日常茶飯事とCDコレクション
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大人のロック、洗練された音、歌 ロキシー・ミュージック (2)

 参議院選挙も大方の予想通りの結果に終わった。唯一の原発再稼動政党である自民党が大勝したのに、まだ新聞は原発再稼動を認めないらしい、民意民意と煩いのに、民意が明らかになるとそれは「本当の民意とは認め難い」という論調が大半だ。そもそも、原発の立地している場所では「早く再稼動してくれ」という意見が圧倒的に多いのは事実、再稼動がなければ生活が立ち行かなくなるからだ。周辺はどうかといえば、これが大反対、勿論原発の経済的恩恵に浴せないだけでなく、事故があれば迷惑は直ぐに及ぶ、福島の例を見ずとも明らかなこと。火力発電のためのエネルギー輸入で、貿易赤字も垂れ流して、輸入インフレでデフレを脱却しても、貧乏人がますます貧乏になる結果しか生まないことは、ちょっと考えれば誰にでも判るであろう。
 そういえば、東京で俳優候補が60万票以上獲得して当選してしまうということがあった。原発ネタ一本で、科学的根拠に欠ける話をアジリにアジって、新左翼(何十年も前に出来たのに未だに「新」とはこれ如何)の支援を受けていることまで明らかなのに、60万人以上の投票者がいるなど驚きである。衆愚政治と貶めるのは簡単だが、民意なんてそんなものかも知れない。
 菅ちゃん鳩ちゃんも切れない民主党は完全に退場だし、全く今の世の中に不必要な「生活の党」だの「緑の風」だの「社民党」だのは消滅ないし消滅目前、当然といったところだろう。小沢某、今度は共産党とでも組めばどうか。

 ドラクエ7が終わったので、ちょっとは読書を。西澤保彦さんの『ぬいぐるみ警部の帰還』。ユーモア推理とあるが、ユーモアは少なめ、いつもの西澤流変人オンパレード。「サイクル・キッズ・リターン」、「類似の伝言」、「レイディ・イン・ブラック」の被害者はどれも西澤さんの作品によく出てくる「思い込み激しい型粘着質」の典型で、暗い『彼女はもういない』の犯人のお仲間さん。そうした人たちが、その性格通りの行動を取ることで、犯罪が発生する、殺されるまでのことは誰もしてないが。それにしても、女性陣の現実性(「誘拐の裏手」のお二人を除く)と見事対をなしている。西澤さんの作品では特によいという訳ではないが、サクッと読めました。

 ということで、久しぶりに Roxy Music 。1975年に一旦解散するが、78年に再結成。初期のとっちらかった溌剌さは全くなくなって、洗練された大人の音楽に・・・といえば聴こえはいいが、どちらかといえばよく出来た歌謡曲っぽくなってしまいました、とも感じる。しかし、車の中で Avalon はよく聴いたなぁ。

a0248963_1654122.jpg 1979年、Manifesto 。この言葉も良く聴くようになりましたね、民主党さんはこれで大コケしました。マネキンと本物の人間が大勢写る洒落たジャケット。音楽も相当洗練され、スタジオ・ミュージシャンを集めてやるのと変わらない。メンバーは、Bryan Ferry、Andy Mackay、Phil Manzanera が中心。ドラムは、Paul Thompson であったが、腕の故障で後に交替する。
 全英チャートで7位までいったようだが、自分にとっては非常に印象の薄いアルバム。初期の輝く感じが消えて落ち着いたポップに変化していく過程、音楽には弾けたところがないとなぁ、なんて思う。もっとも、このアルバムを購入したのはほんの4~5年前、一所懸命聴く訳もない。

a0248963_1662582.jpg 1980年、Flesh and Blood 。全英チャート1位に輝く。何といってもジャケットが良い、Roxy の派手目、エッチ目な名ジャケット群にあっても、このセンスは凄いとしかいいようがない。表ジャケットはお姐さん2人しか写ってないが、裏を返せばもう一人、勿論槍が3本写っているから3人いるのかなあ、というのは判る仕組みになっている。これらのジャケット写真は多分 Ferry さんの趣味、そういえば Siren のモデルさんは当時 Ferry さんの彼女だったが、後に Rolling Stones の Mick Jagger のお嫁さんになってしまうのである、よくある系統の話。このアルバムもそう熱心に聴いた訳でもなく、楽曲でも Same Old Scene (映画 Times Square で使用されたとか)が若干印象に残るくらい。全英1位になったのだから、聴き込めばそれなりによいのだろうが、今更ねぇ。

a0248963_1665064.jpg 1982年、Avalon 、大傑作アルバム。このアルバムは出て直ぐに聴いて(どういう経緯でかは忘れたが)、テープに取って(だから多分、貸しレコード屋で借りてきたのだろう)、車の中で流していた。今ほどアーサー王伝説が有名でなく、Avalon って鮑のことか、それにしてはスペルが違うよな、などと呟いていたのを思い出す。勿論、Avalon とは島の名前で林檎で名高い楽園、アーサー王の終焉の地。
 最初の More Than This から絶好調で Avalon など何度聴いても良い。スタジオ・ミュージシャン中心の上手いけれど、歌伴奏そのものの演奏で、別に個々のミュージシャンの名前が気になるということはない。歌が聴ければそれでよいなら、またのめり込んで聴くわけでもなければ、気持ちのよい音。「大人の音楽」は真剣に聴いちゃあいけない、BGMとして、品良く流れて他事を邪魔しないものが一番良いのかも。

a0248963_1671126.jpg 1990年、1982年のツアーの模様を収めた Heart Still Beating がリリースされる。このアルバムには、1981年に John Lennon 追悼のためにシングルで発売された Jealous Guy が収められている。Lennon は1980年12月に殺されたのだが、当時も今も Beatles には全く興味がなくて「あ、そう」という感じだったが、世間ではかなりの騒ぎになっていた。この Jealous Guy は多分最初のソロ・アルバムに収録されていた作品、中学の頃、友人に洋楽好きの奴がいて(多分そいつの兄が好きだったのだろう)、良く鼻歌でこの曲を歌っていた。Jealous Guy が「嫉妬深い男」ということも知らずに。メロディーは確かに良いとは思うが、やはり Mother のほうが好きかな。

 学生諸君は夏休みか。会社でも予算の見直しが始まって、忙しい部署はこのクソ暑い中ごくろうさんなことだが、自分の部署はそうでもない。取れるうちに休暇を取ろうか、とってもやることないしなぁ。
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by ay0626 | 2013-07-27 14:49 | rock

薄っぺらな感覚と忘れられない声 スラップ・ハッピー

 朝から晴れた空は、それでも若干靄が掛かって、やはり春の空。目が乾くのは、歳のせいか、花粉のせいか、ただ単に空気が乾燥しているせいか。加湿器の掛かった部屋では不快感を感じないので、空気のせいということで。

 金曜日、仕事というのは人間にとって何なんだろう、と思うようなことがあった。自分にとっては、仕事とは生活の糧以上の意味はないが、生き甲斐にしている人もいる。賃金以上に仕事をして、それで喜びを感じる、それをいけないと他人がいうことでもないだろうが、どうも傍で見ているのが嫌になってくる。それじゃあ、見なければ良いのに、ついつい見てしまう、例えばエレファント・マンを見に行く人のように。デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』、心温まる物語、ヒューマニズムの物語のように日本では喧伝されたが、先入観なしに見りゃ判る、あれは唯のフリークスに対する猟奇的な興味で撮られた映画だと。同じことで、身を削って一生懸命仕事をすることが一部の人には大変な美徳であるのに、同じ人を自ら率先して搾取の対象になる醜い人々と感じる人もいるのだという事実。力んでも仕方ないが、そこら辺の価値観には深い溝があるように思えて仕方ない。

 また、訳の判らない前振りから入りまして申し訳ない、はっきり書くといろいろ差し障りもあるので。自分が怠惰な考え方の持ち主だということのみ書きたいだけであります、本当。

 今回は、エピキュリアン達が、ひょんなことから思想に染まりそうになってしまう、その一歩手前で留まった(しかしながら一人は取り込まれてしまう訳だが)、そんな感じの集団 Slapp Happy について。
 Slapp Happy は、1970年代初期、イギリス人(Anthony Moore)、ドイツ人(Dagmar Krause)、アメリカ人(Peter Blegvad) で作られたポップ・グループ。ポップ・グループといっても Anthony Moore は現代音楽畑の人で、初期の3枚のアルバム(『Pieces from the Cloudland Ballroom (1971)』、『Reed Whistle and Sticks (1972)』、『Secrets of the Blue Bag(1972)』)は、まるでその通りの現代音楽、自分ももってはいるが片手の指の数ほどの回数も聴いていない。まぁ、そんな人のグループなので、ポップ・グループといっても・・・・。

a0248963_17412985.jpg 最初のアルバムが Sort of 、1972年。ドイツの Polydor から、なんとメジャー・レーベル!Uwe Nettelbeck という山師的なプロデューサーの甘言に乗せられたのが Polydor 、Fausut や Slapp Happy のアルバムを作った。全く売れるはずもなく、Faust のファーストなど1,000枚も売れなかったという。しかし、今度はイギリスの Virgin が目を付ける。Faust の Faust Tapes など話題作りに LP を EP の値段で売り、間違ってヒット・チャート入りなどもしてしまう。変な時代であったことは確か。
 このアルバムは、Slapp Happy の3人に加えて、Faust の Werner "Zappi" Diermaier (ds)、Jean-Hervé Péron (b)、Gunther Wüsthoff (sax) が演奏。もともと Faust の演奏自体、薄っぺらというか、特にドラムなど単調でその印象が強いのだが、このアルバムでもそんなところが出ていて、今聴くと余り魅力的とは言い難い。このアルバム、ずっと廃盤の状態で、CD 化されたのが1999年になってから、ということもあって Casablanca Moon を聴き慣れた耳には何とも聴き所の少ないように感じたものだ。

a0248963_17414882.jpg 2枚目は、Virgin から出た Slapp Happy (Casablanca Moon)、1974年。ヴァイオリンに導かれる Casablanca Moon から始まる本作品、奇妙な明るさに加えて曲の良さもあって、非常に好きな作品。多数のゲスト・ミュージシャンを加え、様々な楽器の響きもカラフル。もともと、Blegvad だけじゃなく Moore にもポップな部分が多分にあり、ソングライターとしての才能がここで一気に花開いたという感じなのだろうが、やっぱりちょっと捻った(世の中を斜めに見るような、言葉をこね回したような)ところは一般受けするものではなかったようだ。この作品は1993年に Desperate Straights と2in1の形でCD化されたが、11曲目までが本作、12曲目以降が Desperate ~、そこで雰囲気がガラリと変わる感じが聴いていても明確に判って、ちょっとビックリした。

a0248963_17425422.jpg 2枚目のドイツ録音版というべき作品が、Acnalbasac Noom (Casablanca Moon の逆綴り)、イギリスの Recommended Record から1980年に発売されたもの。この作品は、1973年の録音、殆どの曲が Casablanca Moon と重複している、というより Casablanca Moon は編曲を変えて再録音されたという方が正しい。結局のところ、Polydor が Nettelbeck に騙されたことをようやく悟って、本作をお蔵入りさせた、ということだろう。
 ここでも Faust のメンバーが加わっている、Wüsthoff のクレジットはあるが余りサックスの音は聴こえないような気がするのだが。Casablanca Moon に比べるとあっさりとした印象、音がクリアに取れており、Dagmar の特徴的な声が気持ちが良い。

a0248963_17431237.jpg Henry Cow と合体後、Slapp Happy を主体として作成されたのが Desperate Straights 、1975年。もう1作、Henry Cow 主体で作成されたのが In Praise of Learning。
 1993年に Casablanca Moon とカップリングで CD 化され、その後単独で発売もされた。先ほども書いたが、Casablanca Moon と続けて聴くと、その違いにビックリする、何しろ冷たい、厳しい印象のアルバムなのだ。アルバム題名も、和訳すれば『絶望へ、一本道』といった感じか、Dagmar の声も掠れて鬼気迫る感じだし、途中ジャズ風の曲(Desperate Straights)や最後のインスト曲(Caucasian Lullaby)も峻厳そのもの。享楽的な Blegvad だけでなく遊び心のあった Moore も Cow の思想に付いて行ける人ではなかったのであろう、Cow との合体期間は非常に短く終わり、しかし Dagmar だけは Cow に残るという奇妙な結果に終わる。Dagmar は、その後 Art Bears や News from Babel にも加わり、80年代半ばまで Cow 一派と行動を共にする。

a0248963_1743458.jpg その後、長い休止期間を置いて Ça Va (OK の意)が発表される、1998年。力の抜けた、落ち着いたポップになっており、そういう意味では歳を取ってきたのかも。この時、Moore 50歳、Dagmar 48歳、Blegvad 47歳。皆、地が出たというか、好きな音楽を素直にやるようになってきたということだろう。特に Dagmar の声にキンキンした感じがなくなり、非常に落ち着いた(その分、特徴も失くしてしまったともいえるが)分、聴き易くなっている。ジャケットデザインもなかなか洒落た感じである。
 このあと、Slapp Happy 名義では2001年に Live in Japan というアルバムがあるが、アルバムを購入するまでの興味はなくなっていた。

 Henry Cow という存在がなければ、今でも聴かれるグループであったか。Blegvad も Moore もそれなりに才能のある人だから何枚かのアルバムを残したろうが、ここまで残る人たちであったかどうか疑問、思想に馴染めなくとも、それ故後に残る、それをどんな風に感じているのだろうか。
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by ay0626 | 2013-03-17 17:31 | rock

その後のヘンリー・カウ 作曲家としての才能 リンゼイ・クーパー (2)

 今週久しぶりにライヴに繰り出そうか、と思っている。なかなか趣味に合致するライヴがなくて、出掛けられなかったのだが。
 クラシックのコンサートなら、時々友人が招待券をくれるので見に行くこともある。そういえば、1月の末にも名古屋フィルハーモニーの演奏会に出掛けた、演目が面白く、クラッシクとポピュラーの中間くらいのところの作品ばかり、バーンスタイン: 『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス、コープランド: クラリネット協奏曲、バーバー: 弦楽のためのアダージョ、J.ウィリアムズ: 映画『スター・ウォーズ』組曲というところ。スター・ウォーズなどなかなか迫力があってよかった。また、コープランドの協奏曲は、もともとベニー・グッドマンが初演をしたようにジャズを大幅に取り入れた作品、ソロのお姐さんのテクニックも大したものだった(その割には服のセンスが悪かったような気がするが)。何処かの学生さんの団体も居り(女子ばかりだった)、いつもとはちょっと違った客層だったような気がする。が、クラッシク特有の気持ちの悪い拍手強要と何回も仲間を褒める(指揮者が演奏者数人を立たせて、「こいつら上手く演奏したでしょう」と作り笑いをする)のは相変わらずで、そういうもんとは思っても、終演となれば5回ほど拍手をしてさっさと席を立つのはいつものこと。まぁ、悪態はついていますが、楽しめたのは事実。
 と変な方向に行きそうなので、話題を戻して。テレビで若い人たちの行くコンサートを見ると、殆ど座っている人はいない。音楽のコンサートなのだから、座ってゆっくり聴きたい人もいるのじゃないかと思うのだが。一体感だの参加(サルトルのいう engagement に近いかも、哲学とは無縁な人たちだが)しているというノリなのだろうか、体を揺らしたりペンライトを振ったりと、誰もまともに音楽など聴いているように見えない、行く目的ははなから音楽にはないのだろう。エグザイルという団体はまともに見たことはないのだが、ダンスする人と歌う人から成り立っているようだ、音楽はダンスの景気付けということなら仕方ない、スマップとか嵐とかも同じですか、ああそうですか。前にも書いたが、Les Ogres のDVD でもオール・スタンディング、あんなんじゃおじさんは見に行くのは嫌だ。
 今度行くライヴは、演者も40歳台後半から50歳の掛くらい、ちびちびと酒を飲みながらピーナツでも齧って、ゆっくりと音楽を楽しめる感じにはなれそう。しかし、この頃は、50のおじさんおばさんでもずっと立ちっぱなしで興奮し捲くっているようなコンサートもあるようで、そこまで入れ込めたら、それはそれで幸せか。

 と考えていたら、Lindsay Cooper もダンスの伴奏音楽やテレビ番組のための音楽を数多く手がけていた。今回は80年代中盤から90年代初めの3作品、とはいっても多発性硬化症という難病で殆ど体の自由が利かなくなっているため、98年の View From A Bridge 以降、作品は発表されていない。

a0248963_1819944.jpg 86年、Music for Other Occasions。様々なテレビ番組のための音楽を集めたもので、83年から85年の作品が中心となり、後に87年、90年、91年の録音が追加されて、91年に CD 化された。トータル52分余りの作品だが、1分から長くて5分程度の曲で構成され、21曲も詰まっている。ヴァラエティーに富んだ、という言い方も出来るが、どっちかといえばごった煮的な印象がある。参加しているミュージシャンも多いのだが、中心となるのはいつもの Georgie Born 、Sally Potter 、Dagmar Krause 、Maggie Nicols 、Kate Westbrook といったところ。
 短い曲が多いところから、どの曲も隅々まで作曲されており、ドラムが入ろうがノリ一発みたいな演奏は一つもなく、彼女の真面目な性格(会ったことがある訳じゃないので、実際にはどんな人か知りませんが)が滲み出ているような気がする。

a0248963_18193119.jpg 91年、Oh Moscow。録音は89年10月、カナダのヴィクトリアヴィルでのライヴから。この作品は、第二次世界大戦後の冷戦状況についての作品のようで、Sally Potter が作詞を担当し、87年に完成、それ以降世界各地で20回以上演奏された。
 このCD での演奏メンバーは、Lindsay Cooper (composer, bassoon, alto sax)、Sally Potter (lyricist, vo)、Elvira Plenar (p, syn)、Alfred Harth (tenor sax, cl)、Phil Minton (tp, vo)、Hugh Hopper (el-b)、Marilyn Mazur (ds)。他の演奏会ではドラムに Charles Hayward が入ることもあったようだ。カンタベリーの重鎮からレコメン系の有名ミュージシャン結集というメンバー構成ではある。ヴォーカルが何といっても力強く素晴らしいが、加えてドラムもなかなかのもの。管楽器のソロも余り全体の調和を逸脱するようなことはないが、それなりの魅力はある。
 楽器構成からも判るとおり、ジャズの雰囲気が強い。これだけのメンバーだから部分的には即興の部分もあるだろうが、全体には作曲された感じが強く、そういった意味ではジャズ本来のスリリングなところは少ない、予定調和といっては語弊があるが、やはり Cooper さんは作曲家だということなのだろう。

a0248963_18195782.jpg 91年、An Angel on the Bridge。本作品は、オーストラリアのみで発売されたため、非常に入手が難しく、自分も98年に本作全部が再収録された A View from the Bridge で初めて聴いた。
 20歳頃からバスーンを中心にした作品を作りたかった。バスーンをブラス楽器として、打楽器として、効果音の手段として、曲全部、または一部で。それが本アルバムで叶った ~ と Linsay は A View from the Bridge のライナーで書いている。また、実際にはホテルの部屋で作曲されたとも。また、チャンネル4の「5人の女性写真家」のための曲もあるようだ(詳しくは判らないが、” Dedicate to the memory of Ruth Pantoleon 1941 - 1992 who commissioned the music for '5 Women Photographers'"との記載がある)。
 録音に若干の難があるのと、A View from the Bridge では10曲を1トラックとしてしまっている(どうにかならなかったのか、本当にそう思う)点を除けば、バスーンを中心に置いた非常に良い作品で、Lindsay の代表作ともいえるのではないか。録音メンバーは、Lindsay Cooper (basoon, sopranino sax, kbd)、Michael Askill (perc)、Louise Johnson (harp)、Cathy Marsh (vo)、楽器編成から見ても判るとおり、ロック色、ジャズ色は全くない現代音楽。マリンバやハープ、ソプラノのスキャットも美しく、調性はあり(怪しいが)、聴き易さも抜群で、こうした小編成の作品を作って欲しかった。これを聴くと、Lindsay Cooper は、ポピュラー音楽畑の人というよりもクラッシク ~ 現代音楽畑の人と判る。

 ということで、音楽だけでなく容姿も大好きな Lindsay Cooper の第2回は終わり。こんな綺麗で主張があって素晴らしい音楽を作っても、若くして難病で意思の疎通も出来ない状態になってしまう、どう考えても慈悲深い神様などいないようで。ひょっとして彼女が無神論者だったから?、それなら神様もセコい性格だったりして。
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by ay0626 | 2013-02-10 18:09 | 現代音楽

その後のヘンリー・カウ 即興の鬼あるいは主張する人 カシーバー

 今年も残すところ数日、あんまり良い年でもなかったが、去年に比べりゃノー・プロブレム。年明けは体の調子が今一歩で、肉体が精神に与える影響とは大きなものがあると改めて思ったものだが、ゴールデン・ウィークの原因不明の胃痛を除けば、至って健康な一年であったように思う。大病を患うといろいろ悲観的なことを考えてしまう、しかしずっと考え続けることが出来ない性分なので、また諦めも良い方なので、後半に行くに従って調子が出てきた。調子というのは、心の持ちようのことで仕事の調子は関係ない。会社の仕事は、優秀な部下たちが殆どこちらの手を煩わせずに片付けてくれるので、あまり気にしたことがないのだから。同じような職位にあっても、自分で片付けないと気が済まぬ人たちは可哀想だ、あまりに背負うものが大きすぎると嫌になる。お気楽な自分は、お陰で髪の毛が少なくなるようなこともない。
 世間では様々な事件があり、経済や政治が大きく変わった。日常のレヴェルで感じることは少ないのだが、それでも連日何やかや新聞を賑わす大きな出来事があったように思う。あれだけ凄惨な死体が出た尼崎事件の鬼畜婆さんはあっさり死んでしまうし、富山県では警部補の職位にある人が放火殺人をしちゃったなぞ、信じられないような出来事もあった。民主党はあっさりと崩壊してしまうし、日本未来の党はこれも1か月で消滅、社民党のおばさんと自民党の元幹事長が並び立つわけもなく、滋賀県知事が大見得を切ったのに、庇を貸して母屋を取られる典型的な姿を晒してしまった。新聞を読んだら反原発しか書いてなくて、それが民意みたいに言われていたが、原子力を止めると宣言しなかった唯一の政党である自民党があれだけ大勝したのは、何故なんだろう、新聞のほうが民意を無視していたのか。
 別にこうした世の中を憂いている訳ではない、殆どが面白半分に見ている。かといって斜に構えている訳ではない、それなりに真面目に生きていると思っている。そんなのが大方の普通の人の態度、自分に近い考えの人も多いのではないか。

 音楽では、チェコとハンガリーのバンドに手を出して、なかなか面白かった。そういえば、頼んでおいたチェコのバンドの CD が昨日やっと到着し(クリスマスの関係か、いつもより5日は余計に時間が掛った)、7枚のうち2枚ほど聴いたがこれがなかなか変で良い。もう少し聴き込んだらまたレヴューでも書こう。
 amazon の音楽のページを何気なく見ていたら、Wayne Shorter の Moto Grosso Feio が正規盤で出ているではないか、吃驚して急いで注文してしまった。69年から70年に掛けての3部作がこれで揃うことになる、じっくり聴こう、非常に楽しみ。

 年末の忙しい時期に聞くような音楽では決してないと思うが、Henry Cow の思想的な屋台骨、Chris Cutler のユニット Cassiber のご紹介。Cassiber は、1982年、ドイツのアヴァンギャルド・デュオ(キーボードとサックス/ブラス)にギター/ヴォーカルと Cutler が加わって結成された即興主体の音楽集団、なかなか根性の据わった音楽を聴かせる、今回は即興主体の初期作2枚。

a0248963_18431538.jpg 1982年、Heiner Goebbels(kbd)、Alfred Harth(sax, tp, tb)のドイツ人デュオ・チームに同じくドイツ人のギター/ヴォーカルの Christoph Anders 、Chris Cutler が加わり結成。最初の作品は、Man or Monky 、ドイツのレーベル Riskant から12インチ・シングル2枚組として発表された。Goebbels / Harth のデュオは、これまでに何枚もアルバムを発表しており、特に Goebbels は現代音楽畑でも有名な人である。この2人と Anders に Cutler は1977年、the So-Called Left-Radical Brass Band というバンドを通して知り合ったとのこと、如何にもな名前のバンドではある。Harth と Anders は79年にはフランクフルトでパンク・バンドを作ったこともあるらしい。
 Cassiber の音楽は、Man or Monky のライナーに書かれていることが本当だとすれば、全て即興であるらしい。作曲されているといわれれば、頷いてしまいそうになるほど、メロディー的なものもあるし。ヴォーカルも叫んでいるが、全くただ叫んでいるのとは違う、音楽として成り立っているように思う。これだけの即興をやるとなると、相当に相手の出方を伺い注意深く、それでも瞬時に対応しないと出来ない、大変なことをやったもんだと思う出来である。特に、Harth のサックスとブラス、ありきたりのフリーキーな音に頼らず、ユーモアさえ感じさせる大らかな音色を響かせるところなぞ、特に良い。
 一聴、スピード感溢れるパンクにフリー・ジャズをまぜこぜにしたような音楽。なかなかの傑作といってよい。

a0248963_18433295.jpg 次は、Beauty And the Beast 、1984年作品。ReR Megacorp からのリリース。この作品から歌詞は Cutler のペンによる。9曲目(Und Ich Werde Nicht Mehr Sehen)はアイスラー/ベケット作品、11曲目(At Last I Am Free)はエドワーズ/ロジャーズによる有名曲(Wyatt も歌った)、パンク風の歌唱だが。クレジットはないが、8曲目は Ayler の Ghost がはっきりと聴こえる。13曲目は CD のみのボーナス。
 前作が緊張感に溢れた傑作だったので、それに比べるとやや緊張感に欠けるところあり。テープの多用も若干気になるところではある。しかし、ここでも Harth のサキソフォンが良い味を出している、Ghost のメロディーなんか非常に抜け抜けとした良い感じである。

 Art Bears の後に Chris Cutler が本格的に関わったバンド。思想的にも近い仲間だったようだが、この2枚で Harth は脱退し、この後の作品は、Harth が担っていたユーモア部分(というかホッとできる部分)が失われ、また Goebbels による作曲がなされるようになって、タイトな感じではあるが厳しさを増すようになる。残る3枚は別の機会に。

 正月にブログを書き始め、もうじき1年。飽きっぽい自分には驚異的な持続力である。文章書くのは、案外好きなのかも、『下手の横好き』という言葉が直ぐに頭に浮かんで仕方がないが。
 
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by ay0626 | 2012-12-29 17:26 | rock

一枚だけ偏愛 キャンバーウェル・ナウ

 いよいよ衆議院解散となった。「16日に解散します」と高らかに宣言した野●首相は本当に気持ちが良かったと思う、溜まりに溜まった鬱憤を一気に放屁するような一言、首相のみがいうことのできる一言の快感はどれほどのものだったろうか。それに比べ安●総裁のあたふた感、ちょっとみっともなかったね、「今の言葉、確りと受け止めましょう」と目をぐるぐるさせて見得でも切れば、もっと支持率も上がったろうに。
 政治屋さんたち、年末解散で正月を失業者で始める訳にもいかない、それならば勝てるところで、と浅ましさ満開状態、民主党から自民党に鞍替えする無節操者もいる訳で、これは本当にみっともない。主義主張が一番であるはずが、自分の職業を守ることが一番になっている、高潔な人ばかりでないのは当然のことだが、それをあからさまに見せるのはどうなのか、そんな人に投票しなければならない人も可哀想ではある。
 あの発言があった日には、森●子さんの死亡、サッカーと大きな話題が合って、ニュースの順番も殆どこの通り、三題話みたいでちょっと笑った。92歳のおばあさんは何時亡くなってもおかしくはなかった、数年前から殆ど目の光がなくなり、ふうっと視線が宙を泳ぐところなど、長くはないと思わせた。この人も完全にパラノ型の人で、同じ劇を2,000回以上主演したのが日本人の琴線に触れ、国民栄誉賞まで貰った。同じことを2,000回もやって飽きなかったのだろうか、自分などどうしてもそんなことを考えてしまうのだが、この国の人たちは「一途」が大好きのようで、ここら辺は自分の理解の範囲を超えている。2,000回もやっているのに、多分お決まりのセリフが「まだまだ満足していない」、どうすれば満足できるのか、満足できる前にあの世行き、天国でも芝居に励めばもっと拍手喝采という落ちなのか。
 サッカーは、自分の守備範囲外なのでコメントなしということで。

 今日は、3時過ぎまで野暮用で外にいたため、短めに書く。続々と CD が到着し始め、聴けぬままにそこらあたりに転がっている、聴ければそれについて書こうと思ったのだが、まだ書くまで聴き込んでいない、それらについては後日。
 ということで、今回は聴き返しも必要ないほど聴き込んだ Camberwell Now 、いわずと知れた This Heat のドラマー Charles Hayward が作った歌モノユニット。Quiet Sun (唯一のアルバムが、75年の Mainstream)、This Heat を経て82年に結成、2枚の30センチ EP と一枚のアルバムを残し87年解散。音源は少ないが、偏愛するユニットである。
 Charles Hayward 関連の CD は殆ど所持しているが、何のせいか余り聴く気がなくなり、今では聴くのはこのユニットのみ、This Heat もソロ作品も重い感じがするせいか、やっぱり感性が変わってきたためか。

a0248963_22223518.jpg 自分の持っているのは、1992年にスイス RecRec からリリースされた All's Well 、30センチ EP 2枚と1枚のアルバム、カセット・オムニバスに収められた1曲( Daddy Needs a Throne )を加えた全集版である。その後、リマスター盤も発売された。本当に良く聴いたアルバムで、Hayward の作品では必ずしも評価の高いもののようではないが、自分にとっての Hayward といえばこの1枚なのである。
 81年 This Heat は、Gareth Williams の抜けた穴を Ian Hill と Stephan  Rickard で埋め、Charles Bullen とのカルテットでヨーロッパ・ツアーを行うが、敢え無く解散、その時のメンバー Rickard にベーシスト Trefor Goronwy を加え Canberwell Now が出来上がる。ドラムとベースのリズム・セクションにテープ録音の音を被せ、そこに歌を乗せていくスタイル、今で言えばサンプリング、エフェクトで作り上げる不可思議な音群。この Goronwy 、天才じゃないかと思うくらい印象深いベーシストである。

a0248963_2223985.jpg 最初の EP 、1982年12月録音の Meridian 、4曲収録。非常に音数を少なくして歌を浮かび上がらせるような作りとなっている。もともと、Hayward は社会の歪みに対する批判を前面に押し出しているが、This Heat はインストルメンタルが多いため、歌詞という形でまともに表明されることがなかった。それに対して、Camberwell Now ははっきりした主張がどの歌詞にも出ており、多分これが日本語であったらここまでは好きにならなかっただろうと思う、まぁ、かなり抽象化はされてはいるが。
 シンバルとメロディカ、ベースで始まる Cutty Sark (紅茶を運ぶ船)で幕を開け、多分紅海当りの真珠採りの悲哀を歌ったと思われる Pearl Divers、この2曲はメロディーも美しく、This Heat では聴かれなかった新たな世界を描出している。そしてドラムの躍動感の素晴らしい Spirit of Dunkirk を経て、最大の聴きもの Resplash へ。沈静作用というか「引きの魅力」満載のこの曲、ドラムとメロディーが微妙に食い違う感じと素晴らしく太いベースの音が非常にダウナーな気持ちにさせてくれる佳曲、All's Well では82年録音の原曲ではなく84年の再録音版を収録。
 この曲の後にオムニバス収録の Daddy Needs a Throne を収録、This Heat を感じさせる激しいナンバー。この曲もベースが素晴らしい、人間業とは思えないようなスピードで弾き捲くって、突然の終わり、静寂。

a0248963_22233648.jpg 唯一のアルバムが84年8月から翌85年2月に録音された Ghost Trade 。このアルバムから Rickard の楽器クレジットに Tape Switchboard の表示が見える。多分、複雑なテープ操作を出来るように開発された機器であろう、奇妙な音がてんこ盛りの怪作。
 素晴らしく歯切れの良いドラムとそれにピタリ追随するベースの Working Night で幕を開け、同じような曲調の Sitcom が続き(最後の部分の女性ヴォーカルが印象的)、ドラム・ベース・レスの奇妙な音群から立ち上がるHayward のヴォーカルが素晴らしい(歌詞はざっと眺めて何がいいたいのか不明だが) Wheat Future で LP A面は終わる。リズムを敢えて単純にし、様々な声を上に乗せた実験作 Speculative Fiction 、またまたドラムが軽快な Green Lantern 、そして最後が11分を超える奇妙な音が詰まった The Ghost Trade 、低い声で唸るように歌う歌に添うようにバス・ドラムの一定のリズム、トイ・ピアノかグロッケンシュピールか点描的な効果を上げ、これも「引きの魅力」のある作品。

a0248963_2224250.jpg 最後の EP が Greenfingers 、86年8月録音。3人に加えて女性サキソフォン・ヴィオラ奏者の Maria Lamburn が加わっている。彼女が加わることで生音が彩りを添える。
 最初の曲が Greenfingers 、This Heat 時代の曲らしく実際にライヴでも演奏されていた模様。ちょっと(というか大分) This Heat の他の曲とはイメージが違い過ぎるか、この EP に収められて正解なのだろう。途中のふっとソプラノ・サックスの音が立ち上がるようなところ、全面的にテナー・サックスが出て来るところは、今までの録音にはない、こんな感じは本当に好きだ。ピアノの音が印象的な Mystery of the Fence に続き Goronwy のヴォーカル曲 Know How 、何でこんなシンプルで直線的な曲をここで持ってきたのだろうと驚く、あんなベースを弾くのに案外純情な人だったりして。そして奇妙な音の塊、短い Element Unknown で幕を閉じる。
 この後、アルバムの計画もあり、ツアーも順調に消化したようだが、Rickard の脱退により、あえなく解散。Greenfingers の音の作り方が好きだったので、もう1枚くらいはアルバムを作ってくれても良かったのに、と思う。

 昨日は快晴だったのに、今日はかなり強い雨、女心のような・・・知りませんが。今読書をしていまして、しかし昨日一昨日と帰宅が遅く、まだ最後までは読み切れていない、来週くらいにはご報告を・・・と考えております。




 
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by ay0626 | 2012-11-17 19:36 | rock

枯れた淋しさ、音の少ない音楽 ロバート・ワイアット (2)

 昨日突然、東京都の石●知事が国政に進出するとかで、知事を辞任することにしたようだ。80歳にして元気なもんで、将来の日本を心配するよりも明日の自分の健康を心配しろよ、などと言いたくなってしまうのだが、やりたいことをやるのが一番楽しいんで、日本のため未来のためとはいいながら、そういう政治活動が自分にとっては楽しくて楽しくて!(注目されるの大好き!!!)、彼もあの年齢になれば「自分が誰よりも偉い、自分が一番」、甚だしく自己満足できる訳。ということで、彼には期待しない、それは当然といえば当然、責任を取れるほど頭脳明晰なままであと何年も活動できるなど、どう考えても不可能ではないか、せいぜい世迷いごとを撒き散らかしてくれ。

 この元気のよい爺さんに比べ、歳よりも枯れてしまったのが Robert Wyatt 、階段から落ちなければ、ヒッピー・フリークな人生を送ったろうに、下半身不随になることで世の中の不条理を知り、そこから共産主義の方向に向いてしまうのが70年代中盤の時代の趨勢というところか。
 静かな抗議という感じのプロテスト・ソングから、音数を減らした90年代初頭の Dondestan まで、実をいうとこの時期の Wyatt 、そう好きではない、主義主張が出過ぎているのは仕方ないとしても、音楽的な実験性や楽しさが少ないように思えるからだ。

a0248963_1435674.jpg Wyatt は、Rock Bottom 期の1974年2枚のシングル盤を出している。後にボックス・セット EPs (99年)の Disk 1 に纏められる、I'm A Believer / Memories 、Yesterday Man / Sonia がそれだ。演奏メンバーは、Fred Frith 、Dave MacCrea 、Richard Sinclair 、Nick Mason 、Mongezi Feza 、John Greaves 、Gary Wind などのお馴染みのメンバー。もともと、ポップ感覚のあった人だと思う、特にロックのヴォーカリストといえばフロントの一番映える位置にいるので(Wyatt はドラマーなのでそうもいかないが)、自然と人に見られる快感を知り、ポップなエンターテインメント性を身に付く(と勝手に想像)。そんな部分が結実した2枚、どちらも60年代半ばのヒット・ソング、聴いていて良い曲だなあとは思う。EPs の Disk 1 には、後に(2005年)に全貌が明らかになる74年の Wyatt 復帰ライヴ(Theatre Royal Drury Lane)の1曲 Calyx が加えられている。それから長い沈黙が続き、そのため自分の Wyatt に対する興味も薄れ、次にリアル・タイムで聴くアルバムは97年に久々にリリースされた Shleep からとなる。

a0248963_14352831.jpg 82年には、久々に2枚のアルバムが発表される。まずは、Nothing Can Stop Us 。これは、80年から81年にかけてシングルで発表した作品を集めたもの。冒頭の Born Again Cretin は Wyatt のオリジナルだが、At Last I Am Free や Strange Fruit など、その系統の名曲が並んでいる、世界のプロテスト・ソング集といった感じか、まだ多少のゲストの入った、サウンド的にも聴けるものとなっている。ただし、最後の2曲は完全な蛇足、何れもシングルB面に入っていた他人の曲で、インド音楽だったりポエット・リーディングだったりで、乖離感甚だしい。同時期にシングルで出た Ship Building (B面の Memories of You 、Round Midnight も同時に)を加えて、最後の2曲を削除した方がいいのに、と思っている。Ship Building は、E. Costello が作曲した傑作で、ウッドベースの音が素晴らしく、ドラムとピアノというシンプルな伴奏に Wyatt の哀しい声が鳥肌ものの出来。先に紹介した EPs の Disk 2 として、Ship Building 、Memories of You 、Round Midnight の3曲と86年の Pigs...(In There) 、88年の Chairman Mao (毛沢東!!!)(いずれもコンピレーション収録曲)が収められている。
 もう1枚が The Animals' Farm 。動物実験に反対する立場で作られた映画のサウンド・トラック。一世代前の前衛音楽といった感じの締まらない、詰まらない曲。60年代末であれば、サイケなんとかで評価もされたろうが、80年代に入ってこれでは全くお話になりません。まあ、映画としても有り勝ちなテーマで左翼の方々が好みそうではある。EPs の Disk 4 として収録。

a0248963_14355222.jpg 84年には4曲入りの EP Work in Progress 発表。これも、Nothing Can Stop Us と同傾向の作品。殆どの演奏を Wyatt 一人でこなし(1曲のみ Hugh Hopper 参加)、シンプルな傾向が強まっていく。前述 EPs の Disk 3 として収録。
 85年、久々のフル・レングスのアルバム、Old Rottenhat 発表。全く一人で演奏を行ったこのアルバム、音数を少なくして、パーカッション以外は全てキーボードの音、ヴォーカルの抑揚も少なく、昼寝の友ならいいがちゃんと耳を澄まして聴くにはかなり退屈。詩を拾い読みしても、左翼傾向は変わらない。しかし、この全体から来る枯れた感じ、非常な寂寥感はなんだろう。80年代から90年代半ばに掛けて、妻の Alfreda Benge と二人、半ば隠遁生活のようなものだったのかも知れない。退屈で、ある意味羨ましい身分ではある。

a0248963_14361220.jpg 80年代前半は、それでもシングル・リリースなどはあり寡作ではあったが、何年も消息が途切れるようなことはなかった。しかし、80年代半ば Old Rottenhat 以降は、殆ど情報のない状態になった。91年、唐突にフル・アルバム Dondestan が発表される。この頃には、共産党との関係は終わっていたようだが、前作と同様の傾向のアルバムで、歌詞にもその傾向は残っている。Henry Cow のような過激さではなく、自分が弱い立場になって、周りには弱く守るべき対象が多いことが判った、その優しさが故の左翼接近とすれば、共産主義の党派性の持つ教条主義、権威主義的な体質が嫌で離脱していったのか、とも思う。
 ジャケットの Robert と Alfreda が部屋の大きな窓から海を見ている絵が、このアルバムの感じをよく現している。Alfreda の絵は、Wyatt のアルバム群に統一感を与えると同時に、彼の声の「柔らかな哀しみ」のようなものを上手く現しているのではないかと思う。

 90年代半ばから、ちょっとした変化が起こってくるのだが、それはまた別項で。
 現在 Wyatt 67歳、Alfreda 72歳、平和な老夫婦。いいですねぇ。Dondestan のジャケットはまだ40歳代ですか、確かにまだ若いです、その割には枯れてます。音楽は余り枯れるのはどうかと思う、久しぶりに Wyatt の80~90年頃の音楽を聴いてみて。
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by ay0626 | 2012-10-26 11:03 | rock

その後のヘンリー・カウ 境界線を超えて フレッド・フリス

 いよいよ台風がやって来る。朝方まで風は強いものの陽も照っていたのだが、昼が近づくにつれ雲が厚くなり、ざっと雨が降り出した。これからますます荒れ模様となるようで、家の中で大人しく音楽でも聴きながら、ブログでも綴りましょう、って何時もの休日の過ごし方と変わらない。

 先日は、Dead Can Dance の新譜を購入、相変わらずのサウンドだが、その前のアルバム Spiritchaser が1996年、16年振りの作品となる。また、まだ購入はしていないが Tin Hat もニュー・アルバムをリリースしている、Carla Kihlstedt が全面的にヴォーカルを披露しているとのこと、非常に楽しみである。また、この頃一番聴き込んでいる Les Ogres de Barback ももうすぐ新譜が出るとか、ライヴ・アルバムで DVD 付きらしい、こちらも楽しみ、コレクターは止まらない、止められない!といったところ。聴く時間を確保しようと、イア・フォーンが嫌で一時聴くのを止めていたウォーク・マンを引っ張り出してきて、中身をかなり入れ替えた。通勤の行き帰りでだいたい CD 1枚が聴ける、本を読むならいざ知らず、ボ~っとうたた寝じゃ勿体無いといったところ、しかし、ボ~っとするのは時間の無駄遣いか?ある意味、最も気持ちの良い時間だったりして。

 そんなことを考えているうち、どんな時間の過ごし方が良いのか考えてみた。やはり、好きなことをしているときが最も時間の経つのが速い。それでは好きなこととは何か、例えば好きじゃなくても教育のせいで好き(といっていいのか何というべきか)になってしまうのが宗教、合理性もへったくれもないのに小さい頃から洗脳されると何も疑問を抱かず、お祈りでも寄付でもしてしまう、宗教を守るためなら戦争も・・・やっぱり好きなんでしょう、神様。もう一つ、生活の手段としての仕事、生活のためとはいえ、一日の活動時間の大半を使う、そして丁寧にしようとすればするほど仕事に使われる時間は増大する、するとどうなるか、「仕事が嫌だ」と苦痛になるので「自分はそれ(仕事)が好きなのだ」と思うことで、苦痛を減らそうとする、反対に楽しいと思えるようになる。案外ワーカホリックの精神構造はこんなだったりして。音楽が好きで、ミステリが好きで良かった、周りから見れば下らぬ趣味でもそれがあってよかった。そのため、時間を作ろうと努力(?)する、家に早く帰ろうとする、そうした自己防御による認識すり替えが起こらずに済んだのだから(難しく書こうとしている訳じゃない、短く書いたらこんな風になっただけ、言い訳がましくて申し訳ない)。

 自分が聴いている音楽家のうち、多分一番自分の遣りたいことを遣りたいように遣っているのが Fred Frith 、盟友の Tim Hodgkinson が多少肩に力が入っているんじゃないの、と思えるのに対し、こちらは自由人そのもの、アルバムの題名じゃないが、遥かに境界線を跨いでいる(1990年 'Step Across the Border' )。
 交友関係が広く、気軽にレコーディングも行うものだから CD の数も膨大、それが全て面白いという訳でもないので、紹介しようと思うのは80年代の作品、Ralph 3部作、最初の自身名義の作品 Guitar Solos 、Skelton Crew 、Step Across the Border 程度、作曲作品集や他グループ作品は割愛。今回の紹介は、Art Bears 以降の最初のプロジェクト、Ralph 3部作のご紹介。

a0248963_16434728.jpg 80年代初頭、Frith はArt Bears の演奏と平行して RIO を通して関連の出来たバンドと共演を行った。その最初の成果が80年リリースの Gravity。所謂 Ralph 3部作の第1作、Ralph とはレコード・レーベル名で、Residents のレコード会社、アヴァンギャルド系の音を多くリリースしており、日本人でも立花ハジメ(テクノ・バンド、プラスティックスのギター)がここから LP を出している。
 LP でいえば A 面が Zamla Mammas Manna との、B 面がアメリカのRIO バンド Muffins とのコラボレーション、またこれもベルギーの RIO バンドの Aqsak Maboul のリーダー/アルト・サックス奏者の Marc Hollander が全面的に参加、RIO 祭みたいなもんである。お祭らしく、民族的なメロディーや躍動感のあるリズムなど、批評家はこのアルバムを 'an avant-garde "dance" record ’ などと言っている。確かに Zamla の Lars Hollmer のアコーディオンなどダンスの感じをよく醸し出しているし、Frith のヴァイオリンも異国風な感じではある。
 Muffins はアメリカの RIO バンド、70年代中盤から80年代初頭に掛けて活動、長い中断期間を挟み90年代末に復活、それ以降コンスタントに活動している。初期にはメンバーも変わったが、ギター・レスのカルテットの固定メンバーとなっている。
 Frith の作る音楽には何となく軽味があって、そのためアヴァンギャルドであってもあれだけの数の CD をリリースし、そこそこの人気があるのだろう、風貌通りの人なのではないか。自分が彼の音楽に突っ込まない(突っ込めない)のは、その軽さ、ボーダーレスな感じに付いていけない部分があるからかも知れない。
 CD リリース時(自分が持っているのは1990年 ESD 盤)、6曲が追加で収録された。Henry Cow のWestern Culture のアウトトラックや Art Bears の Hopes and Fears 収録曲、Aqsak Maboul の Un Peu de l'Âme des Bandits の収録曲、Skelton Crew の Learn to Talk 収録曲など。

a0248963_1644966.jpg 次が81年リリースの Speechless 。LP では、A 面が Etron Fou Leloublan との、B 面は Frith 自身もメンバーである Massacre の演奏(B 面はソロでの作品も多く収録)。CD 化に際し、6曲が追加され、その部分は正に混沌状態。Frith も 盟友John Zorn 同様の親日家で、日本の様々なコンピレーション・アルバムに音を提供しているが、追加曲のうち2曲がそれ。17曲目の No More War なんていう曲は「おかあちゃ~ん」という叫び声が何度も聴こえます、変な曲。
 A 面の Etron fou 、Frith の作品を演奏しているせいか案外まともで、彼らの弾けた感じがない、4曲目に若干その片鱗が見えるか、といったところ。Etron fou は4枚目 Les Poumons Gonflés 、6枚目 Face Aux Éléments Déchaînés が Frith のプロデュースによるもの、またベースの Ferdinand Richard は共同名義のアルバムを出しており、関係は強固なものがあった。
 B 面の Massacre の面子による曲は、ニューヨークの CBGB でのライヴから、前に紹介した Curlew のファーストのライヴもここで同時期に行われたもの、ゲストで Curlew のリーダー George Cartwright が参加している。

a0248963_16443534.jpg 3部作最後のアルバムが Cheap at Half the Price 。殆どの楽器を一人でこなしたその名の通りの 'ソロ・アルバム'(とはいっても Bill Laswell と Tina Curran が1曲ずつ参加しているが)、自宅での録音。前作でも何曲か全部自分で演奏というのがあったが、本作はそれを全面的に展開した。
 このアルバムの一番の特徴は、聴き易さ、のっけからあまり上手くもないヴォーカルが入り、何曲かはヴォーカル入りというのも今までにない試み。あまりに薄っぺらい感じで、題名通り『安いよ!半額だ!』、発表当時評論家諸氏もその"apparent simplicity"に当惑したという。
 Gravity のところに書いたが、Frith には非常にポップな面があり、様々な境界線を軽々と超えるうち、ポップ領域に踏み込んだのがこの作品ではなかったか。ちょっと異色ではあるが、決して嫌いではない、よく聴くかと問われれば、そんなでも・・・とは言ってしまうが。
 CD では追加で2曲収録、1曲は Curlew のセカンド North America 収録曲、もう1曲はコンピレーション提供曲、あまり追加の意味はなさそうな気がする。

 Henry Cow 関係、あと残すは Chris Cutler 御大のみとなりました(とは言っても、各人の紹介のパート2、場合によってはパート3までは必ずやりますが)。昔の音楽ばっかりじゃん、って・・・当然です、なんたって自分はオヤジなんですから(と開き直り)。
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by ay0626 | 2012-09-30 13:50 | rock

ゴシックからドリーム・ポップへ コクトー・トゥインズ

 台風が来るとかで、気温はそう高くもないのだが蒸した感じがして気持ちの悪い天気だ。こんな天気なのでポップな音楽を聴こうとして掛けたのが Cocteau Twins 、それでは最初のアルバムから、と思って Galands を聴き出したら、これはゴシック調、心は晴れませんでした、はい。

 先週は、自民党の総裁選があって安倍元総理が目出度く選出されたが、どんなに面倒な仕事でも局面でもトップに立ちたい人はいるもので、そうでなければ組織なんぞは成り立たない、それは重々承知はしておりますが、自分から見ればそのメンタリティーは全く理解出来ないのである。
 それはどの世界にも言えることで、例えば日経団連のお爺さんたち、70歳になってまでネクタイ締めて、天下国家を憂い、資本主義の大義なぞのたまわって、誰も期待なんかしていないのに、自分がやらなきゃと張り切る。好きだから仕方がない、やりたいからやっている、それが明々白々なのに「皆さんの声に押されて」などと、あたかも自分だけがその任に当れるから当然だろう、みたいな言い回し。
 まあ、組織のトップなぞ、それなりの実力が要るのも当然であるが100人の人がいれば25人くらいは出来る、ある意味それなりの力を持っていれば出来るもの(力がなくても部下にそれなりの力があれば組織は成り立つ、徳川幕藩体制やオスマン・トルコの例を引くまでもない)。あとは最高の運と「なりたい!!!」という強烈な意志、多分それだけ。そしてトップに上り詰めれば、三越の某会長のように女にトチ狂い異常な恐怖政治でもやれば突然解任されてしまうこともあるだろうが、余程の酷いことをやっても組織のヒエラルキーは強い、部下の多くの受忍範囲は広めに出来ているので(政治家はここら辺ちょっと違うかも)、「馬鹿だ!アホだ!」と罵倒されても、大抵は我慢してくれるもの。思うのだが、トップに上り詰めるだけの運でなく、その組織全体に対する運を運んでくる人(判り難い言い方になったが、簡単にいえば、会社業績が良くなる運、念の為にいうと「良くする運」じゃありません、政党でいえば政権党になれる運)がトップであって欲しい、そうすれば部下の受忍範囲はぐっと広まります、ハイ。
 早く定年にならないかなぁ、とは50歳を過ぎてからの口癖、ごろごろするのが本当に好きなんです。

 と話はあっちこっちに行くわけですが、話題は冒頭に戻って Cocteau Twins 。80年代前半から90年代中盤に掛けて活動したイギリス・スコットランドのバンド。ゴシック系からヘヴンリィ・ヴォイス、ドリーム・ポップと呼ばれるような音楽へと変容するサウンド。
 やはり、デビュー直前にブームとなったパンクの影響はあるようで、EP としてのリリースが多いのが特徴か。単調といえば単調な音楽なので、いいとこ緊張感が続くのも15分から20分程度ということですか、違いますか、ああそうですか(ファンの皆さん、すみません)。
 盤元の4AD は、Dead Can Dance をもう一方の看板に据えたレーベルである、ジャケットは両バンドともなかなかのもの、23 Envelope というアート・チームが作成している、よく見ると意味がありそうで、あまりないんじゃないか、見る人次第というところか。

a0248963_14425985.jpg 最初のアルバムは、82年の Galands 。この時のメンバーは Elizabeth Fraser (vo)、Robin Guthrie (g, b, drum machine)、Will Heggie (b)。靄の掛ったような音像、ジャランジャランとかき鳴らされるギター、動き回る変なラインを紡ぎ出すベース(このベースはかなり良い)、直ぐに声が裏返しになるヒステリックともいえるヴォーカル。このアルバムは、ゴシック系といわれるようにかなり暗くて重い音を出しているが、あくまでポップの範囲、例えば Univers Zero のような暗さや重さとは質が違う、そうでなければ売れる筈がない。
 確かに Fraser 嬢の声はなかなかのもの、何を歌っているか判らないのは発音上の問題であって、レーベル友達の Dead Can Dance の Lisa 嬢のように異言( 学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象 ~ wiki から。まあ、イタコみたいなもん)ではありません、英語を知らぬ人が聴けば大きな違いはないが。このアルバムでは声が裏返り捲くり、そのときについでに白目まで剥いていれば、多分彼女の面貌と相まってイタコのように見えたかも。
 ドラマーがいないためパーカッション部分はドラム・マシーンだが、あまりに音がショボい、スネアがポンポンいうのを聴いていると哀しい気分になる。バンドが貧乏で良い機材が買えなかったか。

a0248963_14433632.jpg 次のリリースは、82年の EP Lullabies、3曲入り16分ほどの作品。前作と同じメンバーで、路線も同じ。3曲目の It's All But an Ark Lark 、8分を超える大作で聴き応えあり。
 ジャケットの色、デザインとも出色。4AD の多くのアルバムを特徴付けるこのジャケット・デザイン、グラフィック・デザイナーの Vaughan Oliver と写真家の Nigel Grierson のチーム、23 Envelope によるもの。



a0248963_14435720.jpg 続いてのリリースも EP Peppermint Pig 、93年のリリース。12インチ盤では3曲収録、9分半ほどの作品。若干の変化は感じられるが、ほぼ前作と同様の路線。何故、ペッパーミントの豚が温泉に浸かる女性なのか、誰にも判りません。







a0248963_14442380.jpg 93年、2枚目のアルバム、Head over Heels 。このアルバムからベースが抜け、Fraser 嬢と Guthrie 君の2人体制に。ベース・ラインは相当大人しめ、というか面白みはなくなった。
 音の採り方は前作と大きく異なるところはないが、Fraser 嬢が伸びやかに歌う曲が増え、その後の天国的美声路線への傾向がはっきり見える。この次のリリースとなる EP の劈頭を飾る Sugar Hiccup が代表だが、8曲目 Multifoiled や9曲目 My Love Paramour などもこの路線。また、7曲目の The Tinderbox のパーカッションや9曲目、10曲目 Musette and Drums のギターの使い方など曲構成にも新たな試みがなされている。ドラム・マシーンも前作の一聴それと判るようなチープさはなくなった。

a0248963_14444965.jpg 同年発表された EP が Sunburst and Snowblind 。前作の3曲目Suger Hiccup から始まる4曲14分半の作品。ゴシックからドリーム・ポップへ、正に途上といっていい。









a0248963_14451454.jpg シングルだとか12インチEP などはアルバムと違い、直ぐに廃盤になってしまうし、日本では相当有名なバンド以外全部がリリースされることがない。そういう意味で EP を多産するバンドはファン泣かせ、コレクター泣かせといっていい。Cocteau Twins もご多聞に漏れずコレクター泣かせのバンドであったが、2005年に Lullabies to Violaine として全ての EP 、シングルが4枚組のセットとして纏められ、その後2枚組2セットに分割、未だ現役盤となっているのはご同慶の限り。出来れば、EP・シングルのジャケット写真を全て収録して欲しかった。

 コレクションでは、異色のバンド。しかし、あまりに色々の音楽を聴いているので、このバンドに違和感を感じることはない。さて、次に聴くのは武満徹の『地平線のドーリア』でも。
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by ay0626 | 2012-09-29 12:52 | rock

その後のヘンリー・カウ 形式だけはパンク ザ・ワーク

 テレビでは、中国のデモばかり。自分の勤めている会社でも相当数の駐在員を置いているので、心配な状況だ。
 それにしてもよくあれだけのことをするものだ、日本人は一部の(それを商売としている)方々を除きデモを行うこともない、これが1960年代であれば少しはフィーヴァーしちゃったのかも知れないが。社会が成熟してきていること、まだ外国人が少なく外資系企業も目立つほどではないこと、などが主な要因とは思う。曲がりなりにも民主主義が定着し、前回で経験したように投票で政権が変えられることも大きいだろう。民主主義がどの政治制度にもまして良い制度だとは考えにくい、しかしながらそれ以上の有効な制度が見つからない以上、騙し騙しその制度の向上を図るしかない訳だ。国民がそれなりに考え判断できるような民度の国は、やはり民主主義的な方向しか進むしかないのだろう。
 例えば宗教を基礎においた国家に民主主義が根付くかと言えば多分難しいだろう。民主主義でない国家に民度を上げることも出来ない。宗教は、自分で考えず神様を盲目的に疑うことなく信仰することから始まるし、民主主義でない(つまりは暴力以外に政権から追われることのない)国家の首脳が考えるのは自分たちの特権の維持と被支配層からの富の搾取だけだ。民衆は踊らせるもの、躍らせて言うこと聞かなくなれば、天安門事件のように戦車で潰してしまえばよい。心優しい趙紫陽さんは、そういう国家には相応しくない。
 中国のデモを見て驚いたのは、未だ毛沢東の写真が出てくること。外国人なら知っている(勿論自分も知っている)、彼が大躍進運動展開によって餓死者を大量に発生させた、文化大革命発令による社会の遅滞を引き起こした張本人であることを。教えないということは怖いことではある。まぁ、豊臣秀吉の出世物語は喧伝されても、自分の子(秀頼)が生まれた後、弟の秀次に言いがかりを付け、彼の一族、女子供を含む39人を皆処刑した事実も教えない(文献に書かれたことまで隠すことはないが)、それと同じですか、ああそうですか。

 70年代後半、パンク・ロックが一時隆盛を極めた、何に怒っていたんだろう、頭を逆立てがなりたて、スリー・コードの単純な音楽、反体制のための反体制、すぐに終わってしまった、しかしヴァージン・レコードには莫大な利益を齎したムーヴメント。Henry Cow のアルト・サックス、キーボード奏者、インテリ・エリート Tim Hodgkinson がその形だけを真似して見せたのが The Work 、1980年の結成である。

a0248963_16505542.jpg 81年に最初の The Work 名義の作品 EP ’I Hate America / Fingers and Toe / Duty’ を発表(Megaphone でCD化された際に Houdini と併せ追加収録された)。バンドはこの後、オランダ、ベルギー、スイス、スエーデンなどをツアーし、ドイツのボンで RIO フェスティヴァルに出演。そのときに共演した Catherine Jauniaux をゲストに、最初のアルバム Slow Crime を1982年の発表する。
 この The Work 、Tim Hodgkinson の言に依れば、「極力テクニックを排除した、若手中心のバンド」という。確かに Tim は本業のアルト・サックスは殆ど演奏せず、主にフラット・ギター(ハワイアン・ギターという奴ですな)と甲高いリード・ヴォーカル(このアルバムでは殆ど「叫び」といって良いほど、ライヴ盤でもこんな歌い方、よく喉が持ったな、という感じ)を担当、今までの経歴を捨て、新たな挑戦という雰囲気ではある。
 メンバーは、Bill Gilonis (g, euphonium, sampling, vo)、Mick Hobbs (g, b, drums, ukulele, recorder, midi-horn, vo)、Rick Wilson (ds, bass, vo) で当時名を知られた者はいない、この内唯一 Wiki で記事のある Gilonis の生年は58年とあり、結成当時22歳くらい、Tim とは10歳近い年齢差がある。Tim のバンド紹介の言葉に偽りはないように見えるが、このバンド良く聴くと複雑な変拍子など軽々と演奏しており、聴こえる通りの唯のパンクという感じではない。Tim のインテリ・エリート(何度も書くがケンブリッジ出の秀才なのだ)としての音楽に対する考えがついつい滲み出てしまったのではなかろうか。
 本作のゲスト・ヴォーカリスト Catherine Jauniaux はTom Cora の嫁さん、3曲参加している。Cora が亡くなったとき、前衛音楽仲間が Catherine と彼らの子供を助けるためチャリティー・コンサートなどを行ったのは有名な話、アヴァンギャルド・ミュージシャンも頭の芯までオカしくはないのである。

a0248963_16511931.jpg 次に日本へのツアーが決まっていたところで、Wilson がインドへ行ってしまう、Hobbs はバンドの方向性で意見対立、脱退と空中分解。困って、Chris Cutler と Amos (b) に頼んで一緒にツアーを廻って貰った。このアルバム Live in Japan は、82年6月29日大阪厚生年金会館中ホールでの記録。
 ホールの中ほどでカセット・テープで録音されたものという、その割には音は良い、デジタル・マスターリングの Udi Koomran (Present や Dave Kerman / 5uu's の音響処理を担当したイスラエル在住の人、ユダヤ人?) の腕のお陰か。
 殆どファースト・アルバムの曲で占められた本作、やはり Chris Cutler の手数の多いドラミングは聴きもの。最後にソノシート版 'I Hate America (live version)' がおまけで付いている。ずっとCD化されず、2006年にやっと日の目を見た。

a0248963_16514088.jpg この後、長い沈黙期間に入るのだが、The Work 復活の直前89年に The Momes (古語で「ばか、うすのろ」の意)名義で Spiralling というアルバムが出ている。メンバーは Hodgkinson 、Mick Hobbs 、Andy Wake (ds) 。録音場所は、お馴染み Cold Strage 、エンジニアに Charles Bullen という This Heat 体制。
 演奏は The Work に良く似ており、Hodgkinson のこの手の音楽に対する興味が一時的でなかったのが判る。音は良くない、音楽の弾け具合もそれほどでもないため、あまり聴くことのないアルバムである。

 怒りなのか、ちょっと他人の尻馬に乗ってしまったら楽しくなったか。集団心理みたいなものは必ずあり、自制ができないのは困ったもの、国家が絡むと振り上げた手を下ろすこともままならないようで。パンクの波も短かった、冷静になるには民度が必要、それはいつのことか。
 The Work 復活後の3枚のアルバムはそのうちに。
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by ay0626 | 2012-09-17 13:17 | rock

キワモノっぽいプログレあるいは「お水」ロック カーヴド・エア

 先週久しぶりに本を読んだ。一時、通勤の電車の中で何冊か読んだことを書いたが、今年の夏が暑かったせいかどうか、8月も後半となると出張時を別とすれば、20数分間の電車は格好の「うつらうつら」の時間に成り果てた。暑いとどうもだるくなる、これも歳のせいか、歳をとるのも悪いことばかりではないが、体の衰えは如何ともしがたい。特に目が悪くなってくると読書もしたくなくなる、これが一番残念。
 読んだのは、三津田信三さんの『ついてくるもの』、久々のホラー短編集だが、一編だけ刀城言耶シリーズの「椅人の如き座るもの」が入っている。当面刀城言耶シリーズの短編集が出ないため、ノンシリーズの本作に入れておきましょう、ということか。また、刀城ものが纏まる際には再収録をお願いしたい。
 ノンシリーズの6編は、全て著者が聞いた話を纏めたという体裁を採っている。それぞれなかなか怖いのだが、例えば「夢の家」「ついてくるもの」「祝儀絵」などは、「あんなことをするからだ」とか「あれを見てしまったから」と怪異の根源となるものが判っている。それに比べると「ルームシェアの怪」や「裏の家の子供」などは、普通の生活にすっと滑り込む「得体の知れない何か」、不条理感を伴う怖さがある。「ルームシェア」は本集中特に好きな短編で、何時から怪異が始まったのか、もし主人公が怪異を怪異と思わなかったらどうなっていたのか、考えれば考えるほど怖さが増す。
 「八幡籔知らず」は、『蛇棺葬』『百蛇堂』に出てきたお馴染みの化け物の物語、『蛇棺葬』の忌み山に感じが似ている。日本人の言葉に対する感覚と畏怖が上手く描かれていて、特に「無女森」「樅山」の謎解きなど、例えば昔読んで興奮した織田正吉氏の『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』を思い出させる、日本語ならではの言葉遊び(遊びというには怖いが)。
 「椅人の如き座るもの」は、阿武隈川と偲のやり取りは笑えるのだが、肝心の謎は薄味でちょっと引き伸ばした感じ。纏まった短編集の中であれば箸休めにもなろうが、こうした短編集の中では浮いた存在にしか見えない、ちょっと残念。

 併せて『泡坂妻夫引退公演』を購入、驚くなかれ4,830円!久しぶりに高価な本を購入しました、あまり躊躇せずに。解説というか編者の新保博久氏が「値段以外は喜んでもらえるだろう」と書いていたが、あまりにもその通りです。泡坂さんはデビュー作の「DL2号機事件」の雑誌掲載時からずっと読んでいて、唯一購入しなかった著作は『春のとなり』だけ、というコアなファン、買わぬ訳にはいかないでしょう、未だ読んではいないが。

 と読書報告が長くなりました。今回は、70年代B級プログレ、Curved Air 。ヴァイオリン入りのクラシカルなスタイルに美貌のヴォーカリスト、といえば聞こえは良いが、音を聴けばやはりB級プログレの位置は動かずというところか。いえ、Sonja Kristina さんは美しいです、「お水」っぽいですが、それだけは間違いありません!

a0248963_15494186.jpg 最初のアルバムは、Air Conditioning 、1970年発表。この時のメンバーは、Sonja Kristina Linwood (vo)、Francis Monkman (kbd, g)、Darryl Way (vln, kbd, backing vo)、Rob Martin (b)、Florian Pilkington-Miksa (ds)。このうち Monkman が王立音楽院、Way が王立音楽大学とクラッシク畑の有名校出身が2人もいた、まあ Gentle Giant の Minnear 君もGryphon の Harvey 君も王立音楽院の出身だったから、特に言うことはないかもしれないが。近頃は、昔ほどロックが売れることもないので、またこ難しい音楽は売れないので、クラッシク畑からのポピュラー進出は少なくなったのかも知れない、閑話休題。
 Monkman は、このアルバムではギターを弾き捲くってはいるのだが、あまり魅力はない。Way もクラッシク出身が丸判りの奏法で、ちょっとロックらしくない。加えて Sonja 嬢の声も細く、元々はフォーク・シンガーというのも頷ける。また楽曲もポップよりで、そんなに魅力的でもない。とないない尽くしみたいだが、B級的に纏まっているといえば纏まったサウンドと、当時は珍しかったプログレの女性ヴォーカル、それもかなりの美貌となればそこそこ売れてもおかしくはない。
 しかし、Sonja を前面に売り出した割には、長いインストルメンタル(5曲目の Vivaldi )を入れたりして、不思議な作りではある。

a0248963_1550096.jpg 2枚目は、その名もずばり Second Album 、1971年。ベースが Ian Eyre に交替している。
 最初のアルバムでは、Sonja 嬢は殆ど楽曲作成には関わっていなかったが、今作から大きく関わり出す。 LP では A面が Way の作品で、B面が Monkman の作品となっていて、Monkman の弾けた感性というか、アヴァンギャルドさが表に出てくるようになった(特に8曲目など)。
 1曲目は、前半にヴァイオリンの、後半にシンセサイザーのソロ、シンセはちょっとは古い感じもするがそれなりに聴かせる。2曲目は、全英4位のヒット曲ということらしい、佳曲ではある。
 演奏面でも落ち着きが出てきて、歌ものを中心とした、ジャケットのパステル調のデザインに似合った出来となっている。

a0248963_15502171.jpg 3枚目が最高傑作との声も多い Phantasmagoria、1972年。ベースがまたまた替わって Mike Wedgwood へ。
 最初の曲 Marie Antoinette は多分彼らの曲のうち最も有名。Monkman はキーボードを叩いているうちは良いのだが、ギターとなると魅力半減、ちょっと煩い感じになる。2曲目の Merinda (More or Less) も売りの一つ、Monkman のハープシコード、Way のヴァイオリン・ソロ、ゲストのフルートも良く、英国フォークの美しさ満開といった感じ。4曲目はヴァイオリン前面に打ち出したインスト、5曲目はヴィヴァルディをシンセで引き倒した1st の Vivaldi への返歌。表題曲 Phantasmagoria はオルガンをフューチャーした曲、次はシンセ処理された声などで構成されたアヴァンギャルドな曲、Monkman の趣味丸出し。本集中もっとも長い Over and Above はヴァイブラフォンやホーンも入ったジャズ・ロック風。ヴァラエティーに富んでいるといえば良いのか、弾けすぎというべきか、まあ聴いていて飽きることはない、複雑なインスト部分と愛らしいヴォーカル部分の対比が微妙、傑作といわれれば傑作に違いない。
 学生時代、銀閣の近くに下宿していた友人が好きだったアルバム。その友人、頭は良いし人柄も良いのだが、あまりに外見に拘らなさ過ぎた。雀の巣のような髪の毛に剃り残した髭、襟の擦り切れたシャツ、当時は珍しかった短パンにビーサン姿、このアルバムを聴くと彼のことを思い出す。

 70年から80年に掛けての音楽は思い出が一緒についてくる、純粋に音楽だけの楽しみにならないのは良いのか悪いのか。悪くはない、多分。
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by ay0626 | 2012-09-16 14:09 | rock