現在蒐集中 ハンガリーの中堅トラッド・バンド マカーム
今朝も草臥れ仕事があって午前中は潰れ、昼飯を食べに行ったら何処もかしこも満員、家を出てから飯にありつくまで小一時間掛り若干イラッとしてしまった、まだ人生修行が足りぬようで。
10月の半ばだったか本を買うと宣言して、10月の20日頃に4冊手に入れた、これがなかなか読めない、西澤保彦さんの新作は読めたが、あと3冊は積読状態。空気が乾燥するようになったためか、目がチカチカして本を読む気にならない、これも歳のせいかなあ・・・と、まぁゆっくり読めばよい、積んどいたって本は腐る訳でもあるまいし。
ということで、西澤さんの新作『モラトリアム・シアター』、文庫書下ろし作、文庫書下ろしといえば、怪作『なつこ、孤島に囚われ。』(2000年)以来かと思う。お得意の記憶改竄ネタではあるが、主人公が自分の記憶が何らかの理由で封印されていることを自覚しているのが、今までの作品と異なるところ。記憶改竄ネタは、読者を非常に不安定な気持ちにさせる『夏の夜会』、感覚まで騙す実験作で傑作『神のロジック、人のマジック』、大量殺人から女殺し屋の誕生まで信じられぬ展開を見せる『収穫祭』など、西澤さんの主要テーマといっていい、しかし余りやりすぎるとまたこのネタかぁ、といわれそう。今回は何故記憶が封印されたのか、本人には記憶を回復しようとする意思が余りないのに、記憶の封印理由を解明しないと話が成り立たない、ということで、出ました!『必然という名の偶然』(短編集)の『エスケープ・ブライダル』に登場した超大富豪名探偵、彼女が登場してきて金を使い捲くって物語が奇跡的に成り立って仕舞うという荒業をやってのける。大体、終末近くでTVで驚愕の犯人名が告げられる場面、そこで気が付かなければいけないのであります・・・と読んでいない人は何が言いたいのか全く判らないであろうが、それなりに良い出来の作品ではありました、近頃の西澤さん、かなり快調ではなかろうかと思う、最後の最後に「produced by 腕貫探偵」の意味が判るところなんかも憎い。ただし、人間関係を性的な関係であちこち引っ付け過ぎなところは、どうも頂けない、安易ではないかとも思う。でも、『殺意の集う夜』『収穫祭』『からくりがたり』などでも見せたねっとりとしたアレ系の物語りも西澤節の重要な系統と考えれば、それはそれでよいのかも。
音楽の方は、ちょっと新しい方向を探ってみようということで、手を出したのがハンガリーの Makám とチェコの Traband 。Traband はまだCDが手に入っていないので、取り合えず到着した Makám の2枚を紹介、今回は手に入った順での紹介のため、音の移り変わりがどうなのかなどは書けないのでご容赦を。
Makám は、ハンガリーのバンド、1980年代半ばに同じくハンガリーの Kolinda というバンドとの連名作を2枚リリースした後、88年に単独名義の Közelítések / Approaches を出す。90年代半ばからは、コンスタントに作品を発表、初期作はインストルメンタル作品だが90年代終わりからは女性ヴォーカルを加えた編成の作品になる。今回入手したのは、Amazon 日本のマーケット・プレースで一番安かった2枚。ハンガリーといえば、今までに The Moon and the Night Spirit と Besh o DroM を紹介したが、どちらとも異なる系統で大変よろしい感じで聴きました、はい。
入手した2枚のうち発表時期の早いのが A Part 、1998年作。リーダーはギター奏者の Krulik Zoltán (ハンガリーでは、姓と名の順が日本と同じ、Krulik が姓となる、マジャール人はフンのアッチラの後裔、アジア系)を中心として、Juhász Endre (oboe, flute, kaval ~ 民族フルート)、Bencze László (double b)、Szalai Péter (tabla)、Szőke Szabolcs (gadulka ~ ブルガリアの弓奏楽器, sarangi ~ インドの弓奏楽器)、Thurnay Balázs (kaval, marimba, gatham ~ インドの打楽器、壷を叩いて音を出す) の6名がクレジットされている。
一聴、びっくりするのが全く土の匂いのしない、現代音楽的というかニュー・エイジというか、それ系のアンサンブル、例えば現代音楽でいえばミニマル系の Reich など、ニュー・エイジでは Stephan Micus とかトレンブリング・ストレインに近い印象。Besh o DroM がジャズ的なアプローチでポップな感じであったが、こちらは大人の抽象音楽といった感じで、初期はこんな風な音楽なのだろうか、ザビエル・レコードの Közelítések / Approaches の紹介でも「現代音楽風」といった惹句が見えたし、よく見せていただく rim-mei さんのホーム・ページでも同時期の Cafe Babel のレヴューに「よりジャズに近づいた音楽性で、ややクールな演奏を聴かせる。もう少し民俗性を残してくれたほうが聞きよいのだが。」というような文章が見える。
クールとしか表現できないが、自分にとってはかなり好印象の作品、特にマリンバ、チェレステの音がミニマル感を盛り上げ、フルートなども短い音を積み上げていく。ずっと掛けていたいような音群、インド~東洋的な感じが凄く良い。
もう1枚は 9Colinda、2001年作品。Lovász Irén の歌を中心として、作曲は全て Krulik Zoltán 。メンバーは、Grencsó István (sax)、Thurnay Balázs (kaval, udu ~ 壷型ドラム、アフリカ系のようだが gatham に近い感じか)、Krulik Eszter (vln)、Mizsei Zoltán (syn)、Horváth Balázs (double b)、Gyulai Csaba (perc) 。どの人の名前も読めませんね。
この Lovász Irén の声、柔らかで優しくて非常に良い、Makám の作品にはあと2作加わっている模様、聴きたいですねぇ。演奏もそれに合わせて、柔らかで聴き易い。シンセサイザー奏者も加わっているが、シンセ候の音はなく、オルガンなどのサンプリングが主体なのかも。
この Kolinda (アルバム名は Colinda だが)とは、クリスマス・キャロル(祝歌)のような羊飼いの歌の一般的名称で、バルカン半島のルーマニア人やスラヴ人の新年の歌だ、というようなことがジャケット内側に書いてある。確かに2曲目などバルカン音楽(アラブ系の曲調)という感じで、カヴァルの音やヴァイオリンのピチカート、民族パーカッションなどがそれらしい感じを盛り上げるが、やはり土臭さはなく、洗練された感じが強い。
A Part リリースから3年後の作品であるが、抽象的な感じは殆ど無くなっている、つまりはヴォーカル主体のメロディーのはっきりした音楽。サキソフォンの音など、イージーリスニングといってもいい感じの聴き易さ、トラッドに分類はしたけれども、ちょっと違うかも。
ということで、今後も新ジャンル開拓は怠らぬようにするつもり、その割には聴く時間がないけれど。楽しみはこれから。