50年もやってます、チーフタンズ
自分の子供は、まともにピアノも習わなかったが(保育園の頃、数年音楽教室に通って、最後はどうにも行きたくなくて、体が固まってしまったほど)、中学校の頃からゲーム音楽に嵌り、自分でコンピュータを使って作曲をするようになった。好きになると熱中する方なのか、最初はコンピュータ専門学校でいいや、と言っていたのだが、高校3年になって「専門学校なんて碌なところじゃない、大学へ行く」と言い出し、それからまたピアノも習い始め、声楽の先生にも指導を仰ぐことになった。まともな音楽教育を受けた訳でも無いので、芸大系は無理として、教育系の音楽専攻を受けることとし、それなりに勉強はしたようだが、半年ほどのピアノ再練習で受かるほど甘くなく、1年後の再受験で目出度く合格した。やっぱり、好きなことじゃないと続きはしないし、身も入らないということと思った次第。
大学に入ると、オーケストラに入り、チェロを買って(幾らか払わされました、はい)のめり込み始めた。それなりに話をする機会は多くて、音楽関係は好きなジャンルは違えど、共通の話題として良く話した。
その中で「面白いな」と思ったことがあって、それは「演奏家」と「作曲者」の違い。子供が言うには「演奏家というのは、どれだけ上手く演奏が出来たかが『価値』。素材としての曲についてはあまり興味がない。現代曲であろうと、古典であろうと、ポップスであろうと、そこに書いてある通りの音を如何に上手く演奏するか、が一番の『価値』」。ふーん、上手いこというな、と思ったもんだ、例えば有名なピアニストが現代曲でも古典曲でも同じように演奏出来てしまうのも、そんなもんかいな、と言うことで。
それでは「作曲者」とは?「意見を言いたい人。自分の好きなことを意見表明すること」、これは良く判らんところもあるが、そんなもんか、まあそんなところだろうと思った。
それでは、作曲家兼演奏家たるロックやジャズ・ミュージシャンはどうなるのか。作曲家から、舞台に上がれば演奏家に一瞬のうちに変化してしまうのだろうな、いわゆるパラダイム・シフトっちゅうやつ(ちょっと大袈裟か)。
話が大きくずれた。Chieftains に話を戻す。彼ら、特に Paddy Moloney は、作曲は控えめだが(編曲には大きく関わる)、自分はケルト音楽が大好きだ、と精一杯意見表明をしながら、最高の演奏をしようと(客のため?自分のため?)日々努力をした(苦もなく、多分)した人だと思う。それに加えてオルガナイザーとしての才能、1987年のRCA移籍以降の、ヴァラエティーに富んだゲストとそれに上手く合わせたアルバム構成には注目すべきと考える。作曲家と演奏家の、どちらかと言えば、楽器の制約もあって、演奏家に傾いた人のようだ。
1964年の最初のアルバムがこれ。ジャケットの絵がなんとも渋くて良い。Atlantec でリマスターされ、音も50年近く前のものと思えないほど。このときのメンバーは5人。何とも素朴な感じで、演奏もソロやデュオ部分が多く、厚みのある演奏ではないが、その分楽器の音が良く判る。
Paddy Moloney の Uillean Pipe とは、バグ・パイプの一種でケルト特有の楽器である。袋に空気を入れ、それによって音を出すことはバグ・パイプと同様だが、口で空気を供給するのではなく、肘を使う。Sean Potts の Tin Whistle は小型の縦笛、ケルト音楽では最もポピュラーな楽器のひとつ。Micheal Tubridy の Concertina は小型のアコーディオン。ということで、ギターやズブーキのような撥弦楽器はない。
Chieftain 2 は前作から5年後、1969年作。随分と合奏において厚みが出た感じ。今作から Fiddle に Sean Kean が加わり6人編成に(Bodran担当も Peader Mercier に交代)。曲のクレジットにある double jig とか slip jig、air、leels と言った表記は、ダンスの種類を表し、例えば slip jig であれば 9/8拍子のダンス・ミュージックのこと。聴く分には、あまり関係ないけど。
Chieftains 3 1971年。前作と同様のつくりだが、一部にヴォーカルが入っており(Pat Kilduff の lilter と表示)、ちょっと守備範囲が広がったかな、と言う感じ。演奏テクニックはかなり凄い。特にフルートの音など1に比べると、段違いに上手くなっている。この頃になると音楽だけで食べていけるようになったのか、演奏に風格と言うか凄みというか、そんなものが感じられる。
次の Chieftains 4 に初めてDerek Bell が加わる。圧倒的な存在感を持つ Bell のハープは、これ以降の Chieftains の演奏に相当の色彩感を与えることになる。Bell は写真を見ても堅物の変人に見えるが、実際もその通りの人だったようで、だらしない背広と短か過ぎるズボンを履いて、必ずネクタイをして演奏したとか、エキセントリックで下品な冗談が好きだったとか言われている。その割りに人に嫌われることなく、死後追悼アルバムに沢山の人が参加しているのを見ても、変人だが愛される人の典型か。音楽的には、正規のクラシックと楽器演奏の教育を受けていて、演奏は加入時から安定している。
Chieftains 5、Chieftains 6 は、アイルランドの Claddagh Records のみのリリースで手に入り難い。値段も、他のメジャー・レーベル作品がアマゾンなんかでは1枚700円くらいで手に入るのに、2,000~3,000円もする。音楽の質は変わることがないのに、この値段差は何だ!と言いたくなるが、これも需要と供給の悲しい関係と言うことで・・・。
Chieftains 5 は、1975年作品。出だしから Bell の Tiompan (ハンマード・ダルシマーのこと)炸裂で、他にもオーボエなど披露して、正規メンバーとしての存在感はいや増す。曲もノスタルジックな Summertime,Summertime など心に残るナンバーを置き、ダンス曲のみから脱却しようとしている感じ。
Chieftains 6 は、1976年作品。このアルバムから Peader Mercier が抜け、Kevin Coneff が加わる(まだゲスト扱いだが)。ヴォーカルとして、Dolores Keane が参加、この人は良くは知らないけれど、かなり有名な歌い手のようで、wikiなどにも記載がある。
ということで、Claddagh 時代のアルバムも、これでやっと半分。RCA にも沢山の録音があるし、Derek Bell 追悼盤が出て、これでアルバムもお仕舞いか、と思ったら2010年、12年にも新録が出るし、元気な爺さんたちにもう少し付き合おうかな、というところで。