変拍子フォークからオルタナティブ・ロックへ ストーミー・シックス (2)
冷静に考えてみれば、イスラム教は例えばイラクではシーア派とスンニー派が血で血を洗うようなテロ合戦をしているし、シリアの内戦だって少数のアラウィー派が権力にしがみ付くためにやっているようなもの、猪●知事野いう通り「共通なのはアラーの神様」のみというのは的を射た発言ということになる。軍隊は年寄りには所詮無理な職業で殆どが血気盛んな若者で成り立っている、また戦場で殺し殺されるような極限状況にいれば変に性欲が刺激されることもあろう。そんな人たちに禁欲を貫けという方がどだい無理な話。市街戦になって敵国女性を強姦などされると困るから(昔は勝てば官軍、負ければ泣き寝入りだが、今の世の中情報手段が発達したせいで隠し通せるものではない、隠せないと非難轟々)、そうした性的エネルギーを管理するためには慰安婦という名の売春組織が必要なのは当然、橋●市長の発言は真っ当なものだということが判ろうというもの。しかし、それを文脈の中で理解しようとせず、片言隻句を捉え「宗教批判」だの「慰安婦肯定・売春肯定」みたいにいわれてしまっては何もいうなということと同じ、報道の暴力というか偏向ここに極まったか。
猪●知事のツイッターでの「誰が敵で誰が味方か判った」という発言や橋●市長の「もう正式記者会見以外は受けない」という発言もその通りと思う。何も「慰安婦」を貶めている訳ではなく、イスラムを批判している訳ではないだろうに。まぁ、オリンピックの東京開催には反対なので、これで東京開催がなくなればそれはそれで良かったかも。そういえば、84年に冬季オリンピックが開催されたボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボは、イスラム(ムスリム)の人が多く住む町であった。その後90年代にはセルビアが攻め込み、市街戦が展開され多くの人々が命を落とし、オリンピック開会式が行われた会場は墓で埋め尽くされていると聞く。平和の祭典がかの地で行われたことを考えれば、チトーの偽りのコスモポリタニズムの方がずっと正しかったということか。
『逆転検事』は初めの2話はやり終えたが、今ひとつ面白みに欠ける。出張を挟んだということもあって、ちょっと放ってある状態、そのうち片付けようとは思っている。本は、深木章子さんの作品と共に花輪莞爾さんの『悪夢百一夜』という厚い短編集(なんと1,300頁を超える!)を買ってぼちぼち読み進めている。大坪砂男全集の2巻はあと数編を残すのみ。読書はそれなりにこなしております。
ということで、今回は Stormy Six の2回目。RIOの諸バンドとの交流も深まり、変拍子度が高まっていく70年代後半から80年代初頭にかけての3枚。イタリア盤も英語表記一切なしでちょっと困る。
L'apprendista (見習い、日本盤では「修行時代」という題名が付いていた)、1977年。録音メンバーは、Giorgio Albani (sound technician)、Carlo de Martini (vln, vla, mandolin, a-g, vo)、Franco Fabbri (vo, a&e-g, vib, xylophone)、Umberto Fiori (vo, a-g)、Salvatore Garau (ds)、Tommaso Leddi (mandolin, vln, a&e-g, p)、Luca Piscicelli (b, vo)、その他サックスやファゴット、弦楽器などのゲストが参加。サウンド担当がクレジットされ、ベースが Pino Martini から交替している。
アコースティク主体のサウンドでフォークの風情を充分に残すが、リズムは変拍子がかなり取り入れられ、アバンギャルドな雰囲気が強く出るようになってきている。歌が中心ということで、メロディーラインがはっきりしていることと、アレンジがきっちりとなされているところが聴き易さに繋がっているか。アンサンブルの纏まりも彼らの作品の中一番と思う。Carlo de Martini は本作を最後にグループを抜けるが、彼のバイオリンやマンドリン演奏が相当の核になっているように思う。スピード感はそれほどなく、まったりした感じ(Fiori 氏の歌声を含めて)が彼らの持ち味で、ちょっと頑張っちゃった感の強い Macchina Maccheronica やそれまでの演奏とは趣の異なる Al Volo よりもずっと Stormy Six らしい作品といえるのではないか。
Macchina Maccheronica (マッケロニカ(意味不明)の神)、1980年。RIOの思想的中心になった頃の作品、管や弦を多用しエレキ・ギターもかなり取り入れ変拍子満載の、正しく RIO という感じのアルバムだが、やはり Fiori 氏のボーカルのせいか、Henry Cow のような研ぎ澄まされたようなシリアスさはなく、どこかユーモアも感じさせる、管楽器で活躍するのがクラリネットやトロンボーンという柔らかな音のためか。前作に比べ、即興的な部分がかなり感じられる。
録音メンバーは、Tommaso Leddi (mandolin, vln, g, as, organ)、George Born (cello)、Leonard Schiavone (cl, ts)、Franco Fabbri (g, tb, vib)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b)。Henry Cow の Georgie Born とサキソフォン/クラリネット奏者が加わり、他メンバーもサキソフォンやトロンボーンなどを持ち替えており、非常にサウンドは色彩感豊かな作品に仕上がっている。ただし、ちょっと肩に力が入っている感じがあって、好き嫌いでいえば前作の方が好き。
Al Volo (エスペラント語で「意志を持って」の意味か?)、1982年。彼らの現役活動期の最終作品。フォーク的な部分を完全に切り捨て、オルタナティブ・ロックそのもの。管楽器やバイオリンなどの擦弦楽器は一切使わず、ロック・カルテット(ギター・ベース・キーボード・ドラム)+ボーカルという構成、リズム・マシーンやベースへのエフェクトなど今までにされていない試みも。Fiori 氏のボーカルも前作よりシリアス度を増している。前作までとはかなり趣が異なるが、これはこれでカッコよい作品、出来はかなりのもの。
録音メンバーは、中核が残ったということで Tommaso Leddi (kbd)、Franco Fabbri (g)、Umberto Fiori (vo)、Salvatore Garau (ds)、Pino Martini (b) のクインテット編成。
いつの間にか立夏を過ぎ、明後日は小満。季節は確実に嫌な夏に近付いている。しかし、今日は曇り空で太陽が照っていなければまだまだ肌寒さを感じることもある。空気も乾燥していて気持ちがよい。
敗れ放題の網戸も、昨日1枚だけ張り替えた、やってみれば出来るもの。来週も2枚くらい張り替えるとするか、夏になって外で作業するのが嫌にならぬうちに。