その後のヘンリー・カウ 美貌の社会運動家 リンゼイ・クーパー
宗教にはそれなりに興味があって、本はよく読む、人間の生き方を教えてくれる有難い経典ではなく、その成り立ちの社会的思想的背景が何であったかというようなことが判るような本が好きなのだ。『ふしぎなキリスト教』でも『日本の10大新宗教』でも言っていたように、宗教は世の中が終わってしまうというご託宣を梃子にして信者を増やすというところがある。何故世の中が滅びるのか、それは人間誰にも嫌なことがあって「世の中なんか滅んじまえ」と思っているからだ、そう思っている人に限って「他の人は滅んでいいけど、自分だけは消滅したくない」と思うのであって、そうならば自分で自分が滅びないようにすればいいのだけれど、そこまでの努力はしたくない、それじゃ神様にでも頼んでみようか、ということになるのではないか。考えもせずに何かに縋る人たち、宗教家じゃなくて宗教屋にとってそれ以上美味しい獲物はいない。
小林泰三はデビュー当初から読んでいて、その生理的な「嫌さ」を楽しんできたのだが、この『セピア色の凄惨』は論理の暴走が嫌さ感を募らせていく。4編の短編で構成されていて、全体が連作となっているのだが、後半に行くに従ってその暴走具合は加速し、最終編の「英雄」の落ちがああなるとは、ただただ唖然とするばかり。読んでいる内は、その論理が「間違った方向に正しく進む」感じにイライラするのだが、読み終わると妙に納得してしまう。
音楽のほうは、相変わらず昔買って今は聴かなくなった CD のサルベージ大作戦が進行中で、今回の Lindsay Cooper の作品もそのうちのひとつ。Henry Cow 関連で、例えば Cassiber や Work、John Greaves のソロあたりと同時に浚ってきた。
Lindsay Cooper は、1951年生まれで王立音楽院で学んだ、本来はクラシック畑の才媛。もともと社会に対する思いも強かったのであろう、Henry Cow のような左翼思想に染まったバンドを経て、Feminist Improvising Group を結成するに至る(1977年、Cow の崩壊寸前)。Maggie Nicolsとの共同で立ち上げたこのプロジェクト、他には Georgie Born、Irène Schweizer、Sally Potter、Annemarie Roelofs など知った名前も多い。最初の演奏が「社会主義のための音楽祭」で行われたのを見ても、これがどういう類の人たちの集まりか、容易に想像できよう。こちらは主義主張にはあまり関係がなく音楽を聴いているので、その人が作る音楽が如何であるか、だけが興味の焦点、そういう意味では外国語の歌詞は内容が判らない点がグッド、Ayler でも Cow でも歌詞がその言葉の意味を伴って頭に入ってきたら、嫌になって聴くのを止めていたかも知れない。
その Lindsay Cooper のソロ1作目が Rags 、1981年。映画音楽のようで、1840年代のロンドンでこき使われた植民地から連れてきた針子さんたちを描いた作品らしい、ロンドン版「ああ野麦峠」みたいなもんか、映画自体に興味がないのでよくは判らない。19世紀に限らず近代など収奪の歴史に間違いない訳で、それを声高に叫んでも歴史が変わることはない。
音楽作品としては、Lindsay の作曲家としての能力が発揮されており、この人の力はインプロよりも作曲作品により強く出ると思う。また、メインの楽器がバスーン、柔らかで優しい音であることから、主義を持った作品でもほんわかと聴かせてしまうのかも知れない。
メンバーとしては、Sally Potter (vo)、Georgie Born (b, cello)、Phil Minton (vo, tp)、Fred Frith (g)、Chris Cutler (ds) 、お馴染みのといえば全くお馴染みの人たち。Sally Potter の声は、Dagmar Krause に比べれば存在感が薄いかもしれないが、非常に可愛らしい感じで Phil Minton の男性的な声との対比が面白い。
次が1983年の Golddiggers 。これも Sally Potter が監督した映画のサントラ、詞も全曲 Sally Potter による。これも歌詞なんか見るとかなりの主義作品のようだが、音楽的には前作にも増して室内楽的な雰囲気が強い。2曲目などピアノがミニマルな印象を与えるなど、ピアノやギター演奏も管楽器演奏に負けない印象。
メンバーは、Georgie Born (b, cello)、Marilyn Mazur (ds)、Eleanor Sloan (vl)、Kate Westbrook (tenor horn)、Sally Potter (vo)、Collette Laffont (vo)、Phil Minton (vo)、Lol Coxhill (sax)、Dave Holland (p)。この内、ヴォーカリスト達は1曲から2曲のみの担当。Marilyn Mazur は1980年代の Miles Davis のパーカッショニストとして有名。こうして見ると男性は全てゲスト、主たるメンバーは女性、主義主張が表れていますな。女性解放と社会主義・共産主義との相性は良いようで。
この2作、RER から1991年、2 in 1で再発された。
1983年には News from Babel の活動が始まる。これは、Art Bears の後継バンドといったところで、Chris Cutler が全曲作詞、Lindsay Cooper が全曲作曲。
1984年に1st 、Sirens & Silences / Work Resumed On The Tower 発表。LP A面が Sirens & Silences、LP B面が Work Resumed On The Tower となっている。メンバーは、Lindsay 、Cutler 、Dagmar Krouse (vo)、Zeena Parkins (harp, accordion)。Georgie Born と Phil Minton がゲスト参加。変な話だが、Lindsay も Zeena も美人、Dagmar も見ようによっては(失礼!)美人、本人たちにこんなことをいえば糾弾されてしまうかも、女性の敵とかいわれて、美人であることは素晴らしいことだと思うのだが。
ギターもベースもない、ドラムが辛うじてロックの雰囲気を残す、といった感じか。Zeena Parkins の本格的なレコーディングは本作が初めてか、この後、Skelton Crew などにも参加し、Henry Cow - Fred Frith 一派としての活動機会が多い。本作では彼女のハープの音が前面に出ていて興味深い(その後のソロなどを聴くとハープだかなんだか判らないような音が多いので)。Dagmar の声の存在感は相当なもので、バックが Frith でも Cooper でも彼女の世界になってしまう感じ、ちょっと存在感あり過ぎでだれるところも。
1986年 Letters Home 。45回転の LP で出された模様。このアルバムでは、ヴォーカリストが大勢参加している、Robert Wyatt がメインで、Sally Potter も2曲、Phil Minton が1曲。Dagmar は2曲くらいしか歌っていない。他に Work の Bill Gilonis がベースとギターで全面協力、そのせいか前作にみられた盛り上がりに欠けるようなところがなく、色彩感や緊張感は前作以上の出来、ヴォーカリストの声の違いによる目先の変えようもプラスとなった。Zeena のアコーディオンも非常にいい感じ(3曲目の Banknote )。
Robert Wyatt はこの頃は共産党員だったので多分参加したのであろう、しかし1曲目の Who Will Acuse ? など、バックの演奏と Wyatt の声の雰囲気がぴったり合っており非常に良い出来。
1986年といえば、多くの RIO バンドが活動を停止した時期。News from Babel も同じように活動を停止することになる。
1995年には目出度く2 in 1の形で RER から再発(ジャケットは1st を流用)、2009年にはリマスターの上、3枚組(1枚は7インチ・シングルで発売された Contraries 、3分の曲1曲のみ)として再再発、流石にこれは購入していない。
Lindsay Cooper のこれ以降の作品については別の機会に。
こうしてみると Henry Cow のそれぞれのメンバーは才能ある人ばかりだったと思う。そのうちに他のメンバーの作品も紹介したいな。