日常茶飯事とCDコレクション
by ay0626
プロフィールを見る
画像一覧
検索
カテゴリ
無駄話
jazz
rock
folk
new age
radical-trad
trad
free improvisation
latin
現代音楽
音楽-その他
dark-wave
以前の記事
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
最新の記事
大坪砂男の粋 + ハット・フ..
at 2013-08-11 15:46
ブログの内容 ちょっと変更 ..
at 2013-08-04 15:59
大人のロック、洗練された音、..
at 2013-07-27 14:49
変容するフリー アルバート・..
at 2013-07-20 14:20
ベースの可能性・無伴奏の魅力..
at 2013-07-07 21:31
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
音楽
オヤジ
画像一覧

タグ:はっぴいえんど ( 4 ) タグの人気記事

その後のはっぴいえんど スタイリスト&ギタリスト 鈴木茂

 昨日が凄く暖かくてこのまま春に突入するかと思ったが、今日は風が吹いて雨が降り、若干寒いくらいになった。今時分は寒暖の差が大きく、天気も変わりやすいのか。ニュースで見ると東京以西では春爛漫の気候、九州では夏日になったところもあったのに、北海道では猛吹雪、日本って案外広いのだと改めて思うのでありました。

 来年卒業予定の大学生諸君は、就職活動も山場を迎え、4月ともなれば最終面接に臨むことになる。我が娘も就職活動真っ盛り、大学が北海道にあるものだから移動に掛かる時間もお金も相当なもので、苦労しているようだ。どんな会社に行きたいのか、じっくり話したこともないので判らないが、第一志望のところに受かればいいと思っている。
 自分が社会に出たのは、何度も書いたが80年代の始めのころ、70年頃の円高不況も治まり企業の採用活動も活発になってきた時代。今のようにエントリー・シートに目一杯自己アピールを書き連ねることもなく、そのかわり親父や兄弟姉妹の職業や会社での地位など、平気で書いたしそれは当然のことであった。愛読書や尊敬する人物など、今では思想信条に触れると忌避される事項も勿論記したものである。
 昔は、企業も入ってくる人に「全人格的隷属」を求めたし、それに見合う経済的恩恵(つまり賃金の上昇ですね)を与えることができた(と思った、ということではあるが)。それが、今ではどうだ、ブラック企業といわれる「人格的隷属」のみを求め「経済的恩恵」の全くない会社まで現れた。そうなれば、じっくりと「良い」会社を選ぶしかない。若くこれから社会に出る人たちに言いたい、働く意味を考え、決して自分を安く売るなと。自分の働きは本来は給料以上だ、矜持を持てと。豪く真面目なことを書くようだが、搾取されてはいけない、搾取を認めてしまえば世の中、もっともっと悪くなっていく、自分を持ち、自由な時間を作りなさいと・・・。

 と、トンでもない前振りから始まりましたが、危険な思想の持ち主というわけではなく、極真っ当に社会人生活を営んでおりますのでご安心を。ちょっと今の若い人たちが可愛そうな気がして仕方がないので。
 今回は、その後の仁義なき戦い・・・じゃなく「その後のはっぴいえんど」、最後の人、鈴木茂さんの巻。細野さん、大瀧さんと CD をぼちぼち買い集めてはいたのだが、鈴木さんについては Band Wagon 以外リアルタイムで聴いたことがないし・・・と思っていたら、2008年にクラウンの全アルバムを収めたボックス・セットが発売されて、9千円もしたので散々迷ったが、年末くらいに購入。年が明けた09年2月、鈴木さんは大麻取締法に引っ掛かって逮捕・拘留、このボックス・セットも発売中止となった。そういう意味では、貴重なセットを持っていることになる。

a0248963_1826407.jpg 鈴木茂さんの最初のソロ(リーダー)アルバムは、1975年3月の Band Wagon 。75年3月といえば、高校1年の終わり、高校生活も慣れた頃。この頃は、まだプログレや現代音楽に嵌り込む前で、このアルバムは本当に良く聴いた。予約までして、大きなポスター(ジャケットと同じ写真の)を貰い、部屋に飾ったのを憶えている。この頃の最も好きだったのが「はっぴいえんど」一派で、細野さんの「Hosono House」と大瀧さんのファーストも聴き込んでいて、やっと鈴木さんのソロが出ると、大きく期待したのだろう。
 75年には、細野さんの「トロピカル・ダンディー」と大瀧さんの「ナイアガラ・ムーン」も出た年で、ここまでは彼らの音をリアルタイムで追いかけていた訳、この後音楽の趣味も変わって行き、殆ど彼らの音楽も聴かなくなる。
 このアルバムは、アメリカ録音ということもあるのか、非常に洗練された乾いた感じで、細野・大瀧の最初のソロにあったようなウエットさが全く感じられず、ちょっとびっくりした。この乾いた感じは凄く好きで、松本隆さんの歌詞(これも以前に比べれば凄く「乾いた」感じ、「人力飛行の夜」や「微熱少年」にはウエットな部分がちょっとはあるけれど)も「ずいぶんとモダンになったものだ」と高校生らしからぬ感想を持ったものだ。最初の「砂の女」から伸びやかなギターと軽快なキーボード、そしてセンスのあるブラス・アレンジと、今聴いても十分聴ける。細野・大瀧のファーストが若干古びた(一昔前の)イメージであるのに対し、このアルバムはそうしたところが全くない。
 自分が「春」のイメージの曲を選ぶとしたら、このアルバムに収録されている「100ワットの恋人」、「別れる間際に手渡されたセーター、編んでるうちに春になったの」、なんとも忘れられないフレーズで、ここで冒頭の一文に繋がるのであります。

a0248963_1827636.jpga0248963_18274293.jpg 2枚目以降は、リアル・タイムでは聴いていない。2008年のボックス・セット購入時に初めて聴いたものばかり、自分も購入したは良いが、1回か2回しか聴いていない。鈴木さんは当時歌謡曲のアレンジなどしており、ちょっと安易なストリングスを付けた歌謡曲っぽいものが多い。

a0248963_18275972.jpga0248963_18281420.jpg 2作目の LAGOON (1976)は、鈴木さん自身もそれなりに認めているようだが、その後の作品については、そう好きではないようだ。LAGOON (1976)、Caution! (1978)、TELESCOPE (1978)、COSMOS'51 (1979)と続き、85年には「星導夜」というアルバムが出ているが、未聴。ジャケットのみを並べておく。

 春、暖かくなれば心もウキウキ、となればいいんだけれど。就職活動の学生さんたち、頑張ってね。就職試験に落ちても、それは相性が悪かっただけのこと、運が悪かっただけのこと、決して人格否定されているわけではない、自分を採らなかった狭量な企業をせせら嗤うくらいの余裕をもって。
[PR]
by ay0626 | 2013-03-10 17:26 | rock

その後の はっぴいえんど 田舎暮らしから世界漫遊へ 細野晴臣

 久しぶりにパチンコをした。近頃は安く玉を貸してくれる、そのせいか暇潰し感覚でやっている人も多いようだ。通常の1玉4円貸しのレーンには人が少なく、1円など安く遊べるレーンの方が人が多い、特に中年以上の女性が多いような気がする。まあ、そう多くの金を消費する訳ではない、年金程度でも遊べるとなれば、テレビじゃ刺激が少ない、本を読む習慣も気力もない、そうした中高年の手っ取り早い遊びが博打 ~ パチンコ。今の台は連チャンの確率も高く、一度大当たりになればそれなりに興奮する、脳内麻薬も出捲くる。10年ほど前、連チャン機能が野放しだった頃は、勝てば10万円、負ければ5万円くらいは平気だった、勝つのが数度に1度とすれば、負けが月に20万円30万円と嵩んでいくのは当然のこと、世間の非難を浴び規制が強くなる、また世の不況もあってパチンコ業界ももう終わりか、という感じではあった。が、そう毟らなければ(節度(?)を持って毟れば)業界が生きていける程度のお客はいる(年金世代)、来てくれるということが判ったのだろう、また盛り返して来てはいるようだ。
 競馬や競輪、競艇などの博打には縁がなく、競馬は誘われて数度馬券を買い見にも行ったが、全く面白くない、「一度でも当れば違う」といわれるが、そこまで続ける気にもならず、30年以上ご無沙汰状態。しかし、パチンコはコンスタントにやっていて、学生時代は新装開店に並びもしたし、何年か前までは休みになれば何万円かポケットに入れて、出れば昼飯も食わず何時間もぶっ続けで遊んだこともある。何時の頃からか、何か憑き物が落ちたようにぷっつりと行かなくなり、誰かに誘われれ暇であれば付いて行く程度、出ていても帰る時間になれば未練なく止められる。
 そういえば、麻雀もやらなくなった。学生時代は、学校に行くのは麻雀仲間を探しに行くようなもの、決して授業を受けに行くためではなかった。友人の家でやるときは何時も徹夜、何で眠気を我慢してまでやっていたのだろう、今となっては理解に苦しむ。会社に入ってからも麻雀熱が醒めることはなく、どうだろう10年ほどはやっていたと思う、そのうち突然やらなくなった。若い世代は、4人が仲間内で金を取り合うというのに疑問を持ったという訳ではないだろうが、長い時間煙草を吸いながら椅子に座り続けるのは苦痛なのかと思う。自分もこの数年、牌を握ったこともない。そういえば会社に入った頃、会社の近くには6~7軒の雀荘があったが、バブルが消滅した頃から廃業し出し、今ではもう1件しかない。
 博打も世相を敏感に反映するもの。そのうち、パチンコ屋の客は65歳以上の老人ばかりになったりして、そういえば今日若い人の姿を見た覚えがない。

 昔話ばかりで恐縮だが、また70年代までの話、はっぴいえんど、その後。細野さんといえば、YMO が最も有名かと思うが、自分はあれで全く細野さんとは縁が切れました。ということで、ここでは Hosono House とトロピカル3部作まで、Hosono House はともかく、トロピカル3部作は今でも十分に聴けます。

a0248963_18201310.jpg ソロ第1作が Hosono House 、1973年作品。多分中学生の頃、LP を買った。大瀧さんにしろ鈴木さんにしろ、やはり最も愛着があるのが各人のファースト・アルバム。本当に良く聴いた。
 このアルバム、埼玉県の自宅で録音したもののようで、決して音は良くない。演奏も今の耳で聴くとどうかと思うような感じなのだが、全体のホンワカとした田舎っぽいところが気に入った。特に「僕は一寸」「終わりの季節」「恋は桃色」など当時は大いに気に入っていて、よく口ずさんでいたことを憶えている。松本隆さんの詞とは明らかに違う世界がそこにはあった。
 ジャケットもモノトーンのシンプルなもので、70年代のヒッピー、自然回帰志向がよく現されたデザイン。しかし、実質の最終曲「薔薇と野獣」はちょっとイッちゃった感じがして、やはりミュージシャンなんてのは皆悪いお薬でもやっているのじゃないか、と高校に入る頃には思っていた、的が大きく外れているとは今でも思わないが。

a0248963_1821935.jpg それから、キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)の活動を行うが、その中で生み出されたのが所謂トロピカル3部作。その1作目が『トロピカル・ダンディ』、1975年作品。
 当時細野さんの新しいアルバムが出るということで首を長くしていた、高校1年か2年の頃。それほど Hosono House が好きだったのである。アルバム・リリース日に即購入、勇んで聴くと「ちょっと何か違う感じ?」。それでも聴き込んで、LP A面はそれなりに納得もしたが、B面の力の入らなさにはガッカリしたところもあった。
 その頃は、プログレを聴き始めた頃、例えば Pink Floyd の Meddle だとか、Crimson の In the Court of ~などを齧り出し、シリアス志向、大作大好きになりつつあった。とすれば、向くのは北方向(冷たく理知的な方向・・・と思っていたのだろう)、楽しく明るく能天気な南には志向が向かなかったのだろう、このアルバムのあとの2作は、CD 化された後に購入、リアル・タイムでは聴いていないのである。
 しかし、このアルバムの「Hurricane Dorothy」「絹街道」は凄く好きな曲、当時は勉強しながら掛けていました、これは本当の話。

a0248963_18213110.jpg トロピカル3部作の第2部は『泰安洋行』、1976年作品。上記のごとく、2000年 CD 化されてから購入したもの。
 かなり熱に浮かされたような出来で、ちょっと行き着くところまで行き着いた感じ、訳の判らぬワールド・ミュージック。サウンド的には実験的な部分がかなり盛り込まれている。中の歌詞ブックも凝り捲くりで、鬘を付けた白塗りの細野さんなどやり過ぎ感あり。
 演奏は、ティン・パン・アレー、当時の最高の演奏力を誇るバンド、今聴いても古びたところがないのは流石、細野さんの構成力とティン・パンの演奏力、見事なコラボレーションです。

a0248963_18221457.jpg 最終作『はらいそ』、1978年作、ハリー細野とイエロー・マジック・バンド名義。とは言ってもバンドが継続した訳もなく、これまでのソロ作品と同じ。
 前作に比べるとかなり落ち着いた出来で、録音の仕方も若干違うような感じ(前作までのクラウンからアルファ(ソニー傘下)に移籍したことも関係があるのか)。
 ストレートにグレン・ミラー(3曲目)とか沖縄民謡(4曲目)とかを取り入れ、マリンバやスティール・ドラムとか(7曲目は金属打楽器の合奏!)民族的な指向が出ている。
 それなりの出来ではあるが、前作のハチャメチャな感じの方が好きかも。

 時々ブログを読み返すこともあるが、何れも昔の音楽ばかり、偶には現役バンドの話題がないわけではないが、古いと思わざるを得ない。一番多感な頃聴いた音楽が最も心に染み付いているのは当然のこと、素直に居直っておきましょう。ということで、今後も古い音楽、沢山出てきます。

 
[PR]
by ay0626 | 2012-10-07 16:56 | folk

その後の はっぴいえんど 外国語のような日本語 大瀧 詠一

 酷く暑い日が続く。部屋にいれば空調が効き気持ちも良いのだが、ちょっと外に出れば眩し過ぎる太陽がじりじり皮膚を焼く、昔もこんなに暑かったか。これだけ空調がどこの家にも入ったのは、多分自分が会社に入った頃、大学の友人の下宿先にエアコンが入っているところなど一軒もなかった。
 学生時代を過ごした京都は、本当に嫌らしい暑さが続く土地で、涼みたければ喫茶店か映画館に行くしかなく、夏は特に見る映画の本数も増えたものだ。一乗寺という町に京一会館という映画館があって、新作ではない日本映画を1週間入れ替えで2~3本立で見せていた。下宿から歩けば30分弱、自転車なら10分ほど、11時開館で開館時一番で入れば350円、それ以降だと400円だった覚えがあるのだが、なかなかその時間に間に合うように朝目が醒めない。つまり、茹だるような暑さの中でも惰眠を十分貪れるほど若かったということか、今になってはそう思う。当時でも350円で半日以上時間が潰せる娯楽などそれほどない、ということもあって4年間で200~300本は見た、この十数年ご無沙汰してる今とは大違い。邦画ばかり見ていた、洋画は七条か何処かに京都会館(うろ覚え)とかいう専門館があったが、多分字幕を読むのが面倒だ、ちょっと料金が高いくらいのことで、殆ど見に行くことはなかった。
 その映画館は、たまに休日の前日にはポルノの7本立てオールナイトなどやっていて、そのときは新聞紙を沢山持った学生さんで満員になったものだ、新聞紙は敷いて横になるための必需品ということ。勿論映画館の中では煙草など吸ってはいけないのだが、当時は大学に入れば殆どの者が喫煙していた頃、どこそこで紫煙が立ち昇っていたものだ。
 そんな環境の中、見た映画はちょっと前衛がかった作品が多かった。印象に残り今でも題名くらい思い出せるのは、黒木和雄の『祭の準備』『暗室』、曽根中生の『不連続殺人事件』、増村保造の『曽根崎心中』『兵隊やくざ』、東陽一の『サード』など。こうして見ると若かったんだね、今みたいにひねた感じがない。特に『曽根崎心中』の梶芽衣子など鬼気迫る凄い名演だったいう思いは今でもある、何処がどうとまでは覚えはないが、最後に喉を突きあって果てるところなど特に凄みがあったような気がする。
 京一会館も今はもうない、風の噂で聞いた。

 日本映画の話から日本のフォーク・ロックの話。中学時代の話は前に書いたが、はっぴいえんどの解散後はソロ活動も追いかけた。はっぴいえんどの大瀧、細野、鈴木のうち、最初にソロを発表したのは大瀧詠一。

a0248963_18255614.jpg 最初のソロは、はっぴいえんど活動中の1972年作品。スノッブというか趣味性の高い人で、日本人でこれほどヴァージョン違いやリ・レコーディングに拘った人も珍しい。多分、アレンジからレコーディング、マスタリングまで殆ど自分でこなしてしまう才能から来るものだろう、その分表面づらは非常に軽く見えてしまうところはあるが。
 このアルバム、初出は12曲入りではあるが収録時間は30分に満たない、多分高校に入って直ぐに買ったと思うが、当時もうちょっと長くてもいいんじゃない?と思ったものだ、1分当りの値段を直ぐ計算してしまう癖(ケチといわれても仕方がないが、何度も書いて恐縮だが、LP は当時非常に高価だったのだ)。現在は、増補決定盤がたったの1500円ほど、良い時代になったね。
 演奏にもミックスにも若干のチープさがあって、名盤かといわれれば首を捻らざるを得ないが、それでも当時はよく聴いた、前衛ジャズと現代音楽中心の大学時代もそれなりには聴いていたのである。このアルバムは、まだ松本隆の詞をかなり使っており、松本の詞からくる叙情性と大瀧の無国籍風のある意味能天気な感じが上手くブレンドされている、「五月雨」「それはぼくぢゃないよ」「乱れ髪」など佳曲が多い。オリジナルLP には収録されていない「空飛ぶくじら」や「恋の汽車ポッポ」もまたよい、特に「くじら」のクラリネット・アレンジなどは絶品。
 そういえば、初期はっぴいえんどにも関係した柳田ヒロが「乱れ髪」の詞に自分の曲を付けたこともあった。

a0248963_18172511.jpg 次が75年の ナイアガラ・ムーン。75年といえば高校1年生、大瀧のニューアルバムが出るというので、凄く楽しみにして首を長くしていた。しかし、買って早速聴けば???という感じ。このオヤジふざけているのか、収録時間の短いのはいつものこととして、日本語を全く日本語に聴こえないように歌って、歌詞の中身もナンセンス、何処をどう聴けばよいのだ、金返せー!!!
 それでも勿体無いから何度も何度も聴いた。そうすると、歌詞のナンセンスなこと、日本語に聴こえないことの意味が判るような気がしてきた。言葉を意味で捕らえると、音楽を聴かなくなる、ただメロディーしか聴かなくなる、多分それが嫌だったのではないか。大瀧は、ヴァージョン違いに大いに拘った人である、多くの人に音の隅々まで聴けとは言わないだろうが、少数の人には拘ったところを聴いて欲しい、例えば日曜日の新聞に載る「この2枚の絵で違いを8か所探して」と同じように、「ああ、こんなところが違うんだ」というような驚きを演出したかったのではないか。そのことは、『ナイアガラ・カレンダー』の紹介でもう一度考えてみたい。よく聴けば、リズム面でもコーラス・アレンジにしても、一見チープな中に拘りを感じさせる部分がある、例えば「三文ソング」「福生ストラット」「いつも夢中」など。
 大学時代の下宿の2階に住んでいた人が、よくこのアルバムを掛けていたことを思い出す。天井が薄かったせいか、ベースの音だけがやけにはっきり聴こえたものだ。

 ということで、ナイアガラ3部作の2作目、3作目とロング・バケーション、イーチ・タイムの紹介は後ほど、別稿で。え?ロング・バケーションの紹介など要らない、お前の無駄話など聞きたくないって・・・・そんなこと言わず、一応所持しているアルバムは全て紹介することにしておりますので、平にご容赦を。
[PR]
by ay0626 | 2012-07-28 16:53 | folk

中学生の心を掴んだ乾いた風 はっぴいえんど

 久しぶりに先週、今週と本を読んだ。去年の9月にちょっと大きな病気をしてしまって、音楽聴くくらいの根性はあったが、とても読書までは行かない、あんまり好きな作家の新作も出なかったこともあり、ついつい半年ほど、何の本も読まない期間が出来てしまった。考えて見ると、これだけの長い期間本を読まなかったことはない、読書の習慣が染み付いた中学生以来。
 中学生の頃から、お涙頂戴やスポーツ根性熱血モノには、興味がないばかりかちょっとした敵意さえ抱いていて、例えば「巨人の星」の飛雄馬など虐待されるくらいだったら、一徹が寝ている間に頭でも殴って再起不能にしてやれ、などと不埒なことを考えていた。もっと嫌だったのが「あしたのジョー」で、今日のことしか考えなくて何が「明日」のジョーなんだ、ボクサーとして大成したいとかなくて、つい目の前の敵を追いかけているだけじゃないか、などと思っていた、それなら読まなきゃいい、と気が付いて、直ぐに読むのを止めた。

 読書でもそうだ、感動の大作などは、その煽り文句を見るだけで嫌になって、感心して唸りたいが感動したくはない、などと友人には公然と言っていた、何を言われているのか判らない者も多かっただろうな。その点、中学時点から読み始めた横溝正史だの江戸川乱歩だの(乱歩は変なもの見たさの方が多分に多かったと思うが)は、感心しても感動しない読書として気持ちが良かった。高校に行くとその頃には鮎川哲也がかなり再刊されて、こんな面白い推理小説(当時はミステリなんて言わなかった)があったのか、と貪るように読んだのを思い出す。大学時代は、時間があったこともあって、高橋和巳みたいな七面倒くさいお悩み小説や、どう解釈すべきか迷う吉行淳之介など手当たり次第に読んでいて、この頃立花隆の「中核VS革マル」読み、ほんの些細な違いでも大きくあげつらえば、殺しあうまでに至ることを知ったのだった。

 それから紆余曲折を経て今に至るのだが、デビュー当時の折原一なんかも典型的な「感動せず感心出来る作家」としてよく読んだ。いまでは、三津田信三、西澤保彦、貴志祐介は出れば必ず読むが、後は内容によるといったところ。先週読んだのが飴村行の「粘膜戦士」、グロだが解釈するのに困ってしまうような展開が多くて、純文学風味のところも。エンタメ路線で是非今後も行って欲しいが。今週は、牧野修の「死んだ女は歩かない」、これはなかなか壷でしたね。牧野さんのは、時々合わないのもあるけど(たとえば「スイート・リトル・ベイビー」や「だからドロシー帰っておいで」など)、「トクソウ事件ファイル」みたいに志向にピッタリのものもある。手元には、三津田氏の「幽女の如き怨むもの」、小島正樹の「綺譚の島」など楽しみが控えている。

 音楽もこの傾向が強くて、中学生の頃から貧乏臭い、男と女の凭れ合う演歌やフォークが大嫌いで、どうしても乾いたイメージの方に目が行く。そこで「はっぴいえんど」。確かに1枚目の通称「ゆでめん」には演奏のしょぼさと発想としての貧乏臭さみたいなものが抜けきれておらず、LPでは買って殆ど聴かず、CDとなっても買いなおすことはなかった。

a0248963_1475738.jpg 2枚目が傑作とされる「風街ろまん」、1971年作品。確かに歌詞の抽象度は高まり、都会の乾いた感じも出てはいるのだが、音のしょぼさが、全体をくすんだ印象にしてしまっている。音の取り方の問題かも知れないが、またどこかで書くことになるだろう大滝詠一のファーストでも同じ印象がある。嫌いというわけではないが、そんなにターンテーブルに乗ることはない。

a0248963_1481540.jpg 3枚目が、本当に何度も何度も聴いた「Happy End」、1973年作品。海外録音のせいだけではないと思うが、それでも乾いた風のように高校受験を控えた中学生の心の冷や汗を乾かしてくれたものだ。細野晴臣、鈴木茂、大滝詠一の3者3様の特徴あるヴォーカルが、違和感なく一枚のアルバムに収まり、ひとつの世界を形成している、世評に高いとは決していえないが、自分にとっては最高の一枚といってよい。残念なのは、細野が松本隆の詞を歌っていないこと、大滝の曲が2曲しか収録されていないことか。

 読書ブログではないので、お間違いなく。もうちょっと音楽に関する話で冒頭を纏められれば、とは思うのだけど、相変わらず無駄話ばかりで・・・。
[PR]
by ay0626 | 2012-04-22 13:23 | rock