greasy Truckers Live at Dingwalls Dance Hall という1974年のアルバムから、それまでは入手が困難なことで有名であった)は、なかなか聴くに根性がいる。
 このアルバムを最後に John Greaves はバンドを離れ、捻くれポップ路線を Peter Blegvad と共に邁進し、Kew Rhone という傑作を初めとする数々のアルバムを残す。

a0248963_12583857.jpg そして最終作が 1979年(78年7~8月録音)の Western Culture 。赤い鎌と槌の付いたジャケット、裏は 'Culture' と書かれた紙幣が舞う、という主義丸出しのもの、当時は音楽を聴くにも額に縦皺を入れなきゃならなかった、今となっては笑うしかないよね。
 この頃の Cow は音楽路線に(主義主張にも)違いが出てきて、分裂致し方なしという状態。78年1月に録音された Hopes and Fears は、Cow の名義で発表する予定だったらしいが、小品が全て歌物という構成に Tim Hodgkinson からクレームが付き、Frith と Cutler が権利を買い取り、Art Bears 名義としたもの。一方の器楽派が中心となったのが本作で、LP でいえば A面が Hodgkinson の作品、B面が Cooper の作品となっている。この2作、雰囲気がまるで違う、同じバンドの作品とは到底思えないほど。
 そうしたバンド内の雰囲気もあったためか、本作は非常に緊張感を持ったタイトかつ硬派な演奏が繰り広げられ、世評もそうだが Cow の最高傑作ではないかと思う。しかし、Hodgkinson は本作をそんなに評価しておらず「根性のない演奏」とか言っているそうだ。Annemarie Roelofs がヴァイオリンとトロンボーンで全面参加(Track7以降を除く)、1曲のみジャズピアニスト Irène Schweizer が参加。フリー・ジャズ人脈にも繋がりがあったことが判る。

a0248963_1259170.jpga0248963_12592025.jpg 最後に The 40th Anniversary Henry Cow Box Set 。10枚にも及ぶ膨大なアーカイヴ。Chris Cutler の自己言及癖ここに極まれリ的な至れり尽くせりの作品集で、音の面でも Bob Drake の偏執的なマスタリングで相当聴けるものにはなっているが、いかんせん量が多すぎる。またインプロ部分も多く長時間聴くことも辛い、ということで購入以来、数回しか聴いていないのが現実。
 このボックス・セットが発売されるということでReR に予約を入れた、送料込みで100ポンドという安さで、先行して発売された Stockholm & Göteborg も直ぐに送付されるという親切さ。予約者のみの特典CDには自分の名前と『512/750』とのナンバリングが書かれている。丁度、本作が送付されクレジット・カードからの引き落としがある頃がポンドの最安値だったので、お徳感があったことを覚えている。
 10枚目は DVD で、76年スイスでの収録。Dagmar はそれほどでもないが(失礼!)、Lindsay Cooper 、Georgie Born はなかなか美しい。特にLindsay は凛とした主義主張を確り持っている感じで、お付き合いしたいとは思わないが、良い。しかしながら、映っている場面が少ない、あまりに少なすぎる!Frith や Hodgkinson など映っている時間を半分にしてよいから、Lindsay を・・・と思うのは自分だけだろうか。

 近頃、聴かなくなってしまってあるCDを引っ張り出してきてまた聴く、ということをやっている(以前書いた通り)。Henry Cow 一派を聴く機会も随分多くなった。各人のソロ作や後継グループの作品も紹介できたら、と思う。
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by ay0626 | 2012-06-16 08:52 | rock

ギター・チェンバー、冷たい情熱あるいは無機質 プレザン

 ロックらしいロックは聴かないが、それでも自分の聴く音楽の中で一番ロックらしいのがこの Present 。何といっても、スタートは、ギター・ベース・ピアノ・ドラムという典型的なロック・カルテットである(21世紀に入るとチェロだのサクソフォンだのが入って来るが)。酷く切迫したリズムを持つ無機的な音楽(ライヴには冷たい情熱みたいなものを感じるときがあるが)で、教育上好ましくないとも思えるのだが、バンドの顔であるツイン・ギターは父と息子という考えられない組み合わせなのだ(3rd以降)。
 最近の DVD 付きの傑作 Barbaro (ma non troppo)では、年老いた父がギターを振り回してキーボードを破壊する場面で、息子が暖かい視線で父を見守るという心温まる(?)シーンがあったが、ほんとこの親子、大丈夫かしらん、頭の螺子が一本飛んでいるんじゃないの・・・と思ってしまうのである。
 自分も大学に行かせて貰って、不自由のない程度には仕送りも貰ったので、子供には当然、大学に行って仕送りを受けるくらいの権利はあると思っていた。まあ、その程度はしてやったが、大学(院)を出てしまえば、親子は別人格、後は自分の力でその後のことを決めていくしかない。会社で親父がどんな仕事をしているのか判らないのに加え、給料さえ振込みになってしまって、親父の背中を見て自分のすべき仕事は何か、など考える術を子供は持てなくなった。そうなら、子供自身が考え決めるしかないのだ。
 父が音楽家なら、家で練習もするだろうし、コンサートでパフォーマンスを見る機会もあるだろう、同じ道を歩もうとすることも当然考えらる。しかし、だからといって、こんな暗い、罰当たりな音楽(2001年作 High Infidelity は「キリスト教に対する高度な不信心」という意味)を一緒にやるのは、凄いというのか何なのか、親父の教育が行き届いていたのか。同じ教育でも星飛雄馬が父星一徹から受けた教育よりは相当ましだとは思うが。

 Present はベルギーのバンド、以前紹介した Univers Zero を脱退したギタリスト Roger Trigaux が1979年に結成した。Univers Zero は、管楽器(この頃はファゴット奏者が在籍)や擦弦楽器(同じくヴァイオリン奏者が在籍)がフロントに居り、全体的にインプロヴィゼーションに比重がかかっていた。Roger Trigaux のやりたい音楽との乖離が大きくなり、脱退~新バンド結成に至った訳。Roger がやりたかったのは、シンプルなロック編成で、楽譜にきちんと書かれた音楽であったようで、それは最初期の2枚のアルバムで判る。

a0248963_16164443.jpg 1st は1980年、Triskaidekaphobie (13に対する恐怖症の意味か?)。最初の Promenade Au Fond D'un Canal(「運河を歩く」) 、変拍子のリフが永遠に続くような、不安感を煽りまくり、途中で曲想ががらりと変化し、14分をかなり過ぎた時点からおぞましいギターのソロが展開、背筋がゾクゾクするような不安定感を描出する。これを、シンプルなロック・カルテットの形式で演奏するのだ、その演奏力は相当なもの。
 もともと、ベルギーのこうしたマイナー音楽のサークルなど小さい訳で、ドラムには Univers Zero の Daniel Denis 、ベースには Univers Zero にその後加入する Christian Genet 。ピアノには、現代音楽畑らしい Alain Rochette 。Univers Zero との関係は決して悪いものではなかったようだ。

a0248963_1617946.gif 2ndは1985年、Le poison qui rend fou (「その狂気の毒」)。1st の路線を継承しており、変拍子の連続と同じようなリフが続く、1st よりも聴き易いのは確か。どちらかといえば1st の方が、息苦しいまでの切迫感とギターの音の重さもあって好きだ。
 1980年代は、多くのアンダーグラウンド・シーンのバンドの活動が弱くなっていった時期、Etron Fou や Univers Zero もこの頃活動を休止している。Present も御多分に漏れず、一旦解散となったようだ。まあ、仕方のないことで、世は4AD の Cocteau Twins や似非宗教音楽の Dead Can Dance の時代になっていった。くっきりとした音像を持つ、暗い切迫感に満ちた変拍子バンドなど誰が聴くものか。

 初期2作は、89年に2in1の形で、アメリカ Cuneiform から1989年に再発された。ジャケットは、やはり目を引く2nd のものが使われている。

a0248963_16173191.jpg 復活は1993年、C.O.D Performance 。このアルバムから親子二人三脚が始まる。このアルバムは、親子2名のみのクレジットで、基本はエレキ・ギター2本で若干のパーカッションが色を添える程度。音楽の中身も初期2作とそんなに変わってはいない。
 それにしても、このジャケットの不気味さ、息子の Réginald が描いたもののようだが、この親あってこの息子あり、といったところか。内ジャケットの2人の写真も、何か行っちゃっているような感じである、案外この親子、仲が良かったりして。

a0248963_161845.jpg 復活第2作は Live!、1996年。メンバーを一新し、ドラムには 5UU'S の Dave Kerman 。この後、彼はバンドに出たり入ったりしている。3曲目の Alone は C.O.D Performance から、4曲目の Promenade Au Fond D'un Canal は Triskaidekaphobie からの作品であるが、ライヴということもあって、荒々しい上に冷たい情熱も感じられる。Denis よりも Kerman の方が、より推進力のある、いわばロック・ドラマーという感じか、次作を聴くと Denis も頑張るなあ、と思ったりもするが。
 ジャケットは、気が抜けた感じ、もうちょっとどうにかならなかったのか。

a0248963_16182655.jpg 1998年、Certitudes 、アメリカ Cuneiform から。非常にロック的なダイナミズムと初期からある切迫感が良い感じでブレンドされた傑作。
 またまた、メンバー一新で、初期の編成に近い、ドラムに Daniel Denis、ベースに Guy Segers (両名とも元 Univers Zero)、キーボードに Alain Rochette 。加えて Trigaux 親子。キーボードがピアノの音だけでなく、ストリングスの音なども加えサウンドに厚みを持たせている。やや難があるといえば、ヴォーカル、初期のようにすっぱりとインストルメンタルに徹してしまえば良いのに。

 2000年代に入るとチェロやサックスも入り、音が一段の重みを持って迫るようになる。ということで、残りは別の機会での紹介ということで。親子仲良く変態音楽に励んで、羨ましさもあり、不気味でもあり・・・。
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by ay0626 | 2012-05-27 15:16 | rock