日常茶飯事とCDコレクション
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おふざけとインプロと技巧 サムラ・ママス・マンナ (2)

 ゴールデン・ウィークも前半終了、明日から3日間また会社、といっても予定が詰まっている訳ではないのでのんびりしたもの。昨日今日とすることがなかったので(ついでに昨日はブログ書くのもサボってしまって)パチンコなんぞやり捲くって運が低迷していることを嫌になるほど認識した、トホホ。

 あんまり、パチンコばかりなのもどうかと思って、久しぶりに土曜日にアマゾンで本とDSゲームを注文、今日パチンコから帰ると荷物は既に到着していた。ゲームは『逆転検事』、本は深木章子さんの『鬼畜の家』。
 『逆転検事』は『逆転裁判』シリーズのスピン・オフ、というか『逆転裁判4』が不評だったため、『逆転裁判』だったか『逆転裁判2』だったかで人気を博した検事「御剣怜侍」を主人公に仕立てた作品。『逆転裁判』は2001年の作品。確か『3』が出て非常に評判が良くて遊んでみようという気になったと記憶しているので多分2004年頃のことではないかと思う。今の3DSの2世代前のハード GBA は、その前の世代の GB に比べ格段に性能が良くなっており、例えばポケモンの『ルビー・サファイア』の後の『エメラルド』という作品なんぞ、よく遊び300時間くらいはやっていたと思う、いいオッサンが馬鹿なことを、と鼻で笑われそうだが、あの作品は遣り込み要素が詰まっていて子供だけにやらせておくには勿体無い、などと思っていたものだ。『逆転裁判』に話を戻すと、これが評判に違わず面白い、ミステリ好きには特に堪らない、トリックなど子供騙しかとも思うが、それでもゲームとして様々な要素が詰め込まれ小説を読むよりは余程考えるためか(小説だと適当に読み飛ばしてしまうこともあるが、ゲームだと一応クリアして行かないと次に進めないのだ)、「クリアした!」という充実感は小説以上のところもあったりした。シナリオの質が落ちた『4』をやって、ちょっと落胆しそこから次の作品には手が出なくなった、そういう意味では小説よりも厳しい世界かも、やはりゲームは価格が高いのでちょっと質が落ちると打撃は大きいようだ。『4』も裁判員制度を見越した要素もあり、見るべきところはあったようにも思うのだが。
 今回『逆転検事』をやってみようという気になったのは、7月に『逆転裁判5』が出るということを知ったため。『4』が2007年の作品だったので、実に6年振りということになる。前作の評判が今ひとつで多分開発陣も気合いが入るであろうことは目に見える、多分よい作品になるだろう。ポケモンの新作をやる前に3DSで何かゲームをしておこうか、ということで『5』を購入することにして、それならと『逆転検事』もやっておきましょうということになった、価格も安く1,700円程度で買える、それじゃあゴールデン・ウィークの暇潰しにということにしたのである。プロローグに当る第1話は先ほど終了したが、それほどの出来ではなかった、クリア報告はまた後ほど。
 本もまた読了後ご報告ということで。

 久しぶりに Zamla Mammas Manna。読み方まで違うのかどうかは判らないけど、グループ名の冒頭の文字が S から Z に変わっている。心境の変化?だとしたらふざけた心境の変化だったりして。

a0248963_18593787.jpga0248963_18595317.jpg Schlagerns mystik / För äldre nybegynnare (ポピュラー音楽の謎 / 歳を取った初心者のために )、1978年。ギターが前作までの Coste Apetrea から Eino Haapala に交替、多分技術的には Apetrea の方が上手いような気がする。
 2枚組アルバムだが、全く傾向の異なる音楽の組み合わせ、何を考えているのだろうコイツら、と思ってしまうような作品、決して貶めている訳ではありません、念のため。旧 LP でいうと A面が子供の声に似せた(変態的)ヴォーカルにアコーディオンやオルガンなどアコースティク楽器で伴奏した小品が並ぶ(8曲!)、B面は17分に及ぶテクニックをこれでもかというまでに見せ付けるジャズ・ロック大曲(これだけの転調とリズム変化、凄まじいというしかありません)、C・D面はインプロ大会、やりたい放題にやってます状態、やや聴くのには疲れる。彼らのやりたい音楽を端的に示して見ました、ともいえる総決算アルバム、特にA面などは例えば Hedningarna や Garmarna などを聴いた後で改めてじっくり聴くと北欧の民族音楽の影響がモロに出ているのが判る。

a0248963_190885.jpg Familjesprickor (家庭のひび割れ)、1980年。ドラムの Hans Bruniusson が抜け(1曲のみ参加)、Vilgot Hansson が後任として加わる。
 内容は、非常に硬派なジャズロック、複雑なリズムや転調を易々とやってのける、彼らの技巧が端的に見えるアルバム、しかし軽さというかユーモアも忘れていないところが Zamla の Zamla たる所以か(特に最初の Five Single Combat など端的、メロディーの軽さとコーラスに目を奪われるが、技巧面の素晴らしさも同時に判ろうというものだ)。80年代になると様々な RIO 関連のバンドが活動を止めたり、作品を発表しなくなっていったりしたが、彼らもこのアルバムを最後に (Von Zamla 名義の作品は数枚残すが)長い休眠期に入る。
 ジャケットの中にこんな言葉が書いてある、「この Zamla のレコードは、変遷期に作られたものだ。勿論こうした(いつものことだが楽観的でも幸せでもない)環境が音楽に影響している。しかし、受け継ぐということの意味は何時だってそんなものだ、貧しかろうが富もうが、両方から影響を受けているのだ。『年老いたばか者は、若いばか者よりもっと馬鹿だ。』ロシュフコーの箴言集」。当時の状況が判るような文章。

 明日からちょっと社会復帰。来月早々には海外出張が控え、やや憂鬱。出張も間近になると憂鬱になってきますね、1か月前はちょっと楽しみだったのだが。
 
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by ay0626 | 2013-04-29 18:27 | rock

肩の力の抜けた、けれど凄くテクニカル サムラ・ママス・マンナ

 10月ももう1週間過ぎようとしているのにこの暑さは何なんだ。朝はかなり涼しくなってきたが、夜は昼間の熱気が籠るせいか、エアコンで少し部屋を冷ましてやらないと寝苦しくて仕方がない。10月にエアコンを付けたことなんてあったっけ。これも地球温暖化のせい?気温のことになると温暖化云々とよく話題になったものだが、震災以降とんとこの話も聞かなくなった。

 夏の終わり頃、娘が帰省して、家の中を整理してくれたお陰でかなりすっきりした。あちらこちらに読み散らかした本の小山が積みあがっていたが、その収納場所が出来たので今まで何処にあるのか判らなかったものがひょっこり見つかることもある。
 先週ぽつぽつと1日1編くらいずつ読んでいたのが田中啓文さんの『異形家の食卓』、もちろん買った記憶もあったし内容もかなり憶えている、ただこの数年家の中で見たことはない。その本が目の前の本棚にあったので、ちょっと手に取り読み返してみたという訳。田中さんの作品はそれなりの数は読んでいて、一時は大分凝って絶版になった集英社スーパーファンタジー文庫を集めに古書店に繰り出しもしたが、今はそこまでの肩入れはしていない、文庫で偶に購入する程度というところか。ちょっと最後になると辻褄が合わなくなってしまうとか、そこを駄洒落(地口)で誤魔化してしまうというような感じがあって、西澤さんや三津田さんほど熱心なファンにはならなかった。それでも物語る才能には凄いものがあって、ページを捲らせる迫力、リーダビリティには感心する。
 加えて、ホーム・ページ「ふえたこ日記」のジャズ・レコード評は熱心に読んだ。若干聴く音楽の傾向は違うが、Ayler や Coltrane 、Taylor の音楽に対する視点は大いに感心、同調するところも多い。
 『異形家の食卓』、所持しているのは2003年の集英社文庫版だが、元本は2000年に出ている、田中さんにとって初の作品集とのこと。伝奇が一方の柱とすれば、グロはもう一方の柱、本作品集はグロの塊といってよい。あまりに詳細な描写がこれでもかと続き、それでも文章なら読むことが出来る、映像じゃ正視できないだろう物語の数々。初読時に特に気に入ったのが「新鮮な二グ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」(この作品、多分異形コレクションか何か、他の本で読んだのことがあるような気がする、それは余計な話)。ここに出てくる生物、この作品集の中の「にこやかな男」や「オヤジノウミ」に出てくる「バ・・・・神」に違いない、クトフルフ神話の一編とも考えられる、しかしここまで描くかなぁ、流石関西人、凝るところは凝りまくりのようで。同じ関西人、小林泰三さんもお仲間らしく(一時まんがカルテットで有名に、あとのお二人は牧野修さんと田中哲弥さん)、小林さんの論理の暴走性、偏執性と近い感じもある。
 また、駄洒落もてんこ盛りで、ショートショートの表題作「異形家の食卓 1~3」は全て駄洒落で締めくくられるし、「邦夫のことを」も言葉遊び、ここら辺が異常に拡大して『銀河帝国の弘法も筆の誤り』『蹴りたい田中』に繋がっていく、この2冊も何処かに埋もれているはずなので、ひょっこり出てくればまた読んでしまうかも。初期作品で読んでないのは『禍文』くらい、そのうち読んでみようか、一方の柱の伝奇作品集ということのようだから。

 軽味とテクニックが同居する、から連想して、やっとたどり着いた Samla Mammas Manna 。予告から随分経ってやっとサルベージに成功しました、ハイ。誰も期待などしていないでしょうが、初期アルバムのご紹介。

 Samla Mammas Manna はスエーデンのバンド、69年結成というからプログレ・バンドでも古株、RIO でいえば、Henry Cow なんかと同じくらいのバンド歴となる。おふざけとシリアス、テクニカルな側面が一体となった音楽性、一時はそのテクニカルな側面が嫌であまり聴かなくなったが、Hedningarna と比べて聴くと案外近いものがあり(リズムや曲構成など、やはりトラッドとの関係?)、サルベージに繋がったもの。この調子で Stormy Six や Area (純粋に RIO ではないにしろ、思想はかなり近いと思う)あたりも聴き直して・・・・また何ヵ月先になるやら。

a0248963_13575691.jpg 最初のアルバムは Samla Mammas Manna (s/t) 、1971年作品(70年録音)。この時は Lars Hollmer (kd)、 Hasse Bruniusson (ds)、 Lars Krantz (b)、Henrik Öberg (perc)という、ギターレスのカルテット編成。最初の曲 Circus Apparatha は変態ヴォーカル入りの如何にも Samla という感じなのだが、2曲目以降はエレキ・ピアノ中心のジャズロックといったところで、音が今一歩であることも加わって、聴くために所持しているよりも史料価値として所持している意味のほうが大きい(言い訳がましい!コレクターだから持っている、と素直に言ったらどうだ)。
70年といえば、Beatles が Let It Be を出した頃、King Crimson のデビューの頃、大昔だ。歌物でもないインスト・ジャズロック、どのくらい売れたのだろう。
 本アルバムは、セカンド以降のアルバムが90年代半ばに次々に復刻されていく中、なかなか CD 化されず、やっと2001年に2曲のボーナス・トラックを加えて再発された。盤元は Silence 、Hedningarna の2~5枚目をリリースしたレーベルである。

a0248963_13582217.jpg 2枚目は 1973年、Måltid (食事という意味らしい)。ここからは全くの Samla サウンド。このアルバムで Coste Apetrea (g) が加わり、Henrik Öberg (perc) が抜ける。1曲目の Dundrets fröjder (ダンドレットの喜び、ダンドレットは固有名詞?)から、変拍子と転調満載、圧倒的なテクニック(特にドラムの凄さ、出だしからもうビックリ)で一糸乱れぬ演奏を10分を超えて繰り広げる。アホアホ・ヴォーカルを所々に挟み(2曲目のスキャットなど裏返った声で相当引っ張ります)、ギターとキーボードのテクニックが冴え渡る。たしか、復刻はこのアルバムが最初だったか(93年?)、それもよく判る出来である。音楽面では深刻なところは全くなく、テクニック面を考えれば Gentle Giant に似た感じともいえる、こっちのがおふざけ度は高いが。
 CD 化に際し、1st アルバムから Circus Apparatha を再録(この時点では1st 復刻予定はなかったということか?)、あと2曲追加で収録。音も1st に比べれば遥かに良い。

a0248963_13584543.jpg 3枚目が、変なジャケットで有名な Klossa Knapitatet 、1974年作品。日本盤では「踊る鳥人間」なんて酷い題名が付けられていた。
 RIO に加わるほどであるから、左翼に共感を示していたのは間違いなかろうが、それでも Stormy Six のようにあからさまにそれを見せるようなこともなかったらしい。RIO の中でもはっきりとした左翼傾向を見せるバンドとは若干の距離があったようだ。しかし、このアルバムの題名、Klossa Knapitatet というのは krossa kapitalet のもじりのようで、これを訳せば「資本を破壊せよ」、やはり RIO 加入の素地はあったということ。
 音楽的には2nd の延長上。若干メランコリックなところも、1~2分の短い曲と6分以上の長い曲と組み合わせている。民族的なメロディーもおふざけもますます快調、一聴 Samla と判るものに。表題曲は、多分路上でのアコーディオンのソロ録音、1分半にも満たぬ演奏だが印象に残る。

 オリジナル RIO は残すところ Stormy Six のみ。イタリア仲間の Area と一緒にサルベージしましょうか、聞き直す時間が取れるか、それが問題。気長に行きましょう、夜がだんだん長くなる、そうだ西澤さんと小島正樹さんの新刊を予約してある、再来週くらいには届く予定、楽しみ。
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by ay0626 | 2012-10-06 11:33 | rock

スエーデンの新たなメタル? ディアブロ・スウィング・オーケストラ

 先週も出張で、同じく車中での読書、西澤保彦さんの『彼女はもういない』。これで何ヶ月も積ん読状態になっている本はなくなった。内容は、というといわゆる「黒西澤」満開というか、人間の暗黒面を描き出す、たとえば『フェテッシュ』や『収穫祭』『からくりがたり』と同傾向の作品と言えるか、それらの作品よりもミステリ味は強い。まともな思考ではこんな犯行には至らない犯人の論理は俄には納得できないが、まあそれは狂人の論理だから、論理はひね曲がってはいるが一貫性はある、しかし最後のサプライズは、【ネタばれあり】途中の体の傷の描写や友人の女装癖の唐突な告白など伏線が張ってあったとはいえ【ネタばれ終わり】流石に取って付けた感じで、しかしながら不思議と後味は悪くない。内容は悲惨だが、主人公の気持ちが判らなくもない、微妙な感じ。
 もうじき新作も出るようなので、楽しみだ。

 暑い夏が続く、東京では連日反原発のデモが続いているようで、ご苦労さんな感じではある。仙石さんが全原発停止は「日本の集団自殺」と勇気を持って放言(?)したが、政府の数値の出し方も変にデジタルで、例えば原発を縮小するするにしても、危険度の高いところは何処かの議論や、燃料の廃棄方法の議論とか、必要な論点の提示もない、その上で感情論とのガチンコ勝負となれば、出せる結論も自ずと限られてしまう訳。震災瓦礫の受け入れで、北九州市の住民が訴訟を起こしたとか、自分の身近となれば、生理的嫌悪感が何にも増して優先、それが今の日本の現状、決まるものも決まらず、橋本大阪市長がドジョウ総理を何故か持ち上げた、あの発言のような座りの悪さだけを感じる今日この頃であります、ハイ。

 自分の日常は至って平穏無事で、暑さのせいか多少の寝つきの悪さはあるにしても、ゴールデン・ウィークの体調不良による体重減少も瞬く間に復活、本当は復活して欲しくはないんだが。ポケモンも順調に展開、それにしても今作、色々なアイディアが詰まっているせいか、プレイ時間は既に120時間になんなんとしている。弛緩した雰囲気に弛緩した筋肉、夏なんです、といった感じ。

 こんなときにはタイトでガッツのある音楽を聴きたい、ということで、選んだのはスエーデンのバンド Diablo Swing Orchestra 。2003年に出来た比較的新しいバンドで、なかなか根性の座った、しかしながらあからさまな諧謔味のある音楽を演奏する。先日初期作について書いたベルギーの X Legged Sally に通ずるものがある。

a0248963_2013798.jpg デビューは2003年の EP 、Borderline Hymns。4曲入り16分弱の作品。この作品を全て取り込みフル・レングスのCD として発表したのが、2006年の The Butcher's Ballroom。ball room とは、舞踏をする大きな部屋の意味で、肉屋の舞踏場と聞けばちょっと不穏な感じが漂う。
 音楽もバンド名に Swing とあるとおり、金管も入りキャバレー的なノリのよさにゴリゴリしたベース、クラスタ的なギターに不穏な、不安定なアヴァンギャルド部分が滑り込む。全体的には、メタルというか、ロック主体にジャズを塗した感じ、上手くはいえないが。
 メンバーは、Daniel Håkansson (lead vo, g)、Annlouice Loegdlund (lead vo)、Pontus Mantefors (vo, g, syn)、Anders "Andy" Johansson (b)、Johannes Bergion (cello, backing vo)、Andreas Halvardsson (dr) 。特徴的なのは、女声ヴォーカル、完全なベルカント唱法(つまりはオペラ様の歌唱)で立派な体格から素晴らしい声量の歌唱が聴ける、ロック・バンドでここまでオペラのように歌うのも珍しい。特にアコースティック・ギター伴奏の歌唱(5曲目)など絶品。もう一つがチェロの導入、なかなかエッジの効いた演奏で、ギターとの対比が面白い、かなりの存在感を示す。アコースティック・ギターの使用も効果的、楽曲では7曲目のデジェリドーを使用したエスニックな感じや10曲目のピアノソロなど、バラエティーも豊か。

a0248963_202030.jpg 2009年、Sing Along Songs for the Damned & Delirious (damned : くそ忌々しい、delirious ; 意識の混濁した)。題名とジャケット・デザインとの微妙な整合性というか、何というか。廃墟のような遊園地で無機的な笑みを浮かべた人形のような人物がメリー・ゴーランドに乗る。
 ヴォーカルが男女とも前作よりも演劇的で掛け合いも多く誇張された感じが、ゲスト演奏者を動員した、カラフルさを増した器楽演奏にマッチしている。後半の7曲目、8曲目あたりのアコースティック感もアルバムのメリハリとなっている。前作にも増してチェロの活躍が目立つ。

a0248963_2021920.jpg 3枚目がつい先日発表された、Pandora's Piñata。ますますやりたい放題というか、何でもあり感が強い。近作から金管の正式メンバーとして Daniel Hedin (trombone, backing vo)、
Martin Isaksson (trumpet, backing vo)の2人が加わり、8名の大所帯に。またゲストには弦奏者、木管奏者10名がクレジットされるという派手さ。
 1曲目の Voodoo mon Amour からカッコよさ満開で、全体的に派手目の分厚いアレンジの曲が目立つ。5曲目の奇妙なコーラスは、日本語的な響きがあって、ついつい意味を探してしまう。
 特に後半部分にやりすぎ感というか新しい試みが多い。7曲目はそれまでのメタル色を一掃、弦を大幅に取り入れ、まるでクラッシクの歌曲を聴いているかのよう、ちょっとやりすぎ感も。8曲目は現代音楽風な出だし、9曲目歌謡曲風な弦に導かれ、11曲も同様だが段々に崩壊する音群、後半に行くほど新鮮な感じ、これからどんな方向を志向するのか楽しみ。

 全くオリンピックの話題がないのは、全く興味のないせい。ニュースが全部オリンピックなのでテレビも殆ど見ない。闇サイト殺人の犯人が他の強盗殺人に関わっていた件とか緊迫する政局だとか、もうちょっと注目してもいいと思うが。
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by ay0626 | 2012-08-04 15:43 | rock

出ました! 13年ぶりの新作 ヘドニンガルナ (2)

a0248963_1101735.jpg 遂に出ました、13年ぶりの完全新作。Hedningarna の『&』、変な題名だがジャケットも全く変。変なおじさんが裸で吼えている、野蛮人とのグループ名がぴったりの感じ。
 Hedningarna の新作としては、フル・アルバムでは1999年の Karelia Visa 以来、2003年のベスト盤に2曲新録があったから、それからでも9年ぶりということになる。2000年にオリジナル・メンバーでパーカッション担当の Björn Tollin が抜け、その後 Magnus Stinnerbom (vl) と Christian Svensson (perc) が加入し、2009年の Totte Mattson のインタヴューでもこのメンバーで活動していく、みたいなことが書いてあったので、てっきりカルテットでの新作だと思っていた、ジャケット写真を見て3人しか写ってないなあ、と思いながら。聴いてみれば、やっぱりトリオでの演奏で、Mattson と Anders Norudde のオリジナル・メンバーに加え、Samuel Andersson (octave vl, etc)、メンバー・チェンジがあった模様。歌詞カードの3人の写真も ワイルドだぜぃ! という感じで良い。

 このアルバム、MP3 のデータとしては早くから発売されていたのだが、なかなか CD を売っているところがない。いろいろなCD販売サイトを見て、AMAZON の UK だけが販売していることが判った、勇躍注文したのは良かったのだが、数枚頼んだうちこのアルバムだけが何故かドイツからの発送になって、発送にも数日掛るし、到着までにもイギリスからの発送のものに比べ数日遅れる始末、最も聴きたいアルバムが最後に到着すると言う残念なことになった。現時点では、AMAZON のヨーロッパ・ストアはドイツ以外在庫はあるようだ。日本とアメリカにはまだ入って来ていない。

 内容は、何といってよいのか、聴き易くはなっている。民族パーカッションにかわりドラム(打ち込み)が導入されている曲が多く、そういう意味では最初の曲などロックだねえ、と素直に言えてしまいそうだが、やはりそこは Hedningarna 、アルバムが進むに従って土着的で濁りの多い擦弦楽器やフルート、バグ・パイプといつもの感じになってくる。
 今までと大幅に違う印象を与えるのは、ヴォーカル曲の多いこととそのふざけた変な(何度もこのフレーズ使っているな)男声の印象。スオミ合唱隊のような呪文的でドスの効いた神秘性みたいなものは全くなく、ある意味下品な感じが満開状態。これはこれで味わい深い(?)。
 曲は、Norudde と Andersson が5曲づつ、そして PHILEMON ARTHUR & THE DRUG のカヴァーが5曲。この PHILEMON ARTHUR & THE DRUG を Wiki で調べて見るとスエーデンの mysterious music group とある、ディスコグラフィーを見ても1971年に最初のアルバム、87年に2nd 、92年3rd、02年4th となっていて、正にそのペースは mysterious。PHILEMON ARTHUR & THE DRUG は1曲にゲスト参加、他に4曲パーカッションがゲスト参加している。

 ということで、久しぶりの Hedningarna、堪能しました。どうせならまたスオミ合唱隊入れてアルバム作ってくれないかな。
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by ay0626 | 2012-06-30 10:11 | radical-trad

北欧の地獄の番犬、ガルマルナ

 ゴールデン・ウィーク中の情けない状態が少しずつ良くなってきたこの頃、それでも先週の初め頃まで胃がヒクヒク言って気持ちの悪い日もあって、会社へ行ってもボケッと気分の乗らぬこともあった。まあ、でも普通の生活に戻れて良かったね、という感じ。

 外へフラフラ出歩く気分にもならず、勢い音楽を聴くか、読書をするか、そんなところに落ち着いて、本は先週から今週に掛けて2冊、音楽は聴き易いものということで、Weather Report など引張り出してきて聴いたりしている。さんざこのブログでも馬鹿にしてきた(というわけでもないが) Weather Report だが、聴き返してみると新しい発見などもあって、意外に楽しかった。そのうち、取り上げようとも思っている。
 読書は、先週も書いたが、1冊目が三津田信三さんの「幽女の如き怨むもの」。贔屓にしている作家の一人で、その中でも甚く気に入っている刀城言耶もの。もともとこの作家、文章のリズムが自分に合っているのか、文章そのものを読む快感に加え、これでもかと怒涛の勢いで繰り広げられる論理仮説の千変万化、堪えられません。今回作は、その『感心』に加え謎解きの終わった後の押し付けでない『感動』まで加わり、十分堪能致しました。しかし、これでもかの多重解決が無かったのは若干残念。
 2冊目は、これも大好きな作家の西澤保彦さんの「幻想即興曲」。この人の文章も好きで、スルスル読める。加えて捻くれ妄想論理とも言うべき仮説の上に仮説を重ねまくりエスカレートする推論が、地平の向こうまで届くんじゃないかとも思える驚天動地の真相(?)を暴きたてる最後まで飽きることが無い。それでも、ちょっと執着し過ぎの登場人物が多い、自分がどちらかといえば淡白な人間で、どうも「ここまで拘れるものなのか?」という感じも否めない。今回作は、若干辟易気味のレズビアンネタと多数の拘りすぎ人間の登場は別として、論理はすっきりとしており、前回作の「彼女はもういない」は積読状態になってはいるが、その前の「幻視時代」もすっきりとした良作であったし、豪く好調だな、と思う。好調ついでに、デビュー頃の「殺意の集う夜」や「複製症候群」などの怪作というべき奇想の塊のような作品や「チョーモンイン」シリーズの決着編も書いて欲しいと思う。
 ということで、本ブログは読書ブログではないのでした。本来の方向に戻して。

 春も先日までかなり寒かったのが、一転夏日も混じるようになり、一番気持ちの良い頃に2週間唸って寝ていたのが悔やまれる。それでも暑いとはいえ、まだまだ空気は乾燥しており、家の中で寝転んで音楽を聴いていると、寒いと感じることもある。
 乾いた肌寒さを感じると、むしょうに聴きたくなってくるのが、北欧の音楽、それもラディカル・トラッドといわれる類。先回は Hedningarna について書いたので、今回はもう一方の雄である Garmarna について。
 Garmarna といえば、どうしても Emma Härdelin のヴォーカルをイメージしがちだが、最初のEPでは、ほんの数曲しか参加していないし、1st でもインストルメンタルがかなりの部分を占めている。彼女の歌唱がメインとなるのは2nd の Guds spelemän からだ。

a0248963_1775334.jpg Hedningarna の1stと同様、最初のEP Garmarna(s/t) (1993年録音)は、ちょっと過激な、それでも十分トラッドといえる作品であった。後の2003年には、92年のデモ・テープを追加収録し、38分を超える、フル・アルバムに近い形で再発された。
 そのジャケット裏にメンバーの Rickard Westman が興味深い文章を書いているので、ちょっと下手糞な訳文で恐縮だが、以下に掲げる。
 「4枚のアルバムと数多くのツアーの10年間であった。勿論、思い出すのが辛い。あれは何だったのか、どのように感じたのか、何を考えたのか、思い出すのは辛いことなのだ。しかし、実際にスタジオに入って一枚のアルバム-それがEPであっても-を作成することは、大きな一歩であった。
 私たちは90年からトリオとして演奏を開始した。2年後、Massproduktion の Mats からアルバムを作ってみないか、との申し出を受けた。勿論、イエスだと応えた。その時までに私たちは4人になっていた、92年の Huitsfred フェスの前にドラムの Jens が加わったからだ。
 このEPのひとつの良いところは、Emma をごく自然な形でバンドに取り込めたことだ。私たちは、彼女にゲスト・ヴォーカルを依頼し、それ以降彼女なしにはやっていけなくなったのだ。
 曲目を眺めて見ると、少なくとも4曲、多分5曲くらいしか当時歌入りでライヴ演奏出来なかったわけだ。それは多分悪い兆候か?あなたが決めてくれ。
 聴くには奇妙なことと感じるか、当時から隔絶された今、あの10年を無視することは難しい。しかし、それはそうだったかも知れないが、このEPはスタート時点だったのだ。私たちはもう振り返らない、決して。
 加えて、この胎児のようなEPに、今回の再発に際して、Jens の加わる前の6曲のデモ・トラックを収録した。これらの曲の全ては後にアルバムに再収録されることになる、1曲だけ Moon's Polska を除いて。Stefan の作ったこの美しい小曲がなぜか-今の今まで!-ずっと忘れ去られていたのである。
 これは、私たちが、私たちの出発点となった形態でかき鳴らした音楽だ。このアルバムは、私たちの現在とは全く異なっている。しかし、Garmarna そのものであり続けている。」
 Enma に対する皮肉とも受け取れる文章である。

a0248963_1781948.jpg フル・アルバムとしては1stとなるのが、Vittrad 1993年から94年の録音。のっけから、Enma の硬質のヴォーカルに先導されて ヴィオラを中心とした演奏が繰り広げられる。この時、Enma は未だ18歳から19歳、恐るべき才能である。
 Hedningarna との違いは、パーカッションが民族楽器系統ではなくドラムであること、これによってぐっとロック色が強くなる。また弦楽器中心で、Hedningarna で荒々しい呪術性を付加していたウィロウ・フルートなどの管楽器による雑味の部分が無く、時にジューズ・ハープやハーディーガーディなどで荒々しさを感じさせることがあっても、全体にはすっきりした演奏が多いこと。ヴォーカルが、Hedningarna の場合、2人による合唱で、それも不協和音まで取り入れた濃い歌唱であり、加えてフィンランド語の日本語に近い発音の奇妙さがあった。これに対し、Enma の歌唱は非常に硬質の声質に加えゲルマン語系の特徴的な巻き舌であるため、かなりの違いを感じる。どちらが良いかは好みの問題だが、自分は Hedningarna 派かな。
 まだこのアルバムは、大半はアコーステック色が強く、ヴィオラ中心のインストルメンタル部分もかなり多い。3曲目などは、Enma の民族フルートの演奏なども聴ける。最後の数曲エレクトロニクスを導入したサウンドとなり、次作以降の展開を明示している。

a0248963_1784029.jpg 2ndが、傑作の呼び声も高い Guds spelemän 1996年作品。大胆にエレクトロニクスを導入し、Enma の歌唱を全面に押し出した、聴く者を圧倒する作品。それでも、アコースティック楽器の音もはっきりと聞こえ、ブレンド具合がちょうど良い。トラッドとオリジナルが違和感無く共存している。伝統音楽が現代音楽と直結しているのは、やはり西洋音楽が世界を席捲したせいか。
 Enma の硬い声(それでも前作に比べれば落ち着いた感じにはなっているが)で歌われる歌詞の凄いこと。たとえば、4曲目の Min Man (My Husband) などはこんな感じ。
 「わたしと踊っていた人、知ってる?/黄色の皮のズボンの人/けど夫は緑のズボンを穿いている/わたしの家まで付いて来た人、知ってる?/黒い皮のブーツを履いていた/けど夫のは茶色/わたしの膝の子供を知ってる?/山のマヤという名前なの/けど夫の子供はスティーナというの/わたしに喜びを持ってきてくれる人知ってる?/いまや彼は老いた、灰色になった/それでも夫は生き続ける」
 5曲目の Varulven (werewolf) はこんな感じ。
 「少女は、小屋から行こうとする/シナノキが森の中で揺れて音を立てる/そして小径を辿り青い森へ/愛の果実を運んで/青い森に着いたとき/灰色の狼に出会った/狼さん、わたしを食べないで/あなたにわたしの銀のガウンをあげるから/銀のガウンなんぞ結局は俺に似合わない/おまえの若い命と血でしかダメなのだ/~~~/少女はオークの木の高みに登った/狼は地面を這いまわり、遠吠えをした/狼はオークを根から掘り起こし/少女は心を引き裂くような叫びを発した/若い召使が灰色の馬に跨り/鳥が飛ぶより早く駆けた/そして森のその場所に着いたとき/血まみれの片腕以外何も見つけなかった」
 怖いですね、恐ろしいですね。北欧らしい暗さですね。

 
a0248963_1785673.jpg 3枚目が Vedergällningen 1999年作品。ジャズに近い雰囲気曲もありヴァラエティーも豊かになったが、民族色は若干薄まり、またエレクトロニクスの導入ももっと大胆になった。全体には、やや印象が絞り込めず、散漫な感じもする。ドラムなどもろ打ち込みに聞こえるものもある。この頃になると Enma のヴォーカルも堂に入ったもので、初期の硬質ななんか外れているんじゃない?なんて感じもなくなっており、Garmarna = Enma みたいな感じになってきている。
 歌詞は相変わらず、残酷。表題は英語では Vengeance 、復讐、報復、仕返しといった意味。長くなるので訳出はしないが、非常に残酷な仕返しを継母に行う物語。Enma は殆ど直立不動で、表情を変えずに歌うということだが(Youtube の画像にもそんなのがあった)、これは怖いよ、恐怖路線はそのまま、ということで。

a0248963_1791381.jpg 4枚目にして最終作(正式には解散はしてないようだが) Hildegard von Bingen 2001年作。Hildegard von Bingen は12世紀の修道院院長にして、最古の女性作曲家。この人の曲をアレンジしたもの。殆どエレクトロニクスの音がアコースティック楽器を追いやり、今までのアルバムと異なる印象で、さながら Enma の趣味がもろ出たという感じ。このアルバムを聴くと Rickard Westman がEP+で書いていたことを思い出す訳で、これ以降活動が細っていく理由もわかろうというもの。そういえば、Estampie も Hildegard von Bingen の曲で Materia Mystica (98年)というアルバムを作成しているが、これも大胆にエレクトロニクスを取り入れた Estampie らしくない作品で、ドイツ・アマゾンのアルバム・レヴューでも芳しい評価を受けていなかった。両者とも同じ過ちを犯したか。

 奇しくも Hedningarna と Garmarna 、同時期に活動を行い、ほぼ10年の活動を経てまた同時期に活動を停止したバンド、やはり90年代の時代を映していたのか、それはよく判らないが・・・。
 今回はちょっと長めで。もう少しコンパクトにしたいとは思うのだが。
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by ay0626 | 2012-05-19 14:09 | radical-trad

北欧の巨大野蛮人、ヘドニンガルナ

 Hedningarna を初めて聴いたときは心が震えた、自分の嗜好にあまりに直球過ぎて。彼らの登場は1980年代末、世の中が大きく変化する、世界も日本も、そんな時代に呪文を掛けるような、古くもあり新しくもある音楽を作り出したわけだ。

 ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月、翌年には東西ドイツが統一された。それに先立ちポーランドでは自由選挙により共産党政権が崩壊、1985年にゴルバチョフが書記長に就任した共産圏の盟主たるソヴィエト連邦も91年12月に敢え無く崩壊した。自由主義/資本主義によって世界は良い方向に向かうはず、冷戦も終了し軍備縮小や核兵器廃絶も(時間は掛かるにしろ)進むはず、と誰しも思った・・・これも「はず」であった。

 一方、日本国内はどうか。1989年の大納会で39,000円近くまで上がった株価は、その後坂を転げるように下落し、90年の10月には20,000円割れと半額の水準まで落ち込んだ。バブル期には、会社訪問に訪れる学生に対し、高級料理を振る舞い、拘束のためにホテルに泊めた会社も掌を返し、就職氷河期を迎えた。不良資産の処理が遅れ、北海道拓殖銀行や山一證券が1997年には破綻・消滅し、銀行はその後、合併で生き残りを賭けていくことになる。山一證券の社長の会見など、当時はそんなものかと見ていたが、先日何気なくテレビを見ていたらたまたま当時の映像が流れていて、50歳を超えた今、何か身につまされる思いがした、多分あの時の社長の言葉は心の底から出ていたに違いない。
 また、大学時代の友人が何人も銀行に勤め、大親友が勤めた銀行の破綻報道を知ったときは、本当に心が痛んだ。その頃の自分たちは30歳代半ばを越えた頃、会社の金を接待費として自由に使えた訳もなく、忙しく馬車馬のように働かせられ、気が付いたら「バブル崩壊」で、これから沢山貰うはずのボーナスは落ち込み・・・今冷静に振り返ってみれば碌な時代じゃなかった。

 しかし、自分の会社の業績は、良いと言えるほどではなかったが、別段悪い訳ではなかったし、90年7月には自分も新しい仕事に移って、尊敬できる上司(尊敬できる上司に当たれば当たるほど人生は良くなる、これだけはそう思う。なかなか尊敬できるまでの上司はいないが)の下で働くことになったものだから、そんなに深刻に受け止めることもなかった。これから貰うボーナスが多いか少ないか、貰ってみなけりゃ判らない訳で、減った額が通常となれば、昔を知らないわけだから不満の持ちようもない。

 ということで、閑話休題。Hedningarna にしても Garmarna にしても、この頃登場したバンドは、何かしら不安定な要素があったように思う。ラディカル・トラッド(和製英語との指摘もある)という二律背反のような言葉がぴったり来るのも、ここら辺に理由があるのかも。

a0248963_1537757.jpg 1989年に最初のアルバム、Hedningarna (s/t) をリリース。実を言うと、このアルバム、聴いた順番は最後。電化された2枚目以降を先に聴いてしまうと、純粋アコーステックで3人だけの演奏ではインパクトは少ない。しかしながら、楽器一つ一つの音を楽しむには非常に良い。特に、Anders Norudde (Anders Stake) のフルート演奏の荒々しく、それでいて繊細な感じは好きだ。全部で13曲、そのうち5曲が伝承曲で残りが Anders Norudde のオリジナル。wiki などを見るとリュートの Hållbus Totte Mattson がリーダーのようにも思えるが、音楽的な主導性は Anders Norudde が取っているのかも。Polska との表示がある曲も多いが、Chieftains のところでも書いたとおり、もともと伝承曲はダンスのための伴奏曲が多く、Hedningarna もクラブ用の Mix を出している。

a0248963_15373458.jpga0248963_15375849.jpg 2枚目 Kaksi! (1992)、続く Trä (1994) は、凄い傑作。伝統音楽に思い切りエレクトロニクス要素をぶち込んで、スオミねえさんの呪術的二重唱を配した、強迫的とも言える音圧に圧倒される。これらの殆どが伝承曲のアレンジというのだから驚くと供に西洋音楽の強み(伝統音楽を違和感なく現代的なアレンジに乗せてしまえるという)を感じる。
 Kaksi! の呪文的な1曲目から、ロックに最も近い7曲目、一転アコーステックな8曲目と楽曲的なヴァラエティーにも配慮が行き届いている。こんなある意味疲れる音楽であるため、収録時間も43分程度と短めのほうが集中して聞けるというもの。
 Trä は、1曲目の地面から湧き出るような、呪文そのもののヴォーカルから、オートバイに乗せられてロックそのものの2曲目に移り・・・と水の流れに乗る最終曲まで、十分に堪能できる。

a0248963_15382783.jpg 4枚目の Hippjokk は、ちょっと時間が空いて1997年のリリース。スオミ合唱隊がおらず、ヨイク(北欧サーミ人の歌唱、酔っ払いの咆哮のような、声を震わせた歌い方が特徴)・シンガーが数曲に参加している。スオミ合唱隊がいないと色彩感に欠け、殆どターンテーブルに乗る機会も少ない。ジャケットは、どういう意図か、洒落・・・それとも?


a0248963_15385365.jpg 5枚目 Karelia Viza は1999年の作品。スオミ合唱隊はメンバーを変えて復帰。カレリアとは、フィンランドのロシア隣接地域、wikiによれば「フィンランド人の心の故郷」的な地位らしい。そのせいか、ジャケット・ブックの写真も何かノスタルジックな感じで、音楽にも2枚目、3枚目に聴かれるような呪術性、禍々しさみたいな要素は少なく、丸くなったなあ、という感じ。そろそろ世の中も落ち着いてきたのかな・・・みたいな、そうでもないんだが。

 2003年にベスト盤(数曲の新録を含む)を出して、その後長いお休みに入ってしまったような Hedningarna。同じように Garmarna も休眠状態で、ひとつ区切りの90年代であったということか。世の中、考えていたようには良くならず、21世紀は世界貿易センターの崩落で始まり、日本は失われた10年の間に労働環境が一変し、政治も酷く不安定になった。Hedningarna の見せた伝承と現代との融合は幻だったか・・・それでもまだ、ラディカル・トラッドの後継は出続けている。
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by ay0626 | 2012-02-19 13:24 | radical-trad