冥い波、ブラック・テープ・フォー・ア・ブルー・ガール
政治の世界を見ても、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根など、80年代を殆どこの3人が新自由主義の名のもと、安定的に政権を維持し、ソヴィエト連邦を「悪の帝国」などと非難していた。まだ、中産階級という言葉が残り、「一億総中流」とか言われていたのもこのころだ。一方、ソ連は、アンドロポフ・チェルネンコといった老いぼれ書記長が何の手も打てずに病気になり、あるいは死に、崩壊の前兆は今見れば明らかとしか言いようも無い。
多分、新自由主義に工学の確率論的な知識が金融に適用された金融派生商品(いわゆるデリヴァティヴというやつ)が引っ付くと、儲けた者勝ちの世界が生まれるのだろう。オプションだのスワップだの、80年代半ばから盛んに言われだした。この後、90年代に入ると日本はバブルの後遺症で「失われた10年」が始まり、ヨーロッパやアメリカでも、富裕層と貧困層の分化が激しくなる。もともと、この頃は儲けた奴が経済を引っ張り、景気がよくなれば雇用も増え、社会全体が良くなると思われていた、そのため富裕層の減税がなされた。ところがどうだ、雇用など増えるわけも無く(一般庶民に金融工学の知識などある訳が無い)、一部の富裕層はやたらと金を持つ一方、そうでない人たちは、将来不安のために財布の紐を硬く締める、景気が良くなるわけも無い。ということで、80年代があって、現在に至る訳。
しかし、妙に明るくふわふわとした80年代は、自分が社会人になった年代と言うこともあって、そんなに悪い印象はない、どころか良い印象なのだ。前にも書いたが、その頃の会社など、皆夜遅くまで働いてはいたが、そうしなければ仕事が片付かなかった訳ではなく、何となく居ちゃった訳、OLなども完全腰掛状態だったので、決められたことを決められたようにやっていれば、それで良かった。従ってメンタル障害などになりようもなく、職場は奇妙な明るさに包まれていた。そんな10年が社会人スタートの10年だったのは喜ぶべきか、悲しむべきか、少なくとも就職にこんなに大学生があくせくしなければならない今より、ずっと良かったと思うべきだろう。
この80年代中葉、イギリスでは4ADの Cocteau Twins だとか Dead Can Dance など、Goth や Ethereal 系の始祖みたいなバンドが登場し、それに呼応するかのように86年には、ここで取り上げる Black Tape for a Blue Girl が Sam Rosenthal によって組織される。時代の変な安定感を象徴するかのような、ふわふわとした浮遊感や(Dead Can Dance に特に強く感じられる)フェイク感満載の音楽といっては失礼に当たるか(感想を述べる者は、どんな感想を述べたっていいとは思っているが)。
1986年の第1作が The Rope。25周年記念なのか、昨年目出度くトリビュート盤1枚を付けた2枚組として再発売された。Black tape for a Blue Girl (あんまりに長い名称なので以下、Black Tape と略す)は、Sam Rosenthal のプロジェクトとして組織されたもので、曲毎にメンバーが入れ替わる。変わらないのは、Rosenthal のエレクトロニクス操作で、波のように強弱を付けた電子音がずっと曲の背景に流れ、その上にヴォーカルやアコーステック楽器の音が乗る。ヴォーカルに何らかのエフェクトが掛けられることはないが、楽器にはそれなりに操作が加わっている模様。
お前は、電子音嫌いだったんじゃないか、と言われれば、その通り、と答えるしかないが、ここでの電子音の使用は、通奏低音のように雰囲気を作り出すためだけに使われるケースが多く、潔いと言えば潔い使い方であると言える。
wiki を見ると、Black Tape の活動を主たるヴォーカリストに合わせ3期に分けている。1作目から7作目が Oscar Herrera era に当たる。この期間、86年から99年に掛けて、ちょっと何でも長すぎるやろ・・・とは思うのだが。
このアルバムには、パーカッションがかなり入っており、2作目以降より躍動感には富むが、Dark-Wave として見ると、抑揚は抑えて、という感じか。しかし、Oscar Herrera の声が美声系の朗々とした歌唱なので、全体雰囲気からすると、これ自体違和感あり、とも言える。聴いているときは、そんなもんかな、と言った感じで聞き流している。
2作目が1987年の Mesmerized by Sirens。Sam は文学にも造詣が深いようで、ジャケット・ブックなどにいろいろな文章が引用されて、それがもしかすると音楽の深さに影響するように出来ているのかもしれないが、こっちは英語を苦労して読む耐性もないので、そこの部分は捨象して。
本アルバム以降、数作に亘ってギターとヴォーカルの Sue Kenny-Smith が正規メンバーとしてクレジットされる。このお姐さんのヴォーカルも、Oscar 同様、はっきりくっきりの声質で、後ろのアンビエントなエレクトロニクス音とは若干の違和感がある。もっとも、Sam 氏はそれを狙って布陣を組んだのかも。
3作目、1989年 Ashes in the Brittle Air。4作目、1991年 A Chaos of Desire。ここら辺まで来ると、もう落ち着き具合やサウンド構築の面では、ほぼ確立されてしまい、何を聞いても同じという状態。それでも、何とか聴かせてしまうのは、効果的に使われる生楽器の音色。特にクラリネットは効果的で、非常に気持ち良く聴ける。エレクトロニクスと生楽器の組み合わせは、作品毎に進化している。
これもヴォーカルの感じを別とすれば、昼寝にはもってこいの音楽。世の中では、耽美的とか暗いとか言われるが、自分にとってはアメリカ的な明るさを感じる部分もあり、そんなに畏まって聴くような音楽じゃない、むしろ喫茶店でBGMとして掛かっていてもおかしくはないと思う。まあ、アルバム名は、「海の精に魅了されて」、「壊れやすい空気の中の灰」、「欲望の混沌」だから耽美と言えば耽美なのだが。
この音楽プロジェクトを聴くようになって、4ADの Dead Can Dance 、Cocteau Twins などに手を伸ばすと同時に、Unto Ashes や Amber Asylum といった辺境にまで足を踏み出すことになった次第。そういう意味じゃ、50過ぎて Cocteau Twins なんで聴き始めるバカなんてそうそう居ないかも、いいじゃない、新しい音楽に興味を持つことに年齢は関係ないだろう。